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花冠に継ぐ、祈りと呪縛の物語

花咲かぬ種を、君は選ばなかった

作者: ユンティア

※この作品には「子を成せない体質による別離」や「メリーバッドエンド」の要素が含まれます。

デリケートなテーマを扱っていますので、苦手な方はご注意ください。


――――――


初めまして、またはこんにちは。

このお話は「選ばれなかった者の、ささやかな祈り」をテーマにした短編です。


愛しているのに、どうしても一緒にはなれない。

それでも、自分が想った相手には幸せでいてほしい。

そんな、少し苦くて、でも優しい物語を書きました。


王道のメリーバッドエンドですが、

読み終えた後に“静かに沁みる”余韻が届けば幸いです。


どうぞ最後までお付き合いください

 風が、森の奥から春の匂いを運んでくる。

 湿った土と、萌える新芽。

 ここは、カイルとライラがよく遊んだ、懐かしい場所だった。


 ライラはそっと膝を折り、小さな白花を摘む。

 その指先は透けるように白く、陽にかざせば淡く血色が滲むほどだった。

 

 肩口で揺れる銀糸のような髪が、春風にそっと遊ばれている。

 陽の光を受けて淡く輝くその髪は、まるで霧に溶ける月光のようだった。

 そして、その瞳は新緑を思わせる、やわらかな緑。

 それは、精霊の民に特有の色彩だった。


 精霊の民――

 森と共に生き、長命で、静かに命を紡ぐ一族。

 けれど、その命はあまりに静かすぎて、新たな命を多く育むことは叶わない。

 種を結ばぬ花のように。

 だから、彼らは“咲かぬ種”と呼ばれる。


 もともと精霊の民は、遥か昔に人と精霊が交わり生まれたとされる。

 自然と深く繋がる一族であるがゆえに、その命の巡りもまた、森の気まぐれに左右される。

 森が豊かならば命が芽吹くこともあるが、乱れた世界では命を紡ぐ力は閉ざされる。


 ライラは、その“閉ざされた種”だった。

 生まれた時から、彼女は命を繋ぐ器としては選ばれなかった。

 それは呪いでも、病でもない。

 ただ、世界の流れがそうだっただけのこと。

 咲かぬ種として、生まれついたのだ。


 ライラの視線の先で、小さな白花が揺れる。

 咲いてもすぐに散り、種を残さない儚い花。

 どこか、自分に似ている気がして、彼女は微笑んだ。


 「……私みたいね」


 苦笑しながら、ライラは花冠を編む。

 今日が、これを編ぐ最後の日だ。


 遠く、村の広場から太鼓の音が聞こえてくる。

 今日、カイルは族長となる。

 いや――族長となるための、縁談が結ばれる日だった。


 この村において、族長とは“命を繋ぐ者”でもある。

 豊穣を司る神への誓いとして、族長は多くの子を成し、血脈を絶やさぬことが絶対とされてきた。

 それは、村を守り、未来を紡ぐための宿命であり、誰か一人の想いで覆せるものではない。


 だからこそ、子を成せぬライラが、カイルの隣に立ち続けることは許されない。

 それはカイルにとっても、重すぎる足枷にしかならなかった。


 「祝福を、渡しに行こうか」


 ライラは立ち上がる。

 たとえ“選ばれぬ種”でも、彼の未来を祈る資格ぐらいはあるはずだ。


 村は式典に向けて、朝から慌ただしく動いていた。

 広場では祭壇の飾り付けが進み、長老たちとの打ち合わせや儀礼の準備に、カイルも朝から追われていた。


 それでも、わずかな隙を縫うように、彼はこの場所へ足を運んでいた。

 村外れの古い井戸。

 幼い頃、ライラと幾度となく足を運んだ、思い出の場所。


 村の騒がしさから離れ、心を鎮めるための、ささやかな逃避だった。

 彼にとって、式典前の静かな儀式でもあった。


 陽に焼けた小麦色の肌。

 短く整えられた漆黒の髪の隙間から、鋭い金の瞳が覗く。

 今や、その瞳は一族の未来を背負う男の眼差しだった。


 広い背中、引き締まった体躯。

 いつの間にか、ライラの知る“カイル”は、族長となる男の姿に変わっていた。



 それでも、こうして井戸の前に立つ姿は、幼い頃と何ひとつ変わらない。

 彼女を待つ時の癖。誰にも見せない、少し気怠げな立ち方。

 その懐かしい仕草を見つめながら、ライラは静かに歩み寄る。


 その足音に気づいたのか、カイルがふと振り返った。


 「……来るとは思わなかった」


 低く呟くその声音は、どこか柔らかかった。


 「あなたに贈り物を。祝福よ」


 ライラは穏やかに応じる。言葉は静かだが、その瞳には微かな揺らぎがあった。


 「縁談の日にか?」


 「ええ、今日が最後だから」


 ほんの一瞬、春風が二人の間を吹き抜けた。

 けれど、その距離は埋まることなく、静かに揺れるだけだった。


 互いに踏み込まない距離感。

 それは今の二人にとって、傷を抉らずにいられる、せめてもの優しさだった。


 「お前は変わらないな。昔から、すぐ散る花ばかり選ぶ」

 カイルが目を細める。けれど、その眼差しはどこか懐かしさを湛えていた。


 「咲いても実を結ばぬ花の方が、心が休まるもの」

 ライラもまた、静かに微笑む。

 それは諦めでも、後悔でもなく、ただ淡く滲むような想いだった。


 二人の間に、ほんのひと時、昔のような空気が流れる。

 けれど、それはすぐに掻き消され、儚く流れていった。



 ――初めて出会ったのは、まだ幼い頃。

 森の奥で泣いていたライラに、カイルは声をかけてくれた。

 村の子供たちから「咲かぬ種」と囃し立てられ、隠れるようにうずくまっていた時だった。


 『お前が咲かぬ種なら、俺が咲かせてやる』


 そんな、幼いなりに不器用な言葉をかけてくれたのは、彼だけだった。

 泥だらけになりながら、差し伸べてくれた手のぬくもりを、ライラは今でも覚えている。


 あれから、二人はいつも一緒だった。

 カイルの背を追いかけ、その隣で笑い、未来を語り合った日々。

 カイルは、ライラを「子を成せぬ」運命ごと受け止めようとしてくれていた。


 あの頃は、信じていた。

 彼となら、きっと未来を作れると。


 けれど――


 運命は、二人が隣に立つことを許さなかった。


 彼の兄が戦で命を落としたその日から、カイルは“部族の未来”という名の鎖に縛られることになった。


 部族を治める一族は、代々“金の瞳”を受け継ぐ特別な血筋。

 その瞳は、豊穣を司る神の加護を示すものであり、族長の証でもある。


 本来ならば、その役目は兄が継ぐはずだった。

 けれど兄が失われた今、カイル以外に“金の瞳”を持つ男子は存在しない。


 他家から族長を立てるという選択肢も、村人たちには考えられなかった。

 もし神の加護なき者が族長となれば、村の繁栄が失われる――

 そんな根深い恐れが、当たり前のように信じられていたのだ。


 だからこそ、誰も疑わなかった。

 カイルが族長となるのは当然のこと。

 それは選択ではなく、既に決められた結論だった。


 兄の遺志でも、カイル自身の望みでもない。

 ただ、そうであるべきだと、部族の意志が決めたのだ。


 それでも、心のどこかでカイルは、幼い頃に交わした約束を捨てきれずにいた。

 ライラと並び立つ未来を、諦めたくはなかった。


 けれど、族長となる重圧は、その想いを押し潰していく。

 一歩踏み出すたびに、背負わされる責任が重くなる。


 そうして、気がつけば。

 ライラと過ごす時間は減り、次第に視線を交わすことも少なくなっていった。


 最後に彼が告げた言葉は――

「お前が側にいると、俺は甘える」


 その一言を境に、カイルはライラから距離を取るようになった。

 村の者たちが彼を“次の族長”として担ぎ上げ、カイル自身もそれを拒むことができなかった。


 彼女の隣にいた少年は、いつしか部族の長となるべき男へと姿を変えていった。

 けれど、それでも。

 会えば言葉を交わし、微笑み合う時間はわずかに残っていた。

 だが、そこにはかつての無邪気さはなく、

 互いに踏み込みすぎぬよう遠慮がちな距離感が生まれていた。


 一歩踏み出せば、手が届く距離。

 けれど、互いにその一歩を踏み出せないまま、式典の日を迎えてしまった。


 村の喧騒が遠ざかる中、二人だけの別れの刻が訪れる。


 カイルは昔と変わらぬ目でライラを見つめていた。

 しかし、その奥に宿るものは違っている。

 族長としての覚悟。

 部族を背負う者としての決意が、その眼差しを硬く染め上げていた。


 それが、彼の優しさすら押し殺していることに、ライラは静かに気づいていた。


 「お前の隣に居続けたい。そう思わなかった日は、一度もない」


 カイルは低く告げた。

 けれど、その声には、どうしようもない諦めが滲んでいた。


 ライラは、その視線を受け止め、そっと逸らす。

 胸の奥が軋む音が、自分にしか聞こえないように響く。


 「……そんなこと、とうに分かっているわ」


 彼の優しさも、諦めも、そして抱えている痛みさえも。

 すべて分かっている。

 だからこそ、これ以上は望まない。


 そう、誰よりもカイルの覚悟を知るのは――ライラだった。


 ライラは目を伏せ、手元の花冠に視線を落とす。

 小さく息を吸い込み、震えないように指先に力を込めた。


 「……これは、あなたに」


 両手で捧げるように、白い花冠を差し出す。

 咲いてもすぐに散り、種を結ばぬ花々。

 けれど、今だけは誇り高く咲いているように見えた。


 精霊の民にとって、花冠とは“祈り”そのものだった。

 言葉にならない想いを、一輪ずつ編み込み、形にして託す。

 祝福であり、加護であり、時に誓いとなるもの。


 だからこそ、ライラはこれを贈る。

 自らが咲かせることはできない未来へと、静かに祈りを込めて。


 カイルが、ゆっくりと手を伸ばす。

 その指先が花冠に触れる瞬間、かすかに震えた。

 迷いなのか、未練なのか――それでも、彼はしっかりと受け取った。


 「……ありがとう、ライラ」


 静かに告げられたその言葉は、胸にじんわりと染み込んでいく。


 カイルが花冠を受け取る手は、少しだけ震えていた。


 「これで、私の役目は終わりよ」


 ライラの言葉に、カイルは眉をひそめる。


 「そんな言い方は、ひどいな。兄が生きていれば、俺は――」


 「……わかっている。誰のせいでもない」



 「お前を愛している、ライラ」


 静かに、しかし確かにカイルは言った。


 「けれど、俺は族長になる。民を守り、繁栄させる。そのためには……」


 「そのためには、私では足りない」


 誰が悪いわけでもない。

 ただ、それだけのことだった。


 「私も、わかっているわ。私は咲かぬ種。あなたの未来に、花を咲かせることはできない」


 「……なら、最後に抱きしめてもいいか?」


 しばしの沈黙。

 ライラは静かに首を振った。


 「抱きしめたら、私は泣いてしまうわ」


 その声は、ひどく穏やかだった。


 「さようなら、カイル」


 彼は何も言わず、ただ俯いたままだった。

 ライラはくるりと背を向ける。

 花咲かぬ種のまま、森の中へと消えていった。





 日も傾き、いよいよ式典の刻が訪れる。

 村は賑わい、祝福の声が響いていた。


 カイルは族長として、誓いの言葉を述べる。

 その隣には、新たな伴侶となる女性が立っていた。

 彼女は大地の民に相応しい、豊かな実りを期待される女性だった。


 カイルの手には、ライラが“最後の贈り物”として編み上げた白い花冠があった。

 本来ならば、それは伴侶に捧げられるものではない。

 彼の未来を祈り、ただ静かに贈られた、別れの花冠だった。


 村人たちは、精霊の民が編む花冠の意味を知っている。

 新たな伴侶も、それが“祈り”であり、“未練”でもあることを悟っていた。

 けれど、誰一人として、それを咎める者はいなかった。


 それは、選ばれなかった者への、ささやかな弔いでもあったから。


 「……ライラ」


 その名を口にした瞬間、花冠が応えるように、かすかに光を放った。


 精霊の民が編む花冠は、ただの飾りではない。

 それは祈りであり、祝福であり、時に“想い”を伝える器となる。


 カイルは花冠に指を添えた。

 指先から、優しい温もりが伝わってくる。


 『私の花は咲かない。でも、あなたの未来に、花が咲くなら』


 確かに、彼女の声が聞こえた気がした。


 「ありがとう」


 カイルは誰にともなく呟く。


 選ばなかった。

 選べなかった。

 だが、確かにそこに愛はあった。


 だからこそ、前に進まねばならない。


 「俺は、族長となる」


 一方、その時。

 ライラは森の奥で、一人静かに祈っていた。


 「咲かぬ種のまま、それでも私は、彼を愛した」


 掌に残る花冠の残滓を見つめ、微笑む。


 彼女が咲かせる花ではない。

 けれど、カイルが咲かせる未来に、少しでも祈りが届くのなら――


 春風が、ライラの髪を撫でていく。

 選ばれなかった者として、彼女は静かにその場を後にした。


 ライラの花は咲かない。

 それでも、カイルが咲かせる未来に、彼女の祈りが届くのなら――それで、いい。



ご覧いただきありがとうございました。

「花咲かぬ種を、君は選ばなかった」は、

“選ぶことができなかった”二人の想いと、その祈りを描いた物語です。

けれど、物語はここで終わりません。これは始まりの物語ーー

カイルとライラの祈りは血へと受け継がれ、やがて帝国を築く一族“ヴァリオンド家”へと繋がります。


しかし、それは“願い”だけではなく、“執着”もまた、積み重ねていくということ。


遥か先の未来で描かれる狂気は、「選べなかった者たちの想い」が積もりに積もった末の、歪んだ執着の象徴でもあります。


これは、一つの終わりであり、一つの始まり。

『虹彩の姫君と誓いの王子にじひめ』本編で、

“選べなかった物語”がどんな結末を迎えるのかを書ければと思っております。

多忙のため長編は公開時期未定です。


最後まで読んでくださったあなたに、心からの感謝を。

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