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【短編小説】月を歩くピエロ

作者: 青いひつじ

月にウサギが住んでいるですって?それとも鯨が泳いでいる?

いいえ。月にいるのは、駆け回るウサギでも鯨でもありません。この街の人々は言いました。ピエロが月を歩いていると。




「ウィラー、次はどんな魔法を見せてくれるの」


パチパチと音を立てる小さな焚き火を、シールはぼんやりと眺めていた。


『シールさん、何度もお伝えしておりますが、これは魔法ではなく手品です』


呆れたようにそう言って空に手をかざすと、ウィラーはそっと指を折り曲げた。

シルクのゆったりとした袖が落ち、ウィラーの白い腕をあらわにした。握った拳はシールの前に差し出され、その手をひらくと、あらわれたのは星の形をしたビーズだった。それを見たシールは嬉しそうに飛び上がり、ウィラーの手首を掴んで自分に引き寄せた。


「どうして!?なにも持っていなかったのに、どこに隠していたの!」


シールの喜ぶ姿に、ウィラーも『さぁ』と肩をすくめ幸せそうに微笑んだ。それからウィラーは、安心した表情を浮かべた。

ここ最近の彼女は、久しぶりに会ってもどこか上の空で、うっすらと雨雲が浮かんでいるようだったから。その理由をなんとなく知っていたウィラーは、聞きたい気持ち半分、聞きたくない気持ち半分だった。しかし彼は聞かないことを選択した。今まで形を帯びていなかったものがはっきりと見えるようになるのが、ウィラーはどうしようもなく怖かったのだ。

ふたりのこの時間がいつまでも続かないことに、彼は気づいていた。そしてその終わりが、そこまで近づいていることにも。

しかし、肝心のシールはウィラーのそんな不安を軽く吹き飛ばすかのように、隣でご機嫌に鼻歌を奏でている。星のない夜に、透明のビーズを浮かべながら。


「そういえば、前話してたマイロに彼女ができたのよ。隣町のアーシャ。あの子、いろんな男の子からの告白を断ってるって噂だったけど、よりによってマイロと付き合うなんて。見る目がないのね」


『それは、もしかしてヤキモチですか』


ウィラーが揶揄うように言うと、シールは眉間に皺をよせ、空にかざしていた手を下ろした。


「まさか。だって彼、ろくに女の子と話したことないのよ。きっと素敵なプロポーズひとつできっこないわ」


『素敵なプロポーズですか‥‥』


「そうよ。女の子の胸が、こうキューってなるような、とびっきりのプロポーズ。‥‥ねぇ!ウィラーだったらどんなプロポーズをする?あなたならなんでも出せるでしょ」


『どんな‥‥』


ウィラーは少し考えてから空を指差した。


『そうですね。私だったら、星を集めて空から降らしてみせましょう。星屑のシャワーの下でプロポーズなんて、とってもロマンチックではありませんか』


ウィラーのプロポーズに、シールは目を一層輝かせた。それから、まるでそのプロポーズを自分が受けるかのように、頬に両手を添えてうっとりとした。


「なんて、ロマンチックなの。そんなことをしてもらえる女性は幸せ者ね」


一方ウィラーは、指差した先にある黄色い月を見つめながら、少しの悲しさを目に浮かべた。


『しかし、私がこのプロポーズをすることはありません』


「なぜ?!そんな素敵なプロポーズ、実行するべきよ!」


強く勧めるシールに、ウィラーは力無く顔を傾けた。


『そうですね‥‥。私と彼女は結ばれない運命にあるから、ですかね』



これは、青い夏の夜のこと。あたりは物音ひとつしない静けさである。ここは、サーカス団のテントの裏にある森の中。シールは夜になると家を抜け出し、ウィラーに会いにきた。ウィラーがシールの家の近くに行くこともあったが、彼女の家の周りには複数の警備隊がいるため、このように会うことが多かった。

毎年夏になれば、ウィラーの所属するサーカス団がこの街にやってきた。誰にも見つからない場所で、ふたりは隠れて過ごした。今年でもう5回目の夏になる。






シールとウィラーが出会ったのは、5年前。しばらく続いていた雨の日々が終わりを告げ、雲の隙間から差し込む光のカーテンが揺れる、ある夏の日だった。


『シール様、音楽の時間でございます』


家庭教師のエミリーがパンパンと手を叩くと、シールは重たい体を揺らして椅子から立ち上がった。


「はーい。‥‥まったく、バイオリンなんて好きじゃないのに‥‥」


息を吐くようにぼそりと呟くと、シールは楽譜の前に立ち、ペラっと1ページめくった。


この頃のシールはとても病弱で、毎日を家の中で過ごした。学校に行っても体調を崩し帰ってくることが多かったので、シールの両親は学校に通わせるのをやめた。その代わりに家庭教師を雇い、外には出さず、家の中だけで過ごさせた。


『まずは、全身の力を抜いてください。それから釣り竿を軽く投げるように、ポンッと弓を弦に添えます。ほら、こんなふうに』


「釣りをしたことないから、その表現では分からないわ」


ブーブーと文句を垂れながらも、シールはエミリーの言う通りに、弓を弦に添える。

退屈な授業から逃げ出してかくれんぼを始めることもできたが、両親の悲しむ顔は見たくなかった。こうして家に閉じ込めるのは両親なりの愛情で、彼女もそれをよく理解していた。両親はシールが寂しい思いをしないよう、彼女が大好きな音楽に触れる機会をたくさんつくってくれた。しかしシールが好きなのは、重厚なクラシックではなく軽やかなポピュラーミュージックだったので、バイオリンの授業はいつも眠たかった。それに加えてエミリーは冗談の通じない人間で、レッスンは退屈極まりないものであった。いや、レッスンだけではない。日々そのものがシールにとっては退屈だった。




雨雲が過ぎ去り、庭の緑が纏った雫を輝かせる土曜日の朝。彼は突然、シールの前に現れた。

家政婦のイライザに無理やり起こされたシール。顔だけ洗うと髪もとかさず新品のワンピースに着替え、まだ半分夢のままで用意された椅子に腰掛けた。


「みんな慌ただしいわね。一体なにが起きるってゆうの?」


シールは振り返り、少し離れたところに立つ両親に尋ねた。両親は前を指差し、シールに合図を送る。

数分の時間が経過した時、突然明かりが消え、部屋は青い闇に包まれた。するとすぐに、誰かの足音と共に聞き覚えのある音がどこからかやってきた。


それは廊下からだった。弦と弦が擦れる音は、壁と床を這い、シールの体を伝っていった。歩いてきた黒い影がシールの目の前で歩みを止め、それと同時に演奏も止まる。天井のひとつのスポットライトが灯った。まるで闇夜に浮かぶ月明かりのように。光の下、姿を現したのは、シルクの衣装に身を包んだピエロだった。白く塗られた顔に、大きな赤い口と、目の下には雫の模様。両耳の石のピアスがスポットライトを受けてきらりと光ってみせた。


「はぁっ‥‥」


シールは状態を少し揺らし息を呑んだ。本物のピエロを見たのはこれが初めてだった。今日はシールの誕生日。ピエロは、両親が準備した、退屈な毎日を送る彼女へのプレゼントだった。


ピエロが弓を持つ右手を胸に添え、深々とお辞儀をすると、つられてシールも頭を下げる。

上体を起こしたピエロはそっと一歩前に出て、ひっそりとした声で話し始めた。


『この度は、ご招待いただきありがとうございます。シール様、今日はあなたが見たいものを見せて差し上げましょう』


「私が見たいものを‥‥?」


またつられて、シールもひっそりとした声で返した。


『えぇそうですとも。あなたの好きな音楽、見たいもの、なんでもです』


「なんでも‥‥」


シールは両親の方をちらりと見ると、届かないようにさらにひっそりとした声で答えた。


「私、本当はクラシックは好きじゃないの。聴くとどうしても眠たくなってしまうから、とっても退屈で。あなた、ポップミュージックは得意かしら」


『もちろんです』


軽やかにそう答えたピエロは、長い弓を自由自在に動かし、弾むような音楽を奏でてみせた。飛び跳ねる音符に合わせてステップを踏んだり、滑るように歩いてみせたり。指で弦を弾く演奏方法は、シールの目にはとても新鮮にうつった。いつもは金切り声に聞こえて好きじゃなかったその音は、今日は誰かの歌声のようだとシールは思った。シールはたまらず立ち上がりピエロの近くに駆け寄ると、スカートの裾をめくり上げ同じようにステップを踏んだ。


『これは、最近街中でよく流れている音楽です。お気に召しましたでしょうか』


「えぇ!私、バイオリン好きじゃないけど、あなたの奏でるバイオリンは大好きよ」


『それはそれは。喜んでいただけたようで、光栄でございます』


「ねぇ、ピエロさん。次はなにを見せてくれるの」


『シールさんは、なにが見たいですか』


「私は‥‥。星を見てみたい。絵本でしか見たことがないの」


『そうですか、星ですか。それは少し難しいかもしれません。星はとても遠い場所にありますからね』


ピエロは悩ましそうにして天井を仰いだ。


「そう‥‥それは残念。さすがのピエロさんにも、星を掴むことはできないのね」


シールが肩を落としたその時だった。ピエロは空を掴む真似をしてから、その拳をそっと彼女の前に差し出した。ゆっくりと開かれた手の中から星型の紙吹雪があらわれ、シールは、うわぁと小さな声が漏らした。

様々な色を纏った星をピエロが宙に撒き散らすと、シールの頭上からシャワーのように降り注いだ。


「すごいすごい!!星が降ってくるわ!」


星のシャワーの中でシールは両腕を広げ、くるくる回りながら、星を捕まえようと飛び上がった。


それからもピエロは、黄色い大玉に乗ってみせたり、長い風船を器用に丸めてプードルを作ってみせたりした。動物に触れることを禁じられていたシールは、それをペットのように自分の膝に座らせ、優しく撫でた。


楽しい時間はあっという間に過ぎ、ピエロとの別れの時間がやってくると、シールは急に夢から覚めるような気分なった。もう少しだけ一緒にいたいと袖を掴み訴えるシールだったが、ピエロは、そろそろ行かなければならないと困った顔を見せた。

そこでシールは考え、少しだけ待っててと言うと、自室へ走り、引き出しから紙とペンを取り出し何かを書き始めた。書き終えた紙を四つ折りにすると、玄関で帰る支度をするピエロに差し出した。


ピエロは手紙を読むと小さく驚き、シールを見た。内緒よと唇に人差し指をあて、悪い笑みを浮かべるシール。ピエロは驚いたまま、受け取った紙を胸ポケットにしまった。そうして2台のアタッシュケースを手にぶら下げ、門をくぐろうとした時。ピエロは立ち止まって振り返り、シールに歩み寄ると、耳元に風のように近づいた。


『私の名前はウィラーと申します』





その日の夜ことであった。なんとシールは家を抜け出し講演後のサーカス団のテントへ忍び込んだのだ。夜になるとシールの家の周りはしんと静かになる。気を抜いた門番たちが時々警備をサボって世間話をしているのをシールは知っていた。その瞬間を見計らって、家を抜け出したのだ。会場はシールの家から徒歩で30分、真っ直ぐ進んだところにある大広場にあった。ひっそり部屋の窓から抜け出し裏口から道に出た。地図のとおりに辿っていくと、道の先に灯りの消えた三角屋根のテントが見えた。カーテンで塞がれた入り口の隙間からは微かな光が差し込み、中には長い公演を終え椅子に倒れ込むウィラーの姿があった。「ウィラー!約束通り会いにきたわ!」シールはウィラーに飛びつき、完全に油断していたウィラーはいきなりのシールの登場に腰を抜かしたのだった。

ウィラーはこの時のことを、5年経った今でもはっきりと覚えていた。


『あの手紙を読んだ時は本当に驚きました。"今夜家を抜け出してあなたに会いに行くわ"だなんて。先ほどまでのいたいけな少女はどこにいったのだと』


「あら、あの時私は15歳。立派な大人の女性よ」


『本当に抜け出して会いにくるなんて、シールさんには驚かされてばかりです』


「あら、私がいつ驚かしたっていうの」


ウィラーは少し上を向いて考えた。


『ふふ。それも初めてお会いした時でした。お金持ちの少女のお宅と聞いておりましたので、どんなお嬢さんだろうと思っていたのです。そしたら』


「そしたら??」


『ボサボサの寝起き頭できれいなワンピースに身を包んだあなたが、目をまんまるにしていたので、私は可笑しくて可笑しくて‥‥これはたいへんおてんばなお嬢さんだろうと思いました』


思い出し、目に涙を浮かべるウィラーの肩をシールが軽く叩いた。


「しょうがないじゃない!サプライズだったんだから!!知ってたら私だってちゃんと髪を結ってお化粧だってしたのに」


頬を膨らませそっぽを向いたシール。ウィラーは人差し指で涙を拭うと、覗き込むように顔を傾けた。


『お化粧なんてしなくても、シールさんはきれいですよ』


突然のくすぐったい言葉に、シールは膨らませた頬をほんのりと赤く染めた。そうしてウィラーの方へ体を向けると、少し寂しそうな目でウィラーの頬に手を伸ばした。


「お化粧していない顔、見てみたい。あなたがどんな顔で笑うのか、ちゃんと見ておきたいの。ねぇ、だめ?」


ウィラーはゆっくりと首を横に振る。


『いくらシールさんのお願いでも、それは叶えることはできません』


シールはまたムッとした。


「どうして?あの子はウィラーの本当の顔を知ってるんでしょ!」


『あの子?』


「同じサーカス団のオレンジの髪の女の人よ!いいなぁ。あの子はウィラーの顔を見れるんだもんね」


『マーチのことですね。彼女はただの仕事仲間ですよ。それに私の顔なんて見たところで、そんないいものではありません』


「そうかしら。私の目には"ただの仕事仲間"には見えないけれど。知ってる?あの子あなたと会う前に口紅を塗り直すのよ。ソワソワしながらポケットから鏡を出したりしまったりして。これがどういうことか鈍感なウィラーには分からないでしょうけどね」


『そうですね。シールさんが、マーチにヤキモチを焼いているということは分かります』


シールの気持ちをお見通しのウィラーは、挑発するように、しかしどこか甘いセリフで言葉を返した。これはつまり、彼女の自分に対する気持ちを知っているということ。本当はふたりとも、随分と前からお互いの気持ちには気づいていた。しかしウィラーもシールも、心の中にあるふた文字の言葉を口に出すことはけっしてなかった。

妨げる透明の薄いガラスに手を添えて口づけを交わすようなもどかしい時間が、ふたりの間にはずっと流れている。


腰かける丸太に両手をおいて、ウィラーは星のない空を見上げた。ふと左手の小指に温かいものが触れ、ウィラーの腕がぴくりと反応する。それはシールの小指だった。たまたま触れたのではない。彼女が意図的に絡めてきたのである。


「‥‥ウィラー、私ね。今度、婚約者となる男性と会うことになったの」


『おめでとうございます』


優しい声でウィラーは言う。


「本当に、心からそう思う?」


さみしい声でシールは尋ねる。


『シールさんは幸せになるべきです。私にできないただひとつのこと、それは、ずっと側にいてシールさんをお守りすることです』


シールはなにも答えることができず、その頬に一筋の光が走った。雫が彼女の手に落ちると、堰を切ってさらに流れ始めた。ウィラーはそんな彼女の背中を優しく撫でるだけだった。本当は抱きしめて、大丈夫だよと囁いてあげたかっけれど、そうすることは彼女のためにならないと彼は考えた。初めて出会ったあの日から本当は知っていた。シールには許婚がいることを。


ウィラーは彼女からたくさんのものをもらった。こうして会って話すだけで、雨雲の隙間から太陽が顔を出すように、ウィラーの心は明るくなった。そのうち、少しずつ我儘になる自分がいることにウィラーは気づいた。ピエロの姿であり続けたのは、そんな自分に蓋をするためだった。


白い大きな手が、シールの背中を何度も優しく撫でる。ウィラーの頬に小さな小川が流れ、シールはそれに気づくことはなかった。

会えるのは、この夏が最後になる。






通り過ぎていく生ぬるい風は、知らぬ間に涼しさを帯びていた。後1週間もすれば、ウィラーたちのサーカス団は別の街へと移動する。

婚約者の話を聞いたあの夜以降、シールが会いにくることはなかった。




静寂が漂うある夜のことだった。

化粧を落とそうと椅子に腰掛けたウィラーは、物音に気づき裏口のカーテンを開いた。

そこにいたのは、隠れるように身を丸めたシールだった。


『シールさん!なにをっ』


「しっ!」


「ここがばれる」と、シールはウィラーの口を両手で塞いだ。それからウィラーを中へ押し込み、急いで自分もテントの中へと入った。


『シールさんどうしたのですか突然』


「しっ!夜に抜け出してるのがバレたの。あいつらいつもはぺちゃくちゃお喋りしてるくせに」


シールは耳をあて足音がないのを確認すると、ウィラーに声を出さないよう合図を送った。

それは数分続いた。


「もう大丈夫みたいね。ウィラーに渡したいものがあって来たの」


自分の指からなにかを外し、シールはウィラーの左手の薬指にはめた。


『シールさんこれは』


「私がつけていた指輪。これからはウィラーに持っていて欲しいの」


それは、シールからのお別れのプレゼントだった。ウィラーの瞳が赤く滲み、それを見たシールは「ごめんなさい。頑張ってみたけどどうにもできなかった」と、ウィラーの顔を自分の肩へ引き寄せた。




門番たちが追いかけてくる様子はなかったので、ふたりはいつもの場所へ向かうことにした。カーテンを数センチ開き様子を伺うと、先に外に出たウィラー。


『シールさん、大丈夫なようです』


テントの中の彼女へ手を差し出したその時だった。


『おいお前。今、シールさんと言ったか』


背後から聞こえた低くぬるい声にウィラーは慎重に振り返った。立っていたのは緑のつなぎを纏った男。銃口をウィラーに向けると、手元に全神経を集中させじりじり近づいてきた。ウィラーも数センチずつ後退りする。


『お前か。シール様を連れ出したのは』


ウィラーは唾を飲み、すかさず両手を上げた。それから小刻みに動く心臓を誤魔化すように、冷静な口調で答えた。


『ま、まさか。私はしがないただのサーカス団員ですよ』


男は銃を両手で握り直した。


『いやしかし、確かにお前はシールさんと言った。お嬢様をどこへやった』


黙秘するウィラーに、男は嫌な声で笑った。


『いいことを教えてやろうか。お嬢様の居場所を教えてくれたら、お前の刑を軽くするよう旦那さまに交渉してやる。教えないのであれば、このままお前を撃つ。シール様をどこかへ隠していることは、お前の薬指の指輪が語っている』


ウィラーはまずいと咄嗟に左手を後ろに隠した。それを見た男が引き金に指をかけた、その時だった。


『うっ』

後ろから突進されたように体を揺らした男は、数秒動かず、腕を下ろすとふらふらと3歩前へ進み、そのまま倒れ込んだ。

その背後に立っていたのはシール。彼女の両手はひどく震えていた。男の背中にはナイフ投げで使うナイフが突き刺さっていた。


「‥‥ウィラー、どうしよう‥‥。私‥‥」


ウィラーはシールに駆け寄ると、震える両手を包み込んだ。


『シールさん大丈夫。あなたはなにもしていない。早くここから逃げましょう』


「逃げるって‥‥どうやって」


『大丈夫。大丈夫です』


まるで自分に言い聞かせるようにウィラーは繰り返した。仲間が近くにいる気配はない。ウィラーは男に突き刺さったナイフを抜きとった。ナイフの持ち手を服で拭きシールの指紋を消すと、右手で握り自分の指紋をつける。シールは、ウィラーがなにをしているのか分からなかった。


『さぁ行きましょう』



ふたりは、暗く静かな森の中を走った。

初めて見る脇道を見つけた時、ウィラーはシールの両肩を掴み、彼女の体を自分の方へ向けた。


『この道をまっすぐ行けば大通りに出られます。そこまで行けば、帰り道は大丈夫でしょう』


「ウィラー、あなたはどうするの」


『私は少ししたらテントに戻ります。もしかしたら仲間が来ているかもしれないので、様子を見て』


「気をつけて。私また会いにくるから。絶対に」


ウィラーは返事をしない代わりに、シールの両手を握り、少しの力を込めた。


「ウィラー?」


涼しい風が、汗ばんだシールの首元をかすめた。


「ウィラーわたしね」


『おーい!、ったくあいつどこに行きやがった』


シールの囁きを遮り聞こえてきたのは別の男の声だった。


『シールさん急いで。気をつけて』


ウィラーはシールを送り出すと、来た道を戻った。






ウィラーの影に気づいた男は、足音の先めがけて銃を撃った。男の視線を自分に引き付けるように、ウィラー走った。

森を抜け向かった先はテントの裏側だった。

ここには体験用の空中ブランコが設置してあり、これに乗ればウィラーなら、森の中まで飛んでいくことが可能だった。幸いもうひとりの男には姿は見られていないので、このまま飛んで逃げ切れるかもしれないと考えたのだ。命の保障はなかったが、方法はこれしか思いつかなかった。


ウィラーはブランコに片足を乗せ、もう片方の足で地面を強く蹴りあげた。それを何度も繰り返す。次第にブランコは大きな曲線を描きはじめ、ウィラーが決心し足裏に力を込めた時だった。

テント裏に現れウィラーを見つけた男は、急いで銃口を向けた。揺れ動くウィラーにイラつきながら1発放つと、それはウィラーの向こうにあった巨大風船の群れにあたった。ガスをたんまり溜め込んだ風船が、解き放たれたように自由に闇世に浮かんでいく。ウィラーは再び足裏に力を込め、ついに空を飛んだ。それから、高くのぼっていくいくつもの風船のうち、ひとつの紐を手にとった。


夜に銃声が響き渡った。

1発はウィラーの握った風船にあたり、割れた風船から銀色の紙吹雪が舞い散った。放たれたもう1発はウィラーの喉を貫いた。






シールはウィラーに言われた通り、大通りを目指し森の脇道を走った。ふと月が目に入る。いつもより大きくて、黄色い月だった。

無事に大通りに出たシールは、川を跨ぐそり橋の真ん中で、振り返り空を見た。

月の周りをなにかがふらふらと上っていくのが見えた。次の瞬間には人が月を歩くような影が見え、2発の破裂音が聞こえた。


シールは目を見張った。

月の下から銀色のなにかが降り注いでいたからだ。


その光景はまるで、空の星を集めて、星屑のシャワーをふらしているかのようだった。




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