冷風剣士エーデルラインと魔物になった婚約者
「好きだ、エーデルライン!」
エーリッヒはエーデルラインを掻き抱く。2人の鼓動が重なった。悲痛な色を纏うエーリッヒの求愛に、エーデルラインは恐れを抱く。胸に鋭い刃物を突き立てられたような痛みを伴う幸せで、エーデルラインは息が止まるかと思った。
「いままで言葉にしなくてごめん」
「平気よ?解っているもの」
様子のおかしな婚約者に、エーデルラインは何故と問うことをしなかった。
「和解の印として魔国の婿にと、僕が指名された」
「え、そう、なの」
蒼白になるエーデルラインを、エーリッヒは益々強く抱きしめる。
「そしたら、次に会うときは、」
エーデルラインは奇妙に冴えた頭で言った。
「私があなたを伐つことになるでしょうね」
エーリッヒは少し身を離して、初恋の乙女を見た。ずっと一緒にいると思っていた。永遠の約束を確信していた。共に人界を守り、いつか孫たちに囲まれて、静かに息を引き取るまで。
「そうだね。その時には、君のこともみんな、忘れてしまっているのだろう」
「必ず私が、心臓を貫くわ。その時、私のこと、思い出さないでね?」
2人はふわりと微笑み合った。
「もちろんだとも。その時にはもう僕じゃない。魔国の婿だ。魔物の夫だ。そんな奴に、君との素晴らしい、美しい、幸せな時の数々を、思い出させやしない」
「そうね。あなたはきっと全てを忘れて、魔国の姫の腰を抱いて、この境界に攻めて来る」
エーリッヒは優しく丁寧にエーデルラインの髪を梳く。栗色に艶めく癖のない髪が、無骨な指の間をサラサラと流れて落ちてゆく。焦がれても手を伸ばしても、指の間を抜けてゆく。エーデルラインはうっとりと梳かれるままにしていた。
「ああ。和解なんて、嘘に決まっているさ」
「戦場で見初めたあなたを、自分の意思で来させる為の方便よ」
「自覚して境界を越えなければ、魔物にはならないからね」
しかし、和解を断ればそれを口実として大軍が攻め入って来るだろう。これまでの小競り合いなど児戯に等しい全面戦争が起こされるに違いない。求婚に応じれば、犠牲者をエーリッヒ1人に抑えられる。
エーリッヒたちの住む境界にある王国は、人界防衛の要だ。その国で前線に立つふたつの一族がある。エーリッヒが次男として生まれた、炎の大槍を操るファッケルパス。それからエーデルラインが継ぐことになっている、風を操り剣を執るフリューゲルヴェレ。
エーリッヒは槍術よりも炎の扱いに向いていた。型だけはお家伝来のファッケルパス槍術を踏襲しつつ、彼はほとんど魔法使いと言っても良かった。人界において、自然の力を武器に纏わせる技術は普及している。超越武術と呼ばれる特殊な武芸だ。
だが、魔法は違う。武器という媒体を用いず、直接自然の力を利用する。それは人界には珍しく、むしろ魔界の技術であった。人界の魔法使いは、遅かれ早かれ魔物と通じ合い魔界へと去る。
魔法使いたちは、より強大な魔法の力を追い求めるものなのだ。前線で指揮を執る魔国の姫が、敵の炎さえも従えるエーリッヒに執心したのは当然の成り行きであった。
「君の愛しいエーリッヒは、今日、君を胸に抱いて死ぬんだ。旅立つ日には、来ないでくれ」
「ええ。解っているわ。魔国に婿入りする裏切り者は、もう私の大切なエーリッヒではないもの」
「出立の瞬間から、心は魔物に転ずるだろうからね」
2人は静かに見つめ合う。決意と悲しみを乗せた口付けは苦く、魂の引き裂かれる音が聞こえた。
◇
エーデルラインが王立武芸院に入学した16歳の秋、分家の三男アーノルドを婿に迎える話が進んでいた。エーデルラインを姉と慕うアーノルドも、一年置いて武芸院への入学が決まっていた。
志と才ある者たちが集う王立武芸院には、毎年100人程度の若者が集まる。1学年にクラスは2つか3つ。5年間の研鑽の後、それぞれの道に旅立つ。
入学式が済み、クラスで科目登録の説明が行われた。それも手短に終わり、学生たちは三々五々教室を後にした。エーデルラインは窓辺に立っていた。そこから見える大木がとても気に入ったからである。
「何が見えるの?フリューゲルヴェレさん」
エーリッヒが好奇心に駆られて寄って来た。隣に並んでエーデルラインの視線を追う。
「ああ、リンデン。武芸の聖地に愛の木なんて変だよね。お見合い目的の歴史学院ならいざ知らず。実はね、遠い昔の院長先生が、あれのお茶が大好きで、学園で自家栽培しちゃったらしい」
「ええっ?」
エーデルラインは思わずエーリッヒの方を向く。驚いて少し間抜けな顔になっていた。エーリッヒはその表情にドキリとした。それから先は早かった。自己紹介の時には特に気にも留まらなかった声が、耳に心地よい。茶色味を帯びた苔色の瞳を見れば、深く穏やかに抱かれている心地がする。
突然甘くなったエーリッヒの眼差しに、エーデルラインは落ち着かなくて視線を大木に戻す。その木は、金茶色に色づく葉に覆われて、大枝をのびやかに広げている。
冬を超えて春が過ぎ、夏の初めリンデンに白く可憐な花が咲く。エーデルラインは遠くに烟る大木を見ていた。入学式と同じ窓辺で。その日もエーリッヒは寄って来た。
「やっぱり似合うや」
リンデンの花を象った髪留めをエーデルラインの栗毛につけて、そう言った。エーデルラインは僅かに口元を緩めて目尻を朱に染めた。
「ありがとう。大切にするわ」
「こんな歌を知っている?」
エーリッヒは、調子外れな里謡を口ずさむ。
アイヒェの花房 花飾り
愛しあの娘の栗毛に映える
リンデン白い花が咲き
結婚式の鐘が鳴る
「これはリンデンだけどね」
「リンデン花芽のお茶でもいかが?」
「いいね」
2人は肩を寄せ合って食堂へと向かう。学院の食堂では、昔の学院長が好んだという学院産の花芽茶が、一年中供されるのだ。
夏が過ぎ、2年目の冬。演習で氷瀑を登っていた。エーリッヒは溶かして固めた足場を作る。
「おい、溶けた水垂れてる」
「悪ぃ」
ちょっと魔法の火を当ててすぐに止めると、外気の寒さでツルツルに固まるのも不評である。しかし、エーリッヒにとっては、いい具合に抉れて足掛かりになるのだ。
エーデルラインはクスリと笑って、風を操り溶けた水を吹き飛ばす。足場の表面にもやすり目のようなものが立つ。これでエーリッヒ以外にも登りやすくなった。
「ありがとう、優しいエーデルライン」
エーリッヒは嬉しそうに感謝を告げた。
「ええー。冷風さんを優しいだって?」
「その冷風って言うの、やめろよな。エーデルラインは可愛いし優しいし、あったかいだろ!」
「どのエーデルラインの話だよ」
「エーデルライン・フリューゲルヴェレ」
「お前、趣味悪いよな」
冷静に風を操り、あまり感情を面に出さないエーデルラインは、クラスで敬遠されていた。人懐っこいエーリッヒは、悪童とも優等生とも和やかに過ごしていた。
春が来た。春告鳥が鳴いている。大きな枝にちょこんと止まり身を寄せ合って囀り交わす。その木の下で、幹に寄りかかる2人がいた。
「求婚状は届いた?」
エーデルラインが不安そうに聞く。他の人には分からないかもしれない僅かな恐れだ。苔色の瞳の翳りを、エーリッヒは愛おしそうにはらう。
「承諾の返信はまだ受け取ってない?」
エーデルラインは息を呑み、エーリッヒの菫色を受け止める。人気のない早朝の樹下、ふたりは初めての口付けを交わした。
◇
エーデルラインに心臓を刺し貫かれたエーリッヒは、咄嗟に眼を閉じた。2人の愛を思い出したのだ。
(ああ、エーデルライン、最期に君の顔が見たい)
だが眼を開ければ、心を取り戻したことに気取られてしまう。
(僕は魔物として死んでゆく)
エーデルラインを愛したエーリッヒは、和解の婚姻に指名されたあの日に死んだのだから。
(君は人を喰らう魔物を伐っただけ)
事実、魔国の姫に婿入りする意思を持って魔国に向かったとき、元のエーリッヒは居なくなっていたのだ。浅ましい魔物に成り果てた身だった。
(今際のきわに人に戻れたなんて、君は知らなくていい)
きっと苦しむだろうから。
(愛が消えていなかったなんて、気づいたら駄目だ)
深く突き立てられた鋭い魔剣は、勢いよく引き抜かれた。
(君は、愛する家族ができただろうか)
閉じた瞳から、涙が溢れそうになる。
(願わくは、勇猛な君にとわの幸せを)
エーデルラインの刃から、心地よい風が吹く。エーデルラインは返り血を浴びることなく、血は風が払い霧となってエーリッヒに降って来た。風は優しくエーリッヒの頬を撫でて消えた。
(ああ、僕の風、自由な君。何物にも囚われず、いつも迷わず未来を見据えて吹き過ぎる君)
薄れゆく意識の中で、エーリッヒは幸せな日々の幻を観る。
(僕を乗せて、誰も知らない遠い空まで連れて行ってくれたなら)
だが、そんな日は来なかった。そして、そういう女だからこそ、エーリッヒは骨の髄まで惚れ抜いていた。その心の真実が、死の間際に奇跡を起こしたのだ。かつて魔物と成り果てて人類を捨てた者たちは、息を引き取る時にも魔物であった。だが今、エーリッヒは人に戻れたのだ。
内地に帰還したエーデルラインは、一本の苗木を求めた。それはアイヒェと呼ばれる常緑樹だ。落葉し、春に芽吹くリンデンの隣に、エーデルラインは許可を取って苗を植えた。
「姉さん、本当に俺でいいの?養子を取ってもいいんだぜ?長老たちもそう言ってる」
「いいのよ。貴方が嫌でなければ。私は血を先の世に渡さなければならないの。あの人のために」
アーノルドの妻子は、一昨年戦場に散った。エーリッヒを完全に失うまで、エーデルラインは独り身を貫いて来た。ついに還らぬ人となったエーリッヒの知らせに、一族は男寡のアーノルドを勧めている。
かつて立ち消えになった縁組だ。家の為の縁談だった。エーデルラインに愛する人が現れて白紙になった。その後、アーノルドにも恋人ができ、やがて楽しい家庭を持った。
2人はずっと、姉弟のように育ったから、遺恨はひとつもない。愛しい者を失った者同士、寄り添えることもあるかも知れない。そう考えて、アーノルドは今回の帰還後に求婚したのだ。
「姉さんの心には、これからも、きっとエーリッヒ兄さんしかいないだろ」
「ええ。それでも、家のためでもあるのだし」
「無理してない?」
「あなたこそ?」
それから2人は黙って、植えたばかりのアイヒェを眺めた。
今も伝わるこの地の民謡は、その時エーデルラインが呟いたものだと言われている。元からあった短い里謡に、物語が付け加えられたのは、人界防衛の立役者、冷風剣士エーデルラインによるものだとされている。
アイヒェの花房 花飾り
愛しあの娘の栗毛に映える
リンデン白い花が咲き
結婚式の鐘が鳴る
秋に色付き実を結び
命を繋ぐ私の隣で
永遠となったあなたの愛が
やがて大きな木陰を作り
晩い春に房飾りの花を下げ
果たせなかった結婚の約束を
愛の言葉を
永遠に
常盤に
囁いてくれることでしょう
風よ永久に歌っておくれ
私たちの真心を
炎よ終わりなく奏でておくれ
私たちの真実を
裂かれて砕けた魂を
アイヒェの花房 花飾り
愛しあの娘の栗毛に映える
リンデン白い花が咲き
結婚式の鐘が鳴る