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Märchen~女主人公の恋物語

悪役令嬢は格下令嬢に婚約者を奪われる――――と思ったら、そんなことはなかった。

作者: 宵宮祀花


 ――――借りた本を返しに来たら、本棚の陰で婚約者である王太子と男爵令嬢が、密会しているところを目撃してしまった。


 幸い向こうは私に気付いていなかったので、私も見なかったことにしてその場を去ったけれど。それから度々、物陰や学園の裏庭で二人が密やかに話しているのを目にしてしまうようになった。

 婚約者とはいえ、所有物でも何でもないのだから、誰と話そうと、誰と時間を過ごそうと勝手であって、口出しされる謂れはない。そう頭でわかっていても、落ち着かない気持ちにはなるもの。けれど元々の性格と厳しい王妃教育によって培われた『取り繕い』の力が、私の心を奥底へ隠してしまう。


 そして、私でさえ気付くことが、口さがない噂好きの子たちに気付かれないはずもなく。


「王太子様とエイミー嬢の噂、聞きまして?」

「ええ。先日も裏庭で密会しているのを見ましたわ。わざと見せつけているのではなくて?」

「王太子様のお心はアリーシャ様からすっかり離れてしまっているとか」

「でも、さすがは『氷の薔薇姫』様ね。密会を目撃しても眉一つ動かさなかったわ」

「元々王家の決めた婚約ですもの。愛情など端からないのでしょう。その点だけは王太子様に同情致しますわね」


 学園内は、いまや二人の噂で持ちきりとなってしまった。

 噂はわざと私の耳に入るよう囁かれ、男爵令嬢と私が同じ教室にいるときなどは聞こえよがしに笑う声さえ立てるほど。だというのに当の男爵令嬢は、まるで噂も嘲笑も聞こえていないように、平然と振る舞い、そして当たり前のように王太子様に呼ばれるまま駆け寄っていく。

 氷の女王と言われた母によく似た銀髪と冷たいアイスブルーの瞳を持った私と違い、エイミーはストロベリーブロンドと大きな桃薔薇色の瞳をした、小柄で愛らしい少女だ。表情もよく変わり、弾む声は小鳥の詩のよう。

 なにもかもが凍てついた私とは、あまりにも違う。


 いっそ婚約破棄でもしてくだされば、このような思いをしなくて済むのにと思ってしまう私も、王太子様のことを「次代の王家を率いる自覚に欠けている」などと言えないのでしょうね。


 図書室と裏庭は密会によく使っているようだからと、最近の私の居場所は学園の中庭に限られている。ベンチやカフェテーブルが備え付けられた小さな休憩所で、昼食時などは席が埋まっているけれど、放課後や休憩時間にはあまり人に会わずに済む。


 ――――そう、思っていたのに。


 がさりと枝葉の揺れる音がして顔を上げると、一番会いたくない人が私の目の前にいた。


「あ……!」


 彼女は私と目が合うや目を見開き、両手で口元を押さえて固まった。エイミーは、暫くそうしていたかと思うと慌てて頭を下げ、踵を返した。

 人の婚約者と白昼堂々と密会するような娘でもどうやら最低限の所作は心得ているらしいなどと思ってしまう私は、なんて嫌な女なのだろうか。


「エイミー」

「っ!」


 私が名を呼ぶと、ぎくりと体を強ばらせた。

 そして、錆び付いた時計の歯車のような動きで振り向いたかと思えば、ぼろぼろと涙を零して。


「あ……アリーシャ様が……わ、わたしの、名前を……!」


 そう言って、その場に膝をついて手を組み、祈りの仕草を取った。


「え……?」


 浮気相手の女に呼び止められて怯えるでもなく、開き直るでもなく、図々しくも泣き落としかと思いきや。エイミーは困惑する私を余所に「わたしのような、辺境男爵の娘なんかの名前を呼んでくださった」「まさか見知り置いてくださっていたなんて」「きっとこのあとお迎えが来るんだ」「お父様に頼んで今日を誕生日にしてもらいたい」などと意味のわからないことを呟いている。


「あなた、なにか用があって此処に来たのではないの?」

「あ……っ、し、失礼致しました……!」


 エイミーは慌てて立ち上がると、下の者が上の者にする礼を丁寧にしてから再び膝をつき、私の許可を待って話し始めた。本当に、礼儀作法はしっかり身についているのにどうしてあんな真似をしているのだろう。


「わたし、王太子殿下を探していて……」


 その言葉を聞いた途端、私の機嫌が急激に下がったことに気付いたようで。

 エイミーは慌てて両手を振り、違うんですと叫んだ。


「今日になって気付いたのですが、わたし、アリーシャ様を差し置いて王太子殿下に言い寄ってるなんて噂になっているそうで……でも、誤解なのです……!」


 先ほどまでの涙とは別の涙を浮かべ、エイミーは必死に弁解する。


「実はわたし、入学してからずっとアリーシャ様に憧れていて……アリーシャ様のお好きなものやお昼に召し上がられたものを日記に記していたのです。そのノートを王太子殿下に見咎められて、公爵家に対し良からぬ企みをしているのではと言われたのが始まりで……その誤解が解けてから、王太子殿下に女子寮でしか見られないアリーシャ様のお姿などをご報告したりしていたのが密会に見えただけなのです……!」

「……待って。待ちなさい。なんですって?」


 私が話を止めると、エイミーはきょとんとした顔で首を傾げた。

 こうして見ると小動物のような愛らしい少女だが、言っていることはとても恐ろしかったような気がする。私の、なにを、誰に、どうしたと言ったかしら?


「で、ですから、その……アリーシャ様がいかに素晴らしく気高く美しいだけでなくお可愛らしい一面もお持ちでいらっしゃるお方かというのを、王太子殿下とお話しして」

「何故そんなことを。そのせいであなた方、男爵令嬢が王太子殿下に色目を使ったなどと噂されているのよ」

「それは……軽率でした。考えが至らず、わたしはともかく王太子殿下の御名に傷をつけてしまうことになるなんて……」


 エイミーはしゅんと俯き、本当に心から後悔している様子で呟いた。噂にも今日気付いたなどと言っていたくらいだから、回りからどう見えているかという視点は全く欠けていたのでしょう。


「ただ、王太子殿下はずっと男兄弟や男性の側近に囲まれて生活してきて、アリーシャ様が初めてまともにお話しする女性だと仰っていて、なので、どう接したらいいか悩んでいるうちに周りから形式だけの夫婦だと言われるようになっていたと悩んでおいでで……こんなこと、わたしの口から申し上げていいのか悩みましたが……アリーシャ様のことをお話しするようになったきっかけは、王太子殿下がそのことをお話くださったからなのです」


 けれど、周りが見えていないのは私も同じだった。そう突きつけられた。


「……そう」


 全て、私が悪かったのね。


 目を伏せ、心の中で呟いた。――――つもりだった。


「そんなことありません!」

「……っ!」


 エイミーの温かい両手が私の手を包み、大きな瞳が眼前に迫った。

 どうやら声に出てしまっていたらしい。けれどそんなことはどうでも良くなるくらいの勢いで、エイミーがまくしたてる。


「アリーシャ様も、とてもお優しく温かいお方だと存じております! お互いに相手を想い合っているお二人が、どちらかが悪いなんてことあるはずありません! わたしのせいで、良からぬ噂が立ってしまったことは本当に反省しています……」


 そう言うと、エイミーはキッと顔を上げて、


「なので今度からは、アリーシャ様の前で堂々と王太子様にアリーシャ様の素晴らしさを説こうと思います!」


 とんでもないことを宣言した。


「エイミー、あなた……」

「あ……! わ、わたし……許可もなく御手に触れるなど、とんでもないご無礼を……!」


 私がなにか言う前にパッと手を放して跪き、深く頭を下げた。

 丁度そのとき、視線の先にある廊下を、どこかの令嬢たちが早足で去って行くのが見えた。一瞬此方をチラリと見ては足を早めた辺り、またなにか誤解されたような気もするけれど。


 噂に関してはもう、本当にもう、心底どうでも良いわ。


「怒っていないわ。あなたが私を思ってしてくれたことだと、理解しましたから」


 エイミーと殿下のことも、不貞ではないとわかったのだから、なにも問題はないはず。

 問題があるとすれば、顔を上げたエイミーの表情が心なしか輝いていて。数分前にも見た、あの礼拝のときに女神像に対して祈る格好で私を見つめていることくらい。

 先の廊下を、チラチラと此方を見ながら行き来する令嬢の姿が見える。件の令嬢たちが早速噂をまき散らしたのでしょうね。

 暇なメイドのような振る舞いがはしたないことだと、彼女たちが理解する日は来るのかしら。


「アリーシャ様……わたし、アリーシャ様が王太子妃殿下になられる日まで……いえ、それからもずっと、お二人のことを応援し続けます!」

「わかったわ。もうわかったから、下がって頂戴。今後は殿下と二人きりで会うような真似は一切しないように」

「はいっ! 二度とお二人の名誉に傷をつける振る舞いは致しません! 失礼致します!」


 元気よく宣言して去って行ったエイミーを見送り、溜息を吐く。

 これで浮気だなんだという噂も、暫くすれば消えることでしょう。



 ――――なんて、暢気に思っていたのが間違いだったわ。いえ、不貞の噂は消えたのだけれど。そんなものはどうでも良くて。


 あの日の去り際のエイミーと同じように目を輝かせて私に話しかけてくる殿下と、そんな殿下を遠く離れた木陰から見守るエイミーという、むず痒い時間を幾度となく過ごす羽目になるなんて。

 このときの私は、夢にも思っていなかった。

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