◇読み書き◇
「さ、着いたぞ」
町の外れにある大きな岩陰に、研究所と呼ばれる建物はあった。
「ここ本当に研究所ですか?」
「うん」
今にも崩れそうな木造の家。
鑑定屋のあの家屋よりも酷い仕上がりだ。
「よし入ってくれ給へ」
ユリエルが玄関の扉を外す。
「え、取っちゃうんですかそれ」
「無理に開けようとすると家が崩れそうになるからね」
「修理すればよくないですか」
「これは大人の問題なんだよ……」
恐らくお金の問題だろう。
自分の店にある骨董品売ればいいのに。
「それじゃ、どうぞ」
ユリエルと白衣の女性が研究所の中に入って行く。
「……ユリエルさんって、なんだか変な方ですね」
呆然と立ち尽くすクラリスを横に、私は目を閉じ眉をひそめて頷く。
きっと渋い顔をしていることだろう、私。
「私たちも入りましょう!」
ナズチが率先して玄関を通過する。
ナズチに付いていくように、クラリスがゆっくりと歩き出す。
「どうかしましたか?」
「ナズミ、気を付けて進もう。この先にどんな危険が待ち受けているか分からない。もしかしたら――死人が出るかもしれない」
「え」
「……行くよ」
「は、はい」
ダンジョンに入る前くらいのシリアスな雰囲気を出して行こう、そう思った。
▽
――ボロ屋に入り、中を見渡す。
部屋全体が本棚に囲まれ、奥にベッドが1つと机と椅子があるだけ。
床は、歩くたびに鴬張りのようなギシギシとした音が鳴る。
それにちょっと変な臭いがする。
「うわぁ、本がいっぱいあります」
ナズミは目を輝かせているようだ。
私は今にも目が腐りそうなのに。
「ナズミちゃん。ここにある本全部読んでもいいけど溶かしちゃダメよ。はいこれ、使ってないからあげる」
ユリエルがナズミに一冊の本を手渡す。
「もちろんです、ありがとうございます!」
ナズミがここまで嬉しそうにしているのは初めてだ。
『何かに夢中になっている時が一番楽しい一時だ』――なんて、どこかで聞いたっけ。
「ユーノユーノ、この表面の文字は何と読むのですか?」
「ああ……これはね――うーん」
『スライムでも分かる! 1から始める文字・数字』……?
これ、学生時代にやった教本だ。
ちょっと変な本だけど。
文字の書き方然り、読み方然り……基礎中の基礎が載っている。
まずは文字を読めるようになってから、ということか。
ちょっと変な言葉も混じっているけれど。
「これ教本。……一緒に勉強しよっか」
「――はい!」
ナズミに教えている間、クラリスやらナズチに事情を説明してもらおう。
「クラリスとナズチさん。ユリエルさんに色々と説明しておいていただけるかな」
「ええ、構いませんよ」
クラリスが微笑む。
「ユリエルさーん――」
よし、これでこっちに集中できる。
「よし、ナズミ。それじゃあ文字の読み書きをしよう。私のポーチからペン取り出してくれるかな」
「ええ」
腰につけたポーチの中をナズミが弄る。
「これですか?」
「そう」
私特製、永遠にインクが出る羽ペン(キャップ付き)。
学生時代に図画工作で作った私の自信作だ。
他の学生はもっと凄い工作をしていたけれど……。
絵を描くのが好きな私にとっては宝そのものだった。
今は持ち腐れ状態だが、いつかまた使う日が来ると信じて捨てずに取っておいてある。
「この薄い線にそってなぞるの。声に出して読みながらね」
「あー、いー、うー、えー、おー」
生まれた時から違和感はあったが、異世界なのに日本語風に聞こえちゃうんだよな。
英語が頭の中にすらすら入ってくる感覚と似たようなものがある。
「へぇ、鉱石の研究をなされているんですね」
「暇つぶ――これが本業なんでね。『何故この鉱山だけ鉱石が光るのか』、『何故鉱石が尽きないのか』――そういった鉱山研究を主としているんだ」
今一瞬〝暇つぶし〟って言いそうにならなかった?
「君たちは何故この町にやってきたのかな?」
「ええと……4人で冒険に出まして、まず何処に行こうかとなって、それで――」
クラリスがここに来るに至った経緯を説明する。
しっかりと説明しなくてもいいのだ。
なんたって、偶然思い出して来ただけだから。
「――なるほど。要は私が伏線を張ってしまったと」
その通り。
「ユーノ、ここは?」
「ん? あー、これは『じついん』って言ってね、契約書類にポンッと――」
ナズミは勉強熱心だ。もう文字数字の基礎部分を終えたのか。
だが、この教本を制覇することで全ての本が読めるようになる訳ではない。
ある程度できるようになったら、自分で学習するように教えよう。
「そんで今は、泊まる宿が見つからないってわけか」
「見た感じですけれども……」
「はは、まぁ仕方ない。何せ明後日はラザリア鉱物祭。貴重な鉱石を採掘するため、早めに準備をする冒険者が多いからね」
「は、はぁ……」
「君たちも参加するんだろう?」
「どうなんでしょう……ユーノさん?」
私が権限を持っている訳ではないんだけども……。
「みんなはどうかな」
「はい! はい! 私はやりたいです! せっかくなので、皆一緒に参加しましょう!」
ナズチが、これでもかと背伸びをしながら手を真っ直ぐ挙げる。
「……じゃあナズチさんの意見に同意して、みんなで参加しよっか。いいかな? クラリス」
「ええ、もちろん」
「ナズミもいい?」
ナズミが薄線をなぞりながら頷く。
「やったー! ありがとうございます!」
見た目は大人、心は子ども……かな。
「それじゃあ受付を済ませてくるといい。クラリスにナズチと言ったかな?」
「はい」
「もう受付終了まで時間がない。助手ちゃんと一緒に行ってきな」
助手と呼ばれる女性がため息を漏らす。
「仕方ないですね。じゃあ博士、皿洗いしておいてくださいよ」
「ちぇー……。はいはい。り、り!」
「まったく……。それでは行きましょうか、お二方」
そうして、ナズチとクラリスは白衣の女性とともに外へ出て行き、ユリエルは本棚で隠れていた扉を開けて部屋から出てしまった。
あんなところに扉が――ということは、あの中はキッチンか。
……こんなボロ屋で使われるなんて、助手の人可哀そう。
そういえば名前を聞いていなかったな。
あの人の名前ってなんだろう。
「ユーノユーノ、これは?」
「あ、はいはい。うーんこれは『とばく』って言ってね、お金を賭けて――」
一先ず、私はこの案件を早く終わらせないと。
名前を聞くのはその後だ。
次話もよろしくお願いいたします!




