どうかの願い
村田沙耶香「コンビニ人間」を参考にした。
コンビニ人間
どうにか同化しなければ
そんな焦りの源の
恥の概念延々と
働くことが当たり前
そんな世の中実際は
「フリ」でもいいから貢献を
求められるのが現実で
そこへマルクスしゃしゃり出て
そこへ革命家しゃしゃり出て
あるいは厭世家の哲学者の
真似をしてみたところでも
結局何も変わらずに
社会はしっぺ返しを始めて
それこそが
「貧困」なんてやつ
言われるままにこなすのも
同化を遂げて見せるのも
それも一種の才能で
ある意味「批判」に私情をこめる
自分よりも遥かに優れてて
適応できぬ「障害」あれど
「社会がおかしい」という奴は
なんだかんだで適応できてて
そのうえで同化拒んでて
なんだか情けなくなるばかり
恥の概念
世間さま
顔向けできぬ毎日で
例えば売れない作家やら
例えば売れないミュージシャン
「行動」にこそ意義あれど
拒んだ同化のツケってやつが
貧困という社会の「罰」
「同化しない」という意志も
「できない」なのか
「しない」のか
「同化しない」という意志に
見え隠れする優越感
「自分は現実直視する」
そんなプライドもあっけなく
貧困のせいでズタズタに
どうにか同化しなければ
どうにか金を得ることで
どうにか同化しなければ
さもなきゃ批判というやつも
「負け犬の遠吠え」そのものに
見せかけだけの共感と
陰の冷笑もらいたくなけりゃ
どうにか同化しなければ
同化の才能すらないことを
どうか悟らせずにさせてほしい




