表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
氷の中の花  作者: 並木空
7/13

第七章 四季の風を司る佳人

「このようなものがありました。

 贈り主がわからないのですが、どういたしましょう」

 下官が恭しく盆を差し出した。

 盆の上には、濃い緑の葉がついた枝が一枝。

 爽やかな芳香が漂う。

 そして、枝葉には金剛石のような煌きが残っていた。

「これは、何時?」

「つい、今しがたでございます。

 あちらで」

 下官の言葉を最後まで聴かずに、天河は飛び出した。


   ◇◆◇◆◇


 天印宮の外れ。

 天の川の北の岸辺で、天河は探し人を見つけた。

 空中でキラキラと輝く微細な氷。

 それに包まれるように、可憐な少女が立っていた。

 守りたい。

 胸苦しくなるような衝動に駆られる。

 目を放したら最後、消えてしまうのではないか。

 その存在は、そんな不安を抱かせる。

「姉上。

 来てくださったのですね」

 天河は駆け寄った。

 華奢な体を抱きしめたい、と抑え難い感情が胸に生まれるが、天河は無視した。

 そのような振る舞いをしたら最後、この少女は心を硬く閉ざしてしまうであろう。

 愚か者の天河にですら、容易に想像がついた。

 控えめに氷霧姫はうなずいた。

「ありがとうございます。

 私は果報者ですね。

 今日この時を、私は一生忘れません」

 天河は言った。

 大げさに聞こえるかもしれないが、天河の偽らざる思いだった。

「私もようやく、一人前になりました。

 これよりいっそう精進して、姉上をお守りいたします」

 天河は誓った。

 空にはおあつらえ向きに、天の河。

 己の分身が天空狭しと広がっている。

 綺麗な灰青色の瞳が天河を見上げた。

 微かに空気がふるえた。

 銀の鈴を百万鳴らした音。

 天河が驚き瞳を瞬いた間に、氷霧姫は消えていた。

 ほんのりと冷たい空気が名残。

 天河はその場で立ち尽くした。

 先ほどまで、そこにいたはずなのに。

「姉上……?」

 答えの返ってこない問いを天河は発した。


   ◇◆◇◆◇


 心は貪欲で、枷を嵌めこんで、縛れるものではない。

 精霊は人の子とは違う。

 その心のままに、姿を持ち、その想いのままに、力を持つ。

 誰よりも早く大人になりたいと願った童子は、その力に見合わぬ速さで大人になった。

 大切な方を守るのだ、という想いはさらに力を与えた。

 百万の星を従える天漢の公子――天河は、誰よりも輝く精霊となったのだ。

 その一途な想いに、嘆息をつくものが一人、二人。

 冬の少女らが住まう寒花宮の主も、その一人だった。


 その本性は氷柱である麗しい佳人は、朱塗りの欄干にもたれかかりながら、ためいきを零した。

 雪などと比べるのも無為な白い指先が、凍刃をもてあそぶ。

 泰山すら凍らせる、という剣呑な扇は、叔父である高天が悪戯心を起こして作ったもの。

 天帝の息子の一人である天伯――高天は、仙力甚大な精霊だった。

 手慰みでこしらえたとは言うものの、その扇の威力は凄惨。

 しかも使い手を選ぶときたものだ。

 故あって、今は垂氷公主の所有物であった。

 そのような扇をもてあそんでいるのだから、並みの精霊は公主に近づこうとしない。

 か弱き精霊であれば、一扇ぎで本性すら危うい。

「これ、阿子あこや」

 寒花宮に似合わぬやわい風が吹いた。

 垂氷公主は、面を上げた。

 灰色の空から、麗しい女人が舞い降りてくる。

 虹に輝く霞披は、女人の夫君が手ずから染めたものだった。

 東の果てに住まう古老に糸を譲り受け、一年分の満月の光で染めたという。

「これは母上。

 お久しゅう。

 寒花宮までお出ましとは、何用じゃ?」

「何。

 懐かしい宮を見に来たまでのこと」

 四季の風を司る風香公主ふうかこうしゅは、莞爾かんじと笑みを零した。

 軍事を司る北斗星の精霊――破軍王ぐんはおうの妻になるまで、佳人は北風の精霊であったのだ。

 娘である垂氷公主が生まれるまで、この寒花宮で暮らしていた。

 懐かしい宮、であることは間違いない。

「それとも、阿子や。

 何か、心苦しいことでもあるのかえ?」

 風香公主は優しげに問う。

「年頃ともなれば、一つや二つ。

 天の道にもとるとて、隠しておきたいことができまする」

 垂氷公主は凍刃をパタパタと開き、口元を隠す。

「恋の悩みであるなら、この母に教えてたもれ。

 父には内緒にしておくゆえに」

「おお、怖い」

 垂氷公主は肩をすくめた。

 天界の破軍王に隠し事とは、天の荒れる元にしかならない。

 本性が風の者に話すのは、噂を撒いてくれと言わんばかりのこと。

 どちらも空恐ろしい。

「悩みと言っても、妾のことではありませぬ」

「はて。

 では、どちらの恋の行方だろうか?」

 風香公主は欄干に腰掛ける。

 その打ち解けた様子は、間違いなく天河の母であった。

 かつては北風の精霊であったと聞くが、その欠片は見つからない。

「愚か者の恋情」

 垂氷公主は不機嫌に言った。

「おや。

 阿子は、恋を知らぬのだね。

 ああ、でも、恋を知ってしまったら、冬の少女ではおられまい。

 雪と氷の身に、激しき炎は毒じゃ。

 陽光に耐えられぬように、消してしまう」

 気の毒よ、と風香公主は言う。

 冬の少女らは恋をできない。

 春の少女らが真実の恋を見つけるまで、恋を渡るように。

 夏の少女らが恋を相手ごと燃やし尽くしてしまうように。

 秋の少女らが一つの恋を忘れられぬように。

 それは天が決めた定めだった。

 無論、その条理を抜け出すものもいる。

 が、少ない。

「愚かではない、恋など何処にもない。

 恋は、人に目隠しをし、その耳を塞ぐ。

 して、誰の恋じゃ?」

 風香公主は柔らかく微笑む。

 己が決して得られないものだけに、垂氷公主は眉をひそめた。

「天河の片恋じゃ。

 あれは氷霧姫に焦がれている。

 けれども、氷霧姫は氷柱を作っているだけじゃ」

 垂氷公主は言った。

「似合いか、どうかと言うと。

 ほんに似合わぬ二人よのう」

 遠慮なく風香公主は、コロコロと笑った。

「あの小さな子も、恋を知る歳になったとは……、私も歳を取るはず。

 成就を願わなくもないのじゃが、天界一の高嶺の花じゃな。

 鉄壁の砦を崩したくなるは、父譲りじゃ。

 その心意気をかってやらねばなるまい」

 楽しげに風香公主は言う。

 父だけではなく、母にも似たのではないのか。と垂氷公主は思ったが、口にするのも煩わしく、母の言葉を流した。

 水と風は流れ去るという良く似た性質ゆえに一緒にされるが、風は炎にも近いのだ。

 陽気なときの風は、たちが悪い。

 本性が水に属する垂氷公主は、げんなりとしてしまう。

 飯事ままごとのような恋であっても、当人にとっては大切な宝だろう。

 叶う、叶わない、いずれにせよ、誰にもふれられたくない事柄だ。

 本人のいないところで、面白がられるのは不快だろう。

 ……もっとも、天漢は風にも炎にも通じるもの。

 話が合うやも知れぬ、と垂氷公主はためいきをついた。

「おや、阿子や。

 どうしたのかえ?

 顔色が曇っておる」

「もとより、このような顔にございます」

「そうであったか?

 まあ、良い。

 それで氷霧姫は、どう思っているのじゃ?」

「せっかくこちらにいらしたのです。

 ご自分でお確かめになっては?」

「履氷堂は好かぬ。

 あの堂は氷花も好んだが、立ち入るのが躊躇われた。

 踏み込んだが最後、帰っては来れぬような。

 そのような気がするのじゃ」

 風香公主は霞披の端を握り締める。

 なにやら、嫌な思い出があるらしい。

 風の気質の者が覚えているということは、衝撃的な出来事があったのだろう。

 寒花宮の勤めの長い者に言わせると、氷花公主と氷霧姫は良く似た母子であるそうだ。

 大方、北風の少女であった母が、氷花公主の逆鱗にふれたのだろう。

「当人ではない妾に尋ねられても、答えは出ませぬ」

「ここで気をもんでいたではないか。

 何も知らない者は、気をもむということすらできぬ」

「氷霧姫の心がわからぬ故に、気をもんでおりました。

 袖にするなら、早いところしてくれれば良いと。

 天河には少し悪うございますが、思っていたところじゃ」

「弟が可哀想だと思わぬのか?」

 風香公主は尋ねた。

「氷霧姫が今の姿になったのは、いつの頃でしたか?

 いくら、力ある精霊の成長は緩やかだとはいえ、氷霧姫は所詮『姫』。

 『公主』と呼ばれるほどの力はございませぬ。

 でしたら、あの姿は答えにございましょう」

 垂氷公主は忌々しげに呟いた。



 精霊にとって、願いは力となる。

 時を止めていたいと強く強く願えばそのようになる。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ