暗黒の砦
広大な砂漠に伸びる一筋の地平線の先から、黒煙が踊るように舞い上がっていた。
足元の悪いその砂漠にて、連なる様に固められた砂岩の上を渡りながら幾つもの馬の蹄が何度も踏みつけながら目的の場所を目指していく。
王都を発った時より陽は既に二度目の薄暮に入っており、大地は徐々に闇夜に呑まれていくにも拘わらず、昇っている筈の月は雲に覆われていた。
何時にも増して暗く感じる砂漠からうっすらと異臭が蔓延していた。砂漠の異変に警戒した騎士が騎馬隊の最前列を駆ける三つ編みの女性に問い掛ける。
「団長!血肉の焼けた臭いです……」
同じ臭いに気付いていた三つ編みの女性、ロザリアは、この先で起きている事態を予測すると、自然と眉間に皺が寄る。
「近いぞ、このままヴィッツェイラ砦へ乗り込む!臨戦態勢をとれ!」
ロザリアは抜刀の姿勢をとりながら号令を出すと、後に続く騎士等は了解の意を唱えてそれぞれ臨戦態勢をとり、地平線から顔を出している巨大な建造物目掛けて馬を加速させていった。
荒野と砂漠の境目付近に聳え立つ砦に近づくに連れて魔物の死骸や兵士の遺体が目立つようになってきた。注意を大地へ向けた騎士が良く見ると、兵士の遺体はどれもアレクシア王国軍の兵士であった。
「団長、これは……」
騎士と兵士の関係であるが、国を守る同胞の遺体の数々に顔をしかめた騎士が込み上げる嗚咽を必死に堪えた。
「我が軍の兵士だな、どれも砦に配備された者たちばかりだ……」
目の前の惨状に胸騒ぎを感じたロザリアが歯を噛み締めると、背後に続く騎士たちに告げる。
「これよりヴィッシェルド砦へ侵入する!二軍及び三軍は分散警戒、一軍と四軍を以て生存者を捜すぞ!」
砦の門に差し掛かる手前でロザリアは騎士に命令を下すと、一つの隊列は三つに分かれ、残る中央を駆ける隊列を率いて砦の門を見上げる程の距離まで接近し、馬を降りた。
ロザリアに続いて馬を降りた騎士たちはそれぞれ臨戦態勢を維持したまま五感を利かせて警戒を緩ませること無く、周囲に横たわる兵士の遺体の中から生存者を捜し出す。
どれも絶命していた中で、ロザリアは遺体の間で横たわる身体を僅かに上下させる兵士に気づいた。
「おい、私の声が聞こえるか?」
兜越しに響いてきた声が届いたのか、兵士は力無く喘ぎながら身体を起こそうとするのを見たロザリアは騎士に指示して彼を静かに起こさせた。
「喋れるか?」
二度目の問いかけに兵士は俯いていた頭を重々しく持ち上げたその顔面に映る表情に生気が感じられなく、終始目が泳いでいた。
兵士は何度か泳ぐ視線にロザリアの姿が通り過ぎると、少しずつ理性が戻ってきた様子で、震える口元を小刻みに動かしながら開いていく。
「ヴェ、リオス……。大きな、魔物が……」
「落ち着いて、一つづつ話すがよい。ヴェリオス王国がどうしたというのだ」
震える兵士の手を包み込む様に自らの手を静かに乗せたロザリアの問いかけに、ゆっくりと深呼吸をしながら兵士が続けた。
「ヴェリオス、王国軍が捨て身の勢いで次々と砦を襲撃……。無数の魔物を引き連れながら……。わ、我々は……」
「うむ、概ね状況の検討はついた。安心するがよい、お前の身の安全は我が近衛騎士団が保証しよう。だからここは任せてほしい」
懸命の訴えを聞いたロザリアは安心させるべく、この馬を引き継ぐ意思を示すと、兵士の表情は緩み、脱力しながら目を閉じた。
ロザリアは彼の脈を確認すると騎士に保護するよう命令しつつ、再び乗馬した。
騎士達がそれに続いて乗馬を始めた時、闇夜が光を帯始めた。急な事態に状況を探るべく誰もが光の根源に直ぐに気付く。
「何だ!」
雲に覆われている筈の空から光が放たれていた。突如放たれたその光は瞬く間に一筋の線となって砦の奥へ降りていった。やがて光が消ていくと、騎士達が上げた片腕をゆっくりと下ろしながら目の前で起きた一瞬の出来事に動揺し始めた。
「敵側の新しい魔術によるものでしょうか」
茫然とする騎士達を背にロザリアは感じたことの無い気配に視線を落とす。
「これは……いや、今は結論を出すときではないな」
「団長、お気をつけください。砦からただならぬ気配を感じます」
「ああ、無論だ。行くぞ、これ以上の敵の侵入を許すな。魔物、そして我々に敵対する者はこれを全て排除せよ!」
ロザリアの命令に騎士達は士気旺盛に答礼すると、作戦に応じた隊列に変えながら砦に乗り込む彼女に続き、先を急いだ。
気付けば砦を照らす灯りは燃え盛る炎のみとなっていた。砦の奥へと進むロザリア達は、暗闇の屋内を炎の灯りを頼りに駆け抜けていた。
先頭を駆けていた先攻隊が進行方向に群がる複数の影を視認すると、素早く報告する。
「団長!前方に謎の影多数!」
仄かに灯る影は、距離を詰めるごとに人のものではない事に直ぐに気付いた。影の正体は近付く蹄の音に気付くと此方を威嚇する。
「魔物です!」
先攻隊の報告に、威嚇する影の後ろを遠目に見ると、そこには原形を留めない人の遺体とおぼしき姿が辛うじて見て取れた。無惨に散らばる遺体の一部に残る白銀の鎧はアレクシア王国軍の物だと判断出来た。込み上げる感情を抑えながらロザリアは抜刀しながら号令を下した。
「術式展開!先攻隊は正面攻撃及び挟撃を加えよ!一匹残さず全て葬るぞ!」
分散を始める騎士団に複数の大型の魔物は唾液を垂れ流しながら暗闇にその姿を隠す。
「無駄だ!」
後続の騎士達からその場の闇押し退けられる程の光が放たれた。突然の光に目を奪われた魔物達が驚いて眼球を手で覆い隠しながらもう一つの手から生やした鋭利な爪で空間を闇雲に切り裂く。
「はあぁっ!」
騎士達が声を上げながら突き出したその矛先は瞬く間に魔物達の胴体に沈み、大きな剣はその首を落とした。
首を落とされた魔物達は、絶命すると騎士達の剣が引き抜かれると同時に地面を転がった。
「これで全てか……」
魔物の死骸を前にロザリアが魔術の灯りを維持する空間を見渡しながら団員の安否を確めながら残存する魔物の存在の有無を確認した。
「この場で確認した魔物はこれで全て排除致しました」
「分かった」
ロザリアは騎士の報告を確認すると地面に広がるアレクシア王国軍の兵士の亡骸の前まで歩み寄っていった。他の騎士もまた静まるなか、彼女は剣を掲げ、黙祷を捧げ始める。
「親愛なる我が同志よ。英雄神に誓い、この仇は必ずとろう……。だから、安心して眠ってほしい」
そこまで言うと、ロザリアはゆっくり目を開き、騎士達の表情を窺い、そして乗馬した。
「行くぞ」
それだけ指示すると、ロザリアは騎士団と共に蹄の音を響かせながら同胞の亡骸を後にする。
「団長……」
灯された空間が徐々に離れていくのを見張っていた一人の騎士がロザリアを呼び、続いて問い掛ける。
「報告にあったヴェリオス王国軍がここまで姿が見えないのは不自然ではないですか?」
もっともな話にロザリアは前を見据える。
「ああ、気味が悪い程にな。しかし、あの生存者の兵士の証言からして嘘ではないと思える。必ずこの砦の何処かにいる筈だ」
「居るとしたら、一体何処へ……」
騎士の返答に僅かな情報を頼りに推察しようとロザリアが沈黙した時だった。
隊列の先頭を駆けるロザリアの視界に、炎の灯りに照らされながら一人の兵士と思われる人影が佇んでいた。
兵士の存在に気付いたロザリアは目を細めながらその兵士が身に纏う鎧を確認すると見覚えがあるものだった。
「ヴェリオス王国軍の兵士か」
先に気付いたロザリアが声を抑えつつ、馬を減速させながら続く騎士達を停めた。兵士から少し距離を置いた位置で馬を止めたロザリアは、警戒を強めながら様子を窺っていると、その異様な様子に胸騒ぎを覚える。
その兵士はよく見ると、ヴェリオス王国軍を証明するよく鍛錬された鮮やかな蒼の鎧からでも認識できる程血に染まっているのが分かった。
ヴェリオス王国軍の兵士は炎の灯りを揺らめかせながらくすくすと笑い始めた。
「……尊い」
ヴェリオス王国軍の兵士の様子が普通でないのを確信したロザリアは騎士達に抜刀許可を下した。
「ああ、いと尊きエルクリノス様の教えのもと、その意思に叛く憐れな命に救いを与えん」
「何……?」
聞き慣れない語りに少し困惑の表情を浮かべるロザリアに、兵士はゆっくりと振り返る。
「邪神を信仰する憐れな命に救いを与えん……!」
振り返った兵士は理性を失った笑顔を浮かべていた。そしてその手には隠すように一枚の羊皮紙の巻物が握られ、淡い光を帯びている。
そして兵士が握る巻物が発光しながら消えた時、ロザリアを始め、騎士達が踏み締める石甃に大きな円形の文字盤が広がり、凄まじい閃光を放った。
「逃げろっ!」
咄嗟に判断したロザリアが吼えた瞬間、大地が唸りながら轟音を上げた。
浮き上がる自身の体に痛みはない、視界は真っ白に染まり、至るところに体が打ち付けられる感覚だけが覚醒する。
ロザリアの意識は、大勢の近衛騎士団と共に閃光に呑み込まれながら爆炎と崩落する瓦礫の中へ消えていった。