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Zagroud Fertezia ~堕ちた英雄と記憶喪失の少年~  作者: ZAGU
第二章『朱き帝国の迷走』【魔科学編】
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混沌とする運命の種


 淡く、石灰の雨が嵐の如く吹き荒れている……。


 それはありとあらゆる全てのものを呑み込み、終点無き地の最果てへと降り注いでいた……。


 その光景からは、まるで全ての忘却を描き出すかの様な脆さと儚さを感じる……。



 ここは何処だ……。



 それは分からない……。



 自分が何者なのかも……。



 他に分かる事……。

 それはここへ留まれば、忽ち形容しがたい不可解な胸騒ぎが少しずつこの体を蝕んでくる事だけだ……。



 これは誰だ……。



 視線を下ろすと、純白の炎を宿った何かが人の形を模し、流れる石灰の粒子と共に揺らめく。


 一つ吹かれる度に火は一つ消え。


 一つ吹かれる度に火はまた一つ消える。



 何だか消えていく……。



 でも自分が何者なのかが分からない……。



『君は、だれ……?』



 幼さの残る少年のか細い声がこだまする。


 

 私は……。



 その質問に、上手く答える事は出来なかった……。



『君は、ぼく……?』



 私は……、…っ…!?



 その感情は突然現れ、覚醒を始めた。


 例えようのない焦燥感は、消え行く小さな白い炎の体から悟りを見出だそうと必死に足掻き出す。



『ねぇ、おしえて……。君は僕なの……?』



 目には見えない少年の声に促された時、声は放たれる。



「違う、私は……!」



 ……。



 ……。



 ……。



 開眼と同時に見えたのは、空虚を遮る天井だった。

 衝動と共に上体を起こす肉体に異常は感じられない。

 呆然と周辺を見渡すも、そこには不変と広がる屋敷の部屋のみだ。


「……またか」


 またあの夢だ。

 不可思議な空間とあの謎の少年。

 毎度の事ながら気持ちのいい余韻ではない。


 あの少年は、何を伝えたかったのだろうか……。


 あの灰の雨は何を意味して……。


「うっ……」


 思い返そうとすると頭が激しく痛む。


 今、考えるのはやめよう……。


 日の光が窓から差し込む中、ベッドから降りたクロは目覚めの悪いまま一日の身支度を始める事にした。






 今日も時程通りに時間が流れ始める。

 食堂で手短に朝食を済ませたクロは、昨日と同じ帝国フォレストル公爵家を模したの衣服を使用人達にされるがままに着させられ、一日の軌跡を刻み始める。


「……」


 思考に更けりながらフォレストル邸の巨大な廊下を一人歩くクロ。

 ある程度の自由権が許されているこの機会で何をすればいいのかを少年クロは考えているのだ。

 気掛かりな事は数多くあるが、何れも行動に出るには早すぎる。

 帝国に来て二日しか経過していない浅はかな知識で振るう自己の行為は偏見と後悔を生む可能性を秘める。


 そう、もっと確かな情報が欲しいのだ。

 

 ならば先ずどうすればいいのか、その答えは至って単純である。


「メルサス……」


 それは身近な知識人からその知識を恵んでもらう事だった。

 執事のハウセンという選択肢もあったが、手早く得るには有効な相手を選ぶ事が二度手間を回避できる。


 対象となる人物を思い浮かばせたクロは、早速この屋敷の主であるメルサスを尋ねるべく、彼の執務室へと進路を定めて方向変換を始めた。

 今歩く場所はクロの寝室が所在する二階の顧客層、メルサスの執務室まではそう遠くないだろう。


「確か、この先か……。……?」


 少年は、顧客層から執務室へと続く一本道の長い廊下を歩いていると、進行方向の先から此方へと向かってくる幾人かの人影を視認する。

 遠目ではその人影の正体は率直に判別は出来ないが、縮まる互いの距離と共にそれは明瞭となる。



 一人はメルサス。背後にはハウセンの姿もある。メルサスの隣を歩いている男は誰だ……。


 

「これはこれは、クロ様。おはようございます」


 先に声を掛けてきたのはメルサスだった。

 今日はあの丸いガラス状の物を目元へ装着していないが、何時もの温厚さを思わせる穏やかな表情とは異なり、何処か少し虚ろげに感じる。


「メルサス。何処へ行く……?」


 素朴と感じた質問を投げるクロに、メルサスは特に際立つ反応をする事なく答える。


「……少々大きなお仕事が入りまして。これより遠くへ赴くところです」



 こんな早朝に大きな仕事とは何だ……。



 気になるところではあるが、あまり詮索するは良くはないだろう。だが、それ以上に気になるのはこの隣に立つ……。


「クロ様ですね。お話は予々(かねがね)耳にしています」


 全身を朱のローブで包んだ白髪の目立つ何とも不気味な風貌をした中年の男。驚くべきところは羽織られたローブから覗かせた彼の体だ。

 衰弱を思わせる程に痩せ細ったその体からは事の不健康さが一目で理解出来る。

 そんな肉体から絞り出される声はか細く、酷く枯れていて聞いていると耳が疼く。


「これも何かの縁、せっかくです。ご挨拶くらいはしましょう」


 途中。メルサスが何か言いかけたが、男がそれを遮ると、怪訝な表情で見据えているクロへと向き直る。


「私は此方にいらっしゃるフォレストル公に身を寄せ、助力をする者。名をベムフロム・リッカロと申します」


 ベルフロム。そう名乗ったこの男は、最後に乱れ崩れた醜い歯を見せながら笑った。

 これまでに無い彼の異様な存在感に思わず身を引いたクロは、固唾を飲みながら恐る恐る反応する。


「よ、……宜しく、頼む」


 出来ることならばあまり会いたくは無い人物だ。それは必然性を持って少年の本能が示してくるのが分かる。

 するとベムフロムは、その濁った眼球を不気味と動かしながらクロの全身を舐め回すように観察する。


「いいですねぇ……いやはや、次にお逢いする時が待ち遠しいです。その時は……」


 ベルフロムがけたけたと談笑を始めようとした時、背後に控えていたハウセンが一歩距離を詰めてきた。

 執事による無言の催促をぶっきらぼうに反応したベルフロムは、クロを凝視する。


「……と、邪魔が入った様ですので、私はこれにて。クロ様、楽しみにしていますよ……くっくっく」


 深い闇の淀みの様な言葉と笑い声を最後に再び歩み始めたベルフロムは、メルサスと共に場を後にしていった。

 そんな二人背中姿を、一つの言葉を掛ける事なく見送ったクロのもとに、残されたハウセンがふと話す。


「クロ様。今後はあの者に関わらない事を念押し致します……」


 尤もな言葉だ。

 あれ程初対面で嫌悪感を抱いたのはディオル以降初めてだろう。

 いや、それ以上だ。


「心得よう……」


 承知の意からそう返答したクロに、ハウセンは何か思い出したかの様な反応をすると、自らの懐へと手を伸ばし始める。


「……ところでクロ様。話は逸れますが本日クロ様宛に、手紙をお預かりしております」


「……私に?」


 この帝国で少年宛の手紙とは随分と物好きな人物がいる。だが、此方としてもそれが何者なのかが気になるところだ。

 半分興味が湧いたクロは、老人の差し出す手紙を受け取る。

 繊細で心地よいさわり心地の封紙に包まれた手紙だ。しかしこの特徴は羊皮紙ではなさそうだ、これがパピルスという物なのだろうか……。

 様々な考えが廻りつつ、少年は朱色の封蝋を解き、中を取り出す。


「その封蝋の紋章は、エルヴェイン伯爵のもので間違い無いでしょう」


「エルヴェイン伯爵……?」


 初めて聞く名だが、帝国で爵位を持つ権力者で間違いはなさそうだ。

 ハウセンの言葉に少々怪訝と眉を寄せたクロは、紙に綴られた文字を読み始める。




『敬愛にして尊きクロ様


今日(こんにち)もまた素晴らしき黎明が偉大なる我が帝国の進化を祝福するこの頃、貴殿におかれましては如何お過ごしでしょうか?

執務で多忙なフォレストル公の支えの中、さぞかし身内の居ない帝都はさぞかし寂しい事でしょう。

そこで当家主宰で執り行う晩餐の宴に赴かれては如何ですかな?

無論、貴殿と同い年の娘も大勢参加致します。お暇とする事が無いのを必ずや保証しましょう。


一の後、ラボリアの晩課、エルヴェイン伯爵邸


尊き貴殿が当家に興味を持たれ、足を運ばれる事を心より願っております。


リンドル・ド・ロン・エルヴェイン伯爵』




 と、そんな手紙を黙読したクロは、この文字列が成す奇妙な人間性の高さに少しだけ動揺していた。


「エルヴェイン伯爵は大変お戯れの強きお方です。ですが、あの方は印象こそ悪いものの、非常に高い人徳と友好的社交性を持たれております。お優しいお人柄でございますので、ご安心ください」


 素直で率直であろうハウセンの言葉は、クロの中で瞬く間にエルヴェイン伯爵という記憶の書物に初めての第一章を刻み始めた。

 安心出来るような、出来ないような、なんとも複雑な感覚だ。


「……そうか」


 クロは、取り敢えず短く答えながら頷くと、ハウセンは少年が手に持つ手紙に記された晩餐の予定時期を確認する。


「時は一の後、ラボリアでございますか……。そうなりますと、二日後となりますね」


「ラボリア、二日後か……」


 ラボリアとは日を規定する名称の一種。

 日は夜空に輝く星の位置で定められており、それは『十二の刻』と呼ばれ、それぞれに特異的な名が付与されている。

 一の後は周期的にくる十二の刻の中で該当する日が訪れる最初の日を意味するのだ。


 二の後ならば二回目に訪れる日。


 三の後ならば三回目に訪れる日だ。


 逆に過去ならば一の前、二の前となる。

 しかし少年自身、あまり夜空を見上げる習慣が無いため、日の刻はあまり気にしていなかった。せいぜい使うのは明日か、明後日、昨日か一昨日だ。

 だが、こうして露骨と行動に予定を促されるのは初めてかもしれない。

 それはこれまではリーシェを始め、行動を共にしていた者達が居た為だろう。


「如何致しましょう。ご参加になるのでありましたら、此方で返答の手配をさせていただきますが」


 ハウセンが晩餐への参加の有無を窺う、予定までの日が少なく、早めの返答が必要なのだろうが、そんなに直ぐ答えなど出る筈もない。

 それに相手は会ったこともない人物だ。

 そんな人物の囲いに入り込むのだからそう感じざるを得ない。


「少し考える時間が欲しい……。回答は今晩に決める」


 興味がない訳ではないが、この日中で粗方考えを纏めたい事の方が強かったのだ。

 そんなクロの言葉を聞いたハウセンは、変わらぬ態度で一礼する。


「畏まりました。では、前以てその様に伯爵様にはお伝え致します」


「ああ。感謝する……」


 淡々と対応してくれるハウセンに、少年は感謝の言葉と共に老人へと頼む事にした。




 次は、もう少し判断材料が欲しい。





 穏やかな丘陵が連なる広大な大地。

 地平線の彼方まで見通せそうな程の地を這う様に伸びる一本の街道に、一台の荷馬車が軌跡と共に砂煙を上げながら走っていた。

 荷馬車が蹄と車輪の音を鳴らしながら荷台を囲む幌を揺らす中、御者台で馬の手綱を持つ商人とおぼしきケープを羽織った男が遠目に前方の進路方向を見詰める。


「お、もう少しだな……」


 丘陵も終点を迎え、真っ直ぐに伸びる地平線からは著明な一つの朱色の山が聳えているのが見える。

  それを視認した商人の男は、本来人を乗せないであろう背後の荷台へと声を出す。


「旅人さん。そろっと着くぜ」


 しかし返事は無い。


 自らの声が小さかったのか、商人はもう一度声を送り込む。


「おい、もうすぐ目的地だぞ?」


 やはり返事が無い。


 二度同じ結果なのだ。不信に感じた商人は、後ろの荷台を覗き込む。

 すると、大量の木箱や樽が積まれた荷台の幌の影に隠れる様に身を閉ざす人物が一人。積み荷に寄りかかっていた。


「すかぁー……」


 寝息をたてながら心地よく眠っているのは瑠璃色の長い髪を持つ女性だった。

 歳は二十くらいだろうか、眠っている姿は若々しくて無邪気な子供の様だが、決してそうとは肯定できない程に何処か威厳と凛々しさを持つ大人である事が窺える。


「おいおい……」


 商人の男は声を詰まらせる。

 そう、彼女は今にも涎が垂れそうな口の開き具合で深い眠りに入っている模様で商人の言葉に微塵も反応していないのだ。


「はぁ……いくら帝国が平穏だからって、緩みすぎだろう」


 呆れた声を思わず漏らした商人の男は、彼女を叩き起こす為、手に持つ手綱を思い切り引き上げた。


「「ヒィーンッ!?」」


 鳴き声を上げながら止まる馬。

 それと同時に馬車は、慣性の衝撃と共にその運動を止めた。


「……ぶわぁっ!?」


 今まで眠っていたとは思えないくらいの反射で起き上がった彼女は、状況が分からないまま周囲を見渡す。

 そんな彼女の様子を見ていた商人の男は、溜め息ながらの言葉を掛ける。


「おはようさん。やっと起きたい」


「……わ、私は寝ていたのですか?」


「ああ、そうさ」


 随分と間抜けな質問をしてきた彼女に、商人の男は頷きながら受け答えをすると、本題を話す。


「それよりもほら、もう帝都だ。早めに支度しないと、到着と同時に叩き落とすぞ……っておうっ!?」


 悪態に近い言葉で注意を促した商人に構わず、彼女は荷台から身を乗り出しながら馬車の進路方向を望む。


「わあぁっ!帝都だぁ!」


 急に活発化した彼女は、集中力を地平線に聳える朱色の山を注ぎ込みながら何やら感嘆の声を上げた。


「……いいから。旅人さん、危ないから荷台に下がってな」


「……むぐぅっ」


 呆れの絶えない感情に包まれながらも、隣で子供の様にはしゃぐ彼女を商人の男は無理矢理荷台に押し込みながら再び馬車を走らせた。


 荷台に押し込まれた彼女は、沸き上がる感情を躍らせながら前を見詰める。。


「待っていて、待っていて下さいね……必ず、必ずや私がお迎えに上がりますからっ……!」


 強い期待にその金色の目を輝かせた彼女は、帝都に有るであろう目的への意識を胸に、馬車の終着を待ち望んだ。


 そして彼女を乗せた馬車は、自然の音のみが奏でる大地の上で、蹄と車輪は再度音を鳴らしながら馬車を走らせ、少しずつ帝都へと向かう……。

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