ライオレル工房
三色の個性的な煉瓦が創造する一件の建物。周辺の建物よりも窓が多く設けられたその屋内には、差し込まれた太陽の光が自由に飛び交い、それはまるで外に居るかの様な明るさで眩い程だ。
至る所に置かれた観葉植物は、窓から侵入してきたそよ風と共に踊っており、今にも小鳥達が訪ねてきそうな大地の恵みを彷彿させる……そんな光景だ。
だが、その様な明朗的環境下において、馴染めていない人物が一人。
「……」
紅玉の瞳を持つ黒髪の少年クロだ。
少年は、何をする訳でもなく椅子へと腰を掛けてはいるが、落ち着かない様子で辺りを見渡していた。
何処だろうと見知らぬ場所というのは妙に落ち着かないのだ。それに……。
この臭いは何だ……。
室内に漂う観葉植物の豊かな香りに混じりながらもう一つ、異なる妙な臭いが少年の鼻を突いていた。
まるで草木を燻したかの様な独特な臭いだ。
「……お待たせしました」
不安に意思を刈られつつ、クロが臭いの正体を探ろうと隈無く辺り構わず視線を流していると、奥から一人の女性が姿を見せてきた。
彼女は市場で紙屋の男に捕まっていた時に現れた女性であり、ここへの案内を提案してくれた人物だ。その存在は、言い方を変えれば少年にとってちょっとした救世主なのである。
あの時は、状況に困惑していたが為にあまり真っ直ぐ対面する余裕は無かったが、こうして真っ向から目にしてみると、彼女からは沈着とした礼節さが感じられる。
歳は二十に当たるくらいだろうか、顔立ちにはまだ幼さが残る印象だ。
「あぁ……すまない」
そう言ってクロが彼女の気遣いに対し、不意を突かれたかの様な反応をすると、目の前にふとティーカップが置かれた。
「ゆっくりしていって構いませんからね」
そんな戸惑う少年を安心させようと、彼女はそう言って微笑み返し、持ってきたティーポットの中身をカップの中へと注ぎ入れ始める。
重量に従いながら落ちる淡い褐色の流体。
色合いからして、皇城でリグルドに淹れられたものと似ているが、大きく異なるようだ。
「紅茶は初めてですか?帝国ではよく飲まれているんですよ」
ティーポットから流れる褐色の液体を眺めていたクロを見ていたのか、彼女がそんな事を訊いてきた。
「いや、初めてではない……」
記憶の限り、飲むのは二度目になるが……。
そう言いつつティーカップの中身を覗き込む少年の姿に、彼女はくすりと笑う。
「そうなんですか。公爵様は紅茶が大の好物なんですけど、貴方は少し違う立場にいらっしゃるみたいですね……」
と、ふと彼女はそんな事を言ってきた。
どうやら少年がフォレストル公爵家からの人物であると気が付いていたみたいだ。確かに、身に付けている衣服はフォレストル公爵家から支給されたものだが……。
この女、なかなか鋭い推察能力をしている……。
「そう言えば、自己紹介がまだでしたね。私はここ、『ライオレル工房』で羊皮紙作成のお仕事をさせていただいています、メリッサ・ライオレルと申します。先程は私の父、カルサルが大変ご迷惑を御掛けしました……」
メリッサと名乗った栗色の髪の彼女は、改まった様子で律儀に自己紹介を始めてくると、最後に彼女の父親カルサルとの一件に関して詫びを入れてきた。
ライオレル……?
覚えのある名前だ。
確か王都でリーシェと訪れたあの店の名も……。
記憶の中で引っ掛かりを覚えた少年だったが、今は自らの名を明かす事が先だと、それを後回しにする。
「いや、構わない……。私の名はクロ……以前、アレクシア王国に居たが、今は訳あって、フォレストル公爵家に身を寄せている……」
彼女メリッサの礼儀に応じて少年もまた、同様に自らを名乗る。
「そうなんですね……。……クロさんは、アレクシア王国のご出身なんですか?」
出身……。
少年に故郷は存在しているのだろうか……これまで考えた事も無かった。
ふとメリッサに問われたクロは、少し考え込むが、記憶が無いままでは正確に答えることは出来ない。
「……分からない。気付いた時にはアレクシアの地に居たのだ……」
「あ……す、すみません。私、失礼な事を……」
視線を落としながら話すクロを見たメリッサは、踏んではならない地雷を踏んでしまったと捉えたのか、少々慌てた様子で詫びる。
だが、今の少年にその様な気遣いは必要ない。未だに収集のつかない境地に立たされているのだから……。
「私の勝手な発言だ。気にする必要は無い……」
表情は無だが、別に不快ではないという事だけは伝えたい。
と、クロが彼女との意志疎通を不器用に図っている中、部屋の奥から一人の影が忍び寄る……。
「成る程。そう言う事か……」
市場で羊皮紙を売っていたあの男、紅顔の男が腕を組ながら立っていた。
「お、お父さんっ?まだ後ろで休んでいた方が……、それにお水はしっかり飲んだの?」
背後からの肉声に不意を突かれたのか、メリッサが驚いた様子で振り返り、介護の眼差しを向けるが、お父さんと呼ばれた男カルサルは、威風堂々とした仁王立ちで答える。
「俺ならもう復活した……」
いや、見るからにまだ酒が残っていそうだが……。
「それよりも餓鬼……いやクロとやら、お前は何故そこまで羊皮紙が欲しいのだ。まぁ言っておくが、家の羊皮紙はただの羊皮紙じゃあない高価な品だぞ?」
カルサルが市場の時と似たような話をする。どうにも彼が口にすると、胡散臭さが残る、これは第一印象の悪さから来る感情だろうか……。
だが、真摯に受け止めてみると、市場で彼が取り扱っていた羊皮紙は、外見からしても王国で流通していた物とは明らかに品質が異なるのは否めない。
自家製の羊皮紙をそこまで誇張するからには、相当高品質なのは間違い無さそうなのだ。
「近年帝国では、材料調達が容易で生産性の高いパピルスが主流になってきています。態々高価で利便性が低い羊皮紙を選ぶのはお薦めできません……」
「め、メリッサ!お前どっちの味方だ!?」
お店の看板商品よりも、現実性を視野に指摘してくれるメリッサの発言に驚いたのか、カルサルが動揺を隠せない様子で双方の区別を促した。
パピルスなる存在は市場の書物売り場でも見掛けたが、あれは魔術紙として生成するとどうなのだろうか……。
だがここは、見知らぬ紙よりも慣れ親しんだ物で望むのが無難であろう。
「味方も敵もないよ……。こういうのはユーザーニーズが大事なんだから」
そう言って溜め息混じりに肩を落とすメリッサの表情からは、日頃の苦労が滲み出ている気がする。
「……一つ訊きたい。帝国で羊皮紙というのは、そんなに価値が無いものなのか……?」
彼等の会話を聞いていて気になっていた疑問を、クロは投げてみる。
二人の話を聞く限り、紙に対する需要が大きく変化したのだと思われるが……。
「価値が無いだとっ!?お前ゴフッ……」
今、鈍い音が聞こえた気がする。
先程まで反論の眼差しで噛み付いてきた筈のカルサルは、腹を抱えながらその場でしゃがみ込んでいるのだ。
「どうか気にしないで下さいね……」
「……あぁ」
友愛に満ちた穏やかな微笑みでメリッサが対応する。あの表情で打拳を放ったとなると、人の行動というのは外見では判断出来ないというわけか……。
「帝国では昔、獣の皮を材料とした羊皮紙が主流でした。ですが、植物の地上茎から作られるパピルスが商人や職人の手から出回ってから、羊皮紙は低迷期へと落ち込んでしまったのです……」
獣の皮から作られる羊皮紙に、植物から作られるパピルス。
二つの紙は、材料の調達という点を鑑みて異なるということだろうか?
「羊皮紙の価値が落ち込んでしまったのは様々ですが、大きな要因となったのは現皇帝、リグルド陛下にが発令した『産業改革』ですね」
「産業……改革?」
聞き慣れない言葉だが、どういう意味なのだろう。
首を傾げるクロに、メリッサはやむを得ないかと考える。
「……えっと、簡単に言うとみんなが暮らすのに必要なお金や物を作っている今のやり方を変えよう、という事ですね」
成る程。
故に生産の形態が変わったことで、羊皮紙もその影響を受けたという事になる訳か。
そこで独自の見解を開いたクロは、ふと疑念を抱く。
今のメリッサの話だけを視野に考えても、羊皮紙の価値が落ちた要因はそれだけが理由と断定するには根拠が弱いと感じていたのだ。
「……い、てててて。ぐぅ、む、むこうは国を良くしようって魂胆なんだろうが、お陰様で俺達が生業にしてる羊皮紙産業も商売特権を剥奪されて次々と撤廃を余儀なくされる始末さ。まったくふざけた話だぜ……」
そこで漸く痛みが引いてきたのか、腹を擦りながら地より這い上がってきたカルサルが二人の会話に入ってくると、憤りの悪態をつくと、カルサルは話を続ける。
「その上、パピルス産業に入り込もうとした連中も、市場で帝都での商売特権を得ようと奮闘するが、ずっと結果が出せずに空振りする毎日さ……」
最後には苦虫を噛み潰した様なしかめ面を浮かべるカルサル。
どうやらクロが居たあの市場は、商人達が商売特権を争う戦場だったようだ。
豊かに見える国にも闇の実態があるという事か……。
「……」
彼等の深刻な状況を耳にしてか、クロは次に掛ける言葉が思い浮かばずにいると、メリッサがふと声を掛けてくる。
「ですが、こうしてクロさんとお逢いできたのも何かの縁かと思います。宜しければ、貴方がこの帝国で羊皮紙をお求めになる理由をお聞かせ願いますか?」
メリッサの真っ直ぐな眼差しが彼女の懸命さを秘めているのが分かる。
「私は……」
口を開くクロに、二人が集中して耳を傾けてくる。
相手の対応問わず、少年にとって使い道は無論、一つだけだ。
「魔術紙を作りたい……」
質問には答えた。
後は二人の返答を待つだけだ。
……。
……。
……。
もしかして帝国では禁忌だったか。
いや、市場において書物を販売していた商人ではこの様な反応は無かった。
反応の無い二人に焦燥感を覚えた少年は、自らの発言を訂正しようと再び口を開いた時……。
「魔術紙だと!?い、今魔術紙を作りたいと言ったか!?」
少年の発言を退けるように最初に発声したのはカルサルだった。
驚嘆に満ちた彼の表情から出た言葉は、今にも少年に飛び付いて来るかの様な勢いだ。
「あ、あぁ……」
威圧感を覚えながらも頷いたクロの目に一切の迷いは無い。
そんな少年の眼差しを受け止めてか、カルサルの様子は一変する。
「……故郷から未開の地を夢見て旅立ち、漸く行き着いた帝都で製紙を始めて早十年、窮地に陥りつつある我が家にもついに商売の神が降り立った」
拳を握り締め、何やら声を震わせながらカルサルが俯き始める。
「お父さん……?」
実の父である彼の異変を目にしたメリッサが少々狼狽えている。
それはクロも同じだ。
市場での一件もあった少年は、再び掴まれるのではないかと身を引いて警戒する。
「決めた!決めたぞメリッサ!」
突然勝鬨の如く声を響かせたカルサルは、メリッサに自身の決意を押し付け、少年へと向き直る。
「クロ……だったか?いいだろう!あんたには今後、定期的に羊皮紙を無償提供する事を約束しようじゃないか」
それは、少年の想像を凌ぐ結果だった。
クロ本人としては、羊皮紙を買えればいいと考えていたのだが、定期的にしかも無償というのは随分と飛躍した結果である。
「金ならばある……。何故無償なのだ」
これは少年が率直に感じた疑問だ。
無償という言葉のみを耳にすると聞こえはいいが、それには相応の理由があるとしか考えられない。
何か裏がありそうだ。
「勿論、ただ無償って訳じゃあない。これはあんたが魔術紙生成の技術を保有した数少ない職人である事を見込んでの事だ」
まだ魔術紙を作りたいとしか言っていないのだが……。
それに、かじった程度でしかない魔術紙生成技術で頼られる此方としては、羊皮紙の提供よりも責任の方が遥かに勝る。
考えただけで胃が痛いが、どうやら彼なりに考えがある様だ。
何となくではあるが、次に来る言葉が大方予想がついた少年は、受け身の姿勢で答えを待つ。
そして……。
「クロよ!あんたに我が工房での魔術紙生成に一役買って欲しい!」
やはりそう来たか……。
こうまでして予想が的中するともはや気持ちのいい感覚に陥る……。
しかしそんな中、若干一名のみがこの展開を不安な赴きで受け止めていた。
娘のメリッサだ。
「ま、魔術紙生成の依頼っ?でもお父さん、商売特権を剥奪された今だと、魔術紙を生成しても……。それに、帝都での武器の生産は許可が無いと駄目だよ?」
目を輝かせながら少年に縋り寄るカルサルを見ていたメリッサは、困った様に表情を濁ませながらその提案を的確に指摘すると、彼は余裕綽々と指を振る。
「ふっふっふ、見えていない様だな愛娘よ。帝都での武器生産、保有は確かに特別な許可が必要だ。だが帝国法典にある帝都条例第二章の一部、武器の保有、生産に関する条例には、魔術紙を武器として認める明記は無いんだよ……」
「……お父さん、そんなに帝国法に詳しかったの?」
勝者の如く口の端々を吊り上げながら説明するカルサルを、メリッサがまるで珍しい物でも見ているかの様な反応で彼の心境を窺う。
「……さっき調べた」
今、かなり矮小な小声が聞こえた気がするが……。
「ま、まぁとにかく、魔術紙は今後の財産だ。帝国では随分と昔に廃れてしまって需要が無いが……いずれ時代は変わり、魔術紙が絶対的に必要とされる時が来る!これは周囲へ羊皮紙の素晴らしさを知らしめる宣伝と備えになるのさ!」
「……お父さん、そこまで考えて」
「ふっ、当たり前よ……」
驚きの表情を見せるメリッサを見て優越感に浸る腕を組むカルサル。
果たして彼女の驚嘆は良い意味なのか、悪い意味なのか、それは分からないが……。
話を戻す。
クロが魔術紙をレスナーの主導の下に生成していたのは事実だ。
勿論、直接手掛けた工程は全てではないが故に、白紙の羊皮紙から完全な魔術紙を生成する錬度にはまだ至っていないのは否めない……。
故に、ねじ込まれそうな役割に対する精神的圧力を感じているのだ。
その重みは、目の前で当事者を残置させつつ盛り上がるカルサルから見える家庭の全貌から来るものだ。
「どうだ少年よ!この交渉、受け入れてはみないか!」
自信に満ちたカルサルの視線が嫌に胸へと刺さる。
「……」
好奇心は……無くはない。
そんな気持ちが少年の意思を燻る。
正直なところ、悩ましく思っていた。
そう、本来ならば市場で羊皮紙を買うだけだった筈なのだ。
彼の誘いを機会と捉えるのならば、それもまた新たなる運命といえるのか……?
だが……。
「……今は」
一見して旨い契約内容ではあるが、冷静に考えてもみると、これは素直に首を縦に振ることは出来ない。
何故ならこの交渉を今ここで受け入れてしまえば、保護する立場にあろうメルサス達に迷惑をかけてしまう可能性があるからだ。
無用な案件を避ける事は吝かではない。
「今は……断らせてもらう……」
今出せる答えは、これだけだ。
少年の思い詰めた中での言葉は、独り言の様に工房の中を支配する。
「……!?」
すると、クロが瞬きをする間も無く、その答えは視界の歪みと共に返ってくる。
「な、何故だ!?何故駄目なんだ!?」
必死な形相のカルサルが乱暴に少年の両肩を掴み、前後へ激しく揺さぶっているのだ。
当然ながら平衡感覚を奪われた頭部は頭痛で体の不快感を訴える。この感覚は市場での状況となんら変わらない。
「これはあんたにとっても悪くない……いや、むしろお特な話なんだ!我が家の最高級羊皮紙を無償で貰えるんだぞ!?しかも定期的にだ!これ程素晴らしい条件は他に無いっ!なあぁ、一度首を縦に振るだけでいいんだ、頼む!」
「お、お父さん落ち着いて!」
興奮と焦燥に支配されたカルサルを、メリッサが鎮めようと咄嗟に間へと入り、少年を掴む彼の両手を素早く制する。
暴君を鎮めるその見事な手際からして日常茶飯事なのだろう。普段での彼女の立場が更なる苦労人として少年の中で連想される。
これが同情だろう……。
「何故止める愛娘よ!機は今と捉えなければ、運命は変えられないんだぞっ……!?」
執念に囚われたカルサルの顔に、メリッサはふと人差し指を立ててそれを突き出す。
「生涯繁盛。ライオネル工房の心得その一、忘れたの……?」
愛娘が子を叱る親の如く厳しい眼差しを父親へと向けている。
彼女のその小さな口から放たれた言葉の意味は分からないが、身内同士の誓いの様なものだろうと少年は勝手に解釈する。
「……っつ、常に冷静たれ」
その言葉を重く受け止めてか、カルサルは我に返った様にその誓約の中身を呟く。
「もう、お父さんが最初に作った約束だよ?」
「そ、そうだったな……」
漸く冷静になったみたいだ。
ばつが悪そうに頭を掻いて自らの失態と向き直るカルサル。
対するメリッサは頬を膨らませて、叱りの態勢だったが、孤立するクロに直ぐ気が付く。
「ごめんなさいクロさん、この話は気が向いた時でも結構なので、あまり気にしないでください」
メリッサは、我が家の羞恥の実態の一部を見せてしまった事に苦みを隠しきれない微笑みで現状の捉え方を打診する。
「……あぁ」
ただ返事をする手段しか残されていないクロの表情には、少しばかりの引き攣りが残る。
「あ、そうだ。少し待っていてください」
それからメリッサは思い出した様にそう言い残すと、忙しい動きで工房の奥へと向かっていった。
「……」
奥へと消えていく彼女の背中姿を見送った少年は思った。
今はこの男と二人きりにしないで欲しいと……。
それは、二度同じ事を受けたクロにとって深刻な状況であった。
【その後……】
「お待たせしました。此方が我が家ライオレル製の羊皮紙になります」
ライオレル工房の玄関口を背後にメリッサから大きめな手提げ付きの包みを受け取ったクロは、包みから来る重量を手で感じ取る。
「これ程の量……いいのか?」
少年は訊ねる。
数にして厚めの羊皮紙五十近くといったところだろうか、これは持て余す程の量だ。
「物は使われないまま放置されるよりも、使われた方がいいですから……。どうか、お持ち帰り下さい」
そう伝える穏やかなメリッサの表情には、僅かな虚しさがあるのが感じられる。
「……では、有り難く頂戴する」
彼女に対する礼儀として、感謝の言葉を最後に工房を後にしようとするも、ふと一人の人物が少年の視界へと入る。
他でもない、カルサルだ。
同じくクロと視線を合わせた彼は、直ぐにその目を不器用に逸らす。
「餓鬼……いやクロか。市場では強く当たってすまなかったな……」
ここでふとカルサルがクロに謝意を示してきた。
正直なところ、謝罪云々よりも警戒心の方が遥かに勝っていたのだが、こうして改まって謝られると、不思議にも彼に対して引っ付いていた何かがほつれていく気がした……。
「……いや、気にする事はない。私もそなたに油をさす様な真似をしてしまったみたいだからな」
元より彼には蓄積された鬱憤があったのかもしれないが、此方も何処かでそれを爆発させる様な不快な事をしてしまったのかもしれない。
そう市場での状況とライオレル工房の実態を鑑みて結論付けた少年は、自らの行いを非として同じく謝意を表した。
だが……。
「まさかあんたが本当にフォレストル公爵家の人間だなんて思わなかったんだ。それじゃなけりゃあんな扱い……ぐ、俺はなんて事を……」
そう言って最後には後悔を念に泣き始めるカルサル。
前言撤回しよう……。
例えようのない醜態を残したままクロは、ライオレル工房を後にした。




