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Zagroud Fertezia ~堕ちた英雄と記憶喪失の少年~  作者: ZAGU
第二章『朱き帝国の迷走』【魔科学編】
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朱い花の都に仄る温情

 帝都クレオモリスに聳える幾何学模様の朱い皇城こと、フォーレンヘゼレクトル城が見下ろすとある一角。

 まるで異なる二つの空間を繋ぎ合わせたかの様なその場所に、少年クロは同行者であるメルサスと共に訪れていた。

 色とりどりの花の園の中腹に構える豪奢な屋敷は、左右対称的な造りをしており、鏡の境界線を思わせる見事な造りだ。


「……?」


 屋敷へと近付いていくと、静謐と立ち、此方の方角を見据える人物が一人。

 柄の無い厚手の朱い正装を身に纏う白髪の老人だ。彼の瞳に宿るヘーゼルの淡さからはその性格が分かる程に穏やかだ。


「お帰りなさいませ、公爵様。そしてクロ様、大変心待ちにしておりました」


 服装や態度からしてどうやらこの老人は屋敷の使用人という立場のようだ。

 彼は、老骨を感じさせない清楚な立ち振舞いで一礼すると、メルサスが表情を緩め、クロの方へと振り返る。


「クロ様、紹介致します。この者は、我が屋敷においてその執事を務めます、ハウセンという者です」


「公爵様より、クロ様の直接お世話担当を仰せつかりました。ハウセン・ウォールドと申します」


 どうやらこのハウセンという老人が今後、クロの世話係を担うみたいだ。

 屋敷の主であるメルサスでは流石に手が回らない、と言ったところだろう。

 何れにせよ、他人に手を施される立場となるのは変わらない……。


「……宜しく、頼む」


 決して晴れやかでない、無機質の様な少年の反応に、執事のハウセンに一瞬驚いた様に見えた気がしたが、直ぐに変わらぬ態度と表情で接する。


「はい。宜しく賜りました」


 数々の執務を経験値としてきた為か、この老人の接遇からは優しさすら感じる。

 これまで多くの客人を相手にしてきたキャリアが武器として生きているのだろう。


「それではクロ様。私は執務が控えております故、此にて……」


 そんなクロとハウセンの対話を見て安心したのか、メルサスは次なる予定を抱えている旨を伝えると、別れの挨拶を済ませる為、一礼を最後に場を後にした。


「……」


 ふと去っていくメルサスを、少年は呆然としながらその背中姿を見送る。

 そうだ。ここまで来れたのは、彼の人格と存在があってこそだ。


 気付けばクロは、帝国に対する敵対心なるモノが大きく薄れていた。



 理由は分からない……。



 何故だ……。




「クロ様……」


 一人、囲いの中に閉じ籠る少年に、ハウセンがそっと声をかけてきた。


「……?」


 視線を向ける小さな少年に、ハウセンは微笑みながら伝える。


「先ずは、お召し物と致しましょうか」


 優しげな老人の言葉。


 それはまるで闇の中の小さな光を掬う様に、丁寧に、丁寧に少年の意思へと踏み込んできた。






 皇城と比べても引けを取らない存在感を放つ巨大な屋敷は、その中も見事な完成度だった。

 内部を構成するその素材一つ一つが艶やかな光を帯びており、他とは決して見劣りしない出来栄えだ。

 ドラノフの屋敷と似た造りをしているが、表現性とその福徳円満な風情は、まさに天地の差と言える。


「おお……」


 感嘆に呑まれた老人の枯れた声がもれる。

 とある一室の中で少年の視界に映るのは、執事のハウセンを始めとする、幾人かの使用人の姿だ。

 使用人は全員女性であり、朱と白の正装を身に纏っている。彼女達はハウセンの背後で各々と満悦溢れるしたり顔を此方に向けているのだ。


「……これは」


 クロ自身も自らの姿を鏡に映し出し、それを見据える。

 帝国の印象を彷彿とさせる深めの朱い生地に黒の繊維を幾多にも縫い重ね、一つの幾何学模様を生み出すその衣装は、着用に多少の抵抗があったものの、身に付けてみると身体との一体感を得られたかの様に軽く、不自由が無い。

 見た目だけではないという事か……。


「大変お似合いでございます、クロ様」


 賛美を送るハウセンの目に一切の歪みは無い。率直な感想といったところか。


「不思議な着心地だ。厚手の生地なのに全くそれを感じさせない……」


 不思議そうに鏡に映った自分の姿と実際の姿を何度も見比べる少年の感想に、老人は微笑んだ。


「そちらは、我が帝国の技術が込められた上等品にございます。今を行く、裁縫の先進的技術の結晶と言えましょう」


 誇張を交えたハウセンの説明には、何処か自信と確信に満ちたものが感じられた。

 それ程までに帝国の力に対する堅持力が強いのだろう。

 クロもまた、その影響を大いに受けているのは否めない……。


「……」


「また、クロ様が着てこられた王国の正装につきましては、此方で手入れをさせていただいた上、大切に保管致します」


 身体を動かしながら着用している帝国の衣服の可動域を確かめている少年に、ハウセンはふと思い出した様子で話す。


「すまない、手間をかけさせる……」


「いえいえ、クロ様は我が帝国の大切な賓客。何でもお申し付け下さい」


 抵抗感をやや面に出しながらの少年の反応に、ハウセンは変わらぬ表情で笑い皺を深めた。何処か少年よりも満足気だ。

 帝国に賓客という高位な扱いを受けるのは何とも違和感しか無いが、アレクシア王国に居た時とは違う立ち位置にあるのは間違い。


「さて、お召し物も済んだ事です。お次は施設をご案内しましょう」


 少年の反応を善しと捉えたハウセンは次なる行動を示し、動き出す。


 これは直ぐに自由……とはいかなさそうだ……。




 模様の入った黄褐色の内装が何処までも続く大きな廊下を進み、最初に案内されたのは、屋敷を囲む庭園を一望する事が出来る大部屋だ。

 垢抜けた純白の長い机の周りには幾つもの椅子が整然と並べられており、種々と彩られた花の世界が美しい庭園との境界線を、限度の知らない透き通った見事な硝子が表裏一体となって幻想的な空間を生み出している。


「此方は食堂にございます。お食事は鐘の音と共に黎明の一時課に一食、正午の六時課に一食、薄暮の晩課に一食、それぞれが常にクロ様の体調に見合ったものをご用意させていただきます」


 見たことのない食堂の光景に目が釘付けになる少年の横で、ハウセンが淡々と定められた食事の時程を伝えてくる。

 それを聞いたクロは次に硝子越しに光源を帯びる太陽を見上げた。

 傾きからして今は九時課前程だろう。

 昼食は馬車でメルサスから与えられたが、あまり食べられず、今でも正直あまり食欲は無い……。

 

「お望みの食べ物がございましたら、何なりとお申し付け下さい」


 虚ろげに視線を沈めるクロを案じたのか、ハウセンがふと声をかけてくる。

 他人への介入を必要最小限に留めたその気配りには、確かな優しさが宿っているのがわかる。


「……あぁ」


 少年はそれだけ答えた。





 正面の入り口を設ける屋敷の中央、巨大なエントランスを経た奥の棟の先に案内されると、朱い石畳が無数に敷き詰められた大きな空間だった。

 声を上げれば忽ち洞窟の如く共鳴するその部屋には、花柄の彫刻が入った豪華な大理石の囲いがある。


「此方が大浴場になります。時刻は余暇の都合上、定められてはおりませんが、ご要望とあれば、早急に準備の方をさせていただきます」


 ハウセンの説明を耳に大浴場を一望するクロ。正直、エゼルメッス王宮にある大浴場よりも広い。

 王国は砂岩を基本とした艶やかな茅色が砂漠の世界を彷彿とさせていたが、この帝国の大浴場は広さ、イメージ共に全てが異なる。

 そして、他にも気になる事が一つ。


「……この浴場には、他に誰が利用するのだ?」


 過去の事例からすると、考えるまでもなく王宮大浴場で発生したあの事案(・・・・)だ。

 何故あの場にエルザが居たのかは不明だが、出来ることならば時期が重なる利用者を把握しておきたい。


「利用者は公爵様のみでありますが、クロ様の様な重要な賓客がおいでの時には、同様にご利用となります」


 クロの切実な問い掛けに整った顎髭をなぞらせたハウセンは、それから何やら考え始める。


「ですが、ご安心下さい。御一人様のご利用とご用命ならば、適切なお時間を確保させていただきます故……」


 彼が少々思考に入ったのは気になるが、安心付けるその笑顔に嘘、偽りはなさそうだ。


「では、それで頼む……」


 クロはハウセンの気遣いを、甘んじて申し出る事にした。





 それからクロとハウセンは、屋敷の主要となるあらゆる施設の案内、説明を受けつつ、最後に行き着いたのは屋敷の最上階、幾何学模様と花柄の世界が目を惹く豪奢な二つの部屋を並列させた広い空間だった。


「此方は、本日よりクロ様が宿泊されます、貴賓室、並びに特別室にございます」


 ハウセンの言葉を背後に、クロは今後世話になるであろう部屋を見渡した。

 帝都の町並みを見下ろす壁は全てが厚い硝子によって覆われ、そこに彫られた大きな花柄の刺繍が美しく際立つ。

 室内に置かれた調度品には、寝具、安楽椅子、平机、箪笥がそれぞれ設けられており、どれを取っても他と引けをとらないその精巧さと巧妙さが一つの芸術となり、帝都の技術力が遺憾無く表現されているのが分かる。


「お疲れ様でした。これを持ちまして案内は以上となりますが、何かご不明な点はございますか?」


 室内を見渡すクロに、ハウセンは当初の役目の終点である事を告げた上、質問してくる。

 この屋敷における生活で不明な部分については、彼の洗練された慇懃な案内によって殆どが払拭されたが、少年には唯一確認しておきたい事があった。


「……一つだけ、確認したい」


「はい。何なりと……」


 恐る恐る顔色を窺いながら改まる少年の態度に、老人は優しく受け止める。

 そしてその反応に少し気が和らいだクロは、抱えていた質問をしてみた。


「帝都の町を歩いて回りたいのだが、良いだろうか……?」


 一瞬だけ開かれる間。


 不自然な間に息を飲んだ少年は、自らの質問に後悔の念を抱きそうになりながらも、老人ハウセンの表情を観察する。


 すると、彼はその皺と髭に覆われた表情筋を動かす……。


「勿論でございます。まだまだ晩課までお時間がございます故、気晴らしに出歩かれるのも善いでしょう」


 少年には予想しなかった穏やかな答えが返ってきた。


「……いいのか?」


 クロがもう一度訊ねてみると、彼は同じ反応を示しながら。


「はい。ですが、クロ様がお持ち物であるアレクシア王国の剣は、置いて行かれるようお願い申し上げます」


「剣を置いていく……?」


 クロは老人の指示に怪訝と首を傾げる。

 そう、それはこれまでの少年の常識(・・)とは明らかに異なる常識(・・)であった。

 少年が居たアレクシア王国ならば、野盗やならず者等から自らの身を守る為、武器の携行が認められていたのだ。


「はい。我が帝国の法の基に成り立ち、誰もが権力を有する大国。当然不安もありましょうが、どうかご安心下さい。聡明優美であられる皇帝陛下の名の元、絶対的自由と安泰は保証されましょう」


 自由と安泰。


 老人の口から出たその言葉の根元に、クロは半信半疑であったが、出れるというのであれば願ったり叶ったりである。


「……ああ。分かった」


「必要であれば、護衛の者をお付けしますが、如何いたしましょう」


 疑念が拭いきれないまま頷く少年にハウセンが提案するが、その余裕のある表情からは護衛は不要と言わんばかりだ。

 何となく誘導されている様で皮肉だが、クロの答えと差違は無い。


「いや、不要だ。直ぐに出たい……」


 言葉で拒否を述べたクロは、最後にハウセンへと伝える。


「畏まりました。では、屋敷の入り口までお送り致します」


 最後まで付き添う老人の謹厚かつ懇切丁寧な接遇には、親近感の様なものを感じさせる。それには一切の濁りは無く、穏やかで、そして素直だ。


「……その」


「はい……」


 クロはハウセンを見据え、声を出すと、彼は変わらぬ穏やかな表情で迎える。

 対面から案内までのこの僅かな時間で、心のどこかで軟らかな感情を持たせてくれたメルサス、そして彼ハウセンへの感謝の気持ちを伝えたい……。

 そう思った少年はこれを伝えようと言葉に出す。


「……ここまでの案内、本当に感謝する」


 不器用にして無表情から放たれた少年の感謝の言葉には、確かな感情の揺さぶりが感じられた。


 その気持ちを受け止めた老人は答える。


「ありがとうございます……」


 心の籠った老人のたった一つ言葉が返された。 




 そして少年クロは、未だ知らぬ場所、帝都の街中へと足を踏み入れる。




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