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Zagroud Fertezia ~堕ちた英雄と記憶喪失の少年~  作者: ZAGU
第二章『朱き帝国の迷走』【魔科学編】
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琥珀の中の小さな迷い人


 永遠の可能性にして空虚な皇城。


 人智と夢幻の双璧を重ね合わせたかの様な内装は、一歩足を踏みしめる度に驚嘆を隠しきれない。


 アレクシア王国とヒューレンハリア帝国の二国、何故ここまで違いが顕著に表れているのだろうか。


 民意か、思想か、それとも権力か……。


 何れにせよ、この様な驚異的な国を治める皇帝の称号は伊達ではなさそうだ。


「クロ様。ここより先は、どうかお一人でお進みくださいませ……」


 ふと足を止めたメルサスは、あろうことかここで少年の手綱を外し始めた。


「何故だ……?」


 思いもしない饒舌青年の発言に、クロは思わず問い掛ける。

 お喋りな男とはいえ、いざ側を離れられると何だか寂しい……。


 これは我儘だろうか、いや、我儘だろう……。


 皮肉な話ではあるが、今はメルサスに居て欲しい。そう無機質な少年の心のどこかで訴えているのが分かる。


「陛下はクロ様とお話がしたいとのことですので、外野が出る幕ではございません。私はここよりお待ちしております故、どうぞ、ごゆっくり……」


 そう言って深く一礼をし、見送る姿勢を見せるメルサス。

 ゆっくりと出来るという心境ではないが、ここで後戻りも出来ない。


「……そうか」


 一瞬寂しそうな表情をクロは見せるが、それだけで少年の進路が変化する事はない。


「不動の、皇帝……」


 全身に掛かる過剰な力が緊張感の高さを示している。


 目の前には訪問者を待つ幾何学模様の朱い扉が立つ。


 アレクシア王国、そして多くの国や人々を長きに渡って苦しませてきた大国の君主がこの先に居る。



 そんな言い表せない思いに意志を噤ませ、一挙に固唾を飲み干す。



 話せ、そして聞き出せ……ここで進めば何かが変わる筈だ。



 分厚く創られた重厚な扉は、少年の確固たる意志と共に、静かに、そして確実に押し開かれていった。




 ……。




 ……。




 閉じられる扉。


 切り離された閉鎖空間。


 静寂が場を支配する。


 滅多に目にする事の無い貴重な硝子張りの壁からは帝都の朱い街並みが遠目に視認出来る。

 ここは謁見の間なのだろうか、それにしてはよく知る謁見の用途とは異なるように思える程対称的な造りをしていない。

 まるで私的理想を夢で思い描いたかの様な個性的な部屋だ。

 調度品も必要最低限。

 ありとあらゆる不純物を取り除かれた場の中央へと置かれているのは、純白な輝きが豪華な石造りの机とそれを囲む二脚の大きな安楽椅子。

 そして机上には二人分のティーセットが置かれている……そして。



 誰か居る……。



 奥の安楽椅子に座る一人の人物が此方を静観している事に少年は気付く。


 栗色に染まった長めな髪を持ち、一見して優形にも見て取れる一人の男。


 静寂と尊厳を思わせる風貌を全身の装飾品が禍々しく着飾り、仄かな闇に揺らめく鮮緑の眼光が向けられていた。


「……よくぞ来られた」


 沈黙の中、最初に発生したのは男の方だった。彼は表情を一切動かすこと無く、少年を真っ直ぐに見続けている。



 この人物が……。



 そう、この男こそ、メルサスが熱く語っていた人物。


 ヒューレンハリア帝国、第八十七代皇帝リグルド・ロベリュクセル・ド・バーレンハイス。



 またの名を『不動の皇帝』。



 彼の正体を悟った瞬間に込み上げてくる異様な緊張感。

 リリアンも一国の王女ではあるが、彼はそれとは明らかに存在感が異なっていた。


 目にしただけで感じられる聡明さに威風堂々たる風情。


 同じ国の君主でもここまで違うものなのだろうか……。


「どうやら、態々此方から名を名乗る必然もなさそうだ……」


 少年の考えを見抜いたのか、目の前の男は紹介を省き、安楽椅子へと優雅に身を委ねたまま姿勢を一切変えていない。

 一筋縄ではいかなさそうだ……。


「長旅で喉が渇いただろう。今紅茶を淹れよう……」


 労いの言葉と共に目の前の皇帝は、机上に置かれた古風なティーポットを二脚のカップへと注ぎ入れ始める。


「……不動の、皇帝」


 そんな中、少年が張り詰め、佇みながら()の称号を口にすると、リグルドは感情の変化を見せる事無くティーポットを手際よく動かしながら反応する。


「また……、メルが余計な事を言っていたのかな。まったく、あの道化の小舅(こじゅうと)は少々気品に欠ける」


 それは否定できない。

 あの様な貴族はこれまで見たことがない……いや、ここは少年が浅はかな知恵で解釈する話ではないだろう。


「……?」


 ふと男の手が差し伸べられる。


 クロは、咄嗟な彼の動きに少し動揺を見せるも、その手が差す先に視線を向けると、そこには無人の安楽椅子が一脚。


「……先ずは座られよ」


 一瞬の抵抗感が少年の体を押し留める。


 しかし、それから動かないリグルドの無言の催促に、クロは一歩一歩、慎重に歩み始めた。


 徐々に距離を詰め、気付けば椅子は目の前。


 前を見れば、一向に表情を変えないリグルドの視線が座れと言っていた。


「失礼、する……」


 思わず口にする少年の礼儀動令。

 そして恐る恐るその安楽椅子へ座ってみると、弾力性のある羽毛の様な柔らかな感覚が来た。それは雲の上を連想させ、優しく少年の小さな体を受け止める。


「心地好かろう……」


 感想を訊ねるリグルドの不意な好奇心。

 本題に入らず、気が緩む話題の振り様。

 彼の考えている事がまるで読み取れない。


「……あ、あぁ」


 渋々と答える少年の感想を受けた彼は、ふと口の両端を吊り上げ、中身の満たされた一脚のティーカップを差し出す。


 淡い琥珀色が純白のドームで煌めく。

 立ち上がる湯気と共に鼻を心地良く撫でるこの仄かに甘い香り……恐らくは花等の植物からエキスを抽出して拵えた飲み物だろう。顔を近付けているだけで鎮静感覚に溺れてしまいそうだ。


「これは貴重な紅茶だ。今の貴殿に最も相応しいと思ってね、気に入ってくれるといいのだが……」


 使用人ではなく、皇帝自らが注ぎ淹れ、感想を期待する。

 一体何のつもりだろうか……それとも、これが彼の日常なのか。


「……」


 黙ってティーカップを手に取るクロは、中身の紅茶を見下ろす。


 琥珀色の世界に浮かび上がる無機質な少年の幼い表情は、何処か……何処かとても孤独に満ちていた。


 それは虚しく、そして空っぽな殻の中身を覗き込んでいるようで、淋しそうだ……。



 これは本当に自分なのだろうか。



 まるで別の人物を見ているかの様に他人事で、いい加減で……。


「綺麗な色であろう。この芸術を生み出すアステナという花は、別名『琥珀の夢』の名で知られていてね。時期、場所共に不規則に自生する珍しいものだ」


「……琥珀の、夢」


 リグルドの説明に耳を傾けていたクロはそう小さく復唱し、紅茶を口元へと運んで舌に絡ませる……すると。


「……っ」


 かなり強い刺激の様なものが押し寄せてきた。しかしそれは一瞬の間で、直ぐに酸味の少ない甘いものへと変化していく。

 優しさと豊かさを兼ね備え、複数の風味が入り交じり、賑やかで不思議なその味は、軈て時間と共に跡形も無く消え去っていった。

 とても印象的で美味な飲み物だが、正直、虚しさだけが残る。


 そっとティーカップを机上へと置いたクロは、視線を紅茶から外さぬまま口を開く。


「……私は」

「私は何故此所に居る……といったところかな?」


 ふと少年の言葉に対し、重ねる様にしてリグルドが声を発してきた。

 驚いた様子で顔を上げるクロに、彼は言葉を続ける。


「事の概要はフォレストル公から聞いている筈ではあるが、……その様子ではやはり納得には至らぬ様だな」


 そう言って肩を竦めたリグルドは、安楽椅子から動く事無く、少年へと伝える。


「……しかしながら神の子よ。それは貴殿の価値観で納得する為だけの話では留まらぬのだ」

 

 彼から突き付けられたその言葉が何を意味しているのか、それは少年が持つ個性的な理念を否定するものだった。


「忘れろと……言うのか」


 表情空虚にして険しさを感じさせる少年の目付きがリグルドへと向けられる。

 そんな極端にも受け取れるクロの発言を、彼は静謐と答える。


「それは詭弁な論じ方だろう。私が貴殿に伝えたい事……それは待て(・・)、という事だ……」



 待て……?



 リグルドの口から出た答えに、少年は不信感を抱く。

 だが冷静に考えてみれば、彼の指摘の通り、自分は周りが見えている様で見えていないのかもしれない。


 優しさという名の我儘。


 無機質な少年の意思は、気付けば道無き盲目の闇へと光を閉ざしながら迷走を続けているのかもしれない。


 これは、他人を思う事ではないのか……。だとすれば、何が正解なのだ。


 すると、そんなクロを察してか、リグルドの話は続く。


「物事には頃合いがある。機会とは必然になく、自ら捉えるもの……良しに捉え、良しに磨き、良しに計う」


 随分と難しい言い回しをするが、彼の言葉には強い説得力の様なものを感じた。

 相手は帝国の支配者。

 これは、真に少年へと伝えたい言葉なのだろうか。


「そして貴殿が持つ無類の色を輝かせ、そして功徳への可能性を秘めよ。何が善で、何が否かを……」


「……!?」


 この時、クロの背筋に何かが走るような感覚が襲った。

 それは、いつしか決意した少年の意思を掻き立てるものだった。


 このリグルドという男は、最初から少年の事を知っていて話しているのか……。


 分からなかった……。


「貴殿は未だ迷っている。今一度気を鎮め、考えが纏まった時、再び私の元へと訪れるがいい……」


 静謐と綻びを見せながらクロを言葉で撫でるリグルド。

 その優しさに満ちた彼の言葉は、まるで我が子を思う父の御告げの様に深く、考えさせられるものだった。


「……」


 沈黙を見せるクロ。

 それは翼を失った鳥が如く、意思の歪みを意味していた。


「フォレストル公よ……」


 ふと、リグルドが公爵の名を口にすると、それに応じる様に部屋の扉が開かれ、メルサスが姿を見せた。


「なんなりと、陛下」


 これまでの高揚感とは打って変わって、尊敬と敬意溢れる態度で君主の命を待つメルサスに、リグルドが視線を向ける。


「お連れしろ。彼は私の大切な賓客だ、くれぐれも粗相の無きよう……」


 そうリグルドがクロの退室を指示する。



 話はこれで終わりなのか……。



 いや、違う……。



 少年は一人自問自答を始め。

 そして結論へと辿り着く。




『話にならないのだ……』




 元より舞台は無かったのだ。

 これでは文字通りの盲目(・・)だ……。


「クロ様。此方へ……」


 沈黙するクロの耳元で同行を促すメルサスの穏やかな声。


「……あぁ」


 混沌の狭間から漸く出された声は小さく、弱々しいものであった。


 そして少年の意思は、メルサスに連れられながらその道無き道の迷走に幕を閉ざし、閉まる扉の彼方へと消えていった。




 ……。




 ……。








 ……。




 ……。





「……これで満足かな」


 謁見を終え、再び静寂を生む室内にて独りを飾る中、リグルドが声を立てる。

 無論、今の部屋には彼以外に人など存在しない。

 しかし、無にも見えた空間からは、リグルドの呼び掛けに応じる様にしてそれは反応する。


「充分です……陛下」

 

 渋く、そして緩慢な低い声が背後から聞こえてくる。

 深部の空間に灯る金色の二つの光。

 それは一人の肉体を創造しながらリグルドへと距離を詰めてきた。


 声の正体。それは純白の毛で頭部を覆った人物だった。

 一見して老人にも見えるが、毛量の間隙から浮かび上がる肌は、まだ皺が浅く、活力が僅かに残る初老といったところだ。


「この私をパイプ代わりにするとは……随分な横暴策と出たものだな」


 表情こそ変わらぬものの、リグルドの口調は不快感を露にするものだった。

 しかし、初老はそんな青二才の感情を逆撫でする様に言葉をなぞらせる。


「陛下は最も影響力の強きお方。御方の発言こそ、万物は帝国の全てと認知しております……。あの子が真の理を知るには、儂の存在は邪魔と捉えましょう」


「老骨の戯れか……それとも」


 呆れた様に息を吐くリグルドに、初老の男は灯る金色の瞳を白い毛で覆い隠しながら俯く。


「単なる幻想でございます……今のところは(・・・・・・)


 不穏な初老が唱える序章の一ページ目は、妄言たる冒頭と共に手を広げ始めた……。

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