覚醒と潰滅
遥か奥の彼方。
酷く寂れたその巨大な部屋は、幕を閉じた歴史の様に朽果てていた。
どこもかしこも原型を保てず、奇々怪々とした風情が際立つ広袤大な空間の中央に、それはあった。
虹色に輝く石の様な物は、人の背丈を遥かに越える程に大きく、一際その異彩な輝きを放ちながら堂々と宙へ浮かんでいた。
「さぁ、いよいよです……」
巨大な石を前に、貴族風の身なりをした中年の男が両手を広げ、期待の声を漏らす。
「その様な事をして何になると言うのだ。ドラノフ……」
「無論。新たなる時代の幕開けです……陛下」
そう言って自らの理想論を夢見るドラノフが視線を送る先には二人の人物がいた。
陛下と呼ばれた白髪の老人オルクバルトに、もう一人は金色の長髪を持つ若い女性リリアンだ。
「お父様。このままでは……」
二人は、丈夫な縄で頑丈に両手を結ばれ、身動きがとれない状況だった。
事態の緊迫感に、焦りを覚えたリリアンは、此方を見張るドラノフの配下らしき兵士を睨み付ける。
「分かっておる……」
お父様と呼ぶリリアンに、オルクバルトは己の既知を返すと、正面に立つドラノフを見やる。
「ドラノフよ、今一度考え直すのだ。強欲と執念に尽くせば、後悔を生むぞ……!」
「まだ私に弁論を請うおつもりですか。人類が踏み出す、偉大なる進化だと云うのに、陛下も随分と気骨のお強いお方だ……」
老人の訴えを、自らの理想論を盾に詭弁と見立てたドラノフは、背後に浮かび上がる巨大な石へと視線を送る。
「ご覧下さい陛下。これこそ、神々の真髄とも云うべき存在。帝国に畏怖する時代は、これで終わりを迎えるのです」
「愚かな真似は止めぬか!……それをやれば、世界の均衡は崩落を招くのだぞ!」
渾身の力で吼えるオルクバルトを、ドラノフは慢侮とも云える態度であしらうと、左手を向ける。
よく見ると、差し向けられた彼の左手の指には、異様な形状をした指輪が嵌められていた。
「囂しいですな……」
ドラノフが冷酷な表情で言葉を吐き捨てると、その指輪は禍々しい光を放ちながら魔法陣にも似た模様を浮かばせた。
「ぐぬぅ……!」
突然光を帯びた老人は、奪われ始める体力に声を唸らせた。
「お父様!」
過呼吸にも近い老人の挙動に、リリアンは我が身の様に声を震わせた。
「……ふむ、あまりやり過ぎては折角の素材も形無しか。あまり魔科学の力を見くびってもらっては困りますぞ」
過剰行使によるリスクを感じたドラノフは、彼等に対して格の違いを教示すると、指に納まる指輪を見ながら満足気に頷いた。
「どうやら、出来栄えは上々のようですな……」
「よ、よすのだ……ドラノフ……!」
そんなドラノフを、オルクバルトは懸命な訴えで止めようと足掻く。
しかし、彼の反応はもう目に見えて明瞭だった。
「弁明の余地はありませんな……。……では、これで最期です、陛下、そしてリリアン殿下」
あくまで意思を変えるつもりの無いドラノフは、口惜しそうに匙を投げると、態度を変え、振り返る。
迫り来る傾危之士の強欲因果。
静かに両手を石へと翳したドラノフは、意識を集中させ、口を開く。
「光明たるは我が主よ。潜在の時満ち足りて、契約たる者の灯火の方舟となり、新たなる生誕への呼び掛けに応じよ!」
詠唱を終えると、一瞬の合間が開く。
沈黙を貫くかに見えた石は、その指輪と共に突然、彼の呼び掛けに反応するかの様に光を放ち始めた。
「おお……!成功だ……成功した!」
歓喜に満ちるドラノフの表情。
次に彼が求めるものは決まっている。
「さあ、神々の大聖石よ。今一度、正しき導き手を選び、愚劣なかの者の力を我が身に!」
欲望溢れるドラノフの願望。
大聖石に閃光を走らせると共に現れたのは幾つもの文字が浮かぶ白銀の魔法陣だった。
それは、一瞬にして二人を囲むと、まるで共鳴しているかの如く、大聖石と共にその光で輝かせた。
「ああぁっ!」「ぐうぅぅっ!」
全身が張り裂けるかの様な激痛に、二人は重く、痛烈な悲鳴を上げた。
動かそうとも体が意思に従わない。
「リ……リアンッ……!」
そんな中、オルクバルトは硬直する腕を伸ばし、背後に座る我が娘の手を握り締めた。
「……!?」
手を取られたリリアンは目を見開き、父の姿を横目に見ると、誰にも聞こえない声で囁く。
「私へ意思を傾け、力を……力を抜くのだ……」
「お父……様」
苦痛に歪ませた老人の声は、決して彼女にとって希望に至るものでは無かった。
驚きと悲しみが交わったリリアンは、小さく呟いた。
「おおお!素晴らしい!……これが、これが神々の力!」
一方、二人の肉体と大聖石が共に光を帯びる光景を目に感嘆の声を上げたドラノフは、期待に顔を埋めていた。
「これが魔科学と神の併合!やはり彼等の言う事は正しかったのだ!私の、私の理論に狂いは無かった!」
第三の存在を匂わせたドラノフの雄叫びは、追い求めていた理想像への完成を示唆させていた。
だが、それもそう容易くは無い。
それは、望む者には望まない者も居るからだ。
「……!?」
ふと背後から響く金属の落下音。
突然の出来事にドラノフは素早く振り返ると、王族を見張っていた筈の兵士は、皆力無く倒れ、その場で意識を閉ざしていた。
彼等の背中に刺さる矢に帯びた光は、孤独なまま潰える生命の如く消えていくと、それが魔力による物だと直ぐに判断出来た。
「な、何事だ!」
警戒したドラノフは、矢が飛翔してきた方向へと注意を向けると、それは彼にとって予想を覆す光景だった。
弓を構えるエルフの女性。
それだけじゃない、黒髪の少年に鎧の女性、槍を持った男の姿もあり、ドラノフを見据えていた。
「そこまでだ!ドラノフ!」
最初に空間を響かせる程の怒声を放ったのは、鎧に身を包んだ女性ロザリアだった。
「……ロザリア!?」
魔法陣による長い重圧によって薄れる意識の中、リリアンはその狭まる視界でロザリアの姿を確認した。
「な、何故貴様等が此所に!?……ええい!ディオルは一体何をしているのだ!」
神の子の一行が現れた事に困惑したドラノフは、この場の権力を維持しようと死神の名に縋る。
しかし、その呼び掛けに応じる事も虚しく、壁と壁を共鳴させながらその肉声を失っていった。
「ま、まさか……」
状況が漸く把握出来てきたドラノフは、ディオルという盾役が消えた事に、思わず後退り始める。
「術式が起動してしまっています。これでは解除が……」
遠目にオルクバルトとリリアンの二人の状況を見たリーシェは、言葉を詰まらせた。
「くっ……間に合わないと言うのか」
助けられないなんて考えられない。
その一心に感情を滾らせたロザリアは、リーシェの言葉に否定的な物言いで苦虫を噛み潰した。
「……神殿に納められているクロメニア大聖石の力の行使は、神々が認めた新しい契約者にのみ権力が与えられます……ですがこれでは」
これでは、あのドラノフを神々が認めたという事になる。
状況が読めず、混乱ばかりが脳内を巡回してしまう。
「神々が認める男に、解除不可能な術式……」
リーシェの言葉に、クロは手足が出せないもどかしさに動きを止められた。
そんな姿に、ドラノフは仁王立ちのまま静かに視線を落とすと、様子が一変する。
「……く、ふふふ」
「……?」
ドラノフの態度の豹変ぶりに、警戒したクロ達がそれぞれに身構える中、彼は高らかに声を上げる。
「はっはっはっはっ!馬鹿め!もう遅いわ!愚蒙な乞丐人共め!」
クロ達に盛大に罵声を浴びせたドラノフは、リーシェを指差す。
「如何にも。そこのエルフの娘が言う通り、一度起動したこの術式は誰にも止められない!」
そこで目の前で牙を向ける面々を遠目に拝んだドラノフは、その中からクロを姿を目にして何やら頷きだす。
「正直、貴殿方が現れたのは想定外でしたが、一度逃した筈の神の子が居るのであれば好都合……」
大聖石の光を背に両手を広げたドラノフは、禍々しい光で存在感を示す指輪を横に、誇らしげに表情を緩ませた。
「この場で神の子諸とも、我が力の糧にしてくれるわ!」
そう言って興奮に身を委ねた様子で右手を振り払い、自身が期待する展開を顕示した。
「くっ……!何とかならないのかよ!」
悪化する状況に、焦りを覚えたジルクリードが解決策を求める。
「……ですが」
そこから紡がれた切り返しの言葉。
周囲が視線を向けられたリーシェは、静かにドラノフを見据えた。
「……それは神殿でのお話です」
誰もが活路の見えない緊迫感に身動きが取れずにいる最中、単騎で否定の言葉を掛けたリーシェに、クロはふと新しい記憶を辿る。
「神殿での話……神殿、だけの……」
突然放った彼女の言葉は、記憶に新しかった。そう、この神殿に入って間もない時だ。
そして少年は思い出す。
この神殿は、神殿ではないという事に……。
「何を今更……、命乞いとなると言動も醜く滅裂ですな」
リーシェは、そんな余裕に居座るドラノフから視線を逸らす事無く前へと踏み出す。
「この神殿に纏わる、古いお話をご存じですか……?」
彼女の口から問われた内容に、ドラノフは鼻で笑う。
「唐突に……気でも狂ったか……?」
「いいえ……。ただ、真実をお伝えしたかったんです」
彼の悪態に動じない彼女の真っ直ぐな眼差しに、ドラノフは違和感を感じ始める。
「何だと……?」
「……その昔、一匹の竜がこの地に住んでいました。天高く突き抜ける山で魅せるその竜を、竜神アガベラスと勘違いをした人々が、沢山の食べ物と宝石を与えていきました」
淡々と語られる神殿への軌跡は、ドラノフにとって次第に違和感から不信感へと変わる。
「しかし、そんな竜を見た龍神グラドキアスは、こう言いました。……『神の豊饒を忘れた愚かな竜め、その廉価な魂ごと、身を時の淵へと閉ざすがいい』と……そう言って竜を石にしてしまいます」
「……龍神、グラドキアス」
言葉を紡いでいく歴史が語られる中で、クロは竜神の名に聞き覚えがある気がした。
誰かは分からないが、大きな神の一人であると直ぐに悟れる。
「そ、それは……」
軈て動揺を見せたドラノフは、視線を転々とさせているが、リーシェの言葉は尚も続く。
「そして龍神グラドキアスは、我を非として当う者は吾が師なりと伝え、ある一つの石を残していきました……」
「その石って……」
そして皆がその事実に気付いた。
浮かび上がる結末に、ジルクリードが思わずドラノフの背後に浮かぶ大聖石を見据える。
「……は、はったりだ!……これは神々の力を司るクロメニア大聖石!あのメルキア教が教示している事だ!今更嘘が過ぎるわ!……!?」
自らの固定観念を揺るがさずに吼えるドラノフの背後で、亀裂が入る音が響いた。
慌てて振り返るドラノフの目に写った物は、次々と亀裂が入る大聖石の姿だった。
「ど、どうした……!?何が起きている!?」
慌てふためくドラノフは、悲鳴を上げる大聖石を止める手段も無く狼狽える。
「そしてその石の名前は……」
そこで一度言葉を切ったリーシェは、僅かな躊躇いの末、こう言う。
「封印の石、メリオン大聖石……」
金属音にも近い高い音と共に、細かな欠片となって散っていく大聖石を目にしたドラノフは、声にもならない音を漏らす。
「があぁ……!?」
彼の足元に散らばる大聖石の欠片は、命の灯火の如くその光を失っていった。
「大聖石が……!」
事の展開に、ジルクリードやロザリアも驚きを隠せない様子だった。
そして、同じくそれを見ていたクロも。
「きっ、貴様等!な、何をしている!?早く!早く集めんかあぁ!」
暫く立ち尽くしていたドラノフは、突然理性を失った動物の如く地を這いつくばうと、散らばる大聖石の欠片を必死にかき集め始めた。
「私の!私の努力があぁ!」
未だかつて見たことの無いドラノフの無様な姿に、呆然としていたロザリアは、ふと我に帰ると、役目を終えて消えた魔法陣の位置で横たわる王族の二人へと駆け出す。
「……!陛下、リリアン様!」
「待って下さい!」
二人の安否確認を急ぐロザリアの手を、リーシェが掴んで引き止める。
「リーシェ!何故止める!」
「今動いては危険です!」
吼えるロザリアの手を、リーシェが両手で強く掴みながら阻止しようと訴えると、それは起きた。
「……!?」
突如として来た地響きは、激しい揺れとなって場にいた全員の平衡感覚を奪い始める。
「何だ!?」
巨人の唸りにも聞こえる強い轟音に、ジルクリードは周囲を見渡しながら発生の原因を探る。
「何か来る……」
クロは、揺れ動く大地の中で近くなる大きな気配に、警戒心を強めて周囲に注意を促してから、それは直ぐだった。
「なっ……!?」
噴火の如く吹き上がる岩と共に目の前に広がる異様な光景。
それは、誰もが目を疑う物だった。
「……はぁはぁ、ふふふ……今直してあげますからねぇ……」
未だに四つん這いになっていたドラノフは、かき集めた大聖石の欠片を見て満足気に笑うと、漸く自身が置かされている状況に気付く。
「……あ?」
ドラノフの視界を被う物体、それは巨大な一つの手だった。
四つの指に鋭い爪、全体を屈強な鱗で覆われたそれは、爬虫類に類したものだった。
それからその手は、まるで紙を破るかの如く、容易く分厚い石の床を崩した。
「ばっ、馬鹿なあぁ!私の、私の世界があぁ!」
崩落する石と共に鳴り響く理想主義。
ドラノフは、崩落する祠の欠片と共に、その身を闇の底へと落としていくと、声は小さくなり、軈て消えていった。
「あれは……」
姿を見せる巨体。
クロ達の前へと現れたのは、剰りにも大きい存在だった。
全身を漆黒の鱗で覆った体に、大地を丸ごと包み込めるかの様な巨大な翼。そして、長い首で支える頭部に灯った金色の眼光は鋭く此方へと向けられる。
「こ、古龍……だと」
ロザリアが古龍と呼ぶその存在は、鋭利な程に力強い眼球でクロ達を観察していると、静かに口を開き始める。
『我が名は暗黒竜ジルガハント……。我が身を時の揺り篭へと還した事、感謝する……』
ジルガハントと名乗ったその古龍は、言葉が大地と同化しているかの様に重く、深く、轟いていた。
「お、おい、この竜喋ったぞ!?」
流石に竜が口を聞くという不透明な事態に、ジルクリードが驚きを見せる。
「……」
クロは、神の如く絶対的存在感を表すジルガハントを見上げ、その金色の眼球を凝視した。
『……紅玉の瞳、内に秘める力の数々、その身、神の子であるとお見受けする』
此方を見上げるクロの正体に気付いたジルガハントは、感心した様子を見せながらまるで少年の内部を覗き込んだ様な口振りを見せてきた。
『……だがその身、混沌と認識した』
何と言ったのだろう。
胸中に渦巻く疑念。
少年は、幾多も重なる疑問の中、今訊きたい情報だけを問い掛ける。
「混沌……?どういう事だ……」
『それは、自身に潜むもの……』
ジルガハントは、答えを示す事なく、抽象的な暗示を揶揄させながらその巨大な翼を広げた。
「待て、教えてくれ……!私は一体……」
『軈て解に至れし時、世の運命が見えるであろう……』
懸命に聞き出そうとするクロに、ただ事の顛末のみを語ったジルガハントは、そのまま暴風を吹き荒らしながら翼を羽ばたかせ、その巨体を浮かばせた。
「くっ……」
風の暴力に、視界を確保する事で精一杯なクロ達を宙から見下ろす。
『去らばだ……人の子よ』
最後に辞別の言葉を残したジルガハントは、外見とは想像がつかない速さで巨体を捻らせ、崩落した神殿の穴から闇夜へと飛び去っていった。
瞬く間に彼の姿が消えると、後から凄まじい暴風が体を殴り付けてくる。
「……!」
驚く程に場が静まり返る。
古龍の暴風は過ぎ去り、舞い上がった塵が霧の様に立ち込める中、クロは目を細めたまま古龍が去った方向を見据え続けた。
「……暗黒竜ジルガハント……」
突然だった龍の出現は、目撃者であるクロ達全員に衝撃を走らせた。
呆然とした空気が漂うと、ふとロザリアは奥に居る二人の存在に気付き、走り出した。
「……陛下、リリアン様!」
クロ達もまたロザリアと共に二人の元へと駆け寄る。
ドラノフが発動させていた術式の痕跡はもう無い、後は無事であるかの安否だ。
見たところ外傷は無い、だが……。
「こ、これは……」
ロザリアを初め、クロやジルクリードも、彼の状態に衝撃が走る。
「……ぅん」
そんな中、一時的に意識を奪われていたリリアンが目を覚ますと、不安に表情を歪ませたロザリアが視界へと入ってくる。
「……ロザ、リア?」
静かに上体を起こしたリリアンは、強い頭痛に頭を支えると、徐々に戻る記憶に目を見開いた。
「……!お父様は!?」
リリアンは、共に居た実の父を確認しようと急いで振り返る。
だが、彼女が見た父の姿は、剰りにも見るに堪えないものだった。
「……」
凍り付く彼女の表情。
視界に横たわる彼の体は酷く痩せ細り、乾燥した肉体からは、微塵も生気が感じられない。
彼は白く濁った眼球を剥き出しながらも、娘の方を向いたままだった。
「お父様は……」
誰もが視線を落とす中、リリアンは父の亡骸へと寄り添いながら未だ灯る僅な希望を胸に口を開く。
「お父様は治せるのですよね?ロザリア、正直に仰ってください!」
「リリアン様……」
涙目に父の回復を願う娘の姿に、ロザリアは口をつぐむ他無かった。
「……ロザリア」
「……陛下は、術式による強制吸収を阻害しようと、身を削って貴女への負担を無くしたのだと思います」
リーシェは、アレクシア国王オルクバルト三世が持つ神々の力によるものだと示唆し、彼女へと伝えた。
「そんな……」
変えようのない事実を宣告されたリリアンの頬に、大粒の涙が伝い始める。
「……申し訳ありません、私が……居ておきながら」
悲愴に表情が歪ませるリリアンの姿を見たリーシェは、悔しさに声を絞らせ、両手を力一杯握り締めた。
そんな悲しみに満ちたリーシェの言葉に、リリアンは次第に胸の中から込み上げる感情によって理性を崩壊させた。
「……いやああぁぁぁっ!」
老人の肉体に顔を埋めた彼女は、激しく、そして激しく、力の限り泣き叫んだ。
静寂に包まれた空間に鳴り響く彼女の悲歎は、無数の叫哭となって何度も壁と壁を交響していった。
何度も、何度も……。




