その兆しへ
古ぼけた薄暗い室内で接触したのは、エルザという名を持つ少女率いる情報屋だった。
ジルクリードという犠牲を払いつつも、交渉は成立。話は順調に進み始めていた。
「勝手に殺すな……」
ジルクリードは小さな円卓を前に、リーシェから怪我の手当てを受けながらブレイスの皮肉を真顔で突き返した。
「冗談だって。前言撤回するよ、親友!」
ここで親友呼ばわりしてくるブレイスに若干の苛立ちを覚えつつも、今回の怪我を招いた自分自身の軽率な判断を恨む。
「槍の男、話は理解したか?」
そして目の前にいるこの鎧の少女、エルザがジルクリードを蔑んだような目で見ながら提供された情報の内容の理解度を確認してきた。
「ああバッチリだよ。一から百に至るまで全部な」
「本当なんだな?」
急に少女がジルクリードに攻めよりながら攻撃的に問い詰める。
「あ、ああ。大丈夫です、本当……はい」
これには堪らずジルクリードも無抵抗のサインを両手で表しながら何度も頷いた。どうやら先程のトラウマが脳裏を過ったらしい。
「ふん、……では望みの情報を与えたところで、貴様等に朗報だ」
エルザが軽く息を吐いて元の椅子へと腰をかけると、話を戻す。
「朗報……?」
クロは疑問を持ちつつ、無表情で少女を見据える。
「ああ。……連れてこい」
そう言ってエルザは後ろに控える男達に手で合図を送ると、彼等は部屋の奥へと向かう。
何を始めるつもりかは分からないが、警戒の意識を切らすに越したことはないだろう。
「……?」
軈て男達が戻って来ると、彼等は縄で手足を拘束された男を引きずってきた。
よく見ると、その男は先程路地裏で襲い掛かってきた覆面の人々と同じ格好だ。
恐らくは捕虜といったところだろう。彼等は激しく体をくねらせながら抵抗するが、手足の自由を奪われていてはそれもかなわない。おまけに口にも縄が強固に縛られている為、唾液まみれだ。
「彼は……」
「昨晩からこの一帯をうろうろしていた奴等の一人だ。高貴な取引をしてくれた礼というものだな」
状況に少々戸惑うクロに対し、エルザが床上に放り込まれて必死にもがく男を横目に見ながら、事情を軽く説明した。
「喋らせてやれ」
目で訴えながら唸る男を見兼ねたエルザが、口を封じている縄をほどくよう指示すると、彼は漸く言論の自由が許された。
「ぶあはっ!……くっ、こんな事をして、ただで済むと思うなよ!」
やはり敵意剥き出しの様だ。
彼は物凄い目力でエルザとその配下を睨み付けている。
「……どうするつもりだ」
ここで彼を手放せば何をし始めるか分からない。そんな負の要素が、クロに更なる警戒心を煽る。
「ふふふ、それは後に分かる……嫌でもな」
不気味に笑いながら今後の展開を待望していると、座っていたエルザがふと椅子から飛び降りて男に歩み寄る。
「な、なんだよ……」
男は、地面に押さえつけられた体勢で接近してくるエルザを警戒していると、少女はその場でしゃがみこむ。
「男よ、話をしようじゃないか」
男は、かなりのローアングルでエルザを見上げる様な体勢ながらも、鼻で笑って見せた。
「ふん、貴様等と話すことは何一つ無いな、劣等民共め」
「先程のは話ではないのか……?」
そこでクロは細かい疑問を男に投げる。
まだまだ発展途上である少年にとって、細かいところ一つ一つが気になるのだろう。
「ええい!人の揚げ足を取るな!神の子よ!あっ……」
そこで癇に障った男が『神の子』まで口にすると、透かさず口をつむぐ。
「ほう。神の子の存在を認識していたか。……知っているのはごく一部の連中だけだと思っていたが」
……まずい。
思わず感情的になってしまった自分を恨んだ男は、内心で呟くと、沈黙を貫き通そうと目を逸らす。
「さっさと話せ。ドラノフの命で来たのか?それともロマネス教か?」
少々威圧的に問い詰めるエルザの様子からして一歩も引き下がる気はなさそうだ。
対する男も顔を背けるが、額には汗がびっしりと伝っている。
「よし、いいだろう。お前がその気ならば強制的に訊き出すのみだ」
暫く男の様子を伺っていたエルザは、吹っ切れたかの様に立ち上がると、踵を返していく。
離れていく少女の圧力に、思わずその小さな背中姿へと振り返った男は、次なる尋問に恐怖感を覚える。
「キューレスト」
「はぁーい」
エルザが左手をすっと上げながら何者かの名前を呼ぶと、奥の集団から艶かしい口調と共にその姿を現す。
「なんだあれは……」
クロは、集団から姿を現した人物を目にして思わず目を細める。
屈強にして筋骨隆々とした巨体を持つその人物は、正しく男性そのものであった。彼の圧倒的な筋肉量は、あのハウゼンに後れを取らない程といってもいいだろう。
そんなキューレストの名を持つ大男は、体をくねらせながら拘束されている男へと徐々に歩み寄っていく。
「あなたよく見ると綺麗な体しているわね。とっても美味しそうだわぁ」
巨体は、男を舐め回す様にして見ると、うっとりと目を輝かせる。ただし、男だ。
「よ、よせ……。くっ、来るな!」
本能的に拒絶反応を起こした男は、青ざめた表情で芋虫の如く体を何度も反らしながら大男と距離を取ろうとする。
しかし運命はそれを許さなかった。
巨体は女々しい口調でその両手を男の体へと這いずらせながら身を寄せる。ただし、男だ。
「駄目よ。ボスがあたしにくれたんだもの」
「ひ、ひいぃっ!?」
同時に頬に来る分厚い髭の感触と共に耳元で呟かれた男は、声にならない何かを出す。そして……。
「モウ、ニガサナイワ」
「ああぁぁぁっ!」
……
男の断末魔の様な悲鳴は、瞬く間に静謐な路地裏を支配していった。
それからして、事態は終息した。
床上に転がる半裸の男は、白目を剥き出しにしながら意識を失っている。彼の様子は見るだけでその精神状態を容易に伺える程に無様だ。
「吐いたぞ。王族の手掛かりだ」
気絶している男の側から立ち上がったエルザは、何やら笑みを浮かべている。
「な、何て言っていたんだ!」
エルザは、答えを急ぐジルクリードの横を無言で通り抜け、自身が座っていた椅子へと飛び乗る。そしてクロ達三人の様子を伺い、静かに口を開いた。
「北の方向だな」
ここより北の方向となると、天を穿つかの様な高さを持つ巨大な山脈がある。それに、その麓には、クロが最初にいた『イスラの街』がある方角だ。
「イスラの街……」
クロは、方角から自身が思い出せる記憶の引き出しを引いていき、小さく呟く。
「イスラの街っていうと、クロがいたっつうところか……」
ふと上を見上げたジルクリードもまた、あの時の記憶が甦る。そしてエルザがそれを頷いて肯定すると、補足する。
「あの街は、アレクシア王国で最もエルキア教の信仰が強いところになる。そして、彼等の信仰をよく思わない連中が一番に潰そうと狙っていた場所でもあるな……」
「神聖ロマネス教……ですか?」
業とらしいエルザの遠回しな言い方に、リーシェが該当する組織の名を言う。
「ああ。神聖ロマネス教は、自らの唯一神への絶対的崇拝が強く、その教えを広める為ならば手段を問わない。そんな連中にとって他の宗教であるエルキア教の存在は邪魔なんだろうな」
それには何となくだが、クロにも実感があった。あの時、イスラの街を破壊したのが本当に神聖ロマネス教ならば、あの怪しげなローブを身に纏った集団でほぼ間違いはないだろう。
だが、クロはそこで思い出す。
……邪神の子。
彼等が会話の最中に言っていた『邪神の子』なる言葉に、クロは嫌な違和感を抱き始める。
「……う」
思い出そうとすると直ぐに頭に痛みが走った。まるでそれを知ることを拒絶されているかの様に。
……私は、誰……なのだ。
考えれば考えるほど痛みが増す。少年は、薄れていく自身の存在に疑問を抱こうと、底無し沼へと徐々に沈もうとしていた時、突然それは和らいでいった。
……!?
暖かな感覚。気付くと、リーシェが隣で少年の小さな手を優しく握っていた。
リーシェは、そのままエルザを真っ直ぐに見詰めながら質問をする。
「ドラノフが王族の方々を匿っていた理由というのは、何でしょうか?」
すると少女は、一瞬怪訝な表情をしたが、直ぐに表情を戻した。
「そこにいる神の子と同様、エルキア教の加護を受けているとされている西側諸国の王族もまた、僅かだが神々の力が扱えるとされているな。つまりは……」
エルザはそこで一度言葉を切ると、再度口を開いた。
「能力の利用だ……」
ドラノフは帝国から来た人物だ。彼等がその時、同時に持ち出した帝国の未知数の技術の中から魔力を奪うものもあるのだとしたら、納得がいくかもしれない。
「利用って、そんな事が可能なのかよ。……聞いたこと無いぞ」
にわかには信じられない様子のジルクリードが訝しげな表情を浮かべながら否定的な言葉を口にする。
「それが可能なのだろうな。私もこの目で見たわけでは無いが、帝国が持つ技術の中に魔力転用に等しいものがあると実録がある」
そこでエルザは、ふとリーシェへと視線を向ける。
「リーシェ。ここまで言えば、北の大地に王族が連行された場所に検討がつくだろ?」
この少女は一体何処まで知っているのだろうか?。初対面であるリーシェを相手に、まるで今まで共に行動していたかの様な話し方だ。対するリーシェも、驚きの表情を見せていると、視線をエルザから逸らし、静かに答える。
「……恐らく北の大地。山脈の頂きにあるエリオル神殿です」
エリオル神殿、それはクロの記憶には無かった。いや、思い出せていないだけなのかもしれない。
クロは、なかなか記憶が甦らない自分に情けなさを覚えた。
「エリオル神殿ってなると、聖戦時代より昔に造られたっていうあの不気味な建物か?」
「不気味なのは否定しませんが。……その、そうですね」
率直な感想なのだろう、ジルクリードが顎先を手で摘まみながら記憶の中の神殿の姿をイメージすると、リーシェは何か知っているのか、少々困惑した様子で苦笑いを浮かべる。
「あの神殿は、十二神の一人が祭られているところになる。連中はそこにあるクロメニア大聖石を利用して、王族から神の力とやらを奪うつもりの様だな」
「クロメ……なんかよく分からないが。力を奪われると、どうなるんだ?」
エルザの話を聞いたジルクリードは、騒ぐ緊張感の中、力を奪われた王族の末路を聞くと、リーシェが視線を落とす。
「……クロメニア大聖石は、世界中に広がる魔力の均衡を整える重要な役割を担っています。故にその力は膨大で、神々の力を吸収してしまうと、力の拡散によって王族の方々はおろか、アレクシア王国全域にも被害が広がる可能性は高いと思います」
彼女の口から出た言葉は、犇々とその悲惨な結果を連想させた。
ざわつく室内の中、一番に声を上げたのはジルクリードだった。
「や、やべえじゃねえか!だったらさっさと止めに行かないと!」
「貴様は事を急ぎすぎだな、槍の男。先ずは王宮の解放からだ」
「けどよ!」
エルザの指摘に対しても、引き下がらずにジルクリードが反論する。
確かに緊急性が高いのは王族救出の方になる。これにはクロも槍の男に同意していた。何故だろうか、周りはエルザの言葉に対して肯定的な様子だった。
「ここは聞き分けて下さい、ジルクリードさん。お願いします……」
リーシェもジルクリードを見詰めながら同意を促そうとしていた。彼女の目からは、その真剣さが伝わってくる。
「……り、リーシェ」
困惑するジルクリード。
当然だ。自分の中の常識が悉く崩壊されていくのだから。万人が聞けば殆どがジルクリードに同意するだろう。
そんなジルクリードは、周りに圧されて暫く沈黙すると、乱暴に髪を掻き始める。
「だあぁ!分かったよ!どんな裏話があるか知らねえが、そうする!」
どうやら彼は同意してくれたみたいだ。
「ジル……」
これにはクロも少々ジルクリードに同情していた。
だが、今のクロにはその感情を掲げて反論する力は無い。
「もう異論はないな。では概略だ」
事態が終息したところで、少女は周囲の人々の表情を確認すると、右手を上げて何やら後ろに合図を送る。
すると、背後に控える部下の一人が動き出し、持っていた地図をクロ達とエルザが囲む小さな円卓へと広げる。
「当初、この経路を辿って王宮に侵入し、門一帯の破砕を行って騎士団を内部へ乗り込ませる」
「門……?」
エルザの説明の中で、クロが地図上で示された王宮内の一部を見て疑問の声を上げると、少女は頷く。
「ああ、ここで貴様が必要になるぞ、神の子」
それからエルザは、王宮内の門に当たる位置からロザリア率いる外の騎士団が控えている出口への経路を、地図上でなぞりながら説明する。
「王族の脱出用に造られた古い地下道だ。この門を開けるにはどうしても神の力とやらが必要になる」
「故に私が必要なのか……」
クロはそう言って納得すると、自身の理解を示した。
「騎士団の侵入を確認した後、三人にはエリオル神殿へ向かってもらう。そこで王族を救出する事になるな」
そこで、行動の概略の説明を言い終えたエルザは、ふと椅子を飛び降りてその小さな体を着地させる。
「以上だ!では終課には行動開始するぞ!細かい指示は私が示す」
『示す』?ふとクロは言葉に違和感を覚える。
今の少女の言い方では、まるで共に行動する様な言い方だ。
「いいのか……?」
少年は、エルザに対して質問すると、少女はその容姿からは考えられない不敵な笑みを見せ、こう言った。
「たまには現場で動かなくては、体が鈍るからな。それに、連中には相応の礼がある」
「……」
クロは感じた。表情とは裏腹に、その少女の言葉からは計り知れない程の怒りが含まれている事を。
「貴様等、ここは『もう閉める』ぞ。支度しろ」
そして少女エルザは、 背後のハウゼン達に振り向き、手早く指示を下していき始めた。
「クロ……」
ふと、素早く動き始めるエルザ達を見ていたクロをリーシェが呼び掛ける。
「……?」
呼び掛けに反応したクロは、隣のリーシェを見上げると、彼女はふと懐からある物を手渡してきた。
「魔術紙……?」
クロが受け取ったのは羊皮紙の巻物だった。
だが、魔術紙の作り方は知っていたが、その使用方法までは分からなかい。
そう思って少々困惑するクロに、リーシェは答える。
「必要な時にこれを開いて紋章に意識を集中させて。後は術式を読めばきっと役にたつと思うよ」
術式……?よく分からないが、彼女の言うことには何と無く理解できた気がした。たが、魔術紙を普段使用しないリーシェから渡された事に対する意外性が出てくる。
「……リーシェが作ったのか?」
クロが意外そうな反応を見せつつ問い掛けると、彼女は優しそうに微笑む。
「うん。レスナーさんの御墨付きだから自信は、ちょっとあるかな」
確かにあのレスナーから学んだのならば納得がいく。
そう思い、手に持つ魔術紙を見詰めるクロを、リーシェがふとその小さな頭を撫でた。
「……!?」
あまり撫でられ慣れていなかったクロは、反射的に撫でるリーシェの手を抑えると、彼女は楽しそうに笑い、そして手を戻した。
「……あ、ごめんなさい。わざとじゃないの」
それからリーシェは、ただ此方を見上げるクロを見てこう言った。
「クロ……。貴方だけは、絶対に守るからね」
「……リーシェ?」
何故彼女はそう言ったのか、その真意は分からないが、それは安心させられる程穏やかな表情に満ちていた。
そして、静まり返る王都の闇の中で、大きな反撃の一歩が始まる。




