鉄甲鬼の少女
王宮への侵入に必要な情報を得るために情報屋を訪れた三人は、ジルクリードが傭兵団に所属していた頃の団長、ハウゼンが率いる情報組織との交渉を要求するも、それは拒否された。
理由はこの情報組織を束ねるボスがまだ帰ってきていないからだとの事だ。
何時帰ってくるかも不明なボスの存在に、一刻も早い帰還を願おうとしたところで、一人の訪問者が現れた。
いや、「戻ったぞ」と言っているのだから少なくとも訪問者ではないだろう。
その若い女性の声に気付いた三人は、玄関扉の方向へと目を転じると、少女が一人立っている
見た目は十三、四くらいだろうか、クロと年齢は大して変わらない様に見える。
その少女は、この場には似合わない清潔そうな深い褐色の髪を持ち、艶やかささえ感じられる端麗さだ。
白い肌を灯す瞳は鮮やかな琥珀色に染まり、顔立ちは幼く、とても華奢そうで可愛らしいが、表情はかなり凛々しい。
そんな少女の姿は、上等な革製の衣服を下に、深紅の鎧を装備していた。
胴には装飾が施された丈夫そうな胸当て、左腕部には肩当から手甲にかけてのガントレット、右脚部には腿当から鉄靴までのレッグガードが装着されいる。
「……」
そんな鎧の少女は此方を黙視する。
ボスが不在という話の頃合いで、姿を見せたこの少女が恐らくボスなのだろう。そうクロとリーシェは推測したが、そうに至っていない人物が一名いた。
そう、他ならぬジルクリードだ。
お、女の子……?
彼は、突然現れた鎧の少女を訝しげに見ていると、軈て何を悟ったかの様に表情を和らげる。
「ジル……?」
鎧の少女へと歩み寄るジルクリードの行動を、不審そうにクロが見ていると、彼は膝を曲げて彼女の目線の高さに合わせる。
「君、ここは子供が来るようなところじゃないぞ」
ジルクリードはそう言って少女の小さな頭を優しく撫で始めた。
「お家はどこだ?もう夜だし、早く帰らないとお父さんとお母さんが心配するぞ?」
「おい、……ジル」
少女の頭を撫でながら、優しいお兄さんを演出するジルクリードの姿を見たハウゼンは、ふと呼び掛ける。
「大丈夫ですよ団長!この子は俺が家まで送りますから!」
ハウゼンの意思を先読みしたつもりなのか、ジルクリードなりの温情といったところだろう。
「違うんだジル、その方は……」
ブレイスもまた同じ様な反応を示す。彼だけではない、気付けばこの場にいる全員が此方に焦燥や困惑といった表情を向けていた。
「なんだよ、みんなしてそんな顔……」
そこで彼は気付いた。
背後からただならぬ気配が放たれている事を。
「……し、て」
ジルクリードが視線を戻すと、そこには怒りの表情を露にする、あの鎧の少女が此方を静かに見上げていた。
「ぶっ!?」
次の瞬間、腸が押し潰されるかの様な激しい鈍痛が、衝撃と共にジルクリードを襲った。どうやら蹴り込まれた様だ。
鎧の少女が放った回し蹴りは、目にも止まらぬ早さで彼の腹部へ沈むと、そのまま奥のカウンターの中へと突っ込んでいった。
一つのカウンターだった木製のそれは、細かな木片となりながら四方へ散らばり、一瞬にして原型を失う。
とても少女とは思えない力だ。
「ご無事で何よりです。姉さん」
ハウゼンは、状況に動揺する仕草ひとつ見せる事なく、何事もなかったかの様に鎧の少女を見て部下一同頭を下げた。
「うむ。貴様等もな」
鎧の少女は陽気な様子で笑みを浮かべながら腰に手を当てると、ふとクロとリーシェの方を見据える。
「そう言えば、以前ハウゼンが言っていた槍の弟子というのはあいつか?」
この少女は知っていて訊いているのだろうか、皮肉たっぷりに見えるが彼女の表情は純粋そのものだ。
「いえ、ジルクリードはあれです」
ハウゼンは、粉砕したカウンターの亡骸の中で横たわりながら泡を吹いて気絶している銀灰食の彼を指差した。
「ふむ。そうか、それは失礼したな。あまりに馴れ馴れしかったから思わず足が出てしまった」
まさか彼とは思っていなかったのか、鎧の少女は神妙な面持ちで詫びの言葉を、軽い悪態と共に口にした。
この女がボスと呼ばれている者か……。
ボスというのは此方に対する建前で、実際に彼等はこの少女を姉さんと呼んでいるみたいだ。
クロがそんな解釈をしながら鎧の少女を観察していると、彼女と目が合う。
すると鎧の少女は、クロの顔を見るなり関心の眼差しへと変わる。
「おお。お前が噂に聞く神の子と言う少年だな?実際に見るのは初めてだ」
そう言って物珍しそうに歩み寄りながら此方の顔を覗き込む少女に、クロは身を引きながら身構える。
顔が近いからだ……。
「安心するがいい、別にとって食べるというわけじゃないからな」
クロの反応が面白かったのか、鎧の少女は冗談半分に軽く笑いながら顔を離す。
見た目は可愛らしいのにとても少女とは思えない貫禄と存在感だ。
ハウゼン達が敬意を示すのもなんとなくだが頷ける。
「さて、名でも名乗っておこうか」
すると、鎧の少女は部下の集団の側まで寄ると、くるっと振り返り、腰に手を当てる。
「私の名はエルザ。この情報屋を束ねる頭だ。まぁ、皆からは姉さんなどと呼ばれているがな」
エルザ。そう名乗った鎧の少女は、近くの椅子へと飛び跳ねてその小さな体を預ける。
「よし、話をしようか。クロ、そしてリーシェよ」
自己紹介もしていないのに、彼女は既に二人の名前を認識していた。
少しばかり警戒心を覚える。
「なぜ、名を知っている」
「今はそれを話す時ではないな、目的はそこではないだろう?」
疑問を投げるクロを、エルザは悪戯っぽく突き返しながら話題をすり替える。
それから向かいの椅子へ座るよう促されたクロとリーシェは、違和感を残しつつも、静かに席へつくことにする。
「お前たちが来た目的は大方察しがつく。話してみろ」
まるで必然を感じさせる様な展開だ。
エルザは、足を組ながら小さな木製の円卓に肘を置くと、対面するクロとリーシェを真っ直ぐ見据えながら本題へと切り出す。
なお、槍の彼は依然として部屋の奥で気を失ったままである。
ふと静まる空間の中、クロは、目的の開示を求めるエルザに対して警戒の眼差しを向けながら口を開く。
「……それは」
「私が交渉の場を設けようと言っているのだ。悪くはなかろう?」
クロの返えしは、直ぐに圧し止められた。
「……」
「クロ、ここは素直に答えよう?」
言い渋るクロに、リーシェが隣から優しく発言を促すと、少しの沈黙の後に小さく頷く。
「……王宮へ侵入する為の情報を必要としている」
「何故?」
またしても少女からの素早い問い返しが来た。
理由など聞かれるとは思わなかったクロは、少し言葉を詰まらせる。
「情報を必要とする根拠だ。それが示せないのでは話にならんぞ」
これには答えていいかどうか判断がつかなかった。
王宮をドラノフの手から解放させる為、極秘にロザリア率いる騎士団を待機させているのだ。そんな事を迂闊に喋ってしまっては逆手に取られる可能性がある。
「何を渋っている。私は今客人を前にしているのだぞ?」
どういう事だ?。客人への優遇といったところか?。
考えれば考えれる程沼へと嵌まっていく、そんな感覚に陥る。
「その前に、貴女達が情報屋である事の証明をいただけないでしょうか?」
返しに戸惑うクロに、リーシェが鎧の少女へと訊き返した。
「そうだな……」
リーシェに問われたエルザの表情は、一切崩れる事はない。そして少女は徐に口を開く。
「神の子は、星の命を廻り……」
聞いたことのある言葉だった。
記憶が曖昧なクロにとって、それはほんの少しの記憶の欠片でしかなかった。
しかしリーシェは違った。
彼女は目を見開きながら呆然としていたのだ。
「アイレスの聖典第一編の一部……。神託を受けた者のみが知る事を許される聖国の書物だな」
「どうして、貴女がそれを……」
リーシェは震えていた。
その聖典なる物がどれ程の存在なのか、その価値観は分からないが、彼女の反応からして相当な物に値するのだろう。
「忘れたか?私達は……」
鎧の少女は不敵な笑みを浮かべると、露骨に言う。
「情報屋だ」
この少女は何処まで知っているのだろうか、そう考えれば考える程恐ろしいものを感じる。
「それが証明か……」
クロは、エルザの姿勢に目を細め、小さく呟く。
「さあ、示すがいい。お前達が望む情報の根拠をな」
まるで試されているかの様な感覚だ。
このまま彼女等の言うことに素直に従うべきなのだろうか。
だが、ここで条件を呑めば望んだ情報が手に入る可能性は高いと言えるだろう。
再び静まり返る室内の中、軈てクロは意を決する。
「……王都郊外に、王国の近衛騎士団が控えている。王宮への侵入経路を確保し、ドラノフからこの国を解放させて王族を救出する為だ……」
そこまで説明したクロは、静かに少女の様子を伺う。
するとエルザは、口元に笑みを作りながら再び問い掛ける。
「では、神の子。貴様に問おう」
真っ直ぐ向けられた少女の目線から感じられる圧力。とても少女とは思えない気迫だ。
「何故、この国を救いたい。神の子だからか?、自身の命を労るならば、何処か安全な場所を見つけて生涯を終える事こそが、自分にとって最善の選択だろう?。そうは思わないか?」
「……それは」
クロは思った。絶命という名の『未知』に対する恐怖感は何度か経験したが、自身への計らいは一度も考えた事が無かった。
言われてみればそうなのかもしれない。
だが何故だろう、自分だけの楽園を望むような考えに、不思議と強い後ろめたさを感じる。
他人は所詮他人でしかない。そんな質問に対する模範解答など出来る筈がない。だがこれだけは言える……。
「……人に対する温情を感じているから、なのかもしれない」
クロは無表情ながらも、今感じられている事を述べた。
そんな少年の様子を、エルザは見据え続けると、何かを感じ取ったのか、目を瞑って小さく息を吐く。
「……どうやら、偽りはないようだな」
この時、エルザの表情が少しだけ柔らかくなった様な気がした。
「ふふ、いいだろう。では……」
そう言って一瞬だけ少女らしく笑うと、小さな手を軽くクロへと差し伸べる。
「貴様等が望む情報に等しい対価を貰おうではないか」
ここから交渉開始だ。
先程の質問は素養を見る試験の様なものだろうか。彼女達の意図は分からないが、様子からして合格といったところで間違いはないだろう。
しかし、対価など用意している筈も無ければ、ロザリアから何か品を預かっている訳でもない。
ほぼ全ての物事に対して新鮮味を感じながら歩んできたクロにとって、この交渉の席は、無一文に等しかった。
「それでは……」
途方に暮れるクロの隣で、リーシェがふと腰に下がる布袋に手を伸ばす。
「これなら如何でしょうか?」
そう言って円卓の上へと出されたのは、虹色に輝く鉱石の様な物だった。大きさからして、大人の男性の拳一つ分を軽く上回る程だ。
そしてその鉱石が姿を現した時、室内がざわめき始める。
余程珍しいのか、少女の背後で控える部下の集団がそれぞれに個性的な反応を驚嘆として示す。
「聖戦時代の爪痕、神々の悪戯にしか無いクロメニア聖石です。聖国でも入手が困難な程、数少ない聖石ですので、交渉用として、用意させていただきました……」
聖戦時代。今から三千年以上も昔の時代に勃発した、神同士の対立による激しい戦いの爪痕がある。
帝国領と、聖国領の間に広がるその爪痕は、大地が高波の如く荒れ、海は大地を覆い、そして全てが虹色の輝きを帯びたまま静止した、まるで異次元空間を感じさせる様な場所だ。
人々はそんな不可思議な空間を、神々が世界に悪戯をしていったという話となって広まり、『神々の悪戯』と称されるようになった。
それは、そこにしかないものが数多く存在し、徘徊する魔物も強力な個体ばかりである。
現在、『神々の悪戯』にある数多の聖石は、貴重な力の源になる故に、それを欲する帝国と聖国とで睨み合いになっている状況だ。
「驚いたな……」
これには鎧の少女も驚嘆に値する様だ。表情は変わらないが、言葉からもその驚きを感じ取れる。
「リーシェ……」
機転を利かせてくれたリーシェに、クロが視線を送りながら感謝の意思を示すと、彼女は優しく微笑み返してくれた。予期していたのだろうか?。
だが、もう交渉の結果は見えた筈だ。
そう思い、クロは口を開く。
「では……」
答えを迫られたエルザは、両手を広げながら呆れた様子を見せる。
「……まったく。交渉というのは対等の物から始めるもなのだがな、まあいい」
そしてエルザは、少女とは思えぬ不敵な笑みを浮かべる。
「こんな物を出されては、私達も相応の答えを示さなくてはならないな」
それは、クロとエルザの答えが一致した時だった。
そして交渉に進展が訪れる中、部屋の奥でもぞもぞと蠢く木片の山から一人の気配がした。
「……つ、いててて」
部屋の皆が見る中、姿を見せた銀灰色の髪の男は意識を取り戻したのか、痛みに堪えながらゆっくりと立ち上がる。
「ようジルクリード。遅かったな、交渉成立だ」
無様な姿を晒すジルクリードにブレイスが、今の状況を面白そうに言う。
恐らく彼を小馬鹿にしているのだろう。
「は……?」
状況を言われたのに状況が分かりきっていないジルクリードは、疑問の声を思わず呟いた。




