英雄の決意
天界エルキアの中心に聳える神王の宮殿が見下ろすその先には、宮殿を囲むようにしてエルキアの民が住まう大地が広がっている。
エルキアの民には人と酷似した種と純白の翼を持つ人形の天使が存在し、二つの種は睦まじい間柄で、互いの戮力を惜しまず、神王を始めとした神々に忠実であり、それは今も変わらない。
しかし、冥界の進攻による影響で、下界の人々による信仰力は著しい衰えを見せている中、エルキアは、不穏の空気に包まれていた。
神王ベゼルドによる命を受けた英雄神クロイツェルは、宮殿から階段を経て降り立つと、エルキアの民達が直ぐに群がった。
「クロイツェル様。エルキアは、、エルキアは一体どうなってしまうのでしょうか……」
「十二神が揃わない中、もう頼れるのは貴方様しかいません」
「我々に出来ることがありましたら、なんなりとご命じください!クロイツェル様!」
エルキアの民の声に足を止めたクロイツェルは、無表情のまま視線を民へ向ける。
「ご助力感謝する。しかし、今はそなたらの力を必要とする時ではない。どうか、今一度待っていて欲しい」
ざわめくエルキアの民を見て、クロイツェルは更に言葉を続ける。
「これより私は、このエルキアの平和を脅かす存在に罰を与るべく、降臨する。そしてその目的に達した時、再びこの地に栄光と繁栄を取り戻せる」
クロイツェルを囲むエルキアの民からは感嘆の声が唸り上がった。
「愛するエルキアの民よ、だから我々を信じて待っていて欲しい」
英雄神なる言葉に期待を抱いたのか、エルキアの民達は活気を少しだけ取り戻した様子だった。しかしながら彼等は厳密にどの様にして天界と下界の均衡を保っているのか、その細部までは知らない、目の前で既に安堵の表情を浮かべて賑わう光景を見たクロイツェルは、それ以上何も言うことなく、エルキアの民に見送られながらその場を後にした。
エルキアの街外れ。天空に伸びる長い橋の先には、上下対象の巨大な建物が浮かんでいる。
ここには唯一直接天空と下界を繋ぐ空間が存在している。主に神々が降臨する際に使われるが、侵入者に対処するべく、多くの武装した聖天騎士と呼ばれる上位天使が、直接来るであろう侵入者に対処する為、建物を強固なまでに護っている状態である。
クロイツェルが橋を渡ると、建物の前で羽を舞わせながら一人の天使が建物の奥から姿を現した。
他の天使とは明らかに違う風格を持つその天使は、一見少年に見えるがどうやら少女の様だ。身体こそ子供と変わらないが、その見た目からは想像がつかない様な真っ白で大きな翼を左右に堂々と広げている。その翼は、他の天使よりも遥かに大きく、片翼の長さだけでもクロイツェルの背丈の二倍はありそうだ。
天使の少女は、肩より下まで軽く伸ばした白銀の髪を靡かせながら降り立つと、無邪気な笑顔を向け、お辞儀をしてきた。
「お久し振りです、クロイツェル様」
頭を上げ、両手を後ろで組みながら笑顔を向ける天使の少女に対して無の表情を変えないクロイツェルは、そのまま軽く返す。
「アルテか、代わり映えしないな」
「はい!このアルテ、テレノア様のご忠告通り、いつものアルテを維持しております!」
アルテという名の天使の少女は、元気良く返事をすると、クロイツェルは何処か安心したように小さく息を吐き、話を本題に向ける。
「早速で悪いが、本題に入らせてもらうぞ」
「宮殿からのお達しは窺っております、下界への降臨ですよね。此方へどうぞ!」
待っていましたと言わんばかりにアルテがにこっと微笑むと、クロイツェルを建物の中へと案内すべく、先導しながら片手を屋内へと差し伸べた。
「頼む……」
クロイツェルは、短く受け答えをすると、アルテに続いた。
建物の中へと入ると、長い大廊下が何処までも続いていた。
二人が歩くその周りを、聖天騎士達が徘徊しているが、クロイツェルに気付くと忽ち次々と膝をついて頭を垂れる。その迷いのない敬意は、深い忠誠心を感じさせる程無駄がない動きだ。
そんな聖天騎士達の態度に感心した様子のアルテが満足気に頷く。
「流石はクロイツェル様ですね!テレノア様と同じ十二神で在らせられるだけあります!」
「アルテは、十二神にはなろうとは考えないのか?今のお前は大天使とはいえ、実力は主天使並の働きだ。このまま行けば、熾天使以上は確実であろうに」
下から覗き込むアルテに、クロイツェルが前を見ながら問い掛けると、 彼女はいやぁと、両手を後ろに回す。
「じゅ、十二神の皆さんは、、その、なんだか忙しそうじゃないですか。下界の人達をそれぞれ管理しなくてはならないですし……そう考えると大天使である今が程よく権力があって、好きに出来るのでいいかなぁ、なんて思ってます」
アルテが上を目指さない理由を聞いたクロイツェルは、ほうと腕を組ながら目を瞑った。
「そう言えば、テレノアが言っていたが、将来的に次の跡目をアルテにするみたいだな」
「えっ!?」
アルテがまるで感情表現したかの様に翼を縮ませ、驚いた様子で立ち止まった。
「どうした?案内するのではないのか?」
「い、いえ!な、それ本当ですか!?」
振り返る事の無い一言に、アルテが驚きと焦りの様子が隠せないまま小走りでクロイツェルを追っていった。
暫く歩くと、大きな空間が広がった。
中央には細かい術式のようなものが無数に描かれた巨大な黄金色の魔法陣が二重、三重にと浮かび上がっている。クロイツェルは一度周囲を見渡すと、魔法陣を注視した。
「ここへ来るのは久々だな。先の聖戦以来か……」
「あの、クロイツェル様……」
背後から声が聞こえる。しかしそれがアルテの声なのは分かっているが、先程とはうって変わって随分と縮んだ様な声だ。
変化に違和感を覚えたクロイツェルが振り返ると、そこに不安に狩られたかの様に表情を暗くするアルテがいた。
「本当に、本当に行かれるのですか?」
クロイツェルの言葉にアルテが表情を変えずに様子を伺ってくる。クロイツェルは、視線を戻し、魔法陣を見詰めた。
「問題無い……とは言えないな。下界ではどの様な事が起きるかわからない、過信は避けるべきだろう」
「でしたらこのアルテがご同行致しますよ!」
「だが……」
銀色の瞳を輝かせながら胸に手を当てて前のめりになるアルテに、肩を竦めたクロイツェルは彼女に向き直る。
「これ以上尊き存在が失われるのは御免だ。わかるな?」
一瞬少し驚いた表情を浮かべたアルテに、クロイツェルは魔法陣の中へと入りながら背中越しに言葉を続ける。
「アルテはここでテレノアの代わりに管理者としてその役目を果たすべきであろう」
ですがと訴えるアルテに気にも止めず、魔法陣の中央に移動したクロイツェルが術式を起動させた。
魔法陣が一層の輝きを魅せる中で、クロイツェルはアルテに向き直る。
「これは私の戦いだ。威信にかけて、この戦いの要因を必ず排除してみせよう。だから、見届けてくれ」
クロイツェルの射抜く様な真っ直ぐな目に、アルテは大きく深呼吸の動作をとった。そして
「……分かりました。ですが、必ず還ってきてくださいね、イリアテール様の為にも」
かつて良く聞いた名前が出てきた。その名前を聞くと、アルテの言葉に急に重みを感じたクロイツェルは、歪み始める感情を圧し殺す。
「あぁ、分かっている。これ以上、エルキアから犠牲者は出させはしない。アルテ、後の事、宜しく頼むぞ」
魔法陣の輝きにアルテの姿が見えなくなる中、クロイツェルはそう言い残して光の中へと消えていった。
空間に一人残されたアルテは、組んでいた両手をゆっくりほどいていき、そして静かに呟いた。
「その願い、無理かもしれないです……」