反撃の礎Ⅱ
そして今後の方針を決める会議が始まった。
大きな天幕の内部には、アレクシア王国旗が飾られており、中央には簡易型の広々とした木製の机が設置され、それをクロ、リーシェ、ジルクリード、ロザリアを始めとする、幾人かの騎士団幹部が囲む。
全員が見下ろすその先には、大陸や海等が描かれた巨大な地図が机上を埋めていた。
世界地図と呼ばれているこの羊皮紙には、世界の全貌が描かれておらず、部分的に欠如している。
「……」
地図が新鮮に見えたクロは、一人だけ台座に立ちながら机の下から地図を覗き込んでいた。
子供なのは分かるがこういうのは不便すぎて自分の身長を恨む。
「……クロ殿は、地図を見るのが初めてですか?」
クロは黙って頷いた。
記憶を失ってから世界観に乏しかった少年にとってはいい機会だ。
そんな彼の反応にロザリアは意外そうな顔をすると、指示棒換わりに扱いやすいように軽く加工された木の枝を手に持つ。
「では、僭越ながら私がご説明します……」
そう言ってロザリアが枝先を地図に描かれた一番大きい大陸を向かわせる。
「まず、世界最大と謳われているエゼル大陸というものがあり、ここには数多の国や種族が存在しています。そこから海を渡り、南に広がる亜人の住まう地、リーファ大陸……」
「……ここは?」
そこでクロは背伸びをし、身を乗り出しながら何も描かれていない地図の東側を指差す。
「そこは魔界と呼ばれる部分です。魔王と呼ばれている邪悪な存在が無数の魔物を率いて実効支配している地域になります……。異形の魔物が数多く蔓延る処故、その全景は不明です」
彼女の説明からしてその強大さが直ぐに伝わってきた。
周囲は重く、息を凝らす。
「魔王、か……」
少年は特に大きな反応を見せることなく、小さく呟いた。
それは彼にとって、『魔王』という言葉には新鮮味が一切感じられなかったからだ。
しかしながら聞くだけで妙な焦燥感が騒ぎだす不思議な感覚が過る。
「あの砦に居た魔皇族っつう豚の化け物も魔界って言ってたな。あんなのがうじゃうじゃいるのかよ……」
ふと思い出した様に自身の軽いトラウマを口にしながらジルクリードが身震いする。
「リーシェ、あの魔皇族とは一体なんなのだ……?」
脅威的な対象についての情報は知っておいた方がいい。それは、実際に交戦した故にだ。
クロは、一番知っていそうなリーシェに問い掛けると、彼女は頷き、淡々と答え始めた。
「……魔皇族は、魔王が生み出した魔界の魔物です。その存在は、神々を討ち滅ぼす為の兵士として、聖戦時代に駆り出されていました……。本来は魔界以外の場所での長期生存は不可能なのですが、どうして……」
「つまり、神様相手に戦う化け物兵士っつう事か。聞けば聞く程絶望的だぜ……」
リーシェの説明を聞いたジルクリードは、肩を竦めながら魔界に対する不穏な感情が精神を圧迫させた。
「其れ程魔王の軍勢とは、容易な存在ではないという事なのだろうな……。あれ程の魔物……私も他に類を見ない」
ロザリアでさえ、あの魔皇族は最大級の強さと捉えている様だった。
「なんだよ、あの魔皇族を打ち倒した本人の言葉とは思えないな……」
彼女の感想があまりにも意外だったのか、ジルクリードが真顔で口走る。
「あれでも討伐に時間を要した。その様な過大評価はやめていただきたく思う……」
対するロザリアは、事実無根な彼の過大評価を切り捨て、訂正を加えた。
そして辺りが再び静まったところで説明は続く。
「……では続けます。……我々が居るエゼル大陸の東部には現在、長きに渡って魔王の軍勢と交戦中であるベゼムンド連合王国があります。この地域には、小国が数多く点在していましたが、魔王軍の進行による影響により、今の連合王国となっています」
話によると、現在のベゼムンド連合王国は、食料不足による激しい餓えと人口の低下に悩まされているという。
帝国とは協定関係にあると云うが、数々の帝国の情報から察するに、ただの協定とは言い難いだろう。
「次に、大陸南西部の永久寒冷地に包まれたリュッフェンヘリア聖国。生命の原点とも呼ばれる程歴史ある国で、あらゆる神々の信仰の起点となる大いなる聖地の上に存在している国です」
「私とレスナーさんが居た国ですね」
リーシェが懐かしさに耽りながら言うと、ジルクリードが腕を組みながら訊ねる。
「……そう言えば、あの爺さんが三賢者の大魔術師だったっていう噂は本当なのか?」
「はい。レスナーさんが若い頃は、侵攻する魔物の群れを一つの魔術で一掃したという話ですよ」
「ま、まじかよ……。とんでもない爺さんだったんだな」
リーシェが微笑みから放たれる強烈な発言に、ジルクリードは思わず息を飲む。
「……ではここが帝国か」
二人が談話する中、クロが大陸の北部を指差すと、ロザリアは頷く。
「ええ、その通りです。……ヒューレンハリア帝国の名を持つこの大国は、数多の先進技術を保有していると噂されており、数々の侵略戦争でその猛威を振るっています」
そこで少年は思い出す。
帝国出身であるドラノフが、帝国から先進技術を持ち出したとなると、あの時、レスナーのアトリエを弾圧してきた兵士が使ってきた武器と合点がいく。
「そして、大陸西部には西側諸国と呼ばれている国々があり、その内最も巨大な国となるのが我が国アレクシア王国、そしてヴェリオス王国です……。二国間の領土は、広大な砂漠地帯によって南北へと分けられており、互いが英雄神への強い信仰心を持つ国教の国とされています」
「英雄、神……とはなんだ?」
英雄神なる言葉に対して反応するクロに、内部はどよめく。
神の子たる存在からまさかそんな疑問を投げ掛けられると思っても見なかったのだろう。
そんな淀めく空気の中、ジルクリードが一人だけにやりと笑いながら胸を叩く。
「なんだよクロ、あんなに王都に居ておいて知らなかったのかよ。……ま、仕方がないからお兄さんが教えてやるよ。無宗教だがな!」
最後の言葉は不要であった。
説得力に関わる重大な失言を犯すジルクリードを、ロザリアが指摘する。
「無宗教では説得力も無いだろう。……まあよい。申し訳ありませんがクロ殿、先程の質問への回答は次の機会にでも」
彼女はそう言ってクロの質問を断った。
理由は分からないが、相応の事情があると考えていいだろう。
少々気になっていたクロは、心の欲望を抑えて頷く。
「簡単ではありますが世界の概略説明は以上になります……」
ロザリアは、少年の反応に頷き返すと、そこで簡易的な世界観の説明を終え、いよいよ本題である作戦会議へと話は移る。
「……では、これより王都解放及び王族の救出による作戦会議を行います」
彼女が作戦会議へと話を切り換えると、団員らしき者が慣れた手付きで一枚の地図を机上へと広げる。
見たところアレクシア王国領の全体図の様だ。北の山脈から南の砂漠、西の草原や東の森林地帯、そして王都を始め、様々な町や巨大建造物に至るまで見事に網羅されている。
「現在把握している状況。ドラノフを始めとする組織は、王族であるオルクバルト陛下、並びにリリアン王女殿下を拘束、連行し、権力を凍結、王宮を実効支配している状況である……。難を逃れた我が同胞によれば、王都の民達からは王政に対する不満の兆候が露になっており、ドラノフへの支持が散見される模様」
状況の進捗は随分と悪い方向へと展開している様だった。
「この情報はあくまで王都より乗馬移動をして来た同胞の報告を待機中の団員が受けたものであり、凡そ三日前の情報と認識していただきたい」
そこから補足をするロザリアに頷いたジルクリードは、今の王都の状況が容易に想像がついた。
「つうことは、状況は更にドラノフ寄りって事だな……」
「問題となるのはドラノフが何かしらの人質を匿っている可能性があるという事だ」
ロザリアは、枝先で地図をなぞりながら単純突入によるリスクを懸念すると、自らの考察へと繋げる。
「支配が目的ならば、民を人質にしているのは考えにくいだろう……ならば」
そこで言葉を区切ると、予測される対象人物を挙げる。
「王族、又はそれに従える臣下や貴族が可能性として上げられる……。これでは単純突撃では作戦の失敗を意味するだろう。そこで一部の潜入班を組織し、王都へ潜入させて敵の目を潰し、内部情報を王都郊外に控える残りの軍へと流す。後は進撃の頃合いを見計らうのみだ」
今のままではまだまだ情報不足である故の判断だった。
しかし状況は一刻を争う特質上、早急に実行すべき内容だった。アレクシア王国がアレクシア王国である為に。
そしてロザリアは、クロ達三人へと視線を向ける。
「そこで貴兄等に頼みたく思います。潜入班として王都へ潜入し、情報収集をして我が騎士団へ進撃の機会を与えていただきたいのです」
彼女の口から放たれた言葉は、アレクシア王国を取り戻す為の協力の要請だった。
それには肯定したいところだ。
ドラノフに、アレクシア王国が違う形へと変貌していくのは正直見たくはない。
それが善であろうが、悪であろうが、自分自身で決めた道は変えるつもりはない、そうクロは考えていた。
「……協力させてもらう」
少年は彼女の要請を受け入れた。
「ちょっ、待て待て待て!。何でもかんでも鵜呑みにし過ぎだろう!」
一瞬の間の後、ジルクリードが慌てて立ち上がる。
「貴兄の懸念は重々承知だ。厚かましい願いなのも理解している。……だが他に頼れる者がいないのだ」
「けどよ……」
ロザリアの言葉から伝わる深刻さに口篭るジルクリードには他に選択肢は持ち合わせていない。
「私も行きます……」
隣に居るリーシェもまた決断した。
これにはジルクリードも動揺を重ねる。
「おい、リーシェまで……」
リーシェは、そんな動揺する彼を説得する様に口を開く。
「私はこの子を導きたく思います。……ジルクリードさんが心配なのは分かりますが、他に手段を考えても遅く感じます。それに、この機を逃して多くの人が傷付くのは避けたいんです」
「……」
ジルクリードは口を半開きにしたまま黙り混んだ。そんな彼の顔に浮かび上がるのは、不安というよりも呆れたといった表現が正しいだろう。
「此方とて、ただとは言わん。貴兄等の危険に合わせ、相応の謝礼を用意する考えだ……」
後から報酬を付け足す提案を示したロザリアには、ジルクリードも完全に八方塞がりになった。
「……はぁ。まあ、仕事って考えたらいいんだろうな」
適当な理由を付けて頭を掻くジルクリードに、クロが言う。
「……感謝する。ジル」
「切り返しが早いな……。まあ仕方ねえ、お前等がやるってんなら、俺も付き合うしかないってもんだ」
これは自分自身が決めた事だ。
断る選択肢はあっても少年から離れる選択肢は彼の中には無かったからだ。
「……決まりですね。それでは、王都までの細部侵入経路から説明します」
こうして最後に残ったジルクリードの決断と共に、少年達の作戦会議は始まった。
長きに渡る綿密な会議を終えると、時は既に日没を過ぎて月が闇夜を照らし出していた。
多くの人々が来る日に備える中、野営地の外れで一人のエルフの女性が草原に座っていた。
天幕の灯りを背に、彼女は吹き込むそよ風を受けながら地平線を象った広い草原を眺めていた。
そんな彼女にふと足音が近付く。
「……?」
振り返ると、騎士の鎧を身に纏った褐色の髪の女性の姿があった。
「ロザリアさん……」
エルフの女性が彼女の名前を呟くと、ロザリアは少々ため息混じりになる。
「リーシェか、あまり夜分に野営地から離れるのは感心しない……」
「ごめんなさい、少し考え事をしていて……」
指摘を受けたリーシェが視線を落としながら謝ると、ロザリアは彼女が居る隣へと座った。
「……クロ殿の事か?」
それは正しく今彼女が考えていた事だった。
唐突に本心を見抜かれたリーシェは、小さく頷くと、両膝を抱え込ませながら表情を沈ませる。
「私が今やっている事は、正しい事なのかな……って」
するとロザリアは前を見据え、ふと語りかける様に言う。
「神の子は、星の命を廻り……」
「……!?。どうして、それを」
驚きを隠せない様子で振り返るリーシェに、ロザリアは淡々と言葉を続ける。
「やはり、祭司様がお告げになったハザウェルの神託は正しかった様だ……。あの少年に宿った紅玉の瞳、間違い無いだろう……だが」
彼女はそこで言葉を詰まらせると、らしくない自分に苛立ちを覚え、そして口にする。
「何故だか私は、彼があの神の子である事が信じられないのだ……」
「……」
それはリーシェにとっては思わぬ発言だった。そして。
「リーシェよ、そなたも気を付けるとよい。本当に信じるべき者が誰なのかを……」
ロザリアはそこで話を切ると、静かに立ち上がり、此方を見上げるリーシェと目を合わせる。
「さて、明日の出発は一時課だ。今夜は早めに休息をとり、備えるのだぞ……」
「ありがとうございます……」
ロザリアの忠告を受けたリーシェは、微笑みながら感謝の意を示すと、去るロザリアを背に夜空を見上げる。
「……これで、いいんだよね」
彼女の呟いた声は、そよ風と共に闇の中へと消えていった。




