反撃の礎Ⅰ
毎日のように不思議な夢を見た。
毎日のようにもう一人の自分が居て。
毎日のように自分に訴えかけてくる。
そして一人の少年は、目の前にいる自分と同じ少年に話を掛ける。
『……君は誰なんだ』
もう一人の少年は答える。
『僕は君だよ。君こそ誰なの?』
少年は名乗った。
『私は、クロだ……』
するともう一人の少年は、少し驚いた表情を見せると、口を開く。
『僕はね……』
……
……
……
「……?」
目が覚めると、布団の中に居た。
少年クロは、状況が分からないまま静かに上体を起こすと、周りを見る。
年季が入った革製の灰黄色が全面に広がり、皮独特の臭いが立ち込めている。
見たところ天幕の中に居る様だった。
少年がふと気付いた様に視線を落とすと、体の至る所が清潔そうな布によって巻かれていた。
「……」
クロは呆然と自身の体を見ていると、ゆっくりと両手を広げた。
「お目覚めのようですね……」
突然、若い女性の声が聞こえると、クロは驚きながら視線を向けて警戒する。
すると女性は、穏やかな表情を見せながら少年を落ち着かせる。
「……ご安心下さい。我々は敵ではありません」
そう言う彼女は、アレクシア王国の国章が刻まれた鎧を身に纏っていた。
一流の職人が手掛けたのだろう、随分と豪華な彫刻が全体に渡って彫り込まれ、黄金の輝きを放っていた。
「申し遅れました。……私はアレクシア王国近衛騎士団団長を務めさせていただいております。ロザリア・リンデブルムと云う者です」
「ロザリア……。……!」
そこでクロの記憶は甦った。
少年は目を見開くと、忙しげに周辺を確認する。
「積もる話もあるかと思います。先ずは此方へいらしてください」
ロザリアという女性はそう言うと、クロに伝える。
他に手段を持たないクロは、渋々彼女の指示に従い、ベッドを降りて後に続くことにした。
幕を押し開き、外に出ると、眩い光と共に視界が広がった。
なだらかな丘陵を望む広大な草原。
反対には地平線を埋め尽くす深い森林地帯が広がっている。
そして、辺り一帯には数多くの類似した天幕が点在し、一つの集落の如く展開していた。
おそらくロザリアが指揮する騎士団によるものだろう。そう少年は解釈した。
「ここは我が近衛騎士団の野営地になります……」
物珍しそうに周囲を見渡しながらついてくるクロに、ロザリアが説明を付け加える。
「……野営地?」
聞いたことの無い言葉に首を傾げるクロに、ロザリアが淡々と答える。
「野営地とは、宿営等を目的として野外に展開した地域の事です。応急的な為、防御と隠蔽を著しく損ないますが、移動が簡易性である特性上、遠征軍の中では兵の休息をとらせる上で必須となります」
「……そうなのか」
辞書を音読したかの様な堅苦しい言葉を羅列されたクロは、理解が追い付かずに思わず相槌を打つ。
「間も無く到着します……」
そこまで会話を交わす尺も無く、野営地を歩くこと僅か数十歩足らずで目的の天幕へと辿り着くと、ロザリアは短くクロへと伝える。
他のものと比べて一回り大きいその天幕は、天幕というよりも小屋に見えた。
「……団長!そしてクロ様。中で皆様がお待ちかねです」
大きな天幕の入り口らしき場所で、見張りに就いていた一人の騎士が二人の女子供に気付き、敬礼する。
「ご苦労であった。持ち場に戻ってよいぞ」
彼の敬礼を受けたロザリアは、労いの言葉をかけると、部下の騎士を持ち場から離脱させた。
「どうぞ……」
騎士を見送ったロザリアは、一旦天幕の中を確認すると、クロを内部へと案内させる。
案内されたクロは、そのまま大きな幕を潜り抜け、内部へと入ると。
「おおおお!坊主じゃねえか!あぁ……じゃなかった、クロだったな」
突然元気な声が響き渡った。
クロはよく聞いたことのある親しげな声に反応すると、そこには確かにジルクリードの姿があった。
無邪気な子供の様に笑顔を振り撒きながら手を上げる彼の上半身は、殆どが布で被われており、随分と痛々しい。
「……クロ、良かった」
そして女性の声が聞こえてくる。
穏やかで、優しさを感じさせるその声にクロが振り向くと、そこには金色の髪のエルフが一人、此方を伺っていた。
「リーシェ……」
クロが彼女の名前を呟くと、ふと自分の中で罪悪感が沸き上がる。
「……すまない」
布姿の彼と同様、彼女も体に多くの傷を作っていた。
そう、自分が二人を巻き込んだ。
そう思い込んだ少年は、自分の安易な行動を悔い、狭くなる。
「治癒魔法による完治は出来ませんでしたが、最善を尽くしました。何卒ご理解願います……」
俯くクロを気にしたのか、側にいた幹部とおぼしき騎士が補足する。
「……」
少年はそれに答えることなく、自身の罪悪感が沈黙を貫く。
「自ら下した決断は、強い意思によるもの……」
視界を落とし、自分を戒める少年の背後からふと語り掛けたのはロザリアだった。
彼女は、そのまま前へと進みながら言葉を続ける。
「それは二人も同じ。困難を乗り越えるには、一人ではそれも叶わないだろう……」
そして足を止め、少年へと振り返る。
「だから人は手を取り合う……。それが、二人が貴方へと下した決断です」
「……」
その言葉は、深い衝動となって伝わった。
人という存在、そしてそれが持つ価値観。あらゆる部分で関心が無かった少年にとっては考えさせられた。
「……」
「……な、なんか恥ずかしいな」
静まり返った空間を、ジルクリードが気まずそうに頬を掻きながら己の羞恥心を晒した。
あれから三人は、ロザリアからの情報を聞いていた。
どうやら彼女率いる近衛騎士団がヴェリオス王国との国境線であるヴィッツェイラ砦へと赴いたのは、単なる増援や調査だけではなく、緊張状態にあるヴェリオス王国の第一王子アルバートとの情報共有だった。
それは突然、伝令を通じて彼から接触の機会を与えられた。ロザリア達を送ったのは、アレクシア国王であるオルクバルト三世が苦悩の末に導きだした決断だった様だ。
それからヴェリオス王国が同盟を破棄し、戦争継続に必要な資源が豊富に眠る砂漠地帯が砦陥落によって奪われた事で状況は急変した。
今回のヴィッツェイラ砦への増強部隊派遣の背景は、アルバートとの情報共有のみならず、大陸西側諸国において最も帝国との戦線が長いアレクシア王国にとって貴重となる資源や兵力の衰退が著しい事にあった。
「成る程な……」
天幕の中でジルクリードが一人、納得した様子を見せながら腕を組んだ。
「……でも、どうしてヴェリオス王国の兵士は一斉に砦を出ていったのでしょうか?」
リーシェはふとあの時、砦で目撃したヴェリオス王国の隊列に疑問を抱いていた。
そんな彼女の疑問に、ロザリアは顎を指先で支えながら考察する。
「ふむ、それはこれまでのヴェリオス王国の動向を見る限り、他にも交戦中等の勢力があるとしていいだろう……ただ」
ロザリアがそこで言葉を止めると、砦に侵入した時の状況を思い出す。
魔物を引き連れた兵士に洗脳を示唆させるかの様な人格。そして周囲一帯を爆破した兵士の意味深長な言動。
そして彼女は、一つの仮定へと結び付ける。
「……第三勢力の介入による弊害の可能性はあるだろうな」
今までに無かった第三勢力という新たな単語の出現に周囲が動揺で埋め尽くされる中、ジルクリードだけが難しそうに頭を掻く。
「……ああ、えっと、つまり他にもヤバそうな奴等が居るって事か?」
考えながら喋るジルクリードの言葉は片言だが、理解はしっかりしている様子だった。
「要約するとそうなるな……」
ロザリアが淡々とジルクリードの答えを肯定してあげると、話題を変える。
「……さて、貴兄等が私と接触した理由は、王都の危機と聞いているが……概ね状況は察しがつく」
ロザリアは、クロが伝えたい情報について、大方の予測がついている様だった。
「ならさっさと王都に戻ら……」
「答えを急ぐな。ジルクリードと言ったな、焦りは良い結果をもたらさぬぞ……」
実際に王都での状況を知るジルクリードにとっては直ぐにでも出向きたいところであったが、彼の焦りの気持ちに、自身もまた戒めの感情を持っていたロザリアがそれを止め、落ち着かせた。
「クロ殿。貴方が王都で見た状況を聞かせてもらえますか?」
それからロザリアは、クロへと視線を向けると、少年が王都、そして王宮で見聞きした情報の開示を求めてきた。
少年は王都での出来事を思い出す。
アトリエでの出来事。
王宮での出来事。
そして、あの部屋で聞こえた女性の声の情報を。
「……私は、レスナーが持つ魔術紙のアトリエに居た。そこで突然複数の兵士が現れ、国家反逆の罪状を被せてアトリエを弾圧してきた」
周りが静聴する中、クロは話を続ける。
「そこで私はレスナーと引き離され、王宮の部屋へと閉じ込められた」
そこでクロは、あの時の女性の声を思い出す。
「……一人部屋に居ると、声がした。頭に語り掛ける様にして女の声が」
「……声?」
そこにはリーシェも気になる様子で首を傾げると、ロザリアは一人だけ目を細めた。しかしクロは首を振る。
「誰かは分からない……。だがその声は救いを求めている様だった。ドラノフという男が現国王から王位を剥奪させて自身の思想の下に支配してしまうと……。そこで彼女は私にロザリアを連れ戻すように言われた」
その瞬間、空気は一変した。
辺りが沈黙する原因を作っているのはどうやらロザリアの様だった。
「やはりあの帝国のペテン師か……」
歯を噛み締めながら拳に力を入れる彼女からは、己の不甲斐なさと激しい憤りがじわじわと伝わる。
「あ、あの……ロザリア、さん?」
このままではいかんとジルクリードが彼女を宥めようとする。
「陛下を利用した上、私だけでなく、民までも振り回すとは……」
どうやら彼女の中で何かが繋がった様子だった。冷静な顔から怒りの感情が滲み出ている。
「その後、彼女の声は悲鳴と共に途切れた。……私は部屋から連れ出され、ドラノフから直接、生涯を保証する換わりに私に協力するよう申し入れてきた」
「……お前、怖いもの知らずだな」
初対面でも分かる彼女の気迫。
ジルクリードは、構わず説明を続けるクロをまるで威嚇する猛獣をものともしない人を見るかの様な反応で語り掛ける。
「……私は断り、そのまま独房へと入れられ、偶然雇われていたジルクリードと共に王宮を出でいく」
「……貴兄はあの男の片棒を担いでいたのか?」
クロの言葉を聞いた途端、鋭い眼光がジルクリードへと向けられる。
「まっ!?ままままま待てよ!俺は確かに奴に雇われていたが、最初は国王からの勅命だと思ってたんだ!」
「落ち着いてくださいロザリアさん。ジルクリードさんに悪気があった訳ではありませんから」
彼女の余りの気迫に動揺するジルクリードの弁明を、リーシェが微笑みながら優しく包み込と、空気が戻る。
「……失礼した」
どうやら彼の危機は去っていった様だった。
ロザリアは我に還り、目を瞑りながら非礼を詫びると、ジルクリードは呼吸を整え、話を戻す。
「ああ……そう言えば逃げる時に追っ手が現れたんだが……」
彼が誰の事を言っているのか、容易に想像がついた。
そう、あの鎌を持った不気味な男だ。
「ディオルという名前でしたね。死神の異名を持ち、相当な実力の持ち主だと聞いています……」
ジルクリードの言葉に、リーシェがその名を口にすると、ロザリアの目付きが変わる。
「……あの死神ディオルか。ドラノフと同じく、帝国の出で、元貴族の男だな」
彼女もまたディオルの名を知っている様子だった。そして話は続く。
「十年前に行われた帝国大遠征期。帝国遠征軍の幹部だった奴は、周辺諸国を蹂躙し、兵士だけではなく、抵抗する全ての人々の命を無差別に奪う男だった……」
「……だろうな、奴からヤバい雰囲気ってのが伝わる訳だ」
ロザリアが話すディオルの生々しい経歴には納得せざるを得なかった。
それは実際に刃を交えたジルクリードが良く理解出来る。
「先のノルマン地方での戦いで、一軍の将であった私は、一度だけ奴と対峙した事がある……」
彼女もまたあのディオルと会っている様だった。
「先の戦いっつうと、アレクシア王国が実行した城塞都市の奪還か……」
自分の中で記憶する帝国との戦いの情報網を探り出すジルクリードに、ロザリアは黙って頷く。
「……もしもあの男がまだ生きているならば、我が民や同胞の命を奪った借りを返さねばならないな」
彼女の中で渦巻く感情は、強い復讐心となって堅持させていた。
そしてロザリアは話を止めると、出入口へと歩き出す。
「私は此より視察に出る。九時課には作戦会議を始めるぞ……それまで己の意見を纏めておくとよい」
そう彼女は言い残し、三人を残して天幕を後にした。
天幕の中に静けさが広がると、一人が声を上げる。
「うし!お互いの無事が確認出来たんだし、俺も外の空気でも吸ってくるか!二人もどうだ?」
ロザリアが去ったことを確認したジルクリードが、そう言って全力で背伸びをすると、まるで全身から緊張が抜けたように肩を回す。
「いや、私はここに残る……」
暫く考えに耽りたくなっていたクロは、ジルクリードの申し出を断る。
「そうか、んじゃリーシェは?」
ジルクリードが少々残念そうにすると、リーシェを訊ねる。
「私も結構です。ジルクリードさん御一人のみで申し訳ありませんが、ゆっくり息抜きしてきて下さい」
「な、なんだか微妙に傷付く言い方だな……」
全面無垢な微笑みを浮かべながら言う彼女の言い方は、ジルクリードの心を犇々と突き刺した。
そして九時課、大きな屋根の下にて拐われた王族の救出、王都をドラノフの支配から解放する為の作戦会議が始まる。




