迷妄の使命
少女は呆然と前を見ていた。
大人の人達が何やら話しをしている。
それは決して穏やかなものではないのは明白だった。
『まただ……』
一人の大人が話す。
『このままでは納期に間に合いません』
もう一人の大人が話す。
「お父さん……?」
不安になった少女は大人に話をかける。
『ぐわあぁっ!?』
背後から悲鳴が響いた。
「……ひっ!?」
少女は驚きと共に激しい恐怖が襲う。
『早く逃げなさい!』
震える少女に対して更に言葉が重ねられる。
『行くんだ!』
怒鳴られた少女は訳もわからず走り出した。
涙が止めどなく頬を伝う。
終わりなき闇の中で少女は走り続けていると声は消え、静寂が訪れた。
「……?」
静まり返る空間に、少女は不安になった。
「お父さん……。お母さん……どこ」
そして少女は一人踞り、泣いた。
……りあ。
「ぐす……。……だれ?」
闇から聞こえた老人の声に少女は涙を拭い、周囲を見回す。
……さい。
「どこなの……?」
……起きなさい。ロザリア。
……
……
……
「……ぅ、……ん」
朦朧とした意識の中、彼女は目を静かに開くと、深い闇が視界を遮っていた。
「……!?」
脳に意識が戻ったとき、彼女は慌ただしく周辺を確認する。
しかし周りに人の気配は無く、自身の声のみがこだまする。
「そうか、私は……」
彼女は、今この状況が自身が招いた結果だと記憶が蘇り、歯を噛み締めた。
「くそっ!」
自身への怒りの余り、壁を殴った。
感傷が彼女の意思を揺るがす。
『……間違いない、こっちだ』
「……!」
ふと闇の奥底から聞こえてきた幾多もの足音と人の声に、彼女は腰に下がる剣の柄へと素早く手をかける。
身体の至る所に激痛が走るが、彼女はそれを圧し殺しながら、真っ直ぐに警戒心を尖らせた。
……誰だ。
次第に大きさを増していく声と同時に闇の中で揺らめく灯りが近付いて来るのが分かる。
『いたぞ!』
多くの金属が軋めき合う音と共に現れたのは複数の兵士だった。
照らし出される周囲の中、兵士はそれぞれに刃を彼女に向けていた。
「もう逃げられんぞ!魔将ロザリア!」
この心境の最中にその言葉は犇々と彼女の心を昂らせた。
「……私が逃げるだと?」
吠える兵士達に対して、ロザリアと呼ばれた彼女は静かに彼等を見据えながら目を細めた。
「う……」
ロザリアの静寂とした存在感と威圧感は、瞬く間に緊張感となって兵士達に伝わると、息を飲んで吃る。
見たところ、通常の正規軍とは違う様だった。一般の兵装とは異なってより硬い素材で拵えた装備に紋章の様な装飾が施されている。
「……王族隷下の征夷騎士団か」
『ご明察ですね……』
突然聞こえてきた声にロザリアは妙な胸騒ぎを覚える。
彼女はその記憶に対し、半信半疑になりつつも注意を向けた。
「……」
騎士の間から徐々に姿を現したのは短い黒髪に青漆色の眼を持つ青年だった。
彼が着飾る金色の線を走らせた鮮やかな蒼色の正装には、守護を意味する盾に救済を表す天使の羽が包み込む王家の国章が刺繍されているのが分かる。
「アルバート王子……」
ロザリアは目の前の存在に思わず剣に掛ける手から力が抜け、目を見開く。
「ご無沙汰しております。ロザリア・リンデブルム殿」
アルバートと言う名の黒髪の青年は、ロザリアの前で姿勢を正すと、その場で深々とお辞儀をして見せた。
「先程は部下が無礼を働き、大変失礼致しました……」
部下である騎士の行いを謝辞するアルバートに構うこと無く、ロザリアは今の思いを伝える。
「王子。何故この様な事を……。盟約をお忘れですか!」
「盟約……」
訴え掛けるロザリアに、アルバートはお辞儀の姿勢のまま呟くと、静かに上体を起こす。そして。
「さて、何の事でしょうか……」
「……!」
言葉を失った。
あの日の盟約で見た光景は何だったのだろう。
ロザリアはそう感じると、次第に血が滾るかの様な思いに意思を蹂躙された。
「我が国の繁栄の為ならば、如何なる手段も問いません。それに、何時までも不自由な足枷をつけている必要など無いのですから……」
「……それが、ヴェリオス王国の答えか」
ロザリアは感情に支配されそうになった。
信じていた者からの裏切り、それは彼女の中で弛まぬ憤りとなって激しく燃え盛る。
そしてリリアンの、彼女の唯一無二の希望を、こうも簡単に裏切れるこの国が許せなくなっていた。
「異論はありません。真実なのですから」
「その様な陰謀詭計、私は認めぬ!」
一切動じること無く言葉を返すアルバートにロザリアが怒鳴る。
「貴女が認めずとも、事は淡々と進んで行きます……どうかご容認下さい」
「……!」
ロザリアは俯き、握り締める拳に力が入っていった。
「さて、長話が過ぎましたね。私はこの辺で失礼させていただきます」
俯いたまま動かないロザリアに、ため息混じりに言葉を吐いたアルバートは、そう言って再びお辞儀を済ませると、背後の騎士へと合図を送って彼女の横を抜けていく。
しかし、止まること無く通り過ぎていく筈の彼の気配は、ロザリアの真横で静止した。違和感を感じた彼女に、ふと小さな囁きが聞こえる。
『神の子は、星の命を廻り……』
「……!?」
ロザリアは目を見開く。
彼が耳元で囁いた言葉は、今懐いていたアルバートの人間性とは明らかに別のものだった。
『……近衛騎士団は皆無事です。リリアン殿下を、どうか宜しくお願い致します』
彼女は振り向き、その姿を見る。
一瞬だけ見えた彼の表情は何処か暗く、そして悲壮感を漂わせているものだった。
呆然とするロザリアの横を次々と抜けていく征夷騎士団に構わず、彼女は立ち尽くす。
「……」
この時、ロザリアは気付いた。
如何なる状況でも彼の意思は変わる事が無いのだと。
「愚かなのは……私の方だな」
彼女は小さく首を振り、自らの無能さを責めた。つくづく単純な自分を恥じる。
「神の子は、星の命を廻り……」
ロザリアは、アルバートが残した言葉と向き合う。
今すべき事、そして果たすべき責務。
彼女は自身に対する責任感を胸にし、静かに顔を上げる。
「……その大役。仰せつかりました」
一人残されたロザリアは、遠退く足音を背に闇の中へと進んでいった。




