孤独の円卓
神暦1618年
天界と冥界の戦いが始まって数百年の月日が経っていた。
下界の人々は魔王の軍勢との長い戦いに疲れ、その信仰力は徐々に衰退し、天界は冥界に圧されている状況にあった。
一向に衰えない魔王の軍勢に怯えた下界の多くの人々は、魔王を討ち滅ぼす唯一の救世主、勇者の誕生を祈っていた。
先代勇者は、英雄神クロイツェルの子として半神半人の生とその加護を授かることにより、その圧倒的な力をもって魔王が支配する魔界を蹂躙し、冥界を窮地に追い込んだ過去がある。
しかし、数百年経った今でも、英雄神クロイツェルの加護を授かる事の出来る器を持った者が誕生することは無かった。
これにより、冥界に勝利する為の手段を失った天界は、衰える信仰力を軽減することが精一杯な状況に陥っていた。
天界エルキア
天空に覆われたその大地には、かつて豊富であった水や木々は、今では少なくなった。
ここ数百年でエルキアの人々からの活気が失われているのは一目瞭然である。
幾つもの白い建物が建ち並ぶその先に著明な建造物はあった。無限を感じさせる長い階段の先に堂々と聳え建つその建造物は、一面を純白に覆われ、中央には見上げる程の高さの巨大な門があるが、無造作に開かれたのか、左右対象ではない。
耳を澄ませると、奥から話し声が聞こえる。雰囲気からして穏やかでないのは明白であった。
使用人らしき天使達が戸惑いを隠せない様子で見詰めるその扉の先に、話し声の主たちがいた。
かなり大きな大広間に一際目立つ一体の純白の銅像を始め、左右には十二の銅像が立ち並んでいる。
そして銅像に挟まれる様に置かれた巨大な円卓からは海や大陸等が立体的に浮き上がっている。よく見ると、そこには小さな船や竜のようなものが動き回っている。それはまるで、世界の表面を剥ぎ取ったかの様だ。
そんな立体的な世界を、四人の老人が囲んで何やら話していた。
「冥界による大陸制圧が進む影響で、下界は飢えに苦しみ、挙げ句の果てには信仰を失った者たちが教えに反して禁忌破りの限りを尽くしておる状況みたいじゃな」
顔中を真っ白な髭で覆われた老人の男が自慢気に髭を撫で下ろしながら淡々と現状をまとめた。
「その影響か、今下界では人間同士の対立が後を絶たない。人間というのは一度秩序が崩れると本能のみで生きる性質を持つ、このまま世界の均衡を保てなくなると天界に未来は、いや、この星に未来は無いか……」
そんな彼の話に、もう一人の皺の深い老人の男が補足を加えながら腕を組んでいると、向かいに座る毛むくじゃらの老人の男が割り込みながら冷静に目を瞑る。
「特に大陸西側諸国による争いじゃ。聞くとこによるとクロ坊の子達によるもの、一方の国はまるで人ならざる力を行使して同種を圧しているそうではないか。この惨状では、英雄神となって五百年にも満たぬクロ坊にはやはり荷が重かったのではないか?神王ベゼルドよ……」
毛むくじゃらの老人は、大きな切り傷を受けて開かない片方の目を置いて、もう片方の目だけを見開きながら一際大きな椅子に座るある人物に視線を送ると、三人の老人はその金色の瞳を一ヶ所へと集めた。
視線を送られた老人は、黄金のローブを身に纏い、まとまった長い白髪から浮かぶ表情は険しく、その眼は全てのものを見通す千里眼の如く鋭い。神王ベゼルドと呼ばれた黄金のローブの老人は静かに肩を竦め、口を開いた。
「エルキアに、混沌の因子が蔓延っている……」
神王の言葉に、沈着と耳を傾ける三人の老人。
混沌の因子なる言葉の意味を捉えた白髭の老人が髭を弄りながら自身の記憶を提示する。
「忽然と失われた。宝物殿にある、十三宝珠の一つ事かの?」
宝珠の名を耳にした皺の深い老人が、ふと怒りを露にしながら金色の瞳を剥き出しにする。
「あれは十二の鍵を司る代物。容易く手を出して善いものではないぞ!?」
「どうやら、求めぬ秩序亡き者への制裁は免れぬ様だな。手遅れとなる前に、ここは王に答えを委ねるとしよう。のぅベゼルドよ」
三人の最後に結論を求めた毛むくじゃらの老人に、静聴していた神王ベゼルドは、静かに口を開く。
「十二神の一人を下界へ送る」
「正気ですかな?下界とは言えど、宝珠の盗人が戦場で猛威を振るっているのですぞ?」
神王ベゼルドの答えを聞いた皺の深い老人が、深々と椅子に背凭れながら詭弁を論じた。
「だからこそだ。十二神の一部が欠如している中、下界の均衡を保つ事が難しい。故に、降臨によって直接手を下し、下界そしてこの天界で暗躍する者を表へと引き出す」
ベゼルドの決断に狼狽えた様子の三人の老人に構うこと無く、視線を大広間の扉へ向ける。
「クロイツェル、分かっておるな?」
「はい……」
神王ベゼルドの問い掛けに応じる声の主は、天使たちによって開かれた大広間の扉から歩いてきた。
外見は二十を越えた大人びた顔には紅玉の瞳が宿っており、肩まで伸ばした褐色の髪を三つ編みに纏めている。そして、腰には装飾が施された黄金色に輝く大きな剣に、蒼白色の鎧を着こなしている。
「此度の件は、私、英雄神クロイツェルの責務であります」
クロイツェルという名の褐色の髪の男は、円卓を挟んで神王ベゼルドと向かい合い、片膝をついて頭を垂れた。
「英雄神クロイツェルよ。神王ベゼルドの名において命ずる。これより下界に降臨し、西側諸国の争いの要因を排除し、その根元を導き出すのだ。神での下界の者への干渉は努めて避けるのだぞ」
「は……。ご命令、必ずや全うして参ります、父上」
神王ベゼルドの命を受けたクロイツェルは、最後に尊き敬称を囁き、静かに立ち上がると、沈黙したまま背を向けて大広間を後にした。
そして扉が閉まる音が鳴り響き、三人の老人が呟いた。
「行ってしまわれたな。いやいや、クロ坊も変わった」
「あれが英雄の血筋の姿なのであろう」
「まったく、ここ数百年で本当にお前さんに似てきたわい」
最期に言い放った毛むくじゃらの老人に、神王ベゼルドは深く息を吐いた。
「……」
そして誰にも悟られない声で言った。
何を言ったかは分からないが、その目はとても遠く、何処か虚しさがあった……。