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6.声の記憶



 デジレ殿下が城の書庫からいくつか楽譜を出してくれたこともあり、ここのところ歌のレパートリーが格段に増えている。私の歌が綺麗だとはじめはメイドたちの間で話題になり、そのメイドの誰かが街へ出た時に食堂のおばさんに伝えて、酒場のおばさんがノアール経由で私にコンタクトをとってきて、私は週末に食堂で歌を披露するという仕事を得た。今まで食堂にはピアノがあるだけで、食堂の娘がピアノを弾いているだけだったのだが、そこに歌もついて客足が伸びたらしい。給料は食堂から支払われるものの他に、歌が終わって、食事をしていた人たちが直接お金をくれるのもカウントされていて、多い日もあれば少ない日もあった。城の仕事でも給料は出ていたけど、仕事とも呼べないような手伝いばかりだったし、手伝いといっても足を引っ張っているように感じられることがほとんどだったから、こうして自分の力で稼げているのが嬉しい。まあ、美しい妹の声を借りているのだから、完全に自分の力だけとも言い切れないけれど。それでも、自分の力だけで稼いだお金で何か買えるのは嬉しいことだ。もっとも、城に大抵のものは用意してあるし、妹が使っていた持ち物を使わせてもらっているから、欲しいと思うものはほとんどない。強いて言うなら本が欲しかったけど、買ったら殿下との時間がなくなりそうだから買わなかった。

 時々はノアールも見にきてくれたし、お忍びで殿下が来てくれたこともある。あの周囲の人に溶け込むような格好をしていてさえ、私は殿下の姿ならすぐに見つけられた。


 食堂での歌の仕事が終わって、城に戻ってベッドに倒れこむ。歌うのは好きだし、いくら歌っても疲れないと思っていたのだけど、そう言うわけでもないらしい。普通に疲れる時は疲れる。趣味で好きに歌うのと、仕事で歌うのは違うみたいだ。何が、とは言えないけれど。暗い部屋でベッドに突っ伏していると、控えめにドアをノックする音が聞こえた。聞き間違いかと思うほどの、小さな音だ。誰だろう。こんな時間に。リリー?


 「どうぞ」


 言いながら、立ち上がる。すぐにでも寝たいと思ったのだけど、仕方ない。ドアを開けると、そこに立っていたのは意外な人物だった。


 「妃殿下……」


 例の、青ざめた顔。ここのところ、いや、あの庭での一件以来、妃殿下は見かけるたびに顔色が悪い。それに、挨拶しようと思っても向こうから私を避けるように去ってしまうことがある。絶対私を認識していると思う時でさえ。

 それがこんな風に夜に訪ねてくるとは、一体どうしたわけだろう。私は妃殿下を部屋に招き入れ、部屋のランプを点けた。妃殿下がどんな風に夜を過ごしているのか知らないけれど、勝手に出歩いているのだろうか。それとも誰かに許可を取っているのだろうか。取っているとしたらどんな風に? いいのかな、と思いつつ椅子に促す。しかし、長居するつもりはないからと妃殿下は座らなかった。固く手を握りしめていて、手が白くなっている。


 「アリス……正直に答えてほしいの」


 妃殿下は縋るような目を向けてくる。私の何がこの方を、こんなに緊張させているのだろう……。


 「ええ、嘘はつかないとお約束します」

 

 妃殿下を安心させるようにゆっくりと言う。私の素性は嘘だらけだけど、必要な嘘以外はついていないはずだ。

 妃殿下はいくらかホッとしたように切り出した。


 「では、聞くけれど。この間歌っていた歌は、何の歌? どこで聞いたことがあるの?」

 「ええと……庭で歌っていた歌のことですよね。妃殿下、私には記憶がないので……」


 これは最初からついてる嘘だから許して……。多少申し訳ない気持ちになる。


 「私も、自然と口から出てきたメロディーなのです。記憶をなくす前に聞いたことがあるから歌えるのでしょうけど、どこで聞いたかまでは思い出せません」


 どこで聞いたか思い出せないと言うか、妹が歌っていた歌だ。妹がどこでこの歌を知ったのかだってわからないのに。でも、きっと人魚が作った歌だと思う。食堂でも数回歌ったけど、誰も聞いたことがなさそうだったし。

 妃殿下は落胆するかと思っていたけど、そうでもなかった。


 「私は、その歌を聞いたことがあるの」

 

 妃殿下は毅然とした声で言った。さっきまでのような怯える態度ではなく。


 「私は……王太子殿下と、浜で会ったの。彼が乗っていた船は嵐に遭って沈没して、それでも奇跡的に殿下は助かったのよ。それであの浜に流れ着いて……」


 妃殿下は私のことを真剣に見つめている。私の反応を注視している。


 「ええ、存じております。妃殿下が、王太子殿下を介抱なさって、それが縁でもあって婚約されたのですよね」

 「そうね。一般にはそう思われているわ。でも、あの時彼を助けたのは私じゃないのよ」


 妃殿下が何を言いたいのか分からなくてじっと黙っていると、妃殿下は少し困惑の色を見せた。


 「私が浜を散歩している時、彼を見つけた。それで城に連絡させて、彼が目覚めるのを待った。結婚した後で、彼は私に言ったの。目を覚ます前に君の歌を聞いたと。あの時のことがなかったら今こうしていないかもしれないと」


 なんとなく分かった。


 「今も殿下はたまに私の歌を聴くわ。でも……殿下が目を閉じている間に聴いた歌は、私の歌じゃないのよ。私も聴いたわ、その歌を。そもそも散歩していたら歌が聞こえたから近づいたんだもの。だから分かるの。殿下を本当に助けたのはその歌を歌っていた子なの。漂流した割に殿下は水を飲んでいなかったし……私の前に、誰かが介抱してたのよ。そして私の姿が見えたから、隠れたかいなくなったか……。」


 妹だ。妹が……嵐の夜に人間を助けたって言ってたんだから。それで彼を追いかけて人間になって……あんな結末を。


 「私には分かるわ。あなたの声だった。あなたの声で、あの歌を歌っていたのよ! ねえ、何か思い出さない? 殿下を助けたのは本当はあなたなのよ」


 妃殿下は興奮のためか、目にたっぷり涙を浮かべていた。

 妃殿下は黙っていたのだ。自分が助けたんじゃないって知ってたのに……。

 もし妹が本当に命の恩人なのだと分かっていたら、王太子殿下も妹に別の感情を持ってくれたかもしれないのに……。

 一瞬、妃殿下に対して憎しみにも似た気持ちが湧き上がる。心臓が、嫌な音を立てて鼓動する。


 「妃殿下、落ち着いてください。私じゃありません、それは、絶対に……」


 私じゃない。本当だ。殿下を助けたのは、私の妹だから。

 今の自分の声が硬いと分かる。


 「あなたは思い出していないだけよ、きっと」


 妃殿下はもう、私が妹と同一人物だと思い込んでいる。ほとんど確信に近い声音で、流れる涙を止めようともしない。しかし私にも誤解を解くすべはない。記憶があると明かす訳にはいかないし。


 「あれからあなたに謝らなければならないと思っていたの。本当はあなたこそこの地位にいたのかもしれないわ。思い出していないと言っているあなたに謝っても仕方のないことかもしれないけれど。ごめんなさい……でも、私も彼を愛しているのよ。今更あなたに何を言っても、信じてもらえないかもしれないけれど、結婚するまで本当に知らなかったの」


 「……妃殿下。私は覚えていないのです。本当に。本当は私だったのだとしても……覚えてないし、妃殿下が謝るようなことではありません。それに私は王太子殿下に何の想いも抱いておりません。もちろん、城に引き取っていただけたことを感謝はしておりますけど」


 余計なことを考えず淀みなく言った。

 妹の運命について考えても仕方ない。とりあえず妃殿下を落ち着かせて、帰ってもらわないと。

 

 「本当に……?」

 「はい。妃殿下、もうお休みになってください。顔色が良くないですし……この話はもう、おしまいにしましょう」


 私はハンカチを出して妃殿下に渡した。これも妹が使っていたハンカチだ。

 妹が喋れないということが本当にどういうことだったのか、なんとなく分かった。声がないことで、喋れないだけではなく、嵐の夜に助けたのは自分なのだという証拠も一緒に失ったのだ。それを知っていて、魔女は妹から魔法の代償に声を奪ったのだろうか。

 妃殿下の涙が、妹のハンカチに吸い込まれていく。

 まだ泣いていた形跡はあるが、いくらか落ち着いたらしい妃殿下は、私の手を握りしめた。


 「ありがとう……。でも、あなたも記憶が戻ったら、やっぱり私のことを許せないと思うかもしれないわ。私、あなたの記憶が戻るためなら何でも協力する。遠慮なく言って頂戴。これが私の償いなんだもの」


 「記憶が戻ったら真っ先に妃殿下にお話しします」


 私は笑顔を作って言った。

 いつからこんなに嘘をつくようになったのだろう。海の中では嘘をつく必要なんてなかったのに。陸では、誰にも本当のことを言えない。

 妃殿下を送り出して、ベッドに再び潜り込む。出ないと思っていたけれど、一人になったらやはり涙が出た。私のたった一人の大切な妹。あの子は、好きな人に何も伝えられていない……。

 私は、絶対に伝えないと。この想いだけでも。明らかに妹よりも恵まれた条件で、私はここにいるのだから。



 

 


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