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4.the sea of stars



 「はあ……」

 「なんだよ、アリス……辛気臭いぞ」


 誰もいないと思ったのに、いつの間にか足元にはノアールがいた。ノアールの姿をちら、と見て再び視線を海へと戻す。


 「考え事か?」


 自分自身、何を思い悩んでいるのかよくわからなかった。ただ憂鬱だった。殿下が、あの夜の青年なのだと分かってから、時々意味のわからない焦燥に駆られる。妹と同じ道を自分が今まさに歩んでいるということが、気になって仕方がなかった。

 深海の魔女に言われた言葉を思い出す。姉たちにも今頃知れているのだろうか。下の妹二人が揃って人間に恋をしたこと。そして、その相手の二人共が同じ国の王族なのだから面白いことだ。


 「デジレ様は今日はどこにいるの…いらっしゃるの?」

 「え? デジレ? デジレは今日は朝から執務室にこもりっきりだぞ。手紙の返事がかなり溜まっているからな」


 そうか、遠征で城を空けていたからか。


 「……アリスはデジレに会いたいのか?」

 「そんなこと、ひとっことも言ってないけど」

 「……、冗談に決まってるだろー」


 私が思いの外強く否定したからか、口調がきつかったのか、ノアールは気圧されたように舌を出した。


 「私の、本。あれ、今度は自分の力で読めないかなと思っただけよ」


 咄嗟に思いついた嘘にしては上出来だと思った。実際、私の語学力ではまだあの本を自力で読むのは難しい。

 だから以前は殿下が読んでくれたのよね。

 思い出して顔が熱くなりそうになる。


 「じゃ、本は俺がとってきてやるよ」

 「ノアール、あなたの力じゃあんな重い本を持ってこられないわよ。どちらにしろ殿下の手を煩わせてしまうし、今日はいいわ」


 大体、嘘だし。


 「じゃーアリス、街に行こう」


 ノアールが唐突に提案する。


 「街? 何よ急に」

 「急じゃないさー。誘うつもりで探していたら、アリスがため息ついてたんだよ」

 「ふーん、そう。ところでどうして街なの? 何かあるの?」

 「それは見てのお楽しみだよ、世間知らずのアリス」


 ノアールは挑発的に笑った。



 ***



 街に出たことは多くない。よく知りもしないところへ行くのは怖かったし、何か非常識なことをしてしまうのではないかと不安だった。土地勘がないこともあり、街へ行くときはいつも人間の誰かが一緒だった。今回の外出を含めても両手で収まりそうな回数だ。

 それほど少ない回数でも、今日がいつもと違うことくらい分かる。いつも賑やかだけど、今日のように店のあちこちに飾りはないし、こんなに客も多くないし、楽器の演奏をしている人たちも多くない。人々も心なしかいつもより着飾っている。

 至る所から楽器の演奏、歌声が聞こえてきて、音楽に合わせて踊っている人もいる。


 「何かお祝いなの?」

 「今日は海の祭りなんだ。一年の船乗りや漁師たちの無事を感謝し、また今年の無事を祈る祭りさ」

 「そうなのね……楽しそう!」


 海でもお祭りはあって、私も妹も大好きだった。陸のお祭りを見るのは初めてだ。


 「あらあ、アリスじゃないの!」


 キョロキョロと周りを見回していると、聞き覚えのある声が響いた。この喧騒の中でもよく通るこの声。


 「エレシアさん?」


 エレシアさんはパン屋のおかみさんだ。パン屋はここではないけれど。テントを見るに、お祭りだから臨時でここに出店しているのだろう。


 「お、アリス、知り合いがいたんだな」

 「ま、ノアールまでいたのね。おいで」


 エレシアさんが手招きする。仲良く祭り見物なのね、と言いながらエレシアさんはちぎったパンをノアールに与えた。


 「ノアールとも知り合いなんじゃないの」

 「俺は顔が広いからな」

 「今日は誰かと待ち合わせなのかい?」

 「いいえ。ノアールが連れてきてくれたの。私はこのお祭りを見るのが初めてだから」


 楽しむんだよ、とエレシアさんが笑顔で言ってくれる。エレシアさんは、私がこの国に来て日が浅いことは知っているが記憶喪失のことまでは知らない。

 ノアールがパンを食べ終わった後、広場へ行った。広場では踊っている人たちや、それを見ながら酒を飲んでいる人たちがいて、街でも人が密集している場所だ。演奏している人の中には魚屋のおじさんもいるし、パン屋であったことがある人もいる。普段は別の仕事をしながら、こうしてお祭りの日には楽器を演奏しているということだろう。海では人魚が楽器を演奏することはなかったから、いつ練習しているのか不思議だった。


 「アリスも踊ってきたらどうだ? たまには羽目を外したいだろ?」


 ノアールが言う。

 音楽は好きだ。歌うのも好きだし、ダンスも好きだし、こんな風に賑やかにしているのを見ると胸が高鳴る。


 「でも、踊れないわ」


 まだ走るのだって難しい。歩くのは人並みにこなせるし階段だって使えるけど、他の人間たちと同じように複雑なステップを踏むのは無理だ。


 「なんとなく、音楽に合わせて動いていればいいだけだよ」

 私の後ろから青年が声をかけてきた。見たことのない人だ。

 

 「城の人だよね? よかったらリードするから踊ろうよ」

 「の、ノアールの知り合いなの?」


 ノアールはブンブンと首を振る。


 「悪いけど、私は……踊っている人たちを見ている方が、好きなの」

 「そうなの? 残念だなあ」


 たいして残念でもなさそうにそう言うと、青年は他の女の子に声をかけて、その女の子と一緒に踊りの輪に入って行った。

 「踊ればよかったじゃないか」


 ノアールが人ごとのように言う。まあ、人ごとなんだけど。


 「知らない人とは踊れないわよ」


 踊り方もわからないし。


 「じゃ、知ってる人なら?」


 また、声をかけられて。今度は顔を見る前に手を取られた。

 「あっ」

 ノアールが声を上げる。

 「! で……」

 殿下。

 しかし、言葉にはならなかった。

 殿下はしっ、と声をひそめる。


 「お忍びなんだよ。これでもね」


 結構堂々と顔を晒しているように見えるけど。でも確かに服は街の人と馴染んでいる。

 殿下は私の手を引いて、踊りの輪に入り込む。音楽は早いリズムで、宮廷音楽のそれとは全然違う。それでも殿下は自然に私の腕を組ませる。


 「脚をバネだと思って」

 「バネ?」

 「そう。脚をバネにして、体を浮かせるんだ」


 バネ……海で踊るときも、尾で水を蹴っていた。同じようなもの、なのかも。脚が尾でないと言うだけで。他の女の子たちのように複雑ではないけれど、音楽のリズムに合わせて体を跳ねさせる。何度もタイミングを合わせているうち、自然と体が動く。殿下は時々体の向きを変え、私にもターンを促す。周囲を見ていると自分もそこに馴染んでいるのを感じられた。


 「踊れているわ。楽しい……!」


 人魚の時はもっとうまく踊れたと思うけれど、人間になったばかりの私にはこれが精一杯だし、でも十分だと思えた。町のお祭りだから作法なんてない。

 クライマックスに向けて、殿下が私にターンを促し、私は何回かくるくると回った。海の中でなら目を回すことはないけれど、地上で硬い地面を感じていると周囲が回っているだけで足がふらつく。ターンを終えると殿下が私の体を支えた。


 「上手だったよ。簡単でしょう?」


 また次の音楽が始まったけれど、殿下は私の手を引いて輪を離れ、ノアールの元へ戻り、椅子代わりの樽に座った。中心では踊り続ける人もいたし、私たちのように休憩をする人やこれから踊りに加わる人もいた。


 「こんなところで何してるんだ? 手紙は?」


 ノアールが追及する。


 「急ぎっぽいのは片付けてきたよ。でも、手紙の返事ごときを今日しなくてもいいだろ? 年に一度のお祭りなんだから」


 ノアールは呆れたようにはあ、とため息を着く。


 「私も驚きました。まさかこんなところでお会いできるなんて」

 「敬語はやめて、アリス」


 殿下は水を3杯分貰うと私とノアールにくれた。

 自覚はなかったけれど私の体も水分を欲していたらしい。

 あっという間にコップがカラになる。


 「書類とにらめっこしていても何もわからない。たまにはこうして街の様子を見にこないとね。視察の時は綺麗な部分だけを見せようとするものだから」

 「お仕事の一環だったんですね……」


 なんだか申し訳ない。


 「仕事が二割の遊びが八割だよ、アリス。真剣に受け取ることないさ」

 「アリス、今日俺は名無しの平民なんだ。敬語は禁止」

 「ご、ごめんなさい」

 「君たち、食事は? 来てどれくらいなんだ?」

 「割ときたばかりだよ。俺はさっきパンを食べたけど」


 ノアールと殿下の目が私に向く。


 「そういえば少し、お腹が空いたかも?」

 「よし。お祭りの時にしか食べられない名物のサンドイッチがあるんだ」


 殿下は立ち上がり、私の手を引く。

 ノアールはひらりと私の肩に飛び乗った。


 殿下が屋台でサンドイッチを買ってくれた。このお祭りに限らず、イベントの時にはこのサンドイッチを街中で買えるらしい。サンドイッチの中は魚のようだ。こちらへ来てから何度か魚を食べているけれど、海で魚を食べることは滅多になかったから、食卓に魚がのぼる頻度の多さに驚いたものだ。ノアールは魚が大好物らしい。


 「アリス、はい」


 まだ屋台のおじさんと話していた殿下が私の頭に花冠を載せた。


 「これは?」

 「ティアラだよ。この祭では花でできた冠を屋台で配ってるんだ。はい、ノアール」


 そう言いながら殿下はノアールにも小さな花冠を渡す。


 「エレノアに。彼女、一匹で砂浜を歩いてたよ」


 それを聞いたノアールは面食らったような顔をする。


 「今日は約束してないけど。アリスにお祭り見せようと思ってたから」

 「うん。アリスの案内は俺に任せて。君、この間のデートに遅刻して怒らせたんだろ? 今日は挽回のチャンスじゃないか」

 「う〜〜ん……」


 ノアールはチラチラと私と殿下を交互に見た。


 「分かった。ありがとう、行ってくる。ごめんな、アリス」

 「いいの。連れて来てくれて嬉しいわ。エレノアさんによろしくね」


 人混みに消えて行く小さな黒い背中に向かって手を振る。 


 「優しいのね、飼い猫の恋人のことまで」

 「あはは。あいつはエレノアにメロメロだからね。少しでも機嫌を損ねた日は落ち込んでるよ。肩を落として城を歩いてるの、見たことない?」


 私は首を横に振る。そんなノアールは見たことないし、いつも飄々としているから想像もつかない。


 「そう言う意味では、ブランの方がドライかな? ブランに今彼女がいるか知らないけど」

 「私、ブランとは最初に会った日から一度も会話していないわ」

 「俺も滅多にブランとは話さないよ。マリーナも、ブランと話したことは少ないんじゃないかな」


 城中から愛されていた妹とさえそんな具合とは、ブランという猫は人見知りなのだろうか。そういえば、私が挨拶した時もそっけなかった気がする。


 「マリーナもこのお祭りにきたことがあるの?」


 妹もこの冠を被ったことがあるのだろうか。あの子は髪が長いからさぞ映えただろう。


 「うーん、それはどうだろう。来るとしたら城の人たちと来るのかな? 少なくともノアールは同行してないよ。去年は本当にずっとエレノアとデートしていたはずだから」


 ラブラブなカップルだ。ノアールが羨ましくなってきた。

 なんとなく妹も王太子殿下と出かけたのではないかと思っていたので、少し意外だった。

 食事を終えた後は屋台を見て回った。売っているのはどれも珍しいものばかりだったけど、貝殻でアクセサリーを作るのは人間も人魚も同じらしい。観光客も多いのか、聞いたことがない言語で喋っている人たちもいる。

 屋台で売られている食べ物の中にはどうやって食べるのか分からないような形のものもあった。

 夜になると花火が上がるらしい。

 それまで、もう少し踊りたくなって広場に移動した。

 先ほどの広場ではまた違う曲が演奏されている。

 何曲か踊っていると、体も慣れてきた。海にいた頃は、妹とも姉たちとも踊っていた。水中で何回転もするのなんてお手の物だった。そう言えば妹は不器用だから、海の中でも目を回していた気がする。妹は地上で踊ったことがあるのだろうか。時々は休憩して、水を飲む。水を飲むのも陸に来てからの習慣だ。人間は色々口に入れないといけなくて大変だと思う。

 踊りは陽が陰っても続いたが、さすがに私たちも疲れて、踊りの喧騒を眺めるようになっていた。


 「そろそろ花火が上がるから、船に行こうか」


 殿下が立ち上がる。


 「船?」

 「そう、花火がよく見えるよ」


 私も立ち上がり、音楽とダンスの残る広場を後にした。

 

 港には、たくさんの花や色とりどりの旗で飾られた船が停泊していた。

 すでに乗っている人も多く、私たちが乗ると、船が出港した。


 「どこまで行くの?」

 「沖まで」


 船はゆっくりとした動きで陸地から離れる。

 身を乗り出すと、船が水を割ってできた波が海へと広がっていく。あの日。この波が泡を散らしていった。私はこの光景を海の中から見ていた。


 「君は船に乗ったことある?」

 「いいえ。見たことはあるけど、乗るのは初めて」


 そういえば殿下はつい最近まで船に乗って国境を見ていたんだっけ。

 船が好きなのだろうか。あるいは海が。

 船が止まったようだ。船はゆらゆら揺れながら海の上に留まっていて、もう波を生み出さない。夜の海は静かだ。


 「アリス」


 呼ばれて振り向くと、グラスを差し出された。飲み物を配っているようだ。中の液体は黒く、いい香りがする。なんだろう、果物? 


 「ワインだよ」

 「これが……」


 知識としては知っているけれど、ボトルしか見たことがない。

 あのボトルの中にはこれが入っていたのか。

 口に含むと苦いような酸っぱいような、形容しがたい味がした。でも、癖になる熱い味。

 ”ワイン”に口をつけていると、口笛のような音がして、グラスに残った液体の表面に、一瞬明るい花を咲かせた。

 空を見ると、次々と夜空を花が彩る。花はパッと咲くとその花びらが海に向かって落ちていく。

 花火を見るのも祝賀パーティーの日以来。

 横を見ると、花火の緋色に照らされた殿下の髪が目に入る。あの日私はこうして彼の髪色を横から見ることがあるなんて想像しただろうか。


 「ねえ、見て」


 殿下は他の多くの人間のように空を見上げず、海を見ていた。促されて海面を見ると、水面に光が映っていた。空の花ほど鮮明ではないにしろ、ぼんやり明るく優しい光。夜の暗い海によく映えている。これを見ていたのか、あの夜も。

 その水面を静かに眺める横顔を見た。あの日私が姉たちに続いてすぐ海に戻っていれば、今こんな思いはしていない。


 「綺麗。本当に」


 私たちは最後の一発まで水面の花火を見つめていた。



 

 

 

 


 




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