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2.さあ飲んで



 「またここにいたの?」


 声をかけられるまで、姉たちが近づいてきたことに気がつかなかった。

 また、心配させてしまう。


 「あなたのことが心配よ。毎日のようにここへ来て……。いつか体を壊してしまう」

 「あなたたちは仲が良かったから、悲しむ気持ちもわかるけれど」

 「私たちはできることをしたわ。どうか休んで……」

 「お父様も心配していたわよ」


 姉たちは心の底から私の心配をしてくれている。

 年が一番近い姉妹で、一番仲が良くて、どんな秘密も打ち明け合った私たち。

 最初は確かに妹を悼むためにここに来ていた。

 あの悲しみは私の胸に強くこびりついてなかなか消え去ってはくれないもの。でも、最近はただ悼んでいるだけではない。ここへ来て、自問自答している。決して後悔しないかどうか。妹の魂だけでもここにあるのなら、私を助けてくれないだろうか。


 

 深海の闇に、自分の姿さえ見えなくなりそうだった。

 絶対に間違ったことをしているという自覚があるし、何度かは引き返そうとも思った。

 深海の洞窟に、魔女の棲家がある。あまりに不気味な場所なので、普通はあまり近づかない。

 以前に来た時は姉たちも一緒だったから、こんなに怖くはなかった。

 妹はここに一人で来たのだ。いまの私と同じように。

 私を飲み込もうとする闇が大きく口を開けて待っている。この奥に魔女がいる。

 恐怖に震えるのに、決して後戻りしたくない。他に道はないのだから。



 「お前は、やはりあの子の姉だね。あの妹の末路を目にしていながら、この道を選ばずにいられないのだね」


 闇の奥で、魔女が嗤う。


 「妹は後悔していなかったと思う。だからお願い、私を人間にして。そのためならなんでも差し出すから……、妹と同じように」


 魔女は私の言葉を予期していたかのように軽く嗤うと、大きな声で言った。


 「人間と人魚の恋が成就するはずはない! ただ苦しみ、憎み、そして息絶えるだけ。それでもお前は人間になりたいと望むのか?」


 魔女の声は洞窟の中で反響し、呪詛のように響いた。


 「言われなくてもわかっているわ。私も、妹に……さんざん言ったもの」


 でも、妹は聞き入れなかった。


 「いいだろう。お前の声を、私にお寄越し」

 言うが早いか、魔女は私に手をかざした。私の喉が焼け付くように痛む。喉がただれるのではないかというほどの痛みに、涙が滲んだ。


 「お前の懲りない図太さに免じて、いいものをあげよう」

 魔女が再び手をかざすと、今度は喉が優しく潤い、先ほどまでの痛みが嘘のように消え去った。かすかな甘みさえも感じる。


 「何を……?」

 声を出して、違和感に気がつく。いつもより、少し高い?


 「お前の妹から預かっていた声だよ」

 魔女が自慢げに言った。


 これが、妹の声!

 自分の喉から発せられる声は、記憶にあるものと異なって聞こえる。この声で歌えば私も妹のように美しい歌を歌えるのだろうか。


 「私も、結ばれなければ泡になるのね」

 「いいえ。お前は、泡にはならない。その代わり、この薬を飲めば、お前はもう二度と人魚には戻れない。死ぬまで、いや、死んでも人間のままだ」


 魔女の言葉は意外なものだった。


 「妹にはなぜあんな条件を? 私と、差がありすぎるような気がするわ」


 私がそう言うと、魔女はまた嗤った。先ほどまでのように呆れた声音ではなく、多少の憐れみも感じさせる声。


 「あの子が生きて……王子と恋敵の幸せな結婚生活を見続ける方がよかったと思う? お前には生きて続く方の苦しみをあげる。ただそれだけさ」


 生きて続く苦しみ。苦しみから逃れる方法は……泡になること。

 魔女の目をじっと見つめると、魔女は気まずそうに目を逸らした。


 「覚悟ができたら薬を飲みな。飲めば二度と海に戻ってこられない」


 私は、姉たちに相談してこなかった。

 妹の次は私だなんて。なんて言われるかは想像がついたし、あの姉たちのことだから、私を人魚に戻すために次は何を差し出すと言うか分かったものじゃない。

 いずれ露見することでも、今は秘密にしておこう。


 「一つ、お願い。姉たちに私の行方を言わないで。何を言われても、何を差し出されたとしても」


 薬の蓋を開けながら、まっすぐ魔女を見据えて言うと、意外にもあっさりと了承された。


 「守秘義務は守ろう」


 薬を一気に煽ると甘く爽やかな味がした。しかし飲み干すと苦味が残り、身体は内側から熱く燃え、私は意識を手放した。


 


***




 妹が人間になった後、どこの浜に流れ着いてどこで目を覚ましたのか私は知らなかった。どうして素性の知れない、声も出ない娘が城に入り込めたのか、陸でどんな苦労があったのかも何も知らなかった。

 何も知らないけれど、とにかく私は妹と同じように、城の一番近くの砂浜に打ち上げられていたらしい。王子……いや、王太子が、王太子妃と出会った記念の砂浜を仲良く散歩していたところ、私を発見してくれたのだ。

 二度も氏素性の知れぬ娘を拾って引き取り城に住まわせてくれる寛大さに、却って心配になるが、これも魔女の対価に含まれているのだろうか?

 どちらにしろ、私が探しているのは祝賀パーティーに招待されるくらいの地位の人なのが確かなのだから、城にいさせてもらえるのはありがたい。

 私は「祝賀パーティーの日に誤って海に転落した娘を思い出させる」らしく、王太子をはじめとした城のみんなに歓迎された。

 血の繋がりがあるから当然だけど、「顔も似ている」と驚かれた。少し話せば妹がこの城で愛されていたのだと言うことをうかがい知ることができた。


 人間になったら鱗がなく滑らかな二本の脚が物珍しく、ドレスの裾をたくし上げてははしたないと怒られた。

 この国の女性はなぜか脚を長い裾の衣服で覆い隠している。どういえば最後に見た妹もこんな服装だった気がする。

 背格好が似ているからと言う理由で私は妹が使っていた服を何着か与えられた。

 「それにしても本当によく似ていること。髪を伸ばせば、きっともっと似るわ。マリーナも話せたらこんな声だったのかしら」

 リリーがしみじみと言う。

 リリーは城の中でも特に妹と仲がよかったらしい。マリーナという名前は、名前がないのはさすがに不便だからと王太子がつけたそうだ。

 リリーも異国の出身だそうで、この国の字を書けないことや話せないこと、知らない文化の中過ごすのに不便がないかなど気にかけてくれていたようだ。妹は簡単な文章なら書けるようになったというから、私もリリーに教えてほしいと頼んだ。字も読めない、常識知らずな女を引き取ってどうするんだろうと疑問だったが、城で簡単な雑用をするようになった。他のメイドたちに比べれば随分と楽な仕事で、花壇の水やりの手伝いとか、掃除道具の片付けとか、基本的には誰かの手伝いだ。することがない時には庭を散歩したり、リリーから字を教わったりしている。暇な誰かが話しかけてくれることもある。そうしていると、時々妹の話をされることがある。どんな些細な話でも私は涙ぐみそうになるのだが、表向きは妹と面識がないのだから素知らぬふりをしなければならないのが少し辛い。どうしてもこらえきれなかった時は「きっと同じ国出身だろうから他人ごととは思えなくて」ということにしている。

 実際そう言うと容姿や仕草が似ているだけに皆納得してくれるのだが、たまに親切な人が真剣に私たちがどこの出身か考察し始めて、少し困ってしまう。絵や文献を見せて見覚えがないか尋ねてくる人もいるけれど、その全てに見覚えがないし、彼らの指し示すものが地上である以上その中に絶対に正解はないから申し訳ない気持ちにもなる。


 

 城の一日はあまり変化がない。基本的に同じ事の繰り返しだ。

 これは海でも同じ事だけれど。

 普段何もないからこそ、何かある日と言うのは聞かされていなくても察しがつく。城の空気が変わるし、リリーはそわそわしているし、手伝いの数も多い。

 バタバタしているところ、リリーを発見したので聞いてみる。


 「今日は何かあるの?」


 パーティーか何かかと思ったけれど、それは外れたようだ。


 「ああ、あなたは知らないわよね。今日はデジレ王子がお戻りになるの。王太子殿下の弟君よ。国境警備の視察に行っていたの。今回は長かったわね」


 この国は海に囲まれているから、国境というのは海の上の話だ。


 「デジレは婚約パーティー以降ずっと船の上だったんだよ」

 「きゃっ」


 私の足をするりと抜けてテーブルに飛び乗ってきた黒い生き物。猫だ。

 陸には変わった生き物がいっぱいいた。どんな常識がないことより、猫を見たことがないと言った時の方が驚かれた。

 城にいる猫は二匹で、ノアールとブラン。どちらも二人の王子のペットだ。

 ブランを城の中で見かけることは少ないが、ノアールは主不在のためか、こうして城内をうろついてきれいに整えたテーブルクロスを乱していく。でもこの小さな闖入者をみんな可愛がっている。私もノアールのことはすぐに好きになった。


 「なんか思い詰めてることが多くなってたんだ。どうかしたのかって聞いても答えてくれないし。そんなある日突然国境警備に同行するなんて言い出してさ。でも、戻ってくるということはある程度納得がいったのかな?」

 「ふーん。猫にも話せない悩みってどんなんかしら」


 リリーが首をかしげる。


 「それよりアリス、ちょっと来いよ」


 前足をペロペロ舐めていたノアールがいきなり言った。


 「なあに?」

 「いいから」

 「でも……」


 忙しい日だと分かったばかりなのに、猫と話していていいのかしら。

 そう思ってリリーをちらっと見たけれど、「いいよ、いってらっしゃい」と送り出してくれた。



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