君は微笑む
少女は狩人が話し終わるまで、何か考え込むように年に似合わない難しい顔つきをしていましたが、狩人が顔を覗き込むようにすると、もうその顔は年相応の無邪気な顔に戻りました。
「狩人さんはどうしてそんなことを知っているの?」
「ふふ、おかしいかい?」
狩人と赤い頭巾を被った少女は、森の最後の木の前で足を止めます。目の前の丘にはこじんまりとした赤い屋根の家が見えていました。
「ここからは一人で行って来るわ。物知りな狩人さんとはここでさようならね」
少女は綺麗な笑みを浮かべ、狩人とつないでいた手を離すと、狩人に向かって綺麗なお辞儀をしました。
「きっとオオカミはこの先で待ち伏せしているよ? 食べられる気なの?」
狩人は目を細めながら鋭い視線を少女に向けます。
しかし、少女は狩人を見返すと決意を込めたほほ笑みを崩すことはありませんでした。
「あら、食べられる気はないわよ。でも私はおばあさんのお見舞いに行かなきゃいけないもの」
大きな籠を抱えなおした少女は弾んだ足取りで歩き出します。もう後ろを振り向くことはありませんでした。
その後ろ姿を見送りながら狩人はにやりと笑うと近くにあった切株に座りました。
「ふふ、さすがだな。本当にあの頑固さは誰に似たのかな」
狩人が眺めていることなど気にせず、少女は暖かい日差しに目を細めながら家を見つめて進みます。
少女の顔はもう何も知らない子供ではなく、何かを悟った女の顔へと変わっていました。
「さぁ、オオカミさん。来るなら早く来てくれないかしら」
少女はオオカミの大きな尻尾が出ている木に向かって少し大きな声でそう言うと、そっと地面に大きな籠を置きました。
狼は唸りながらのっそりと木の陰から出てきました。まるで本物の狼のように…
しかし少女の顔を見ると、少し虚を突かれたような、間抜けな顔をすると、牙をむき出しにした顔で低い声で呟きました。
「どうして、君から声をかけるのさ。君は僕が初めてなことを沢山してくれるね。そして、僕が食べる初めてのニンゲンも君だ」
そういうとオオカミは木の陰から躍り出て、少女に飛びかかります。少女は避けるどころか大きく手を広げオオカミに抱き着ました。
「ねえ、オオカミさん。あなたは狼ではないのでしょう? ならば私はあなたなんか怖くないわ。それに涙を流しているあなたのどこを怖がればいいの?」
少女は暴れるオオカミを抑えると、そののふわふわな背中を撫でました。オオカミの頬は再び雫で濡れ、そしてその瞳には優しさが戻っていました。
やがてオオカミは力を抜きました。オオカミにはもう少女を食べることはできません。そのことが分かっていたからです。
大きな目から大粒の涙を流し、大きな口を開いて泣いているオオカミに少女は優しい声で囁きました。
「あなたは、狼じゃないわ、だって欲望に負けないで私を食べなかったもの」
すると、なんということでしょう。オオカミが涙を零すたびに狼の体がみるみるうちに青年の姿に変わったのです。そして少女の姿も女性に変わりました。
「ああ、元の姿に…」
オオカミから元に戻った青年はそう嬉しそうに呟くと気を失い少女だった女性にもたれ掛かりました。その女性は気を失い、少しやせた青年の頭を愛おしそうに撫でると、赤い屋根のこじんまりした家に向き直り、叫びました。
「おばあちゃん。その扉を開けてベットを貸さないと、一生恨むわよ」
すると、扉がガタンと音をたてました。そしてゆっくりと扉が開き、小さな眼鏡をかけたおばあさんが少し目を泳がせながら外に出てきました。
「おめでとう。無事に元の姿に戻ったのか」
「おかげさまでね」
女性はおばあさんにそう言うと、押しのけるように家に入り青年をおばあさんのベットにそっと下ろしました。そして外で呆然としているおばあさんに向き直りました。
「さて、おばあちゃん、久しぶりね」
「そうだな。お前さんがあの姿になる前からじゃからな」
懐かし気に目を細めたおばあさんは女性が怖い顔をしていることに気が付き首をかしげました。
「どうかしたか? 木こりの坊やは元に戻ったじゃろ?」
「ふう。おばあちゃん、とりあえず家に入ってお手製のお茶入れてほしいなぁ」
「うん? まあ、ずっと外にいるのも老体には堪えるからのう」
おばあさんは女性の諦めたような顔を悪戯が成功したような顔で見ながら意気揚々と自宅に入りました。
そして自分のベットに少し幼い顔で寝込んでいる木こりの青年を優しい目で見ると、台所へそのまま足を進めた。
その後ろから女性が遅れて家に入ってきました。
「そういえば、おばあちゃん。これ忘れないうちに渡しておくね」
女性の手には大きな籠があった。どうやらオオカミに対面するために地面に置いた籠を持ってきたらしい。
「そういえば、体調が悪いと手紙に書いていたけど元気そうね。もしかして仮病?」
「うんにゃ。少し体調を崩していた。まあ、元々オオカミと会わせるためにここには呼ぶつもりではあったがなあ」
水をポットに入れて火に掛けたおばあさんは居間に戻り籠に手をかけました。
「ワインとサンドウィッチか。どちらも私の好物だ。ありがとう」
「小さい姿だとすごく重かった… そういえばこれも返しておくわ」
女性は思い出したようにポケットに入れていた赤い頭巾をおばあさんに向かって差し出しました。
「これって私の記憶が中途半端に戻らないようにの保険装置でしょ。もう記憶の戻った私には必要ないから」
「おやおや。赤い頭巾の乙女のシンボルなのに持ってなくていいのかい?」
少し赤い頭巾を寂しそうに見たおばあさんは、すぐに茶目っ気たっぷりにからかう言葉をかけます。
「うわー 黒歴史を掘り返すな~ まあ、でもそこまで言うなら記念に貰っておきます。それにこれ、今思い出したんだけど本当におばあちゃんに貰った初めての誕生日プレゼントだから」
驚いた顔をするおばあさんに女性が悪戯が成功したように笑いました。そして赤い頭巾を大事に胸に抱えます。
「覚えてたのかい… そろそろお湯が沸いたかね」
その様子に少し耳を赤くしたおばあさんは赤くなった顔を隠すように慌てて台所に行きます。それをにやにやしながら見ていた女性は、まだ眠っている青年の枕元に歩いて行きました。そして青年の安らかな顔に安心すると青年の頭を優しくなでました。
「お茶、出来たよ」
「おばあちゃん。彼をオオカミにした本当の理由、教えてもらっていい?」
居間のテーブルにお茶を置いたおばあさんに女性が問いかけると、さっきまでの空気が一瞬にして緊張したものに変わりました。
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