魔女とのワルツ
やっと食べられる。ニンゲンが…… ああ、これで飢えが満たされる。
そういえば、おばあさんの家に行くと言っていたな。このあたりで家といえば丘の一軒家か。
あそこで待っていればあのニンゲンが来る。そういえば、近くに大きな木があった。そこで襲えばいい。きっとおいしいのだろうな。あんな制約があるぐらいだからな。
オオカミは尻尾を振りながら丘に向けて走り出します。もうオオカミの頭の中はあの赤い頭巾を被ったニンゲンをどうやって食べるか、そのことだけを考えていました。
「やっとやっと」
そう言いながら走るオオカミの眼には透明な雫がこぼれていました。口は笑みを描き、瞳に狂気を宿し、しかし雫は流されます。しかし、オオカミ自身はその雫に気が付くことは無くただ風のように走りました。
「あの… お願いだから」
無意識のうちにこぼれる言葉も、気が付かないほど欲におぼれた本能はもう何も考えることはありません。オオカミはただ欲を満たすために走ります。色とりどりの花が咲く花畑も、澄んだ泉も気にも留めることもないままに…
そして、森が終わる場所まで来ました。
やっと見えてきたこじんまりとした赤い屋根の家はなぜかなつかしさを感じて思わずオオカミは足を止めます。
「ここは、あの場所…?」
オオカミは夜になるたび夢を見ました。こじんまりとした赤い屋根の家がいつも出てくる夢。その夢は必ずこの家の扉の前に立つところから始まります。そしてオオカミに向かって不思議な声が言うのです。
「あなたがもし、人間を食べることになったなら、まずここに来なさい」
優しい声はまるで母に包まれているような、そんな安心感がありました。オオカミはフラフラとまるで誘われるように木製の扉の前に立ちます。
その時ようやくオオカミは頬を濡らす雫に気が付きました。手で拭っても止まらないそれに、何かを思い出しそうになった時、ふいに強い風が吹きました。
オオカミは慌てて目を閉じます。
しかし、風がやむ前に狼はすぐに目を開けました。その瞳に理性はありません。
目を開けた狼は、なぜ自分が扉の前に立っているのかわからず首をかしげます。
「オレ、なんで? 早く隠れなきゃ。ニンゲンくる」
狼は軽い足取りで家の隣に立つ大きな木の陰に隠れました。
大きな耳を立て、ギラリと光る眼で道を見て、大きな口は笑みの形をえがきます。
その様子は今までとは違い、どこかで見え隠れしていた人間らしさが消えていました。
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