8.
王都を囲むようにして真っ白いレンガを積み上げて作った門を突破し、目に飛び込んでくるのは一面緑色の森である。
目の前に一切の建物がないなんて、こんな光景は何年ぶりか。
ゆっくりと何も考えずに歩く。
大きく息を吸い込んで、自然をこの身で存分に感じては吐き出し、また吸い込みを繰り返していると右前方からガサガサと小さな音が聞こえる。
「そこね!」
聞きなれたその音に腰に下げたミラリオからもらった銃を抜き取り、弾丸を標的に撃ち込む。
気付いてから発砲するまでの時間は昔とあまり変わっていない。
腕が鈍っていないことに一安心しながら、大体の大きさしか認識していなかった標的を回収に行く。
「角ウサギね! 懐かしいわ。この子、美味しいのよね……」
草むらで息絶えていた真っ白な耳と大きな角が特徴のそれに食欲がそそられる。
角ウサギは通常のウサギの3倍ほどの脚力と鋭い角を持つ魔獣で、運動量が通常のウサギよりも多いからなのか、身が引き締まっていて非常に美味なのだ。
だが叔父は魔獣の肉など下賤の者の食べ物だと言って食卓に並べることはおろか、私の口に入れることも許さなかった。
だがもう叔父の目など気にする必要はないのだ!
素晴らしきこの自由!
銃を腰に下げてから早速角をポッキリと折って、皮を剥ぎ、それらは後から売りに出すために収納しておく。そして足のホルダーからナイフを抜き取ってウサギを捌いていく。
初めてのご飯がこんなに大きな角ウサギのお肉だなんてついてるわ!
適当な大きさにカットした肉を、手近な枝で作った串に刺して、左手に出したファイヤーボールで炙っていく。
久しぶりの魔法だったからか、ファイヤーボールの円が思いのほか大きく、調整するのに時間はかかったものの、お肉はコンガリと山吹色に焼けている。
ふぅふぅと湯気の出る肉を冷ましてから、人目を気にせずに豪快にかぶりつく。
「美味しい!!」
ほどよく弾力のある肉は噛むごとに肉汁を口の中に広げていって、食が進むものの、付け合わせで何か欲しくなる。
「この辺りに食べられそうな野草があったりとかしないかしら?」
行儀はよろしくないが、ハフハフとお肉を冷ましながら野草や木の実を歩き回って探す。
すると上を見上げればよく熟れて真っ赤になった甘い果汁が特徴のレムの実。
木の根元にはシャキシャキとした歯ごたえが特徴のラフララ草。
そして極め付けはポーションの材料としても有名な薬草、フランフラン草とリャンガラ花の花畑。
まるでお肉の付け合わせに食べてと言わんばかりに!……ってなんでこんなに植物が多いの?
さすがにこの数年、一度も王都から出ていない私でもこんなに門から近い森の中にこんな良質な果実や薬草が残って入れば不思議に思う。
いくら奥に進んでいるからとはいえ、まだそんなに遠くへ来たわけでもない。
このくらいの場所なら王都のギルドから依頼を受けた冒険者が薬草の採取に足を運ぶような距離である。
なのになぜ?と首を傾げていると、もう一つの疑問が頭へと浮かび上がる。
思えば角ウサギも今食べているこの一羽しか遭遇していないのだ。
それも今しがた私のお腹を満たしているこの子に出会ったのは門の目の前と言っても過言ではない場所。
――そんなところまで普通魔物はやってこないはずなのだ。
それに気づいて顔をあげる同時に、複数の魔物の気配を感じ取った。
15mくらい先に、私を囲むように5体ってところかしら?
ここまで近づくまで気づかなかったのは私が食べ物に集中していたからではなく、それだけ相手が気配を消すのが上手いからだ。
……多分。
だがこの辺りの魔獣なら5体くらいいようが、そんなに手間取らないだろう。
残りのお肉を串を横に引くようにして一気にお腹に収めてから、比較的小さな個体がいる方向へと串を投げる。
串を投げた方向からキャンと声がし、周りの草木がガサガサと騒めいた――と同時に他の四方向から思い切り地面を蹴る音が響く。
ガウ。
ガルルルル。
姿を現したのは人が乗れるほどの大きな身体と艶やかな銀色の毛が特徴のヒルドウルフ、だと思う。
普通こんなところにヒルドウルフなんていないハズなんだけど?
彼らの生息地は乾燥地帯の谷や丘である。
だが森を主な生息地とするウルフ達の群れにこんなに大きな個体はいないはずだ。いたとしてもその群れのボスの1体だけ。
だけどまぁ……力試しにはちょうどいいんじゃないかしら?
私の真後ろを陣取る不届きなヒルドウルフに右手に溜めたファイヤーボールを大きく振りかぶって投げつける。そしてすぐさま空いたその手で腰から抜き取った銃で左右の個体に弾丸をおみまいする。
それで隙が出来たとばかりに飛びかかるヒルドウルフは力強く蹴飛ばす。
それぞれの個体から距離を取れたものの、初めの1体は投げつけたファイヤーボールに肉を炙った時の火力しかなかったからか、少し火傷を負った程度で、最後の1体は結構ガッツリ蹴りが入ったはずなのだが、まだいけるとばかりにフラフラとなりながらも立ち上がった。
他の2体はどうしたと視線をやればどちらも立ち上がる気配はない。
銃弾を一発撃ち込んだだけで? 嘘でしょ? とは思うものの、戦闘不能なら先に後の2体を片付けるか銃のグリップを握りしめる。
バウッーー。
声を上げて、気合いを入れなおしてから飛びかかってくるヒルドウルフの脳天に思い切り銃体を叩きつけて、怯んだところをボディに一発蹴りを決め込んでやる。
木に身体を叩きつけ、完全に動かなくなったヒルドウルフ。
それを間近で見せられた最後の1体はキャンと犬のように鳴いてその場から勢いよく立ち去った。
勝てないと悟ったのか、戦略的撤退というやつだろうか?
冒険者のように依頼を受けているわけではないので追いかけてまで狩るつもりはない。それにあの個体もそう長くは持たないだろう。
完全に見えなくなるのを確認してから、木の根元に横たわるヒルドウルフを収納し、そして問題の2体へと近づく。
近くで確認して見てもやはり息はしていない。
どこか辺りが良かったのか?と銃弾を打ち込まれた場所を探してみるが、頭・胸・腹・肺のどこにも鉛で出来た弾は見つからない。
代わりに真っ黒く焼け焦げた痕だけがそれぞれの腹の部分に残されていた。
焦げたその部分の毛はまだ温かい。
まるでつい今しがた火の魔法で攻撃されたかのように。
「これってまさか……」
腰に戻した銃を抜き取り、グリップを握りながら頭の中でファイヤーボールを発動させることをイメージする。
さっき発動したものようもずっと大きな、私を覆い込んでしまうような大きさのファイヤーボールを。
そして目の前の樹に向けて引き金を引くと――その樹は真っ青の美しい炎を纏って灰になった。
「なるほど、これが魔力弾の効果ね」
口に出して、これこそがミラリオの贈り物である銃の効果なのだと納得する同時に、自分の魔力の上限が昔よりもずっと上がっていることを実感した。
数年前は、森や山を駆け回っていたあの頃はまだ強化魔法とほんの少しの魔法しか使えなかったのだ。
ファイヤーボールだって肉を炙って食べたり、木や薪につけて暖をとる程度で、水属性のウォーターボールだって飲む分を出せる程度だった。
その他の魔法も便利かな?程度だった。
少なくとも樹を灰になるまで燃やすなんて出来なかったはずだ。
これは銃を通したから発動できたものなのか確かめるべく、他の樹に左手を添えて「ライトニングサンダー」と唱える。
するとそこに出来たのは稲妻が走り、黒く焼け焦げてみすぼらしくなった一本の大樹だった。
「こうなると、どっかで魔力量測定しときたいわね」
魔力量というのは成長と共に体内の保有量を増やしていく、というのは学園の初等部で習った。
魔法学の基礎中の基礎である。
だが魔力量が多いからといって、それに比例するだけの魔法が使えるかと言われればそうではない。
一応基礎的な、生活や護身術として使えそうな火や水の下級魔法は皆、座学を習った後、初等部の卒業試験の一環として習得させられる。
だがそれより強大な魔法を操るにはそれだけの技術と鍛錬、そして素質が必要なのだ。
将来魔法師を目指す者は授業で先生に習うなり、優秀な魔法師に教えを乞うなりして力をつけていく。
のだが、私そういうことは一切してない。
そもそも貴族達は魔法が必要な時は魔法師に頼ればいいという考えがほとんどである。
自分の身くらい自分で守れるよう、魔法を身につけておいて損はないかと考えた時期もあったがそれには叔父の目が邪魔だった。
だがその目をかい潜ってまで習得しようという気がなかったのも事実だ。
普通に生活していたらそんなバンバン魔法を使う機会ってそんなにないし、難しいことを考えて魔法を練り上げてから撃つよりも、その身を動かしていくか、銃を放つかした方が楽だったからだ。
魔法師になるつもりもなかったから、魔力測定をしたのは初等部の卒業試験の検査のみ。
だがこうも簡単に大樹を焦がしてしまうなら、自分のキャパシティーというものを知っておいた方が良さそうだ。
それに何より、ヒルドウルフ達を恐れて隠れていたのだろう魔物達が一斉に相手に気配を察知させることすら気にせずに散り散りに逃げ出してしまった。
日々戦いながら生き抜いている魔物達の反応がコレで、私自身も驚いているとなれば、普通の人の前でこんなことしたら腰を抜かされることだろう。
ザガン王子なら笑い転げて、スチュアートやケイネスなら褒めちぎるだろうけど、彼らと同じ反応を期待してはいけない、と思う。
魔力測定をしたい――となればまず目指すのは近くの村のギルドか。
どうせ早めにギルドメンバー登録もしとかなきゃだし、このヒルドウルフや角ウサギの角や皮も売っちゃいたいし。
そうと決まればさっさと周りの薬草と木の実を採取して、ネックレスの中に保管する。
魔物は逃げちゃったし、食べ物になりそうなものってこれくらいしかないから、さっさと人の住んでる村に向かわないと!
ただ一つ、困ったことがある。
それは私はここから最短距離にある村の位置を知らないことだ。
「けど、まぁ走ってればそのうち着くわよね!」
先ほどの戦いで付いた砂埃をパンパンと叩く。
そして右、左と足と腕の筋肉を伸ばしながらほぐし、いっちにさんと屈伸を繰り返してから、思い切り地面を蹴る。
肌を掠めるその風は柔らかな草木の香りがした。