5.
そしていよいよ舞台開幕の朝を迎えた。
一睡も寝られていないというのに、気持ちは意外にも穏やかである。
階段から落ちた時に怪我がよく目立つようにと叔父様から支持を受けたのだろう使用人が持ってきたのは白百合のように柔らかい白のドレス。
シルエットは1年ほど前にお針子を呼んで作らせた私の髪や瞳と同じダークブルーのお気に入りのドレスと全く同じである。
勝手に作らせるならせめて装飾くらい変えてくれと思うのはオトメゴコロというやつだ。まぁあの叔父に理解しろと言っても絶対無理だが。
そもそもこのドレスを注文した時期から予想して、叔父は初めから何か怪我をするようなことを私にさせるつもりだったのだ。
どこぞの深窓の姫君でもあるまいし、そんなやわな鍛え方をしていないので、そもそも私は階段から落ちたくらいじゃ怪我なんてしない。
地上3階建てくらいだったら多分、窓から飛び降りても無傷で走り出せるんじゃないだろうか?
テキパキとドレスを着させられながら、このドレスは空気抵抗もろに受けそうだな〜なんて、もし目の前の窓から飛び降りたらなんて想像をしてみる。
「オーフィリア様、よくお似合いです」
いつのまにか髪のセットまで終えられていた私は全身鏡の前で今日の自分を見つめてみる。
やっぱりこう見ても裾の広がるドレスは可愛い。それに今は何も入れていないが、中に色々と隠せるから便利だ。銃とか、後小型の魔道具や爆弾くらいなら仕込めたりする。
けど、どこからか飛び降りることを考えたら改造の余地があるのよね……。
「どこか気に入らないところがありましたか?」
「いいえ、ないわ」
気に入らないことなどない。
ただ後々、私に最適なドレスに変えていく楽しみが増えただけ。
だがそれよりも今日この日に大事なことといえば、フラッドマン家を終わらせることだ。
持っていきたい荷物のほとんどは本型の収納箱に移した。
動きやすさを重視したドレスは演技が終わって、この屋敷を追い出される前にすぐに用意できるように脳内で候補を5着ほど選んである。
持っていくトランクだが、屋敷に私用のものがあることにはあるはずなのだが、お父様とお母様が亡くなってからというもの、この屋敷を長く開けたことはないため、トランクの大きさがイマイチ想像できなかった。
自分のトランクを買ってもらった頃の私は幼かったとはいえ、両親2人のものと大きさに大した差がなかったとは思う。だがそれでもどれくらい入るかは実際に物を入れて見なければわからない。
私がこれから生きるために必要度の高い収納箱を優先的に入れて、ドレスがトランクに入らなければ一着ずつ削っていくしかあるまい。
とりあえずお気に入りのダークブルーのドレス2着は必ず持っていくことにしよう。
これだけは譲れない。
「それじゃあ馬車を出してちょうだい」
「かしこまりました」
最後に棚の上からミスリル製のセンスを持って準備は完了だ。
馬車を走らせ、今日が登校最終日となる学園を公爵令嬢らしく、お淑やかに一歩を踏みしめて、目的地である行動へと足を運ぶ。
途中で通過した階段で後ろから押されたように感じたが……振り返っても誰もいなかったし気のせいだろうと気にせず進む。
時刻はちょうど授業を終えた鐘を鳴らす時間。
学園一の受講生徒数を誇る、アールドマイド教授の授業を終えた生徒が講堂へと流れ込む。
その中には当然ザガン王子とメリアンヌ、そして生徒に紛れるようにザガン王子の専属騎士もいる。
舞台は揃った。
さぁ、始めようか。
オーフィリア=フラッドマンの終幕を。
「ザガン王子、なぜですか……! なぜあなたの隣に置いていただけるのは私ではないのですか?」
ザガン王子とメリアンヌ、セットで移動する2人との距離を詰め、けれど一定の距離を保った状態で、湧き上がる感情を押さえつけるように、胸のあたりの生地を掴む。
声はなるべく悲壮感を漂わせて、焦らずとじっくり語りかけるように、そして訴えるように発するのがポイントだ。
それを押さえておくだけで、聴衆は容易に足を止めてくれる。
この演劇は、アッサドラ王国第一王子のザガン王子、筆頭貴族フラッドマン家の令嬢兼王子の婚約者であるオーフィリア=フラッドマン、そして国中探しても数人しかいないとされる光の加護を持った少女にして筆頭貴族アスラーン家の養子であるメリアンヌという豪華キャストを中心にお送りするのだ。
貴族であろうとそうでなくとも興味がないわけがない。
それに第一声を務めたのは、数年間模範的な『公爵令嬢』と『王子の婚約者』という役柄を二つ同時にこなしていた私である。
演技力には自信があるのだ。
「オーフィリア。こんなところで大きな声を上げるとははしたない。……話があるなら後で聞こう」
そうしてシナリオの通り、ザガン王子はメリアンヌの肩を抱いて人目を避けるようにこの場を後にしようとする。
――が当然、メリアンヌに嫉妬した設定のオーフィリアが逃すわけがない。
「待ってください。王子はいつもそうやって私から逃げてばかり……そんなにその女のことが大事なのですか!? その女が、光の加護を受けているから」
「それは…………」
「……っ、そんなどこで産まれたかもわからない娘を王子妃にしようなんて!」
光の加護というは不治の病ですら治してしまえるという特別な能力を有しているのだ。
ただの筆頭貴族の令嬢よりも大事に決まっているのは百も承知である。
産まれなんてものは関係ない。
メリアンヌは幼い頃に育ての親を亡くしてからなのか芯が強く、真っ直ぐとした自分を持っている。そして自分が色々と苦労して育ったからか、人に優しくできるような子なのだ。
その上、フラッドマン家の使用人時代からよく働くわ、気が効くわ。
それに慣れないダンスレッスンやマナーを仕込んだ時だって、彼女が努力を惜しむことはなかった。
今やアスラーン家の当主が行くところ行くところでメリアンヌの自慢をしているほどである。
たまたま珍しい光の加護を受けているだけで、後は全部あの子が努力して手に入れたものなんだから褒めて上げることはあっても嫉妬なんてしないわよ!!――と自分の口から出た言葉に反論したい。
けれどここは我慢、我慢である。
今の私は悪役、オーフィリア=フラッドマン。
常々メリアンヌの出生について裏でコソコソと言っている御令嬢方のように、嫌味1割嫉妬9割くらいの演技をしなくてはならないのだ!
「オーフィリア、君は何てことを言うんだ!」
そう、ザガン王子が叫んだ時だった。
ザガン王子を見つめる私の目の端、メリアンヌの背後にナイフを持った男子生徒がジリジリと彼女との距離を詰め、後二歩まで迫っているところを発見してしまった。
兵士からは……死角になっていて見えないようだ、なんて確認しているうちにメリアンヌと男の距離はわずか一歩。
「メリアンヌ! 右側に大股一歩分ズレなさい!」
気づけば私は今しがた公演中の劇を放棄して、昔のようにメリアンヌに指示を出していた。
彼女もまた演者であったはずだが、反射的に私の指示に従う。
そして彼女の足が床から浮き上がったと同時に左手でドレスからセンスを抜き取り、手のスナップを効かせ、ナイフ投げの要領でメリアンヌが居た場所へと投げた。
いきなり標的が居なくなって焦る男にミスリル製のセンスは予想通りの打撃を決めてくれた。
怯んでいる男へと足早に近づき、ナイフを遠くに蹴ると彼の身体を押さえつける。
「衛兵、取り押さえなさい!」
「はっ!」
まさかこんなことが起きるとは予想して居なかっただろう衛兵ではあるが、すでにテキパキと男の拘束を始めている。
後ろ手に手錠を嵌められた男はそれで諦めるかと思えば今度は標的を変えて私に向けて叫び始める。
「なぜですか、オーフィリア様! フラッドマン家の一員のあなたがなぜその女を庇うのですか! 光の加護を受けている人間とはいえ万能ではない! 人は治せても自分の治療は出来ないとあなたもご存知のはずです!」
その言葉に私は遠くに蹴り飛ばしたナイフを回収する。
「そうです、それを深く刺せばいい。そうすればその女は!」
「殺さないわよ。私が彼女を殺すことに意味なんてないもの」
そんな当たり前のことを口にして、サバイバルナイフを畳んでから「これもよろしく」と手近の衛兵へと渡す。すると無言で敬礼を返す衛兵にニコリと微笑んでおく。
よし、これで劇が再開できる――そう振り向いた先にいたのはポカンと呆けた観衆と、感動に震えるメリアンヌ、そしてしてやったとばかりに笑うザガン王子だった。
「オーフィリア=フラッドマンはメリアンヌ暗殺の企てに加わっていない。彼女は私達の協力者だ。もう長い間、ね。それにフラッドマン公爵及び彼と繋がりを持っていた貴族達はすでに送検された後だ。……もちろん君の父、ファデラー子爵もね」
「そんな……」
ザガン王子がシナリオには描かれていなかった言葉を男に向けて発したことで、私はやっとシナリオが自分の書いたものからザガン王子が用意したものへと書き換えられていたことを知った。
それもオーフィリア=フラッドマンの立ち位置を悪役から、メリアンヌを救ったヒーローに変えるなんて思い切ったことをしてくれる。
だから衛兵は動き出さなかったのかと納得する手前、メリアンヌに怪我でもあったらどうするのか! と怒り出したくなる。……がおそらくメリアンヌの様子からして、彼女もまた了承済みだったのだろう。
知らなかったのは、仲間外れになっていたのは私だけである。
「オーフィリア様、助けていただきありがとうございます!」
本心からだろう感謝を込めて勢いよく抱きつくメリアンヌを抱きしめながら、何もなかったことだし、まぁいっかと納得するしかなさそうだ。
「オーフィリア、中々の演技だったよ。君のおかげで彼を欺くことができた。……それに今しがた全員確保したとの連絡が入ってね、社交界の汚れも一掃できたというわけだ」
演技じみた笑みでパチパチとわざとらしく拍手を向けるザガン王子。
彼は私がもう悪役に戻れないことをわかっていて、その上で私へのキャラ付けをする。
さすがは腹黒王子である。
「さすがは名家、フラッドマン家のご令嬢だ。私としては是非とも君に公爵家を継いでほしいのだが、『爵位を返還すること』は君たっての希望だ。無理には引き止めまい」
だが私が自由になること、そしてフラッドマン家を終わらせることは止めないらしい。
『剥奪』から『返還』と言葉を変えられてはいるのが少し気になるが、だがこれでもうフラッドマン公爵家がなくなったのは確かなのだ。
そう、もう二度とあの叔父がフラッドマンを語ることはないのだ。
ならいっか!
私が描いたオーフィリア=フラッドマンの終幕は私が悪役になるはずのものだった。
「だがそれ相応の褒美をしなければアッサドラ王国の恥だ。何せ君は『光の加護』の持ち主を救ってくれたのだから」
けれど用意されていたのは新たな門出を祝う、私が主役として据えられた舞台だった。
そして私の悪事を証言するはずだった聴衆からは舞台を終えた私達へ惜しげも無く拍手が送られる。
――こうして私はオーフィリア=フラッドマンの人生は終幕を迎えることができたのだった。