4.
それから数日。
叔父に隙さえあれば鍛冶屋に向かって、せめてナイフだけでも研いで欲しかったのだが、何やら妙に叔父の周りが騒がしい。
叔父自身も屋敷を出たり入ったりを繰り返し、屋敷にいる時間が読めない上に、先程ついに私に2人の使用人をつけて屋敷を出た。
「叔父様はどうかなさったのかしら?」
「オーフィリア様はご心配なさらず、ただクロニスタ様のお帰りをお待ちしていればよろしいのですよ」
少しでも様子を伺うかと思ったのだが、どうやら私自身、よほど警戒されているらしい。
学園に通うことすら禁じられるとは計算外だ。
私が舞台に立たなくては、オーフィリア=フラッドマンの終幕は始まることすらない。
それじゃあダメなのだ。
叔父の罪の発覚だけでは弱い。
最悪の場合、あの人は地の底からでも這い上がってくるだろう。
なにせこの数年間、あらゆるルートから叔父を調べてはいたものの、彼の交友関係がイマイチ把握できなかったのだ。
ザガン王子ですらシッポを掴むまでにこれほどの時間がかかった。
だからこそ私はこれ以上、フラッドマンの名前が泥に塗れないように爵位を捨てることにした。
今この瞬間、2人の屈強な使用人を殴って気絶させ、この場を離脱することは容易である。
なんなら片手でクロテッドクリームとジャムを沢山乗せたスコーンを食べながらでも10秒もあればノックアウト出来る。
なにせ2人揃って屈強なのは見た目だけで、ただのお嬢の世話係でもさせられているのだとばかりに気を抜いているのだから。
警戒するならする、警備するならするでちゃんと仕事を全うできないなんて、使用人失格である。
執事の見習いの鏡であるスチュアートがもしこの場にいたら説教2時間コースだろうなと思うとクスリと笑いが溢れる。
「オーフィリア様、どうかなさいましたか?」
「なんでもないわ」
あの子が今ここにいたならばそもそもこんなに退屈することもないだろう。
もしするなら今日はどんなハンデをつけようか。
せめて両方の足に10kgほどの重りをつけなきゃダメかしら?
ここ数ヶ月でメキメキと身長が伸びて来て成長痛で身体が辛いとボヤいていたが、まだまだ私の方が大きい。
以前は身体の小ささから小回りの良さを重視した戦闘方法を身につけ、ザガン王子の近衛騎士ぐらいだったら素手で倒せるくらいになったけど、そろそろその方法も見直さなければいけない。
だがスチュアートは未だに決定打というものを持っていない。
あの子の場合、普段使うのは二本の短剣だから早々素手で決め込むことはないのだが、別れる前に一発で相手をノックダウンさせる方法くらいは習得させてあげたかったな……。
なんだかんだ言って1番の武器は己の身体なのだ。
――ということで今のスチュアートと鍛錬するなら、ハンデとして付けた重りでスピード力が落ちた……と見せかけておいてその重り付きの足で彼の足元を攻め続けるのが一番だろう。
重りって当たると地味に痛いのよね。
装着者としては付けているだけで足を中心に鍛えられるし、いざとなれば取り外して飛び道具にもなるし、中身によっては引き裂いて目くらましとして使うことだって可能だ。
その便利さから様々な種類の重りをクローゼットの中に保管しているのだが、さすがに屋敷を去る際にそれらを持っていくのは荷物が増えすぎてしまう。
そのまま残して置いたら誰か私の重りコレクションを有効活用してくれないかしら?
この屋敷の品々を押収するのはザガン王子付きの衛兵達だし、成長期のスチュアートか、最近買い出しばかりで身体が鈍って来ているとボヤいていたケイネスの手に渡ることを願っておくことにしよう。
彼らがまた一段と強くなることを想像しながら、ふと天井を見上げる。
もうこの屋敷に彼らと刻んだ傷痕の数々なんて残っていないはずなのに、私にはそこにドワーフのミラリオと一緒に遊びで作った大剣をグサリと突き立てて出来た大きな痕が見えた気がした。
「オーフィリア!」
私が近く去ることになるこの屋敷の思い出に浸っていると、それは叔父の声によって現在へと引き戻された。
いつも何事をも見下したような叔父が珍しく息を切らして、目はしきりに左右を見回している。
――それはまだ日常でなければいけないはずの私達の計画にヒビを入れる可能性がある。
「どうされたのですか、叔父様?」
焦る気持ちに重りを乗せて、まるで叔父を心配したかのように眉を下げてみせる。
「ザガン王子がフラッドマンを切り捨てるために動き出した」
「王子が、ですか?」
あの王子が直前になって計画を悟られるなんてそんな……叔父側の人間が王宮にもいるってこと?
だが内通者がいるならなぜ今になって?
5年も動き続けていたのだ。
あの慎重派なザガン王子のことだからいくつもの叔父の罪を抑えているはずだ。
それが今になって…………?
いや、ザガン王子がよりによってチェックメイト直前で失敗するなんてあり得ない。ということはこれはザガン王子が流したエサだ。
だが1つだけ疑問は残る。
なぜわざわざこんなリスクを犯しているのか。
学園内で私の描いたシナリオを演じている時に裏で押さえてしまえば良かったのに。
これじゃあ逃げられてしまう可能性だって多いにあり得る。
ザガン王子の心境が掴めない私の頭は疑問を浮かべては潰して、新たな疑問を浮かべていく。
私が考え込んでいる前で、叔父はザガン王子の行動に、そして自分の過去に苛立つように頭を掻き毟る。
「くそ、あの時、メリアンヌに利用価値があると分かった時、鎖をつけて地下室に繋いでおけば良かったんだ! 光の加護を受けたあの娘がよりによって忌々しいアスラーン公爵家などに渡らなければフラッドマンの地位が揺らぐことなどなかったのだ!」
『メリアンヌを鎖で繋ぐ』――その言葉に私は一気に心が冷え切っていくのを感じた。
おそらく今の私の顔には心配したような演技すら浮かんではいないだろう。
それどころかフラッドマンの爵位剥奪が確定するまでは決して表に出してはいけない怒りを抑え込むのに必死である。
この目の前の男を殴ってしまうことなんて簡単だ。けれどそうしては意味がないのだ。
私には叔父を殴り飛ばせるだけの腕力がある。
けれど彼がフラッドマンの名前を名乗ることを止めるための、二度とこの場に立たせないようにするための権力はないのだ。
「叔父様、いかがなさるおつもりですか?」
だが今の私でも出来ることはある。
それは姪として叔父の動向を探ることだ。
王子ほどの権力がなく、さらに彼の考えが正確には分からずとも、描いたシナリオくらいは察しておきたいのだ。
なにせ明日はいよいよオーフィリア=フラッドマンの終幕を演じる日なのだ。
観客はアッサド国立学園の生徒と教員ほぼ全員。
初めての舞台にしては動員数は多いわ、いきなり主演を務めなくてはいけないわ、の大舞台である。
そんな中で初めて描いたシナリオを披露するのだ。
綻びなど生じてはいけない。
悪役の終幕はヒロインのハッピーエンドにならなくてはならないのだから。
「オーフィリア、お前はよく働いてくれた。だが役には立たなかった。だから今度こそフラッドマンの役に立ってくれ。お前に出来ることといえば……そうだな、あの王子、今更になって手紙で呼び出すくらいにはまだお前には何かしらの思いを抱いているようだから、それを利用してやれ」
何がフラッドマンの役に立てだ。
自分の利益しか考えていないくせに。
「利用、ですか?」
怒りで震える拳を見た叔父は、それを不安と勘違いしたように「そう難しいことではない」と鼻で笑った。
「オーフィリア、お前は明日学園に行ってメリアンヌに危害を加えられたフリをして飛び降りろ。時間に余裕などないが試す価値くらいはある」
「え?」
「なに、お前が以前やろうとして失敗に終わったことを繰り返せばいいだけだ。簡単だろう?」
「……わかりましたわ。必ずそのお役目を果たさせていただきます」
「ああ期待している」
それでメリアンヌが勝ち取った地位から引きずり落とし、あわよくば私が死んでくれればいいとでも思っているのだろう。
なんてお気楽な頭をしているんだ。
だがこれで屋敷から一歩も出れない生活ともおさらばだ。
そして今夜でこの屋敷ともサヨウナラでもある。
「オーフィリア。お前はもう寝なさい」
叔父に促されて部屋へと戻って、すぐさまベッドに入った私はその日初めて一睡もできずに夜を明かした。