2.
「おかえり、オーフィリア」
「……ただいま帰りましたわ、叔父様」
気持ちとしてはザガン王子と別れたその足ですぐにでも信用のおける鍛冶屋に向かって、武器の相談をしたかった。
だが信頼を置いていた御者、シルフには数日前に暇を出した。
牧羊民族である彼の馬を操る術は一流ではあった。それこそザガン王子に城の厩務員に欲しいと何度も願われるほどには。
私も当初はザガン王子に彼を預けるつもりだったのだが、シルフは私の元へ残ってくれた。
そしてこの数年、私が賊に襲われるたびに私のサポートをしてくれたのだが、彼は戦闘には不向きであった。
メリアンヌを養子に出してからというもの明らかに数を増やした賊に私を襲わせる犯人など、どうせ叔父しかいないのだ。
大方私を誘拐するなり、怪我を負わせるなりして、その罪をメリアンヌに被せようとしたのだろう。
もちろん私がそんなことで怪我を負ってやる義理はない。
……が、叔父もさすがにこう何度も失敗を続けていることに焦りを感じたのか、ついに御者であるシルフに怪我を負わせることにしたのだ。
叔父もシルフの馬を操るその腕前を認めていて、私を王子妃に据えた暁には彼を利用する気満々だったからそんなことしたくはなかっただろう。
私も叔父のそういうズルくて汚らしいところは信頼していた。
だから私はシルフを側に置き続けた。
怪我をした彼は自分よりも私を心配して「まだここに置いてくれ」と言ってくれた。
だが私は彼に暇を出した。
「手を怪我した御者に価値などないわ」
叔父の前であったため、強くそう言い放ったのだが、シルフにはちゃんと通じていただろう。
なにせ彼とはもう長い付き合いで、4歳の頃にコロッピオ山の峠に居着いていた山賊達との攻防戦だって彼の馬さばきがなければもっと苦戦していたはずだ。
口には出さずとも私が動きやすいように馬を操ってくれるのはきっと後にも先にも彼だけだろう。
そんなシルフをこれ以上、叔父様の目が届く範囲に置いておくわけにはいかないのだ。
幸いにも怪我といっても御者生命を脅かす程のものではなく、何より私には彼の怪我がすぐに治ると確証がある。
つい数年前までフラッドマン家で専属医を務めていた、現在はミッドナイト地区に拠点を構える天才医、カーリー=シムビコールと親友なのだ。きっとすぐに彼を頼ることだろう。
私が過去に色々と拳による話し合いで友情が芽生えた賊達の怪我を治してあげていたのもカーリーである。
私との話し合い中に出来た怪我だけでなく、彼らがずっと昔に作った怪我まで綺麗さっぱり治してしまうのだから凄いものだ。
今になってみると、よく幼い私が声を掛けてついて来てくれたわよね……。
彼がフラッドマン家に尽くしてくれていたこと、そして長い間、たった一つの公爵家の専属医のみを生業としていたことは、フラッドマンどころかこの国の七不思議の一つでもある。
その真相はただフラッドマン家の専属医だけで手一杯だったからなのだが、どうやら普通のお貴族様というものは怪我が極端に少ないらしい。
だから病的なほどに肌は白く、か細く、一発でKO出来そうなほどに弱いのだ。
怪我は勲章とは言わないし、少ないに越したことはないが、『貴族というのは常に平民を守るべき立場にあらなければならない』というお父様の教えを常に胸に抱き続ける私としてはもうちょっと鍛えた方がいいと思う。
何も医者の仕事は怪我や病を治すだけではない。その予防もまた彼らの仕事である。
幼い頃からカーリーから英才教育を受けた私はそもそも病すらほとんどかからない身体を手に入れた。
ちなみに上級貴族である以上、毒殺される危険もあるということで昔から少しずつ毒に耐性をつけてきたため、毒すら効かない。
そんな私にこの屋敷を去る前、カーリーは「怪我をした時、病気にかかった時には絶対私の元に来てくださいね!!」と力強く言い残していった。
結局、彼が去ってからめっきり刺激がなくなった私が怪我を負うことはなかった。
精神的苦痛を負うことはいくらでもあったが、さすがにそれは彼の専門範囲外だし、そんな格好の悪いことを相談して心配されたくはなかったため、あれから彼とは取っていない。が、噂を聞く限りは元気にやっているようである。
そしてシルフの代わりに私に付けられた御者だが……いつも何を考えているんだかわからない、仮面を顔にへばり付けたような男である。
おそらくはこの男も叔父の内通者である可能性が高い。
そんな男がすぐ側にいる状況で賊に襲われでもしたらどうしようかと悩んでいたのだが、その心配のタネから芽がでるよりも早く物事は解決しそうだ。
さすがは腹黒王子!
「ザガン王子のご様子はどうだった?」
「お元気でしたわ」
「そうか」
……だがそれも一週間後、この叔父を引き摺り下ろすまでは確定事項ではない。
だから渋々、私は自分を押し込めて叔父に向けて作り笑いを浮かべる。
もう慣れたもので、両頬の筋肉がピクピクと痙攣することもない。
慣れたくなどなかったが、それも叔父に怪しまれないようにするための必要な行為のうちだった。
叔父がこの屋敷を占領してから、私の味方はもう片手で数えられるほどしかいない。
どこでどんな行動が怪しまれるかわからないのだ。
そんな中でチェックメイト直前まで駒を進め、そして来週にはその首を狩れるのだから悲壮感に浸かる気なんてさらさらない。
むしろそこまで固めていても穴があったことに笑い声を上げずにはいられない。
だがお腹を抱えて笑うのは全てが終わって、王都を去った後にしなくては。
「オーフィリア」
「なんですか?」
「お前はフラッドマン家の血を継ぐ唯一の娘だ。その誇りを忘れるでないぞ」
「ええ、もちろんですわ」
そんなこと言われずとも、片時だって忘れたことはない。
私はオーフィリア=フラッドマン。
由緒正しきフラッドマン公爵家の娘にして、その誇りを腐らせてしまったこの家を終わらせる最後のフラッドマン公爵令嬢である。