報告書7
報告書7
あけましてあめでとうございます
今年もよろしくお願いします
それで、昨年から続いているストライキのことなのだが、当事者の一人として原因と経過を詳しく書き添えたい。
始まりは11月18日に出された布告だった。我々ロウランド派遣隊員は現地で生活するために職やアルバイトを持っている場合がほとんどなのだが、本国の方で、その収入が問題になったのだ。
この所得に税金がかからないのはおかしいということになり、来年一月から収入の一割を徴収すると定められたのだ。言うまでもなくこの収入は、ロウランドで生活して調査するために使われているにもかかわらずだ。だいたいすでに、我々は収入分の税を、ロウランド政府に払っているのだ。
この旨を高等統帥部の方に代表者を送って陳述し、また税金をかけるのなら、本国の口座にたまっているロウランド勤務分の給料をロウランドで使えるようにしてほしいとの代替案もしたためて、タキオン波送信機にて送り出す。
発射されたタキオンがハイマート側の受信機に届いてから、暗号を解読するのには時間がかかるのだが、その間にもう一つの事件が起こる。
ロウランドで活動する者は一ヶ月ごとに日誌を提出する義務がある。例え風邪だろうとただ漫然と過ごした日であろうと、何時ごろにどんなことをしたかの一〇分単位のメモリが刻まれた紙に漏らさず書いて、それをまとめて見せるのだ。
私がこのとき提出した日誌には、例の簿記3級の試験を受けて合格したと記してあったのだが、この資格は「劣った」ロウランドで取得されたもので、ハイマートの組織で活動する場合、考慮には入らないとされたのだ。知っての通りこれらの資格を持っていると、業務の幅が広がり、ささやかだが手当がつくので、それが取り上げられた形になる。
私はハイマートの簿記の教科書と試験問題を取り寄せ(この許可もめんどうくさかった)、ロウランドのものと照合し、内容についてはほとんど違いがない事実を確認する。生活維持省の会計課に所属する友人にも確認を取る。更に他に資格を取っていた者、とくに運転免許や公認会計士を持った連中と共同で署名を書き、劣っているという願望に近い評価を覆し、ロウランドで得た知識を殺さず、活かせるようにと要請する。だいたい、これまではそんなこと一言も問題にならず、手当ても出ていたのだ。
署名など「大衆的」と受け取りを拒否された。
そこに、先の税金の徴収の決定と、本国にたまったロウランド収入の転用不可の、知らせがもたらされた。
ロウランドでの浜口さんについて説明する。
同志浜口は大学生に見えるお人である。もちろん大学生ではない。ロウランド派遣隊の第一陣として颯爽と登場し、他の術士や構成員が引き上げた後も志願して残り、無名、あるいは地元では有名な大学を次々と遍歴し、終わりのない学生生活を満喫していた。牽強付会で博覧強記であり、ほぼ全ての公式書類に精通しており、これを続々と蓄えた知識や雑学で書き換え、自らの宙ぶらりんな公的立場をかえって堅固なものとする。噂では四十歳に届くといわれており、またその韜晦ぶりの果てに、独力で魔法を習得したという怪談さえ囁かれていた。
その彼の演説をほぼ再現する。
「同志諸賢。私は長年にわたってこの異界の地で、ただの一回も本来の世界に戻らず奉職を続けました。これは私自身の性質にもよりますが、何より自分の組織への忠誠心と、その背後に控える共同体を思ってのことです。
今回の問題は、いよいよその組織の問題を明るみに出しました。
そもそも我々の団体は、異界の存在という、そこにあるだけで悩みが起こるインパクトと、従来の政体を乗り超える目的で結成された、真に自由な精神を持つ体制だったはずです(ここで「そうだ!」という参加者の声)。
ところが組織自体は、混乱から突然現れた独裁者の出現によって変質してしまい、彼の命脈が尽きた後もなお、その変質した体質を維持してしまった。
彼らはロウランドを軽蔑しながらよく理解もせず、それを調べようと孤軍奮闘する我々を蔑ろにし、あまつさえ邪魔さえするのです。
我々のとる道はどうするべきでしょうか? 要求を続けて予算を増やさせる? 私が得た公認会計士、二級建築士、基本情報技術者(以下長いので略)のような各種検定の活用を認めさせる? そんなのは小さな目的でしかありません。
事態は、組織のゆがんだ体質の是正によってのみ、解決されると確信します。
みなさん、ストライキです(参加者のどよめきが起こる)。もともと組織の中でも日本人隊は、民間の春闘に倣って、ストライキを起こしても協議による緩やかな妥結を旨とし、争いと衆愚による疲弊を防いできた。それを今、我ら寄り合いの日本集団が再現するのです。
もちろん私は我々の組織が、集団で群れて要求を通そうとする数の暴力に対して、いかなる制裁を加えるのかももちろん知っています。
それで、今回のストライキで肝要なのは、あくまで組織のために実施される点です。
民衆が自由を振りかざし、自分の価値を吊り上げ、社会から利益を引き出そうというような私欲に基づくものではなく、あくまで、達成した暁には組織そのものでさえ最後には得をする、公共の福祉に基づいた、ストライキを実施しようじゃありませんか!
(ここで参加者のほぼ全てが拍手)」
こうして我々、ロウランド派遣隊日本方面集団関西隊は、自分たちが仕事するための生活費防衛を目指して、ストライキに入ることになった。12月8日のことである。
まず始めにやったことは、我々が保持する小銃と小銃弾の数の確認である。本来はロウランド当局に我々の存在が知れ、万に一つ一戦を交えることになったら、使用される予定のものだ。
この数によって、当局が鎮圧部隊を送ってきた場合、いったん(形だけでも)抗戦を試みるか速やかに降伏するかが決められる。
銃器はピストルも含めて約300丁、弾薬は●●万発(ここは防諜のため伏せさせてくれ)しかないことが判明し、抵抗は断念される。関心は降参した場合の処遇に移り、ストライキの主導者のみが処刑されるか、それとも主要人物を一掃されるか、あるいは、罰の執行とその後の手間へのめんどうくささから何もなかったこととして見逃されるか、どのような扱いを受けるであろうかが討議される。
とにかく穏便にことが運ぶよう、ハイマートの同期同僚知人に仲裁を働きかける連絡を積んだ特殊潜航艇が急遽派遣されることが決定し、実行される。これは12月11日のことだ。
同時に、問題が解決されるまで、タキオンによる定時連絡を一切絶つという戦術が採用された。この宣言だけはタキオン波に乗せて送られる。
我々の日々のロウランド調査の仕事も継続されることが決定した。
「なぜならより良い仕事を目指してストライキをやっているのだから、仕事を放棄するのは本末転倒」と、海外の集団(註1)より出向してきていたある術士が主張したからだ。
おかげで、ストライキをやっているのに仕事をしているという、大変矛盾した状態が形作られた。
よって、大学に通う任務も続けられることになる。
通う大学の問題点を描写することによって、ロウランドの大学の多くが抱える欠陥を指摘する。
仕事で通う大学は、率直に言えば地方のニ流である。もともとは女子大で、少子化から男女共学になり、生物学的に脳容量の大きいはずの男が入学してきても、偏差値は是正されなかった。むしろ「質は下がった」との証言さえある。多くの学生はここが志望ではなく、いわば本志望の滑り止めとして受けて、そのまま滑って入ってきた。
学科は文学科と国際交流学科がいわゆる「稼ぎ頭」である。他に心理学科や美術学科、驚くべきことに、「マンガ・アニメーション学科」、「スイーツ(デザートのこと)学科」という奇態な概念の存在がある。おそらく、顧客獲得への周到な思考の末の産物だろう。涙ぐましい上に、間違っているように思われる。ヘタな考えは休むに似ていない、ただ有害である。
マンガやお菓子のせいではないだろうが、大学の経営状況は芳しくない。赤字ではないが、自転車操業だ。負担は立派な図書館のせいでもある。ある高名な建築家にわざわざ設計を依頼し、衆目を引こうとしたが、その建築家は多作のためにさして注目をされず、膨大な借金が残った。この借金返済のため本が買えず、本棚はスカスカのままである。文字通りの本末転倒だ。
キャンパスは二つあって、どちらも駅から大変近く、しかも閑静な住宅街や商業用地に立てられている。マンションに理想的な立地と言えば伝わりやすいか。事実、大学をたたんでマンションにするという噂がまことしやかに囁かれている。
部活動は種類が少なく、しかも諸々の規則や規制が多いため盛んでない。元女子大の影響で、スポーツ系のクラブ数は片手で間に合う。そしてなかなか新規に作らせない。生徒が郊外で活動し、余計に金がかかって、しかもなにか世間様とトラブルを起こすことを極度に恐れているのだ。我々の世界で奨励されている武道やライフル射撃は望むべくもない。無論これは一つの大学のみに喫せられる問題ではなく、世間一般の不寛容、硬直化も原因であるが。
もう一つ驚くべきことに、この大学では教職員の労働組合が設立されていない。これは無理解と篭絡が関係している。一番有力である国際交流学科が「家父長的な」学長に遠慮しており、しかもその遠慮の報酬として予算を多めに得ていた。学長に批判的な文学科の人員は、しかし労働組合の意義が理解できずに賛成しない。前に伝えた日本近代史の塾の講師に似た准教授が、労働組合の結成を呼びかけても、同じ年代の自然地理学の准教授たった一人の賛同しか得られなかったという。この従順と無知の中、学科間で燃やされるお決まりの角逐が、職場の改善を妨げている。
重ねて言うがこれらの問題は、ロウランドのほぼ全ての大学が多かれ少なかれ抱える問題である。
大学に生息する「ユニークな」教授について描写したい。半年以上通っていると、いろいろなことが見えてくる。
●聖書考古学の教授
以前伝えた「フレッシュマンセミナー」の授業で知ったお人である。「ラテン語」、「古代ギリシャ語」、そして「聖書考古学」と、日本の大学では絶対に陽のあたらない講義を担当している。
彼は自己韜晦と好々爺を装った、ある意味好々爺である。結婚経験はなく、多趣味で、おおらかな語り草と正反対の驚くほどしゃちこばった文体の歴史論文を書く。のくせに、歴史に飽きてしまった感がある。よく本を読む彼の手の中身は、ほとんど生物か鳥類の専門書であった。講義の最初はだいたい学校の悪口で始まる。彼が最も長くこの大学に勤務する人間であるにもかかわらずだ。本人が見られたいと望むほど奇人ではないが、たしかに変人ではある。
ちなみに前述の大学の問題点の多くは、彼が情報ソースである。なので、多少誇張はあるかもしれない。
●日本近現代史の准教授
たびたび記している、塾の講師に見える彼である。
体格は肥満ではなく、体質としての太り気味である。腰が低く、声は大変大きい。気象条件がよければ二階下の教室にいても聞こえてくる。善良にしか見えない人柄と、人気のある明治維新を扱う講義であるため、いつも聴講生は多い。
人権問題の歴史という、高尚なテーマが専門分野であるがゆえ、勤め先の職場環境の至らなさが目に付いて心を痛めている。そんな温厚な彼が唯一憤ったのは、大学が暴力団から、同和地区の長々とした歴史書まがいの紙束を不当な値段で買ってしまったときだが(「僕がその場に居たらこんなもの絶対買わせなかったのに!」)、それでさえ宿命的な顔のパーツのおかげで笑顔に見えた。
●地域再生学の講師
私に中国山地のバイオ燃料事業とか、夕張市のあがきとかを教えてくれた、女性講師である。年は40の頃だが、少女の感性を忘れていない、好人物である。
この講義は社会人にも聴講を許している「社会人講座」で、そもそもこのシステムを大学に導入したのは彼女だ。寝ている学生の机をたたき、小声のおしゃべりにも素早く怒鳴り、社会人の老人の質問をやりこめる。
映画が好きで、しばしば映画の話題を講義中にはさむ。黒沢明とか、小津安二郎とか、モノクロで今では真の映画人にしか見向きされなくなった古い映画について語る。この間はスピルバーグの「シンドラーのリスト」が「抱きしめたいほど大好きだ」と言っていた。私もこの作品を見たが、絶対に「抱きしめたい」とは思わない。端的に言えは虐殺がいっぱい出てくる名作である。
余談だが、この人の期末テストは「夕張市をどう発展させるか?」であった。私は炭鉱跡を「大規模な射撃訓練場」にして、若い警官や自衛官を集め、人口の増加と銃器製造による経済発展を成し遂げるべきだと論じた。絶対に最高の評価である「秀」がもらえると思ったが、結果は下から二番目の「良」であった。納得がいかない。
●教育学科主任
教育学科の主任で、学長の遠縁にあたる女性である。大学(運営ではなく)経営でも重要なポジションに着き、学術的にも一定の成果を収めた女性らしい。
語り口はかしましい。無邪気にさえ見える。だがある程度年数をこなした女秘書が待つような、自分の専門分野に対する狡猾さも併せ持っている。話に対するまちがいをこちらが指摘し、たまたま知る機会のあった最新の情報を教えると「そうゆう説もあるよね」とそつなく返す。
彼女の一般教養は破滅していて、例えば坂本竜馬の名前と写真が一致しておらず、円高を「円が高くなった」と素直に喜び、もちろん労働組合の意義もわからない。
なお、彼女の趣味は寺社仏閣巡りだそうだ。
冬休みになった。受信は可能な状態にしておいたタキオン装置(とゆうより、扱う物質の性質上、機械を停止させることが出来ない)が、大学生らしく遊びに行くようにとの命令をキャッチしたことを知らされた。組織はロウランドの大学生は、休みになると絶対に遊びに行くと思っているらしい。ストライキ中なので、遊びに行かない。
「今回の問題評議会」というのが、ストライキに際して結成された団体の名称だ。そこから15発だけ銃弾があてがわれて、ピストル射撃の練習をする機会が与えられた。場所は夕張市・・・ ではなく、奈良県の鹿しかいないような山奥だ。
ピストルは「南部十四年式」という、どうしようもない旧式銃である。親指で撃鉄を起こすでっぱりがなく、安全装置に指が届かない。日本人の設計だから、日本人にとってグリップがにぎりやすい、ただそれだけが美点であった。
どうしてこんな大正生まれの老人があてがわれたかというと、いざロウランドの官憲に見つかったら、「帝国陸軍に所属していたじいちゃんの形見」と言い逃れするそうだ。ちなみに私の銃には海軍の紋章が付いていた。
しかし、いざ撃ってみると良い気晴らしになる。反動が少なく、驚くほど撃ちやすい。ただこの反動の低さは、そもそも弾の威力が弱いということなので、素直には喜べないが。
派遣隊員には、ハイマートで認められていた帯銃、帯刀の権利が禁止されている。ロウランドの公権力に見つかったとき、至極厄介なことになるからだ。ナイフでさえ(表向きには)ダメだ。この勢いだから、鉄砲を触る機会もなく、腕がなまる。
この銃を家まで持ち出してよいか聞いたが、当然のごとく断わられた。
射撃からの帰りに、見慣れぬ番号から電話がかかってくる。少しためらったが出る。
アマゾンであった。電話口の女性は、なかなか丁重で滑らかな挨拶をした後、「クリスマス前でめちゃくちゃ忙しいから倉庫に来い」と要約できることを言った。私は請け負った。
ロウランドの流通業の、もっとも忙しい時期は年末である。それは冬休みで増える暇な学生、信じてもいない宗教のイベント、そしていろいろ必要なのはわかりきっているのに直前になってあわてて準備する主婦、これらの需要の相乗効果のためである。
夏以来ぶりの倉庫は、外面はとくに変わりはなかった。ただ内部は、飾り付けられたプラスチック製のもみの木だとか紙の輪っかを連結させたものだとかで、いろいろ彩られていた。
再び収集されたアルバイトたちは、まず「ギフトラッピング」を学ばされることになる。アマゾンのギフトラッピングの根幹は、「紙袋」と「リボン結び」である。
リボン結びは、小ぎれいなナイロン袋の口を結ぶために採用されている、悪しきチョウチョ結びである。これはチョウチョ結びと違って、結び目がきれいに、そして左右対称になるように結ばねばならない。それも、結ぶのに適していない幅の広いリボンを使ってである。
そして紙袋は、おもに四角い商品を包むのに使われる。ただ入れるのではなく、入れた後の袋をうまく折りたたんで四角い見た目にしなければならない。
このギフトラッピングは、ほぼクリスマスのプレゼントを包むのに使われる。クリスマスはほぼ二週間後だ。
教えられた人間たちはそのまま作業台で、お客さん向けの商品のラッピングを開始する。その場を仕切る女性社員は、クリスマスのラッピングがあまりにも大変でクリスマスそのものを嫌悪するようになっていたが、それはおくびにも出さず目を光らせていた。手先が器用そうな人間を選び、五階のラッピングのみをとり行なう一画に送り込もうという魂胆だ。
何人かいた人間のうち、隣の作業台にいた女性二人はどこかでギフトラッピングをした経験があるらしく、すぐに選抜された。しかしこれでは人数が足りないらしく、手先が小ましと判断された人間に声がかけられる。
私を含めた五人は、社員に連れられて五階へと移動する。そこでは女の子が一人で、山のようなプレゼントを切り盛りしていた。
「チャンちゃーん! リボン結びと紙袋ができる人間、連れてきたから!」
実際は上述の女性二名を除いてリボンも紙袋もおぼつかない人材だったが、とにかく作業台に一つにつき二人ずつ、押し込められる。
そして張さんが待っていましたと言わんばかりに、視界の影に隠れていたおもちゃを追加で運び込む。我々は赤の他人のプレゼントの山に包囲された。
プレゼントはいくつかのキャラクターグッズの他に、ドンジャラ、レゴ、人生ゲームなどが目についた。
ドンジャラは、マージャンを子ども向けに簡易に改造したもので、いたいけな子どもをマージャンという悪しき習慣に引きずり込む布石となるおもちゃだ。ドラえもん、ポケットモンスター、妖怪ウォッチなどのアニメの絵が採用されている。
レゴブロックは知育玩具で、私も子どものころ遊んでいた。この倉庫で人気なのはスターウォーズに出てきた宇宙の運び屋が使用しているモデルを再現したもので、私はこの横に向けられたドライヤーのような形の宇宙船を、何隻もリボン結びした。
人生ゲームは、すごろく型ボードゲームと言えるもので、人生においては相手を出し抜き、不幸を祈り、借金、マイホーム、家族、ペットなどのあらゆる困苦を押し付けることが成功への近道だと学ぶにはうってつけのゲームである。
他に仮面ライダーベルトや、プリキュアという魔法少女アニメの変身セット、ガンダムのプラモデルなどをラッピングして、クリスマスまで過ごすことになる。
クリスマスまで一週間を切ったある日、携帯がふらぐから着信ありとお知らせを表示していた。その日は、クリスマスに商品が届くよう間に合わせるにはこの日に発送しなければならないという最後の日で、22時まで残業をしていた(普段は17時上がり)。アマゾンの倉庫は作業場に電子機器を持ち込むことを禁じているので、退社するまで着信に気がつかなかったのだ。
メールで用件を問い合わせようと操作していると、着信で残量が減っていたバッテリーが切れてしまった。この携帯電話には、石綿からなどの連絡も入るので迷惑である。
家に戻り充電し、かけなおす。『クリスマスツリーの飾り付けを手伝って』とのことだった。
「え、あなたクリスチャンか?」
『まさか。オレがあんな『イタイ』宗教に入信していると思ってるわけ?』
確かにクリスチャンにしては劣悪な性格をしている。
「男がツリーを飾り付けるわけ?」
『んー、みんなでなんかしようかと思って』
「いや、相士なので宗教はダメだ」思わず本音が出た。
幸い、彼は自分に聞きなれない単語は処理しない脳みそだったので、無視された。
『――その日なんか予定あるの?』
「あ~ 24日はむずかしいな」
『とにかく、日にちずらしてもやろうぜ~。ツリーの(葉の)一本一本にマック(マクドナルドの略称)のポテトを差し込んで、ナゲットを飾り付ける「フライドナゲットツリー」』。
このとき、ロウランドにはそんな習慣があると本気で思った。
「わかった。行こう。場所はどこだ?」
『オレのうち』
ふらぐの家は大阪の南部にある。大阪中心部に出るより、奈良へ行くほうが手軽な位置の町だ。
12月27日。見知らぬ人間を拒むように入り組んだ住宅地の奥にある、彼の家に参上した。ここまで日にちがずれ込んだのは、あの女性社員が「あなたはクリスマスにアマゾンで働くために雇われたといっても過言ではないんだから!」ともっともなことを言ったからだ。なお、契約自体は年末までである。
玄関をくぐると、チワワという品種名の小型犬が、まるで年来の遊び友達が来たかのようにけたたましく吠えつつ、足に寄りかかって服をなめてきた。
「行儀の悪いメス犬だなぁ」といっしょに出迎えたふらぐが言った。
彼は一軒家を持てるほどの中流家庭の、一人息子として生まれた。父は高等教育を受けていないヒラの立場からかなりの地位まで登りつめた誇り高き市役所職員で、母はやさしい看護婦である。
彼自身はわがまま、放縦、同年代の他者への配慮のなさ、こういった一人っ子の陥りやすい欠点を全て体現し、寡黙、責任感、粘り強さ、ある種の節度など、一人っ子ゆえ育ちやすい美徳はどこかへ落っことしていた。
二階の一番奥にあるふらぐの部屋に案内される。
ロウランド人の部屋について描写しておくのも、悪いことではないだろう。
北側にあるドアから入るとまず正面にベッドがあり、部屋のほぼ三分の一を占めている。その横には学習机と立派なパソコンがある。部屋は六畳ほどだ。ベッドの向かい、つまりドアから入ってすぐ右手には液晶テレビと180センチほどの本棚があり、マンガがつまっている。ロフト付きの部屋なのだが、そのロフトはアマゾンの倉庫のようになっている。
床にはソニー社製のゲーム機とそのソフトが散らばっていて、足の踏み場に迷う。お菓子の袋も何種類か転がっている。部屋を人格の延長とするなら、彼は甘やかされた小学生のようだった。
足の踏み場がなく、腰を下ろせるところもなかったので、私はしばらくつっ立っていた。彼自身は椅子に座ってパソコンの操作を始める。彼はミクシィの会員で、ブログの更新をしているようだ。
こちらにもコミュニティに参加し、自分のブログを持つように勧められたが、断った。
さっきからしきりに犬がじゃれついてくるので、なんとか床に座って相手をすることにした。犬は嫌いではない。
すぐにふらぐが尻尾をつかんでひっぱり上げ、弄び始めた。そしてどうゆう意図だか知らないが、この小型犬を「猛獣」だとか「可愛い猫」だとか「いざとなったらお兄ちゃん(ふらぐのこと)を守ってくれるんだよねー」とのファンタジーで持ち上げつつ、腹を見せる服従の姿勢を強要させた。犬は唸っている。
私はペットを飼うやつが嫌いである。
間もなくヨウムが来た。彼はこの家に慣れているらしく、すぐにベッドに腰を下ろした。
あ、そこに座っていいのか、と思った。
「いやーオレってイカレちゃってるからさぁ」漫然とベッドを見ていると、そんなことを言われた。
よく見ると枕もとのもたれかけのところに「死神風」と彫刻刀で彫ってあって、小学校の図工の絵の具の使い残りで塗ったような、おどろおどろしい着色がしてある。そのこと何か特別なことのように自慢しているらしい。「しのかみかぜ」と読むのだそうだ。私は「しにがみふう」だと思った。
この世界のクリスマスに対する認識について説明する。
これは宗教行事というよりも、チキンとケーキとクリスマスプレゼントとラブホテルの消費を促進する機会といったほうが正確である。人々の多くはなぜこの日に鳥を絞め、ケーキを食い、サンタの深夜徘徊と家宅侵入が許されているのかを知っていない。
ただサンタについては、これがケルト起源の概念であるとは比較的よく知られている。明治時代に日本に伝えられた時は「三太九郎」と呼ばれていたと、戯れに顔を出したスイーツ学科の講義で聞いた。
さすがロウランドだけあってケーキのような嗜好品はお盛んで、イチゴ、チョコ、クリ、などの多用な品種が、コンビニや一〇〇円+税ショップでさえ予約注文を受け付けている。こうして彼らは、あらかじめ一ヶ月は前に作られた、保存料たっぷりのケーキをありがたそうに頂戴するのだ。
彼らの多くは「クリスマスには恋人と過ごしたい」という強迫観念に駆られており、自分本位な憧れや、あるいは友人への見栄から、クリスマスにあわせて即席の恋人を作る。ロウランドのラブホテル、こと都市部のものは非常に配慮が行き届いていて、受付でさえ券売機による無人化を達成している。彼らにも人に見られて恥じ入る気持ちはあるらしい。ラブホテルはなぜか都市の中心部から400~500メートル離れた地域に同心円状に集中していて、奇妙なことに寺や墓がある下町の分布とぴたりと一致している。結婚を通り越して二人で入る墓を下見するためだろうか?
クリスマスに対する批判もある。「クリスマスファシズム」という単語がそれである。平たく説明すると、例の強迫観念は全体主義的であり若者が損なわれている、との主張である。この世界ではファシズムの単語が連呼される。禁煙ファシズムに、政治家、活動家どうしのファシストの浴びせあい。彼らは単なる政治活動の一形態を、仰山な乱用によって悪口にまで堕落させる。使う数だけ本質から遠ざかるのだ。
それはともかくとして、クリスマスのモミの木にフライドポテトを差し込むなどという計画はなかった。こちらはかなりのポテトを買って持参したのだが「え、本気にしてたの?」とのご返答。ポテトはおいしくいただきました。ただふらぐは躾がなっていないようで、ポテトのような食べやすいものをぼろぼろと食べこぼしていた。もしこの場に鳩がいたら大喜びで群がったことだろう。
その後しばらく話をしたが、ほとんどアニメやゲームの話でこちらはついていけなかった。
ただ彼らが、クリスマスの性質に毒されておらず、彼らなりに距離をおいて消費していることは受け取れた。
我ら派遣隊員の移動は制限されていて、私の場合許可がないと兵庫県の外から出られず、近畿地方より向こうに行くと銃殺もののことは前にも述べたが、ストライキを契機にこの禁を破り、遠くへ旅行をして見ることにした。
「けれど、もし事態が沈静化して、なぜ旅行に行ったか問われたとき、あくまで組織のためと言い張れるような場所に行きたい」
こんなことを同志石綿に相談する。
「それなら、ボランティアしたらいかがです?」
「こちらにも、一年のうち何日かは奉仕活動に行かないといけない、なんて規定があるのか?」
「いえ、実は知り合いの伝で、数年前にあった地震で、仮設住宅で暮らしている人向けの炊き出しのボランティアがあるんですよ」
「しかしボランティアでは規則を破ってよい理由にはならない」
「ロウランド観察の一環ですよ。あなたの文章力なら、旅行を仕事に高めるぐらい、できるでしょう?」
こうして、岩手県の陸前高田市にまで行くことになった。夕方、ふらぐの家からの直接大阪の京橋へとおもむき、夜行バスで十四時間揺られる。
比較調査の体裁を整えるため、同じような任務を負った者がそれぞれ違う被災地へと派遣されることになった。岩手県には、他に宮古市の方に隊員が送り込まれる。
この出来事は正規の報告書の「日々膳所」の欄に書いてあるので(君はまだ目を通していないだろうが、報告書は作られているのだ。ストライキのせいで本部に提出していないだけで)内容は一部被る。
車中泊ののち朝早く、ボランティア一行は陸前高田入りした。道中見かけたプレハブの市役所が印象的だった。
地震後の津波で一掃され、だだっ広い野原と化した市街地を通過したとき、車内のあちこちから慨嘆が起こる。がぜんやる気も沸いてくる。
まず農作業という、想像していたボランティアとはかけ離れた作業に従事した。ナタネの種をまき、肥料を施す。行為が予想外なら、その労働っぷりも想定外で、三〇分ほど動いたら速やかに休憩に入る。それも十分、二十分と、指導する地元の人との会話の盛り上がり次第で延長される。作業を続けようとしても「休憩してくださーい」と強制が入る。肉体を酷使するつもりであった幾人かは拍子抜けする。明らかに、仕事をやり過ぎないように遅らせている。
昼には炊き出し行なう。この日は東北のゆるキャラの気ぐるみが大集合していて、コスプレーション大会も同時に行なわれる。見た目が見目麗しかったり、立ち振る舞いが良さげなボランティアもコスプレを強制されたため、孫悟空やポケモンのピカチュウやジャンプ作品の海賊ルフィが、豚汁を配膳してくれることになった。私は何も着なかった。炊き出しと言っても我々の食糧配給のような切実さはなく、みんな豚汁片手に臨時の舞台に立った地元出身の歌手に拍手を送っていた。
あ、このボランティアはレクリエーションなんだ、とこの時気づいた。
そして夕方からは、被災した市街地の視察である。バスで巡り、破壊された公共施設、安全でなかった避難場所、城の土台のようにうず高く積まれ、ついに草で覆われてしまった瓦礫の山などを見て回る。そして行く先々で「語り部」と呼ばれる案内者から、死者数、津波到達時刻、助かった人と助からなかった人の命運を分けたエピソード、などを説明される。
夜は、元々は閉館していたが地震をきっかけにボランティア受け入れのため復活した旅館に泊まる。他の参加者と、自販機で売っていたビールを飲んで盛り上がる。
二日目は中学校の引っ越しの手伝いである。罹災後、一時遺体安置所として利用され、現在でもグラウンドに仮設住宅があるが、三学期から再開するということで、その準備をするのだ。廊下を掃き清め、座席一式を搬入し、校長への義援金の受け渡しに立ち会う。ロウランド人は妙なところで気遣いを発揮して、たとえ衛生上問題がなくても、遺体を置いたというその一点のため、該当する教室の床を全部張り替えていた。我々の内戦のように資材が不足し、死体もありふれたものになると、こうゆう配慮はしなくなるだろう(註2)。礼節はその人の行儀の良さで起こるわけではない。ただ、余裕があるかないかの差だ。
午後からは「買うボランティア」という斬新な発想によって市場へと向かい、みやげ物を購入する機会を与えられる。つまり、現金を落とすことによって被災地に貢献しよう、との発想である。
市場はかつての規模はないそうだがそれでも豊かで、物資の不足などは見られない。
漬物、お菓子、あといくつかの商品を買う。領収書を書いてくれと言ったが、領収書を見たことない人間が何人かいた。昼過ぎにはその場を後にし、ローカルバスに乗って道の駅へ。そこで長距離用のバスに乗り換えて、高速道路を使い大阪へと帰る。
次の三月に、もう一度同じボランティア企画に参加するから、詳しい感想と分析はそのときに行ないたい。
さて、ストライキの続報である。
「今回の問題の評議会」にて、初めての本格的な会合が行なわれる。それまでは、メンバー同士が数人集まって話し合うことはあったが、全員が集まる機会はなかった。
すでに根回しによって、今回の議題は定められている。以下にしてストライキを「軟着陸」させるかだ。
まず高等統帥部に対しては、自分たちに危害を加えないという確約と、現在の立場、役職を維持するという条件を取り付けることが先決だと決められた。
「その上で、『帰順』してもいいのではないか?」八十島準相が言った。
「いいかげん本邦から補給を都合してもらわないと、タキオン波送受信機の交換部品ばかりは、どうあがいてもロウランドでは調達できん」タキオン送受信機の技術将校が言う。ロウランドの日本に詰めている、数少ない正規軍人の一人だ。
「ハイマートからの物資に関しては言うなら、抗生物質のストックが減ってきた」平岡が言う。「民主主義ロウランドでは、エイズや淋病、新型インフルエンザ患者の隔離が徹底できていない。ハイマートの人間が、感染して重体になるような事態は避けたい」
「税金の件についてはどうする? 一割はさすがにきついし――」これは私の発言。
「それに、税金の徴収方法いかんによっては、不自然な銀行取引の流れが生じて、ロウランド人の頭のいいヤツが何か調べるかもしれない」平岡が言う。補給に情報管理、彼の仕事は大変だ。
「収入に関しては――」同志石綿。「とりあえず、一割を所得税として納めることで妥結する必要もあるでしょう。こうすれば、うまくいけば主計部も味方につけられる――」
「うーん」私はみんなの思いを代弁してやる「確定申告、できるかねぇ?」
「すぐに金銭の徴収がいかにめんどくさいか把握しますよ」石綿は続ける。「平岡さんが指摘したように、変なお金の流れは作れないし、それにハイマートとロウランドでは、紙幣の絵柄がまったく違う。国民革命で我々はお札の絵柄を一新しましたから、旧札じゃないとそのままお金を持っていっても使えないんですよ。そうすると現金じゃなくて換金物で一割を徴収する羽目になるから、このときのマネーロンダリングは――」
「小切手、という手もあるんじゃないか?」私。
「どっちみち会計係を増員しなければならなくなります」八十島。「予想される煩雑さから考えて、ロウランドの観測には直接貢献しない、銭勘定専門の役職だ。そして増員というのは、秘密作戦に従事する組織にとっては避けたい事態だ」
「最近簿記の資格を取った奴がいるそうだから、そいつにやらせる手もあるな」平岡。
私は嫌そうな顔をしてやった。
「資格の許可はどうする?」同志八十島が言った。「別に重大な問題と思われないので、後日に棚上げするとゆう方法も――」
「勉強ができたから、手当てが無くても良しとしましょう」「動物実験2級」を持った石綿がまとめにかかる。
私は必ずしもこの考えに同意できなかったが(手当て、欲しいし)、石綿がまだ発言しそうなので黙っていた。
「それで話を戻しますと、徴収が小切手になる可能性が高いのですが、そもそも認知されていない世界からの小切手ですので、これは実体のない取引になるわけですよ。手続きはめんどうくさいわ、実体はないわ、で、上はすぐに一割徴収すらもあきらめるでしょう」
同志石綿が、ずっと上げていた手を下げた「そこが、僕の目指している手なのです」
「見て触れる現物で取り立てるんじゃないか」私は懸念を表明する。
「例えば?」平岡。
「米とか」
「江戸時代かよ!」
「純金で支払え、と言ってくる可能性は大いにある」八十島。「つまり金の延べ棒なり、山吹色のお菓子なりです。どっちみち換金に手間が要ることはまちがいないですが」
「はは、金みたいな重量物」特殊潜航艇の管理をする一般術士が言った。国軍に軍艦の運用を学ぶために派遣され軍人となった術士が、更に国軍から術士団に出向してきているという、ややこしい経歴の持ち主だ
「うちの潜航艇が、何トン積めると思ってるんだ? (技術資料用の)ハイブリット車のエンジンを送るだけでも、分割して詰め込んだのに」
ジェット旅客機と同じ運行コストがかかるのに、パン屋のトラック並みの運送量しかないという揶揄は、よく言われることだ。
「支払い方法については、後日正式に税の徴収が決まったとき、討議すればよろしいでしょう」石綿が締めにかかる。「ではみなさん、さっき言ったとおり、危害を加えず、今いる人員、役職も維持するという条件を提示したいとの旨を、浜口さんに上奏いたしますが、よろしいですか?」
「異議なし」全員が答えた。浜口さんは「今回の問題評議会」には加わらないものの、派遣隊の古株として象徴的な立場にある。彼から、高等統帥部や派遣隊上層部に連絡が行っている。
その場で携帯をかける。
暗号化のなされていない、まったくの一般回線での通話だが、仮に盗聴されたところで、ロウランド人には何をしゃべっているか判断つかないだろう。
「申し送ります、石綿です。ひとまずはまとまりましたので、ご報告いたします」
同志はしばらくしゃべったりあいづちを打ったりしていたが、不意に携帯を耳からはずし、何か操作をしてから、その場の全員に向けた。
浜口さんの声がよく聞こえるよう、スピーカー機能を起動させたようだ。
『みなさんごくろうさま。君らの事情は常々深く考えている。
高等統帥部は、他にもやっかいな案件を抱えているから、すぐには君らをどうこうすることはないと思う。これがヒマだったら、キミらももっと面倒くさく彼らと付き合う羽目になったはずだ。
とにかく、今日のことは、確実に有馬さんと高等統帥部に伝える』
浜口さんは、そう請け合った。
ヤットサンについて書く。年の暮れにもなって、この儀人との共通点が判明した。
冬になったら乾燥肌がひどくなるのは知っていると思うが、儀人も同じ症状を示したのだ。
乾燥して気温の低い、風の強いある日。まず、肘の反対側、腕の可動部がなんとなくかゆくなる。無意識にかくと、真っ赤に晴れ上がる。かくとまずいとはわかっているのだが、どうしてもかゆくて、ちょっとだけさわる。ぶわっ、とぶつぶつがじゅうたんのように発生する。これが乾燥肌の症状だ。
儀人はもっとひどかった。かゆくなるとかいた。かくとまずいとわからなかったので、順調にかきつづける。古くなった薄皮がささくれだって白い粉がいっぱいふいたようになり、赤いぶつぶつができて、手首にまで広がる。かゆくてたまらなくなり、ますますかいて、ぶつぶつのてっぺんの一つ一つから針でついたような血がにじむ。
流血にいたりようやくヤットサンが、私に異常を報告してきた。
「ボクの皮膚がボクの手に対してアレルギー反応を起こしています」
「おまえはまちがっている」私は言った。ちょうど風呂上りで、玄関の隙間風を利用した手作りの冷蔵庫から缶チューハイを取り出したところだった。
腕を見せてもらうと、自分と似たような症状が手ひどい形で起こっているのがわかった。仮に皮膚の敏感さが私と同じだとしたら、市販の薬を塗ったら肌が返り討ちにあってますますひどくなるだろう。
なので、先日自分がもらってきた軟膏を試すことにした。偽造された保険証が使えるかひやひやしながら順番を待った皮膚科で用意してもらったもので、私がハイマートで愛用していたものとほぼ同じものだ。
「まず風呂に入って来い」そう指示する。薬を塗る前に肌をきれいにし、湿度も与える。感想肌をなおすときの基本だ。
「腕は軽く拭くだけで、少し濡れた状態で来てくれ。くれぐれも赤くはれたところをさわるなよ」
「手で腕をさわってはだめなのですね」
「そうだ」
明らかにシャワーの流水で腕を刺激している音を十分ほどたてたあと、ようやく風呂から上がってきた。最近この儀人は、私の言葉の抜け穴をくぐることを覚え始めている。
とにかく、まずは手の甲に少しだけ塗った。三〇分待ち、アレルギー反応が出ないことを確かめてから、腕全体に塗布する。
「いいか、この薬を塗るとな――」私は言葉を区切る。
「はい。続きを続けてください」
「腕がすごくかゆくなる」
きょとんとした顔を向けてきた。腕のかゆみを止めるための薬なのに、腕がかゆくなるという症状は、儀人の理解を超えているようだ。
「・・・それは、ボクに対する新手の折檻ですか?」
「なんじゃそりゃ?」誓って言うが、ヤットサンをぶったことはただの一度もない。心の中で足蹴にした事はあるが。
「最後まで聞いてくれ。血行がよくなる成分が市販の薬より多めに入っているから、神経がたかぶって、猛烈にかゆくなるんだ」
「はい」
「しかし峠を越えれば、すっとかゆみが引いて、湿しんもなくなる」
ここでヤットサンが、ここから5キロほど離れた六甲山系の峠に行く許可を求めた。もちろん私は拒否をした。
「よし、手を出せ。最後に保湿クリームを塗る」
この薬の上から塗るクリームも、新生児や私にも塗れる低刺激タイプだ。
「あ、あ、かゆい、かゆいです!」さっそく薬の効果が効きはじめたようだ。
「さわるなよ。さわると全てが台無しになる」
「かゆいです。少しだけいいですか?」
動詞を飛ばすほどに、かゆいのだろう。気持ちはよくわかる。
「だめだ。乾燥肌に敗北するのか?」
「どうしてもダメですか?」
「ダメだ。今のおまえは、人類の肌を守る戦士の一人だ」
「あ、蚊がいる(自分の腕をパチン)」
「あ、おまえ今叩いただろ!」
「はい。蚊がいましたので」
「年末に蚊がいてたまるか!」
私はラップを取り出し、ヤットサンの腕をぐるぐる巻きにした。これは内戦のとき、捕虜を縛り上げたとき使った方法だ。
「あの、これでは腕をかくなどの日常生活に大変な支障が出ると思われますが」
「かゆみが引くまでの間だけだ」
「どうしてもダメですか?」
「ダメだ。新人類なら、かゆみにも耐えて見せろ」
「あれ、糸くずがついていますよ(バレーボールのレシーブのように腕を差し出す)」
「俺の脚で腕をかこうとするな!」
数十分後、ようやく薬の消炎成分が効きはじめ、かゆみがおさまった。
「今日はかゆさで眠れないだろうと予測していたので、かゆみが収まってよかったです」
私も素直に賞賛してやる。
「おまえは乾燥肌に勝利した。これはすなわち冬の乾燥、ひいては地球環境に対して勝利を収めたのと変わりない」
頭をなでてやった。彼女は叩かれるとでも思ったように一瞬身をこわばらせたが、すぐにほめてもらったことに気づいて目をゆるめる。
ところで、俺はいったい何を書いているのだろう? 戦友に出す貴重な報告書の紙面に、人造人間の乾燥肌の話題など!
だがこれだけは書いておく。感想肌は耐え難いと。とくにぶつぶつができて薄皮がめくれ、幾万の小さな神経がむきだしになったところをかくのは、跳ね上がるような快感を伴なうと。個人的には、セックスのときの女性の快感とほぼ同じだろうと思っている。
12月31日のことである。
一年の最終日はさすがのアマゾンもヒマで、昼には「早上がり」で上がらせてもらうことにした。短期契約の私はその日までだったため、名札、ゲートパス、短期勤務者を表すタスキその他を返し、「お世話になりました」と倉庫を後にする。例の顔のおもしろい社員のうち一人が見送ってくれた。
このまま遊びに行こうか、それともたまには儀人と遊ぼうか、そう考えていたとき、電話が鳴った。ロウランドの携帯はハイテクで、電話による着信かメールによる着信かで、効果音を使い分けることができる。今回はメールだった。
石綿からだった。
『大晦日の番組割り当てについてくじ引きをしたい。至急連絡されたし』
私はげんなりした。
大晦日の番組割り当てというのは、ロウランド派遣隊の恒例行事だ。
年末、とくに大晦日は、各局がその年の春ごろから練り上げた長時間番組をいっせいにぶちまける。派遣隊員のうち相術士と準相術士は、その番組を見て考察をし、報告書を書く義務がある。くじ引きとは、どのテレビ局の番組を見るか決めるためのいわばその年最後の運試しだ。
紅白が見たいと思ったのにくだらないお笑い番組を割り当てられたり、格闘技が好きなのに小林幸子の衣装を見る羽目になったりする。もちろん、これらの逆のパターンもありうる。
私はあくまでロウランドに来てまでテレビを見たくなかったので、一週間前のクリスマスの夜、断固としてくじ引きを拒否し、その日だけ軍人に戻っての当直勤務を申し出た。当直勤務とは君も知っていると思うけど(笑)、基地や駐屯地のお留守番役だ。
『仮にも一つの拠点を任せられているあなたが、他の施設に勤務できるとお思いですか?』上級同僚石綿の返答は、こうであった。
まったくやるせない。ロウランドのテレビ番組は年々質が低下して、すでに心ある人に見限られており、見るのは知的に未熟な女子高生や主婦、そして暇な年寄りばかりだと聞いている。そんな負のポピュリズムが蓄積した風俗なんぞに、いったいなぜ付き合わねばならないのだ?
しかし公務である。アマゾン倉庫からバスで駅まで移動し、そこから神戸三ノ宮まで移動する。電車で三〇分ほどだ。
三ノ宮駅前から少し歩いたところにある、ネスカフェの喫茶店の一画を二時間だけ借りて、石綿、平岡、東郷準相、そして私が集まった。東郷は石綿と私の連絡役をしばしば勤める同い年で、ヤットサン用の二〇〇万円を運んだりしてくれている。
「今回の問題評議会」の連絡事項が一区切り付いた後、石綿が折りたたまれたメモ用紙と割り箸を出した。
「番組は四つです。先端に色のついた割り箸が四本あります。色を見ないで各個に引いてもらい、色に対応した番組を見て、新年を迎えてもらいます」
「番組の内容は?」防諜部の平岡が元検閲部隊らしい声で言った。
「一つは紅白です。これは説明不要でしょう。もう一つは紅白の当て馬番組で、モノマネ芸人が歌を歌うというものです。あとは格闘技と、中年の男の尻を六時間かけてしばくお笑い番組です」
「最後のはゼッタイゴメンこうむるな」私が言った。「下品な笑いは好みじゃない」
「俺は格闘技がいいかな」平岡。「ボクシングとか、好きだし」
「では、正規術士のどなたかから引いてください」東郷が進める。
「東郷」平岡が言う。「そういう気づかいを、逆に嫌がるメンバーだと、覚えておいたほうがいいぜ」
東郷から引き、赤が出た。平岡、私、石綿がそれぞれ、緑、黄色、茶色を引く。
「ふうむ」くじ引きの制作者ゆえ、すでに結果がわかっている石綿がうなった。対応する番組が書かれたメモ用紙を開く。
東郷=紅白、平岡=モノマネ、私=尻、石綿=格闘技との結果がわかった。
「誰も望まない結果では・・・?」東郷が言った。
「憲兵も理論指導者も、くじ運には勝てないわけですね」石綿が肩をすくめた。「決まれば今日は解散です。みなさまお忙しい中、お付き合いいただきありがとうございました」
拠点に戻ると、ヤットサンが妙な衝動にとらわれていた。
ちょうど年末の大掃除をまかせていたのだが、彼女が言うには不意に突然、箱ティッシュのティッシュがなぜ引っぱったら次々と出てくるのか、とてつもなく疑問に思ったらしい。
ティッシュに手をかけ、引く。当然ティッシュはまた出てくる。また手をかけ、ひく。ティッシュは再び姿をあらわす。
「これは、とても不思議な現象ではありませんか?」儀人はそう共感を求めてくる。
彼女が言うには、「あまりにも不思議だったから」ティッシュの残量がなくなるまで抜きまくり、それから、ティッシュ箱をなめてみたそうだ(あれほど物をなめるなと注意していたのに)。
「それで、しなっとなっているティッシュ箱と、こんなに仰山のティッシュが散乱しているわけか」
「はい。ボクのおかげです」
「元に戻せ」
「現状を復帰せよという意味ですか? ボクの指先が、薄いティッシュをつまんで整理するような繊細な動作ができるとお思いですか?」
「なぜそんなに偉そうなんだ?」
「ボクは偉そうにしていません」
ため息をつく。今度大雪が降ったら、コイツを雪だるまにつめて転がしてやろうか。いや、現在進行形で雪が降っている山陰まで今から足を運んで、雪に埋もれる大根畑に埋めてもいいな。春先には、少しは性格がまろやかになって収穫されるだろう。
「掃除は終わってるか?」話題を切り替えることにした。
「はい」
確認する。台所、風呂、トイレ、全ての場所が泡まみれになっていて、空の洗剤の容器が転がっている。――みんなこの日のために買った、未開封の新品だったのだが。
「洗剤を全部使ったな」
「はい。戦術の基本は一斉射撃です」
またネットから知識を仕入れたか。「しかも見たところ、台所に風呂用の、風呂にトイレ用の、トイレに台所用の洗剤を使っているように見えるが」
「それはあなたが、みんな『マジックリン』という名前の商品を買ってくるからです。ボクには区別がつきません」
大きくため息をつく。室内でも息が白い。
「正月からは掃除の練習をするぞ」
「はい、仰せのままに」いい笑顔で言った。
化学兵器局に勤める知り合いから聞くところによると、家庭用の洗剤は、みんな似たような成分だそうだ。まあ、風呂もトイレもよく似た材質だから、問題はないのだろう。
私は普段はパジャマをひっかけるのに使っているテレビからパジャマを落とし、指定されたチャンネルにあわせる。
「あなたがテレビを見るのは久しぶりです」
「仕事だ」
そしと同時にパソコンを開き、ゲード(ハブのこと)からストライキの鎮圧部隊が上陸していないか、または遠出のボランティアのせいで銃殺されるとの連絡が届いていないか確認した。
特に異常はない。
まもなくテレビでは、迷彩服(本物ではなく、田舎の人間がファッションで着ているようななんちゃって迷彩服)、をまとった覆面の男たちがわらわらと出てきて、中年芸人の尻を布製の剣でしばきはじめた。――意外におもしろい。
それからヤットサンに用意していた鉢植えを持ってきてもらう。彼女が風呂に入っている隙を見計らって、プリントアウトしたこの報告書を鉢に仕込む(註3)。
12月31日 人日前
天白相術団 筆頭相術士 河井出良太郎様
「今回の問題評議会」筆頭評議員 上田祐司
追伸 ストライキのせいで「季刊ロウランド研究」の最新号が届かない。手に入ったなら密かに送ってほしい。
追伸2 前回の「メモ」(報告書6.5とでもしておきますか)、読んでくれただろうか。内容は万が一見られ、書き手を特定されたときの「魔よけ」を意識して、あくまで術士としての基礎教養を重点的に語った
追伸3 前回紹介したお掃除ロボだが、残念ながら段差を超える能力まではない。これでも君の購入意欲が削がれなければよいが(ロボは動くのを見ているだけで楽しいぞ)。
(註1)日本だけでなく、世界各地に、ロウランド派遣隊がいる。
(註2)内戦で死体がたくさん出たから、そんな気遣いをする余裕はない、程度の意味か。
(註3)彼はハイマートへ、ロウランドの「苗」を送る任務についており、報告書はその植木鉢に埋めて送られていた。




