報告書6.5
メモ(報告書6.5)(註1)
例の事件によって特殊潜航艇の臨時便が出されたので、これを機会に報告書を送る。
この世界と我々の世界の、現代史的な差異について少し考察してみる。正規の報告書の記事のまとめを試みるのだ。とゆうのも正規では現象に注目して、通史を軽視しているきらいがあるためだ。
我々の世界で「国民革命」への予兆となったのは、知っての通り宗教団体による航空機を用いたビルへの体当たりと、地下鉄に毒ガスをまいた事件である。これはロウランドでも起こっているが、対応が違った。彼らはゆるやかに、問題の団体を監視する法を整備したに過ぎないが、我々はこれを機に、宗教という存在そのものの危険性について痛感し、あらゆる宗教を統制、弾圧する施策を講じた。宗教という迷信を掣肘し、無知への安住、派閥根性、救世主願望、地獄という存在でで脅さないと善良になれない精神、といった人の弱さについて、人々が乗り越えられるきっかけを作ったのだ。
もう一つは大地震への対応である。ロウランド人は我らと同じように、被災に対する議会制の無能と足の引っ張り合いを見たにもかかわらず、ついに旧弊した政体を見捨てることが出来なかった。ロウランドにあるのはマイナーチェンジにすらできない、批判するだけの野党根性に、不幸を利用しようとする浅ましい精神。心あるものは口を濁し、最良の選択は無関心を装った暗黙の抗議であった。
そしてもっとも大きな理由は、我らハイマートは幸運にも(あるいは不幸にも)、異界の存在について知ってしまった。人類始まって以来のアイディンティティの危機に、戦争、内戦、また戦争。暴力が公然とまかり通り、迷信の反動、閥族派の跳梁、伝染病に栄養失調。多くが死に、ほぼ全てが傷ついた。
そんな中、汚物の中の砂金のように、あるいは不死鳥の燃え殻から生まれる小さな不死鳥のように、きらりと光る人間と善行が生まれたのだ。暴力は修練に、病は耐性に、傷は経験に、死は新たな芽生えに、それぞれなる。革命が起こり、術士という指導者階級が誕生する。
こうして我らは、彼らロウランド人を超越しうる、ワンランク上の存在に、なることができたのだ。
設問ごとにもう少し詳しく述べる。
●宗教
少なくともロウランドの日本国において、表だった宗教対立はない。圧倒的多数を誇る仏教と土着の自然崇拝(註2)が穏当な教義を持っているため、他の宗教を無数のけん制によって制し、うまい具合に「住み分け」がなされているからだ。寺と神社が同居し、その向かいにカトリックの教会があって、近くの駅から数十分ほど電車に揺られればモスクに行ける、というのが、各地に見られる。
●政治
国民革命が起こらなかったこの世界において、政治制度の主流はあいかわらず政党政治である。つまり、自らの旧弊な思い出に知恵の名を与える耄碌ジジイ、寄る年波からの不安を処理し損ねて社会全体に密かな憎悪を抱く情緒不安定なババア、出たがりを野心と勘違いしているそんなに若くもない若輩者によって、あいかわらず政治は運営されている。
時期にもよるが、政党の議席数によるピラミッド型のヒエラルキーは三段階あり、①まず大きな政党二つが政治を牛耳り、②その下に特定の宗教や「革新」であることを奉ずる中堅どころの政党が複数たむろしている。もちろん、③社会主義系の団体も存在しており、これは弱小だが常に一定の勢力を保っている。
ロウランドの人々は、ある種の感受性が乏しく、町を選挙カーが走り回ったり、壁にポスターが貼られたりしているのを見ても平気である。鑑賞に耐えられると思えないジジババが描かれた光沢紙や、スピーカーを積んだ乗用車の一つ一つが税金と資源を消費しているのに気づかないわけではないのに、あまりにも悪弊に慣れきって、すっかり無感症になっている。
●法律
彼らは絶妙な悪文に彩られた法律書によって、人間の生存を規定している。術士という法律を超越すると定められた存在がいないため、裁判という労力と法律家の跋扈に対して無力である。煩雑な法律が負のエントロピーとして、人間を損なっているという発想がないのだ。だから昔ながらの慣習は軽んじられ、ケースバイケースという柔軟さは衰え、ますます紙の染みの集合体に過ぎない法律書が分厚くなり、日常生活から乖離する。こうやってただ人を煙に巻き、悪文の読解力のみに特化した寄生虫がうまい汁を吸うのだ。
●教育
教育は小中学校の九年と、法整備によって実質的に義務に祭り上げられた高校の三年間が、ほとんどの人が経験する学校教育である。
大学への進学率は五〇パーセントに届かんとしている。これは大小たくさんの大学があり、生徒という名の顧客獲得競争が激しいため、学力の劣る者でも入りやすい学校があるからだ。そのためロウランドの大学の非常に多くの数が、専門学校や高校の延長線上に近い体制になっている。
その大学に入るための、私塾や予備校が盛んである。これらは公立の学校とは比較にならない、厳しい市場競争にさらされているため、教え方が公立の教師よりうまいともっぱらの評判だ。名を馳せた塾講師はまるで売れっ子の作家のように、入試対策用の問題集を編纂して更なる収入を得る。
「生涯学習」という名目の活動も、宣伝は活発だ。我々の「全人的教養運動」に近いこれは読んで字のごとくのもので、「人の脳は一生成長し続ける」という脳医学の援護も得て、漢字検定からどこぞの団体がとりしきる怪しげなカリキュラムまで、教育・学習の名が連発される。「生涯学習都市」なんて概念まである。
概して教育は、この世界のすべての物事がそうであるように、玉石混淆である。
総括すれば、この世界は我々より物質的に豊かだが、精神的には劣っており、貧しくさえある。人々はおおむね平和だが、それは悪弊と因習にがんじがらめにされた宙吊りの状態での安逸であり、素朴で、自然に即した、単純でまっすぐな力強さで踏みしめた立場ではない。
しかし、案として出ている進攻計画が発動され、仮に我々が彼らを統治下に置いた場合、感化可能なほどの知力は持っている。むしろ、残虐な手には訴えず、我々の優れた指導理念を積極的に宣伝して、心情を改善していくことが慣用であろう。
終わり
12月11日 (無記名)
追伸 それで本題に入るが、例の事件、我々のストライキのことなのだが、良きように計らって欲しい。高等統帥部には、組織の健全な運用のためにやむなく実行したことであり、私欲や、ましてや反乱の意思はないことを、そちらからも働きかけてくれ。
(註1) この報告書は、報告書追伸にあるストライキの影響で、高等統帥部に「ガサ入れ」されて発覚することを恐れて書かれており、題名も「メモ」となって、あて名、あて先共に個人名が書かれていない。また、この報告書に関する上田の見解は、次の報告書7の追伸に記されている。
(註2)神道のこと。上田にも馴染み深いものであるはずなのに、まるで遠い国のめずらしい信仰のように扱っている。




