報告書3
報告書3
また愚痴から始めることを許して欲しい。
日本橋は通天閣と道頓堀の間に広がっている電気街である。大阪では梅田に次いで商業施設の集中している難波に隣接した地区だ。
ゴールデンウィークの最後の日、前回紹介したふらぐの案内で日本橋へと赴いた。
電気街と呼ぶと我々は、光ファイバーケーブルや、手作りラジオ工作に必要な部品とかが表棚に並び、裏側には触法物の怪しげな商品がいろいろと売り買いされているイメージがあるが、そんな生易しいものではなかった。
半ば公然としたポルノ街である。
ふらぐという男の趣味はパソコンで起動する恋愛シミュレーションゲームであった。
これは「攻略対象」としていくつかの女性が設定されており、それらとの会話やそこから発生する選択肢を選んで、特定、あるいは複数の女性と結ばれることを目指すロールプレイングゲームである。
ふらぐはその中で、性的描写を追求した「エロゲー」の、熱心なファンであった。
真っ先に案内された場所がエロゲー専門店であった。地下鉄堺筋線の駅を出てすぐの、往来に面した建物に堂々と看板を掲げており、ロウランドにおいては道徳が有効に機能していないことが察せられる。
18歳未満立ち入り禁止の暖簾をくぐり、内部を初めて見たときの第一印象は、赤を基調とした色とりどりのモザイクがかかっているようであった。
着色されたイラストがプリントされた、百科事典ぐらいの大きさの紙の箱が図書館のように並べられている。パッケージイラストすべからくアニメ調で、多くは半裸、もしくは全裸の女が大半だ。
名所の案内というよりも当人が行きたい場所だったらしく、またついでにこちらを同好の徒にしようという魂胆もあったようだ。
「ほら上田くん、女の人の裸があるよ」
「そのようだな」私は答えた。
始めは新しい事態に対する好奇心から多少は興味深く見られたのだが、二時間も居座るので飽きてしまう。
ようやく移動した先も同様の店で、しかもそれを何軒も繰り返すので、すっかり気が滅入ってしまった。
ふらぐもこちらが不機嫌であることに気づいたらしく、「どこか行きたいところある?」と聞いてきた。
「俺はこの町をまだ知らないのだ」と返した。
「本屋はあるか?」と思い直して聞いた。新しい土地では必ず本屋に寄る習慣がある。
しばし考えた彼が連れて行ったビルの一角は、アングラな書物を扱うところであった。よくわからないが、テレビアニメのキャラクターを性的に解釈して、それを描写した「同人誌」と呼ばれる冊子が大量に扱われる場所で、彼は常連らしい。
「上田くんはどんなアニメが好き?」と訊ねてきた。
「アニメなんぞ見ない」もうすぐ20の男を捕まえてアニメが好きかとは妙な質問である。
「小学生のころはどんなアニメ見てた?」
「虫取りをして過ごしていた」
まあアングラといっても単なる絵であり、かわいらしいものなのだが、ただ冊子を包むビニールのパッケージが目にちかちか反射して耐えられなかったので、速めに辞去させてもらった。ふらぐとヨウム(実はいたのだ)はしばらくその場で物色していた。
ここで、パソコンゲームショップでふらぐが延々と述べた「おススメソフト」について記したい。我々術士が大衆の心理を把握するとき、性風俗産業に注目することは半ば義務であり、報告するのも無意義ではないと思う。ただ、ふらぐは自分の内面にあるグロテスクな欲求を語りたいという願望が強く、情報が断片的にしか仕入れられなかったことを弁明しておく。
・ソフト①
このソフトは病院を舞台とした陵辱劇である。ふらぐの考えによれば主役の医師が大変素晴らしいという。その医師は女性に対して鬱屈した感情を抱いており、それを発散すべく医者になった。薬品や医療具の知識を総動員して看護婦を手篭めにし、一種のハーレムを形作り、ついに悪事が露見する。そのときの医師の発言「僕は悪くないもん、母親が悪いんだもん」が特に「素敵」らしい。
ある種の人間にとってはカタルシスを感じそうなゲームだとの印象を受ける。
・ソフト②
ふらぐはこのゲームを、彼と似た趣味嗜好のため同族嫌悪している同回生が好きなタイトルゆえに嫌っているのだが、こちら側では有名な作品らしい。
主人公の誠は女たらしである。ある時期に二人の女性から同時に愛の告白を受け、そのまま二股を続行する。誠は両名とそれぞれ体育倉庫などで契りを結んで奔放を重ねる。しかしその「女A」と「女B」は友人同士であり、お互いの関係がばれ、険悪化する。女Bは誠の子を身ごもっていると主張し、自らの伴侶としての優越をアピールする。刃傷沙汰になる。
正義を求めノコギリを振りかざす女A。女Bは包丁で応戦するも追い詰められ、腹を切り裂かれ、子宮があらわになる。そして女Aが言い放つ「中に誰もいませんよ」。ついでに誠も殺される。
古代ギリシャ悲劇のような雰囲気があって興味がそそられる。
・ソフト③
主人公はドラゴンである。ある日発情期に入った主人公は、子孫繁栄のため岩屋を「巣」とし、近隣の町村から食料や若い娘を略奪してくる(ドラゴンと人間は交配可能な設定)。それでどんどん巣を拡張していくのだ。このファンタジー溢れるシチュエーションに大変な魅力を感じているらしく「女の子をさらって犯していくんだよ、うん、犯すんだよ」と紹介者は二度繰り返した。
このような突飛な設定が流通するということは、パソコンゲームソフトは既にロウランドにおいては成熟産業なのかもしれない。
・ソフト④
このシリーズ物の恋愛作品に対してふらぐはぞっこんほれ込んでいる。特に第一作の主人公に対しては神仏への信仰に近い。この人物は数々の(あくまでフィクション上の)「武勇伝」を持っており、ふらぐはこの「勇者」の奔放なあり方を参考にして生きていくと公言してはばからなかった。伝説の例を出す。
例1:学校の文化祭において勇者は友人の発案で、「カキコオロギ」なるものをふるまう。これはすりつぶしたコオロギをカキ氷にふりかけたもので、平均的な日本人なら採食を拒否するシロモノである。
例2:こどもの日の折、勇者はこいのぼりが欲しくてたまらなくなった。しかし諸般の事情で買ってもらえず、仕方なく彼は親戚の伯父さんの庭の池の鯉を釣り針に引っかけて、「リアルこいのぼりだー」と言って走り回った。
このような話を聞かされたとき、こちらはどう反応すればいいのだろう? 「リアルこいのぼりだよ上田くん」と念を押されても、戸惑うしかない。鯉がかわいそうである。
日本橋という地域には、このような商品がたくさん売っている。
と、事の顛末を石綿に説明したら「それはいけない」ということになり、翌日改めて電車に揺られることになった。
同志は既にこの町に対して一定の造詣を持っていた。説明を受けつつ全体を回る。
日本橋は多少何かの趣味を持っている者なら、ある程度の興味を抱いて眺められる町である。
町並みは商店街の間に大きな車道(堺筋通り)を通した形をしており、裏にも無数に店がある。表側は何かしら観光客の眼をひきつけるアイテムがあり、趣味性は高い。ネジのみを取り揃えた店があるほどだ。美しくはないが活気があって、そしてある種の節度が感じられる。
先に巡ったパソコンゲーム屋は、確かに表通りから容易に進入可能な立地に立っているものが多いが、広い町の一角を占めるに過ぎない。もちろん表側に堂々と裸があるわけではなく、ポルノ街という言い方には語弊がある。ポルノを扱った店の数は、町の規模と性格を考えれば妥当なものだろう。
この町は我々に馴染みのない言葉を使えば「コンテンツ産業」を主な売り物にしている。コンテンツを馴染みのある単語に置き直すなら「ミーム集合体(註1)」と言える。例えば、ハイマートでも一定の人気がある「ガンダム」シリーズは、この町においては映像作品、プラモデル、テレビゲーム、専門誌、その他ファングッズと、いろいろな媒体で売られているが、その全てが「ガンダムというコンテンツ」に一くくりにできる。これは「メディアミックス」と呼ばれる現象である。我々が使う哲学用語、「アルス・コンビナートリア(註2)」の概念に似ている。
通りに大型のおもちゃ屋を見つけたので寄ってみる。五階建てという、我々の世界でおもちゃに割くにはちょっと考えられない売り場面積である。二階と三階がまるまる模型フロアになっており、こちらの世界の乗り物や兵器について知識が増すと期待した。
ショーケースの中に、精巧に出来ているモデルガンを発見する。「おもちゃ屋に来てまで銃を見たくねえよ」と顔をしかめるほどである。間近で見ても本物と思える完成度だ。持ってみて初めて、重さが弱冠軽いためおもちゃとわかった。
「我々の世界ではこの玩具メーカーは、実銃を製造しています」と同志が説明する。
三階にて、昔遊んだミニ四駆を見ることができたのはうれしかった。戦争がなかったため、ずっと「コンテンツ」として生き残れたのだろう。
この町に来てわかったのは、ロウランドは子ども向けの娯楽が非常に発達しているということである。
子ども向けというのはつまり、テレビアニメ、ビデオゲーム、プラモデル、トレーディングカードなどの、小中学校の休み時間で話題になるような品々だ。
これらの遊具に関しては、ロウランドではかなりの年齢になっても楽しむらしい。
「実際、ゲームショップなどに出入りする年齢層は高いですよ」と言われたので、大きさと品揃えで町の中で一、二を争う店に向かう。
そこでなんとヨウムを見つけた。
彼はトレードマークである紺色の上下を身にまとい、ソフトの一つを手に取っている。
石綿には外で待ってもらって(なぜなら我々は「顔見知り」程度の設定だから、不用意にロウランド人に関係を知られる必要はない)、話しかける。
ヨウム氏は「うん、ちょっとね」とここにいる理由をはぐらかした。
見ると、我々の組織内で「ロウランド研究」の一環として、一部の相士にプレイするよう強制されたゲームを手に持っていた。
そのゲームの話で盛り上がる。
「それでどうしてここに?」改めて聞いた。
「うん、昨日あんましちゃんと(日本橋を)見て回れなかったからね、まあ、ついでなんだけど」
さらに詳しく聞いてみると、ついでなどではなく、ゲームソフト屋をじっくり周る目的で改めて来たのだという。
同志石綿には、先に帰ってくれるように目で合図した。
そのソフトを買い求めた後、我々二人は付近にたくさんある食事処の一つに入った。そこで夕方まで話を聞く機会を得た。
このヨウムは報告が難しいゆえに、報告する価値があると思う。
この男といつ初めて会ったのかまったく覚えていない。ふらぐ系列で知り合ったのはまちがいないが、「必要ないときは気配を消している」特技をいつも発揮しているそうで、印象には残っていない。
ふらぐと同い年であり、高校も同じだという。そして一年浪人生として、同じ予備校を通った。そして同じ大学に進学し、交流はいまだ続いている。
「ま、腐れ縁ってやつよ」と彼は言った。
彼は大変「生きづらい」性格をしている。アニメとゲーム、いくつかのサブカルチャーでしか会話ができない。巧妙に秘匿されているが引っ込み思案であり、新たな事態を厭う。両親の「実家」も大阪で、大学に進学するまでほぼ大阪府から出たことがなかった。アルバイトの経験は皆無である。
他人の挙動に非常に敏感で、高性能のソナーか超短波レーダーを思わせる。なのに、他者と付き合うことに意義を見出していない。ふらぐが自分に付きまとうことを「脱ぼっち」(ひとりぼっちを脱するという意味)と評して、軽蔑とは行かないまでも否定的に分析する。大学では「アニメ」を研究するクラブに所属しているが、彼の部員としての意義はもっぱらテレビゲームの強さと知識である。微妙に分野がずれている。
帰り、日本橋から徒歩圏内にある彼の家に寄り、買い求めた「スマブラ」と呼ばれるソフトを遊んだ。これは互いに攻撃を繰り出してダメージを蓄積しあう格闘ゲームで、相手の操作するキャラクターを画面外にぶっ飛ばして撃墜数を競う。このソフトは派遣隊員の「ロウランド研究」題材の一つだ。
こちらは技量に一定の自信があったにもかかわらず、彼に20パーセントのダメージを与えるのに、200パーセントの損害を受けねばならなかった。民兵と特殊部隊の戦闘結果である。
「まあ、こんなの強くてもどうでもいいけどね」快勝の感想がそれであった。
彼は典型的なロウランドの男だと思われる。
ゲームにボロ負けして家に帰ると、荷物が届いていた。
パソコンをインターネット世界につなぐキット一式である。
内容はモデム、LANケーブル、その他付属機器と説明書で、今日の昼ごろ宅急便で届いたそうだ。
「ちゃんと荷物受け取れましたよ」儀人がうれしそうに近づいてくる。「ほめてあげてください」
私はくしゃくしゃと頭をなでてやる。説明書に儀人を小まめにほめてあげるよう書いてある。
『儀人は犬と同じです。良いことをしたらほめて、忠誠心を高めるようにしましょう』
情容赦がなく、身もふたもない言い方をする説明書。ついでに言うと、この未完成の紙束は「だ、である調」と「ですます調」が混在していて、ここも気に入らないところの一つだ。
インターネットの接続方法について説明すると、実は「ワイファイルーター」という機器で電波を飛ばしてネットワークとつなぐ選択肢もあったのだが、私は事前講習で電話線を使う方法しか訓練を受けていなかったので、こちらを採用した。
なお、パソコンをインターネットにつなげる器材の準備は、全て本部が受け持っている。私の場合は、石綿を経由して送られてきた。
講習のとおり、モデムを置き、LANケーブルをモデムにつなぎ、そのケーブルを家の壁についている電話口につなぐ。
「あなたがうれしそうに見えます」
「ようやく本格的に仕事に取り組めそうだからな」
いよいよ念願の、インターネット環境が手に入るのだ。
仕事のやりとりは、基本的にロウランドのネットワークとソフトを使うことになっている。私が赴任する少し前までは、防諜上の理由で伝令と伝書鳩が使われていたが、伝令は事故を起こすしハトはカラスに襲われる。なので、さして重要でない連絡はロウランドのネットインフラに頼ることになったのだ。
パソコンのスイッチを入れる。いつもと変わりなく立ち上がる。
異変が起こったのは、いつものデスクトップ画面になってからだ。
右下に「パソコンが脅威にさらされています」と文字が出たのだ。
「初期不良か?」
今日の朝まで、パソコンに問題はなかった。問題があるとしたら、モデムだろう。
しかしモデムに問題があるのなら、「モデムが脅威にさらされています」と出るべきではないか? このあたりのパソコン・モデム間の関係は、いまひとつよくわからないのだが。
そのとき携帯が鳴った。ふらぐだろう、と思ってすぐには確認しなかった。
「一度、パソコンの電源を落としたほうがよろしいのではないでしょうか?」
儀人がもっともな提案をする。
しかし私は、物事を積極的に解決することを好む。
「パソコンが脅威にさらされているのなら、その原因をパソコンで調べればいいんだ」
モデムに連結したパソコンを起動させた後の操作は、すでにほとんど理解している。契約した会社の設定画面に表示されるので、モデムに同封された紙のマニュアルにそって操作する。なお、パソコンの入力装置はマウスにキーボードと、ハイマートと大差ない。ただしキーボードは、古いタイプライター式のQWERTY配列を今でも引きずっている。
私は古いキーボードで訓練を受けていたので、順調にマニュアルにそって画面を進める。やがてインターネットにつながった。
あいかわらず「パソコンが脅威にさらされています」と出ていたし、電話も鳴り続けていた。
「電話に出てくれ」私は儀人に命じる。
「いいんですか?」
「どうせふらぐだろう」彼は用もないのに電話をかけてきて、暇な訪問販売のように中身のないことをだらだらと垂れ流すのだ。
「これでボクも、電話を任せられる女になったわけですね」
そうゆうわけでないのだが、まあいいか。「適当に相槌を打って話を切り上げろ」
儀人は「はい、儀人のヤットサンです」と出やがった。後日ふらぐに会ったら、俺にどう説明させるつもりだ?
しかしその後は言われたとおり、「はい、はい、」とあいづちを打っている。こちらは安心して、パソコンに集中する。
インターネットには「検索窓」と呼ばれる文字を打ち込むための四角い囲いがあって、ここにマウスをあわせてクリック(左のボタンを一回押すこと)すればキーボードで文字を打ち込める状態になる。
私はすでに、パソコンの電子世界にも一種の「ウイルス」があって、それに感染すると機械に悪影響を及ぼすという知識を事前講習で学んでいた。おそらく表示された「脅威」とは、このことだろう。
だから検索窓には「パソコン、ウイルス、感染、やり方」と打ち込み、検索窓の横にある虫メガネのボタンをクリックする。これで、感染した場合の対処のやり方が出てくるはずだ。
それにしても、パソコンについてハイマートの一般人より知識を得ることができるのは、術士の特権である。
「上田一般、同士石綿が、すぐに話したいとのことです」
「?」石綿か。何のようだろう?「わかった、電話ちょうだい」
「?」儀人は首をかしげる「これはあなたの電話ですから、ボクにあげる資格がありません」
こうゆう日本語のすれ違いを、ここ数日に嫌と言うほど繰り返した。それはもう、軽く階段から突き落としたくなるレベルで。
「いいから、渡してくれたらいいんだ」
受け取り、電話に出る。
石綿は開口一番、『あなた、まさか支給されたパソコンでインターネットにつないでいるのじゃありませんよね?』
「つないでいる」私は検索にひっかかったホームページ一覧の中で、一番上のものにアクセスする。ページが表示されたのはいいのだが、急に画面がフリーズし、画面の色合いが病的になる。マウスのポインターが動かしてもいないのにぐるぐる動き出した。
なんだ? 心霊現象か?
唯物論者相手に、いい度胸だ!
『あなた、そのパソコンはダメですよ―― それは、インターネットに耐えられないパソコンなのです!』
兵士になって得たものの一つに、危急のときとっさの判断を下す能力が培われたことだ。
「コードを抜け!」ヤットサンに命じる。電話線のすぐそばに、彼女がいたのだ。
儀人はばね仕掛けのように素晴らしい反応を示し、しかし残念なことに電源コンセントを抜いた。たしかにそれもコードではある。
旧式とはいえ、内部のバッテリーに余裕のあったパソコンは、そのまま順調にインターネットへとつなぎ続ける。
ぴぎー! という音が鳴って、ぷつんと画面が真っ黒になった。
『耳で死んだのがわかりました、ご愁傷様です』石綿が言った。
こうして、ここ一ヶ月、公的私的の報告書を作成にお世話になっていたウィンドウズ2000は、電子的に破壊された。
大学の履修システムについて説明する。とゆうのも、しばらく報告書の内容は大学生活が中心になると思うので、書いておくと今後の助けになると考えるからだ。
大学は高校と違って、自分の受けたい授業を自由に選択するシステムだ。授業は「講義」と呼ばれ、この講義を受講することが「履修」である。
講義は、必修科目とそうでない課目に別れる。必修科目はこれを受けないと二回生になれない授業で、私の場合は英語と第二外国語、それに日本、東洋、西洋の哲学史の概説から任意のものを八単位分、となる。科目にはそれぞれ「単位」と呼ばれる数値が設定されていて、一つの講義を修了するごとに2単位もらえる。講義の修了方法は、テストに受かるか、必要日数授業に出席するか、あるいはその両方である。例えばこの報告書の下書きをしている日本史概説Ⅵは、7割の出席日数と三回の小レポートの提出、そして期末テストに合格しないと、2単位もらえない。
これらの講義は半年で更新される。つまり高校の一学期にあたる春学期には人文地理学Ⅰが開講され、二学期にあたる秋学期には人文地理学Ⅱがまた同じ講師の元で、スタートするといった感じである。
他に、副専攻科目の講義がある。専攻科目とは別に知識を学ぶ制度である。私の場合、心理、文化財保護、図書館司書、観光などから選ぶことができ、学生はそれぞれ定められた必要数の副専攻科目の講義を受講する。これも、修了すれば2単位もらえる。
大学卒業の条件は、卒業論文の執筆と大学生活の間に合計128単位を取得することであり、いかに一回生、二回生のときに単位を「稼いでおく」かが、あとで泣きを見ないで済むために大切となる。
講義は、決められた曜日の決められた時間に行なわれる。日本史概説Ⅵの場合、月曜日の六限目である。履修した学生は当然、その日のその時間はバイトなどの用事は入れられないし、バイトを入れようと思うなら講義の履修自体をあきらめなければならない。このようなジレンマはしばしば、学生の悩みとなる。
不幸にして履修に失敗した学生は(不合格、あるいは募集人数多数で応募からもれた)、来年の同じ時期もう一度、その講義の履修登録を試みることが可能である。まったく同様の講義が開講されれば、の話であるが。
以上簡単ながら、履修システムについて説明した。基本的にハイマートの大学と同じだと思うので、気になるようなら調べて欲しい。
五月の中旬になって、組織よりお金が手渡された。
正規術士ではないものの、準相がうちにわざわざアタッシュケースを持ってきて、中を開いた。
「200万円入っているはずです。確認お願いします」
この量の札束を一人で数えるのは、控えめに言って困難な作業だった。恐ろしく不器用なヤットサンは、お札を一枚一枚つまんで数えるという作業がまったくできなかったのだ。
彼女のために支給された現金だというのに。
先日儀人が風邪をひいたことは説明したが、私にはその再発防止をするよう通達がきた。ようはこの金で、布団を買い、冷暖房をそろえ、現代日本人として最低限の文化的な生活を営みなさいという命令だ。
明らかに過剰な支給だったが、もちろんそんなことは口に出さない。だいたいうちの組織は極端なのだ。もらえるときには、もらっておくべきだろう。
準相がお暇を告げると、札束を数える練習をしているヤットサンを向き直らせた。
「このお金は、あんたのために用意されたものだ。だから、あんたにゆだねたいと思うが、現金の使い方はわかるか?」
「はい、理論は知っています」どんな理論だ? 「しかし儀人のものは人間のものです」
「法的にはそうだが、それでもあんたのものだ」
ここで「あんた」の意味について、頭の偏った憲法学者どうしの論争のように小一時間ほど繰り広げられた。だからコイツとは、あまりしゃべりたくないのだ。
「ならば、このお金は『上田祐司に配備された儀人であるyat-an-Sin-0896-Lo 3』に預ける。俺がもし渡してほしいと言ったら、応じてくれ」
彼女はうれしそうに笑った。笑顔は、普通の少女なのだが。「それは、ボクに資産運用をゆだねると言うことでよろしいですか?」
「どうしてそうゆう話になる?」
「あなたのお金をボクに預けるのですから、それは資産運用を任せると言う意味でよろしいですよね?」
「なんだ? 元手を一〇倍にして返してくれるのか?」
「はい。お望みなら」
ほお。お札をつまむ動作ができない小娘が、よく言う。
「そうゆう訓練も、受けているのか?」
「はい。管理者様の生活をサポートする上において、大事なことですから」
少し期待が高まる。「元手を一〇倍は、どのぐらい期間でできる?」
「はい。定期預金を併用して堅実な投資を行えば、ざっと20年ほどで」
20年!
「そんなにロウランドにいない」私は断固として言った。「用が済めば帰る」
「ちなみに20年というのは期待値で、夜刀浦のウルトラコンピュータが予測するハイパーインフレが起こればもっと早くに・・・」
「聞けよ」
ヤットサンは管理者である私の役に立てそうなことがうれしかったようだ。儀人の製造には、献身的と目された男女の遺伝子を集めて使われるし、その後の教育でも人につくすよう徹底されていると聞く。
結局、200万円のうちの10%である20万円分を、投資に回す分としてゆだねてみることにする。
それにともない新しい口座が必要になる。これはもちろん、私の名義で作ることになる。
携帯電話で日用品が買える世界だけあって、口座の開設も携帯電話のインターネット機能から行なえる。ネットバンクと呼ばれており、ロウランドでは企業が続々と、店舗の存在しない電子上の銀行や証券会社を立ち上げている。
日銀がマイナス金利政策を実行することによって、自分たち銀行に金を預けておく価値がないことを白状して以来、政府は国民に投資をするよう振興している。これは国民に預金を捻出させ、政治家と癒着関係にある百戦錬磨の拝金主義者たちの食い物にさせようという意図が見え隠れしている。しかし賢く利用すれば、小金を稼ぐのに利用する事ができる。
口座開設の手順を以下に記す。
まず、開きたい会社を選ぶ。インターネット上にて「口座 開設」と検索をすれば、容易にいくつもの会社が「ひっかかる」。
キーワードを打ち込んで検索し、ホームページ一覧が表示されることを「引っかかる」という。
なお、ホームページとサイトの違いだが、サイトの集合体がホームページである。大学のホームページの例をとると、各学部の説明を行なうページが「サイト」で、そのサイトが寄り集まって「大学のホームページ」が形作られている。分隊が集まって小隊が編成されているのに似ている。もっとも一般的なロウランド人は、この二つの違いをほとんど意識しないが。
口座の話に戻るが、私の場合投資を行なうため、銀行ではなく証券会社を選ぶことになる。
「初心者向け」と銘打たれたものはいくつかあり、まるで以心伝心の談合のように各社同じようなサービスを取り揃えていたが、私は楽天を選んだ。以前布団を買うときに、名前を覚えていたからだ。
このように、他業種を幅広く展開するというのは、こういう利益がある。楽天は布団を巡る争いこそ敗れたものの、私という顧客を別の形で獲得したわけだ。結婚相談所は運営すべきだし、例え優勝を逃しても、野球チームは見限らないことが大事なのだ。
ホームページを開いたら、「口座開設申し込み」のページを選択してクリックする。住所、氏名、年齢、職業など、お決まりのことを書く欄があるので、すべて記入する。言うまでもないことだが、記入には全て組織より与えられた借りそめのプロフィールを使っている。
続いて、本人確認書類を提出するよう求められる。
楽天は寛大なことに、携帯電話で撮影した身分証明書の画像をデータとして送信すればよいとしてくれた。しかし、郵送で紙のコピーを送ることを選択する。私は伝統的な方法で物事を解決する事を好む。
まだ肝心の書類を郵送していないので、書けるのはここまでだ。手はずによれば、証券会社による身分の確認が終わり、GOサインが出れば、私専用の口座と、それにアクセスするためのIDとパスワードが発行されるはずだ。
六月に入ってから部活動への入部を要請された。既存の部活ではなく、新たに立ち上げる予定だという。
誘いをかけたのはふらぐである。
部の名前は「現代視聴覚研究部」であった。
この新部創設の動きは六月の始めごろから始まり、この報告書3を書き終わる七月の第一週頃には砂の上の氷のように消え去るのだが、興味深いので詳しく記したい。
まず、彼らと我々の「現代視聴覚」という言葉の差異について説明したい。
我々の「現代視聴覚」は美術、芸術の幅広い概念である。およそ目で見、耳で聴く概念は大抵扱う。前衛映画が現代視聴覚なら、新型都市迷彩の試行錯誤まで現代視聴覚である。悪く言えばおおざっぱである。が、研究に決して専門性がないわけではない。色彩論や記号論、環境音楽までやるのだ。
彼らの現代視聴覚研究の方は、テレビアニメとゲームの批評に偏重している。多用なコンテンツ作品と発達したネット社会に感化されているから、この選択は妥当といえる。
しかし本当は、それらはできていない。マニアが簡単な感想と、主観に基づく五段階評価を付け加え、時には項目の選択基準が不明瞭なレーダー図を作り、それで満足している。あくまで趣味の域を脱していないものだ。
とはいえ、ふらぐが夢想したのは、後者ですらなかった。
とにかく部員の頭数を集める必要があると言われたので、こちらは上田と石綿の名を新部設立の要請書に署名した。ふらぐと石綿は面識がない。名前を書かれたその瞬間においてさえ、ふらぐの中で石綿は幽霊部員であり、二人は最後まで顔を合わすことはなかった。
その幽霊部員を活用してさえ、部の創設に必要な人数分の署名を得たに過ぎなかった。
驚くべきことに、部長候補の人でさえ幽霊部員であった。
部の発案者ふらぐの魂胆では、この温厚で名前を貸すことを快諾した幽霊部長に「面倒なこと」をすべて押し付け、自分が実質的「権力者」として「支配するんだよ、上田くん」とのことであった。このある意味独創的な権力構造では、いざ部活を稼動させたとき速やかに破綻するのは目に見えているが、残念なことに彼は盲人であった。
そもそも、彼がこのようなサブカルチャーを主題とした部活動を欲したのは、「SOS団」という組織に影響されてのことである。
「SOS団」は『涼宮ハルヒの憂鬱』というジュブナイル小説及びそれを原作としたアニメに出てくる、主人公が所属する部活である。こちらでは強い人気を誇り、映画も作られている。
団の目標は「宇宙人や未来人や超能力者を探し出して一緒に遊ぶことよ!」という、なんだかむやみに楽しそうなものである。ちなみにSOS団は、「世(S)界を大(O)いに盛り上げるための涼(S)宮ハルヒ(ヒロインの名)のための団」の略称である。
ふらぐは、小学生の頃に読んだこの小説から大いにインスピレーションを得たらしい。得たうえで、誰かに実際の仕事を押し付けて自らが気ままに動くという、寄生虫的な方法を加え、さらに彼のもう一つの欲求「他人を強引に巻き込んで何かをする」を共々に昇華させるのを夢想した。
その形が、「現代視聴覚研究」というネームだったようだ。
一つ、エピソードを紹介する。部の設立に関する「話し合い」の場面である。六月の中ごろのことで、もうこの頃にはふらぐの性格と能力がすっかり見抜かれて、私しか話し相手がいなかった。
彼は私の作った、部の設立に関する企画書のタイトルが気にいらないとし、文章はこれでよいが句読点をもっと増やすように言ってきた。これ以上増やすとなると「この部活の目的は、激変する現代視聴覚の、研究が目標であり――」と、まちがいではないが逆にわずらわしい文章になってしまう。長文を読む能力がない男なのだ。
その後、話は急に変わって、またコンビニの店長の悪口になる。すでにそのバイト先はやめていたのだが、執念深い性格なのだ。いわく「安い給料で深夜まで働かされているから、精神が不安定になり――」
たぶん精神の未熟なもの同士、お互い良い点を見つけられずいがみあっていたのだろう。
私が部の設立に関する話をするよう水を向けると、数十秒ほどはその話に戻るのだが、すぐに彼の私的なエピソードになる。今度は高校時代のクラスにいた、頭の足りない女子より自分はいかに優れているかであった。彼は人を見下すことで自己の安寧を保っており、その相手というのが、クラスに一人はいた能天気な女の子だったり、同じオタク仲間のうちで趣味嗜好がちょっとずれていたりする、いわば安心して見下せる相手だった。
「次の授業がある」と言って辞去することにする。本当はまだ40分ほど時間があったのだが、話しても収穫がなさそうなので打ち切ることにしたのだ。
彼は私の次の教室までついてきて、休み時間中も延々と似たりよったりの話を聞かせてくれる。講義になるとさすがに退散した。
前述のようにこの新部設立の動きは、一ヶ月ほどで消えた。計画の推進者であったふらぐが、長期的に何か物事を成し遂げる意志と体力に欠けていたのが、最大の要因であった。
しかし、お飾りの代表者を立て、それを隠れ蓑として自分の欲求を果たそうとして、結局息切れを起こすのは、議会制民主主義下ロウランドの政策と政治家の動きを思い起こさせて興味深い。
大学の講義について紹介する。前回、講義の履修システムについて説明したが、今回は講義でどんなことを学ぶのか列記したい。
・宗教文化史
先述の昼休みで、ふらぐがついてきたときに、午後から私が受けた講義である。
内容は日本の宗教について学ぶもので、今は主に仏教伝来時の話をやっている。
かつて仏教の伝来したとき、日本にはすでに自然崇拝が息づいていた。祖先や自然を祭る、原始神道と呼べるものだ。
宗教ではありがちな話なのだが、神道と仏教、二つの宗教はいがみ合った。外国で崇拝されているからという理由で仏教を支持するものがいる一方、日本古来の神々をないがしろにするべきではないとの意見もあり、闘争に発展する。ようは、舶来礼賛と保守派の固執という、今の日本にも通ずる問題が、この時代にすでに起こっていたわけだ。
保守派の雄であった物部守屋は、この新興宗教を断固として弾圧することを決意する。仏像を破壊し、経典を焼き、信者を公開で鞭打つ。新参の仏教は、排除されるかに見えた。
授業ではここまでしかやっていない。また続報が入り次第伝える。
・地域再生学
どこの世界でもそうだが、立地が悪く、地域的な魅力にも乏しい土地は、過疎化する運命にある。この問題を解決すべく抗う地元民の活動を学ぶのが、地域再生学の講義である。
例えば、財政破綻した夕張市のあがき。あるいは、山の材木をバイオマスエネルギーの燃料に活用する中国山地の村。
岡山県の山あいにある真庭市は、江戸時代には材木を都市部に卸していた。やがて近代化の波が訪れ、安い輸入材に押されるようになると、経済が立ち行かなくなった。
ロウランドの日本においては、山の所有には高い税が課せられる。地元民は高い税にあえぎ、その収入を越える税金ゆえ子どもにも財産としてわたすこともできず、ある研究者が調査でおとずれた際「どうせなら山をもらってくれ」と口にするまでになっていた。
そんな中、ある地元の青年が当時ロウランドで実用化されつつあったバイオマスエネルギーに注目する。彼は地元民を根気強く説き伏せ、いくつかの機械の導入に成功する。
運よく、ちょうど製材所から出てくる端材を、どう有効活用するかが課題になっていた時期だった。それまでは伝統的なストーブの燃料にしたり、珪藻土と混ぜて猫砂にしたりしていたが、製材所自体の運営が、その年の建築需要に左右される不安定なものだ。商品を安定して供給できず、新たな利益の手段を模索していた段階だった。
そこで山の材木、特に建築材としては役に立たない倒木などを、バイオマス発電用の燃料として買い取る制度が立ち上がる。それまでお金にならなかったものが現金収入となり、またバイオマスエネルギーを使うことによって石油代が浮き、その浮いた分が地元に還元できるようになる。
真庭市は一種のお手本として日本中の注目を集め、海外からも研修のため人が来るようになった。
・日本国憲法
ロウランドでは当然ながら、我々が打ち倒した政治体制を今でも採用している。その古い憲法を学ぶことは、ハイマート人にとって意義深いことだと思う。
まず日本国憲法は、基本的人権の尊重をもっとも重視している。これは第11条に明記され、以後の条文でも、それを補強する内容が書かれている。
13条は、個人として尊重されること。
14条は、法の下に平等で、差別されないこと。
19条は、思想及び良心の自由が謳われている。
21条は、集会、出版の自由を保障している。
この憲法は、その他いろいろ長々と書いてあるが、たった一言でくつがえせる。
それは、民族の存続には必ずしも貢献しない、ということである。
例えば個人が大事だと言う条文。もし私が自分の身がかわいいからと、戦場あるいは外国への派遣を嫌がり、それが他の人に広まったら、その民族は立ち行かなくなるだろう。
あるいは法の下の平等。言うまでもないことだが、人間は平等ではなく平等にもなれない。大人と子ども、自国民と他国民、男と女。特に男と女は、平等でないのはもちろん、対等ですらない。女は労働に向かない体をしており、男から母乳は出ない。それは法律など足元にも及ばない、地球の環境が培った進化という名の運命である。
思想、集会、出版などの自由にしても、それらの自由を完全に保障して発展した国はないと指摘できる。古代ギリシアやローマにしても、またその他の古代王朝にしても、皇族や神々の否定は厳禁だった。産業革命以後急速に発展した国々、イギリスやフランス、そしてアメリカにしてもタブーはあり、法的には自由でも逸脱者は肉体的社会的に抹殺される。
そもそも現在の日本の礎を築いた江戸幕府及び大日本帝国が、それらの自由を限定的にしか認めない政体であったことを、ロウランド人は気づいていないようだ。
・コミュニケーション法
一応心理学の講義にカテゴライズされているが、実質的には人見知りのための自己啓発セミナーである。
心理学っぽい内容は、今では中学校でさえ教えられているマズローの三段階欲求を学んだだけで、あとは控えめに言ってバカバカしいものであった。
例えば、たまたま隣の席に座っていたやつと向き合って、お互いのいい点をほめあう。あるいはお互いに離れ、どちらかが近づき、近づかれる相手が嫌と思って合図を送るまで止まらないという謎の体験。
白紙を渡され、そこに延々と自分の嫌だった思い出を書き連ねるのを一時間やったこともある。これは入念なことに、学生同士がお互いの紙を盗み見ないように、座席を放してから実施された。私は白紙だった。嫌な思い出は全てハイマートにかかわることで、差しさわりがありすぎて書けるわけがない。この講義の最後に講師は、紙は各自で持ち帰るように言い、「自分とのコミュニケーションも大切です」と、おそらく何十回も言っただろう決め台詞を放った。
ロウランドでは人としての能力が全般的に劣化しているのか、このような自己啓発及び対人コミュニケーションの伝授が、大学でさえ取り入れられている。
そんなロウランドでの流行について説明しておきたい。一過性のものでなく、息の長いものを厳選する。
●資格取得(通信講座)
この世界では資格取得が奨励されている。履歴書の資格取得欄を埋め、就職、転職への手助けにするのが目標である。人気のある資格は、漢字検定、行政書士、簿記3級、ファイナンシャルプランナー、カラーコーディネイターなどである。資格は一種の勲章なのだ。この動きに呼応して、NPO法人や各団体も、各自マイナーで独特の資格を提供している。もちろんこれらの流行りの多くは、弁護士資格のように特定の職業に就ける資格ではない。
おもしろい資格としては「京都検定」や「金魚検定」がある。取ってもさほど役に立ちそうにないうえ、取るのは大変難しい(別紙として問題集を送る)。
通信講座も人気で、ボールペン字講座や公務員試験対策、インターネットでの起業方法まで教えてくれる。人間と直に接する仕事である介護福祉士まで、通信教育で取らせようというのだから、欲張っている。
●ライトノベル
こちらではライトノベルと総称される小説の勢いが強い。これはいわゆるジュブナイル小説で、中高生向けの読者層を狙っている。これらは正当な文学界からは軽蔑のまなざしを持って見られているが、中にはシリーズ累計1000万部というマンモスタイトルもあり、ほとんどの文学作品は太刀打ちできない。現段階で著名なものは先述の『涼宮ハルヒの憂鬱』の他、『とある魔術の禁書目録』、『僕は友達が少ない』、『俺の妹がこんなにかわいいわけがない』、『撲殺天使ドクロちゃん』などである(ロウランドの人のネーミングセンスは、ちょっとおかしい)。
ライトノベルの商業的な強さは、作風が漫画やアニメーションとして商品化しやすく、それらを見た者が改めて小説を手に取るという、消費のドミノ倒しのためである。
●ご当地グルメ(B級グルメ)
これは我々の世界にもある「一村一品運動」から発展した流行だと思われる。ゆきづまる地方経済の活性化として、新たな郷土料理を知恵をしぼって捻り出すのだ。
有名なのは宇都宮市の宇都宮餃子、富士宮市の富士宮やきそば、などである。これらの多くは、勢力の劣る地方都市が地元のPRとして仕掛けたものであり、行政が主導するものと、民間の有志が主導するものに大別される。いずれの場合も彼らは自分たちが決してA級ではないB級であることを力強く認めて、珍奇でものめずらしい料理、あるいは既存料理のマイナーチェンジを、極めることに邁進する。
それら食品のお披露目場所として、「B-1グランプリ」なるB級グルメの日本一を決める大会が行なわれている。
もちろんこれらの料理は平行世界たる我々の側にもあるのだろうが、著名になろうという人々の努力には雲泥の差がある。我々の世界でも知識として知られているものと、知られていないものを列挙する。
知られるもの:
讃岐うどん、味噌カツ、よこすか海軍カレー、盛岡冷麺、きりたんぽ。
知られないもの:
富良野オムカレー、八戸せんべい汁、行田ゼリーフライ、富士宮やきそば、静岡おでん、各地のソースカツ丼、久留米やきとりなど無数。
休日に、石綿を家に招いて共にオムカレーとやらを作ってみたが、オムライスを作ったあと更にカレーを作らねばならなかったのでめんどうくさかった(ついでに言えば、カレーを煮込んでいる間にオムライスが冷めた)。もっともだからこそ北海道の富良野まで行って食べてみる価値があるのかも知れないが。
ともかくも、食事にA級、B級をつけられる彼らの食文化は贅沢である。
なお、お好み焼き、たこ焼き、ちゃんぽんなど、地域性は根強いが全国区に広がっているものは、彼らはご当地グルメとは見なさない。ただしB級グルメとは見なす。
●ご当地キャラ(ゆるキャラ)
地域振興の切り札その2が「ご当地キャラ」と称される、活性化させたい地域をモチーフにしたマスコットキャラクターである。これらは概ね二頭身で、必ずしも可愛くもかっこよくもなく、名に反して地域性を表していないものも散見されるが、人々の注目を引く(とロウランド人が信じる)風体をしている。
この世界では地方自治、活性化への熱意が微熱のように続いており、その創意工夫ぶりは頭が下がる。空襲や艦砲射撃を避ける切実な願いから、地方に資材や権威を分散させた我々は及びもつかない発想力だ。
有名なご当地キャラは彦根市のひこにゃん、熊本のくまもん、平城遷都1300年を記念して制定された奈良のせんとくん、千葉県船橋市のふなっしー、沖縄の超神ネイガーなどである。
ゆるキャラは、「ご当地」という括りに捕らわれず広く「ゆるい」キャラクターを総称している概念である。「ゆるい」の定義は曖昧であるが、洗練されていない、どこかぬけていて、可愛らしい、若い女性の購買意欲をそそる姿形をしていることを指すと言って間違いない。二頭身へのデフォルメ化はご当地キャラに比べ更に徹底される傾向にあり、また、形が男性の亀頭の部分に似ているものが多いことも興味深い(このことは、若い女性以外のロウランド人も自覚しているようである)。
名が知られたものに、まりもっこり、なめたけ、やわらか戦車、リラックマ、我々の世界にもあるたれぱんだ、不甲斐なさが愛されるまめシバ、などがあり、携帯電話のストラップやUFOキャッチャーの景品として活用されている。
紹介したキャラのイラストを別に送るから、ロウランドの感性を目で楽しんで欲しい。
さて、来週にはハイマートで決められた予定通り自衛隊の訓練へと出頭するから、その話が書けるだろう。
七月七日 棚機つ女の祓いの日
武官相術士 河井出良太郎 様
簿記2級勉強中 上田祐司
追伸 前の報告書の「大阪ナウ」の「ナウ」は英語の「now」のことで、「今大阪」程度の意味。説明不足ですまんm(- -)m ←ロウランドで「ごめん」を現す顔文字。
註1:ミームは、文化の遺伝子ともいうべき概念で、本文中の場合はガンダムというミームが様々な形(プラモデル、ゲームなど)に進化して伝わっていく際の「形状」を意味している。
註2:アルス・コンビナートリアは「美術・芸術的な複合による相乗効果」と説明できる概念で、例えばレオナルド・ダ・ヴィンチが聖書から題材を得て「最後の晩餐」を書いた場合、ダ・ヴィンチと聖書のアルス・コンビナートリア、という言い方をする。
註3:最後の追伸は、前回の報告書を読んだ河井出からの質問に対する答えで、上田は追伸を質問への返答にしばしばあてている。




