報告書2
報告書2
まず監禁されたことの愚痴を聞いて欲しい。
我が組織は、調査員がもう一人の自分と遭遇することを大変警戒している。
ロウランド人の方が見つからない場合は、監禁のお鉢はハイマート人(つまり私)に回ってくるわけだ。
くわしく説明すると、こちらが同志石綿と大阪駅で合流し、大学を目指して私鉄に揺られていた頃、大阪駅の防犯カメラの画像をハッキングして監視する「人相判別コンピュータ」が、通行中の「術士上田祐司とそっくりな男」をはじき出し、急遽転送してきたのだ。
この連絡は監禁の命令と共にすぐに石綿の携帯に届けられる。
ちょうど新たな住みかにて、最近のハイマート情勢の雑談をしながら、あてがわれた予算2万円でどの家電を買うか検討していたところだった。石綿は厳とした表情で静かに携帯を閉じ「警報です、同士」と告げた。
「有無を言わさず監禁です。高等統帥部よりの決まりですので、ご了承ください」
噂に名高き「自分警報」を、ロウランド到着後24時間もたたずに経験するはめになったわけだ。
警報はこちらの大学入学まで有効とされた。
おかげでしばらくはベランダにさえ出れず、限りなく無意味な受験勉強と瑣末な書類の整理だけで過ごす羽目になった。
初日が一番深刻で、石綿が帰ったあと、トイレを使ったのだが、水が流れないのだ。
水の元栓をまだ開けておらず、そして栓は玄関の外にあった。
出ようか、と思ったけど、規則を破ったのがばれてハイマートに強制送還されるのは是が非でも避けたい。
私にはやるべきことがある。こんなところで帰されてたまらないのだ。
「安政の大獄にまきこまれた一橋慶喜みたいな生活ですね」次の日から食料その他の運び役となった石綿がそう評した。しかし私の場合、将軍家としてふさわしいお手伝いさんはおろか家事を助けてくれる家電もない。
こんなことをするぐらいなら、当人を呼ぶ前に殺しておけよ、と思う。
「自分殺しは自分の手で、という不文律がありますからね」
石綿が言った。「自分と同じ姿の人間を殺すことで、自己愛を超越して、心理的に立派な人間に・・・ まあ、組織の冊子の受け売りですけど」
「その組織が、速やかに俺に家電製品を買いに行く許可を与えないと、この日本の真ん中でひもじくて死ぬことになる」
さて質問だが、人間として、あるいは文明的な日本人として、絶対に必要な家電はなにであろうか?
寒さを防ぐ暖房だろうか? 確かに必要だろう。それとも、食事を保存する冷蔵庫、冷めた食事を温める電子レンジか? それらも捨てがたい。あるいは、なぐさめを与えてくれるテレビやラジオ? そうではない。
まず絶対に必要な家電製品、それは炊飯器である。
米が食いたい。と切実に思った。なるほど、石綿がコンビニで買ってきてくれる弁当に、たしかに米は盛られているが、私が言っているのは炊かれたばかりの、釜から湯気たつ米である。
まったくやりきれなかった。ロウランドのコンビニ弁当はめちゃくちゃうまいのだが、それでも米は炊き立てには及ばない。
せめてガスコンロと蓋つきの鍋があれば炊けるのだが、それすらない。
ついでに言えばポットも湯沸し器もないので、カップ麺が食べられなかった。監禁二日目、水の元栓を開けた石綿が、「ふふふん」ともったいぶった手つきでロウランドでしか販売されていないカップ麺を取り出したのだが、お湯を沸かす手段がないことに気づいて愕然とする。大学入学まで、食費は本部によって一日当たり決められているので、その日は新たな食事を買いなおすこともできない。
そのままで食べるか、それとも水でふやかして食べるか、本気で悩んだ。
「僕が適当に、家電、日用品を見繕って買ってきましょうか?」と石綿は心優しくも申し出てくれる。「ただし、僕が立て替えた分は、あとで利子付きで返してもらいます」
なるほど、彼のやさしさは中途半端なものであるらしい。
「利子はもらうものであって、払うものではない」当然辞退する。
それに念願のロウランドでの生活である。自分で使うものは、自分の目で見て選びたかった。
だから監禁中は、道中で見た100円ショップなる未知の店に恋焦がれて過ごすことになった。
あの不思議で、色とりどりな商品が並ぶ、洗練された雑貨屋のような趣のある店には、一体いかなる商品が売っているのだろうか? 100円と銘打つ限りは、価格は百円なのだろうが、どう見ても百円以上の価値がありそうなものが並んでいる。
ひとまず自分警報が解除された入学式当日、式典参加前に寄ったほどである。
それでその店なのだが、内装の第一印象はコンビニに似た雑貨屋さんで、店内の全商品が百円で買える画期的な店である。品揃えは食品、雑貨、文具など多岐に渡る。ネクタイさえ売っている。人件費が安い海外で大量に製造し、低コストを達成したためこのお値段となっているのだそうだ。レジのお姉さんに根掘り葉掘り質問して聞きだした。
特にカゴや洗濯バサミなどのプラスチック製品は、石油の統制から来る品質の低下がなく、思わず衝動買いする出来である。
百円というのは実は偽りで、本当は百円+消費税がかかる衝撃事実を会計のときに知ったが、その詐称も気にならないほどの魅力的なアイテムたちだ。
入学式には無数のカゴやハンガーを抱えて参加した。こんなにいいカゴなら、帰ってくるころには売切れてしまうに違いないと考えたのだ。
入学式については特に特筆すべきことはない。大阪市内のホテルで行なわれ、学長の挨拶と、名を覚えるのに値しないと思われる人物の訓話と、テレビに出ているらしい有名とされている評論家の短い講演があった。
次の日にはお世話になるキャンパス(校舎)内にて、「フレッシュマンセミナー」なる自己啓発授業に強制的に出席させられる。フレッシュマンとは、新入生の新規な言い方である。
「出席を取りますね」担当のラテン語と古代ギリシャ語を教えている老教授が、まるで小学校みたいに名簿を取り出す。「上田くん、上田くん、上田さん・・・」
別にロウランドでは上田一族が繁栄しているというわけではない。フレッシュマンのクラス分けを、あいうえお順で機械的に割り当てたのだ。
「まあこういう授業を、上の方からやれと言われてましてね、僕に言わせれば自己啓発などクソですね」と老教授は言い捨てた。
彼は新入生を前に、ひとしきり大学の悪口を言った後、趣味のテニスの対戦相手を募集している旨を伝え、それから自己紹介を兼ねてか、コリントスという滅亡した都市国家の政治制度について分析した自作の論文を配布した。
それから学生証を受け取る。銀行のキャッシュカードとほぼ同じ大きさと厚さの、名刺に似たデザインで、顔写真と名前、学籍番号、所属学科がしるされている。
術士団よりあてがわれた身分は哲学科の一回生である。本当は他にやりたい学問があったのだが、それは許されなかった。
「組織はプラトンの哲人政治を考察できる人材を作りたいのです」とは石綿の言葉だ。
セミナーはそれから、大学構内の構造と講義カリキュラム、合格しなければ進級ができない講義、講義によって取得できる資格などの説明を、大学の悪口をまじえつつ進めていく。この老教授は、入学したてで文字通り「フレッシュマン」の学生のやる気を、打ち砕く計画でもあるのだろうか? まあ、悪口はおもしろかったので良かったが。
次の日には、受ける講義の登録のため、大学内のパソコン教室に入る。
そこは、宝の山であった。
一瞬黒い鏡かと見まちがえた薄型のディスプレイに、美しいキーボード、そして流線美が栄えるマウス。
それらが12台、机にそって等間隔に並び、そばには明らかに高性能とわかるプリンターとスキャナーがある。
ここはマイクロソフトかIBMのオフィスか? と疑った。たかだか地方の私大でこれほどの設備とは、ロウランド、あなどれないかもしれない。
一番手前の席に着き、スイッチを入れる。学籍番号とパスワードの入力を求める画像が表示された。パスワードはすでに、新入生一人ひとりにあてがわれている。
「ようこそ 上田祐司さん」と表示が出た。スイッチを入れてからの起動が早く、画面の表示も良好だ。
「パソコンが珍しいのか?」と隣の男が聞いてきた。たぶん、上級生だろう。
「いや・・・ 仕事で使っている。ウィンドウズの2000型だ」
「また古いのを使ってんだな。ちゃんと動くの、それ?」
「文章は打てる」
さて、これほど高価なパソコンを使って何をするのかと言うと、時間割を登録するのだ。
おせっかいな大学は、我々学生がちゃんと時間通り講義に出席するか危惧しているらしい。
このパソコンの専用の画面から、出席する講義を登録すれば、いつでもパソコンから時間割を確認することができるようになる。講義は様々な時間帯に様々な教室で行なわれるので、これで勘違いや遅刻で出席し損ねる心配がなくなるわけだ。
すでにシラバス(講義一覧)を元に、自分で時間割を手帳にメモっているから、およそ無意味なサービスである。パソコンをいちいち持ち歩いて時間割を参照するのは手間だが、メモ帳なら一発だ。
メモ帳を見ながら、改めてパソコンのマウスを操作して授業を登録していくのは、恐ろしく無駄な作業に思われた。
なお、パソコンはマイクロソフト社製の、ウィンドウズ10というバージョンである。我々の方で普及しているウィンドウズ95の数世代後継機にあたる。
ところで隣の男はと言うと、パソコンでドラマのようなものを見ている。おそらくビデオテープの再生機能がそなわっているのだろう。
私の位置からだと、白い黒板に張り出された「新入生が履修登録をするので、4月8日~10日にかけては、在校生はパソコンを使わないでください」の張り紙が良く見えた。
そのとき放送で、上田祐司の名で学務課より呼び出しがかかった。「こちらが異世界人だとばれたか? まさかそんなはずは」と身構えて行くと、石綿から私宛に電話がかかってきていたのだった。
彼は「よかった、つかまりました」と言った後、こう切り出した。「今から電話を買いに行きましょう」
驚くなかれ。ロウランドでは、学生にまで携帯電話が普及している。
むしろ、持っていないと「ヘン」らしい。
「業務連絡に必要なだけでなく、周りに溶け込むアイテムとしても、必要ですよ」
大学のすぐ外で合流した石綿が、そう諭す。
「別に今すぐじゃなくていいだろう」反論する。「電話で電話を買えなんて連絡、聞いたことがないぞ」
さて、携帯電話を持つのに必要なものはなんであろうか? それはもちろん、ロウランド現地調査本部の許可である。我々調査員は、無許可で通信機器を持つことを許されていない。
「事後承諾でいいですよ」と同志。「ようは機種を買ってから、『この会社のこの機種、この料金プランで契約しました。許可願います、と書類で提出すればいいのです。・・・まあ、二台目を持つ場合は、厳しい審査が必要ですけどね」
駅近くの携帯電話屋に入店する。コンビニと銀行を足して二で割ったような雰囲気で、照明は明るい。機械から吐き出される紙の番号札をとって、順番を待つ。
席の横にはしゃれた台があって、購入可能な携帯電話が見本として並べられている。そのほとんどが、例の薄い板みたいな形をしている。
店の壁にはテレビモニターが額縁のようにかけられていて、ひっきりなしに同じ携帯の宣伝をしている。隅には幼児を遊ばせるための、四角いクッションでかこったスペースがある。
「ちょっと近未来的な感じだな」店内の感想を述べる。
「これが本来の現代なのですよ」石綿は小声。「我々は戦争のせいで、軍事技術以外は二十年以上遅れています」
我々は20世紀からタイムスリップしてきた人間に等しいのです、と彼は言った。
順番が来たので、衝立でくぎられたカウンター席につく。自分の業務内容だけには詳しそうな若い女が応対する。
「新規契約をしたい」と伝えると「以前お使いの携帯は?」と聞いてきたので、「持っていない」と答える。
「持っていない?」女のオウム返し。「携帯電話を、お使いになったことがないのですか?」
「ああ。前はポケベルを使っていた」私は正直に言った。
「ポケ・・・」女は変な顔をした後、不自然な笑みを浮かべた。「失礼ですが、ポケベルってなんですか?」無教養なヤツだ。
「電話が来ると、アラートを鳴らして、どの電話番号からかかってきたか知らせてくれる小型の機械だ」
隣にいた責任者っぽい中年の男が、小声で「PHSより古い機械」と耳打ちした。女は不自然な笑みを自然な笑みで取繕う。
「では、携帯デビューなわけですね」
携帯デビューか何だか知らないが、店員の好奇な目が気に入らない。
その後この気に入らない女は、一ヶ月の間に電話やインターネットはどのぐらい利用する予定かなど、いろいろ私の個人情報を聞きだそうと計り、それから日本語だとはかろうじてわかるカタカナの羅列された複雑怪奇な料金体系を説明し、そして最後に充電用ケーブルやら画面の保護フィルムやらを言葉巧みに買わせようとした。
すでに石綿から、大部分の付属品は一〇〇円+消費税ショップで買えると説明を受けていたので、これは断わった。
「ポケットわいふぁいはご利用になりますか?」店員が訊ねてくる。
「ワイ・・・ なに?」
「えー、つまり、無線のことでございます」
なるほど。電話と抱き合わせで、ポケットに収まる無線機も買わせようという魂胆か。
「いやいい。俺は電話を買いにきたんだ」
「かしこまりました」
それに彼女は、薄型電話の契約を前提に話を進めているようだが、すでに私の心は決まっていた。
迷わず、見本の台のはじっこに窓際族のように置いてあった、二つ折れの携帯電話を指さす。「これがいい」
店員ではなく、石綿が難色を示した。
「これは、大学生が持つものとしては不適当かと」
「これが一番安いだろう」
「確かに。しかし、今どきの大学生はだいたいスマホですよ」
「あの電卓みたいな電話に自分はなじみがないし、落としたり、敵にぶつけたりしたときに折れやすそうだ」
結局、今回の契約内容は以下のように定まる。
二つ折れ携帯を使う一番料金が安いプランで、機種代金も含めた月々の支払い金額は4000円ほど。もしネットと通話を一ヶ月に定められた以上使えば、その分料金が加算される。
それからは諸注意を受け、契約書を書き(身分証明書の提示を求められた)、来店記念のノートとボールペンをもらって、店を後にした。
さて、携帯電話の契約方法について、まとめておこうと思う。
まず、各自が好きな電話会社を選ぶ(半公営のNTT一社ではなく、電話会社が複数ある)。選ぶ基準は、その会社のサービス内容、取扱い機種、友人と契約会社が同じかどうか(同じ電話会社どうしの通話は原則無料)、などから判断する。
会社を決めたら、ショップと呼ばれるその会社の出店に来店する。出店は街中、特に駅前に複数あるし、規模の大きな電気屋の中にもあるらしい。
まずは料金プランを決める。これは一ヶ月あたりのデータ通信量、通話利用頻度などから、自分のライフスタイルにあったものを選択する。例えば、通話もネット利用もほとんどしない人物なら一番安い料金プランを、電話とネットを多用する人には割高でも通信容量と通信速度の速いプランを、といった感じにである。
同時に使用機種も選定する。携帯電話にも、廉価だが最低限の機能しか持たせていないものと、高価だが複数の機能(カメラや、なんとテレビ!)を持たせているものがあり、好きなのを選ぶ。なお、安い料金プランだと、選択できる機種に制限がかかる。
電話は原則買い取りで、月々の電話料金と共に分割払いで請求されるので、自身の収入にあったものを選ばなければならない。
「事前講習で聞いてると思いますが、基本的に生活費は自分で工面しなければいけないので・・・」ショップにて石綿が確認してくる。
そうなのだ。現地人とより密着した生活を送るためと、もしもロウランドの当局に我々のことが感づかれ資金繰りが洗われる事を警戒して、我々調査員は原則自給自足の生活を強いられる。
学業をして、その上に労働までせねばならないとは、絶対に調査の仕事に支障が出るだろう。
それはともかくとして、携帯に関して追記を一つ。
ロラウンドの携帯は「アプリ」と呼ばれる無料、もしくは有料の様々なサービスが受けられる。
このシステムについてはまだよくわからないので、追って報告する。
とにかく、さして欲しくなかった携帯を手に入れたわけだが(もっと必要なものはたくさんある。例えば炊飯器とか)、これはいい機会になりうるかもしれない。
もうフレッシュマンの授業で学友にアドレスを問われても「携帯自体を持っていない」と答えなくて済むし、待ち合わせの連絡をすぐにとりあえるので便利になる。
石綿と別れ、帰路につく。一〇〇円+消費税ショップに顔を出し、いろいろ吟味する。いくつかの生鮮食品(肉や豆腐)が割引で売られていたが、うちに冷蔵庫がないので買うのがためらわれた。
アパートの前まで来て、一応ポストを確認し、階段を上がる。書き忘れていたが、拠点の部屋は二階にある。
ドアの前で異変に気づいた。
髪の毛がないのだ。
防犯のため、また我々の情報を狙うハイマートの不満分子対策のため、ドアに髪の毛を一本はさんで、いつも出かけている。誰かが侵入したら、わかる仕掛けだ。
ドアから離れ、さっそく、あてがわれた携帯電話を使い、石綿に連絡する。
『はい』
「上田だ。申し送る」声をひそめる。「同士。今日、私の部屋に入りましたか?」彼は合鍵を持っている。
『いえ、あなたの家の、半径1キロ以内に近寄ってもいませんよ』
「わかった。十分後にまた連絡する。連絡がなかったら、手だれを何人か、俺の部屋に派遣してくれ」
『はあ』
電話を切る。まだ相手が中にいるかもしれない以上、勝負は速攻だ。
もしも相手がロウランド人の空き巣なら、拷問をしてコソ泥の代償は高くつくことを体に覚えさせたのち、ここで見たものを忘れさせて釈放する。もしもハイマートの活動家なら、拷問して出来る限りの情報を吐かせ、本部に突き出す。
ところがここで、自身のある重大な欠陥に気づく。
丸腰なのだ。銃剣一本持っていない。
迂闊だった。せめて駅前のスーパーで、投げナイフやスタンガンの一つでも買っておくべきだった。つい面倒くさくて、護身具のラインナップの確認を怠ったのだ。
逡巡しているとドアの向こうから声がしたのヨウムよ身を強ばらせた。
「あなたのこと、知っています」女の子の声だった。「入ってきてもいいですよ」
入っていいだって? 人が組織より管理運営を任された部屋に無断で侵入して、入っていいとはいい度胸だ。
「わかった。すぐ入る」
私はドンドンとノックをしてドアから入室すると見せかけてから、素早くベランダ側に回り込み、排水パイプをつたってよじ登る。これなら俺を知っている未知の相手の背後を、とらえられると期待したからだ。
だがこの方法は、不法侵入者にはお見通しだったようだ。ニコニコ笑顔でガラス越しに、ベランダに静かに降り立ったこちらを見守っていた。
目と目があう。
ああ、と合点した。
にらみつけたまま、サッシをあけた。鍵はかけて出かけたから、この小娘があけたのだろう。
「こんにちは!」彼女は頭を下げた。折り目正しい柔道家のような、45度の礼。ほとんど敬礼である。
私は防寒用に、100円ショップで買った手袋を身につけていた。それをはずして、術士の右手を肩まであげる返礼をする。ロウランド人が見たら、ナチス式の挙手だと思うだろう。
彼女はちらちらと上目遣いに、こちらの様子をうかがう。私は敬礼をやめない。しばしその状態が続いて、さっと手を下ろすと、彼女も頭を上げた。なるほど、よく躾けられている。
「調子は良好か?」彼女にそう声をかけた。
「はい。昨日付けで、完全にロウランドの大気に順応したと、判断されました」
「説明書を検めたい」
「かしこまりました」
彼女は人間の女の子と比べてもまったく遜色のない歩みで、こちらに近づいてくる。ランドセルを背負っているが、これはこの家まで移動してくるにあたって、原住民に溶け込むためのアイテムだろう。――しかし服が体操服なのに違和感を覚える。ロウランドでは、ランドセルに体操服の組み合わせは普通なのか?
女の子は、やはり人間と同じような動作で、ビニール袋に入った茶封筒から冊子になった書類を取り出した。そのサイズはA4で、ざっと100枚ほどだろうか。
そこには原住民に万一見られてもなにが書いてあるかわからないように、断片化された情報がつまっていた。
『説明書最新改正 革命歴●●年 ●●月●●日』
『型番 yat-an-Sin-0896-Lo 3』
歩兵一筋の河井出くんに説明すると、yatは夜刀浦技術工廠を表し、anはアンドウ製造ラインの製品であることを示す。Sinの意味はよくわからないが、0896は偽装された製造番号だとはわかる。先頭と末尾の0と6はないものと考え、残った8と9の間に/(スラッシュ)を引く。8/9。つまり9体製造されたうちの8番目と言う意味だ。
高級術士用に製造された一品物ではないが、それでも少量生産の貴重品だ。
私みたいなヒラの術士にも支給されるようになるとは、儀人も普及してきたと言うわけだ。
「合鍵が支給されたのか?」彼女が部屋にいた理由の、突き止めにかかる。
「いいえ。針金を二本用いたピッキングであけました。あのドアの防犯水準は極めて低劣です」
私は憮然として言う。「今後、許可なくピッキングを禁ずる。誰かに見られたらやっかいだ」
「かしこまりました」
取扱説明書を読みすすめる。
『儀人は、人類の女性の代替案となる存在です』
『従来の女性はしばしば、脆弱な体力、男性と比較した場合の脳容量の小ささ、生理による情緒不安定、更年期障害による社会への老害といった問題を抱えていましたが、人工的に製造された儀人は遺伝的に強化改善が施されており、それらの生物学的な問題を抜本から解決するものであります』
「情容赦のない説明書だ」私は言った。
『従順で知的、器用で器量もよし。管理者はそのように作られた儀人と共に暮らすことによって新たな発見をし、ひいては管理者そのものも精神的に豊かで文化的な水準へと、引き上げることでしょう』
「引き上げられてたまるか」
ここでいったん読むのをやめた。
一応書いておくと、こちらは儀人の配置を強く断ったのだ。ロウランドでの重大な責務を思ってのことだったし、それに基本的に一人で居る方が好きなのだ。
ところが、儀人の一刻も早い実用化を目指す、人類生態観察研究所の頭の使いどころを間違っている天才どもは、データが欲しいゆえに、かたっぱしから「試供品」を配って回っているわけだ。
「今後の経歴や、便宜を図ってもらうためには、承知しておいたほうが良い」
こう上司に言われては、拒むに拒めない。
それに昇給に興味はさほどないものの、昇進には大いに関心がある。権力が増えるのはいいことだ。
さて、儀人の少女は、こちらを見ながら小鳥のように小首をかしげ、こちらの指示を待っていた。ちょっとかわいらしいかもと一瞬思ったものの、これもあらかじめ教え込まれた動作だと思うと、腹が立ってきた。
「で、あんたをどうすればいい?」訊ねる。「何ができる?」
「まずは、基本設定を設定してください」
「うん?」
「名前、身分、門地など、ロウランドでの日常生活において原住民を欺き、世界に馴染むための、仮初めのプロフィールのことです」
「名前、名前か・・・」そう言われると、すぐには思い浮かばない。「夜刀浦ではなんて呼ばれていた?」
「yat-an-Sin-0896(まるはちきゅうろく)-Lo 3(さん)です」
「型番か」なんて芸のない。何度も連呼しているとくちびるがくたびれそうだ。
「とりあえず名前をつけるのは後回しでいいか?」
「承知いたしました」機械仕掛けの小鳥のような仕草で言った。「次の決定事項の決定フェイズに進んでよろしいでしょうか?」
「ああ」
「ああ、というのは、了承の意味でよろしいですか?」
「うん」
「それでは、yat-an-Sin-0896(まるはちきゅうろく)-Lo 3(さん)の年齢を設定してください」
「年齢?」見た目は、12~13歳だが。「実際は何歳だ?」
「6ヶ月と6日になります」
「それは・・・ 夜刀浦の製造ラインからロールアウトしてからの日数か?」
「さようでございます」
人間ならつかまり立ちもおぼつかないお年頃だ。
「とりあえず12歳と6カ月でいいだろう」
「12歳と6ヵ月ですね。かしこまりました。次の決定事項の決定フェイズに進んでよろしいでしょうか?」
「ああ」
「ああ、というのは、了承の意味でよろしいですか?」
「うん・・・そうだ」
「それでは、あなたとyat-an-Sin-0896(まるはちきゅうろく)-Lo 3(さん)の関係を設定してください」
「俺とあんたがいっしょにいる理由のことだな」
「さようでございます」
一番無難なのは、兄妹だろう。
しかしこの儀人は、こちらとまったく似ていない。それどころか日本人にも見えない。強いて言うなら白人と黄色人種の混血に見える。なんか、コイツを設計した技術者の少女趣味が透けて見えて嫌である。
少し考え、ひらめく。自分で言うのもなんだが、これはいい案だ。
「戦災孤児でどうだ?」
「戦災孤児。戦争で親兄弟親戚をなくし、社会の下層へと転落を運命付けられた、児童のことですね?」
「まあ、そうだ」ハイマートと比較して平和な世界とはいえ、ロウランドでも戦争や紛争はある。
戦災孤児という選択は、自分とこの儀人の自然な関係を装い、日常生活に溶け込むための、完璧な方言に思えた。
「戦災孤児。今日からyat-an-Sin-0896(まるはちきゅうろく)-Lo 3(さん)は、戦災孤児と言うことでよろしいですね」
「ああ」
「ああ、というのは、了承の意味で――」
「ちょっと待て」そろそろ指摘するべきだろう。「俺は数十秒前に、ああ、が了承の意味だと伝えたよな?」
「正確には、128秒前です」
「どうして同じ確認をする?」
「そのようにコンピュータ学習されていますので」まるで人間みたいな笑顔をして言った。「『はい』もしくは『いいえ』での返答なら、確認フェイズを飛ばすことができます」
「わかった。次はなにを決めればいい?」
「では、yat-an-Sin-0896(まるはちきゅうろく)-Lo 3(さん)の――」
「ストップ」この儀人は流暢にしゃべるが、会話に煩わしさが発生している。「その名前をとりあえず略そう。ヤットアンシン・・・3・・・ ヤットサンでどうだ?」
「yat-an-Sin-0896(まるはちきゅうろく)-Lo 3(さん)の名前は、ヤットサン。これでよろしいですか?」
「ひとまず、仮の名前だ。あとで変更は可能だよな?」
「あなたが望むいついかなるタイミングでも、変更が可能です」
「もう一つ。その、しゃちこばったようなしゃべり方、なんとかならんか?」
これからいっしょに暮らそうという相手が、銀行のATMで金を借りるときのようなしゃべりかたでは、たまったものではない。
「具体的な発声法をご教示いただけるなら、漸次改善していきます」
「それが、しゃちこばったしゃべり方と言うんだ」それに発声うんぬんの話だけではない。「おまえは、姿は少女に見える。少女らしいしゃべりかたをしてくれ」
「それはご命令ととらえてよろしいですか?」
「ああ」
「ああ、というのは――」
「ああもう!」クッソ、腹立つ。
はやくコイツの設定を終わらせよう「次は?」
「次はヤットサンの一人称をお決めください」
「は? そんなの自分で決めろよ」
「そうゆうわけにはまいりません。ヤットサンの一人称をお決めください」
無難に「わたし」と呼ばせようと思ったが、ここでふと思い立つ。
おそらくまもなく、近隣の原住民に私が子どもと同居していることがばれるだろう。それが年端もいかない女の子だと知れたら、口さがない彼らは自身のゆがんだ性欲を発散させるべく、私にロリコンの気があるとうわさをばらまくに違いない。
「一人称は『ボク』にしてくれ」
こうすれば、彼女が男の子だと勘違いしてくれるかもしれない。少し胸が出ているのが難点だが、まあ、さらしでも巻いてもらえればいいだろう。
「次はボクがあなたを呼ぶときの呼び名をお決めください」儀人は続ける。
「お兄ちゃん♪ と呼ばせてもかまいませんし、『偉大なる指導者様』というのももちろん可能です」
「俺は仕事でこの世界に来ている」自分のポリシーを説明してやる。「そしてあんたと組むのは、もちろん仕事のためだ。だから、階級で呼んでくれ」
「わかりました。じゃあ、伍長って呼びますね、上田伍長♪」
なぜか妙なふしをつけて言ったので、不愉快さが倍増した。
「俺は軍人として赴任したんじゃない。だから、一般相術士の、一般と呼んでくれ。それにこの前の反乱の鎮圧で、上級伍長に昇進している」
「わかりました。上田一般」彼女はマジメに言った。「なお、ボクに正式にあなたの昇進が知らされているわけではないので、必要なら伍長って呼びますね、上田伍長♪」
この儀人をすまきにして目の前の川に放り込みたくなったが、残念ながら儀人の製造には日本製対艦ミサイル6発分の値段がかかると聞く。弁償を求められた場合、払える額ではない。
その他にもいろいろ決めた。
ヤツの好きな食べ物に、好きな色。大切にしている言葉。それにまったく理解に苦しむのだが、必殺技とやらの名前も決めさせられた。
「はい。確認いたします」儀人が言った。
「ボクの名前はヤットサンでよろしいですか?」
「はい」
「ボクの一人称はボクでよろしいですか?」
「はい」
「ボクの好きな食べ物はコンビニ弁当でよろしいですか?」
「はい」
「ボクの大切にしている言葉は臥薪嘗胆でよろしいですか?」
「はい、いややっぱり、いいえ」冷静に考えてみると、この年頃の娘がチョイスする言葉ではない。
「では、好きな言葉を決めてください」
「おまえはRPGのキャラメイキングか!?」思わず思いついて、漫才みたいにつっこんでしまった。
「ここで言うRPGの意味を、お教えください。選択肢1、企業、団体などが起きるだろう出来事に対して行なう机上演習のこと。2、ソ連製の肩持ち式対戦車――」
「RPGとはゲームのことで、おまえみたいな頭のやつのことをゲーム脳というのだ」勢いに任せてつい適当なことを言ってしまった。術士らしく、考えてから物を言うようにと、常日頃から気をつけているのに!
儀人はしばらく首をまげてこちらの言葉を熟考していたが、「この人の言葉はとりあえず無視でいいな」と読み取れる笑顔をし、「ボクの確認に戻っていいですか?」と言った。
「ボクの必殺技の名前は『クーリング・オフ』でいいですか?」
「はい」
「どうしてこの名称にしたのか、お聞きしてもよろしいですか?」
「どうして聞く?」
「管理者に関心を持つことは、儀人の義務ですから」
「俺のおまえに対する、嘘偽りない気持ちだ」
「かしこまりました」いい笑顔だ。「あなたの気持ちを聞かせてくれて、うれしいです」
くっそ、コイツ、皮肉が通じないぞ。
結局、日が落ちてあたりが暗くなるまで、この儀人の「設定」に付き合わされる羽目になった。
人類の英知の結晶たる儀人の話だったのでそれなりに文章をさいたが、紙の無駄だったような気がしてならない。
「そういえば、あんた、着替えは?」薄暗がりの中、あらためて儀人を見る。見た目は本当に、人間に見える。
「持っていません。持ち物は自分の説明書だけです」
「今日はどこで寝るつもりだ?」
「もちろんこの家の、あなたのおそばで」
「用意する。少し待っているように」
家から一〇〇円+税の店まで、歩いて十分ほどだ。
女物がなかったので男物のトランクス、シャツを手に取る。ハミガキとハブラシ、おつとめ品の惣菜もいっしょに買い求めた。
一〇〇円+税均一には陶器製品も売っていて、そのお客の緩衝材用に切った新聞紙が置いてある。「持っていっていいか?」と聞くと、レジのお姉さんは「いい」と笑顔で答えてくれた。
ありがたく全ての新聞紙を頂戴し、戻る。
玄関を開けると、儀人が家を出るときとそのままの状態で、立っていた。
「電気ぐらいつければいいのに」床に置かれた卓上スタンドをつける。これが今のところ、我が拠点の唯一の家電製品だ。「なんでそのままの姿勢で突っ立ってるんだ?」
「少し待っているように、とのご命令でしたので」
少し考えて、出かける前にそんなことを言ったことを思い出した。
「融通のきかないやつだ。待つというのは、くつろいで待てという意味だ」
「では、そのように命じていただかないと――」
「いちいち言わなきゃダメか? 人間として暮らすのなら、人間のように振舞わなきゃいけない」
買ってきた下着一式をビニール袋から出し、差し出した。「あんたのものだ」
儀人はそれを裏表にして確認した後、あろうことか、うけとったトランクスを躊躇なく、口にはむはむとふくみ始めた。
「お、おい。それは、食べ物じゃないぞ?」
「はい、理解しています」声がくぐもっている。「でも初めて見たものはこうやって口にふくんで、そのものの完全な理解につとめるよう、教育されています」
「教育」というのは、夜刀浦での儀人向け初級適応訓練だろう。日常生活において、人間とまったく変わりない生活を身につけるための訓練のはずだが、残念ながら人として逸脱したことを教えているようだ。
「そういえば、俺の姿も今日初めて見たわけだが」人差し指を少し曲げて、鼻先に突きつけてやる。さて、どうするか。
儀人は少し考え込んでから、なぜかうれしそうに「ぱく」と指をくわえた。ベロの生暖かい感覚を感じたとき、儀人の頭をはたく。「ふぐぅ」と声をあげる。
「ねぶるなバカ」
融通が利かず、皮肉も、冗談も通じない。
ため息ものだ。これから任期満了まで、コイツの面倒を見つつ、職務を全うせねばならない。つくづく気が重い。
とにかく腹ごしらえと、買ってきた惣菜で簡単に食事をとる。
真冬ではないとはいえ、夜はまだ寒い。特に拠点は古い建物なので、いずこからか冷気がくる。
例によって一日の食費は限られているので、質素なものだ。焼き魚に、卵焼きに、ほうれん草のおひたし。全ておつとめ品で値引きされた商品だ。ご飯もあるが、これはパックのライスを店そなえつけの電子レンジで温めたものだ。
儀人の分の食費を出してくれればいいのに、残念ながら今のところ私一人分だ。来月からは食費の支給が打ち切られ、完全に自給自足に移行すべしと通達されているから、頭が痛い。
「そういえば、あんたはどの程度俺のことを知っているんだ?」儀人に訊ねる。「自分が仕える相手について、事前学習的なことを受けていると思うのだが?」
これは一種の「さぐり」だ。俺とてこの儀人が、単に自分の世話役として配備されたとは考えていない。
よくて上司からのお目付け役。もしかしたら、対立派閥のスパイの可能性もある。
「上田一般については、ほとんど何も知らされていません」30円引きの卵焼きを、グーでにぎった箸で刺して口に運ぶ。明日からは箸の使い方も、教えなくてはいけない。
「あなたに自分のことを語らせることによって、自分語りの欲求を満足させつつ、何も知らない儀人の女の子に何か知識を与えるという『ピグマリオンの喜び』を発揮させやすいよう、ボクは何も知らないまま、あなたの元に来ています」
「それ、俺にカミングアウトしたら台無しだよね?」
「台無しかどうかは、ボクじゃなくてあなたが判断することです」恐ろしいことに、本心からこう言っているらしい。表情でわかる。「台無しでしょうか?」
「う~ん」
悩むのは明日からにして、今日はさっさと寝てしまおうと思い、寝床の寝袋を用意する。自分の分はこれでいい。
そして、元々はその寝袋が入っていて、今ではパソコン机代わりになっているダンボールを取り出した。
ふたを開け、先ほどもらってきた新聞紙をつめる。ちゃんとくしゃくしゃに丸めて、ふかふかするようにした。
「ここが今日からおまえの寝る場所」完成すると、儀人に指差した。
昔ハムスターを飼っていたときの技術を、応用したものだ。我ながら機転を利かせたと思う。河井出くんよ、ペットを飼っておく経験は悪くないぞ。
儀人は足を入れて、ダンボールの中に入り込む。大きな箱のため、体育座りすれば充分、彼女の体が収まった。
仕上げに掛け布団代わりの、広げた新聞紙をかぶせる。自分で言うのもなんだが、即席にしてはなかなかの出来だ。
「あの、寒いのですけど」儀人がわがままを言った。
「この時期は俺も寒い。我慢しろ」
「あなたは、寝袋を使いますね。ボクには――」
「ない」支給された寝袋は、これ一つだ。
「ボクの体は小さいから、二人入っても大丈夫かも――」
「は?」きっぱりと言い放つ。「これは俺の寝袋」
あと一ヶ月もすれば夜でも暖かくなるからそれまで我慢しろと説き伏せ、儀人を寝かしつける。
これが自分の、儀人とのファーストコンタクトのあらましだ。将来、河井出くんに儀人が配備されたときのため、参考にしてくれれば幸いだ。
この世界の通信技術について触れておく。携帯電話を持って一週間の間に、現地人を観察するなどしていろいろ調べた。
ロウランドでは携帯電話が大変普及している。学童が持っているほどである。電話機能だけでなく、メールはもちろん、カメラやテレビ、インターネット接続などの電話でない機能までもついている。
いずれの携帯も操作方法が直感的にわかるよう創意工夫が凝らされており、特に「アイホン」や「スマートホン(スマホ)」と呼ばれる機種は小型テレビのような形状で、その画面をタッチパネルとして操作する。もちろんこの画面はテレビやホームページを映し出せる。指でなぞればまるで本か書類を読み進めるように次の画面がめくられて進む、驚異的な技術が採用されている。
パソコンの性能については、戦争で鍛えられた我々が凌駕している。我々が保有する最高のスーパーコンピューターの方が、彼らの最高品より計算速度が速いのだ。
ただし民間への普及度はロウランドが一歩長じている。多くの民間人が欲しくてたまらないウインドゥズXPは、この世界においては数世代型遅れである。私立の大学でもインターネット環境が整えられており、しかも電話回線の利用から脱却している。技術的な問題や敵の妨害、異常気象による通信の不調も少ない。
よって、ロウランドではポケベルと伝書鳩がまったく使用されていない。
そのインターネット上では恐るべき量の情報が錯綜している。例えば「クリスマス」と打って検索してみると約196,000,000件ヒットした。どれから調べたらいいのかわからない。
公共機関はもちろん、私企業、各大学、はてはパソコンの腕に覚えのある個人まで、自分専用のホームページを持っている。携帯電話とパソコンには情報共有の面で多くの兌換性があり、例えば電話のカメラで撮った電子画像をパソコンに映し出すなど容易だ。
長年ロウランドに従事する石綿は「インターネットと各新聞社の年鑑があれば、この世界のことは大抵調べられる」と証言している。
その発達したインターネット上においては、「ミクシィ」や「ツイッター」、「ライン」といったツールを用いた、一種排他的なコミュニティが形成されている。
ミクシィは特定の仲良しグループの中で、ブログと呼ばれる日記を見せ合うことを主な目的としたサイトで、その日記にコメントをすることで互いのコミュニケーションを計りあう。不特定多数と交換日記をしていると言えばわかりやすいか。この世界においてはかつて大流行し、人によっては熱心さが病的である。事実、「ミクシィ疲れ」と呼ばれる、度重なるミクシィでの返事のくり返しに倦怠感を覚え、日常生活にも支障が出ることが社会問題化されていた。
いずれ嫌になるだろうと想像がつかないで人様に日記を公開したとなれば、その人物は哀れである。
ツイッターはアプリと呼ばれる、携帯電話で使えるソフトのようなもので、ネット上からこのアプリのデータを自機に導入(インストールと呼ばれる)することによってサービスが受けられる。
このアプリは、ある人物がネット上に放った日記ですらない言葉の羅列(「つぶやき」と称される)に対して、「フォロワー」と呼ばれる文字通り追従者たちがいちいち反応するシステムである。
例えばある人物が「大阪ナウ」と携帯電話から打ち込んだとする。と、そのサイトを見ていたフォロワーが「大阪ナウwww」と返す(wは笑いを表す記号)。そこにはコミュニケーションと呼べるかどうかも微妙な、断片化された撫であいがあるだけだ。しかも返事の打電は任意であり、せっかく「大阪ナウ」と書いても誰にも反応してもらえない可能性すらある。
この世界では、自己をさらすことで満足を覚える露出狂的な人恋しさが、普遍的になっているのだと分析できる。
ちなみにロウランド人からも「ミクシィやツイッターはヒマ人がやるもの」と非難が出されている。
ラインは「LINE」という文字を書く。登録すれば、無料で通話とメールの送受信が行なえるアプリの一種である。ロウランドにおいて大変普及しており、初めて会った人にラインをやっているか否か問うことがままある。
このツールの強みは「スタンプ」機能だとされている。詳しくは不明だが、どうもメールのかわりに「スタンプ」と呼ばれるイラストを送信できるサービスがあるらしく、このスタンプによって「利便性と表現力がパワーアップした」と、ロウランド人の関係者は喧伝している。
例えば、知人と待ち合わせして遅れそうな時、「かわいいウサギさんが汗かきながら時計を見て走っている」スタンプを送れば、時間に遅れそうなことと鋭意移動中であること、この二点が文字を打つことなく相手に一瞬で伝わるというわけだ。
もし私が待ち合わせで待つ立場になって、先方よりこのスタンプ一つが送られてきたら、怒り2倍とは言わないまでも1.5倍ぐらいにはなるに違いない。
ここでロウランド人に対する我々ハイマート人の一般的なイメージを挿入しておく。派遣される直前の事前講習や調査員同士の会話、実際に行った人の証言をまとめる行為だ。とゆうのも、個人的にはこれら風聞を真に受けているわけではないが、やはり影響はされているので、書いておくのも悪くないと判断するからである。
いわく、彼らロウランド人は野蛮で享楽的である。我々ハイマートと歴史を違えるようになって二十年ほどしか経っていないはずなのに、知識は二十世紀、感性は前近代、倫理観は中世の延長である。
彼らは機会主義者かつ、日和見主義者で、相手から金銭その他を掠め取ることで頭がいっぱいである。たとえばロウランドの若い女が極端に短いスカートを履くのは、自慢の(と信じる)脚線美を見せつけ同姓を威嚇するとともに、下着をのぞかれたと主張して不幸な男性をのぞき魔の立場に追いやり、あわよくば小遣いをせしめるための機会を期待しているためである。
ロウランド人は疑心暗鬼と被害妄想にさいなまれていて、単なる失せ物を盗まれたと考えたり、酷い者になると悪魔や心霊の仕業を断定したりする。超自然的なものを恐れ、迷信深い。人通りの多い駅前を歩いていると、高い確率で宗教やキャッチセールスの勧誘に引っかかるのはそのためである。
信じない、あるいは買わないと不幸になると恫喝し、理性ではなく感情に訴える。そこまでひどくない人間も、科学的に疑わしい健康食品や医薬品に大金をつぎ込み、大して価値のない自分の命をみみっちく永らえさせようとする。
無節操なインターネット上には、彼らの器量では扱いきれない量の情報があふれ、その情報のほとんどが嘘、誇張、曲解で彩られている。無数に存在するコミュニティサイトを調査しているある派遣隊員は、はっきりと彼らを「サル」と呼んでいる。民度が低すぎるのだそうだ。
彼らロウランド人を分析する場合、人間を分析すると考えるより動物を観察すると思った方が正確である――
では、実際のロウランド人の描写に移ろう。
ロウランドで暮らし始めて一ヶ月もすれば、友人とは言わないまでも知り合いの二人や三人はできる。現地人の性質の報告も兼ねて、紹介したい。
・ふらぐ
知り合って短いが、この人物に対する不愉快なエピソードは無数にある。精神的に劣ったロウランド人で典型的であると思われるので、真っ先に紹介する。
肥大した自己に、その自己に見合わない貧弱な心身。これが、彼の性格を規定していた。肥満気味の体型に細い手足がくっついており、口は常に半開きである。この同級生は大変感化されやすい性質で、血液型占いを信じており、またお化けという存在を常人より怖がる。それにも関わらず、根拠希薄に他人を軽蔑した。「オレは歴史の成績だけなら、早稲田大学にいけたんだぜ」が口癖である。
彼を知ったのは文化財の講義を受けていたとき、席がすいていたにもかかわらず隣に座って話しかけてきたのがきっかけであった。しゃべった事柄はよく覚えていないが、とにかくうっとうしいと感じて適当に相槌を打ち、そのままお引き取り願った。せっかくの平和な世界で大学の講義を拝聴するのを、邪魔されるわけにはいかなかった。その後の昼休みの食堂にまで付いてきたので、こちらも現地人の話が聞ける良い機会だと思い直した。彼は自分の話を聞いてくれる人物が現れたのに気をよくして図に乗った。
この男は自分の知っている事柄と他人の知っている事柄を区別する知能が存在しなかった。常に会話は一歩通行で、一人飲み込みであり、汚物をなすりつけられている感覚が拭いきれなかった。他人の悪口をねちねちと繰り返し、しかもその他人について説明する語彙を持っていない。下劣な単語に愛着を感じており、それを二度繰り返して不快さを数倍にする。
こちらに話しかけた理由にしても「授業をマジメに受けている『イタイ子』(どうゆう意味かは不明)を狙って話しかけたんだよ。オレがマトモな人に話しかけると思っているのかい?」と言う始末である。
愚痴で報告書を汚したくないので、一つだけエピソードを紹介して打ち止めとする。
例の文化財の講義の関係で、地元の民俗資料館の取材に彼と行くことになった。
集合場所に一時間ほど遅れてやってきた彼の理由は「バイト先のコンビニの店長とケンカして精神的に気分がすぐれなかった」という、同情も沸き起こらない理由であった。
その後も待ち合わせのたびに、何度も遅刻をくり返し、「この人は時間にルーズな人間なんだな」と理解する。
次に行く場所は大阪の国立民族学博物館だった。これまでの経験を生かし、こちらも遅れて向かうことにする。
忘れもしない、集合時間の十時ちょうどのことである。導入してまもない携帯電話が鳴り、開いたときに見えた時計の表示が目に焼きついたのだ。
ふらぐが非難がましく『今どこ?』と聞いてきた。
「あ、俺こいつ嫌いだ」と思った。
・ヨウム
彼は無気力に見える男である。怠惰からくる性質ではなく、小さいころから何度もささやかにがんばっては、がんばりにそぐわないほど激しく裏切られて、それが反復強化された結果無気力になったと思われた。そのある種の鈍感さは、ふらぐの友人が務まるほどである。
彼は年中紺色の長袖を着用しており、歩き方は少しぎこちない。意味もなく笑っていることが非常に多い。男にあるまじき色白い肌をしており、長袖はそれを隠すためだろうと思われる。
抑圧的な母親に害された息子とわかる人物で、常に自分に自信がなく、二歩も三歩も引いて身構えている。しかもそれを物事に必要以上に熱中しない美徳であると思い込んでいる。いや、思い込んでいるとわかっているのにやめられないでいる。自己韜晦はするが、常に不徹底に終わる。無気力という牙城で自我を守っている感じである。
彼の唯一の趣味はテレビゲームで、自分の好きなゲームについては詳しい。
・隣人の中年
我が拠点たる部屋の、隣の隣に住む中年である。
もうすぐ40歳になり、元々は部屋の壁紙などを張る労働者だったようだが、現在は無職だ。
彼は大変愚痴っぽく、趣味で通うパチンコ屋に勤める女の子を「時給1000円の働きぶりではない」とずっと言っている。自分のことを「職人」だと言い張っている。私は彼の仕事ぶりを見たわけではないが、職人としての腕があるのなら、まずまちがいなく別に仕事が見つかるはずだ。ようはその程度の「職人」なのだ。
この人物が部屋に訊ねてきたのは引っ越して三日後のことだ。ロウランド人は人間関係が希薄で近所づきあいをする習慣がないと事前講習で聞いていたので、私はとくに引っ越しのあいさつ回りをしなかったのだが、この人物はわざわざやってきて「引っ越したんなら一言くれないと」と苦情を言いにきた。こちらがわびると、「暇で仕方がないから、マンガでも週刊誌でも、読むものを貸してくれ」ときた。まだここに来たばかりだったので、何も本がないと言うと「近頃の学生は本を読まない」と言いやがる。それから職業安定所に行っても仕事がなく、貯金を切り崩して生活をしていると境遇を語り、自分に職がないのは政治家が悪いからだという主張を繰り返す。
この男の気に入らないところは、タバコをベランダで吸うらしいのだが、そのとき毎回大きな咳をして、盛大な「えづき声」を立ててタンをベランダの排水溝に吐くことである。朝寝ているときなんかに聞こえてくると、とても不快な気分になる。
批判をちょっと書きすぎた感じがするので、日常生活で気づいた良い点もあげたい。
まずトイレットペーパーの質がむちゃくちゃよい。使用後速やかに廃棄するにはもったいない好感触である。特に新品のロール状態での弾力はたまらない。ちゃんとミシン目もある。我々の世界のティッシュより高品質で、「ああ、小さいころはこんなペーパーを使ってたよな」と不覚にもしみじみするほどである。
お尻のお供だけでなく、この世界では紙の品質が全体的に良い。読み捨てられる週刊誌でさえ、役所の書類クラスである。
衣類の種類が豊富で安い。特に婦人服は明らかに供給過剰で、ファッション業界はこの世の春を謳歌している。とにかく今回の新生活にあたって、下着一式が予想より安い値段で揃えられたのは僥倖だった。
衣服の多くは吸湿、速乾、そして消臭を追及している。冬になれば体温と呼応して発熱する布で作られた下着類も販売されるらしい。毎年新素材が市場に投入されており、また麻などの伝統素材も、資材不足からやむなくではなく、汗を吸い取る効能などが再評価されて用いられている。
販売されてはいるが、スーパーでは一般的に扱われていない被服としては、防刃・防弾チョッキと防空頭巾がある。が、これらはないことが社会の美徳の部類に入るだろう。
また、コンビニエンスストアの弁当や惣菜は手放しで賞賛できる。この世界はコンビニの数がやたら多いのだが、人気商品のおにぎり、サンドイッチ、パスタなどは各コンビニの熾烈な競争によって研ぎ澄まされ、専門店が不要だと思われるほどの味になっている。
概して即席の食糧は豊富である。インスタントメン、レトルトカレー、缶コーヒーは毎年たくさんの新商品が開発され、淘汰されている。いわゆる定番商品の改良も熱心で、見たことない味のカップヌードルやチキンラーメンが市販されている。お菓子の種類がやたら多く、主な購買層の若い女性が理解できないであろうしゃれた外国語のネーミングが、しかも筆記体でつけられていて私にも読めない。すでに多くの相士や調査員が報告しているように、菓子類は、全体的に我々のより甘さを控えた味付けだ。
冷凍食品も同様に優れている。飽食ゆえだろうが、フォウ、ビビンバ、トムヤンクン、タコスなど、国外の民族料理までもが冷凍化されている。
ただ、非常食のラインナップは不足気味である。十年ほど前に起きた大地震の後、ようやく各社が長期保存可能な商品を提供し始めたが、その前は乾パンしか見かけなかったそうだ。賞味期限が五年以上あるカップ麺は聞く限りにおいては開発されておらず、国軍の缶メシは一般販売されていない。食品ではないが医療用の精製水も、一部の薬局でしか買えない。
また、炊かれてから一日以上たった米を有効に調理する「いためごはんのもと」的なインスタント食品も見ない。
食料品や日用雑貨の話が出たついでに、物価について説明しておく。
この世界では戦火による輸送路の不安がないためか、全体的に物価が安い。特に舶来品のワインやウィスキーなどの洋酒、コーヒーなどは、物によっては千円を切っている。参考まで書いておくと、この文章を作成時の為替相場は一ドル八〇円~一二〇円、一ユーロは一〇〇円前後となる。食塩、コショウ、サラダ油、味噌、醤油などの重要な調味料は、我々の半値以下での売買だ。
生鮮食品も安くて質が良い。またおかずにならない趣味的な食材も普通のスーパーで売られている。アボガドやマンゴーの実物を、この世界で始めて見た。
ただし遺伝科学技術が進んでいない。「メロブ」は商品化されておらず、「オレタチ」も見たことがない。しかしその欠如は、豊富な外国産の果物が補っているように見える。もちろん値段も安い。
前述のように化繊、プラスチックなどの石油製品も控えめな値段をしている。石綿の話によれば、コンビニで普通に売られている雑誌なども一、二割安いという。
安いものを列挙する:
食料品全般、医薬品、石鹸や洗剤、散髪・銭湯代、電車の運賃。
値段のそれほど変わらないもの:米。
なお値段の割高なものとしてはタバコがある。国家が高い税金を設定しているからである。その意味では、喫煙者にはロウランドは居心地悪いだろう。
吸わなければやっていられないという事態が、ここでは少ないのかもしれない。
なぜここまで品物を知っているのかと言うと、時間を見つけては家の周りをうろついて店をいちいち覗き込んでいるからだ。自宅のアパートの周りは、古い民家、くたびれたアパート、オートロック付きのマンションなどが点在している、典型的なロウランドの住宅街だと思われるので、ここでついでに紹介しておく。
古い民家は、おそらく古くからそこに土地を持っていた地主か庄屋の家で、ある程度小ぎれいで、庭も手入れされている。
アパートは1980年代から2000年代に建てられたと思われるものが多く、ドア、軒先、駐車場、どれもくたびれている。屋根にはテレビ電波受信用と思われる八木アンテナがアゲハチョウの幼虫のツノのようにはえていて、強い風の日なんかは倒れて曲がっている。
駅近くに多いオートロック付きマンションは、正面だけは監視カメラもついて立派な防犯設備を誇っているが、植え込みの切れ目、一階の無人のベランダ、低い柵の駐輪場など、ザル同然である。おそらく住人の保護より、見せかけの防衛で不動産価値を上げ新規入居者を誘い込むのが目的なのだろう。
その駅前には商店が集中していて、スーパーの入った3階建てのテナントビルの他、いくつかの飲食店、カラオケや、電話会社の出店がある。夕方になると近隣の学生が、たむろしている。
いくつかある学校はハイマートと同じく、駐屯地の兵舎のようなおよそ面白みのない建物なので、ここで紹介する価値はない。
道路は全てアスファルトでできている。主要道でさえコンクリートで作られておらず、戦車が通ったら踏みしだかれることまちがいなしだ。おそらく有事を想定していないのだろう。
自動車だが、やけに小ぶりで可愛らしいものが多い。ヘタクソなドライバーが狭い駐車場に止めるには便利だろうが、いざとなったときの軍用自動車としては役立ちそうにない。
住民は戦争と医薬品の不足による淘汰が働いていないらしく、年寄りが多めの印象を受ける。実際ロウランドの先進国においては、高齢化(民意にへつらう議会制民主主義者どもは、「老害」という言葉をよう使えない)が叫ばれている。ただお年寄りはジョギング、庭弄り、イヌの散歩などにいそしみ、元気そうだ。
ペットの数がやたら多い。犬猫だけで何種類もいて、でかいのから小さいのまで、外国産の長ったらしいカタカナ語の品種があふれている。小さい犬猫が特に人気だが、これはロウランド人が小心者で、ペットでさえ大きな個体を飼う器量に欠いているからだろう。
あと、しばしば散歩中のイヌの「落し物」を飼い主がスコップで拾っている光景を見かけるが、たぶん、畑にまくのだと思う。
前にも書いたと思うが、この世界は食糧不足ではないため、あまり田んぼや畑を見かけない。公園は公園のままだし、里山を焼き払って農地にしたりもしていない。我がアパートの近くには田んぼがあるが、これはむしろ趣味で営んでいるらしい。
地勢は、北に六甲山系が広がり、南に瀬戸内海がある、典型的な兵庫県南部で、人々は海と山に挟まれた平地で暮らしている。
その狭い平地には、私鉄の線路が2本通っており、その線路の間に大学がある。
ロウランドに来て5回目の近所の探索を終えて家に帰ると、異変が起こっていた。
儀人が私の寝袋にくるまっていたのだ。
この儀人は人に尽くすよう教育されているだけあって、言動は変だが奥ゆかしい性格で、何か物を使う時は必ず私に断わってから使っていたのだが、これは初めての事例だ。
家のものは自由に使ってよいと常々言っていたので、少し進歩したと内心喜んだ。
「その寝袋が気に入ったのか? 自由に使っていいけど、夜になったら返してくれよ」
「あの・・・」彼女は小声だ。「とても寒いです」
「今日は四月のわりには冷えるな」着ていたウインドブレーカーをハンガーにかける。本当はもっと厚い生地の上着が欲しかったのだが、あてがわれた予算ではそれが叶わなかった。
「とても寒いのです」
「ロウランド人の天気予報を信じるなら、明日からは暖かいそうだ」ロウランド人が発信する情報というのは、その人の立場や主観で歪曲されていることが多いが、天気予報についてはおおむね信用できる。
「あたたかくしているのに、体が震えます」
寝袋を覗き込むと、彼女は私が入学式に着ていったブレザーとカッターシャツを羽織っていた。いや、きっちりボタンを上まで留めて、着込んでいた。
「あの・・・」病気にかかって横たわるハムスターのような息づかいだった。「ボクは死んでしまうかもしれません」
儀人が風邪らしきものをひいた。
症状を聞くと、悪寒、鼻水、頭痛、のどの痛みがあり、特に悪寒が一番ひどいらしい。
実はそもそも、彼女は「悪寒がする」という感覚がよくわからなくて、初めは「寒くて寒い」などと言っていた。
おかげで、初日にパラパラと確認したあとはクローゼットの中につっこんでおいた説明書を取り出すはめになった。病気になったときの対応法が、書かれているはずだ。
やっかいなことに、儀人を医者に見せることができない。一般のロウランド人はともかくとして、医学の知識がある相手に、造られた存在である儀人を調べさせるわけにはいかないのだ。これは、儀人に関する規則である。
説明書は、厚紙のバインダーに100枚ほどの紙が挟んである構造をしていて、極めて致命的な欠陥が無数にあった。
まず目次がないためどこに何が書いてあるのかわからず、しかも体調不良についての見出しを見つけたら、「P78を見よ」と書かれていて、この冊子はページが印字されていない上に、ようやく「体調不良の場合」と大書されているページを見つけたら「まずは落ち着いて行動するように」と、俺(管理者)に対するどうでもいい助言がしてある。
その数ページ先に、管理者は儀人の体調管理に細心の注意を払わなければならないむねの文が長々と書かれているものの、肝心の対処法についてはなかなかたどりつかず、ようやく「診察法」についての項目が出たと思えば、
「触診が大事です。スキンシップを兼ねて脈をはかり、額に手を当て、お腹を見て、積極的に触れ合いましょう」
と書いてある。
なお頭を悩ませることに、「儀人に摂取させてはいけない物質」という項目を発見してしまった。
キニーネ、モルヒネ、ニコチンなどのわけのわかるものから、タクソル、ジオスゲニン、化学合成されたセルロースなどのわけのわからない物質まで、A4サイズの紙にずらりと列記されている。セルロースって、樹の幹に含まれる物質だったと思うのだが?
たちが悪いのがそのすぐ隣のページに書いてあった「食べさせるとショック症状を起こす可能性のあるもの」の一覧だ。
タマゴ、ソバ、ラッカセイ、ダイズ、乳製品、豚肉、牛肉、魚介類、と、まるでアレルギー表を丸写ししたかのような表記が続く。危険性のある食べ物が多すぎる。
オオムギ、コムギコ、コメ・・・ コメ!?
ここ数日、米はほぼ毎日食べさせていた。コメが食えないとは、日本での食生活においては致命的だし、それに小麦粉もダメだということは、パン食も不可なわけだ。
儀人は進化した人類のはずだが、これでは生きるのに不便だろう。
すぐに石綿に救援の連絡をするも、「ロウランドに、儀人専門の医者が常駐しているとでも?」とそっけなく言われた。
「基本的に治療法は、普通の人間と変わりません。免疫機能は多少強化されているそうですから、自然回復を待つのが最善だと思いますよ」
とにかく、横に寝かしつけ、経過を見守ることにする。風邪か、ショック症状か、それとも別の要因か、見定めようと考える。
儀人が非常に不愉快な不安にさいなまれているのが、またいたたまれなかった。自分の身を案じるのは大いに結構なのだが、彼女がやたら心配しているのは、管理者(私)に迷惑をかけているということと、そのため「病気になった自分が『不用品』のレッテルを貼られハイマートに強制送還され、薬物実験の実験台になる」ということだった。
「儀人に人権がないことは、生後半年のボクでも知っていますから」
私は、あんたは強化人間で自然治癒力が優れていることを説明し、たかだか風邪をひいたぐらいでは見限らないこと、治るよう最善を尽くすことを約束した。念書まで押した。
ちょうど指があかぎれを起こしていたのだが、その傷を開いて血を出し、血判をする。
「自分は軍国主義に仕える身だ。軍国主義とは武人による政治であり、この血判は特別な意味を持つ」
先日までは儀人に対して、「運悪く階段で足を踏み外して捻挫して、本国に送還されないかなぁ」などと考えていたが、こんなに弱っているのを見ると、少し後ろめたさを覚える。
とにかく体を温めることが大事だと考え、とにかく家じゅうの布製品を集めて毛布の代わりとする。ぱっと見はでっかいミノムシのようになった。葛根湯をこの世界に来た初日に買ってあるので、これを与えていいかどうかしばし思案する。
「上田一般は風邪をひいたことがありますか?」
私の不慣れな対応を見抜いたようで、儀人が聞いてくる。
「小さいころに二、三回。兵士になって体を鍛えてからは、ひいたことがない」
同じ小隊の人間もことごとく体が丈夫だったので、風邪の対応方法がわからない。ちゃんとした布団を用意するべきだ、くらいは思いついたものの、私はロウランドのどこで布団を買えるのか知らない。
もう一度石綿に連絡をとりたいところだが、残念ながら本部より、隊員同士の一日のあたりの電話回数に制限がかかっている。盗聴や逆探知のリスクを抑えるためだ。
説明書を改めて見て、ようやく決定的な項目を発見する。それはほぼ全ての問題を解決する、短くて簡潔な文章だった。
「儀人が体調不良の際は、(ロウランドで)市販されている医学書、育児書を参照すること」
説明書を速やかにクローゼットに叩きいれる。儀人に、用があったら夜中でも遠慮なく起こすこと、明日もやむなく大学へ行くが昼過ぎには戻ることを伝え、ウインドブレーカーを羽織って横になる。
明日は大学図書館で、情報収集をするのだ。
驚くなかれ。ロウランドでは携帯電話で買い物ができる。
どうゆうことかというと、携帯電話にてインターネットがつなげるのだが、そこには通信販売のホームページがあり、住所、連絡先、商品の支払い方法を登録すれば、自分の好きな商品を届けてくれるのだ。
扱っている商品の数は膨大で、本やCD、ゲームソフトなどの娯楽用品から、家具、調理器具、衣服などの日用品まで、幅広くある。当然布団もいくつもの種類が売っていた。
朝の九時ちょうどに石綿に連絡を入れたのだが、彼のアドバイスによれば、ホームページが極めて有益で、風邪をひいたときの対処法から布団の購入まで、一通りのことができるとのことであった。
とりあえず思いつくまま、厚生労働省のホームページを見たが、風邪の流行に対する注意喚起はあったものの欲しい情報はなかった。次に東京大学、京都大学、千葉大学の各医学部のページを確認するも、ここにも目ぼしい記述はない。なまじ病気に関して権威があると、風邪ごとき歯牙にもかけないのだろう。
だが通販に関しては、逆に情報がありすぎて困ったほどだった。
ひとまず「布団 買い方」で検索したところ(事前講習にてホームページの検索の仕方は習っていた)、膨大な数が「ヒット」する。
その中で、「アマゾン」と「楽天」が、コカコーラとペプシコーラのように、インターネット通販の二大巨塔のようだった。
アマゾンは米国系の企業で、今では世界中の国にサービスを展開している。「世界最大の品揃え」を目指すと豪語しており、その言葉にたがわぬ、膨大な商品を取り揃えている。
楽天は企業複合体といえるもので、投資信託や保険業、結婚支援サイト運営の他、あまり強くない野球チームも抱えている。ネット通販事業では後発なものの、それゆえの営業努力で追い上げを見せている。
この二つの企業のラインナップをいちいち見比べるのは、大変な労力であった。基本的に似た商品や同じ商品を扱っているのだが、一概にそうとも言えず、また購入金額に応じた「専用ポイント」の付与にも差が出ていた。
二社のサービスは甲乙つけがたかったものの、結局のところ、アマゾンを選択する。調べたところ、この企業の配送センターが家の近くにあるため、事故、強盗、従業員のサボタージュなどのリスクが低いだろうと考えたからだ。
「お急ぎ便」を選択した次の日の午後、指定した時間通りに、ドアがノックされる(アパートはチャイムが壊れている)。実はこの日は土曜日で、ロウランドにおいては休日であり、配送員がちゃんと職務を果たすか不安だったのだが、真面目な人が来てくれたようだ。
私は礼をいい、儀人用に買った栄養ドリンクを分け与え、名札にかかれた名を記憶した。将来ロウランドでの我々の活動が拡大し、物資輸送の必要が増えたら、彼をヘッドハンティングしようと考えたからだ。
それはともかく、私が入れそうなほどのでっかいダンボールは、非常に軽かった。
違う商品が届いたのかと疑ったものの、あけてみると確かに布団一式が入っている。材質はポリエステルで、縫い目はしっかりしており、肌触りもよい。
「布団が来た」と知らせてやる。
病気特有の、半覚醒状態にあった儀人は、寝袋ごともぞもぞと動いて壁に寄りかかる。枕もとのミネラルウォーター、栄養ドリンクが倒れる。
説明書の「ショック症状」とやらが怖くて、せっかく買った栄養ドリンクも、解熱剤も、鎮静剤も使えていない。予断は許さない状況だ。
「布団で寝れば、症状は良くなるのですか?」彼女は問う。
「良くなる」励ましをこめて、言い切った。
「布団に何か薬品が練りこまれていて、それを吸うことになるからですか?」
ここ数日の会話で、儀人が一般の認識とはかけ離れたものの考え方をするのはよくわかっていたので、怪訝には思わない。
「温かい布団で寝ると汗をかく。汗とともに体の中の悪い物質が流れて、結果的に体は良くなる」
この程度の答えで納得してくれるのも、すでに理解している。儀人にとって、管理者の言葉は絶対なのだ。
仮に私が死ねと言ったら、たぶん死ぬだろう。もちろんそんなことは言わないが。
布団を敷き、布団カバーを買っていないことに気づいたが、気にせず押し込める。
「また睡眠状態になったほうがいいですか?」
「目が冴えているなら、ムリして眠る必要はない。ただし横にはなっておいたほうがいい」
「眠らないのに横になるのは、初めての経験です」
寝かしつけると、儀人のすぐ横で、公的な報告書の作成を始める。
寝返りの音が何度も聞こえる。
「眠れないの?」
「ヒトは初めての経験をすると、目が冴えるものです」
こいつ、ちょっと知的だな。
「恐れ入ります。なんとか、眠る、という命令を完遂したいのですけれども・・・」
知的だけど、ちょっとめんどうくさいな。わかっていることだが。
「眠るという命令を果たせないとボクは焦燥して、ますます眠れなくなります。動悸、息切れ、が激しくなるような感覚がします」
私はついに考えていた秘策を実施すべきだと判断した。
いま一度、説明書のアレルギー表を確認する。あることを、確かめたかったからだ。
やはりそうだ。「アルコール」の記述がない。
外に出る。20分ほど歩いて、駅前のスーパーへ行く。リカーコーナーで、度数が高く、味が甘めなのを探す。
ウィスキーの山崎12年と赤玉ポートワインとミネラルウォーターを買って、戻る。
コップにウィスキーを半分ほど注ぎ、そこから徐々にミネラルウォーターをついでいく。香りをかぎ、このぐらいかなと思ったとき少し口をつけ、味も確認した。
「ほら、これで寝つきがよくなる」儀人に与えた。
少し咳き込んだものの、一気に飲み干す。別にいっぺんに飲まなくてもよかったのだが。
同様にワインも薄めて与える。また一気にあおった。
「薬は一気に摂取すべしと教えられています」儀人はそう言った。薬。まあ、まちがいではあるまい。
儀人は体長が子どもなので、アルコールの摂取に問題があるかもしれなかったが、大丈夫そうだ。自分の機転は正しかったようだ。
「これがアルコールというものですか。あたたかいものですね。上田一般も病気になれば飲みますか?」
「病気じゃなくても飲むよ」
「そうですか。きっとあなたは、あたたかいものが好きなのですね」
なんでもない会話だったが、私はこの儀人がもしかして「あたり」ではないかと直感した。今のところ儀人が懐いたという記録が極めて少ない、「感性」を感じ取ったからだ。
まもなく彼女は、布団とアルコールのおかげか、ぐっすりと眠りに落ちる。
さらに翌日には体調不良の峠を越す。そしてその次の日には快癒した。もう大丈夫と判断して、午後から大学に行ったほどだ。
石綿によると、儀人が原因不明で熱を出すのはめずらしいことではなく、大方の場合すぐに治るのだそうだ。
ゴールデンウィーク直前になって、組織から「大学生らしくどこかに遊びに行くように」との理不尽な命令が出された。
同志石綿に「向こうになくてこちらにある観光地」について質問する。
彼は「日本橋」を勧めた。
偶然にもそこは、ふらぐに「案内してあげるよ」と誘われていた地域である。
よって明日は大阪にある日本橋に行ってくる。
電気街だと説明を受けている。
五月五日 端午の節句
一般相術士 河井出良太郎 様
偽装大学生 上田祐司より
追伸 この報告書と共に、一〇〇円+税ショップのかごとトイレットペーパーを送る。使い心地を楽しんでくれ。




