報告書9
報告書9
「今回の問題評議会」の筆頭評議員について紹介しておこう。今やこの評議会はストライキの問題を取り扱うにとどまらず、私の「自分殺し」についても、対応策を検討する役目をおっている。
・石綿一般術士
ロウランド派遣隊では古株で、評議会の代表をやっている。以前衣谷とフレッチャーが来た時に、正装している姿を見て、初めて彼が理論指導者称号を持っていることを知った。調査分野は「ロウランド一般」と広く、ほとんど白紙委任状をもらっているに等しい。目についたものは気が向くままに調査している。前に紹介しているのであまり書くことはない。
・平岡一般術士
防疫・防諜・輜重のNO4で、ロウランドに対する調査活動は一切行なっていない。平岡はたぶん偽名。スパイや裏切り者対策が本分なのに防疫の担当をまかされて、最近じゃ組織内向けの「健康だより」の編集までしていて不憫だ。任務のため必死に、部下や同僚の健康管理にうるさく口出しするものの、本人は昨年12月にノロウィルスにかかってえらい目にあっている。
・八十島準相術士
伝単大隊(註1)所属。30歳ぐらいに見える。前職はゴシップ誌のライターというこの人の調査担当は、政治・経済・軍事・教育・農事で、ようは正規の報告書で扱う事柄を一手に引き受けている。有能なため、準相ながら筆頭評議員に抜擢された。
無論現在はまったく行なわれていないが、ひとたび命令が発せられればロウランド人に対する宣伝工作も担うはずだ。
・上田一般術士
俺のこと。大学生として、ロウランドの若年世代の「退廃具合」を計りつつ、ロウランド全般について調査報告する。ついでに、有益そうな植物や鉢植えがあったら本邦に送るのも仕事の一つ。言われればなんでもやる。
この四人とヤットサンが集まり、改めてロウランド版私の情報の洗い直しが行なわれることになった。場所は近くの公民館である。一時間300円で、公共の場所が自由に使えるのだ。
「ふむ、上田さんの儀人が言うように、写真に撮影場所のデータは記録されていませんね」
石綿が手際よく私のパソコンを操作して精査する。横で見ていた八十島が、マウスを借り、今度はわけのわからんアルファベットが羅列されたページを表示させた。
「ホームページの構造をあらわしたものです。HTMLですね」
そのHTMLとやらにも、ヒントとなるものはなかった。
「写真の写る日光の角度から、なんとかならないかな」私が言う。
「そんな、北半球と南半球の違いを探すんじゃないんですから」石綿だ。
「大阪近辺に住んでいるのは確実なんでしょう?」八十島。
その日はすでに2月27日だった。明後日には3月になってしまう。いよいよ時間が減ってきた。
「皆さん、ボクから提案があるのですけど」ヤットサンが言った。八十島がぎょっとした。
「儀人が人間に提案? そんなこと、聞いたことがないぞ」
「彼女、ちょっと変わってますからね」しばしば我が拠点を訪れる石綿がうなずく。「彼女のご主人様と似て」
「俺は変人じゃない」私が言い返す。
「真の変人はだいたいそう言うのですよ」
「しかし、提案とは腑に落ちないなー」八十島は、儀人が欲しくて正規術士を目指しているとうわさされる人物である。「ご主人様の言うことに唯々諾々と従うのが、儀人だろう」
ただ言っておくと、ヤットサンは八十島の言葉に言い返さず、我々の会話の脱線をさえぎらず丁寧に聞き、話が収まってから、改めて提案の続きを切り出した。このあたりはやっぱり儀人である。
提案というのは、ネットに「上田祐司という人物は知りませんか?」と質問することだった。
「ボクはすでに、そのためのサイトを見つけてあります」
それは「ヤフー知恵袋」というサイトだった。大手企業ヤフーが運営するサイトの一つで、このページを利用したいと欲する質問者が質問を書き込み、このページを閲覧している解答者に答えてもらうといった体裁を取っている。報酬はネット上で使える電子マネーだ。
ここには日常生活の素朴な疑問から深刻な人生相談まで、たくさんの質問とその回答が蓄積されている。
例えば、夫の母親と折り合いが悪くどうすればいいのかという生活の相談や、パソコンの表示画面をそのまま模写して別ファイルに保存する「プリントスクリーン」という機能の実行の仕方とかだ。軍事上の問題も扱っていて、AK47とAKB48(文面から察するに銃ではなく、どこかの小隊か何か)が交戦したらどちらが勝利するかなどの知的な話題もある。
本名と顔写真を掲載して人探しをしている質問も数は少ないがあるので、もしかしたら有益な情報が得られるかもしれない。
「でも、ロウランド人の、それもネット民(インターネット利用者のこと)の情報だ。価値は低いと思いますよ」八十島がもっともな心配をした。
「それに現地の人の手を借りたとなると、たとえ自分殺しを達成したとしても、上の心証によくない影響を与えるかもしれませんよ」石綿も別の心配を提示する。聞くところによると石綿は、自分が友人と認めた人物に助力して自分の影響力を増すのにせっせと励んでいるそうなので、私はいちおう友人とは認められているようだ。
「ロウランド人に頼るんじゃない、ロウランド人を使うんだ」私は儀人に向き直る。「『大阪近郊在住の上田祐司探しています』と、質問してくれ。ヤツのブログの画像もいっしょに掲載してな。報酬は、払える限りの電子マネーを設定してくれ」
「かしこまりました」
ちなみにだが、ヤットサンはキーボードを指一本で打つ。私の付け焼刃のブラインドタッチより、よっぽど早い。
それにしても、この儀人もたまにはいいことを言う。そういえば、儀人に褒美を与えるなんて発想これまでしてこなかったが、検討してもいいだろう。
ここで、気管支炎の治療で遅れていた平岡が到着した。年末にノロにかかり、年始にインフルエンザを罹患した。そして今回は気管支炎。病弱な男ではないはずなのだが、どうもここ最近不調だ。
防諜部隊所属の彼は、我々がパソコンで堂々と質問しているのを見て激怒した。「なんて軽率な!」とガラガラ声で叫び、質問を消させ、その消したという電子上の履歴も消去するよう、専門の部隊に連絡した。
「石綿さん、あんたという人がいながら!」
「いえ、まあ、大丈夫かなと」
「偽名で質問しても、このようなサイトはオープン情報だ! 誰が、どういう端末で質問したか、調べられる人間が調べたらあっという間に判明する!」
「これ以外手が思いつかなかったんですよ」八十島だ。
「我々は究極的には、ハイマートという存在をロウランドに気取られなければいいんだ」私も言う。「ネットの書き込みから異世界を想像できる人間がいるだろうか」
彼は、「そういうほころびが、情報流出の原因なんだ」とかなんとか言った後、パソコンをふんだくる。
「貸してみろ」うちの儀人を押しのけてからそう言った。「ブログのアドレスは『割ってる』のだろう? 俺が調べてやる」
これまで政治犯を何人も収容所送りにした彼が、熱心にマウスを動かす。やがて三つの、日記風の記事を表示した。言い忘れていたが、ブログには書かれた日の日付が自動で記入される。
「見ろ! この日と、そのちょうど一週間後のこの日、そして更に一週間後の同じ曜日の日に、みんな大阪梅田の同じ地下商店街に行ったと記述している。ロウランドのあんたは、この曜日のこの時間帯に梅田に行く習慣があるんだ。たぶん学校の授業か、バイトのシフトの関係だろう。どうしてこうゆう共通点を見つけて、待ち伏せとかしないんだ?」
「それは、写真に載ってるはずの住所ばかり気にしていたから」
「住所の点なら、俺はもうとっくに大ヒントを発見したぞ」
彼は、一つの写真を表示した。それはもう一人の私が「自宅近くで撮影」と公言しているいくつかある写真のひとつで、私はすでに調べている。
「その写真に、座標のデータは記録されていない」
「いや、あるんだよ、これをダウンロードするぞ」
写真のみをダウンロードして、わがパソコンにデータとして取り込む。その写真を「ペイント」というパソコンにそなえつけの画像編集ソフトに表示させた。
マウスを操作して、写真の一部を拡大した。
「住所の標識だ。電柱とかに貼ってある軽金属製のな。ちゃんと写ってる」
そこには、「吹田市」という文字が読み取れた。
八十島が腕を組む。「大阪府吹田市。梅田から、電車一本でいける」
「だが、吹田だけでは、まだ捜索範囲が・・・」私がうめく。本来なら「市」の下に町名がつくはずだが、ちぎれてしまっている。
ぶるぶるという音が、辺りに響いた。
赴任まもなくの頃に聞いた時は、なんの音だといちいち身構えたものだが、すでに正体は知っている。携帯電話が無音で震えるときの音だ。
ロウランドの携帯には、マナーモードという機能が付いていて、これは着信音が鳴る代わりに電マのようにぶるぶる震えて着信をお知らせするのだ。なんでもうるさくないから迷惑をかけないという配慮のためだそうだ。ロウランド人は、他人の出す音に不寛容だ。
「はいはい」石綿が携帯を取り出した。彼は会うたびに、違う形の携帯を持っている。「おや、S-uedaさんがつぶやきましたよ」
「つぶやくって、ツイッターか? どうしてすぐにわかるんだ?」
「彼のこと、この携帯でフォローしてますから」
私は唖然となった。「フォロー?」
「はい、それでですね、すぐに見てください」彼は画面を見せる。
『大阪now』と、書かれていた。
「どうしますか? そういえば今日は、彼が大阪梅田に行く曜日でしたね」
そのことは、もちろん私も気がついている。
大阪梅田の地下街は大変入り組んでおり、地元民でも迷うことで全国にその名がとどろいている。
ツイッターには、イカす一コマ漫画が流布している。衰弱して、ミイラになりかけた男が息も絶え絶えに聞く。「梅田駅の改札で集合なんですけど、どこにあるんですか?」。
梅田と名のつく駅は、阪急電車、阪神電車、三つの地下鉄、計五つあり、ほとんどが二つ以上の改札を持っている。特に阪急梅田駅は凶悪で、私が知る限り四つの改札口を誇る。もっとあるかもしれない。
そしてこれらの改札は全て、アリの巣のような地下通路でつながっている。
このような地下街だから、当然、もう一人の私と遭遇する可能性は低い。やみくもに電車に乗って来てしまったが、それこそ、アルミ缶のゴミ山からたった一つのスチール缶を探すような仕事だ。
いちおう、平岡が応援としてついてきてくれていた。東郷もこちらに向かっているという。だが三人では・・・
頼りは、JR大阪駅の監視カメラをハッキングしている人相識別コンピュータだが、石綿の推測によれば、彼が大阪駅を利用する可能性は微妙だという。
『梅田から吹田に、電車で向かうルートは三つあります。JRと阪急と、大阪市営地下鉄を使う場合です。確立は三分の一』
「俺は一応、阪急のメイン改札口を見張る」平岡が言った。「あの画像じゃ、吹田市のなに町かまでは読み取れないからな。網を広く張らざるを得ない」
「そいつが電車を使うと、決まったわけじゃないけどな」もっと言うなら、吹田にまっすぐ帰らない可能性だってある。
「ところで、おまえを見つけたら、俺が撃っていいか?」
彼が真顔で聞いてきた。
「銃があるのか?」
「FNハイパワーがある」
「ばりばりの軍用銃じゃないか」もしロウランドの官憲が弾や薬莢を回収したら、彼らは必死に銃本体を探すに違いない。「やめておいたほうがいい。わかってるだろう?」
「はは、冗談だよ」真顔をくずす。
「防諜部隊の標準装備か?」
「いんや。特殊潜航艇の物資にまぎれていたのを没収したんだ。どこかでためし撃ちしたいのだけどな」
河井出くんに聞くが、俺に送ってくれた銃はFNハイパワーだろうか? まだ手元には届いていないのだが。
平岡と別れ、一人、地下街へと足を進める。値の張る飲食店の集まった一画から、ファッション系の衣服を扱う店やおしゃれな小物を扱う雑貨屋が密集したところにさしかかる。
平日だが、人は多い。見通しはよくなく、あてどない探索が続く。
人は、人混みの中でも孤独になれる。この中に私を理解するものはおらず、私が誰かを知るものもなく、いかなる思いを懐いているか一かけらの想像もできない。
通り過ぎる店はきれいで豊かだ。もしも戦争がなければ、我々もこのような物質文明を謳歌できたのだろう。――彼らのせいで我らは内紛を起こしているのに、その彼らは怠惰で享楽的な生活を満喫している。そのくせ、なんとなく自分が満たされていないと感じている。
噴水が見えてきた。白大理石を模した材質の、ギリシア風の彫刻が施されたシロモノだ。地下に噴水を設けるセンスはいまひとつ理解しがたいが、これも豊かさの象徴に思えた。我々の世界はこれを動かす電力にも、きれいな水にさえ、こと欠いている。
目の前にトイレがあったので、大便器の方にこもって石綿と少し連絡を取ろうと思った。四通ほどメールでのやりとりを行なう。お互い不景気な情報ばかりだった。
それから銃を確認した。実は平岡から預かっていたのだ。
軍用拳銃の見本のような製品を眺め、弾数を確認したとき、「もしかしてロウランドでも便器に監視カメラがあるのでは」と不安に駆られた。それはないと言い聞かす。彼らの政府は、基本的にそこまでの徹底さはないはずだ。
出たとき、私は私の後ろ姿を見た。
トイレは通路の奥まったところにあるのだが、そこから噴水広場に出たとき、水しぶきの向こうに、いた。
私は立ち止まり、彼と距離を取る。奇跡が起きたことは理解していたが、どうすればいいか迷った。すぐに追う? 仲間に連絡? それともハイパワーを使う?
とにかく見失ってはいけないと、ゆるゆると、しかし自然なように歩く。
ヤツは茶色っぽいジャケットをはおり、黒いズボンをはいていた。そして、米軍の戦闘機の塗装のようなシャークマウスがプリントされたリュックを背負っている。このタイプのリュックは大流行りのようで、制空権を奪取したかのようにロウランドのあちこちを遊弋している。
身長は、私よりやや小さいようだ。そして、少し太っている。この事実はてっきり同じ体型だと思っていた私には意外だった。以前ポケモン屋で彼を見落としたのも、私も石綿も上田祐司一般術士の体型を意識していたからに違いない。
ヤツはそのまままっすぐ歩く。スーツの男、ワンピースの女、大学生風の男、警備員、いろいろとすれ違っていく。
ここで、自分と遭遇した人間の心情を説明するのも、歴史的な価値があることだろう。とゆうもの、時がたった今でさえ、心臓の高鳴りが起こるからだ。
まず、目撃して沸き起こったのは、とてつもないプレッシャーだ。
自分、警官、通行人、全てにおいて、私が尾行していることを意識されてはいけない。もし意識され、不自然に思われ、殺しが失敗するようなことがあれば、私は全てを失うといってよい損害を受ける。私だけでない、ロウランド派遣隊全ての名誉にも関わってくる。
絶対に失敗は許されない。失敗は許されないのだ。
歩くとき、曲がるとき、階段を登るとき、まさに自分の、そして自身の一挙一投を焼き切れそうなまで意識した。
そんな緊張の中、私は私の横顔を覗き込みたい衝動に駆られた。殺すその瞬間まで顔をあわせないでいるべきだが、それでも、死の恐怖にゆがむ前の、日常生活を送る自分の普通の顔を、見たかった。
ここまで言葉を尽くしたが、その言葉は軽く、文字は意味を成さない。筆舌に尽くしがたいとは、このこと――このことのみだと、今思っている。
ヤツは階段を登ったと思ったら、また下った。イライラする。
そのまま、まっすぐ地下鉄の改札を抜けた。
相手はロウランドで普及している、電子定期券か何かを持っているのだろう。切符を買わず、改札に定期入れをかざすだけで、奥へと進んだ。
あわてて切符を買う。どこまで買えばいいかわからなかったから、とにかく一番高い値段を買った。
あせっていたのと、地理に不慣れだったから、すぐにはわからなかったが、やってきた電車を見て大阪市営地下鉄であることに気がつく。
相手の隣の車両に乗った。しかし電車と電車の間の窓から、しっかり相手を観察できる位置には陣取る。
ここで石綿にメールを打つ。『発見、現在地大阪地下鉄千里中央行き乗車中』と簡潔に連絡する。石綿から、平岡と東郷に連絡が行くはずだ。
地下電車内は、わりとすいている。席は満席だが、立っている人間は一人しかいない。ついでに書いておくが、ロウランドの鉄道は地表鉄、地下鉄ともに電気を動力にしている。ディーゼル車は貨物用にごく少数が運用されているに過ぎず、ガスタービン車は見たことがない。
ここで、石綿からメールがくる。性格が悪い人間は有能だという世の不条理を体現する男。
『S-uedaにメールを送ります』とだけ書かれていた。
意味はすぐわかった。隣の車両、顔がまだ定かでないもう一人の私がスマートフォンを取り出して確認しているのだ。お陰で私もヤツが当人と確認が取れたわけだ。
その彼は、江坂という場所で降りた。すでに地下鉄は地表鉄になっており、高架に載った電車から、大都市ではないが充分発展している街が見える。
改札を通過する時は特に注意が必要だ。距離を充分とりつつ、かといって見失わないようにしなければならない。
太陽の位置から、ヤツは駅の西側に向かったのがわかった。歩道橋のような階段を降り、そのまま歩いてテナントビルのようなところに入る。そこは以前ゆらぐと行った「東急ハンズ」に似た雰囲気の雑貨屋で、化粧品コーナーで数分、物色をしていた。
ロウランド人は、男でも化粧をする。このことを初めて聞いたとき、私は軽蔑の想いに駆られたものだ。役者でもない限り、男は化粧なんぞにかまけるべきではない。化粧は、いわば自分を着飾る、自己愛の産物だ。
軽蔑は、すぐに殺意へと変化する。あのような恥を満天下にさらしているとは、例え世界が違うといっても、自分は自分が許しがたい。地獄に送ってやる。ヤツが宗教を持っているかどうかはわからないが、神に祈る間もやらないつもりだ。
そんなことを、文房具売り場で思った。ちょうど化粧品売り場と程よい距離だったのだ。
相手は移動する。店を出て、御堂筋道路を横切る。遠目にはいくつかの高層マンションが立ち並び、住宅街に向かっていると推測できた。見通しがいいので、彼我の距離をだいたい九〇メートルにまで離す。
ここで石綿からメール連絡が入った。歩きながら携帯電話を開いて、確認する。ロウランド人は歩きながらの携帯電話の操作に習熟しているので、自分もわざわざ練習してこの技術を習得したのだ。
内容は『あなたに自分警報が発令された』だった。うちの組織はバカなのか? 律儀に私の「自分発見」を、上に報告する石綿も石綿だが。
憤懣やるかたない気持ちになったことで、思わぬ油断が生じた。
ヤツが曲がったとき、俺も曲がったのだが、そこで見失ったのだ。
最悪なことに、そこは商店街だった。だいぶひなびていて、シャッター活躍中の店も多いが、それでもいくつか営業中のものがある。――ヤツはどこへまぎれたんだ? あるいは入店せず、いくつかある細い路地を曲がったのか?
これが二ヶ月も前なら、ヤツの利用する駅がわかっただけでも大成果だっただろう。しかし、今やもはや時間がない。期限である三月十一日が、日本の術士団にとって特別な日であることは、当時は小さかった私でも知っている。
凡ミスで見失ったと、報告するのが、途方もなく悔しかった。とにかくまだあきらめず、走ってでも探そうと身構えたとき、再びメールが届いた。
『ロウランドのあなたが今度はフェイスブックに投稿。コンビニにいる模様。特定しているか?』
コンビニ。大きなヒントだ。私は携帯の地図機能を起動させ、現在地と、そして付近のコンビニの場所を検索にかける。
最悪だ。商店街近辺に、三種類の店がそれぞれ一つずつある。なんでこんな地方都市に三つもあるんだ? お互いに潰しあっているとしか思えない。もしハイマートの支配が確立されたら、いくつか間引いてこのような「万人の万人による闘争状態」を解消してやろう。過酷な労働環境で悪名高いコンビニが減ったら、ロウランド人も感謝してくれるに違いない。
『ダメだ。商店街で見失う。コンビニ不特定。フェイスブックの情報希望』そう正直に返信する。もはや外聞にこだわっている場合ではない。
すぐに返信が来る。ロウランドのメールは民間用でさえも、画像を「添付」して送ることができる。
そこには、お弁当が映っていた。説明文によると、ヤツが自宅近くのがコンビニで、今から買うかどうか迷っているものだそうだ。
『食べたい、しかしカロリーが・・・』と、ヤツが発信したと思しき文が、つけられている。
見た目は普通のトンカツ弁当で、残念なことに店のロゴのようなものも移っていない。ヒントとしての価値は乏しい。ここまでか、と観念を覚える。
電話がかかってきた。石綿が私に電話をかけるときの携帯からだ。私は期待して出る。
『はい、儀人のヤットサンです』と向こうから声がした。私は失望した。
「おまえか。電話を借りたのか? なんのようだ?」
『はい、お伝えしたいことがあります』
もしくだらない話だったら、今度こそ家の前の川に簀巻きにして放り込んでやろう。しかもそのときはハトのエサをまぶして、つつくに任せるオマケ付きだ。
『ボクはロウランドのあなたが利用するコンビニについて、ある確証があります』
私は一瞬考える。人間、それも決して無教養ではない術士が、複数いてわからないことが、儀人にわかるのか? アイツは決してバカではないものの、まだまだ未熟だ。
「それはなんだ?」私は先をうながした。聞くだけ聞いてみよう、そんな投げやりな気持ちだった。
『画像のお弁当は、まちがいなく伊藤忠傘下のコンビニの新製品です』
「どうしてわかるんだ?」
「ボクは二日前、あなたが買ってきたこれを目で見て、食べました」
私は鼻で笑った。たしかに大学の近くに同じコンビニがあって、そこで食料を調達する事もあるが・・・「本当か? 二日前に食ったありふれた弁当を、正確に覚えているのか?」
「はい。まちがいありません。――ボクの好きな食べ物は、コンビニ弁当です」
私は、信じるべきだと確信した。
「ヤットサン」私は呼んだ。「あとでご褒美をあげたい。何が欲しいか考えておいて」
電話を切る。地図はもう見ない。どこの道を曲がればいいか暗記している。
そして、店からレジ袋を持って出るヤツの後ろ頭を、再び捕らえた。距離は百メートルほど。もはや絶対に見失うことはできない。幸運は何度も訪れない。兵士として学んだ、世の真理だ。
今日殺そう。そう決意する。何度意識しても、足早になるのを押えられない。つい近づきすぎてしまう。
そして、アイツのマンションを特定した。
外見から判断する限り、六階建て。玄関がガラス製の引き戸のようだ。高層マンションとは都合がいい。ロウランドでは、五階以上のマンションにはエレベーターの設置が義務付けられているから、つまりその分死角を多いということだ。
銃声を気にせず、思い切って射殺しよう。一階玄関に入ってすぐのところで撃ってもいいし、エレベーターを降りたところでの狙撃も悪くない。
そう計画しつつ、ガラス戸に手をかけ引いたとき、にぶい衝撃が腕を走る。
戸が開かないのだ。押しても、引いても、もう一度引いても。
「オートロックか!」私はうめいた。
ガラス戸の向こうには、すぐエレベーターがある。
私は、そのエレベーターが六階で停止するのを、なすすべなく見守った。
ヤツの棲み処の防犯体制は以下のようになっている。
まず正面は、オートロック――つまり電子錠が施された引き戸になっている。ガラス扉自体は、防弾性能のない平凡なものだ。
次に、駐車場側にある裏口は、金属製のドアになっており、これはごく普通の鍵によるドアだ。
正面と裏口はおそらく、マンションの入居者全てにこのドア専用の鍵が支給されているか、入居者各々が持っている部屋の鍵で、自由に開けられる構造になっている。
そしてこの建物の周りを、5台の監視カメラがぐるりととりまいている。一台は正面玄関、一台は裏口、二台は駐車場、最後の一台はゴミ捨て場の前だ。なぜゴミ捨て場の前にわざわざカメラを設置したのかは疑問だが、おそらくゴミ漁りをする野犬やチョウセンイタチの観測のためだろう。まさかゴミから資源を回収する浮浪者を威嚇するような、そんな不寛容な社会ではあるまい。
他の四台のカメラは、陣地の機関銃座のように、それぞれが死角をカバーするような位置に据えつけられており隙はない。
実は西側の壁面には監視カメラがなく、しかもすぐ上に入居者のベランダがあるのだが、ここは表通りから見通しがよく、また足場になるような突起物も存在しない。しかも、隣の家の暇な老婆が一日庭に出てひなたぼっこをしており、日中は監視の目が途切れることがない。
マンション自体は、単身者向けのワンルームマンションで、警備会社のシステムと連結しており、何か異常があればすぐに人が駆けつける仕組みになっている。
これらの情報を、不動産屋のホームページ、付近の住民からの聞き込み、そしてS-uedaのネット上での書き込みから収集する。
その上で、暗殺の方法を検討した。一番極端な作戦として、我々が一機だけ持っているスウェーデン製の攻撃機でマンションを爆撃するという案が出されたが、これは却下される。こんなことをしたら大騒ぎになり、ロウランドの官憲の追跡が尋常じゃなくなるし、それにひなたぼっこ中のおばあさんが破片などにあたったら気の毒だ。
石綿は、暗殺の「条件」について以下のようにまとめる。
・目立たないこと
・付帯被害を出さないこと
・我々が疑われないこと
・あくまで私の手によって行なわれること
結局、今日のように後をつけ、家に侵入し、下賜された刀での殺害が決定される。これにはヤットサンの自己申告も決め手となった。
「ボクは、裏口のドアなら、開けられる可能性があります」
「このカギが、本当ですか?」石綿が鍵穴の写真を見ながらうなる。この写真は、鍵が突破できるか仲間と検討するため、あの追跡劇の後、私が携帯電話のカメラで撮ってきたものだ。
「見たところサムターン対策も施されています。作りもしっかりしていて、古びてもいない」
「はい、同士石綿。しかし道具さえ用意していただければ、ボクはピッキングを夜刀浦で学んでいます」
「夜刀浦では何を教えているんだ?」平岡が首をひねった。
「他にも、初めて見たものは舐めて確かめるよう教育しているらしい」私は言った。
とにかく、一度定まれば実行はすぐと決まった。
実行日は三月十日、その日より後はない。
その日は朝から寒風吹きすさぶ気象だった。晴れたと思ったら急速に曇り、昼前には雪がちらついた。
正午ほぼきっかりに、私と儀人は、ヤツが利用する駅へと降り立つ。戦災孤児とそれを引き取った大学生を演じつつ、御堂筋道路と、公園を抜ける。ベンチに腰を下ろして、時間になるのを待つ。
「一〇〇円ショップがあるな」私は言った。「中、見てみたいな」自分殺しが行なわれたとあったら、その現場近辺には、もう近づけない。
「ボクはあの小屋に関心があります」儀人が指を指す。最近「指を指す」ということが、その先の目標を示していることを学んだ。
「宝くじ売り場だ」
「はい、宝くじは存じています。控除率五〇パーセントの、世界最悪のギャンブルですね」
「たまにあんたは、むずかしい日本語を言うな」
「無理もありません」うちの儀人がペタペタと肩を叩いてくる。最近私に意味なく触りたがるのだ。
「『ギャンブル』という言葉は日本語ではなく、アングロサクソンの言語が由来です」
「・・・・・・」
自分殺しをした後の、書類上の手続きについて説明しておこう。ケースにもよるのだが、私の場合を書く。
まずは戸籍上、殺した本人と入れ替わる。現在私は浜口さんの義理の息子ということになっているが、これからはロウランドでの上田の親族関係が適応されるようになるのだ。
そして、今度は住民票での住所を変えるため、さも引っ越したように役所に届ける。これは殺しの現場から一刻も早く遠ざかるためである。必要な書類その他はもちろん組織が用意する。
例え戸籍上親族関係があっても、ロウランドの親兄弟と顔を合わせる機会はない。
そして、書類上完全にロウランドの上田祐司となった私は、引き続きハイマート人としての任務を遂行する。私の情報はもちろん、ロウランドの親や親戚には届かないように配慮される。
今回の私のケースは違うが、もし入れ替わる人物が親や兄弟と同居していたら、その家族も情報漏えい阻止のため殺害・監禁する場合がある。もっともこのようなケースはめったにない。我々は不必要な殺人は行なわない。
通常「入れ替わり」には、一人暮らしをしていて、兄弟親戚が少なく、親とも疎遠な人物が選ばれる。これなら、たまの電話連絡やメールで、ロウランドの上田祐司が生きているかのように見せかけられる。
そして私の任期が終われば、さも失踪したかのように見せかける。
上田祐司という存在は、ロウランドから完全に消えてしまうのだ。
もちろんこれらの手続きは、完全には実施されないことが多い。原住民の自分さえ殺してしまえば「リスクは解消された」と判断し、あとは「他人の空似」で通す人間もいる。石綿はそのケースだと聞いている。
『こうして見ると、隙だらけですよね』ある日の石綿の言葉だ。『完全に、ロウランド人がハイマートの存在に気づかないとの前提で、事が成り立っている』
「あと五分で時間ですね」儀人が言った。「ところで、『ご褒美』の件、今よろしいですか?」
「なぜ今聞く?」
「今聞くのが最も良いタイミングと判断するからです」なんのタイミングだ?「ご褒美として、ボクの質問に答えてください。どうしてあなたは、自分を殺してまで自分の居場所を獲得したいと思うのですか?」
「あとで言う」さすがにこのタイミングでは、勘弁してほしかった。
「その約束に念書を押してください」
「くどいな」
「ボクはそのように教えられているのです」
コイツ。やはり、対立派閥の・・・
それこそ儀人よりはるかに良いタイミングで、石綿からメールが来た。
ただ、『異常なし』とだけ書かれていた。
これはつまり、殺害へのお膳立てが整ったということだ。
「行くぞ」私は言った。「質問は、今日が終わる日に解答する」
先ほどからちらちらと、道行く人の目をひいているような気がする。自分がウインドブレーカーを一枚はおった薄着だからだろうか。あるいは横の儀人が可愛いからかもしれない。
マンションの前まで来た。
今回の作戦、自分のような身分にはもったいないほどのバックアップがついている。
総指揮を取る石綿を筆頭に、平岡は近隣警察の動向を見張り、八十島はネット上で殺害計画が暴露されていないか監視する。そして私が「自分殺し」を成し遂げたあとは、東郷の運転する車で現場から離脱する予定だ。なお、死体の回収は、その後始末をやるためだけのチームをすでにハイマートから呼び寄せている。彼らとは、防諜上の理由で、決して顔を会わすことはない。
私は正面玄関が見える位置に移動する。儀人は裏口へとまわる。
裏口では、さも鍵をうまくあけられない少女に偽装して、ピッキングを行なっているはずだ。さしものロウランド人も、少女が鍵職人ばりの技術を会得しているとは思うまい。監視カメラもごまかせるこの作戦、うまくいきそうだ。
やがて正面玄関奥から、人形のような儀人が手を振って現われた。ガラス扉は、内側からなら簡単に開けられる。
ウインドブレーカーのフードを目深にかぶり、歩き始める。去年の赴任直後から使っているこの服も、監視カメラに映ったとあっては、安全のため処分しなければならない。残念だ。
マンションへと侵入を果たした。
ヤツがすでに604号に住んでいる事は突き止めているが、改めてドアすぐ横の郵便受けを確認する。「上田」と、確かに書いてある。
マンションはほぼ箱型で、外からは階段や廊下さえほとんど見えない。101号、103号が西側、102号、104号が南東側にあって、その中央を廊下とエレベーターがつらぬいている構造だ。
入るには手間とるものの、入ってしまえば好き放題できる。まるでロウランドの社会の弱点を見ているようだ。
エレベーターを使わず、階段を利用する。これは住民が降りてくる気配がしたら、さっと脇の階に避けて身を隠せるからだ。
四階と五階の間の踊り場で、下賜された日本刀を抜く。
日本刀の製法で作られたダガー。これが、「自分殺し」の刀の正体だ。
刃渡りは二十四.五センチ。もともとは多くの政敵を暗殺した刃物から発展した刀だ。
その刃物自体は、ずっと歴史をさかのぼり、中東の「アサシン」が使ったダガーが起源となる。
自分を人類の歴史で殺すと思うと、変な笑みが浮かぶのが感じられた。
いや、もはや自分ではない。敵だ。自分の居場所を占める、女々しく小太りの敵。それが、階段の先にいる相手の正体だ。
爪の先をこそいで、切れ味を試した。かつおぶしのようにそげた。良好だ。
そして六階、604号の前。
まず玄関の横にあるPSで、電気とガスのメーターを確認する。電気は使われているようだ。ブログ記事の情報から、この曜日は家にいる可能性が高いと予測していたが、これで中にいるのはほぼまちがいないと確かめられた。
玄関の前で、しばし考える。
部屋の中で殺すつもりだった。その方が目撃される可能性が低くなる。おそらく彼は厚着をしているだろう。ならば狙うのは首、もしくは目だ。
「ボクとの約束を忘れないでください」ここでヤットサンが言った。
「約束って、『ご褒美』の件か」声をひそめて話す。本当は、敵前で一言もしゃべりたくないのだが。
「いえ、ボク自身は、あなたがどうして自分殺しをしてまでロウランドにとどまりたいか、あまり知りたいと思いません」この子、正直な子だな。「でも、儀人がこんな言い方をするのは奇妙に思われるかもしれませんが、ボクはあなたに愛着を懐いていると思われます。だから、しかるに、あなたの身に何か不測の事態が生じたら、ボクは今まで経験したことのない精神の危機に瀕すると予測されます。『かしこい人形』にすぎない儀人が、こんなことを言うのは妙かもしれませんが――」
「そういうときは、『愛しているから、生きて帰ってきて欲しい』と言うんだ」
「はい、わかりました。『愛しているから、生きて帰ってきて欲しい』これでよろしいでしょうか?」コイツ、俺の口調をイントネーションまで真似てそっくり返しやがった。
こんなに色気がなく、情緒に乏しく、盛り上がりに欠ける愛の告白もめずらしい。
まあ、ただ、確かに『愛着』は感じさせてくれる。
「ありがたい」と、思わないでもない。
「鍵を」アゴでしゃくって鍵穴を示す。
ヤットサンは、がちゃがちゃと音を立てた。
がちゃん、と鳴った。
「開けます」
音に反して、ゆっくりと、静かにドアを開ける。
私は刀を構え、半開きのドアから滑り込む。
ロウランドの自分が、どの程度の身体能力を有しているか、それはわからない。ただ、プロの格闘家ではありえないし、軍務経験もないだろうし、ましてや白兵戦で人を殺したことなどないにちがいない。
部屋の中には、音楽が流れていた。
教会などで、流れていそうな曲だ。ピアノを基調に、女性のコーラスが入る。
正体はすぐ脇にあるパソコンだった。ロウランドのインターネットには、個人や企業が作成した映像を公に配信するサービスがあるのだが、たぶん、CGアニメかビデオゲームのオープニングだろう。
ひきつけられるのは、その音楽とともに表示される詩だ。
文章の一つ一つが、まったく頭に入ってこないのに、なぜか釘付けになる。音楽と非常にあっていて、まるで文字という記号が楽譜になって変わりに音楽を鳴らしているように錯覚された。
あとで聞いたが、ドイツの詩人ハイネの『ドッペルゲンガー』という詩らしい。詩に誰かが音楽をつけたのだ。
曲が男のコーラスに変わり、盛り上がりを見せ始めたとき、
「うわ、本当だ」と声がした。
声のほうを向くと、トイレから私が出てくるところだった。
顔も、体型も、雰囲気も、確かに私である。しかし、致命的かつ完全に違うところがあった。
どう見ても、女なのだ。
しかも、「うわあ、やっぱそっくりだわぁ」と、私を知っているような口ぶりをしてきたので、無言で殺そうと思っていた私の方針を打ち砕いてしまった。
「知っているのか、俺を?」
「うん、だって、友だちがな、『あんたにそっくりな人間見かけたでっ』て、画像送ってきたから(笑)」
迂闊だった。コイツに知られないように細心の注意を払ってきたはずだが、まさかこんな盲点があるとは。
「あんた、S-uedaさん?」
「そうや」
なら、とにかく殺してしまおう。
「もしかして、ブログ読んでくれてるの? それともツイッターでフォローしてもらっているとか?」
「ブログは何回も読んだ。ツイッターは・・・ 知り合いがフォローしてる」
「うわあ、感激やわあ」
私は、左足を前にして、ナイフを順手で構える、平凡な人殺しスタイルをしていた。そのまま一歩距離をつめる。
「あんた、でもどうやって入ってきたん? なんで土足なん? 靴脱いで!」
「いや・・・」短刀を持った相手に、そこを気にするべきところか?
どうも、私が刃物を持っているとは、最初は気がつかなかったらしい。無理もない。切っ先をぴったりと相手に向けていたから、相手からは点にしか見えないはずだ。
殺気に気おされたように少し脇にそれて、ようやく短刀全体が目に入ったようだ。
「え、え、殺すの? ドッペルゲンガーみたいに?」
「は?」
「ほら、ドッペルゲンガーに会った人は死ぬって話、あれ、ほんとやったんやなって」
「おまえ、余裕だな」
「だって、一度でいいからもう一人の自分に会ってみたかったんやもん!」
「なら、往生しろ」
「いやや」
女は自分が下がっていると思っている動きをしている。実際はこちらが殺気で追いつめているのに。
「あきらめろ。『神に祈る間をやろう』」私は最近見たマンガのセリフを引用した。
「あ、あ、そのアニメ、うちも好きやで!」
私は面食らう。「うちって、おまえの一人称?」
「そう。うち」
方言、というものには、いまいち慣れない。知っての通り〈ナポレオン法〉によって公共の場での方言の使用が禁じられて以来、方言を使うのは我々の反体制派だけだ。私もロウランドの関西に赴任するに当たって方言の訓練を受けたが、結局ほとんど使っていない。
いよいよ関西弁を黙らせようと、にじりよる。彼我の距離は二メートルほど。必殺の距離ではないが、充分な攻撃範囲だ。
「待って待って、うち、なんかあんたの恨み買うようなことした?」
「居場所を占めている」そう答える。
「ええ、その・・・ 意味わからへんねんけど」
「俺は、おまえだ。おまえを殺して、俺はこの世界での居場所を作る」
彼女はぽかんとした。自分の間抜け面は腹立たしい。
「えーっと、実はあんた女?」
「は?」
「だって、あんたはうちなわけやろ? うちは女やから、あんたも女ってことになるやん!」
なるほど理屈は通っている。しかし――
そもそも「自分殺し」が、理屈にあわないのだ。
「おまえには理解できん。文字通り、〈別世界〉の話のことなんてな」
「うち、ファンタジー好きやで!」
「俺は異世界が大嫌いだ」
「え、でも、『ハガレン』知ってるんやろ?」
会話がかみ合っていない。そろそろ年貢を納めさせるときだろう。
こいつがもう一人の私かどうか、もはや定かではない。悪人でないことは、まあ確かだろう。――しかし、顔を見られてしまった。かわいそうだが・・・
「ドッペルゲンガーさん」彼女はなおも説得を試みる。「あんたがこの世界に現われたってことは、なんか意味があってのことやと思う。でもな、あんたが本当にやりたいのは、うち殺したいことなんか?」
相手を壁際に追いつめる。距離、一・五メートル。
「人間、殺したらそれまでや。生かしておいた方が、利用価値があるかもやで!」
もっともな言い分だが、彼女が任務や、私の目的に役立つとはちょっと思えない。
「な、な、うち、もうちょっとあんたと話したいねんけど」
語る言葉はもはやない。
「なんか返事してや! うちには家族がいるんや!」
おまえの両親はよーく知っている。くだらない父親と愚かな母親だ。息子が言うんだからまちがいない。
「友だちだっているし!」
「俺には仲間がいる」
もはや必殺の距離だ。フェイントをかけるか? いや、その必要はない。
・・・相手は弱い自分だ!
「じゃあ! うちも仲間に入れてや!」
剣は空を切り、壁に突き立った。途中で軌道を変え、相手の喉もとに刃が来るようにする。
仲間。ロウランド人を、仲間にする?
おびえて縮こまり、私に立ち向かう勇敢さもなく、機知も働かせられない、ただ感情が豊かなだけの人間を、味方として向かいいれる? ナンセンスだ。
しかしそもそも、この自分殺し自体が、ナンセンスな行為ではある。彼女をそれに巻き込むのは、申し訳ないと思わないでもない。
私は思案する。術士として、女々しい政党政治を打倒した真の男として、感情で物事を判断はしない。だが・・・ 根本的な不安が沸き起こる。
自分が女性だった、という例は、今まで報告されていない。この「生きた見本」を、報告なしに殺したとあっては、今後の自分の立場を危うくする可能性がある。
それに、さらに想像力が及んできた。女・・・ということは、もう一人の私であると、疑われる可能性が低くなる。この可能性の低さは、仮に今後私の手足として動いてもらう上で、有利ではないか?
もう一人の自分でさえ、探すのに一苦労したのだ。今後ロウランドにおいて、更なる人探しをするにおいて、手駒が多いほうがいい。
私はとりあえず、刀を納めた。殺すという選択肢は、すでに消えかかっていた。
「ひとまず命を助ける」交渉開始だ。「今後の返事次第で、君の運命が変わる」
相手はこくこくとうなずいた。
「君は、秘密を守れる人間か?」
相手はこくこくと繰り返す。
「俺に忠誠を――誓うまではしなくていいけど、命令に服従し、仕事に忠実に励むことを誓えるか?」
相手は私の刀を見て思案している。鯉口を切って刃を見せて、首の縦ふり運動を継続させてやる。
「親友人知人はもちろん、ブログ、フェイスブック、ツイッター等で、俺のこと、俺の目的のこと、そして必要なら自分自身のことさえ、情報を発信しないと誓えるか」
「あなたってさ」一年ぶりに言葉を発したような声だった。「もしかしてものごっつ身勝手な人間?」
「身勝手なのは重々承知しているが、そこは『察してくれ』と言うより他ないな」
殺さないとは決めたものの、まだ、この女を正式に報告して「心身差し押さえ」の身分にするか、それとも秘密にしていわゆる「隠し腕」とし使うかは、決めあぐねていた。
上に報告する、というのが、無難な方法だろう。しかし、私的な報告書だからはっきり言うが、私は現在の上層部に対して大いなる不信を覚えている。
それに、言っては悪いが、私はハイマートに術士としての勤めを果たしにきたのではない。いや、もちろん仕事もするし、組織に対する忠誠心も変わらないが、だからといって任務を忠実に果たすだけというわけではない。やりたいことはやらせてもらう。
術士としてはまったく関係ないところで、組織にその存在を知られることなく、彼女には動いてもらう。いい案だ。
いい案だが――これは、組織への背信だ。言うまでもないことだが、秘密を持つことは重大な背信だ。
どうする? 時間はまったくと言っていいほどない。十分たっても私から連絡がない場合、すぐ近くで待機する別働隊が踏み込んでくる手はずだ。
ノックの音がした。
玄関のすぐ外で耳を済ませている儀人が、階下から人が登ってくる音がすると合図しているのだ。この合図は、あらかじめ決めておいたことだ。
時間からして、踏み込んできた別働隊だろう。
結論を出さねばならない。
私は玄関まで行き、扉を少し開け、儀人に言う。通信用の携帯電話は、彼女が持っている。
「作戦中止、自身不在、異常事態番号三番、以上。唱和せよ」
S-uedaのことは、もし組織に知らせてしまったらもう隠すことはできないが、隠したままなら後日組織に知らせることができる。
だから私は、ひとまずは、彼女の存在を隠すことにした。
「作戦中止、自身不在、異常事態番号三番、以上。唱和終わり」
儀人が唱和し、その唱和どおりのことを電話でかけようとする。
「ヤットサン」私は釘を刺しにかかる。「俺のこと、俺のやっていること、やろうとしていること、全ておまえの『本来の管理者』に伝えてもいいが、ただ、この場で起こったことだけは、一切伝えるな。ただ正規の報告書に書かれるとおりのことを報告しろ」
でないと、あんたを殺すからな、と顔を合わせて言った。儀人はこちらの目を見つめた何も言わない。たぶん、いろいろと「利益計算」をしているのだろう。肩を抑えてゆすぶると、ようやく身の危険を感じてか、コクリとうなずいた。
儀人が、「俺のことを報告する」任務をまっとうしようとするなら、「殺される」という選択肢はとらない筈だ。――このあたりのことは、彼女は儀人らしく忠実なはずだ。
いよいよ階下からの足音が大きくなる。私はなるべく下の階で迎えようと、降りる。
私が階段に足をかけたとき、いろいろと察したのか、女の俺がすっと玄関から出て、青ざめた顔のまま、PSの中へと隠れた。そうだ、それがいい。部屋は今から調べられる可能性が高い。俺を初めて見たとき物怖じしなかった点も含めて、さすが俺だとほめてやりたいところだ。
隠れる彼女を見送ったヤットサンが「あの人間のことを秘密にするのが、あなたの望みですね。理解しました」とこちらを向いた。
「ボクは、あなたに殺されたくありません」
階下で二人組みの別働隊を向かえる。あいまいで疲れたような笑みを浮かべる私に、私より屈強な訓練を受けたであろう男二人は不信の目を向ける。
「あれは俺じゃない」私は言った。「女だった」
その後、部屋が簡単にだが調べられ、「上田祐司」の名前の付いたものが一切ないこと、それどころか女物の服やグッズがあることなどが確かめられる。
遅れていた住民票との照会作業も済み、この部屋の住人は上田祐司ではないと、正式に結論された。
作戦は前例のない「特殊な失敗」とされ、ロウランド派遣隊関西方面隊は悲願の「自分殺し」を達成し損ねた。
三月の十一日になる。
さて、いよいよ三ヶ月続いた「ストライキ」の顛末について書こうか。
我々関西方面に展開している派遣隊は、経歴の長い浜口さんや幾人かの連絡役を除いて、ロウランド派遣隊関西方面総監その人を見たことがなかった。
「今回の問題」によって、いよいよ彼は自身が直接乗り込んで話をつけようという気になったようだ。とゆうより、自分の部下がストライキを起こしたのだから、さっさと乗り込んでくるべきだったのだが。
すぐに対応できなかったには理由がある。総監殿はシンガポールの高級ホテルの一室を借り切って、そこから我々に対して国際メールで指示を出していたからだ。
久しぶりに日本へ戻る彼を向かい入れるために、本部建物の部屋のうちの一つが豪華に飾られる。紅白の横断幕に、新しい紅いマット。インテリアとして盆栽っぽいものも置かれる。壁には銀双斧軍旗と日章旗が張り出された。
会場には正規術士しか入室を許されず、すなわち両手で間に合う人数しかいなかったから、部屋の飾り付け作業は弱冠面倒であった。
総監が顔を出す前に、まずは簡単に三月十一日という日に関するイベントが行なわれる。衣谷次席相当が演壇に立ち、かつて起こった地震の死者に悔やみを述べ、そして天災を人災に拡大した議会制政党政治を二度と復活させてはいけないと語った。
有馬上級次席相術士は、ハイマートでも関西方面の担当であった。前近畿総督の宇垣主席相術士の下でキャリアを積み、戦国大名の有馬氏の血筋に連なる「貴種」としても珍重され、かなり早い段階で一般から次席へと昇進し、ロウランドという我々と似て非なる未開の地に派遣される。
二月の十四日、自信満々に布教に来た聖人のように颯爽と入室してきた彼に、我々は術士風の敬礼をし、とりあえず嫌ってはいないことを示す。彼は片手を軽く挙げて返礼とし、壇上に上る。既に定められた場所に整列している我々を睥睨した。彼は背が高く、河井出くんより三センチほど高い。
彼の訓示というか演説を要約すれば、次のようになる。
・今からでも遅くないので、本来の本分に戻れ。
・従わなければ、最も厳しい手段をとることになる。
・諸君らが私利私欲や思い込みからサボタージュを行なったのではないことを認める。
・君たちがストライキ中も続けた仕事については、個人的には感謝している。
「『個人的』には、とゆうところがミソだな」
平岡が話しかけてくる。「上層部が正式に、働きを認めたわけではないんだ」
「これからは私が直接陣頭指揮を取る」と、有馬上級次席演説の締めくくりにそう言った。
「諸君らにしても、指揮官の顔が直接見えているほうがいろいろ言ったり聞いたりできて都合がいいだろう。また、関西方面集団の体制を従来の縦割りの上意下達組織から、マトリックス組織へと改変する」
マトリックス組織というのは、ロウランドで流行の組織体制の一つで、うんと大雑把に言えばそれぞれの部門の代表者を横並びにしてその部下も代表者によって共有される組織のことで、この体制にさえすれば、戦術と戦略、両方をバランスよく遂行していく事ができるようになるそうだ。
「これが自分にできる精一杯のことだから、これに免じて今回は溜飲を下げて欲しい」
次席は頭を下げた。彼としては、渾身の礼だったのだろう。ただ我々としては、別に彼に頭を下げられるいわれはないのだし(仮にも配下である我々が勝手に事を起こしたのだから、怒ってしかるべきだ)、それに次席術士ともあろうお人が軽々しく頭を下げてよいものかという違和感もあった。
ただ、もはや「今回の問題評議会」のメンバーに、ストライキを続ける意思はなかった。
頼みの「自分殺し」が、そもそも人物の特定の時点で失敗していたとあっては、我々派遣隊の組織としての立場が危うい。ただでさえ、ストライキ(ストライキ前よりも、仕事に励んでいたとはいえ)を起こした身の上だ。
代表石綿が列から前に出る。あらかじめ我々の間で打ち合わせしておいた通りだ。彼は言う。
「今日この日を持って、我々は本来の本分に戻ります」
有馬上級次席は「うむ」とうなずいた。
「僕の説得を受け入れてくれて、嬉しく思う」
「あなたが来た当日中に、問題が解決したとなったら、あなたの名誉のためにもよろしいでしょう」
この石綿の物言いには、私も含めた何人かが戦慄したが、有馬上級次席は笑った。
「君のそういう所、僕は好きだよ」
こうして、去年から続いていたストライキは収束した。我々派遣隊の処遇がどうなるかまだ予断を許さないが、とりあえずこれからも業務に励み、我々が有能であることを示さなければならない。4月の末に提出する、今期(昨年4月~今年の3月)分の「正規大報告書」を上奏することが、ひとまずの目標になるだろう。
「ところで、上田一般術士はいるかい? 上田祐司一般術士のほう」
「はい」私は列から返事をする。
「一三〇〇時に、もう一度この会場に来てください。他の者も、一二五〇時に、今の整列した状態で集合すること!」
いったん解散してからの、十三時までの時間は、気が気ではなかった。だいだい一時間四五分ぐらいの時間だった。
いったい私は、十三時になったらどうなるのだろうか? 残念ながら、褒められるようなことをした覚えは皆無なので、おそらく訓戒か、叱責か、問責の可能性もある。
整列した仲間の前でこれらの仕打ちをするというのは、ロウランド派遣隊ではやらないと思っていたが、私の思い違いだったようだ。
もっと悪い想像があった。S-uedaのことが早速ばれて、公開で喚問が行なわれることだ。最悪の場合、喚問→お裁き→公開処刑という流れも考えられた。現行犯の裏切りが、裁判なしで処刑できるという慣習法は、ロウランド派遣隊でも健在なのだ。
ガラにもなく遺書を書こうかと考えたほどだ。とりあえず横にひかえていた儀人に、「自分になにかあったら、以前言っていたことを実行してくれ」と言う。
以前言っていたこととは、自分が死亡もしくは心神喪失の状態に陥ったら、キャビネットの一番上の資料を処分するということだ。ここには、私的報告書関係の資料が収まっている。
このスパイの儀人には当然、私的報告書のことは話していない。彼女は私が何か熱心に文書を打っていることは知っているが、正規の仕事をしていると思ってくれているはずだ。
「あのキャビネットの一番上の段はボクの身長では届きません」
「広辞苑を踏み台にしたら届くはずだから、それでやってくれ。鍵の場所は知っているな?」
「はい。ですが、どうしてこのタイミングでそのことを念押しするのですか?」
「なにかあるかもしれないからな」
部屋がノックされ、石綿が顔を見せる。私だけが正規術士の控え室ではなく、個室に案内されたことも、不安を懐く要因の一つだ。
石綿は、部屋には入ってこない。ただ部屋と廊下の境目にいて、「何か心当たりは?」と聞いてきた。
「いや・・・ あると言おうかないと言おうか・・・」
「先ほど、平岡さんが有馬次席に呼び出されていましたよ」
「うーん、防諜部隊の仕事かねえ」
「まあ、気楽に身構えることです。天白派のあなたが、そうそうひどい目にはあわないでしょう」
「その天白派という事実で、冷や飯を喰わされているのだが」
「人数の少ない集まりは不遇ですよね」
そう言って、部屋を去っていった。最近、いつも微笑みを浮かべているこの男が同情で物を言っているか本心で物を言っているかわかりかけてきたのだが、今回は本心のように思えた。
時間になる。会話で少し気がまぎれたが、事態は改善していない。
「また戻ってきますか?」儀人が言った。
「わからない」と正直に答えた。
「戻ってくる前提で、お待ちしています」彼女は頭を下げた。
昔、イギリスにウィンストン・チャーチルという政治家がいた。議会制民主主義下の人間だったわりにはしっかりした人物だったが、その人の言葉に「殺す前の人間には丁重に接する」というのがあったそうだ。
それで、部屋に登場した私が、まさにこんな気分を味わっていた。
集まった人間全員から、拍手で迎え入れられたのだ。
「上田祐司一般術士、どうぞ演壇へ」有馬上級次席が言った。
内心で面食らいつつも、止まるわけには行かない。そのまま整列した同僚の真ん中にあけられた通路を通る。私の歩き方は、新兵の行進のようだっただろう。
「いやあ、君の文章読んだよ」と、有馬上級次席が言った。
「はい、恐縮です」おそらく、半年ごとに出す「小報告書」か『季刊ロウランド研究』に書いたエッセイのことを言っているのだろう。
そのときはそう思った。
「しかし、こういう報告書は、河井出くんだけではなく、広く術士全員に読まれてしかるべきだと思う。そう思って、ここで顕彰する機会を設けたわけだ」
「え?」この短い疑問符に、万感の思いがこめられていることは、河井出くんも理解してくれると思う。
彼は、A4で150枚ほどの冊子を渡してくる。表紙はなく、いきなり本文から始まっている。・・・私の記憶が正しければ、この冊子の総枚数は149枚のはずだ。
そこには、まぎれもなく、私が君に送った報告書が、たばねられていた。
急いでパラパラと確認する。確かに私が三月から書き始めて、今年の二月二六日までに送付した分が、そこにある。
一文一文を検討するなど望むべくもなかったが、とりあえず組織への悪口や「ガソリンを密輸する相談」、「銃を送ってくれとせがむ私」など、人に見られたら経歴が破滅する箇所は、巧みに削除されているようだ。まるで、検閲部隊の手にかかったように。
「これを、お読みになったのですか?」私は思わず聞いてしまった。
「この河井出くんに『推敲』をゆだねた報告書をたたき台として、『大報告書』を作成する予定だそうだね。いい考えだと思うよ」
「はあ、河井出は・・・ その、河井出からなにか聞いていますか?」
「僕は出来上がった報告書が楽しみだから、詳しくは聞かないようにしているよ。石綿くんが取り仕切っているみたいだし、僕は彼にはノータッチさ」
石綿。どうやらコイツが、諸悪の根源とは言わないまでも、何か悪事の重要な片棒を担いでいるらしい。彼が「ふふふん」と笑うのが、後ろの列から聞こえた気がした。
「それでね、君は読んでくれた河井出くんの感想次第では、これを公にせず破棄するつもりだったそうだけど――」
今まさに、公にせずに破棄したい気分だ。
「それはもったいない、と僕は考えるんだ。すでにこの場の全員で一致して、『大報告書』を作る準備をしているのだろう」
は? という声を飲み込むのに苦労した。
石綿が「彼からこの提案を受けた時は、正直驚きました」とまったく私が身に覚えがない私の言葉を紡ぐ。
「しかし、上田一般は言いました。報告書もこれからは、往年の軍人や哲学者の著作のように、文学性をもたせなくてはならないと。そのために我々関西方面隊は、彼に全身全霊で協力しようと、ストライキ中も誠心誠意勤めを果たしました」
列の連中は、わけがわからずぼう然としているものもいたが、だいたいはむっつりと黙っているか、変な笑みを浮かべているか、そのどちらかであった。
私はどうしてこうなったか、列に並ぶ同士、同僚、同胞に、大声で問い詰めたい気分が沸き起こってきた。
そうはいかないので、とにかく一体どこから、この報告書が漏れたのか考える。
石綿にヤットサン、平岡と、容疑者は多い。そういえば東郷も、俺の拠点に出入りしたことがある。もちろん、河井出くん側で漏れた可能性も考慮に入れた。・・・この場合は、考慮に入れてもこちらではまったく対応ができないのだが。
有馬さんが言葉を続ける。
「この『大報告書』については、上層部も注目している。僕からも、その協力している隊員一同も含めて、良いように計らってくれるよう言っている」
当事者でありながらもっとも当惑している私にも、ここでようやく、このことがどういう「効力」を発揮しつつあるか理解し始めた。
私は、この場にふさわしい言葉を、搾り出す。
「ここに並んでいる全ての人が、自分の仲間であります。一人でも欠けると困ったことになります。組織としての、最大限の便宜を計っていただけるのなら、術士として望外の喜びであります」
有馬上級次席が「うむ」といい、周りから再びの拍手が起こる。私は素早く目をめぐらせ、真っ先に拍手を始めたヤツを探す。そいつが今回の「悪事」の中心人物だと検討づけたからだ。
・・・・ダメだ、数が多すぎる。
「後日正式に、上田一般には今回の『大報告書』作成の指揮をとるよう、辞令がでるだろう」有馬上級次席が言った。「そのつもりで、準備しておいてくれ」
※ ※ ※
報告書が明るみになった出所についてわかった。原因は二つだ。
どうもヤットサンが意図せずに流したのを、石綿が発見したようなのだ。
ロウランドには、自分が使用するパソコンが電子的に故障して、内部データが破壊されたときのバックアップのため、「クラウド」というネット上の倉庫みたいなところにデータを預けるサービスがある。私はそんなサービスを利用していないし、知りもしなかったのだが、アプリについていろいろ知識をつけていたヤットサンがこれに目をつけ、「気を利かせて」その「倉庫」にパソコンのデータを丸々送信したようなのだ。
そして、少々違法な方法で私や同僚のパソコンを「観察」していた石綿が、私の「私的な報告書」のデータを発見する。ちょうどストライキの最中で、本国と高等統帥部への弁明に使えると判断し、今回利用したそうだ。
「あなた、危なかったですね。もし私以外の術士に見つかっていたら、えらいことになっていましたよ」
「あの報告書は、いくつか削除されている部分があるのだけど、あんたが削除したのか?」
「いいえ。もし何か削除する必要があるシロモノなら、そもそも公表なんて危ないマネはしませんよ。こう見えても仲間は大事ですからね、リスクは犯せません」
疑問は残った。そして、疑うべき部分もあるにはある。
が、とりあえずは信じておくことにする。そもそもロウランド勤務を志願した時点で、あらゆる危険を引き受ける覚悟はついている。
とにかく、報告書のまずい部分が明るみにならなかったのは、不幸中の幸いである。
今や、私的な報告書が公的な報告書になり、私がその指揮をとることになった。
君への私的な報告書については、これからも書き続ける気はあるが、どうなるかはわからない。今書いている分だけは、送るが。
河井出くんよ、君もこの報告書が明るみにならないよう、十分気をつけてくれ。特に今回送付分は、「もう一人の私」の秘密について扱っている。――ばれたら、身の破滅だ。
私も、報告書が公にならないよう細心の注意を払う。
それで、この書き物に関して、一つ決めたことがある。
「女の私」にも、この報告書の存在を知らせようと思うのだ。
私は彼女を、今後協力者として向かえるにあたって、友好関係とまでは行かないまでも協力関係を築きたいと思っている。
そのためには、何よりも「自分が異世界人」だと信じてもらう必要があると考えたわけだ。
だから今から、この報告書のデータと儀人のヤットサンを連れて、彼女に会いに行く。我々の世界についての詳細を話しつつ、この報告書、そして儀人という実物を提示するつもりだ。
これだけ証拠があれば、自分の身に何か尋常じゃない事態が起きているとは、理解してくれるだろう。
もしも彼女が私なら、頭は悪くないはずだ。
3月13日 私を理解してくれると信じて記す
幼なじみ 河井出良太郎様
幼なじみ 上田祐司より
解説:とても正確で、でも不正確な報告書
この報告書は術士の上田が赴任直後から書き始め、同僚の河井出に送ったものであることは初めにも触れた。この解説では、彼の人と「なり」についてちょっと紹介したい。
彼はやせ型で少し筋肉質な体型をしていて、どこか浮世離れした雰囲気があった。それは、俗世間から浮かんだ世捨て人のような雰囲気でなく、一種の厳格なモラリストとしての、哲学を持っていたがゆえの、距離感だった。
年のわりにはかなりの博識で、好奇心も旺盛。自分の中に断固としたルールを持っていたけど、冗談やバカらしいことも好き。戦争と、術士としての教育で、ちょっとひねくれていたものの、基本的には素直な人柄。
そんな彼が書いたのが、報告書だ。
結論から言えば、この報告書をロウランド人の中では真っ先に読んで、その制作者から直接に話を聞くこともできたわたしの読後の評価は、あまり高くない。
彼の文章は(ところどころの上から目線に目をつむれば)凝っていておもしろく、また各場面ですばらしい洞察力とすさまじい文章力を発揮している。事実を淡々と書いているところでも、妥協のないリアリズムで、読んでいて教訓にすらなる。他人の観察はことさら巧みで、「ああ、こんな人、わたしの周りにもいる」と思わせたり、時には自分自身にもグサリとくる。
でも、個人的には、あまり高い評価はできない。
それは彼が、「目に見える現実」を、忠実に書きすぎたからだと思う。その裏にある事情や原因に対して、いまひとつ文章が及んでいないから、共感はできても「どこか違う」と、反発してしまう。
例えばふらぐに対する全般的な描写。上田はいっさいウソを書いていないのだろうけど、彼の手にかかれば、単なる「こまったちゃん」も、陰険な性格破綻者にしたてあげられてしまう。もう一つ例えれば、ロウランドのテレビ番組に対する描写。上田は誠実に、義憤さえ抱いてこき下ろしたのだろうけど、じゃあなぜそのような番組が「淘汰」を生き残っているかまでは、突き詰めきれていない。
なまじ文章力があって、悪いところばかりを抽出して書くと、多少良いところをちょっと挿入しただけでは、まったく間に合わず悪ばかりになってしまう。
経済学に、「合成の誤謬」という言葉がある。ひとつひとつの事柄は正確でも、それをあわせた結論は、まちがってしまうというものだ。
実は上田は、この「合成の誤謬」が自分の報告書でも起こっているらしいことに気づいてはいた。けれど、あえてなおそうとはしなかった。彼はモラリストであり、向こうの世界では古い政治体制を打ち倒した「闘士」の一人であり、同じく古い体制の「ロウランド」を、多少悪しざまに書いても良いと、考えていたふしがある。
だからどうしても、主観と思い込みから逃れられていない部分もあるし、またとんでもない間違いや勘違いも出てくる。
それをふまえたうえで読めば、この報告書はきっと生きていくうえでのすごい参考になると思う。
わたしがこの報告書と、そして彼自身から、非常にたくさんのものを得たように。
上田さち(S-ueda)




