報告書1
※始めに
この報告書は盗んだものだ。作成者はこの世界の調査員にして工作員、そしてわたしの殺し屋にして、無二の親友だった。
彼から聞けた情報は、それほど多くはなかった。
彼はまず、わたしを殺しにやってきた。そして少しの会話で「親友」になり、すぐにそれを越える「半身」となった。
彼は自分のことを、「ハイマート」から来たと言っていた。ハイマートから、わたしたちの住む世界「ロウランド」に、調査に来たのだと。
ハイマートはいわゆる平行世界で、わたしたちと同じ地球であり、ごく近年まで、同じ歴史を歩んでいたそうだ。
歴史の違いは、自分たちの世界とは他に、異世界があると自覚したことだった。
ハイマートでは、「平行世界」への対応を巡って世界的な全面戦争が起き、とくに日本では大地震と新興宗教のテロが重なって、それまであった議会制民主主義が打倒され、「術士」と呼ばれる新たな指導者階級による、少数寡頭制が敷かれたのだった。
術士たちは、度重なる戦争と人類全体の危機を、軍国主義と哲人政治によって乗り切ることを目指した。
ダーウィンの進化論とフロイト精神分析学を人間に徹底的に適用することによって、これまであった旧来の政治体制や慣習、迷信、それらの社会的弊害を打倒するのを目標としていた。
一般術士である上田が、わたし達の住むこのロウランドに赴任してきたところから、報告書は始まる。
報告書の原文は、ロウランドに「術士」として派遣された上田から、同じ術士でハイマートにいる河井出という人へ出された、A4サイズの横書きの冊子だ。報告書と上田は呼んでいるが、実際はロウランドでの日々をつづったエッセイに近く、しかも身内に送ったものだから、一人飲み込みならぬ二人飲み込みの部分も大変多い。
ただ、彼らの世界の状況と考え方、ロウランドへのあこがれと軽蔑、実施されるかもしれない「侵攻作戦」の意図は、十分読み取れると思う。
この報告書をこうやって暴露するのは、別に世界の危機への警鐘というわけではない。わたしだって、まだ半信半疑なのだから。信じてもらえないことはわかっている。
ただ、こうゆう世界もありうると、受け入れてもらえるとは確信している。
その「受け入れ」が世界の世界に対する「抗尽性」になることを願います。
読み進める便宜として、彼との交流で得た知識に基づいて、「報告書の内容が始まるまでの経緯」を「あらすじ」に挿入した。また文中のむずかしい字にルビを振り、毎回の報告書の終わりに「註」を設けた。そして、元々無題だったこの報告書に「術士上田の私的報告書」と名付けた。
報告書1
知っての通りこの世界の情報は許可なく伝えられないことになっている。でもこうやって、こっそり報告書として送る。いわば正規でない私的な報告書だ。正規の報告書というのは、嘘とは言わないまでも我々のイデオローグ的な誇張や曲解がどうしても含まれる。この書が君の「ロウランド」理解の一助になることを願う。
ハブを抜けた先はある島だった。無人島なので我々にとって大変都合がよい。防諜上の理由で私的でも詳しくは話せないが、ただ、フェレスとの戦争中に我々が軍事基地として接収した自然公園の一つだとは言っておく。この平行世界では、自然公園のまま存続している。
我々の世界の細菌を持ち込まないための厳重な消毒を施されたあと、ロウランドで調達された衣服に身を包む。二~三日この世界で食事をすれば、すっかり体の内部までロウランド人になる。
それから2、3の注意事項を受け、自分の付き人となる儀人を確認した。無菌ポッドの半透明ののぞき窓から見ると、人口へその緒がかすかにゆれているのが見えた。
彼女はまだ眠っている。デリケートな兵器なので、これから徐々にロウランドの大気を注入して、馴れさせるのだそうだ。合流は約一ヵ月後になるだろう。
船で本土に渡る。釣り船に偽装した20トンぐらいの小型船で、注意事項で言われたとおり、原住民の船とすれ違うとき怪しまれないよう手を振った。相手もふり返してきた。
海峡の光景はすばらしい。機雷の心配がないため、大小たくさんの船が南北に行き来している。撃沈された船からもれる油や鉄くずもまったくなく、太陽の光を反射した海が白波を立てている。
上陸後、すぐに電車での移動となる。
まずはJR和歌山駅に寄り、構内の自販機でジュースを買う。「白浜ハブ」を通ってくる調査員は、ロウランドに来た記念にこの自販機でジュースを買う習慣になっている。ミーハーではないものの、念願のロウランド勤務である。少し浮かれてもよいだろう。ちなみに値段は、500ミリのペットボトルが160円、缶ジュースが130円だ。
世界の第一印象は臭いが違うということだ。同じ現代日本のはずなのに、名状しがたい雰囲気が違う。事前講習では全般的に劣った世界だと説明を受けていたが、「差異」は覚えても「劣位」は感じ取れない。
窓からの風景はすぐに印象に残らなくなった。
電車が都市部を通ったり遠ざかったりするたびに、スーツの中年、週刊誌を読む老人、イヤホン(ウォークマン?)を耳につけた若い男や女が現れ、また降りていく。この世界ではパズルゲームが大流行しているらしく、多くの個体が新型のゲームボーイと思しき携帯ゲーム機を左手にのせ、右手の指で操作している。
詳しい理由はわからないのだが、車内アナウンスが携帯電話の電源を切るように呼びかけていた。おそらく、ロウランドの電車は戦争による技術革新がないから性能が悪く、携帯電話ごときの電磁波で故障する可能性があるのだろう。
長時間移動ののち、予定通りJR大阪駅構内で同志 石綿と合流する。
石綿は先んじて着任し、ロウランドの偵察と新任調査員の取りまとめをしているのは、赴任前に話したとおりだ。
大変奇妙なことに、この世界では戦争がなく、空襲後の新規建築など起こりようもないのに、再開発と称して我々の世界と非常によく似た設計で大阪駅が立て直されていた。天井までガラス張りのきれいな建物である。
着任祝いとして石綿が町並みを案内してくれる事になった。
町並みは大変不快である。選挙中らしく、我々の政治体制ではほぼ根絶された選挙ポスターや選挙カーが我が物顔で町を汚しているのは精神衛生上大変よくない。
コンビニには我々の検閲官が見逃さないであろう新聞が並び、パチンコやゲームセンターの数がやたら多い。適切な収容所を欠いているらしくホームレスがいる。風俗や売春は計画的に公営化されておらず、野放しである。巡査はサブマシンガンを携行しておらず、治安の面で心配だ。
男は徴兵の洗礼がないため猫背気味の貧相な個体が多く、女の格好はけばけばしい。特に中年の、太った女のずうずうしいパーソナリティは群れて歩く姿を見ただけでわかる。我々の世界では、「華美、デブ、中年」と三つも弱点を持っていたら外はまず出歩けない。
正規の報告書にあるように、ロウランドは異世界の隣人(我々)を自覚しておらず、したがって戦争も革命も起こっていないことが改めて思い知らされた。
若い男が携帯電話をいじりながら歩くという器用なマネをしながら、当然のようにポイ捨てをしていた。
「美しくはありませんが、ある種の活気はあるでしょう」石綿はそう評した。私には意味がわからない。
同志は長いロウランド勤務で原住民の毒気に当てられたのかもしれない。
観察が一区切り付いたところで喫茶店に入る。
将校用や術士用でない、普通の喫茶店にもかかわらず、本物のコーヒーが出てきたのはうれしかった。
ここで石綿からこの世界での身分について説明を受けた。
・我々は大学生であり、二人して四月から一回生として兵庫の大学に通う。
・我ら二人は友人同士である、しかしさほど親しくない。
・大学生として日常に溶け込みつつ、この世界の習慣、風習、技術力を、比較精神分析学及び進化哲学の精神を持って徹底的に調査する。
「僕らのまだ見ない指揮官はシュタイナー主義者のようですね」辞令書と共に、入学先のパンフレットとシラバスを渡された。テーブルの上に置かれたスティックシュガーが、代用でない本物かどうか舐めて確認する作業が邪魔される。
「物質的豊かさはすぐ慣れますよ」同志石綿は笑った。
「それで俺は見つかったのか?」私は質問した。俺というのは、こちらでの俺のことである。
もう一人の自分は速やかに抹殺されなければならない。
世界に私は二人も要らない。
「まだです」
「俺と俺の鉢合わせは勘弁願いたい」
「でもいつかは会う羽目になる」
「噂どおり、自分で自分を殺すのか。まずくないか?」
「逆に好都合ですよ。ばれても怪談になる。僕はそうやって自分を殺しました」
彼のなんとも言えない困った顔が、印象に残っている。私は続ける。
「タイミングが問題だ。例えば大阪駅の人混みの真ん中でばったり会っても殺せない」
「そうゆう時は自分発見を喜ぶんですよ。相手は他人の空似としか思わない」
まあもちろん、最初の遭遇での殺害が望ましいですけどね、と同志はつけ加えた。
石綿が財布を出そうとしたので、おごらせてくれるよう頼んだ。炒ったドングリや乾燥タンポポではない、本物のコーヒーに報いたかった。
「ごちそうさん、おおきに!」そう言って、福沢諭吉が描かれた一万円札を三枚、机に置いて席を立つ。
店を出たところで、石綿に咎められる。喫茶店の支払いを万札でするべきではないとのことだ。
「余分な代金をチップとして施したつもりでしょうが、悪目立ちします」
ここはハイマートではないので、支配階級的な振る舞いは慎むようにと注意された。
「あと、貼り紙や観葉植物を、いちいちもの珍しそうに眺めるのも感心しませんね」
「以後気をつける」
とにかく、配置先になる大学と、あてがわれる「拠点」へ案内されることになった。
私鉄(この世界では全線国営化がなされていない)に乗る。大阪と神戸、二つの百万都市を結ぶ電車で、人も多い。特に若い乗客が、先ほども見たゲームボーイを潰したような平べったい機械をしきりに右手の人差し指でつついているのが印象的だった。
「あれがロウランドの携帯電話です」同志の衝撃発言。
「まさか」携帯電話というのは普通、ボタンがついていて、二つに折れるのが常識である。「テトリスでもしてるんだろう」
「すぐに信じるようになりますよ」
大学の最寄り駅に着く。改札を出てすぐにバスターミナルが広がる、中程度の規模の駅で、かろうじて田舎ではないという雰囲気をかもし出していた。ただ背後におわん型の山があり、自然は近そうだ。
歩いて10分ほどの位置にある学校の偵察をする。
大学の構造は我々が知るものとほとんど変わらない。すなわちいくつかの棟があり、食堂があり、売店がある。違いは細部で、壁に政治的スローガンや宣伝が貼っていない、芝生が食糧増産用の畑に変えられていない、屋根の上に国家の緑化助成金目当ての花壇がある、などだ。
我々の世界でこの大学は相術学の研究所になっている、と同志から説明を受けた。
「俺に偽装した組織の誰かが代わりに合格してくれたわけだな」
「おかげであなたは試験を受ける手間は省けた」
とにかく四月から仕事とはいえ大学生活を満喫できるわけである。学生生活半ばで、兵士に志願した自分としては、ありがたい。
組織によってあてがわれた住居は大学から三十分ほど歩いたところにあるアパートだ。目の前を川が流れており、あのお椀方の山と、その背後の六甲山系がよく見える。
道中に「100円ショップ」なる興味深い店があり、後で来店することにした。
このような特殊な店をのぞけば、町並みは我々にも見慣れた無国籍風の住宅地である。この世界でも電力供給が不安定なのか、ソーラーパネルを屋根に設置した家が複数ある。川の脇の遊歩道ではジョギングするお年寄りがいて、ドバトがエサをねだっている。遠くで焼き芋を売る声が聞こえる。
平和である。
新たな我が拠点には何もなかった。
不動産屋に用意させたときのままの、空っぽの空間なのだ。
これからあてがわれた予算内で家具を買いそろえるのだ。
雨戸をあけ、外の光を取り入れる。ベランダに、先住民の残した植木鉢が転がっている。部屋はキッチンのついた七畳一間で、ユニットバスが玄関のすぐ横にある。
これが、ロウランドでの私の家であり、組織の「第110号拠点」の現状だった。
支給されたノートパソコンを、部屋の真ん中にぽんと置き、コンセントをさした。文書作成ソフトを起動させる。これでとりあえず、着任の報告書は書ける。
「いやあ、これであなたも小さいながら、一つの拠点を管理する男になったわけですね」石綿が茶化す。
「そのいくつかある拠点をたばねている男が、よく言う」そう言い返してやった。
とにかく、拠点に今後必要なものを考える。このパソコンはまだ外部との接続がなされていないので、通信のためには電話線と「モデム」という装置がいるし、ファックス機能が付いた電話も必要だろう。書類を保管する鍵つきのキャビネットに、それに報告書を書くに当たって、国語辞典(特に広辞苑)も欲しい。
そう思っていたとき、玄関からノックの音がした。
言うまでもないことだが、ロウランドに訊ねてくるような知人はいない。
まさかもう入居を察知した、宗教が勧誘にやってきたか? それとも、反体制派のテロリスト?
「おそらく配達でしょう」あれこれ思案していたら、同志石綿が声をかける。
なんでも業者に「時間帯指定サービス」とかいうのがあって、例えば2時から4時の間に、指定した住所に的確に荷物を届けてくれるらしい。
平和で燃料の制限がないロウランドらしいサービスだと思ったとき、もう一度ノックが鳴る。
「自分が出ましょう」
立ち上がり、腰のホルスターの留め金をはずそうとしたが、そもそも銃の携帯が許されていない世界だと思い出した。思わず手がわきわきと動いた
ドアののぞき穴で確認する。平凡な市民を思わず強盗に駆り立てそうな、ひょろ長くひ弱そうな配達員が、ダンボールを抱えている。
ドアをあけた。
「郵便です」と、原住民の配達員は言った。
一抱えあるダンボールで、伝票には届けるべき時間帯と「衣類」と書かれている。ダンボールは丈夫で、持ってみただけで上質なことがわかった。
「ごくろうさまです」
配達員を引き取らせると、さっそく中身を開ける。一番上に独裁者テネルファウトの有名な言葉、「人民は指導者を欲する」と書かれた紙が入っていた。
石綿の説明によると、この荷物は術士の手によるものですよと、わかる人にはわかるように主張しているらしい。まわりくどい上に必要性が感じられないやりかただ。
独裁者のお言葉の下からは、「UNIQLO」と書かれた袋が出てきた。
「・・・ウニクロと読むのかな?」
おそらくアメリカかイギリスの企業だろう。袋の中身は綿100パーセントの下着が2セットで、質は良さそうだ。おそらくネオカースト制度に耐えかねて亡命したインドの職人さんを、「自由と平等」の名のもとに安く働かせているに違いない。
「それはユニクロと読みます」同士が注釈をたれた。
「ははん、わかった。英語の苦手な日本の企業だな」私は合点した。「正しい発音がよくわからなかったのだろう」
「しかしその会社は、日本を代表する多国籍企業ですよ」
「学がなくとも、世界に進出できる世界か」
ダンボールには他に、春物と思われるリネンのシャツとカーゴパンツが一つずつ、そして寝袋が出てきた。
これが組織から与えられる、とりあえずの支援物資だ。
「では勉強をお願いします」
同士石綿から、受験用の問題集と赤本が手渡される。
これから大学に通い始めるまでの期間、大学にいて怪しまれない程度の学力を身につけるのだそうだ。
もう大学に受かっているはずなのに、その大学に受かるレベルの受験勉強をするのは妙な気分だった。
三月三日 桃の節句
天白相術団所属一般相術士 河井出 良太郎 様
同志 上田 祐司一般相術士より




