ホワニタマニ
平岡俊は夢見る受験生!
夢の中でだけ会える女の子に名前を教えると、ひどく驚かれた!
ホワニタマニ
「最近寝不足か? さっきもあくび連発してただろ」
塾の休憩時間に博也が振り向いて言ってくる。
「どうせエロ動画でも見過ぎたんだろ」
「違うよ」
エロ動画には似て非なるものかもしれないが……せめて、勉強で徹夜したんだろと言って欲しいものだ。
「ちょっと、大丈夫? 本当にそんなことしてたの?」
千絵の声にギョッとした。どこから聞いていたんだ――。
「勉強で徹夜したならともかく、エロ動画なんか見て寝不足なんてありえないんだから」
女子の口から「エロ動画」って聞きたくなかった。周りの奴らにも聞こえるくらいの声だ。
「バカ、千絵、そんなことするわけないだろ。っていうか、声デカイよ」
女子だっているのだ――。
二人とも手や服の襟で顔を隠そうとするが、それに何の意味もない。
視線と呼ばれる銃弾は――かわせるはずがないのだ。
「それより、千絵こそどうしたんだよ。いつもは休憩時間に来ないのに」
だから男同士の馬鹿な会話ができるのだ。
「どうしたもこうしたもないわよ。明後日の予定を決めに来たの」
明後日? 12月24日か……。
「ああ、サンタの誕生日の前夜祭か」
「サンタじゃねーだろ。神様だろ」
「そんなのどっちでもいーの。せっかくのクリスマスイブなんだから、パーと行こうよ」
千絵はそう言って両手を大きく広げるのだが、男子二人は机に頬杖をついたまま応じる。
「塾があるのにどこにパーっと行くんだよ」
「そうそう。終わってからどこも行くところなんてないだろ」
二人にそう言われても千絵は負けていない。
「塾が終わってから喫茶店行こうよ。小さなケーキとジュースで乾杯ってどう?」
ああ、それなら別にいいか。女子が考えそうな可愛らしい発想だ。
最初に卒業旅行と聞いた時は、千絵の大人びた発言にドキッとしたのだが、ケーキとジュースで乾杯と聞くと、普通の女子らしくて安心する。
「いいんじゃないの。それくらいなら」
「ああ、僕も大丈夫だ」
少しくらい遅くなっても親は心配などしない。
「じゃあ決まりね。24日は私も1時間早く終わるから」
「え? いいよ別に、待ってるぞ」
博也がそう言うが、千絵は首を横に振る。
「いいのいいの。この寒空の下で二人の男子を待たせるほど私はいい女じゃないから――」
そう言って視線をそむける……のだが、
「うん。同感」
「そうだな。いい女じゃないよな」
二人の男子は遠慮ない。
千絵の言葉は自虐ネタにしか聞こえないのだ。片方の口をヒクヒクさせ、心ない男どもの話を聞いている。
「――ちょっとは否定しなさいよね!」
「ハハハ、冗談、冗談」
笑い声がチャイムの音でかき消されると、千絵は特進の部屋へと走って戻った。
「何か、プレゼントでも買っとくか?」
博也の提案なのだが、正直――僕は何を買っていいのか分からないし、買う暇もない。
「ん~。ああ、任せる。千円くらいまでならカンパする」
「了解」
二人からのサプライズって言えば、千絵も喜ぶだろう。
博也が的外れな物を買ってこなければの話だがな……。
夜中の一時には参考書を閉じて寝る準備をしていた。
受験生にしては早い方だと怒られるかもしれないが、ベッドに入って眠りにつくまでの時間を逆算すれば、……仕方ないのだ。
睡眠不足なのが信じられない。時間だけで考えれば十分過ぎるほどとれている。
深く息を吐いてリラックスして目を閉じる。
ああ、眠りに落ちていくのが分かる……。
今日も……タイミングはバッチリだ……。
『なんで風呂ばかり覗きにくるのよ』
「知らないよ」
タイミングがばっちりなのは話さないけど、バレているかもしれない。
「昨日、あれから何度も呼んだのに、何も聞こえなかった?」
『ええ。多分……あなたが目を覚ましたら駄目なのよ。そっちからだけの片側通行って何か不平等ね。損した気分だわ』
そう言いながら少し足を出して、足の指を何度か動かすのを見ると、お互いの視線が通じ合っていることをさほど嫌がっていないように思える。
僕のことを「あなた」なんて呼ばれると、眠りがどんどん浅くなる恐怖感があった。
「君の名前を……聞いていいかなあ」
『嫌よ。自分の名前も言わずに私の名を知りたいなんて』
遠まわしに僕の名を知りたがっている?
「あ、そうだな。ごめん。僕は平岡俊。君の名は?」
『はあ? ヒラオカシュン? 寝言は寝て言いなさいよ。私が聞きたいのは、あなたの名前よ』
聞いていなかったのか?
「だーかーら、平岡俊だってば!」
手の平が口元に素早く運ばれた――。
『う、嘘でしょ? あなたの名前がヒラオカシュン――?』
そんなに驚く事を言ったつもりはない。……実はこの夢が未来の夢で、彼女が僕の娘だったりしちゃったら驚くかもしれないが……。
『そんな夢のような話、この世にあるわけないじゃない』
――全否定された。
「夢のような話って言うけど、そもそも夢なんだからいいんじゃないか?」
矛盾したことを言っている。
「じゃあ君の名前は何だよ。教えてくれるんだろ」
驚きを隠せないのが分かる。
『え、ええっとごめん。私の名前はホワニタマニ』
「んん~。ホワニタ……何だって? それ本当の名前じゃないだろ」
日本語を何の違和感もなく話している。目の色も髪の色も分からないが、日本人の親か親族がいてもおかしくないはずだ。
もしかして、今のは笑うとこ?
『本当よ。マニって呼んでくれたらいいわ。それよりこれは凄い発見よ』
マニ……か。
喋り方や態度に比べて、なんとも可愛らしい名前だ。
可愛らしく「マニ~」って呼んであげたい。
『――今、私はこの星以外の星に住む宇宙人間と話しているんだわ』
――この星以外の宇宙人間?
それは僕のことなのか?
『ええ、そうよ。ヒラオカシュンなんて発音する名前どころか、物すらこの星に一切存在しないわ……』
――!
マニの話の最中なのに、――目を覚ましてしまった!
ホワニタマニ……確かに聞いたことのない名前だが、世界中を探せばどこかにあるかもしれない。
でも、平岡俊がマニの星にないというのが、夢なのに……夢のくせに、なぜか現実味がある。
百歩譲って、夢が正夢になるくらいかと思っていたが、――違う星だって?
――そんな馬鹿なことがあるはずない!
――信じられるものか!
第一に、日本語を上手に喋っていただろ。他の星の宇宙人が同じ言葉を喋るはずがない。
第二にだ。宇宙で別々の進化を遂げて、足の指が五本。手の指が五本。――人間に進化する確率なんてゼロだ!
第三に……現実と夢がごちゃごちゃになって焦るほど、僕は勉強し過ぎてない!
「マニに、騙されているんだ。絶対に。彼女は……」
彼女は……何者だ。
僕の夢の住人?
理想の女性像?
名前を聞いておいて悪いのだが、夢が現実に近づいていくのは、恐怖にしかならない。
――ああ、バカバカしい!
もう、眠れない。
今日は睡眠不足を少しでも解消しておきたかったのに……。
『驚いたね』
「? ……ああ」
……?
何でまたマニと話しているんだ僕は! すぐにまた眠ってしまったのか?
驚くことに慣れ過ぎて、鈍感になっているのだろうか。
『でもありえるわよ。人間、二人いれば新しい星で繁殖できるんだから』
「そんなの昔話だろ」
アダムとイブが宇宙からやってきた人間だった……。あり得ない。
『一日24時間。酸素濃度は20%。気温は0~40℃。重力は9.8。そんな星を探して二人ずつ宇宙船で送りこんでいる人間の星があるかも知れないでしょ。何千年、何万年も前から』
人間の好奇心や他の物を得たい欲望の強いところなんかを考ると、……あるかもしれない。
現に、僕は今、のぼせてマニが風呂を上がるのを心待ちにしている。……野心の塊ではないか。
「でも、なぜ言葉が通じるんだ。日本語だろ」
『私が声で話していないからよ。あなたの世界では古めかしい声でないと意識疎通できないんでしょうけど、私達は情報伝達する術があるの』
そんなバカな。テレパシーとでもいいたいのか?
『うーん、それね、テレパシーかな』
考えたこともおおよそ伝わってしまいます……。
せっかく楽しい夢の中で、思想の自由を奪われるだなんて!
『他にも色々わかるのよ。スマホなんてあったらテレパシーまで進化できないでしょうけれど』
「勝手に探りを入れるなよ! プライバシーの侵害ってのはないのかよ!」
ちょっと怒っていた。
『じゃあ目を閉じるとか、紳士的な配慮はないわけ? 毎日毎日、狙ったように覗きに来てるくせに! のぼせちゃうでしょうが!』
うわ、逆ギレ……?
確かに、僕の方が悪いことをしている気がする。
慌てて目を閉じようと思ったのだが、……ここは夢の中……もうすでに閉じているじゃないか。目を閉じようがない。
『あ、なんだ、そうか、私が閉じればいいのか』
初歩的なことを見落としていたようだ、
すうーっとマニの姿が消えた。
「マニ!」
『何よ』
一瞬、目を開きかけてまた閉じられた。
『あぶないあぶない。その手にはのらないわ』
いや、つながっているか確認したかっただけだ。
シュルシュルと体を拭く音が逆に妄想をかきたてる。
ブワーとドライヤーのような音がしたと思うと、目の前に扉が見えた。マニが目を開けたのだろう。
『……まあ、いいのかな。会えるはずのない遠い宇宙の人に顔や体を見られるくらい。どうせ十年も経てば……』
急にマニの声と、目の前の扉が消えていく。
起きてしまうわけじゃないのに……。
『俊!』
マニ!
僕の声は出ていなかった。
起きるわけではなく、そのまま深い眠りについていった。
僕の名を呼ぶ声だけが、何度もこだましていた。
なんで見えなくなるんだよ。
……いいところだったのに……。
「おい俊、お前、彼女でもできたのか?」
塾で博也にそう言われ、驚きを隠せなかった。
マニの綺麗な足と、僕の名を呼んだ声が頭にこだまする。
「――できるわけないだろ。塾と家との往復を繰り返しているのに、一体いつそんな暇があるんだよ」
塾の階段を上りながら、そう答える。
「だよなあ。じゃあおばさんにちゃんと言っとけよ。なんか夜中に部屋から話し声が聞こえたから聞いといて欲しいって言われたんだからよ」
「会ったのかよ!」
博也は昔から何度か家に遊びに来ていたから母もよく知っている。
「ああ、さっきすれ違った時に、ちょっとちょっとって呼ばれて――」
母のパート先は、博也の家の近くのスーパーだ。塾に来る時に何度かすれ違ったと前にも言ってた。
「心配してたぜ。彼女にうつつ抜かして勉強に身が入らないんじゃないかって」
千絵が無言で階段を上がるのが、……なんか怖い。
せめて一緒に茶化して欲しい。
「ただの寝言だって」
「ああそうかい。じゃあマニって子の夢でも見てたんだな」
「えっ!」
驚きの声を上げると、千絵が足早に階段を上がった。
下着が見えてしまわないかが気にかかる。大丈夫。見えなかった。二人して確認していた。
「誰なんだよ、マニって。おばさんが言ってたぜ。」
「し、知るかよ。夢の話なんてそうそう毎日、覚えてないだろ」
早足で階段を上がる。
「……怪しい。日本人なのか?」
「勘ぐるなって」
前に夢の話なんて口走らなければ良かった。
千絵もなんか……怒っていた。誤解してなければいいが。
明日のクリスマスイブはどうなるのだろうか。
……意外にも千絵は気にしていなかったみたいだ。
休み時間に三人で話ができたからだ。誤解していたわけじゃなかったようで助かる。
「じゃあ明日はちゃんと家の人に少し遅くなるって言ってくるのよ」
「分かってるって」
「それよか、千絵こそ大丈夫なのかよ。頑固親父なんだろ」
門限とかに厳しいと聞いたことがある。
「大丈夫。いつも帰る頃には夢の中、布団の外だから」
布団の外?
「寝相わりーんだな」
まるで子供みたいだ。
『温度が大事って気づいたの。だからお風呂でだけ繋がるのね』
夜中の2時。マニと話すのが日課になっていた。
「そうなのか?」
『昨日もそれで切れたでしょ』
そうだ。驚いたわけでもないのに。
「これでやっと僕がただの覗き魔じゃないって確証がとれたわけだ」
『スケベだけどね。私の世界にはいないほどの』
なんか――僕なんかを地球代表と思われると、マニの世界ではすごい誤解をされてしまうのではないだろうか。
『ところでさ、クリスマスって何?』
「いや、話すと長くなるぞ」
またのぼせるぞ。
『話さなくても考えるだけでいいわ』
赤鼻のトナカイをか? それだけしか考えなかったのに……、
『なんとなく分かったわ。子供っぽいことで楽しそうね』
「悪かったな」
『そうだ、私も明日、プレゼントあげるわ』
「どうやって?」
もし顔や裸を見せてくれるって言うなら……一番嬉しいかも。
――はっ! 今のは嘘! 聞かなかったことにしてくれ――。
『野蛮。じゃあね明日をお楽しみに〜さよなら』
目を閉じられると何も見えなくなり、次第に眠りに落ちてしまう。
ああ、クリスマスイブが楽しみだなんて、何年ぶりだろうか……。
まるで、夢なのに、夢のようだ……。