ファーストキス
平岡俊は夢見る受験生!
俊が図書館を出ると、……メガネをしていない千絵が待っていた。
ファーストキス
次の日も図書館へと足を運んだ。
ありきたりの辞書や宇宙誌を小声で読んで聞かせるのだが、どれもこれも同じようなことしか書いてなかった。
『これくらいのことならナガツキでも分かっているわ』
「ああ。もっとこう……発想の転換が必要なんだが……」
手がかりなしか。
どんな本を読んでいいのかすら分からなかった……。
図書館を出て昨日と同じようにコンビニへ行くと、待っていたかのように千絵がいた。
遠くから千絵の姿が見えていたはずのに、近づくまで僕は千絵だと気が付かなかったのには、理由がある。。
――その日の千絵はメガネではなく、コンタクトにしていたからだ。
「俊君がメガネしてない方が可愛いって言ったからよ。サンタさんにお願いしちゃったの」
サンタさん? ……親に買ってもらったのだろうが……、
『俊……そんなこと言ったの?』
言ってない。千絵にそんなこと言った記憶がない。
「……そんなこと言ったっけ?」
博也にはそんなことを言った覚えがあるような……ないような。
でも、たしかにメガネじゃない方が可愛い。印象がパッと明るく見える。
あまりマニといる時に千絵と会いたくなかったのだが……。
これから塾に行くまでの間、他に行くところもなければ、することもない。
千絵と二人でベンチに腰掛け、コンビニで買ったサンドイッチを食べた。
博也は歩道橋の上を通ったりしないから安心だ。
――僕と違って博也は、道路交通法を無視して車道を自由自在に走る危ないタイプなんだ――。
……って、別に博也に遠慮なんてしなくてもいいのだが。
マニがいるのを気にしていたわけではないのだが、……普段の会話すらできなかった。
静かに二人並んでサンドイッチを食べていると、……なんか気まずい雰囲気がただよう。
歩道橋を歩いている人達は、僕達のことをどう見ているのか気になってしまう。
さっさとサンドイッチを口に詰め込み、ペットボトルのお茶で流し込むと、塾に行こうかと立ち上がったその時、千絵の顔が自然に近づいてきて、
唇に唇をそっと合わせてきた――。
――!
突然の出来事に……あっけにとられて立ち尽くしていた……。
「エヘ、今日も頑張ろうね」
少し頬を赤くして可愛く手を振ると、小走りで歩道橋の階段を降りて行ってしまった。
マニは何も言わなかった……。
「……やばいとこ、見られたかな?」
そう小さく呟いたが、返事はなかった。
……マニはもういなかった。起きてしまったのかもしれない。
熟睡してしまったのなら……その方がよかったのだろうが……。
千絵にキスされた話なんて、博也にできるわけがなかった。
明日からは図書館に行くのをやめよう。どうせ情報は得られない。深刻な目をしていたのかも知れない。それかため息を連発していたのだろう。
急に博也が振り返って、何かあったのかと聞いてきた。
「いや、何もない!」
「あ、そう。ならいいけど、お前さあ、最近隠し事が多くないか?」
「別に何も隠してなんかいないさ。そんな暇もないし――」
「だよなあ。毎日勉強ばっかりだもんなあ。嫌になるぜ」
……博也はそんなに鋭くなくて……助かるのだが、話題を少しでも核心から遠ざけたかった。
「博也、もし……もしもだ。もしも太陽が大きくなって、地球が滅ぶとしたら、人間はどうすると思う? どうやって絶滅を防ぐだろう」
「宇宙船で、逃げるんじゃね?」
質問の意図もそっちのけで、即答してくるのが凄い。
「宇宙船以外でだ。もっと具体的で、できそうな方法は?」
「まるでSF映画だな。知るかよそんなこと。映画の見過ぎじゃねえのか。羨ましいくらいの余裕だな」
「いや、映画なんてここ数年見てないが……」
……映画か。
マニ達ナガツキの人は現実重視だから、SF映画やアニメとかを作ったりしないのかもしれない。
地球人の方が、もしかすると想像力は豊なのかもしれないなあ。映画か……気付きもしなかった。調べてみる価値はありそうだ。
……明日は塾の帰りにレンタルショップでものぞいてみるか……。
いつもと同じ時間。夜中の2時に寝たのだが、マニは風呂に入っていなかった。
それでも視線がつながるということは、義眼の電源を入れている。……つまりは僕と話そうとしてくれているのだが、
何と言っていいのか分からず……。
「昼間は……」
『野蛮ね』
「……ごめん」
向こうが勝手にしてきたんだ。僕は千絵とキスなんかしたかったわけじゃない。
――言えなかった。
『信じられないわ。凄いショックだったんだから。こんなに泣いたの、……ノアの日以来よ……』
今でも泣き声が聞こえてきそうな声だった。
鏡に顔を映していないのは、見られたくないんだろう。
今日は会ってくれないかと僕も怖かった。
「僕は、……どうしたらいいんだ」
マニのことが好きだ。
大好きでたまらない。愛していると言っても過言じゃない。
――でも、こんなに会いたいのに会えない。
十年後にはいなくなってしまうかも知れない。
愛おしくてたまらないのに、僕は……一体どうしたらいいんだ……。
『謝ってよ』
「さっきから――謝ってるじゃないか」
謝ってマニが機嫌を治してくれるのなら、百回でも謝るさ。
『私にじゃなくて、……千絵ちゃんに』
「――えっ?」
千絵に? ごめんって?
マニはそれで僕の本当の気持ちを―――確かめたいのか?
『確かめたいんじゃない! 千絵ちゃんのこと、好きじゃないのに、それをちゃんと俊は言っていない。だから千絵ちゃんはどんどん俊のことが好きになっていく』
声が大きく聞こえる。マニの気持ちがどんどん入ってくる――。
『俊も千絵ちゃんのことを好きならいい――! でも、好きになれないなら、ちゃんと謝って気持ちを伝えないと、千絵ちゃんが可哀そう』
――千絵が――可哀そう?
……考えたこともなかった。
高校に入って、千絵が僕のことを好きなのかもと……うすうす気付いていた。
僕は千絵のことを好きになれそうになかったけど、そんなことを千絵には……言えなかった。
言えるわけがなかった――。
好きになれそうじゃないなんて言ったら、……千絵が傷ついてしまうじゃないか。
『だからキスされて、一緒に旅行するの? 千絵ちゃんはどんどん俊が好きになる。それなのに、俊は自分の気持ちは放ったらかし? 千絵ちゃんだって俊の気持ちが聞きたいはずよ。テレパシーなんて使えないんだから』
そうさ。地球人はテレパシーなんか使えない。
だから本音と建前とをうまく使い分けて――嘘で塗り固めて野蛮な生き物に進化していくんだ。
ナガツキの人は心を隠すことができない。感情が高まれば、それを隠すことができないのかもしれない。思ったこと、自分の気持ちを人の気持ちも考えずにズバズバ言ってくる。
だから長い歴史を築いて――進化を続けてこれたのだろう……。
『そう……。だからあとは……俊の問題。俊が自分で解決しないといけない問題』
すっと暗くなっていく。マニが義眼の電源を切ったのだ。
僕の問題か……。
解決しなければ、マニとは話せないな。僕はマニに嘘をつけないのだから……。
「ごめん、千絵。実は僕には他に好きな人がいるんだ」
次の日、図書館を出てくる千絵にそう明かした。冷たい風が吹きぬける。
今日も天気は嘘のように快晴だった……。
「やだ、――ちょっと俊君、どうしたのよ? もしかして、昨日のキス……本気にした?」
大きな瞳が下から僕のバカみたいな真顔を覗きこんでくる。
「――えっ?」
クスクスと笑いだした。
ショックを受けて驚いた顔をしているのは――僕の方だった!
「キスってほどのことじゃないでしょ。勉強がしたくなるおまじないだったのよ――」
な、なんだって! おまじない――?
僕にとっては……ファーストキスだったのに!
千絵は――そんな軽いノリでキスができるのか――!
唇と唇だったんだぞ――!
「私だって、俊よりいい人見つけるんだから――大学に行ってから」
大学に行ってから……?
それって博也はアウトオブ眼中ってことなのだろうか……。
僕に背中を見せたまま背伸びしながらそう言ったかと思うと、気付いたように振り返った。
「あ! でも、卒業旅行は三人で行くんだからね。それだけは譲らないわよ。もう予約だってしたんだから」
なんか……ついていけない感がした。
いや、ついていけていない……これは劣等感だ――!
「あ、ああ。分かってる」
「じゃ、先行くね。ちゃんと勉強しないといけないわよ!」
「ああ、それも分かってるって」
三人で卒業旅行に行くんだからなあ。
大きくため息を吐き出すと、一月の冷たい空気で肺をいっぱいに満たした。
――なーんだ。
――僕やマニが心配するようなことじゃなかったのか……。
実は千絵が強がっただけなのかもしれないと考えたかったが……僕が好きなのがどこの誰か聞きもしなかった。
おかげで助かり、スッキリもしたのだが、……何なのだろうか、このやるせない気分は!
ひょっとして僕だけが一人で勘違いしていただけなのだろうか……? 僕って……そんなに思い込みの激しい奴?
でも――まあ、とりあえず一件落着か。
こっちは……。
塾の帰りに、レンタルショップに寄り、映画やアニメのコーナーを片っ端から見て回った。
昔の旧作。一体誰が借りるというのだろう。DVDではなく、VHSのビデオまで置いてある。パッケージがかなり色あせている。
どれもこれも今では現実味のないものばかりだ。それでもここに置いてあるということは、……昔は流行っていたのだろう。
「グッバイ木星……?」
一つのビデオが目に入った。
信じられないくらいダサいネーミングの映画だ。寒気すら覚える。手に取るのもおぞましい。触るとホコリがつきそうだ。
ただ……、
木星って確か……、太陽になり損ねた惑星と聞いたことがある。
図書館では木星のことは調べていなかったが、たしか……水素とヘリウムが圧縮されているガス状の惑星だ。
もし……惑星ナガツキの近くにも木星のようなガス状の星があれば、火を点けて進ませて……、歪んだベテルギウスに衝突させ、質量を一気に増やし、超新星爆発を誘発できないだろうか――。
運が良ければ超新星爆発後に、ペテルギウスは小さな中性子星になり、最低でも数百年は輝き続ける。
――だが、超新星爆発って一体どんなものなんだ? もしかしたら、惑星ナガツキごと吹っ飛ぶ大爆発なのかもしれない。
それに、逆に質量が増え過ぎてベテルギウスがブラックホールなんかになってしまえば、光は届かなくなり、いずれはその膨大な重力に飲み込まれるのは避けられない。
やっぱり駄目だろう……、
……かと思ったが――、
――地球では不可能としか考えられないような机上の空論でも……ナガツキの進んだ科学力なら、何かの糸口になるのかもしれない。
超新星爆発や中性子星についても観測データーや研究がされているかもしれない。
マニに話してみよう。
僕が思いついた星を掴むような無謀な計画を――!