エロい夢
平岡俊は夢見る受験生!
冬休みに入り、エロい夢を見るのだが……それが全ての始まりだった。
エロい夢
宇宙船ノアが2度目の全出力に――失敗した。
計算上では2度目の全出力で重力圏外へ脱出を果たすはずだった――。
51あるロケットエンジンのうち、8番エンジンが失火するのが地上からも観測されていた。
8番エンジンに燃焼器圧力振動が発生し急失火すると、船体は軌道から外れ、その途端、直射日光にさらされ船体温度が数千度まで急上昇。
赤熱、炎上、――爆発。
大型宇宙船ノアの大事故――突如十万人もの命が宇宙に消え去った――。
一年くらい前に見た……ただの夢なのに、
恐怖で今でもその光景を思い出す時がある――。
夢とは脳の記憶が法則なく思い浮かぶようなものとしか考えていなかった。
直射日光にさらされただけで炎上? 意味が分からない……。
所詮は夢と思いこみたかったのだが――、テレビ中継のような生々しい映像が印象的で、近い将来、必ず起こりうる予感がした。
色もない白黒のかすれた夢だった。
一度見ただけなのに、そういった怖い夢はずっと記憶に残ってしまう。
忘れようと思っても忘れられない。
――それに比べて……?
今日はなんて幸せな夢を見たことだろう――!
なんか……エロい夢だった。
女性が湯船につかっているじゃないか……。
それで2つ、膝だけが湯船から頭を出していて……。
チャプン、チャプンと音も聞こえる。
なんか幸せ……過ぎる。それなのに……ああ、覚めてしまう……。
幸せな夢って、二度寝しても途中から追っかけ再生できないのが残念でならない――。
――ああ、残念だ。
「おはよう」
「おはようって……、今何時だと思っているの。もうお昼よ。いくら受験勉強で夜更かししても、寝過ぎたら意味がないでしょ」
睡眠時間を削って勉強しなさいと解釈していいのだろう。
マンションのリビングで母は出掛ける準備をしながら昼食を準備してくれた。
「チキンラーメンだけど、卵落とす?」
「ああ、落として」
「ネギは?」
「いらない」
別に嫌いなわけじゃないが、刻みネギをわざわざ冷蔵庫から出して、しまうのが面倒だろうと拒否した。
「じゃあ仕事に行くから、食べたら食洗機にセットお願いね」
「ああ」
「それと、ちゃんと塾に行くのよ」
「わかってるって」
テーブルに小さな鍋の蓋が乗ったままのどんぶりを置くと、椅子に掛けてあったコートを羽織りながらリビングを出ていった。
流し台には朝食と母の昼食で使った食器が置き去りになっている。これを食洗機にセットしてスタートボタンを押すのは僕の仕事だ。
レンジの上に置いてあるやかんから麦茶をコップに注ぎ、テーブルにつくと、まだ1分30秒くらいしか経っていないチキンラーメンを食べ始める。
カリカリの食感とほとんど生卵の黄身が絶妙にマッチするのだ。
食事の片づけを適当に済ませると、自転車で寒空の下へと走り出た。
僕は平岡俊。
高校三年の冬休みに入り、受験戦争の戦地へと送りこまれた。まさに最前線ってやつだ。
本来の徴兵制度よりはマシなのかもしれないが……いやはや「戦争」ってところは真意をついている。
なんせ、長い人生がこの短期間にかかっているのだから――。
立ち並ぶビルとビルの間を走り抜け、街で一番大きな歩道橋を渡る。
『自転車は降りて押して通行して下さい!』
そんな立て札……誰も守ってなどいない。階段横のスロープを立ちこぎで上りきることができる。
塾の駐輪場に自転車をとめると、二人の同志が声をかけてきた。
中村博也と西川千絵。通信兵か衛生兵みたいなものだ。
二人は頼もしい戦友である。今日も進学塾と呼ばれる戦地で、夜まで激しい戦いを繰り広げないといけない――!
「通信兵って俺のことかよ!」
「私が衛生兵なら、俊君は何兵なのよ? 屯田兵?」
トンデンヘイ?
昨日かその前くらいに習ったはずだが、……どんな階級だったか忘れた。
「まあ……そのトンデンヘイでいいや」
千絵が吹き出している。
「いざ、今日も進学塾に現れる模擬テストを叩きのめしてやるぞ!」
「「おおー!」」
二人は同じ高校の友達で、成績は僕よりも……ちょっと上とちょっと下。どちらがどうとまでは言わない。
「しかし、まいるよなあ。せっかくの高校最後の冬休みだっていうのに……。塾ばっかりじゃ遊ぶ暇もないからなあ」
塾の階段は声がよく響く。
「せっかくのクリスマスも正月も全然楽しくなさそう。あーあー、せめてサンタさんがプレゼントでも持って来てくれたいいのになあ」
千絵のサンタって誰だ? 親か? それとも密かに恋人でもいるのだろうか?
「ちなみに、プレゼントって何が欲しいんだ?」
別に探りを入れているわけではない。二人にはそれが分かっている。答えを聞いて分かる。
「センター試験の問題と解答!」
「大学入試の試験問題と解答!」
問題だけでは満足せず……解答までも要求するのが僕達三人の出来の悪さを物語っている。思わず笑ってしまう。
「じゃあ俊は何が欲しいのさ!」
「そうよ! この後に及んでプレステ4とか言ったらドン引きだからね」
「ええー! じゃあ……えーっと、彼女とかでもドン引き?」
実はプレステ4……欲しかった……。
彼女なんかより欲しかったのだが、今日見た夢のせいで、ついそう口走ったのかもしれない。
「彼女? だったら千絵でいいじゃん。衛生兵なら怪我も修復してくれるぞ!」
「ちょっと、やだ、何言い出すのよ!」
千絵は少し顔を赤くして博也をバックでベシベシ叩く。
「いてっ、いいじゃん、どうせ大学に行ったらみんなバラバラになるんだからさあ。いてっ、思い出作りに無理やりでも付き合ってみたら? いてっ」
「そんなことにうつつ抜かしてる奴らが大学滑って取り残されるのよ。合格しなくちゃ恋愛もゲームもやってる場合じゃないのよっ」
「うーん。確かに千絵の言うとおりかもしれない。今この大事な期間に、恋愛やゲームをやって大学にもし落ちたら……、人生が大きく変わる」
恋愛はともかく、ゲームがない冬休みに大きなストレスを感じていた。浪人すればこれが一年続くと思うと、もう生きていけないかもしれない。
「いい加減にやめてくれよ! バックの中に水筒入ってるんだろ、ステンのやつ! めちゃくちゃ痛いって」
千絵の手がパタリと止まった。
「ああ、そうだった。何か鈍い音すると思ったらこれだったのか」
バックの中から、おおよそ1リットルは入る銀色の水筒が頭を出している。これで叩かれていた博也が今はちょっと心配になった。
「――とにかく、しっかり勉強して、三人で卒業旅行に行くって約束したんだからね。気合い入れて勉強するのよ!」
そう言い残して千絵だけが特進の部屋へ入っていくと、僕と博也は千絵とは別の部屋へと向かった。
ホワイトボードに講師が走り書きしながら読み上げていくのを、膝をついてぼーと眺めていた。
一月 睦月 むつき
二月 如月 きさらぎ
三月 弥生 やよい
四月 卯月 うづき
五月 皐月 さつき
六月 水無月 みなづき
七月 文月 ふみづき・ふづき
八月 葉月 はづき
九月 長月 ながつき
十月 神無月 かんなづき
十一月 霜月 しもつき
十二月 師走 しわす
……こんなもの覚えても、試験に出なかったらただの無駄じゃないのか?
フア~っと大きくあくびをしたら、真剣に睨みつけられてしまった……。
休憩時間に入り、夜中に見た夢の話をしていた。
「はあ? なんだよお前、それって夢の話かよ?」
「ああ、何か凄くエロくてさあ。女子が風呂入ってるのが――夢と思えないぐらいリアルだった」
人に夢の話なんてされたくないのは分かっている。時間の浪費だからだ。でも、そんなくだらない夢の話でも博也とはできる仲だ。
……て言うか、受験勉強ばかりしているから、そんなくだらないことしか話題がないんだ!
「エロ動画の見過ぎじゃないか?」
――そういう質問をされると、なぜかドキッとするのだが、
「うーん、否定はできない。なんせ、塾から帰って部屋でまた勉強なんか、できるわけがないからな」
「やっぱ、俊もか。それでだけどよ! すげえサイト見つけたんだぜ。海外の怪しいサイト」
「え、ちょっと教えてくれよ」
必死にスマホを出す僕は、むっつりスケベだ。女性に嫌われるタイプだろう。
周りに女子がいるのを博也は気にしていた。
「焦るなって、ここじゃまずいから帰ったらメールしてやるよ」
「ああ、絶対だぞ。風呂入って忘れたとかはなしだからな」
「分かってるって。……そういえば……」
博也はいっそう顔を近づけてきた。
「千絵のスカート短くなってきたよなあ。冬だっていうのに」
よく観察している。褒めてやりたい。
「……だよな。塾に来るだけなのに、あの短さはないよなあ」
ジャージ姿の女子までいるというのに、千絵は最近になってヒラヒラとしたスカートを履いて来る。
塾の階段を千絵の後をついて上がるのがささやかな楽しみだ。
「何か、異性として意識しちゃうよなあ」
「ああ、あれで性格と顔が良くて、もう少し背が高くてメガネ外したら可愛いかもしれないなあ」
博也は口をあんぐり開けて聞いていたが、
「……それって、ほぼ全否定じゃないか?」
「ん? そう……なるのか?」
深くため息をつく。
「お前なあ。ちょっと自分がいい男で、身長も180センチと並々ならぬ幸運の持ち主だからって、いい気になってると、いつまでたっても彼女なんかできないぜ」
「いい気になんかなってないって。ただのスケベだし、勉強もできないし。僕が言いたいのは、見てくれだけで近づいてくるような女子って苦手ってことで……」
ワナワナしている?
「もし、僕の顔や姿を見なくても好きだって言ってくれるような女子がいたら、付き合うかも……」
「だったら、相手にも顔が良くてとか、背が高くてなんて要求するなよ! ……千絵が可哀そうだろ」
チャイムの音で最後の方が聞き取れなかった。
何か、博也は怒っていた気がしたが、僕がどうこうすることじゃないだろう。
――本当は気付いていた。博也が千絵に気があることを。
でも千絵はそれに気付いていない。どちらかと言えば僕の方に気があるのかもしれない。
――でも、僕にはその気がない。
いつまでも友達関係を保ちたいから、三人とも気付かないふりをしている。
二人が付き合えばいいと思っているのに……。
この世には、思いどおりになることなんて、ほんの一握りもありはしないのだ。
「お疲れさん」
「ああ、じゃあまた明日な」
9時過ぎに塾を出ると、辺りは真っ暗だった。吐く息は白く、空には星空が輝いている。
自転車にまたがるとサドルが冷たくて立ちこぎしかできない。博也はすぐにコンビニへと入って行った。いつものことなのだが、一時間遅い千絵を待っているのだ。
帰る方向が同じといって、いつも一緒に帰っている。千絵のことが心配なのだろう。博也は本当にいいやつだと思う。
僕にはそんなにまで大切にしたい人なんていなかった。
星空を見上げると、オリオン座が大きく姿を現していた。
北東七星やカシオペア座よりも……他のどの星座よりも輝いていた。