プロローグ
――ご主人様、ご主人様。起床の時間になりました。
とても心地の良い、柔らかな声で起こされる。
このような声で毎朝起こしてもらえる人間は幸せ者だろう。
まだ半分も起きていない頭でそんなことを考える。
しかし、ここで一つ疑問が湧きあがった。
今、起こしてもらっているのはいったい誰なのか。
少なくとも僕ではない。
僕は一人暮らしのはずなのだ。
24歳のこの身にはとても似つかわしくないようなやけに大きな館に一人ポツンと住んでいる。
私を起こすような人間はいないはずだ。
それならば、目覚まし時計の声か?こんな声の目覚まし時計買ったかな。それとも昨日飲みすぎて誰かの家にでも泊まったっけか。
いや、きっと幻聴だ。朝起こしてくれる人が欲しいという願いから生まれた幻聴――――。
「ご主人様。本日は公爵様との会談が予定されています。目を覚ましてください、ご主人様。」
「公爵様……そうだった!」
僕は公爵様という言葉に飛び起きた。そうだ、今日は公爵様との会談がある日。気持ちよくまどろんでいる場合ではない。
「おはよう、セラ。今は何時だい?公爵様との会談は何時からだっけか?」
僕は僕を起こしてくれた少女に話しかける。
「おはようございますご主人様。今は8時06分です。公爵様との会談は正午からを予定されております。」
セラと呼ばれた少女は質問に的確に答える。
「そうか。起こしてくれてありがとう。しかし、人に起こされるっていうのもなかなかいいものだね。」
「いえ、それが私の仕事ですから。朝ご飯も出来ていますので、準備ができましたら食堂へお越しください。」
そう言い残すと彼女――セラは僕の寝室から出ていく。
「そっか、セラが来てもう3日も経つんだな……」
そんな独り言をつぶやく。
セラは僕の専属のメイドだ。本来、メイドなんて雇うつもりはなかったのだけれど、あれよあれよといううちにこの家で一緒に住むことになった。
新しい主人である僕の頼みに嫌な顔一つせず、とても慣れた手つきで淡々と仕事をこなすとてもよい子だ。
「僕もいい加減、セラとの生活に慣れなくちゃいけないな。」
そんなことを考えながら僕は食堂に向かうことにした。
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「ごちそうさま。セラの作る料理はいつもおいしいね。」
朝食を食べ終えた僕はセラに話しかけた。
「ありがとうございます。ご主人様の口に合ったようでなによりです。」
セラは皿を洗う手を止め、こちらに向き返って礼を言う。
「そんな、おいしい料理を食べさせてもらっているんだ。お礼を言うのは僕の方だよ。
それに、わざわざ作業をやめてお礼なんて言わなくて大丈夫だからね。適当にお皿洗いながら聞き流してよ。」
「ですが、それではご主人様に失礼かと思い……。」
「いいのいいの。僕は元々主従関係とかそういうのあんまり得意じゃないしさ、折角だから仲良くやろうよ。」
「善処いたします。」
「うん、期待してるよ。」
このやり取りも形を変えながらも3日目である。
僕はあまりガチガチの主従関係のようなものは好まない。だから、セラにも立場があるとはいえ普通に接してほしいのだ。
そもそも僕はご主人様と呼ばれるような人間でもないし。
そんなことを考えながら公爵様との会談の準備を始めたのだった。