『悪』者たちのささやかな晩餐
サークルの「ご飯」をテーマにした合同誌に寄稿したものです。
近所の繁華街は、今日が金曜日であるからか、普段よりも賑わっている。
彼女もそこを歩く一人だった。黒のニット帽にグレーのパーカー、ジーンズにスニーカーと、目立たない格好である。
呼び込みの声や焼き肉の匂いの中、彼女は視線を走らせる。そして、前方に外国人らしい親子の後ろ姿を捉え、彼らに狙いを定めることにする。
彼女の趣味は、スリである。
現在、彼女は中の下の私立大学の二年生になったところだが、特にやりたいこともなく、こうして時々スリを働いている。今日は掏った金で晩ご飯と酎ハイを仕入れ、DVDをレンタルし、家でだらだらしようという計画である。
見失わないように、数メートル先の二人を観察する。右側の父親らしい男性は、背が高くがっしりとした体つきをしている。髪は茶色で、上は長袖のチェックのシャツ、下はベージュのチノパン。獲物の財布は、右の尻ポケット。左側には、息子と思われる小柄な少年。鮮やかな金髪、白いシャツ、サスペンダー付きの黒い半ズボン。十中八九、観光客だろう。罪悪感が湧かないわけではないが、もう慣れてしまっている程には、スリを繰り返してきた。
深呼吸を一つ。男性に近づいて行く。左手の指を財布にかける。軽く相手にぶつかると同時に財布を抜き取り、素早く自分のパーカーのポケットに入れる。あとは、そのまま通り過ぎるだけ――
「お姉さん」
ぎゅ、と腕を掴まれる。
「ボクたちから盗ろうなんて、いい度胸だね?」
ざわめきの中、はっきりと耳に届く声。
『バレた』『どうする?』などと考えるより先に、振り向いてしまった。
自分の胸の辺りに位置するその顔は、まるでドールのように整っている。ぱっちりとした大きな目は、自然ではあり得ない紫色。ニコリと笑みを向けられて、一瞬背筋が寒くなる。
「え? あ、財布……」
どこかのんびりした様子で尻ポケットを探る男性の目も、よく見ると暗い紫色をしていた。
――どうしよう。
今までスリがばれたことはなかったし、ばれた時のことを考えたこともなかった。しかし、警察の世話になることだけは回避したいので、とりあえず財布を返すことにする。
「……ごめん。ほんの出来心だったの」
まだ掴まれたままの左手をポケットから出し、財布を渡す。
「それだけ?」
が、少年は手を離さず、受け取りもしない。
「ボクが今ここで、『この人、ボクたちのお金取りました!』って叫んだら、お姉さん困るよね」
「は?」
――何、この子。脅してるの? 私を?
そして今更ながら、随分日本語が流暢な外国人だと思う。
「……何が言いたいわけ」
「だからね――」
「二人共」
突然、男性が割り込んでくる。
「ここ、通行の邪魔になってるし、場所を変えた方がいいよ」
「そうだね。じゃ、お姉さんこっち」
意外に強い力で引っ張られ、近くにあった喫茶店に入ってしまう。
「いらっしゃいませ。何名様ですか?」
「三人で」
後から入って来た男性が言うと、彼女たちは奥の席に通された。彼女が壁側、少年がその隣、男性は向かいに腰を下ろす。
「ご注文が決まりましたら、またお声掛けください」
店員が去っていくと、少年はメニューを広げた。
「ねーお姉さん、どれが美味しいの?」
「知らないよ。それより、さっきの話」
「じゃあこのチョコバナナパフェっていうのにしよーっと。ベヘモットは?」
そう呼ばれた男性は、『僕はこのオムライス』と答える。
少年が店員を呼び、それぞれ注文する。店員が彼女の方を見るので、仕方なく一番安いホットコーヒーを頼む。
再び店員が見えなくなると、少年は口を開いた。
「取り引きしようよ。ボクたちはお姉さんをケイサツに連れて行かない代わりに、お姉さんはボクたちの言う事聞くの。どう?」
と、どう見ても小学生くらいの外国人の子どもが、流暢に脅迫してくる。しかし、彼女もいくらか落ち着いたので、言い返す。
「スリは現行犯以外で逮捕するのは難しいよ」
「でも、この財布がお姉さんのものっていう証拠がない。お姉さんが自分のものじゃない財布を持ってるっていうのが、一番の証拠じゃない?」
「拾ったから届けようとした、って言えばいい」
「ボクたちが盗まれたって言ってるのに?」
「それは無理だと思うよ、マモン」
意外な所から助け舟が出た。
「だって、この財布は本当は僕たちのものじゃない。中を見られたらすぐ分かるよ」
「あ、そっかー。これ、その辺で盗ったやつだっけ」
「は?」
衝撃の事実が発覚した。
――こいつら、同業ってこと?
相手が子ども役に気を取られている隙に、父親役が盗る。考えてみれば、ありそうな手だ。
「だから、これは取り引きとかそういうの関係なく頼みたいんだけど」
と、ベヘモットというらしい男性が続ける。
「ここの人間の家庭料理を教えてほしいんだ」
「家庭料理? 何で?」
いきなりの申し出に戸惑う。
「僕、何ていうか……そう、料理研究家で、お寿司とかすき焼きとかそういう有名なものは、ひと通り食べたし覚えたんだけど、普通の家ではどんな料理が食べられるのかはまだ知らないと思って」
「そんなの、調べて自分で作ればいいじゃん」
「うーん、調べ方とかよく分からなくて」
「普通にスマホで検索すれば?」
「持ってないんだ。その、スマホっていうの」
「だから、それももらっとこうって言ったじゃん」
少年マモンが口を挟む。
「でも、どうせ使い方とか分からないと思うし……」
彼らがどこの国から来たのかは分からないが、情報機器にはかなり疎いようだった。この様子ではネットカフェを勧めても、きっと知らないと言うだろう。
「そういう訳で、教えてもらえると嬉しいんだけど」
あくまで丁寧なベヘモットと、
「嫌って言うなら、ボクたちこの財布持ってこのまま店を出るよ。お姉さん、手ぶらでしょ?」
脅迫の姿勢を崩さないマモン。さすが同業と言うべきか、自分の財布を持って来ていないことは見透かされている。
「……分かった」
渋々うなずくと、ベヘモットはほっとしたように、マモンは得意気に微笑んだ。
「お待たせしました。ふわふわ卵のオムライスのお客様」
店員がやって来て、オムライスのバターの匂いと、バナナの甘い匂い、コーヒーの香ばしい匂いが同時に漂った。
どうしてこうなってしまったのか。
隣を歩く謎の外国人二人を横目で見ながら、彼女は考える。辺りはもう薄暗い。
本当なら、今頃コンビニで買った夜ご飯を食べ酎ハイを飲み、映画を見ているはずだ。それが今持っているのは、スーパーで買ったジャガイモ、タマネギ、ニンジン、しらたき、安い牛肉である。
いつもなら成功しているはずだった。現に、今までばれたことは一度もない。これでも四年のキャリアがあるのだから。
中学生の頃から素行の良くなかった彼女は、いわゆる底辺校に進み、そこでも悪い友人とばかり付き合った。
ある日、仲間の一人が本職のスリを彼女らに紹介した。外見はただの冴えない中年男性だったが、実演を見ると、皆すぐに彼の技術の虜になった。頼めば、彼は快く自分の技を教えてくれた。彼女たちは互いに練習し合い、時には実践した。仲間内でも一番上手い自信があった。
――なのに、こんな子どもにバレるなんて。
「……あんた、何で私がスッたって分かったの」
「うーん、気配?」
無邪気な笑みを返されて、言葉を返す気をなくす。
「えーと、ベ、ヘ、モット、だっけ。あんたさぁ」
次は父親役に話しかける。
「自分はともかく、子どもにカラコンはやめた方がいいんじゃない?」
彼は一瞬きょとんとして、
「カラ、コン? よく分からないけど、どうしてだい?」
「そりゃ、目に悪いし。あと目立つよ」
「あ、やっぱり目立つかな?」
溜め息をつき、マモンに言う。
「ほら、やっぱり目の色は変えた方がよかったんじゃないかな」
「えー、やだよ。だって、ここの人間の見た目って地味なんだもん」
その言葉で、先程も喫茶店で感じた違和感の正体に気付く。
全体的にとても流暢な日本語を話すのに、単語の使い方が少し違うのだ。
「人間、って変。日本人って言いなよ」
「お姉さんもニホンジンも人間でしょ?」
「そうだけど、それだとあんたが人間じゃないって感じがする」
「そうだよ?」
マモンは当然というような顔をした。
「ボクたち、人間じゃないもん」
「あ、それ言うの?」
「大丈夫。どうせ信じてないから」
その瞬間、彼女の中の二人の位置づけが『日本語はペラペラだけどイタいスリの外国人』に決定した。
――面倒なのと関わっちゃったな……。
と、彼女の一人暮らしのアパートが見えてきた。家賃は三万円の1Kである。二階の角部屋が彼女の家だ。
そういえば、ここで暮らし始めてからまだ一度も実家に帰っていないな、と彼女は思う。両親と仲が悪いわけではない。互いにあまり干渉しないだけだ。それでも、彼女は一人で自由に過ごしたかった。一人暮らしがしたいと告げた時も、特に反対はされなかったし、たまには帰って来いとも言われなかった。毎月仕送りもしてくれる。それほど寂しくはないが、そろそろ一度帰ってみようか、などと考える。
ドアの前で『え、これって家だったの? 物置きかと思っちゃった』『調理場だけでこのくらいは欲しいよね』などと宣う二人を中に入れる前に、脱ぎっぱなしのパジャマと被っているニット帽をロフトベッドに放り、食卓の周りを何となく片付ける。
当然のように土足で入って来ようとする二人に靴を脱がせ、とりあえず部屋に案内する。
「色んなとこ勝手に触んないでよ。特にあんた。マモン、だっけ」
何せ彼らはスリである。注意はもちろん、しっかりと見張っておかなければならない。
マモンはブルーのラグの上に胡座をかき、きょろきょろと室内を見回して、
「触らないよ。ここ、価値のあるモノが全然ないんだもん」
非常に生意気なことを言う。
「まあまあ。普通の人間の家は、きっとこんなものなんだよ」
フォローに見せかけて、こちらもなかなか失礼である。彼女は溜め息をついた。
――さっさと作らせて帰らせよう。
とは言え、彼女も料理をよくするわけではないので、今から教える予定の肉じゃがの作り方など分からない。調べるためにスマホを起動し、まず何となくニュースを見る。この辺りで、OLが行方不明になったらしい。今月に入ってもう三人目だ。最初は小学生、次が高校生だっただろうか。物騒だなと思うと同時に、見知らぬ怪しい外国人を簡単に家に入れている自分に呆れる。
『ねーお姉さん、ボク暇なんだけどー』とぼやくマモンを無視し、『肉じゃが 作り方』で検索する。一番簡単そうなページを開いてから、使う道具や調味料を用意する。調味料といっても、本当に最低限しかないのだが。
「じゃあ、私が作り方言うから、あんた作って」
「分かった。よろしくね」
所詮1KのKである狭いキッチンに不満そうではあったが、ベヘモットはシャツの袖をまくり、『石鹸はこれかな』と台所用洗剤で手を洗った。
「ジャガイモは四等分して、水にさらしてアクをとる。ニンジンは乱切り、タマネギはくし切り。肉は一口大」
日本語の野菜の切り方など分かるのだろうかと思ったが、問題はない。彼は、驚くほど手際が良かった。ろくに研いでいない包丁でも、ストンストンと等分していく。
「すごいじゃん」
思わずそんな言葉が漏れる。
「料理、好きなんだ。食べるのも作るのも」
彼は手を動かしながら、少し得意気に微笑む。
「終わったら、鍋に油をひいて肉を炒めて、色が変わったら野菜を入れる」
ジャーッという音と共に、安い割に美味しそうな牛肉の匂いが漂う。少しして、綺麗に切られた野菜も投入される。
「ジャガイモの端が透明になったら水二五〇ミリリットルを入れて、沸騰したらアクを取って、だしの素を小さじ一杯、酒とみりんはないから……醤油と砂糖を少し入れて、落し蓋……もないから普通の蓋をして、十分から十五分煮る」
醤油が混ざるだけで、いっそう食欲をそそる匂いになる。間を取って十三分をスマホのタイマーでセットし、マモンが口を尖らせている食卓の方に腰を下ろすことにする。
「ねーまだー?」
退屈でご機嫌斜めなマモンがテーブル越しに足を伸ばし、胡座をかいた彼女の膝を蹴ってくる。
「やめてよ。あと十分くらいだから我慢して。っていうか、あんたたちさっきパフェとかオムライスとか食べたのに、今から肉じゃがとか食べれんの?」
「関係ないよ、そんなの」
「あ、そう」
彼らには呆れてばかりである。スリだし、二人そろって紫のカラコンなどつけているし、挙句の果てには『人間じゃない』などと言い出すのだから。
ふと、では彼らが一体どのような『設定』なのかが気になった。
「あんたさっき、自分たちは人間じゃないって言ってたけど、じゃあ何のつもりなの?」
天使のような愛らしい笑みを浮かべ、少年は答える。
「悪魔。つもり、じゃなくてね」
言われても、全くピンと来ない。
「何かのキャラとかじゃなくて、オリジナルってこと?」
「よく分かんないけど、マモンっていう悪魔はボク一人だけ。もちろん、ベヘモットもね」
「へー。あんたも悪魔なの?」
隣に座り、時折鍋を気にしている彼にも聞いてみる。
「うーん、今ここで『違う』って言っても、もう信じてもらえないよね」
「いやむしろそっちを信じるから。あんたもそこまでなり切って子どもに付き合って、大変だね」
「どういうこと?」
「ちょっと、ボク全然子どもなんかじゃないんだけど」
心外だという風にマモンが口を挟む。
「小学生は子どもだよ」
「言っとくけど、ボクお姉さんの五倍は長く生きてるからね。お姉さんよりもずっと色んなこと、知ってるよ」
一瞬、その不自然な紫色の瞳の奥に確かな年月を感じた気がして、そして同時にセットしていたスマホが震えて、彼女はドキリとする。
「出来てるかな」
のんびりと立ち上がったベヘモットに続いて、彼女も鍋の方へ向かう。
先程のページを開いて、続きを読み上げる。
「味を見て醤油と砂糖を足して、しらたきを入れて五分程煮る」
蓋を開けると、ジャガイモの匂いがふわりと広がった。彼が菜箸で刺してみると、良い具合に崩れる。その欠片を口へ運び、味を吟味し、彼は調味料を足してしらたきを投入した。
しらたきを煮ている間に彼女は食器を出し、温めるだけのパックの白米を電子レンジに入れる。
「あんたたち、箸は使えんの?」
「僕は使えるよ」
「ボクはフォークにして。そんな棒二本じゃ食べにくいもん」
「はいはい」
少しすると、ベヘモットが嬉しそうに『出来たよ』と知らせた。彼女はそれをよそい、ご飯と一緒にテーブルまで運ぶ。
大皿に盛られた肉じゃがはほかほかと湯気を立てていて、大きめのジャガイモにしなっとしたタマネギなど、どれもとても美味しそうである。時刻は七時半。お腹も空いている。
「いただきます」
と手を合わせたのは、ベヘモットだった。
「ここの人げ……じゃなくてニホンジンのこの文化、僕は好きだな。食べ物に感謝する、って大事なことだよね」
そう言われて、彼女も久しぶりに手を合わせてみる。マモンはというと、マイペースにフォークをジャガイモに突き刺していた。
初めて作ったとは思えない程、若干薄めの丁度いい味付けだった。
――今まで食べた中で、一番美味しいかもしれない。
「……美味しい。ほんとに初めて作ったの?」
「さすがベヘモット」
「気に入ってもらえたなら良かった」
しばらくは皆夢中で食べていたが、彼女は箸を止めて聞いた。
「ベヘモット、料理研究家って言ってたけど、シェフとかじゃないの?」
あの手際の良さは、素人の彼女からでも熟練した動きに見えた。趣味くらいでそこまで出来るとも思えないのだが、
「違うよ。ずっと食べるのが好きで、食べるために作るのも好きになった、って感じかな」
どうやら趣味のようなものらしい。
「ベヘモットは、何でも美味しく料理しちゃうんだよ」
口をもぐもぐさせながら、マモンが言う。
「人間でも、ね」
「え?」
「どんな生き物でも、調理次第で美味しく食べられると思うんだ」
箸を置いて、ベヘモットは語り出す。
「人間は、ちゃんと捌いて管理すれば、ほとんど全ての部分が食べられるんだよ。肝臓なんかは生でも食べられるし、頭部も茹でれば大丈夫。筋の多い腕とか足の肉は煮込んで、胴体は冷蔵して熟成させてから焼く方が良いかな。男性と女性なら、やっぱり柔らかい女性の方が美味しい。あと、若い方が良い。最近食べた中でも、小さい方が柔らかくて味も良かったし。今準備してる女性はちょっと細いから、硬いかもしれないなぁ。ニホンジンはもう十分味わったし、彼女はもういいかな」
『料理、好きなんだ』と言った時と同じ表情で。
「人間の前で人間を食べた話するなんて、ベヘモット性格悪ーい」
クスクス笑うマモンの声で、我に返る。
「あ、ごめん。人間は人間を食べないんだったね」
初めて、この二人に得体の知れない恐怖を感じた。一気に食欲が失せる。スマホで見たニュースが頭をよぎる。行方不明になった小学生と高校生は、まだ見つかっていないらしい。二人はきっともう二度と発見されないのだろう、と彼女は漠然と考える。
「……そういう設定、なんでしょ」
やっとそれだけ返す。そうでなければ、彼女は今とんでもない者たちと食卓を囲んでいることになってしまう。スリなどではない、もっと危険な者たちと。
「いいよ。そういう設定、っていう『設定』で」
マモンが嗤う。無邪気を装った悪魔の表情で。
「ごちそうさまでした」
ベヘモットは、何事もなかったかのように再び手を合わせている。その手で料理した食料に対する感謝を込めて。大皿に載っていた肉じゃがは、もうすっかりなくなっていた。
「……用が済んだなら、さっさと帰ってよ」
これ以上、この二人を相手にしていたくなかった。
「うん、一旦戻ろうか」
「そうだね。あ、お姉さん、何か書くものちょうだい」
不意にそう言われ、ロフトベッド下の机の上からボールペンとルーズリーフを取って渡す。
「はい、特別にこれあげる」
返された紙には、外見にそぐわない整った字で住所らしきものが書かれていた。聞いたことのある、この辺りの地名だ。
「ボクたちに食べられる予定だった、可哀想な女の人を救ってあげて?」
彼らの言うことが、どこまで本当かは分からない。
――一番マズいやつが、ほんとだったりして……?
背中を汗が伝う。
「あ、あとこれも」
例の財布をラグの上に放る。
「ここでしか使えないお金なんてボクには何の価値もないから、置いていってあげるね」
ただ、彼らが何者であろうと、この少年が生意気なことに変わりはないらしい。もう数百円しか残っていないだろうその財布を見やり、苦笑を浮かべようとするが、上手くいかなかった。
「肉じゃが、教えてくれてありがとう」
「バイバイ、お姉さん」
ガチャン、とドアが閉まり、静寂が訪れる。
渡された住所を見て、やはりきちんと話を聞かなければならないと思い、彼女はすぐに飛び出した。
彼らの姿は、もうどこにも見えなかった。
部屋には大皿、三人分のご飯、二膳の箸とフォーク、そして財布。つい先程までここにいた彼らの痕跡は確かにあるのに、今はもうどこにもいないような気がする。
再び住所をじっと見つめ、しばらく躊躇った後、『冗談であってほしい』と願いながら、彼女はスマホに一、一、〇、と入力した。
悪魔二人が人間界へ遊びに来た時のお話でした。悪魔らしさを出せていれば幸いです。