昔話から始まる、物語
悲しいエピソードで物語は始まります。でも、最後にはみんな幸せになります。いえ、絶対に幸せにしてみせます。
それは、むかしむかし。
おじいさん、おばあさんと暮らす少女、ウィロゥロォ。
三人が暮らすのは、山あいに建つ、小さな掘っ立て小屋。
とても人が住んでいるようには思えない、とても粗末な掘っ立て小屋でした。
雨の日は、ぽたぽたと小さな滴が落っこちて、欠けたお茶碗に入ります。
その度にピチャン、ピチャンと音がするのを、ウィロゥロォは飽きもせず眺めていました。
「ねえ、おじいちゃん。どうして雨粒は、こんなにきれいな音を奏でるの?」
「お空のずっと上、雲の中から旅をしてきたんだ。そして、ようやくウィロゥロォに逢えたのが嬉しくて、ウィロゥロォに素敵な声を聞かせたくて、ピチャン、ピチャンと歌うんだよ」
風の日は、家中がガタガタと震えて、あちこちにある隙間から、ぴゅうぴゅうと音を立てて風が入ってきます。
その度にウィロゥロォの綿菓子みたいな、ふわふわの髪の毛を揺らしました。ウィロゥロォはくすぐったそうにしています。
「ねえ、おばあちゃん。どうして風は、入ってきたと思ったら、すぐにいなくなっちゃうの?」
「それはね、ウィロゥロォ。とても照れやさんなの。ウィロゥロォに逢えたのが嬉しくって、あなたとじゃれ合うんだけど、やっぱり恥ずかしくて隠れちゃうの」
なにも無かったけれど、ウィロゥロォは幸せでした。
おじいさん、おばあさんと、幸せに暮らしていました。
でも大雨の年。ウィロゥロォは人柱として捧げられてしまいました。
まるでお日様がいなくなったような年でした。まっ黒な雲。毎日毎日、大粒の雨がざあざあと降ってきます。
もう、種をまかなければいけない季節です。でも、まいた種は洗い流され、ようやく出てきた芽も大きな雨粒に叩かれ、お日様を見ることなくしおれてしまいました。
川はゴウゴウと恐ろしい音で流れ、村や畑を、今にも押し流そうとしています。
「これは天の神様が怒っているに違いない。村の衆よ、神様に贈り物をするのだ」
えらい人がそう言いました。もう、食べる物も無くなってきていましたが、村人たちは神様にお供えするために、明日食べるものを持ってきます。
でも、いっこうに雨がやむ気配はありません。
「村の衆よ、もっと神様に贈り物をするのだ」
えらい人が、もう一度そう言いました。村人たちは、今日食べるものを持ってきます。
でも、雨は降り続いたまま。空はあいかわらず真っ黒です。
「村の衆よ、他のものを神様に捧げるのだ」
えらい人が、今度はそう言いました。村人たちは、いろんなものを持ってきます。もう、今日食べる食料もありません。
お金を持ってくる人、宝石を持ってくる人、畑を耕すための鍬を持ってくる人。何もないので、かまどの蓋を持ってくる人もいました。
でも、雨は降りやみませんでした。
「村の衆よ、これではみな飢え死にしてしまうだけだ。人柱を立てるぞ」
それは、誰かが犠牲になって、天の神様の怒りを鎮めるということです。
村人たちは、不安そうな顔でお互いに見つめ合います。誰だって、生贄になるのは嫌です。
「ええい、何をやっている。若い娘を神様に捧げるぞ。娘がいる者はいないか」
えらい人は怖い顔で怒鳴りたてます。子供がいる村人たちは首をすくめ、下を向いてしまいました。誰だって、自分の子供を生贄になんてしたくありません。
その時でした。村の外れ、ウィロゥロォが暮らす小屋が誰かの目に止まります。
いま、小屋にいるのはウィロゥロォだけ。おじいさんと、おばあさんは、ひもじい思いをするウィロゥロォのため、ずっと何も食べていません。今にも倒れそうでしたが、ウィロゥロォや村の人達に食べさせるものを探しに、山へと出かけています。
村人たちは泣きながら、おじいさんと、おばあさんを待つウィロゥロォのいる小屋に入っていきます。
そして彼女は、山の神となりました。
**
「おじいちゃん、おばあちゃん。ウィロゥロォね、西の風になったよ。だから、悲しまないで」
ウィロゥロォが山の神さまになり、雲の隙間からお天道様が顔をのぞかせました。
さんさんと降りそそぐ明るい光、鳥の鳴き声。
野には花が咲き、山には見たことのないような果実が実り、季節外れのキノコや山菜が村人たちのお腹を満たしました。
畑の作物はすくすくと育っています。
でも、おじいさんとおばあさんはずっと泣いたまま。
まるで、それまで降り続けた雨が、こんどは二人の目を借りて流れ続けているみたいでした。
村人たちは、とても後悔していました。
泣いたままのおじいさんと、おばあさんに、毎日食事を届けています。でも、二人はせっかくの食べ物がのどを通りません。
日に日にやせ細るおじいさんと、おばあさん。でも、ウィロゥロォを失った二人に、村の人達は何もしてあげることはできませんでした。
そんな二人を、風になったウィロゥロォは心配げに見ています。
「おじいちゃん、おばあちゃん。ウィロゥロォね、南の風になったよ。悲しまないで」
でも、ウィロゥロォのその言葉は、二人に届きません。ひゅうと隙間から入った懐かしいお家。おじいさんと、おばあさんに駆け寄った心地よい風が頬をそっと撫でますが、二人は寂しそうに下を向いたままです。
ある日、ウィロゥロォはおじいちゃんと、おばあちゃんの夢の中に入ることにしました。
初夏のさわやかな昼下がり、三人はお花畑で遊んでいます。おじいちゃんとおばあちゃんと手を繋ぎ、眩しそうに二人を見るウィロゥロォ。
「おじいちゃん、おばあちゃん。ウィロゥロォね、東の風になったよ。ずっと、いっしょにいるよ。だからお願い、悲しまないで」
次の日、二人は一口だけ、村人が運んできたご飯を口にしました。
その次の日、二人は二口だけ、村人が運んできたご飯を口にしました。
そうすると、山の神さまになったウィロゥロォがにっこりと笑う、そんな気がしたからです。
**
それから何年か後。
不作の年でした。えらい人が、たくさん実のなる作物を畑に植えるよう、村人たちに命令したのです。
でも、とっても寒い年でした。冬はとっくに過ぎているのに、日が沈むと息が白くなり、村人たちは震えながら夜を過ごしていました。
たくさん実のなる作物は、寒さにとっても弱かったみたいです。あっという間に、全部枯れてしまいました。
でも、村の外れに住むおじいさん、おばあさんは、たくさん実のなる作物を植えていませんでした。きっと二人のことは、えらい人も忘れていたのでしょう。
そのお陰で、二人の畑の作物は枯れずに育ちました。村の中で唯一、育った作物です。
でも、おじいさん、おばあさんはそれを全部、村人たちに分け与えてしまいました。みんな、とてもひもじそうで、黙って見ていられなかったのです。
何も食べる物が無くなってしまった、おじいさんと、おばあさん。
「おばあさん、この小屋にはもう、何もないですね」
「おじいさん、でもほら。ウィロゥロォが使っていたお茶碗がありますよ」
「そうだね。ウィロゥロォはこのお茶碗で、とってもおいしそうにご飯を食べていたね」
「私たちも、このお茶碗でお水を頂きましょう」
ウィロゥロォのお茶碗に水をそそぎ、ごくごくと咽を潤すおじいちゃんと、おばあちゃん。ウィロゥロォの笑顔が、まぶたの裏に浮かんできます。
「ウィロゥロォは、とっても優しい子でしたね、おばあさん」
「そうですね、おじいさん。笑顔を見るのが、とっても大好きな子でしたわ」
「それと、動物たちが野山を駆けていくのを、楽しそうに見ていたね」
「そういえば、このお天気では山の動物たちもきっと、お腹をすかせているのでしょうね」
二人が思い浮かべていたウィロゥロォの姿、少し悲しそうな表情に変わります。
「もう、私たちには何もないですね、おばあさん」
「そうですね、おじいさん。それも仕方が無いわ。でも」
「でも?」
「せめて、ウィロゥロォの笑顔をもっと、見ていたかったわ」
「そうだね」
その会話の後、二人は山の中へ入って行きました。
なめとこ山のクマに食べてもらおう、そう決めたのです。
どんどん、森の奥に進んでいきます。
二人、手をつないでいます。お互いに助け合いながら、険しい道を進んでいます。
でも、山のクマは出てきません。
「おーい、山のクマよ。達者でいるか。小グマは元気か。お腹をすかせているだろう」
声を張り上げるおじいさん。でも、クマは姿を見せません。
ちいさく、木霊が返ってきます。
「小グマは元気だ、腹はすいてるが、何とかなっている」
「小グマは元気だ、腹はすいてるが、山の神さまが、人を食べるなと言っている」
ウィロゥロォがきっと、おじいさんと、おばあさんを見守っている。
そう二人は、信じることにしました。
**
あちこち彷徨っているうち、いつしか森の中は真っ暗になっていました。
おじいさんと、おばあさんは、大きな木のむろに入り、肩を寄せ合います。
お腹がぐうぐう言ってどうしようもありませんでしたが、やがてウトウトとしてきます。きっと、歩き疲れてしまったのでしょう。
それから、どれくらい経ったのでしょうか、不意に二人は目を覚まします。
暖かい光が二人を包みます。小鳥がさえずり、こずえが風に揺れ、涼しげな音を立てます。
木のむろから出てきた、おじいさんと、おばあさん。
目の前に広がっていたのは、美しいお花畑でした。
黄色、白、青、赤、紫、そして黄色。あたり一面、可憐な花たちが群生しています。まるでパッチワークのように、どこまでも広がっています。
それは以前、ウィロゥロォが見せてくれた夢と、同じ風景でした。
「おばあさん」
「おじいさん」
二人は、そう言葉を交わすと、お互いに手を握りしめます。
とても穏やかで、幸せな気持ちでした。
ふと、二人は気が付きます。傍らに、小さな女の子が座っています。
「ウィロゥロォ?」
二人を見上げる女の子は、にっこりと微笑みました。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
それから数百回の夏至と冬至。それは満月の日でした。
一人の女の子が、山すその公園を歩いています。
しんとした月明かり。人影もなく、さっきまでの街の灯りや、駅前の雑踏はまるで嘘のよう。
でも、女の子は心細さを感じていませんでした。
いつもと違う風景に、心を躍らせていました。
やがて、二人の物語が始まります。
そう。これは、山の神さまになった女の子と、一人ぼっちだった女の子が出会う物語。