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長い長い夏休みが瞬く間に過ぎ去ったかと思えば、二学期最初の一週間はそれ以上の勢いで過ぎていった。
ナナは、彼女にしては非常に珍しく、協力的に積極的に学園祭の準備に取り組み、忙しく日々を過ごしていた。
しかしそんな最中にも朝霧遥のトラブルに首を突っ込む辺りが、ナナがナナたる証だ。
朝霧遥は勤続二年目の若手女教師である。かなりの美貌の持ち主で男子生徒からの人気が高い。女子は年が近いこともあって親しみや憧れを覚えている者もいれば、逆に嫌っている者もいる。
学校では多少ネコをかぶってはいるが二十台前半のまだまだ遊びたい盛り、毎夜の合コンは当たり前、午前様だって珍しくない。
その日も、朝起きたら見知らぬ男の部屋にいた。慌てて飛び出してタクシーに乗り学校に来たところ、昨日と同じ服装であることを学年主任のオールドミス北浦先生に悟られてしまった。捕まればお小言二時間コースは避けられない。学内を逃げ回っていたところ、ナナとルリに救い出されたのだ。
事情を聞いたナナとルリは、助けたついでに見知らぬ男の正体をインターネットを駆使して突き止めて見せ、意気揚々と帰途についたのであった。
しかし先ほど、その推理が完全に外れていたことを遥より知らされた。的外れもいいところだった。
「なんで遥ちゃんが勝ち誇ってるのよ。淫乱な酔っ払いのくせにー」
叫びながらナナは駆け出した。放課後とはいえ、学園祭の準備もあって、校内にはまだ生徒が大勢残っていた。絶世の美少女の絶叫は目を引いた。
「こら、学校であらぬことを叫ぶな!」
遥は怒鳴るが、それが逆に目を引いていることに気がついてそそくさと姿を消した。
「おいおい、どこまで行くつもりだ」
ナナの一歩後ろを走るルリが声をかける。
「校長室までよ。私の力がどれほどのものかを思い知らせてあげるんだから」
「それはちょっと引くなー」
ルリはやんわりと諭すことを試みる。
「だったら気が済むまでよ」
ナナはプリプリ怒りながらも速度を緩め、しかし力強く歩き始めた。いつの間にか校舎の端まで来ていた。校舎の端からは直角に二階建てのクラブ棟が続いている。
二人はクラブ棟の前でうろうろしているクラスメイトを見つけた。
「麻友。こんなところで何やってるの?」
声をかけられた大きなポニーテールの委員長は少しぎょっとした顔をした。
「ちょっと調べもの。そっちこそなにやってんの?」
「そうね。教師と生徒の間に確実に存在する壁を確認していたと言えば良いのかしら。それとも、大人と子供の差を感じさせられたと言ったところかしら」
興奮がぶり返してきたかのように早口でまくし立てるナナに、麻友は小首を傾げる。
「なに?」
「朝霧先生とちょっとな」
ルリが曖昧にフォローする。
「ふーん。ナナと遥ちゃんて合わなさそう」
「ええ。つまりはそれを確認してきたのよ」
「遥ちゃんは美人なのを鼻にかけてるところがあるからね。こんなこと、ナナに言っても仕方ないけど。それよりこんなところをフラフラしてて、係の仕事はちゃんとやってるの?」
「ええ、ばっちりよ」
「まだ興味を無くしてはいないようだ」
「それで、麻友はこんなところで何を調べてたの?今日は係の打ち合わせにも出なかったわよね」
「私は籠目祭だけじゃなくて委員会の仕事もあるんだよ。ま、調べ物は委員会とは関係ないけどさ。実は……」
「待って、喉が渇いたわ」
ナナは話の腰を思い切りよく折ると、さっさと自動販売機に向かった。ルリは麻友の肩をぽんと軽く叩く。
ナナは三人分の飲み物を買うと、近くのベンチに誘う。ナナを真ん中に三人が座る。麻友が改めて話し始める。
「えっと……、お化け屋敷をやるじゃない。お化けのコスプレをするのもいいけど、もう一つなにか特徴的な何かが出せないかって考えてて、それでさ、学校の七不思議、あれがうちの学校にもないかなっと思って聞き込みをしてたんだ」
「素敵」
言うなりナナは抱きついた。
「な、な、な、なんだ!?」
麻友は顔を真っ赤にして慌てている。
「私のために、そこまでしてくれてありがとう」
「ば、ばか!ナナのためなんかじゃない!勘違いしないで!委員長として、クラスの出し物をちょっとでも良い様にできないかって考えただけ!」
「あらそうなの。残念」
ナナはパッと腕をほどくが顔はちっとも残念そうではなく、嬉しそうに笑っている。
「それで、七不思議はあったのか?」
ルリが落ち着いて訊ねる。
「あ、あったけど人によって言うことがバラバラで、ちゃんとは決まってないみたい。しかも、誰もいないはずの音楽室からピアノの音が聞こえるとか、階段の段数がいつの間にか一段増えているって感じの七不思議の定番がほとんどで、うちならではってのは無かった。一つだけ変わったのがあったんだけど、それが訳分かんなくて、校長室には隠し部屋があるらしくて、その中には象の首の剥製があるんだって」
「なんのために?」
「そこまでは分からなかったわ」
「剥製があったとしても、それは不思議な話であって怪談ではないな」
「そうなのよねー。思いっきり怪しいんだけど。そうそう、怪談でないのなら、伝説の樹って話があった」
「面白そうじゃない」
ナナは目を輝かせるが、麻友は首をすくめる。
「残念ながらそんなに面白い話でもないんだな。伝説の木の下で愛を誓い合ったカップルは、高校にいる間ラブラブで過ごせるでしょう、って伝説」
「高校にいる間だけか?普通そういうのは永遠に幸せに過ごせるんじゃないのか」
「その辺が中途半端なのよ」
「でも、そんな樹あったかしら?あればその下で告白されると思うんだけど」
ナナは入学してから夏休みに入るまでの間毎日、誰かから告白されていた。同級生はもちろん、先輩もいたし、先生もいたという話だった。一日に複数は当たり前、一番多い日は二十人を相手にしたらしい。
ちなみに全員玉砕である。
二学期になってからは学園祭の準備を優先させているために、まだ誰も告白できていないらしい。
「今はもうないんだって。このクラブ棟ね。これが昔はもう少し短かったらしくって、校舎との間に樹一本分の隙間があったんだって。そこに立っていたのが伝説の樹」
「言われてみれば少し壁の色が違うな」
「こんなところにそんな樹が立つの?」
「伝説って言っても、そんな大きな樹じゃなかったみたい。普通の樹。しかもここってクラブ棟と校舎の間だから人がいっぱい通るじゃない。人に見られないように告白するのは難しかったんだって」
「そうだろうな」
「パッとしないまでもささやかな伝説として憧れの告白スポットではあったんだけど、ある年にクラブ棟を増築する話が出て、夏休みの間にあっさりと切られちゃったんだって。さて、どうなったと思う?」
「なにがだ?」
「伝説の樹の下で告白して付き合った人達がどうなったかでしょう?その人達にしてみればご神木が切り倒されたようなものよね。二人の未来を保障するものがなくなったんだから」
ナナがしたり顔で解説する。
「なるほどな。でも、どうしようもないだろう」
「どうしようもなくたって、当事者にとっちゃ大問題じゃん!切り倒されたのが原因かどうかは分らないけど、その後に別れたカップルも多かったんだって。それでも現役はそんなに問題を起こさなかったんだけど、OBで学校に来て暴れた人がいて、それが結構な問題になったんだって」
「効力は在学中だけなんだろ?」
「振られた人にそんな理屈を言ってもしょうがないじゃん。ともかく、伝説の樹はなくなっちゃったんだけど、樹が切り倒されたことによって別れたんだと思い込んだ人達によって、新しい伝説が生み出されたの」
「新たな伝説?」
「そう、増築部分に入ったクラブの人間には、彼氏彼女ができない」
「それは……悲惨だな。と言うよりクラブの人間からしてみれば酷いとばっちりだ」
普段は表情に乏しいルリが顔をしかめる。
「迷惑な話よね。毎年。この話を聞いて辞める新入生がいるんだって」
「ということは本当に誰も彼氏彼女ができないのか?それは伝説と言うより、呪いじゃないか」
「なるほど。呪いね」
「そう、呪われた伝説の樹。これはなかなか良い題材なんじゃない」
ナナが満足げな笑みを浮かべながらゆらりと立ち上がる。樹が今でもそこにあるかのように、手を広げて仰ぎ見る。
「良い題材って、場所がここに限定されているんだから教室では使えないだろ」
「それに、彼氏彼女ができない場所に来たがる人がいるとは思えないんだけど」
二人は口を揃えて反対する。
「甘えないで!それをなんとかしてこそ、達成感が生まれるんじゃない!連帯感が生まれるんじゃない。素晴らしいと評価されるんじゃない。そして籠目賞を勝ち取るのよ!じゃあ麻友、なんかうまいこと考えておいて。行くわよカッチン、忙しくなってきた」
一方的に言ってナナは早足で歩き始める。その行き先は不明だ。
「なんで自分でやらないの」
怒鳴る麻友の肩を、ルリがまたポンと叩いた。
「安心しろ。これは明日には忘れているパターンだ」
そして大きな身体を揺らしながら、美少女の後を追った。