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ルリと同様に考えたクラスメイトは他にもおり、教室には大半の生徒が戻ってきていた。部活動をしている者は基本的に係にはなっていないのだが、彼等の多くも出席していた。
学園祭に向けてやる気を漲らせているのではなく、ナナが参加するからであることは明らかだった。
「えーと、じゃあ、お化け屋敷って言っても色んなのがあると思うんだけど、まずはどんなお化け屋敷をするかを決めたいと思います。細かい所は後で変更できると思うけど、大まかな計画は明日中に提出しないといけないらしいんで、今日中に決めたいと思います。案がある人は手を上げて下さい」
実行委員を押し付けられた五條哲が会議を仕切る。黒縁メガネに七三分けという銀行員のような風体の男子だ。見かけに通りに成績は良い。
「まずはナナの意見を聞いた方が良いんじゃない」
クラス委員長として参加している麻友が刺のある口調で提案する。ちなみにもう一人の委員長である荒金は卓球部の練習のため欠席している。
「えーと、じゃあ、枇々野さんお願いします」
「お皿を数えたいの」
唐突に言う。
「一枚、二枚、三枚、四枚って数えるのがあるのでしょ。四谷怪談のお岩さん。あれがやりたいの」
ナナはそれだけ言って、後は澄ましている。
「えっ……、もしかしてそれだけ」
麻友が皆の意見を代弁する。
「そうよ」
「そんなの、まじでナナ一人でできるじゃない!」
「だから一人でもやるって言ったでしょう」
ヒートアップする麻友とは対照的に、ナナは涼しい顔で答える。
「えーと、一応修正すると……」
五條が恐る恐る口を挟んでくる。
「お皿を数えるのは四谷怪談のお岩さんじゃなくて、番町皿屋敷のお菊だけど」
「え……」
その言葉で、楽しそうだったナナの顔が一瞬で凍りついた。信じられない表情で訊ねる。
「違うの?」
「うーん、えーと、全然違う話」
「そんな……」
「そんなに落ち込むことか?」
ナナの隣の席に座るルリが呆れながら声をかける。
「だって、そんなこと……、信じられない。お岩さんがお皿を数えないなんて」
「やりたいくせに調べてなかったのか。史実なんだから仕方ないだろ。きちんと調べなかったお前が悪い」
「な、なんとか、お岩さんがお皿を数えるようにはならないかしら」
哀れっぽく懇願された五條は、顔を真赤にしながら必至で返答する。
「ぼ、僕にそんなことを言われても、阿久津さんが言ったとおり歴史上もう起こった事だからどうしようもない。いや、史実じゃないかもしれないけど、お話としては決まっているものだし」
「参考までに聞くと、お岩さんは何をするんだ?皿を数えるとかそういった類で」
「何もしなかったと思うな。えーと、確か旦那さんに裏切られて殺されるんだけど、その後、不吉なことがいっぱい起こって、最終的にはお家断絶したんだと思う」
「分かりやすいアクションは無いってことか」
「うん。それにお岩は容姿性格に難ありってことになってるから、枇々野さんには向かないと思うな」
「性格に難があるならぴったりじゃないか」
ルリの指摘は、ナナも含めたクラスメイト全員にスルーされる。
「ってかさー、お岩でもお菊でもどっちでもいいじゃん」
呆れて声を上げた麻友に、ナナは憤然と反論する。
「全然違うわ、何言ってんの!お岩よ、お岩。何を考えて女の子に岩なんて名前をつけたのかしら。全く分からないわ。それを考えたらお菊なんて普通じゃない。私はお岩さんという女性が切なく恨めしくお皿を数えているところを表現したいの」
「だったらそうしたらいいじゃん。お岩が皿を数えたら。べっつに歴史通りにやりたいんじゃないでしょ」
「なるほど。麻友、頭良いわね」
「ふ、普通でしょ。これぐらい」
褒められて顔を真赤にする。
「えーと、じゃあ、枇々野さんはお岩さんという名前でお皿を数える幽霊をやる、ということでいいかな」
タイミング良く、五條が話をまとめた。
「ええ。知り合いに特殊メイクの専門家がいるから、凄い幽霊になってみせるわ」
「ちょっと待ったー!!!」
一人の男子が勢いよく立ち上がった。増田翔太、天然パーマで細身の軽薄な男だ。しかしその軽さが受けて男女問わず友達が多い。いつもはへらへらと笑っていることが多いが、珍しく真剣な顔をしている。
「俺はそもそもお化け屋敷には賛成じゃなかった。でも、枇々野さんがやりたいのなら仕方がないと反対しなかった。しかし、しかしだ。特殊メイクなんて聞いたら反対せざるを得ない。みんな考えてくれ。俺達の、一年A組の武器はなんだ?枇々野さんだ。枇々野さんの美貌だ。それを特殊メイクで隠してどうするんだ。俺達は、枇々野さんの美貌を前面に押し出していかなければならないんだ。これは美の女神を有した俺達の義務だ。使命だ。これらを踏まえて熟考した上で、俺はここにメイド喫茶を提案する」
一部の男子達から歓声と拍手が巻き上がる。今更新しい提案をするなよ、という雰囲気を出す者もいたが、女子も含めて全体としては反対の空気は薄かった。
肝心な一人を除いて。
「なんで皆そんなにメイド服が好きなの?私は着たくないわ」
ナナはガンと撥ねつける。
「メイドさんはかわいいじゃないか。絶対に似合う」
「似合う似合わないではないわ。私はメイドになんかなりたくないの。どちらかと言えばそれを使役する立場になりたいの」
「女主人、確かにそれもありだ」
増田はパチンと指を鳴らす。
「女主人に仕えるメイドさん達による喫茶店。称してミストレス喫茶。これは新しいな」
「お化け屋敷じゃないならやらないから」
ナナは増田の折中案をあっさりと打ち砕く。
「もう、お化け屋敷喫茶にすれば良いじゃない。皆でお化けのコスプレをして、真ん中でナナがお皿を数えてるの。それで全部解決」
麻友が面倒くさそうに提案する。
「違う違う。俺は喫茶店がやりたいんじゃないんだって。枇々野さんのルックスを最大限に生かした何かがしたいんだ」
「ナナならどうせ何をやってもかわいいわよ」
「ありがとう」
ナナが嬉しそうに微笑んで見せれば誰も反対できない。増田の頑張りむなしく、再びお化けをやることで決定となった。
教室をつかの間ほっとした空気が漂ったが、すぐにそれを打ち砕くべく手が上げられた。ルリは指名される前にゆっくりとした口調で話し始める。
「こいつを持ち上げるのは構わないが、今のコンセプトには一つ重大な欠点がある」
ざわっとした空気が吹き込んでくる。
「居ない時に、どう場を持たせるかだ。お前だって一日中皿を数えるわけじゃないだろ」
「もちろんそうね」
「普通、お化け屋敷は一人か二人で進んでいく。つまり、お化けに一度に会える人数は一人か二人になる。お化け屋敷の性格上、次から次へと人を送り込むわけには行かないから、特定のお化けに合える人の数は限定されることになる。しかも、こいつが一日中いるわけではないから、いない時間に来た客は損をすることになる」
「えーと、つまり、枇々野さんを売りにするのは難しいってことかな」
そこから意見が噴出し始めた。
「レアキャラにすれば良いじゃないか。お岩さんは交代でやって、どのお岩さんがいるかは分らない。開けてびっくりでお化け屋敷にぴったりだろ」
「客がそう思ってくれるかなー。その点、お化け屋敷喫茶は良い考えなんじゃないか。皆でお化けのコスプレをして喫茶店をやり、一日に何回かお岩さんショーをやるそうすれば大勢の人に見てもらえる」
「でも結局、全員は見られないじゃないか」
「そこは比較論だ。どっちにせよ、全ての客に見てもらうことはできない。体育館を借りて、お岩さんショーをやるでもしない限りな」
「だったら演劇にすればいいんじゃないか?」
「劇は大変だぜ。まず誰かがシナリオを書かないといけないし、衣装に大道具って作らなきゃいけないものも多い。練習だって必要だ。時間は無いんだぜ」
「そう考えるとやっぱり喫茶店は良いんじゃない。お化けのコスプレなら何とかなるだろうし、教室の飾りつけもそんなに大変じゃないわ」
「お化け屋敷にすると飾りつけが大変だよな。コース作ったり、仕掛けを考えたりしなくちゃいけないし」
「喫茶店かなぁ」
「えーと、でも、喫茶店の場合は結構申請が面倒くさいんだよ。衛生なんとかって講習を受ける必要もあるし」
「それって火を使う場合でしょ」
「火を使わなくても、食品を扱うなら色々とやらなくちゃいけないみたいだ」
「だったらお菓子を並べたり、ジュースを出したりするだけで良いんじゃない。メインはお化け屋敷なんだし」
「それっぽい名前をつけて」
「トマトジュースをドラキュラの血って出したり?」
「べたべただな!そもそもドラキュラの血ってなんだよ!赤いかどうか分からないだろ」
「はいはい落ち着いて」
麻友が大きく手を叩く。
皆が勝手にしゃべって騒然としていた教室が一気に静かになった。一学期間、委員長をやってきただけのことはある。その後を五條が引き継いだ。
「えーとそれじゃ、お化け屋敷喫茶をするってことでいいかな。枇々野さんもそれで良い?」
皆が注目する中、ナナは幽然と微笑む。
「一つお願いがあるわ……、立派な井戸が欲しいの」
「任せろ!」
すぐに複数の男子が手を挙げた。
「えーとそれじゃあ、今日の会議はこれで終わります。係の人は明日も集まってもらうと思うんで、よろしくお願いします」
五條が一難を乗り切って満足した顔で会議を閉める。
最後にナナがすくっと立ち上がり、拳を突き上げた。
「籠目賞に向かってガンバロー」
「オー」
幾つもの拳が、勇ましく突き上げられた。