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「麻友からお前を何とかしてくれという苦情が届いた」
携帯電話を閉じながら阿久津瑠璃は眠そうに言う。
ナナとルリは駅前のアイスクリームショップの前のオープンテラスにいた。街を行き交う人達は、アイスを舐める女子高生にちらちらと目をやりながら通り過ぎていくが、その視線の先にいるのは主に超絶美少女であり、。その隣にいるメガネにショートヘアの大柄ではなかった。もっとも、ルリもそんな状況には慣れているので全く気にしていなかった。
今日は始業式だったので学校は午前中で終わった。徹夜で宿題を写していたルリは一刻も早く帰って眠りたいと主張したのだが、宿題を見せたお礼にアイスを奢りなさいと言われれば、断れなかった。
「何とかって?私にどうして欲しいのかしら?」
ナナは涼しい顔でアイスを舐める。
「言い出したクセに逃げるなってことだろ。実行委員もやらないし」
各クラスからは籠目祭実行委員が選出される。籠目祭実行委員会に出席して諸々の雑事を決定したり、クラスに持ち帰って連絡したり、要望を押し通したりする役目だ。ナナはその役目からするりと逃げ出した。
「私は何をするかを決めたんだからそれでいいでしょ。あっという間だったじゃない」
一年A組の生徒達が教室を出た時、他のクラスはどこもまだ議論の真っ最中であった。
「どうするかは、それが得意な人に任せるできよ。私は人を惹き付けるのは得意だけれど、率いるのは苦手だもの」
「お前がお化け屋敷をやりたいんだろ」
「あら、聞いてたの。ずっと寝てるんだと思ってたわ」
ルリはホームルームの間中、机に突っ伏していて、一度も挙手していない。
「あれだけ騒がしくされればさすがに起きる」
「だから、係にはちゃんと立候補したでしょ」
ナナは強引に話を戻す。
係とは、お化け屋敷係だ。お化け屋敷の具体的な内容を決め、中心となって進めていく係を置くことになり、ナナはそのメンバーに入った。
「またやりたいことだけ言うだけ言って、面倒事は人に押し付けるんじゃないのか」
「そんなことしないわ。私はね、楽しみにしているの。高校の学園祭はやっぱり中学までの物とは違うでしょ。どんなことができるのか、ワクワクしているの。カッチンはワクワクしない?」
ナナはルリのことを、カッチンと呼ぶ。
「まぁ、多少は」
「私はとってもドキドキしてる」
ナナは立ち上がって、コーンの包装紙をくしゃくしゃっと丸め、口を拭いたナプキンと一緒にまとめてゴミ箱に捨てた。
「パン屋さんでサンドウィッチを買って戻るわ」
お化け屋敷係は早速第一回目の会議を午後から行うことになっている。
「おやすみ。夜に電話するからそれまでには起きてね」
「待て。私も行く」
ルリはゆっくりと立ち上がる。
「カッチンは係じゃないでしょ」
「係じゃなくたって出ても問題ないだろ。クラスの一員なんだから」
「さっきはずっと寝てたくせに」
ナナはご機嫌に笑う。
その前を大きな影が遮った。長身で痩せ型の大学生ぐらいの若い男、ブロックショートヘアが似合うけっこうなイケメンだ。そんな彼にはあまり似合わない派手なエプロンをしている。アイスクリームショップの店員だ。
「いつも利用してくれてありがとう。美味しかった?」「ええ」ナナは短く答える。
「良かった。これクーポン券、是非また来てね」
「ありがとう」
ナナは上辺だけの笑みを男に与えて、すぐに店を離れた。交差点で信号待ちをしている間に、ルリにクーポン券を渡す。
「あげるわ」
「どうしたんだ?って、これ、クーポン券じゃなくてタダ券じゃないか」
「そりゃ、周りに他のお客さんがいるところで、タダ券ですとは渡せないわよね」
「そうだな。でも、あの人が来て欲しいのは私じゃなくてお前だろ」
「だとしても、私がもらったものをどうするかは私の自由よ。それにアイスクリームなんてニキビの元、めったに食べないもの」
「じゃあなんで奢らせたんだ」
「奢りでなら食べたいことってあるでしょう。我慢してストレスを溜めればそれはそれでお肌の敵だわ。でも、オープンな店はやっぱりダメね。六人も撮ってたわ」
撮っていた、とは、盗撮を、隠し撮りをしていた、ということだ。ナナが町を歩けば、わざわざカメラを持ち出す者は少ないが、携帯電話やスマホを操作する振りをしながら撮ってくるのはよくあることだ。
「六人?三人しか分らなかったな」
「カッチンの左斜め後ろにうちの生徒がいたでしょ。多分三年生だと思うけど、あの人たちも撮ってたわ」
ブラウスにつけている襟章の色で何年生かを知ることができる。
「女じゃなかったか?」
「女でもよ」
「少し気持ち悪いな」
「いつものことよ。気にしても仕方がないわ」
ルリが険しい顔をする一方で、撮られている本人はサバサバとした表情で、パン屋の自動ドアのボタンを押した。
「時間がないんだから、さっさと決めてよ」