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「春風のリディア」~彼女が魔法を失うまで~

作者: 高瀬さくら
掲載日:2026/05/16

 ――もし、過去に戻れるとしたら、この選択をしなかっただろうか?



 薄黄色の日差しが切妻屋根に反射している秋の夕刻。


 あと一時間もすれば、橙色の空は、すぐに青から漆黒に変わる。

 リディアは、目前に佇む旧集会所の見取り図から顔をあげて、自分を取り囲む男たちに目を向けた。


「部隊を二手に分けます」


 周囲は、自分より背も高く体格もいい戦士達。それぞれが、鋭い眼差し、油断のならない気配、そして好戦的な性格を持っている。


 呑まれてはいけない、目で、声で、気配で、そして内容で従わせる。それが求められていること。


 自分が今回の作戦の指揮官だ。


「ボウマン師率いる一隊は正面入口から突入、大広間まで急進し敵を制圧。支援部隊は後方のここから進入」


 リディアは、見取り図上の正面入口の正反対にあたる最奥の壁を、トンと指で叩く。

 自分の細い指は頼りなく見える、けれど叩く音に彼らの目がここに集中するのを感じる。


「裏手の壁を破壊し侵入、回廊を抜け、大広間後方に回る」

「後方部隊に人員を割きすぎじゃないのか」


 不精鬚を撫でながら胡乱げに図を見下ろすのは、リディアの父親ほどの年齢の経験の長いガロ。

 リディアは、自分の読みに迷いを見せないよう、淡々と口を開く。


「村人からの話では大広間後方に小部屋があったといいます。敵は、何らかの戦力を潜ませている可能性が高い。挟み撃ちは避けたい」


 リディアは即反応し、一息に言う。


「敵は、この地の古代魔法を利用している可能性があります」

「ふん! 古代魔法など! 時代遅れどころか野蛮人の残り滓だ」

「ですが、この集会所というのは、過去に何らかの術を行っていた聖域または祈祷所と考えられます」


「いいかね! そんなものは、まがい物のインチキ魔術だ。我々の近代魔法に敵うものではない。さっさと煽動者をひっ捕まえて終わらせるんだ」


 古代魔法という固有名詞は、ボウマンには禁句だった。リディアの言葉に鼻息荒く興奮を見せる彼に、しまったと思いながら冷静に返す。


 彼が民間信仰のたぐいだと、普段から馬鹿にしているのは、敵対する大学教授がその研究をしているから。


 ブラム・ボウマンは四十代前半のダークグレーの髪の上級魔法師(マスター)だけど、本来の専門は研究。

 視野が狭く、神経質で、正直戦場には不向きだ。


 けれど、彼はこの混成部隊の総司令官でもある権力者、そして魔法省から派遣されてきた国家特殊任務調整機関のお偉方。


 戦闘経験はともかく、本人の希望で突撃隊を任せざるをえないのだ。



「――後方からの支援部隊の指揮は、マクウェル団長にお願いします」


 第一師団(ソード)団長のディアン・マクウェルが、漆黒の冷えた眼差しをリディアに向けてくる。

 夕日が反射して、黒髪に紅みを映す。

 

 大抵の者は、その整った顔に落ち着かなさを覚え、時に酷薄な目が冷ややかに笑うのを見て肝を冷やす。

 

 体格は中肉中背。低くもないし、高すぎもしない背に均整の取れた体つき。けれど、その黒いジャケットの戦闘服の下には鋼の筋肉がある。

 

 質量のある筋肉は動きが鈍る。なのに豹のようにしなやかに動き、爆弾や銃弾を浴びてもびくともせず硝煙が消え去ったあとには、何もなかったかのように佇む身体。

 次の瞬間には何をしたのかわからない体術で相手をミンチにする。


 そのくせ視線の一瞥だけで、城を砂に変えることができる魔法。


 放つ魔力は今は抑えて何万分の一も出していないだろう。なのに、周囲を頭上から押さえつけるような圧迫感はなんだろう。


 圧倒される、けれどリディアも長いつき合いだ。呑まれて恐れていたら何も言えない、できない。

 彼の目をまっすぐに見つめる。視線はそらさなかった。


「――お前は?」


 リディアよりも五歳年上の彼は、リディアを見つめ返し一言だけ尋ねる。


「私は、正面から突入します。ボウマン師と一緒に」


 ディアンに任せる後方支援のほうが、何があるか読めない。

 先程から嫌な予感がするのだ。


 ここは、まだ解明されていない旧文明の土着信仰で使われていた集会所だ。

 だから、最も戦闘能力が高いディアンをそちらに回し任せる。

 

(ただ……)


 ボウマンのほうを見そうになるのを留める。


 彼は前線に加わるのを望んでいるが、自分の能力を把握していない疑いがある。

 突入せずにここで待機していてくれればいいのに、この作戦で突撃の指揮を取ることが、今後の何かの昇進の役に立つのだろう。

 

 (――私が、補助するしかない)


 リディアは気負う心を抑えて、息を整える。


 ディアンには、不確定要素の大きい後方支援に回ってもらう。

 正面からの突入は、自分がボウマンを補佐する。


「ふーん」


 ディアンは納得したのか、何かを含んでいるのかわからない返答をする。

 わずかに心の中で逡巡する、これでよかったのかと。


 ディアンは認めてくれた。でも何かの危機を予測しているのじゃないか、この作戦に穴があるのじゃないか。


 自分に問いかけて、再度問題ないと言い聞かせる。あとは自分が自信を持つだけ。


「――では突入だ、みな散れ、散れ!」


 ボウマンが収まりの悪いやりとりには気づかず、せかせかと場から離れ、神経質に怒鳴り散らす。

 ディアンもそれ以上は言わない。


 ちらりとリディアを見て、皆と同じように離れて行った。

 

 

 後悔はあとからするもの。


 けれど、予兆はあった。あの時感じていたのに、と思うものなのだ。

 

 リディアは――自分の欠点を知っていた。

  

 人に頼めない。頼れない。自分ですべて抱え込んでしまう。そうしなければいけないと思ってしまう。


 それでも――頼れない。


 「リディア殿!」

 

 リディアは自分の名を呼んで追いかけてきた魔法師を見つめ返す。

 彼が呼んできたのは“姓”では無く、“名前”だった。


「ハーネストです」

「私は、ランスのマート・ヘイ上級魔法師(マスター)です。リディア殿のお噂はかねがね。いやあ、『春風のリディア』、まさに春の女神ですな。ご一緒できて光栄です」


 ハーネスト、と姓を強調したのに、無視だった。

 だからリディアも、彼が言う『春風のリディア』という名称を無視した。

 

「そうですか。――配置についてください」


「ああ、それでまあ、機会があったらぜひ見たいものです。その、奇跡の御業を」


 ついてくる男に、リディアはピタリと足を止める。作戦遂行の前に何? 


「でしたら、試してみますか? ここで死んで頂けたらお見せしますが」

「いや。ご冗談を、私は死にたくありませんよ」


 喋る度に口元が歪むのは癖だろうか。


 好奇心なのか、持ちあげているのか、まさかナンパかはよくわからないけれど。


(こんなときにわたしを持ち上げて、どうするの?)


「言っておきますが、成功率は私の心証によって下がります。今の会話で、あなたの蘇生率は、一割程度になりましたから」

「え!」


 リディアは言い捨てて、背を向けた。


***



 ディアンの部隊が配置場所に到着するのを待ちながら、リディアは暮れゆく空を見上げた。


(日没までに、終わらせないと)


 視界不良は、今回のような混成部隊には不利となる。

 見慣れない仲間を、敵か味方か判断する認識が難しくなる。


 ――ここは、東国境に近い辺境の村ヴィンチ。

 

 戦争で百年前に隣国領となり、十年前の小競り合いで国境線が引きなおされて、本国の領土に戻った。けれど住民はほとんど去った後で、廃墟と化していた。

 

 だがここ最近、国教正統派という、現在の国教に対して原点回帰を主張する一派が、略奪など過激活動を行うようになっていった。


 その彼らの点在する拠点のひとつが、このヴィンチ村。


 リディアの所属する魔法師団は、彼らを捕らえよという王の命令で村を制圧し、残る敵は旧集会所に立てこもる者たちのみ。

 

 そして今回は第一師団(ソード)第二師団(ランス)、そして第三師団(シールド)の混成部隊で過激派の集会所立てこもりの攻略に当たっている。


 特級魔法師(グランマスター)であるディアンは第一師団(ソード)の団長。

 そして、リディアは、第三師団(シールド)の団員。


 シールドの団長は、外交に赴く国王の警護中。

 副団長は今回の村の制圧時に、爆弾により重傷を負い搬送。


 急遽、リディアが総指揮をとることになったのは、この領土がシールド管轄で、リディアが特級魔法師(グランマスター)だからだ。

 

 ――師団では、作戦により指揮官を変える。


 いつ上が死ぬかわからない案件を受けることも多いため、様々な経験をしておくこと。さらには、相手側にその時の指揮官を特定させないためでもある。


 ただし経験不足で未熟なものに命を預けたいと思うものなんていない。


 だからこそ、仲間であり部下でもある彼らに、まずいちばんに信用されることが必須。そして従わせるだけの力がないといけない。



 でも――得意ではない。

 


 ――リディアが、この戦闘集団にいる理由、特級魔法師(グランマスター)に認定されている理由、それはある特殊性によるものだ。

 

 

 かつての文明は、魔法の黄金時代と言われていた。

 

 しかし、千年前の大陸全土にわたる大戦によって、人類はかなりの数を減らした。

 国が興きては廃れ、統合し、また分断される。

 

 そして、ようやく国境線が定着し、人類が大陸で数を増やし荒れ果てた大地が回復する頃には、かつての魔法の大部分は忘れ去られていた。


 この百年でようやく過去の魔法を少しずつ解明することができ、今では魔法は六系統の「木・火・土・風・金・水」に大別されている。

 

 そして、その六系統とは別に死と生を司る魔法を入れて、八系統としている研究者もいる。


 ただ、この生と死の魔法は、あくまでも概念上のものだけだと言われていたのだ、数年前までは。


 魔法学校にいた八歳の時、リディアは死から人を救った。

 実在しないと言われていた、蘇生魔法を発現したのだ。

 

 それによりリディアは、世界で唯一の蘇生魔法の使い手として特級魔法師(グランマスター)に認定され、半ば強制的に魔法師団に入団させられた。  


 ――その他の魔法の能力は低く、このエリート戦闘集団に入る力は到底なかったのに。


***



“到着した”


 ディアンの報告が届く。


 魔力を使っての思念による通話だ。


“了解。十カウント後、突入”


 リディアは、横で備える魔法師に合図する。


“うまくやれよ。――リディア”


 これは励ましだ。


(ありがとう――先輩)


 通話を切って、そっと胸中で呟く。


 リディアはディアン率いるソードに在籍経験がある。


 彼は一時期、団長としてリディアの上司だったが、同時に学校時代の先輩だ。

 そんな付き合いがあり、雲のような存在なのに幹部でもないリディアと言葉をかわす仲だ。


 ただ、今回全ての指揮を執るのは自分。ディアンには作戦上での動きをしてもらうが、それ以外で頼るわけにはいかない。


 緊張するのも不安になるのも、これで最後。後は実行のみ。


***


 リディアたちが壁ごと吹き飛ばした相手は、五名ほど。すぐに仲間が倒れた敵の拘束に向かう。

 ボウマンは敵の首謀者――首から数珠を垂らした教主と対峙している。


 ボウマンの左右を守る団員がいない。

 敵が魔法銃の銃口を彼に向けるのを見て、リディアは金属性変化の魔法を広範囲にかける。


 途端に十倍の重さになった魔法銃を取り落とす男たち。


 リディアが攻撃魔法を使わず、補助魔法にしたのは、相手が民間人だから。

 それから、この広間に何の魔法が仕掛けられているか、わからなかったからだ。


 教主は焦ったように何かを投げ捨てる。ボウマンがそれに火球をぶつける。


 ジュッという音をたてて、火を宿したそれは地に落ちる。教主はそのまま身を翻す。


「追え、追え!」


 ボウマンは叫び、頭上でロッドを振りかざす。手を振り上げて唱えたのはお得意の火球魔法だった。


 相互作用を警戒しなければいけない、そんなこと改めて注意しないでもわかるはず、そう思っていたのに、まさか、魔法の相互作用を気にせず攻撃をするとは思わなかった。


(落ち着いて。落ち着けば、対処できるから)


 何かが起きたら、自分がフォローする。そう自分に言い聞かせる。

 指示に皆が従おうと足を踏み出した瞬間、教主が落とした何かが光を発する。


 ――何かの魔道具だ。魔獣が出現しようとしているのを感じる。


「召喚獣、下がって!」


 どの魔獣が呼び出されたのか。


(炎か、氷か、毒か、どの攻撃をしてくる? 強化するとしたら、どの耐性をつける?)


「――リディア。援護、頼む」


 横をすり抜けたのはディックで、魔法剣を構えていた。


 彼は召喚された魔獣の出現と同時に攻撃をする気だ。 


 感覚を研ぎ澄ます。


 自分は第三師団(シールド)の人間だ。


 シールドは、ソードに比べて、守りに特化した部隊、だから補助系魔法は自分の専門。


 目を凝らし、生まれようとする魔獣に及ぶ魔力波を感じ察知する。


(火属性の魔力が多い)


「竜だ。火竜だ!!」


 誰かが叫んだ。


”――水よ風よ、結べ。強靭な守りとなり、お前を焦がす火炎を防げ”


 リディアは詠唱し、先鋒のディックには二重の氷の盾を、左右に広がる敵を含む全員を守るよう大気を凍らし氷の紗幕を張る。


 召喚獣の吐いた豪炎が部屋中をなめ尽くすかのように広がったのは、同時だった。



***


“――状況を教えてくれ”


 炎と水が拮抗し、水蒸気が立ち込める。

 魔法師により風が呼び起こされて、視界が開けていく。

 

 ディアンからの通話に答えながら、リディアは魔法の盾を張り直す。



”首謀者は、逃走。隠し扉が地下にあった模様”

”こちらは、三十体の動く鎧と戦闘中。――お前の読みがあたったな”


 ディアンの言葉に、喜びはなかった

 やはり後方に戦力を控えさせてあったのだ。


”当たってほしくなかったけれど”


 リディアは、自分の頭上に氷の盾を張り巡らし、屈んで魔獣の火炎を防ぐ。


 人間の魔法とは、比べ物にならないほどの威力だ。


「しっぽが邪魔だ!」


 ボウマンが忌々しげに叫ぶ。確かに、長く振り回される尾に、皆が動きを制限されている。竜系は、吐き出すブレスと尾が厄介だ。


”こちらは、敵が呼び出した火蜥蜴(サラマンダー)と戦闘中”


 リディアはディアンに告げる。

 召喚されたのは竜ではない、火蜥蜴だ。格が違うけれど火蜥蜴も十分に厄介だ。


”一分で行く。持ちこたえろ”


 そう言って、ディアンの通話が切れる。


 五十体もの動く鎧を一分で片付けるとか、何言っちゃってんの。


(相変わらず、破天荒過ぎる、ディアン先輩……)


 でも彼ならやるだろう。

 ならば、自分もやるべきことをするだけ。リディアはブレスが消えた瞬間、次が来る前に立ち上がる。


「ディック、ボウマン師。全員合図とともに接近して氷の攻撃を。尾は止めます!」


 リディアは駆け出す。


 火蜥蜴が、雄叫びを上げる。それだけで人はすくみ、動けなくなる。


(でも、所詮“蜥蜴(トカゲ)”。竜とは比べ物に――ならない!)


 直進し、ギリギリ背後で踏み降ろされる足の風圧を感じ、そのまま腹の下をすべり抜けて後方へ。

 

 こいつは竜と比べても、牙もない、爪もない、凶暴さも足りない。竜もどきなのだ。


 

 まだ背を向けている蜥蜴の後で風の刃を作り、天井にぶつける。

 尾がこちらに飛んでくる。放物線を描いて飛んでくる尾と落石が――リディアの下で交わる。

 

 尾の軌道線上から外れるように横に飛ぶ。

 轟音とともに、天井から岩石が降り注ぎ蜥蜴の尾を容赦なく押し潰す。


 けれど、尾にあたって跳ねた石塊のひとつが、リディアの真上に飛んでくる。


「――リディア!」


 目の前の壁がいきなりブチ開いた。

 

 黒い装束の男たちが顔を覗かせる。

 叫んだのは恐ろしいほどの魔力を纏わせる黒髪の男。


 頭上の石塊が空中で停止する。

 

 リディアがその場から転がりながら離れると、遅れて天井からの落石が小刻みに震えながら小さくなり、やがてギュッと潰されたかのように空間から消えた。


 手をついて立ち上がり彼に礼を言う。


「――ありがとうございます」


 顎を尊大に上げるだけのディアン。

 怒りを宿した眼差しに「バカ」と怒鳴られるかと思ったが、彼は火蜥蜴(サラマンダー)に目を向けるだけ。


 リディアの指揮官としての立場を思ってのことだろう。

 口が悪いくせに、そういうとこは、配慮してくれるのだ。


 というか、巨石を消滅させるとか意味が不明。


 おそらく分子レベルまでに分解したのか、違う次元に飛ばしたのか。

 いつも彼の桁違いの能力を思い知らされる。


 蜥蜴が口を大きく開けて、人間たちに向かって咆哮をあげる。

 取れた尾を残したまま、大きな音を立てて直進する。

 

 牙もない、鉤爪もない、尾が取れた蜥蜴は、炎の攻撃の後は何もできない。

 全員で氷を放つと、あっけなく火蜥蜴(サラマンダー)は固まりそのまま永眠した。


***


「ガロが、教主を捕らえた。そっちに行ってくる」


 ガロから報告を受けたディアンが告げて、大広間の出口に足を向ける。

 ディアンに頷くリディアは、周囲を見回す。

 

 火蜥蜴(サラマンダー)は、召喚された魔獣で仮初の命だ。破壊してしまえば、形を保てなくなり、消滅する。


 今は、砂礫が舞う部屋の中で、団員と捕らえた教団の者たちが、あちこちに散っていた。


「残党をさがせ!! 隠し部屋、隠し戸、仕掛けを見逃すな!」


 ボウマンが叫んでいる。リディアは彼の背後から声をかける。


「ボウマン師。仕掛け専門の調査隊が来るまで、あまりいじらないほうが」

「では隠れている者がいたらどうするのだ!」

「それは、索敵(サーチ)で見つけられます。何度も言いますが、ここは古代魔法が残っています」

「それはいいと言っただろう! それに、魔法の罠ぐらい見抜ける!」


 今回の部隊は戦闘が目的の編成だから、建物の調査には向いていない。

 それなのに、曰く有りげな建物を漁るのは危険すぎる。


 リディアは慎重に行いたいが、ボウマンには通じない。

 

 背後でディックが嘆息する。ボウマンにではなく、しつこく言うリディアに対してだろう。


 ほっとけばいい、と言いたいのだろう。

 

 納得いかない表情で黙るリディアも一息ついて、捕らえた教主の方に向かおうと背を向ける。

 ここはボウマンに任せよう。


「――床下から、このようなものが見つかりましたが」


 団員がボウマンに話しかける声。

 思わず振り返り、足を止めたリディアは首を傾げる。


 ボウマンが手に受け取ったのは、折り畳まれた銅板だ。

 

 変色し緑青色の錆に包まれている。

 釘で中央をいくつも貫かれており、さらに針金でグルグルと巻かれている。

 用途が不明だ。魔力の残滓も見えないが、何故床下にこのようなものがあるのだろう。


「何だこれは」


 ボウマンが釘を引き抜いて、床に捨てる。巻かれた針金も投げ捨てる。


(なにか、薄気味悪い。まるで執念のようなものを――)


「ちょっと待って!」

「おい! 止せ、触るな!」


 リディアと、戸口のディアンの声が重なる。

 けれど、その銅板は開かれていた。


 顔を上げたボウマンのキョトンとした顔、その眼から突然紅い雫が垂れる。



(え!?)


 大量の黒い蝿が、突然部屋に現れる。


「息を止めろっ! 下がれっ」


 ディアンの声が響く。

 皆が振り向き固まっていた。空中に黒い蝿が溢れ狂ったように飛び回る。


 リディアは頭を貫くような激痛に、思わずしゃがみこんだ。


「わああああ――」


「何だこれは!」


 誰かの魔法で風が起こされて蝿が吹き飛ばされる。

 膝をついていたリディアは、頭を押さえる。

 

 ズキン。ズキン。ズキン。

 

 ――割れそうに痛い。顔を押さえていた手を外すと、手のひらには一面に赤いものがついていた。


(血……? なぜ?)


 顔を拭うと、ぬるりとした感触。


 鼻血か、いや、視界も赤い。耳に手を触れるとそこからも血がついていた。


 鼻からも、目からも、耳からも、血が――流れている?


「呪詛板だ、貸せ!」


 ディアンが叫んで、ボウマンの手から銅板を引き上げる。


「――テレサの腹から生まれし男ジョンを呪い給え。目から血を、鼻から血を、耳から血を、全身の穴から血を流し、死を与え給え。そしてこれを開封した者たちにも、同じように死を与え給え――クソ! 数百年前の呪詛だ」


 ディアンが読み上げる声が、まるで違う世界のように反響して近くなったり遠くなったりする。


「早く、早く毒消しを」

「違う、治癒魔法だ!」

「リディア。ボウマンに治癒魔法を!」


 顔を押さえてうずくまるディックが指をさすほうを見て、リディアは息を呑む。


 そこには自らの血の海に沈むボウマンがいた。そばにいくと、土のような色の皮膚で、ピクピクと痙攣している。

 迷わず治癒魔法を唱えるが、彼はピクリとも動かない。


 ではこれに必要なのは――蘇生魔法だろうか。

 

 ――まだ死んでいないのに?


 逡巡するリディアの肩を押さえるのはディアンだった。

 彼もまた全身血まみれになりながら、口を歪めながら首を振る。


「毒でも、治癒魔法でも無理だ。呪いに魔法は効かない。呪いを解くしか――」

「でも、その方法は? 呪いを解く魔法なんて……知らない」


 彼も口を閉ざす。彼の手から銅板が落ちる。


「方法は書いていない。術者はとうに死んでいる。それに――間に合わねぇよ」

「蘇生魔法を、蘇生をしてくれ!! ごほっ、リディア殿!!」


 壁際でヘイが血を吐きながら叫ぶ。蘇生魔法を唱えようとして、リディアは口を閉ざす。


(違う――。だって。死んでいない――誰も)


「リディア、こっちを向け。お前の体の流れを遅らせる。呪いの進行を遅らせる」


 ディアンが、そう言い何かを詠唱し始める。


 体の流れを遅らせる? それは、リディアの体内のめぐりを遅らせる魔法だ。

 

 時間を止めることはできない。


 けれど、血液の流れを、細胞の動きを、代謝を、神経の接続を遅らせる。

 それは水と風と――ああ、一体どのくらいの魔法を絡めて行使するのか。


 リディアにはその術式がまったくわからない。


(でも、それをするのは、私にだけ――)


 詠唱しながら、ディアンは何度か咳き込む。

 血を吐きながら、リディアだけに魔法をかける。自分でもなく、何故リディアなのだ。


(どうして、どうして――)


 そうじゃない、けどそれしかない。

 彼は助けようとしてくれている、リディアに望みを繋げようとしている。


 でも皆が死んでしまう。――ディアンも死ぬだろう。

 

 奥で、ディックが血の中に沈んでいる。大半の者があちこちで倒れる。

 

 リディアは、震える手で銅板を拾い上げて上から下まで何度も見つめ直す。


 それから、顔を上げてディアンを見つめる。

 すると、彼は訝しげに見つめ返す。いつも感情の見えない目が、今は当惑している。


「リ……ディア?」


”――我が君よ、我ら人の体に命を与えしものよ。肉体の死を迎えし人間の、命の火を我にみせたまえ”


 蘇生魔法の詠唱をしながら、目を閉じる。


 ――空間に全ての人間の生命の火を感じる。

 

 これらは、肉体の死ではない、約束された死でない。


 だから――生の魔法の管轄ではない。

 

 去りゆく魂を肉体に留め、命の流れを引き寄せる蘇生魔法は効かない。

 

 ただ空間に溢れているのは――いびつな呪い。黒い霧。それが命の上に被さっている。


(来なさい――こちらに)


「リディア、待て! 止めろ!」


 ディアンの声が遠くで聞こえる。


 彼の上に被る黒い呪いも、こちらに呼び寄せる。

 

 去りゆく命の流れを引き寄せるかわりに、全ての呪いを呼び寄せる。


(黒い呪いよ。行き場をなくした怒りと悲しみ、黒い思いよ、こちらに来い)



 蘇生魔法は、流れ行く命を自分に取り込んで、そして相手に戻す。


 けれど今は、命ではなく空間に満ちた呪いによびかける。


 やがて、彼らの命に混ざり取り付いていた黒い霧がこちらに流れてくる。


(そう、それでいい)


 そして、リディアの中に呪いが流れ込む。

 全身を巡る魔法の流れに呪いが混じり、そして――リディアは意識を失った。


  ――その日を境に、世界から蘇生魔法は失われた。




***


「――ディアン先輩!?」


 叫んで、暗闇に包まれていることに焦る。

 彼の気配はない、けれど目が慣れてくるとここはベッドの中で、あの場ではないと悟る。

 どのくらい経ったのか、ここがどこかわからない。


 そしてふと、すぐ横にカーテンがあると気づく。


 窓から差し込む光が無いから真夜中だとわかった。状況を把握しようと無意識に身動きしたら身体中が痛くて呻きを堪える。


 その時入ってきた影。ドアが開いて差し込む光で彼かと期待したが、気配も魔力も違うから警戒をしかけて、それを解く。相手からの殺気はない。それに、今の自分では闘える力は皆無だ。


 ようやく起き上がると、黙って立ったままだった影はほのかな灯りを空中に浮かび上がらせたあと、一つのファイルを開き、リディアの横にあったサイドテーブルにそれを置いた。

 

 それを見てリディアは、顔をあげた。


 説明はいらなかった。ただ聞きたいのは、一つだけ。


「皆は……ディアン先輩は?」

「――これですべてが収まる」


 瞬時に悟る。


「……生きて、いるんですね」

 

 ――それならいい。


 返事はなかったけれど、添えられていたペンを手に取り、リディアは震える手で自分の名を書き記した。文字は自分のものとは思えないほど角張り、斜めで、判読が難しい。


 けれど確かに自分が書いたというのが、人によってはわかるもの。


 (あの人にはわかるかな……)


 きっと、わかってしまう。

 その前に、離れなければいけない。


 男は頷き、部屋の外へと出ていった。





 ――そして今、ここに立っている。

 

 グレイスランド王立魔法大学。


 リディアは、校門の前に立ち、一度深呼吸をしたあと、その巨大な校舎へと足を踏み出した。

 

 ここから、はじまる。

読んでくださってありがとうございます。

このあとから、

【改訂版】「リディアの魔法学講座」~呪われたヒロインが『春風のリディア』と呼ばれた理由~の連載へと続きます。

https://ncode.syosetu.com/n9247md/


この短編は前日譚で恋愛(淡い想い)ですが、上記の連載は逆ハー(大学でも生徒たちも参戦)混じりのファンタジーですので、興味があったら読んでみてください!


なお旧版連載(完結)もありますが、そちらの誤字脱字を直して、上記の話はディアンの出番を増やしています。コンテスト用に書き直しました、応援してくださると嬉しいです。

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