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大山鷹一郎の不思議捜査シリーズ第5作目~その2

今回のメインは羽間です。彼とブラーナペイチャックとの関りには様々な要素が含まれています。

18 


ヌーに関することでの動きはほとんどなかった。監視をつけてはいたのだが、大山自身は他に何かあると考えていた。今回はかなり複雑な事件であるので、ヌーの一件が突破口になるのかどうかもわからなかった。

おそらく複雑な絡みのほんの一端にすぎない。そう思って大山は捜査を継続していた。

しかしプラーナ・ペイチャックと行真会の関与については、当初以上の進展はまるでなかった。間違いなくプラーナ・ペイチャックの行動には麻薬と宗教と暴力がセットにはなっており、その日本支部に相当するものが行真会であろう。だがその証拠が何もない。

ヌーの一件は本当に貴重な具体的証拠なのだが、それすらもそれ以上のことはない。正直、大山は手詰まりだった。イライラしてしまい、気を落ち着かせるために川北川の河原に出て来てみたりした。ここはあの緑川事件の発端となった公園沿いにあり、延々と河原と土手が続いていてベンチなども多く設置しており、市民の憩いの場ともなっていた。

大山は滅多にやらない葉巻を取り出し、ふかした。香りがよく、気分が落ち着く。しかし今回ばかりは本当に雲を掴むようだった。過去の事件もかなり難解ではあったが、どうにか解決できていた。中には良橋亀子事件のように、いまだによくわからない事件もあったが。

良橋亀子という名を思うと、大山は何故か奇妙な気持ちになる。単なる金持ちによるテロのはずだが、どこか・・・そう、懐かしいのだ。懐かしいのと切ない気持ちが混在した、何とも言えない感情がこみ上げてくる。意味がわからない。

(俺はどうかしちまったのかなあ・・・)

あの緑川事件、良橋亀子事件、増岡勝蔵事件、洪志明事件と、こんな平和な地方中核都市ではありえない事件が立て続けに発生している。中でも洪志明事件では、本当にどうやってあの事件を解決できたのか、大山自身でもよくわかっていなかった。熊代商事の中で、大山は大山ではない何者かになっていたようにも思える。

気がついたら全てが解決していた、そんな感覚が残っていた。もちろん調書も全て把握している。事件の全てを記憶している。

だが、どこか違うのだ。

自分でもかおるでも羽間でもない誰かがいつも自分の横にいて、よくわからないうちに解決してくれているというのが本当の気持ちだった。だが当然ながら誰にも言えるわけがない。唯一言えるのはかおるだけだったが、それも彼女を目の前にすると言い出せない。

まるで自分がわからない・・・そう思っていると、スマホが鳴った。

「ん?・・・え?山高先生?」

尾加田剛と共に取り組んだ増岡勝蔵事件の際、大山がたまたまテレビで見て連絡を取った藤桜大学新解考古学教授、山高梅良からだった。山高は大黒天研究会のメンバーでもあり、シヴァに関する世界的権威でもあった。

「山高先生!お久しぶりです!」

『刑事さん、ご無沙汰です。』

「どうされたんです?」

『急ではあったんですが、私は今、川北にいるんですよ。』

「え、そうなんですか?お仕事で?」

『まあそうですね。例のプラーナ・ペイチャックですよ。山内署長さんが、私に色々お尋ねされたいそうなので。』

プラーナ・ペイチャックがバラモン教原理主義集団でもあることは認知されていた。山内も、同じ仏教絡みということで連絡を取ったのだろう。

「そうでしたか!それは心強い。私もすぐに参ります。」

『よろしければ、空港までお越しいただけるとありがたいです。ああ・・・警察をタクシー代りに使っちゃいけませんよね。』

「とんでもない、業務ですからね。わかりました!」

大山は心から喜んだ。頼りになる存在がやってきてくれたのだ。

だが大山は、山高が金剛力士の性を持つ天台裏衆であることは知らなかった。金剛力士としてすべてのエネルギーを大黒天との闘いで消耗しつくしていた。

山高には子供がいるので、天台裏衆の性は死ぬ間際に子供に継承され、その時点で再びエネルギーはフル充電される。だから山高は、今度の来訪ではその力を使うことはないとわかっていた。だが、何らかの形で戦わねばならないともわかっていた。

大山が川北空港に着いたとき、山高はそれなりの準備を終えていた。

「先生、ようこそ!」

現時点では何も知らないであろう大山を、山高は笑顔で迎えた。

「刑事さん、本当に久しぶりです。」

「いやあ嬉しいです!ちょうど今、面倒な事件でして。」

「ミャンマー情勢、不安ですね。プラーナ・ペイチャックはいつか暴走すると言われていましたから、私たちとしてはやっぱりという思いではありました。」

山高と大山は歩きながら話し、警察車に乗り込んだ。川北署に向かう間、2人は様々な話をした。大山が特に聞きたかったのは、プラーナ・ペイチャックの裏の顔だった。当然のように警察でも把握はしていたのだが、仏教界からの情報も貴重なのだ。


肝心なことは署内で聴かなければならないが、宗教界としての見解は非常に参考になった。大山は知らなかったが、イスラム教、キリスト教、仏教のトップは無形のネットワークを持っているということだった。

「へえ?そうなんですか?」

「もちろん新興宗教は論外ですが、かつての宗教戦争を回避するための会議のようなものはあります。当たり前に、我々には内容はわかりませんがね。」

世界にはまだまだ宗教絡みでのいさかいは絶えない。ムスリムでもシーア派とスンニ派の争いはいまだにあるし、ミャンマーでもロヒンギャで仏教徒とムスリムの問題などが発生してはいる。そういう宗教世界会議のようなものが行われていることも納得はできる。

「では、今回のことについても?」

「もちろん話し合いは行われているはずですが、あそこはかなり異質ですから。」

山高が言うには、プラーナ・ペイチャックはそもそも麻薬というものがベースになって発生しているので、絶望からの救済という従来の宗教とは発端からが異なっている。

「宗教というものは、本来は絶望救済です。ですがそれが政治やカネと結託することによって拡大戦争へ発展していった歴史があります。そうなるとむしろ、暴走を抑え、国内を統一する手段として用いられることが多くなりました。しかしプラーナ・ペイチャックは最初から国内統一、暴走抑制が目的だったのです。ですから、絶望救済という従来からの概念が非常に薄いのです。」

大山は軽く唸り声をあげた。

「うーむ・・・となると、我々も宗教として捉えるのはある意味間違っているとなりますね。」

「一応形式上はキング・アスラを主神とする宗教ではありますが、そういう意味ではね。」

「その支所と申しますか、関わりある川北にもあってですね。」

「へえ?そうなんですか?法人になっているんですか?」

「いやそれが、行真会という半グレ集団でして。」

「ぎょうしん?・・・行く真と書いての行真?」

「え、ええ、そうです。先生よくご存じで・・・。」

「刑事さん!何でそれを早く言ってくれないんですか?」

山高の声のトーンがいきなり上がった。

「ど、どうされたんです?」

「これでよくわかりましたよ。なぜ署長さんが私に声をかけてくださったのかが。そうだったのか・・・。」

山高はそれ以降黙り込んでしまった。仕方がないので、大山は川北署に向かって車を走らせた。

その間、山高はずっと考えていた。世の中の因果関係というものは、人智を越えたところであることがほとんどである。

(山内が自分を引き寄せたということは、しかも行真という名が出てきたということは・・・。となると、その主役は・・・。)

それは、これまで以上の戦いになることも示していた。山高は、今の自分では何の役にも立てないこともわかっていた。今回の敵は、今回の主役でしか相手できない。

自分ができることは何なのか、山高はひたすらそれを考えていた。


19 


かおるが最後に訪れたのは、川北市北部にある康安寺だった。空港から直行してきたので、荷物もそのままだった。

「おじさん、ここに置かせてね。」

かおるは春道がいる「まほろば堂」に荷物を置き、戸を閉めた。ここは天台裏衆の結界があるため、誰もここを開けたりはしない。

康安寺は、平城天皇第三皇子高岳親王、後の真如が陰陽師の十全と共に建立した寺であり後に消失したが、蒙古襲来を受けた鎌倉政権が関東御教書を発して禎宣と禎久が再度建立したものだ。全盛期には、この地を治める菊池の重鎮内空閑の庇護を受け、全国から修行僧たちが集まってきたほどの霊場でもあった。

西南戦争の際にも激しい戦闘の中にあってさえ消失しなかった。春道は仏を守護する八神と共に悪霊の化身蛇骨を、この戦いの裏舞台で戦い、そして戦いの中心である迦楼羅とともに葬ったと語っていた。

かおるはそのことは知識としてしか知らなかったが、迦楼羅がどれだけ凄まじい戦闘能力を持っているのかは知っていた。そしてその八神の中に、継承が最も困難とされる阿修羅がいることも。

かおるは土地の人々が案内を務める事務所に挨拶し、康平寺に安置されている二十八部衆のお堂に入った。

「すごいわ・・・。」

禎久の弟子浄正が奔走し、仏師茜丸が彫り上げた二十八の眷属たちが配置されていた。鎌倉政権から御醍醐天皇による親政を経て、足利政権になってようやく完成した仏像たちは都会の洗練された芸術的な仏像とは異なり、荒々しく凄まじいエネルギーを感じさせるものだった。

かおるはその眷属たちをひとつひとつ眺めていった。まず目に止まったものは、この中でも最も異形の像だった。他の像らが人間の姿をしているのに対し、それはまず翼と嘴があった。明らかに他と違う、根本的に人智を遥かに超えた存在のものだとわかる。

「迦楼羅・・・。」


インド神話のガルーダが漢字変換されたものが迦楼羅であり、神の鳥、つまりヤタガラスの元である。鳥は悪魔の化身とされる猛毒の蛇を食べてくれ、大空を舞う。古代から鳥は神聖なものとして考えられ、各地に不死鳥や火の鳥の伝説を残している。その鳥が止まる処が鳥居であり、神を保護している。

かおるは迦楼羅に合掌して頭を垂れた。そして顔を上げ、さらに眷属像を見て周った。

「あった・・・。」

ある意味、迦楼羅以上に異形の姿をした像があった。最近女子に人気があるイケメンの像とは根本的に異なる、凄まじい怒りを三方向に発している。

「阿修羅・・・なんて凄まじい怒りなの・・・?」

生々しく人の怒りをこれほどまでに描いた像は見たことがない。


「これ、すごかでしょ。」

「え?」

かおるの後方から話しかけてきたのは、ここを守る地元の人だった。

「この阿修羅王さんは、本当に怖か。ばってん、俺たちにとっては、こっが阿修羅と思う。人間の怒りをこれでもかと発散しよらす。」

その男は農作業の服のまま、ここで案内をしているようだ。

「ああすんまっせん、私は有働と言います。阿修羅さんは、元々はインド神話のアスラでしてね。いわば、インドの悪魔ですたい。そっがいつの間にやら、仏さんの守護になんなはった。そっだけ、敵に回すと恐ろしかったんでっしょねえ。」

「有働さんは、お詳しいんですね。」

有働はタオルで汗を拭きながら、眷属たちを見渡した。

「私らは代々、ここば守ってきとります。そらあ、そんくりゃあは知らんば。」

「この・・・阿修羅さんですけど、こちらのはどうしてこんなに怖いお姿を?」

「京都とかにあっとは芸術でっしょが。こらあ、本当にお守りです、鬼瓦んごたるもんです。そぎゃん思えばよかとじゃなかでしょか。」

かおるは思わず吹き出した。

「阿修羅さんが鬼瓦って・・・。」

有働は照れ臭そうに笑いながら去っていった。だがこのさりげない会話の中で、かおるは何かヒントのようなものを感じることができていた。本来は悪魔だった存在が仏を守護する眷属になるということは、アスラの中に悪魔だけではない何かがあるということだ。

今回の経過について、かおるはまだ何も知らない。だがかおるの直観が真実に相当に近づいてきていた。羽間とさなえ、大山と山高が探っているプラーナ・ペイチャックと行真会の真実は、ある一人の人物に行きつく。その人物こそが終着になるのだ。

かおるは康安寺を出て、再び、まほろば堂に戻った。

「おお、戻ったか。」

中には春道がいて、酒を飲んでいた。

「行って来たわ。すごかったあ。」

かおるはまほろば堂の中に入り、戸を閉めた。閉めて中を見たかおるは、目を疑った。極めて狭い小さなお堂のはずが、広々とした屋敷に変わっていたからだ。

「ここは?」

「わしと婆さんの住まいじゃよ。」

「ヒサさんのお屋敷?」

「そうじゃよ。」

春道の横に、老婆の姿が浮き上がってきた。膝に三毛猫を抱いていて、茶を飲んでいる。

「あら、ヒサおばさま、お久しぶりね。」

「あたとうちらは時間が違うけん、ついこの間会うたばっかしたい。」

相変わらずの強い口調に、かおるは苦笑いした。

「そうよね。おばさまたちは時間と関係ないところで住んでるし。あたしの感覚だったわ。」

天台の裏衆は、基本的には高次元の力を持ち、高次元に戻っていく。だが八神は現世にも姿をとどめておくことができる。このまほろば堂は、彼らの世界に入っていける者にとっては入り口ともなっている。

「阿修羅、見てきたわ。あれが本当の姿?」

「まあな。わしらと共に戦った時には猪の姿じゃったがな。」

「猪?」

「・・・阿修羅の性は因果での。わしらの仲間となったのはでかい猪での、人が最後に猪に食われることによって継承がなされたのよ。」

かおるは息を飲んだ。阿修羅の継承は困難とは聞いていたが、まさかここまでとは。

「そうだったの・・・でも、今度わたしたちが相手にしなくちゃならないのは、おそらく阿修羅なの。」

「なに?」

春道の声が変わった。

「あの猪が姿を消し、阿修羅めがどこに行ったのかと思うておったが・・・まだ暴れておるのか。」

「そうさせた者がおるのよ。」

ヒサは猫を撫でながら答えた。ヒサの性は摩睺羅伽であり、あらゆるものを見通せる力を持つ。蛇の性ではあるが、蛇骨のように悪魔に徹したものではなく、仏の守護として存在している。

「おばさま・・・それはやはり、あのお方でしょ。」

「さすがよの、政子・・・いや、毘沙門天。あ奴じゃ。あ奴が彷徨うておった阿修羅を捕まえて・・・いや、逆かもな。彷徨うておった阿修羅が、あ奴に近づいていったのやもしれぬ。阿修羅が暴れる何かのきっかけが海の向こうにあったような・・・。」

「それ、ミャンマーよ。プラーナ・ペイチャック・・・しかもあの真如さんも阿修羅を探して盗難アジアに渡っていた・・・因果があるわ・・・。」

ここで初めて、ミャンマーと日本が再び繋がった。

「ではプラーナ・ペイチャックを作り、行真会を作ったものって・・・?」

「左様。あのお方じゃ。蛇骨の因を受継いでしまわれた高岳親王様の魂が宿しお方・・・後白河院じゃ。」

後白河天皇・・・白川、鳥羽と続き強大な院政を行った上皇。平清盛と時には味方、時には敵と立場を使い分け、義仲、義経、行家を使って平家を滅し、なおかつ頼朝に対しても強硬手段を講じた策士でもある。

後白河への圧力の意味もあって、頼朝が滅したのが奥州藤原である。東北の脅威がなくなると、頼朝は上皇に圧力をかけ、これでようやく後白河の院政は終わった。彼の皇子たる後鳥羽は父の意思を継いで鎌倉に対して打倒を仕掛けたが敗れ、これにて院政は事実上終焉を迎えた。

「高岳親王は蛇骨との戦いの中でその因を植え付けられてな。故に親王はシャムに出ていかれて、かの地で滅された。親王滅された後、蛇骨の種は日本とシャムに分かれて残った。シャムで親王はお子を作られ、そのお子のひとりはシャムに、そしてもうひとりは日本に来られたのよ。それから縁あって子孫が入内しての。側室にしたのは白河上皇よ。その曾孫が後白河、雅仁としてこの世に生を受けた御仁じゃ。蛇骨の印は盗難アジアと日本とに分かれた。その意味がわかるな。」

かおるはゆっくりと頷いた。プラーナ・ペイチャックと行真会、日本と東南アジア、3体の怒り、トリムールティ、阿修羅・・・これらの全てが繋がった。

「だけどやっぱり、ここはわたしじゃないわ。あの人でないと・・・でも、まだあの人は目覚めてないの。」

「毘沙門天よ、心配せんでもよか。もうすでにほとんど目覚めておる。もう間もなく、しっかりと目覚めることじゃろうて。」

ヒサの言葉は絶対だった。かおるは、大山の真の目覚めが近いことを知った。


20   


大進さなえは、京都東山区を散々に調べて回った。しかし行真が後白河上皇の名であるという情報以外、全く何の進展もなかった。困り果てたさなえは、もうこれ以上進展がないと判断し、一旦川北に戻ろうと考えていた。

「あーもう疲れた!後白河って人、何にも残してないんだもんなあ。」

後白河院に関するものはたくさんあるのだが、行真に関する者は何もなかった。そもそも行真会と羽間との間には何もないのではないかと思うようになっていた。もうこれ以上は無駄と判断したさなえは、疲れた体を休めるためにどこか温泉にでも入ろうと思って探したが、どこもいっぱいだった。

昨今の日本ブーム、中でも京都ブームということもあって外国人がやたらいて、それもストレスになっていた。なにせ地方都市川北まで来る外国人など珍しいのに、ここでは右を向いても左を向いても外国人観光客ばっかりなのだ。

「あーもう!どっかないの?」

さなえはとりあえず、京都の暑さから逃れるために辺りを見渡した。すると見逃しそうなほどの小さな看板が目に止まった。

「わー!助かった!まるで私のためにあるようなお店。しかもかわいい。ここで休もう。」

さなえは茶屋に入った。

「茶房道尊・・・なんでもいいわ。喉があ・・・死ぬ~・・・。」

そこは小さな茶屋で、しかも路地裏にあるために誰もいなかった。4人がけのテーブルが2つあるだけで、内装は全て木が作られている、いたってシンプルな造りだった。

「すみませーん。」

さなえの呼びかけに、奥から見た目60歳くらいの綺麗な女性が割烹着姿で出てきた。

「はい、お待たせいたしました。おいでやす。珍しおすな。こんなところにようこそ。」

京都らしい、上品な物言いだった。

「すみません、白玉あんこと、抹茶スムージーいただけますか。」

「はい、お待ちください。」

エアコンが効いた店内は快適で、やっと聞こえるほどの音量で、囃子のようなものが聴こえていた。

「はあ~生き返る。でも、署長怒るだろうなー。何か買ってかないと・・・いやいや、甘味もダメって言ってたよなあ、あのクソジジイ。やっぱ酒かなあ。何かあんのかなあ。にしてもさあ、あの筋肉馬鹿、もうちょっとマシな情報調べろってえの!このあたしに一体なにを・・・。」

「はい、お待たせいたしました。」

注文していたものを置きに、店主が持ってきてくれた。しかしさなえはこれまでのストレスを独り言で発散していたので驚いた。

「わー!・・・あ、ども・・・。」

さなえの驚きっぷりに、女性は思わず笑いが出た。

「お客さん、京都はお初ですか?」



「あ、はい。九州からです。」

「あら。暑うおしたでしょ。京都の夏はねえ。」

「あ、でも九州も暑いですよお。」

「ここも、今日オープンしたばかりなんですよ。でも何にも宣伝しておまへんさかいに、だーれも来はりしまへんやろなあって思うておりましたんや。では、ごゆっくり。」

さなえは抹茶スムージーを飲んだ。

「うわー美味しい!この濃厚な味って・・・あ、豆乳!へえー、これあたし好みだわ。どれどれ、白玉あんこは・・・くー!これもうまい!白玉もあんこも最高!あー幸せ。これでもう行真なんか忘れて・・・。」

さなえはそこまで言ったとき、茶のおかわりをしに来た女性が固まったことに気がついた。

「あ、す、すみません。あんまり美味しくてつい・・・。」

「お客さん、今、何て・・・?」

「へ?い、いや、この抹茶スムージーの豆乳と・・・。」

「いえ、その後です。」

「あ、白玉あんこですか?」

「その後!」

さなえは自分が何を言ったか考えたが、思いつくことはひとつしかなかった。

「ぎょ、行真、です。」

「行真・・・お客さん、どなたさん?」

「あ、あたしは・・・。」

さなえはうっかり職業を言いかけたが、こんな場合はまず相手を見てからという鉄則を思い出した。

「あの、まずですけど、なんで行真にそこまで驚かれるんです?」

女性はさなえを少しの間じっと見て、そして被っていた手拭いを取った。

「あ、す、すみまへん。お客さんにいきなり・・・。」

「あ、いいんです。それよりなぜです?あたしがお聞きしたいんですよ。行真ってどこにも名前がないから。」

女性はさなえの前の椅子に座った。

「今日はどないなってんやろ。お初のお客さんと・・・でも、わたしがいけないんです。いきなりで・・・。」

「何かありました?お話、訊かせてください。」

「・・・はい。わたしはここの主人で、和歌宮敬子と申します。一度離婚してからも、子供たちのこともあってずっと和歌宮姓を名乗っておりましたが、旧姓は安井でした。ただ、安井の家は代々庄屋だったんですが、曽祖父の代までは・・・その・・・行真と名乗っていたそうです。」

「え?そ、そうなんですか?」

とんだところから行真に関するネタが転がり込んできた。だが敬子は急に怪しい者を見る目でさなえを見てきた。

「あのー・・・ひょっとしてお客さん、記者さんですか?」

「え?」

「何か記事のネタになるんをお探しはっておられるのかと・・・。」

さなえは自前の服で来ていたのだが、実は署内でも評判の服のセンスゼロさだった。この日も警察官だと悟られないようにと、センスの悪いボーダーTシャツにヨレヨレのデニムといういでたちだった。

さなえは改めて自分の服を見て、散々に大山らに馬鹿にされてきたことを思い出して頭に血が上った。さなえは立ち上がって自分の顔を両手で支えるようにして叫んだ。

「あ、あたしは、これでも、警察なんです!ほら!」

さなえは警察手帳を敬子に見せた。

「あ、あらあ!これはとんだことで・・・。」

「み、見えないでしょうけど!あたしは!警察官として!行真について調べてきているんです!」

敬子は呆気に取られてさなえを見ていた。


21 


山高は山内らとの協議を終えた後、川北市内にある天台密教系の彼岸院に来ていた。ここではシヴァの日本版大黒天ではなく、本来の狂暴神として憤怒相の大黒天、つまり降閻魔尊、別名大威徳明王を主神としている、数少ない密教寺院である。

ここで山高は院主である佐々木千代助と対面していた。佐々木の齢は70歳だが、背筋も伸び、若々しかった。佐々木も比叡山裏衆であった。

「・・・まさか・・・そのようなことが・・・しかもなぜ今なのです?」

「答えはわかっております。かの源三郎頼朝が復活しているからです。」

「ここで?」

「そうです。私も会いましたが、まだ現世の深い壁の中で眠っております。しかしながら、毘沙門天政子も復活しております。頼朝と政子転生に伴い、その因果のゆえに雅仁公が復活なされたと解釈すべきでしょう。魔王の強力な力によって様々な妖怪や化身が次々に復活していき、九州の地方都市においてまつわる事件が数多く起こっております。わたしもシヴァ復活を止めるために金剛力士の力をフルに使いきって成功いたしましたが、ゆえに今世ではもう力を使うことはできません。そこで、ご院主とこちらのお力をお借りしたいと思う次第にございます。」

佐々木院主は目を閉じ、少しの間止観した。そしてゆっくりと目を開け、答えた。

「わが性、帝釈天に問うてみた。間違いのう、雅仁様だと申された。それにのう、雅仁様が復活なされたのは、我らが宿敵蛇骨めがしばらくは眠っておるゆえのようじゃ。」

「蛇骨・・・では、それまでは蛇骨に抑えられていたから、でしょうか。」

「左様。西南戦争は裏を返せば、康安寺における蛇骨復活の最終段階であった。もちろんあなたもご存じのように、蛇骨は次元を越えて現れます。だがあの戦いにおいて、我ら天台裏衆の八神が全力で阻止いたしましたので、当分はいかなる次元、いかなる世界においても復活は困難でありましょう。それを察したと思われます。」

「・・・困ったお方ですなあ。本来であれば、我らの出番ではないところです。」

「だから、三郎様でなければならぬのでしょう。我らはあくまで補助です。真実は逆もまた然り。三郎様と政子様が転生なされたのも、決して奇遇ではありますまい。」

佐々木院主は、奥にある主神像を見て合掌した。

「大威徳明王は、かつては三面六臂の姿で描かれておりました。阿修羅はその姿を受継いだもの。我らがこれに関わるのも、定めなのでしょうな。」

山高は頷き、礼をして彼岸院を後にした。今回山高は、自分がなさねばならない使命を理解していた。以前のように、裏衆としての戦いに参加するのではない。

あくまで、目覚めさせることだ。そのために為すべきことはわかっていた。

山高はしばらくの間大山らに協力しながら、白水かおるの帰省を待った。そして川北に到着して3日後、かおるから連絡が入って今日の最終便で戻るとメールがきた。

山高は大山にも言わず、タクシーで空港まで迎えに行った。

「山高さん!お久しぶりです!」

「おかえりなさい。」

2人の裏衆は、裏衆同士の挨拶として秘密の、印を結んだまま手を合わせるというスタイルで交わした。一見すると普通の握手に見える。

「お疲れでしょうが、今お聴きしておかねばなりません。どこかでお話ししましょう。」

「はい・・・わかっております。わたしの・・・オフィスに参りましょう。」

山高とかおるは、かおるの事務所に向かった。山高から見ても、かおるのやつれようはひどかった。よほどの経験をしてきたのだろう。

かおると山高はオフィスに到着し、山高はかおるを制して持参してきた缶コーヒーをすすめた。かおるは感謝して飲み、ソファにもたれかかって大きく息を吐いた。その吐息が黒くよどんでいたのは、裏衆である山高にはわかった。瘴気に近いものが発生するほどに、無念の想いを吸い込んできたのだろう。

「山高先生・・・今回は・・・大変でした。わたしは・・・九郎義経様・・・十郎行家様・・・藤原泰衡様に、お会いしてまいりました。」

「おそらくそうだと思っておりました。雅仁様が裏で操り、故に非業の死を遂げざるをえなかった方々の恨みが、後白河院によって練られ、阿修羅として復活する・・・そうですね。」

「はい・・・それだけではありません。東南アジアにおける真如様の悪しき遺伝子が残っており・・・それが後白河院と反応してプラーナ・ペイチャックとなり・・・彼らによって操られたのが・・・行真会です。警察やミャンマー国軍が対応していますが・・・彼らはあくまで現世での仮の姿・・・本体を滅することなくして収束はありません。」

かおるはやっとのことで話したが、ともすればそのまま倒れそうになるほど疲れていた。

「白水さん、そのまま動かないでください。」

山高はかおるに向かって大威徳明王の印を結び、真言を唱えた。

「オン・シュチリ・キャラロハ・ウンケン・ソワカ」

そして九字を切り、目を閉じた。

「かはあ・・・。」

かおるは腹の底から息を吐き出し、ぐったりとソファに倒れこんだ。

「白水さん、これで瘴気の元は取れました。今日はこのままおやすみなさい。明日また、お話をしましょう。」

かおるは倒れたまま印を結んだ。

「申し訳ございません、先生。今しばらく、わたしは天界にて英気を養います。それまでの間、三郎様を・・・。」

「承知しております。ここからが私の本当のお役目。時が来た際には、あなたも復帰できるでしょう。」

かおるは頭を下げAIスピーカーに命じてエアコンをつけた。

「では先生・・・ここはオートロックです。ご心配なく・・・お帰りください・・・。」

「では・・・。」

山高はソファ横にあったブランケットをかおるにかけ、そして部屋を出た。山高が去った後で、かおるはAIスピーカーに照明を消すよう命じて、仰向けになった。そして両手の小指、人差し指、親指を合わせ、中指と無名指は折って合わせた。

毘沙門天の印である、多聞天印だ。目を閉じ、真言を唱えた。

「おん べいしら まんだや そわか」

すると、かおるの魂は一瞬にして光の国に飛んだ。かおるが言うところの天界である。

絶対無から物質が誕生したと同時に天界も存在していた。この世における意志の根源だ。


裏衆になる条件のひとつに、この天界を各自でどうイメージできるかがある。

ここには裏衆の性たる神がいて、つねに魂はここと繋がっている。現世では現世に合わせた肉体を持たねばならないが、本体はこちらにいる。裏衆が英気を養うということは、ここに戻ることを意味する。言わば、究極の自己解放である。かおるの魂はここで本来の力を蓄えることになる。

癒しの光に包まれて、かおるは心身共にぐったりと力が抜けていった。暗闇であるにも関わらずかおるの身体からは柔らかい光が発せられ、立ち昇る光は人の形に変化していった。かおるの性である毘沙門天は、裏衆の力でもあり、守護でもある。これからかおるの英気が完全に満たされるまで、誰も近寄ることはできなくなる。

静寂が訪れていた。


22  


「えーっと・・・と言うことはですよ。和歌宮家は後白河院の家系であるという証拠があったんですね?」

「はい、そうです。」

「お祖父さまは間違いなく、それをご覧になられたとお聞きしていた、と。」

「何度も何度も聞かされました。行真の家は、後白河様のご落胤の家系だと。」

さなえは和歌宮敬子に話を聴くうちに、行真家から和歌宮姓に変わるくだりになってきていた。敬子はその証拠を、祖父が見たと証言したのだ。

それによると、後白河院は出家して法皇となる際に、行真と名乗ったそうである。後白河院は歳を重ねても好色であり、子は何人もいたようである。その子の誰かが密かに野に下り、庶民として暮らしていく中で荘園主となった者がいて、それが後世に行真家と名乗って続いていたと言うことらしい。

「では、代々の家長が行真を名乗っていたということなんですね。」

「そうですなあ・・・私は歴史とかにはとんと興味がおまへんのやけど、ただ、ご維新のときに行真姓のお家は絶えたとは聞いております。」

「維新って、明治維新のこと?」

「はい、そうです。」

「ふーん・・・。」

まだ今のところ、この情報が羽間脅迫状に繋がるものではない。この和歌宮敬子という行真家の末裔もそれ以上は知らなさそうだ。となると彼女に関する安井家を調べなければならない。

「ええと、ご実家は・・・安井のおうちって京都ですか?」

「いえ、石川県の加賀市です。」

「石川?」

一応山内署長に確認しなければならないが、そこまで行けるのだろうか。その前にまだここで聴いておかなければならない。

「ええと、加賀市の、どのあたりで?」

「へえ、朝日町いうことです。」

「すみません、わたしは聞いたこともないところです。そこって、京都とか行真とかと何かしら繋がりがあったり?」

「ありますよ。」

「え?あるんですか?」

「へえ。あそこには北陸宮さんのお屋敷跡があるんです。」

「・・・あたしも、歴史には全く興味ないんで、すみません、北陸宮って?」

「後白河法皇さんの息子さんはようけおられるんですけど、法皇さんの何番目かのお子さんが以仁王さんて言わはるんです。このお方が、平家を破れいうお触れ出しはって、それで戦争になったそうです。以仁王さんはそれでお亡くなりになりはったんですけど、それを真に受けはったのが木曽の義仲さんていう源氏の大将でおましたそうですねん。その大将はんが、御旗にしはったんが、以仁王さんのお子さん、北陸宮はんです。そのお方が住んではった御所の跡地がおますところのすぐ近所に、うちはありました。」

歴史に疎いさなえだったが、必死でメモを取り、確認した。

「ええとつまり、北陸宮さんって後白河法皇さんのお孫さんにあたる人ってことですね。」

「はい。その北陸宮さんのご落胤がおられたんですけど、誰ともわからん女の人に産ませたお子さんのようで、その子が土地を貰って代々続いてきたと言われてます。後白河法皇さんは、稀代の大天狗て言われたほどのお人やそうですねん。」

ここでも後白河院との繋がりが出てきた。さなえの中では、後白河院という男がとんでもない腹黒エロジジイのイメージとなっていった。

「で、なんで明治維新のときに行真姓が終わったんですか?」

「へえ。ご維新の時には宮家の方々がようけ東京に行かれはったそうです。で、ご先祖の行真さんは一応公家の末裔言う誇りをお持ちになっておられたそうで、自分たちも東京に行こうと思われたそうです。ですけど後白河法皇さんのイメージがほんまに悪うおしてな。東京に行ったところでどうなるもんやなかろうという考えもあったとか。」

さなえはそりゃそうだろうと思った。聴いているだけでも悪そうだ。

「それで行真の名前を捨ててほんまの庶民として生きるかどうか、2人のお子さんに訊ねたそうです。長男さんは、行真はもうええと。それで別の名前を、お母さんの里の名前を取って安井にしたそうです。で、弟さんは、行真を捨てるの嫌や言うて、土地も財産もいらん言うて、出ていきはったそうです。」

さなえはメモの手を止めた。

「あのー・・・と言うことは、安井さんのご実家としては行真を名乗っておられなかったと。だけど、弟さんの方が行真を名乗っているということなんですね。」

「そういうことになりますね。今はもう何をされておるのか、わかりしまへん。」

「ついでにですけど、何かそのへんのことで参考になるようなものあったりします?」

「ええと・・・あったかいなあ・・・ちょ、ちょっと待っておくれやす。」

どうやらここは2階が自宅になっているようで、敬子は2階に上がっていった。その間にさなえは山内に連絡して加賀まで行っていいか確認したが、今回は帰ってこい、予算がないということだった。

(ま、そりゃそうだ、と。)

地方中核都市の警察なんざ、予算が知れている。京都に2泊3日までの経費しか出ないのに、石川まで行ったら倍以上必要。

明日には帰るしかないよねえ、などと考えていたら敬子が降りてきた。

「お待たせしました。ありました!」

「え?」

「わたしの実家にあったアルバムです。ひょっとしたらこの中に行真さんがいはるかも。」                                                                     

敬子が持ってきたのはかなり分厚いアルバムで、古臭いものだった。敬子はパラパラとページをめくり、じっくりと探し始めた。その中には敬子の若い頃の写真もあった。思った通りに綺麗だった。

中には若い男に肩を掴まれ、ラブラブの写真もあった。

「へえ、ご主人ですか?」

「え?・・・あ、あらあ!恥ずかしいわあ。これ、最初に婚約した人ですねん。なんやら、一方的に縁切りされてしもうて。九州のお人でしたんやけどなあ。今ごろどないしてはるんやろ。いやあ、こんなんまだあったんやあ。」

しかしさなえはと言えば、さきほどのスイーツだけでは全く腹の足しにならず、ギュウギュウと腹が鳴り始めていた。敬子の思い出話などどうでもよくなっていった。

(京都のラーメンって九州のよりも濃いって言うしなー。パンも美味いって言うし。京懐石も食べたいし。あーカツサンドもあったわ。食べたい~~~~~~~。)

「あ、これや!」

「カツサンド!」

「へ?」

「あ・・・いや・・・な、なんです?」

「いや、そのカツサンドですよ。」

「はい?いや、カツサンドはわたしの・・・え?」

自分の妄想だと言いそうになったが、さなえは敬子が指さした集合写真を見て、目が丸くなった。写真の横には明治25年と書かれており、家族写真のときに撮ったもののようだ。

敬子が指さしたところには矢印が書いてあり、そこには『おばんサンド創業者 行真二朗』と書かれていた。


23  


川北署の資料室では、羽間が調査を進めていたが遅々として進んでいなかった。なにせ頼りは、あの大進さなえだけなのだ。ここにあるのは行真会に関することだけだし、しかもその実態は本当に雲を掴むようなものだ。

麻薬捜査官の執枝拓馬によると、おそらくは日常では普通のバラモン教信者であり、プラーナ・ペイチャックに所属しているというだけなのだろうと言うことだった。そして彼らに何らかの暗示をかけ、麻薬による依存症をうまく使って、何らかのシグナルを与えると反応して破壊行動その他に移行するのではないか、と。

だから普通は穏やかでおとなしい人間が実は比較的穏やかな麻薬を吸っていて、入信するにあたって催眠教育を受ける。そうすると潜在的テロリストが誕生する。

彼らが構成員となっているのであれば、確かに行真会自体は実体がないとなる。そもそも構成員になるという意思がないのだ。指令あるときのみ彼らは無意識に麻薬を吸い、そして犯罪行為に走る。

かつて11世紀から13世紀にかけて現シリアで活躍したイスラム教ニザール派は、ハシーシュと呼ばれる麻薬を吸って暗殺を行い、ハシーシュから変化したアサシンという言葉が誕生したと言われている。ハシーシュは麻薬ではあるが過度な依存性はなく、嗅覚や味覚が鋭敏化して元気にもなる。暗殺の際に必要とされる、隠密行動をとるときには非常に有効である。

行真会は、まさに現代版アサシンとも言える。プラーナ・ペイチャックはおそらく、ハシーシュより安全で、なおかつ効果的な麻薬を開発しているのだろう。

だが依然として、その存在が確定できないでいた。調べた限りでは行真会には行真健一というトップがいるらしいし、プラーナ・ペイチャックは集団指導形態であろうとも言われているおまけに、これが一番羽間の心を悩ませているのだが、父親はどうやら養子で羽間家に来たようなのだが、旧姓は行真だ。

自分と行真会の間にどんな関係性があると言うのだろうか。時々は外出して『ラ・クア・クチーナ』で飯を食い、小野道子に愚痴を聴いてもらうしかストレス発散の方法はなかった。

普段は体力を使って仕事をし、ストレスとは無縁の生活を行っている羽間なのだが、今回は本当に自分らしくないと実感していた。

「マジで、どうなってんだよ・・・。」

つい独り言も出てしまう。さなえがいる間はまだ話し相手になってもらえたが、一人で黙々とやるなんて、勉強ですら友人とでなければやれなかった羽間にとって地獄のような経験だった。さなえが京都でヒントを掴みかけていた頃、羽間は資料をチェックしながら寝落ちしてしまった。

夢の中で、羽間は中学生時代に戻っていた。教室にいる羽間は、そこで他の女子と楽しそうに話しているひとりの女の子が気になった。どこかのアイドルかと思うくらいに可愛かった。羽間は目を合わせることもできず、黙って自分の椅子に座った。

「羽間くん。」

「え?」

声をかけてきたのは、その女の子だった。


「ど、どうしたの、小宮山さん。」

女の子の名は小宮山祥子だった。

「今日の部活、出るの?」

「あ・・・ああ。俺、レギュラーだし。」

羽間はラグビー部であり、一年生でありながらすでにレギュラーだった。小宮山祥子はラグビー部のマネージャーだった。

「あたし、今日はちょっと家の用事で出れないの。ごめんね。」

「あ、そうなんだ。」

そっけない返事しかできなかった。

「こないだの試合、羽間くんすごかったねー。新入生で3トライでしょ?先輩たち、目を丸くしてたよ。」

「ああ・・・あ、ありがとう。」

祥子はクスっと笑うと、カバンから何か袋を取り出した。

「あたし、今日は食欲なくってさ。持ってきたんだけど、食べる気がしないの。良かったら食べて。」

「え?」

「ここのカツサンド、美味しいんだよ。」

祥子は袋を羽間に強引に渡し、離れていった。

「ちょ、ちょっと・・・小宮山さん!・・・え?」

祥子の後ろ姿が瞬時に変化し、髪がやたら盛られていた。振り向いた顔は、可愛いアイドルのものではなく、ケバいメイクの、いかにもな水商売の顔だった。

「うっせえんだよ!とっとと食え!」

羽間は驚いて後退し、なぜかそこにあった穴に足を踏み外して落ちていった。

「痛ってえ!」

羽間は椅子で寝落ちしていたのだが、椅子から滑り落ちる間に夢を見ていたようだ。腰を痛打したようで、羽間は腰を押さえながら立ち上がった。

「小宮山祥子・・・可愛かったなあ。あいつがまさかねえ・・・胡蝶蘭マキになっちまうとは・・・。」

羽間は胡蝶蘭マキとなった祥子を救おうと尽力したのだが、とうとそれは叶わなかった。今まで夢に出てきたことなんてなかったのに、何で今ごろ出てくんだよ・・・と思い、床に散らばった資料を集めた。

「ん?これは・・・?」

何も書いていないクリアファイルがあった。記憶になかったが、何も書いていないと言うことは、必要かどうかわからない資料をとりあえず詰め込んだものだろう。

そういうものはよく出てくる。

羽間は整理ついでにクリアファイルの中を探り、中にあった封筒の中身を見てみた。やはり、殴り書きのメモとか何かの参考になるかもレベルのものばかりだった。どうせ何もないもののはずだ、と思いながら見ていた羽間は目が止まった。

「これは・・・大進先輩がくれたコンビニサンドのラベルだ。何で俺、こんなの持ってたんだ・・・あ!」

そのラベルには提携先の企業社長の顔が印刷されていた。

「そうだ思い出した。この顔に見覚えあったんだった。誰だったかなあ。」

どこかで見たことがあるのだが、どうして思い出せないでいた。ラベルには「おばんサンド」と書いてあるが、全く記憶にない。京都発の名店なんだろうが、さっぱりわからない。

どうしても思い出せないので、羽間はそのファイルを机の真ん中において、後で思い出すかもと思って他の整理をした。多くの資料があり、どれもこれも泣くような努力で集めたものばかりだった。羽間は何回も見なおしていたので、何が書いてあるかは大体把握していた。

見ただけでこれは何、あれは何とわかる。そうやって整理していたとき、羽間の手が止まった。それはノートに整理したもので、行真会の店である『ミステリーファイアー』の資料だった。そのノートの表紙に羽間は店内スタッフの相関関係を殴り書きしていたのだ。

羽間はなぜか相関図に目がいった。

「これ、なんかあるのかな?」

ミステリーファイアーのスタッフはその多くが姻戚関係にあった。親戚だったり親子だったりした。行真会が家族単位で準構成員を増やしていた証拠だ。

その中に、店長とチーフが親子関係にある、と書いていた。父親が店長で、息子がチーフだった。

「親子でねえ・・・え?・・・親子・・・ああああああ!」

羽間は、突然あのサンドイッチ会社社長の顔を思い出したのだ。

「一度だけ会ったことがあった・・・あの時の人だ・・・。」


24 


山高と大山は、署長室で山内を交えて話し合っていた。今回の事件というものの本質を、山高の意見を交えて捜査しようとしていたのだ。

「以上が、プラーナ・ペイチャックの本質です。」

山内と大山は宗教界からの意見を訊いて、同時に腕組みをした。山高の話は、予想を越えたものだったのだ。

「行真とは、まさか後白河法皇の別名だったとはなあ。しかも、プラーナ・ペイチャックが信者をマインドコントロールして麻薬密輸や暴力行為をさせていたとは・・・それが行真会・・・。となると、こりゃ公安の出番ってことになりそうだな。」

山内にもようやく、プラーナ・ペイチャックと行真会の意味が理解できてきた。地方警察の出番ではない。

「はい、私もそう思います。ですが現在のところ、証拠がないんですよ。羽間に調べさせている背景と、大進が調査している情報次第ではありますが、あるのはあの脅迫状とヌーが記憶にない車窃盗だけ。これまで公安に任せるわけにはいきません。ここは我々でしっかり捜査するべきでしょう。」

大山が言うように、地元関係は地元で調査するしかない。だがあまりにも規模がデカすぎて、何となく別世界のことのように思えてしまう。

「そうだがな・・・しかし麻薬と催眠術で人を自在に動かすなんてなあ。」

「麻取から聴いたんですけど、最近ではミャンマーの麻薬組織も合法化ビジネスを行っているそうです。ビルをいくつも所有していて、あくまで噂ですけど、そこでは合成麻薬を作っているそうです。」

「合成麻薬だと?」

合成麻薬はケシのような自然植物から抽出されるものではなく、化学合成で製造される疑似麻薬とも言うべきものである。合成麻薬はメチレンジオキシメタンフェタミンと言いMDMAはその略名である。またMDAと言われるものもあり、こちらは、メチレジオキシアンフェタミンの略名となる。

古代イスラムのアサシン集団で用いられていたハシューシュと非常によく似ている。近年では若者に広く浸透してきており、麻薬取締局も力を入れている代物である。

「あれか。それを行真が使ってるってのか。」

「ほぼ間違いないようです。ただ問題は、それを売り、使っているのが誰かよくわからないというのが一番困るところなんです。例のヌーからは尿検査では微陽性でした。」

「じゃあ常習者ではなく、その合成麻薬を吸っていたってのか?」

「ええ。どうやら、巧妙な催眠をかけているのではないかと。つまり、プラーナ・ペイチャックの信者に合麻を飲ませた状態で催眠に駆け、何時間か後に何かをやれと命じられていたとすれば、ヌーのことも理解できます。そしてそういう催眠術師、心理学者などを多く抱えているそうです、あそこでは。まだわかりませんが、彼の保護管にも手が及んでいた可能性はあります。となれば、ヌーが脱出したとしても気づかれないでしょう。」

「宗教界でも問題になっていますよ。そもそも宗教自体が麻薬的な要素がある上に、そこで麻薬や催眠を用いると危険極まりない。いつ善良な市民がテロリストになるかもしれない。これでは社会が安定しません。」

山高自身が宗教研究の第一人者なので、説得力があった。

「先生、貴重なご意見ありがとうございます。では、今後我々も先生に教えていただいたことを念頭に置いて・・・。」

「私も参加させてください。」

「え?」

山高の突然の希望に、山内も大山も驚いた。

「先生、よろしいので?」

「はい、これは私のような立場の者がいた方が、何かとよろしいでしょう。そう考えて、時間はたっぷりとってあります。」

「先生!助かります!」

「宿泊費などは自前でやりますので、ご心配なく。」

署長室での会議も終わり、大山と山高は川北署を出て『ラ・クア・クチーナ』に入った。

「先生、びっくりしましたよ。しかし、なぜ突然に?」

「実はそう決めたのは昨夜です。刑事さんから行真の名前をお聞きしたときから、今後の全てをキャンセルまたは延期してしまいました。」

「先ほどのご説明で、行真というのが歴史で知ったことくらいの、後白河天皇のことだったとは知りませんでした。」

「刑事さん、実はそのことでお話があるんですよ。」

「・・・何です?」

「川南市に長命寺という寺があるでしょう?あそこがどのような場所か、ご存じですか?」

「確か木根栖山の麓にあって、源為朝さんを祀ったあるところ、だったと。」

大山は以前『良橋亀子』事件でここについて調べたことがあった。

「そうです。そして長命寺を建立したのは、鎌倉幕府を作った源頼朝です。」

「へえ、そうなんですか。」

大山には、それがどれだけ大切なことなのかはわからなかったので、素っ気ない返事になった。だが、頼朝の名を聴いた瞬間から、何か奇妙な感覚が出てきていた。

これはあの妙な勘とはまた違うものだった。もう着なくなった古着に袖を通したときのような感覚だった。山高は大山の反応を注意深く観察しながら、それとは気取られないように会話を続けた。

「そうです。そしてその源頼朝の生涯の敵と呼べる相手が、その後白河天皇です。」

さっきまでその名を聴いてもどうもなかったはずの、後白河天皇の名を聴いた大山は、急に頭痛が出てきた。胃も痛い。気分が重くなってきて、妙にイライラしてきた。

「すみません先生、俺、なんか悪いもの食ったのか、風邪ひいたのかも。どうも気分悪いです。」

「ちょっとタカちゃん、聞き捨てならないこと言わないでよ!」

ママの小野道子が怒ってキッチンから声をかけてきた。

「ここでじゃないよ!・・・地獄耳なんだからなあ。」

「で、刑事さん、私はそこに行きたいんですけど。」

「ああ、どうぞ。今日は特に何もないですし。」

「刑事さんもご一緒に行きたいんです。」

「え?俺も?」

「そうです。」

「どうしてです?あ、ご案内ですか?それでしたら知り合いの観光業の者にお願いして・・・。」

「刑事さんとでなければならないんです。」

大山は言い返そうとして、黙った。山高の目を見ていると、それこそ催眠にでもかかったように頭がぼんやりしてきたのだ。今いる空間が、何だか自分がいるべき場所ではないように思えてきた。

「よろしいですね?」

「・・・はい。」

「では今から出かけましょう。よろしくお願いします。」


25 


大進さなえは、茶房道尊を後にした。さすがにこれ以上は和歌宮敬子からは訊きだせないとわかったからだ。

しかし相当な情報が得られた。明治維新の時に行真姓を捨てた、自称後白河天皇落胤の末裔が若井家である。一方で残した行真が『おばんサンド』を創業した二朗だと言うこと。

その二朗創業の『おばんサンド』は、敬子の話によると55年ほど前に一度倒産し、現在では代替わりして規模拡大中だと言うことだった。

(倒産してるのよね。となると、あそこに行ってみても意味はないのか、な?)

さなえは限られた情報量の中で散々考えてはみたが、もう全く当てはなさそうだった。これだけでは行真会と羽間との関係性を紐解くことにはならないが、これで勘弁してもらうしかなさそうだ。とにかくやっとのことで行真とゆかりある人物をこの短期間で探せただけでも良しとしなければならない。

それにもうヘトヘトだった。明日には川北に帰らなければならない。今現在で午後3時過ぎ。

(よしっ!残りは京都観光する!そして京料理を食べまくる!決めた!)

京都に来てからというもの、チェーン店の牛丼やハンバーガーしか食べていなかった。元来が食道楽のさなえにとって、ここで何か食べないと気が済まなかった。

こういう時にはタクシーに乗って聴くに限る。特に京都のタクシーは、世界屈指の観光都市京都で業務を行うために、ほぼ観光案内と言って良いほどの親切さと聞く。

さなえはタクシー乗り場に行き、多少待ったがすぐに乗れた。

「すみまさん。わたし、九州から来てるんですけど、どこか美味しい京料理を食べさせてくれるお店ありませんか?」

「ほうでっか?ようけありますよ。」

そして言って色々な店を紹介してくれたのだが、どれも高そうだった。

「えーと、もうちょっとお得なところとか・・・。」

「そうですか・・・ほな、わたしの息子がやってるハモ料理はどないです?夕方5時までランチおますねん。定食の延長みたいなお値段でいただけますよって。」

「あ、いいですね。そこでお願いします。」

「わかりました。仁和寺さんの近くです。」

タクシーは京都市北部にある右京区に向かって走らせた。30分ほどで到着し、ドライバーは小さな玄関の小料理屋の前で止まった。そこには『ハモ料理やましろ』と、のれんに書いてあった。

「わたしが今から電話しておきますんで、どうぞお入りください。」

さなえはドライバーに礼を言い、中に入った。

「ああ、わかった、ありがとう・・・あ、おいでやす!」

カウンターにいた若い板前が、ドライバーからの電話を置いて挨拶してきた。幸いに客はさなえだけだった。

「すみませんね。親父、うちがええて言いよったんでしょ?すぐうちを紹介するんですわ。お客さんに申し訳ない言うんですけどねえ。」

「とんでもないです。」

事実、ありがたかったのだから。

「何にしましょ。お手頃なんは、ハモ天セットです。」

値段も1000円だったし、さなえは速攻で注文した。店内は狭く、4人掛けのカウンターと4人椅子テーブルが2席だけだ。まだきれいだし、開業してそんなに日が経っていないのだろう。父親としては少しでも息子の売り上げに協力したいという気持ちになって当然だ。

さなえはちょっとほっこりした気持ちになった。料理ができる間、さなえはノートを取り出してこれまでの成果を整理してみることにした。

行真の家系というものはこれからちゃんと調べればわかることだが、それはもうこれだけの時間では無理だ。それはこれからの課題として、肝心の行真会による意味不明の脅迫状と羽間との関係性がわからない。

まさか本当に違法ラウンジを摘発した恨みだというのだろうか。

(そんなはずないわよね。本当にどうなっちゃってんの?それもこれも、あの筋肉馬鹿のせいであたしがこんな捜査やんなくちゃならないのって不条理でしょ?明日戻ったら1時間は説教してやるんだから。あー、地元のおじさんたちにチヤホヤされる生活に戻りたいわ。)

「あーもう!」

「はい、ハモ天セットです。お客さん、そんなにハモがお好きなんですか?」

「え、ええまあ。え、なんでそう思われたんです?」

「だって今ハモって叫んでおられたんで。」

さなえは大声で話すと『あ』が『は』に聞こえるような話し方をするので、『あーもう』が『ハーモ』に聞こえたようだ。さなえはあまりの恥ずかしさに真っ赤になり、立ち上がって叫んだ。

「あ、あたしは叫ぶと『あ』が『は』に聞こえるんです!ハモマニアじゃありませんから!」

店主はびっくりし、悪いと思ったのか頭を下げた。

「こ、こりゃすみません。申し訳ないです。ところでお客さん、USJお好きでしょ?」

「は?なんで?」

「はあ・・・ミニオンお好きかと・・・。」

店主は、さなえのややぽっちゃり体形と服からそうイメージしたらしい。さなえはまたまた真っ赤になった。

「あ・た・し・は!ミニオンマニアじゃありません!あたしは、こんな服しか持ってないの!こう見えても、あたしは警官です!ほら!」

手帳を突き出しながら、さなえはなんで毎回京都ではこんな目に合うんだと思った。

「わー!わたしは何もやっちゃいませんよ!」

「わかってますよ!」

店主はペコペコ頭を下げて謝った。だがこの男はそうしながらも首を傾げていた。

「何よ!説得力ないっての?」

「あ、いえいえ!そうじゃありませんよ。つい先日、男女でお客さんがいらして、その時の話が小耳に残ってたもので。すっごくきれいな女の人でしたんで、覚えてたんです。それで京都にいらしてたんかなあと思ったんで。」

「何です?」

「いえね、よくはわからなかったんですけど、何かヤバそうな雰囲気でした。」

さなえは先ほどの怒りは収まり、その話に興味が出てきた。

「なにがヤバそうだったんです?」

「ええ、内容はよくわからなかったんですけど、まず雰囲気がその筋っぽかったし、たまにヤクとか聴こえてきて。」


「なんですって!」

今回に関係あるかどうかはわからなかったが、麻薬というところが気になった。

「そ、それだけですか?」

「はい・・・あ、領収証の控えはありますよ。」

「それ見せていただけます?」

店主はキッチン横にある収納棚に行き、ガサゴソと探していたが、すぐにやってきた。

「ありました。これです。」

さなえはその控えを見て、首を傾げた。そこには『小宮山商会』と書いてあった。

「小宮山?どこかで聴いたような・・・あ!」

さなえはそのことに気がついて、体が震えた。

「まさか・・・まさか・・・小宮山祥子・・・?」


26 


羽間は署長室にいた。おばんサンド社長の写真が、記憶にあった叔父とそっくりだった件について山内に報告に来ていた。

「あの写真があまりに以前会ったことのある人に似ていたので確認したんです。その人は父方の親戚と聴いていましたけど、あれから実家で調べてみましたら、叔父と思っていたのは父が羽間家に養子で来たときに付き添いで来ていた人だったそうです。写真が残っていました。これです。」

羽間が見せた古い写真には、裏に行真宗次郎と書かれていた。

「行真宗次郎・・・この人の家系とかはわかるのか?」

「はい。親戚が連絡先を知っていまして、それで確認してみました。すると、もうすでに行真の家系は絶えていました。」

「そうか・・・ではこれはもう何の役にも・・・。」

「いえ、署長、それが違うんですよ。行真の家系には遺伝子的な欠陥があり、短命な家系だったそうです。それは行真家に嫁いだ人から聴きました。幸い、自分にはその欠陥がないそうです。母方の遺伝子が強かったようです。」

「しかし、それと今回の件とはどう関係ある?」

「まだ続きがあります。行真の家は短命でしたので、ご先祖は色々な方と縁組をして長命になるようにしてきたそうです。そして、父の父、自分にとっては祖父が、ミャンマー人だったそうです。自分はクォーターだったんですよ。」

「ミャンマー人が爺さんとはなあ。お前の筋肉はそこからかもな。」

「まあ、そうかもです。で、問題は、この父方の祖父の出身地がミャンマーのシャン州だってことなんです。」

「シャン州?」

「そうです。別名『黄金の三角地帯』に属する州で、世界第二の麻薬生産地です。」

「なんだと!すると・・・。」

「はい。プラーナ・ペイチャックの本拠地が里です。」

「・・・何ということだ。すると、爺さんとプラーナ・ペイチャックの関わりが、あの脅迫状に繋がるかもしれないということか。お前をこの件に加えないようにするためにか。」

「それは今後の捜査次第です。しかし、何らかのことはありそうです。」

「わかった。その線で・・・。」

山内の言葉を遮るように、汐田が署長室に飛び込んできた。

「ヤマさん、見つかったぞ!あの手紙の紙は、ミャンマーで作られたものだ。現地の木材が混入していた。それに、あれだけ何も出てこない理由もわかった。」

「汐さん、それって?」

「あれは合成麻薬生成の時に用いられる装置で、可能な限り真空状態で生成しなくちゃならない、新型麻薬用の機械だ。あれでやると、一切の細菌も何も出てこない。もちろんロボット操作しなけりゃならんから指紋も出てこない。しかもだ、あれを日本で購入した記録も見つかった。しかも川北でだ。」

「なんだと!つまり、現地で作られた紙と共に機械も購入した誰かがあれを作ったということなんだな?」

「そうなる。」

「よし!ケン、すぐに調べろ!」

「わかりました!あ、先輩は・・・。」

「タカは山高さんと宗教方面から捜査中だ。お前だけで調べてこい。」

「山高さんって、あのシヴァ研究の?来てくれてるんですか?」

「ああ。今回は宗教に絡んでいるんでな。」

羽間は今回の事件が本当に複雑であることに驚きながらも、汐田から聴いた、真空装置を購入したという容疑者宅を調べた。その相手は川北市内で個人貿易商を営んでいる『秘抄商会』だった。社長は燃田光男といい、年齢は60歳。

かつては大手自動車メーカーに勤めていたのだが、途中退職して創業したようだ。

「なに・・・ミャンマーに販売していたのか。なるほど、そこから繋がったんだな。」

東洋のデトロイトとまで称された現在のミャンマーには、世界各地から主要メーカーがやってきている。日本の大手であれば当然参入しているはずだ。

「個人貿易商か・・・協賛社もいるのか。アウンミョーナイン社・・・これは現地企業だな。それからえー・・・小宮山商会・・・小宮山?小宮山・・・まさか、あの小宮山?いやいや、そんなはずはない。」

だが胡蝶蘭マキがそもそもの発端だったのだ。羽間は警察のデータバンクにアクセスして、小宮山商会を探ってみた

「小宮山商会・・・代表は小宮山幸夫・・・副代表は・・・な、なんだって!」

羽間の手がキーボードから離れたまま固まった。副代表の名は、鈷力健とあった。つまり、あの脅迫状にあった、行真会の若頭だったと自称している者の名だった。

これでこの会社が首謀であることは確定だ。しかし羽間はさらに調査を進めてみた。

「小宮山幸夫の父親武史は先の大戦でビルマに進軍した日本軍の兵士だったのか。そうか、ミャンマーの前がビルマって言ってたんだな。・・・で、18万人にも及ぶ戦死者を出した日本にあって、小宮山はビルマに残り、現地女性と結婚し、現地マフィアと良好な関係を築いていた・・・そして生まれたのが幸夫というわけか・・・現地マフィアとは麻薬を日本に送る人間として動いていた・・・小宮山武史が、あの当時の暴力団とつるんでいたってわけか。ずいぶん儲けたんだろうな。なんだこの豪邸は。・・・で、幸夫はその後日本に渡り、小宮山商会を設立。個人貿易商として主に象牙や動物の剥製などを輸入していたが、すでに暴力団との絡みが問題視されて警察に目をつけられ・・・当時は京都にいて・・・そして後に川北に本店を移動・・・子供は・・・。」

羽間はここでまた固まった。小宮山幸夫の子供は3人いて、長男は健とあったが、続けて(行真会若頭鈷力健)とつけてあった。さらに心臓が止まるほど驚いたのが、後は長女と次女がいて、長女は指定暴力団河口一家会長に嫁いでおり、次女は祥子と書かれていた。

「小宮山祥子・・・胡蝶蘭ユキ・・・そういうことだったのか!・・・ん?これは・・・?」

データは詳細であり、中止して閲覧しないと見逃してしまいそうなことまで列記してあった。両親と長女ともにA型だったのだが、祥子と健だけがB型だったのだ。

これはありえない。羽間は祥子のデータのみを閲覧してみた。祥子は養女の可能性があるようだ。

そして祥子の実父として最も疑わしい人物として、若い頃に小宮山幸夫を助けたことがある人物で、京都時代の幼馴染であり、川北で再会した旧姓行真徹、現姓羽間徹が最有力であると書かれていた。

「俺は・・・О型だけど、確か親父はB型だ・・・。」

さらには、徹が精子提供を行い、代理母によってアメリカで生まれたのが祥子と健のようだ。

「なんてこった・・・確か祥子は俺よりも遅い生まれだった。ということは祥子と俺、腹違いの兄妹ってことになるのか!」

複雑な事件の一端が、ようやく見えてきた。だがしかし、これは羽間にとっては悲劇以外の何物でもなかった。


27  


大山と山高は、木根栖山の麓にある長命寺に来ていた。呼吸音さえ響きそうに静まり返った空気は、県内有数のパワースポットらしい荘厳さを醸し出していた。真夏なのに、どこか肌寒く思えるほどだった。蝉が時おり鳴く以外は静かだった。

少し風も吹いているようで、周囲の木々が揺れていた。

「先生、ここに何の用事です?できれば早く事件の捜査を続けたいんですけど。」

大山はこんなところで時間を使いたくはなかった。しかし山高の催眠術にかかったような気分でここまでやってきていた。

「刑事さん、私はそのためにここに来たかったんですよ。」

山高は全くいつもと変わらずにいた。どんな思いがあるのかは、大山には全くわからなかったのだが。

「さて刑事さん。本殿に参りましょう。」

山高は大山を促して本殿に向かった。石段を登り、仁王像が待ち構えていた。長命寺の本殿は豪華ではなかったが、細かい装飾があちこちに施してあり、鎌倉時代に再建されたような剛健さも感じられた。

元々は最澄由来の天台系ではあったのだが、鎮西八郎為朝が木根栖山に本拠地を構えたことから、後に頼朝が堂宇を再興したとされている。

「どうです。いかにも密教でしょう。」

「はあ・・・。」

大山にはそういう概念は微塵もなかったので、感情がない反応をするしかなかった。山高は苦笑いしながら首を振り、傍らにある小さなお堂を指差した。

「刑事さん、あそこが源氏ゆかりのお堂なんです。」

「へえ、なぜです?」

「かつてここは、鎮西八郎為朝という猛将がいたところです。為朝は頼朝の叔父にあたる人で、乱暴者ゆえに都落ちし、この地で九州を平定してしまいました。32歳で流された島で自刃するまで大暴れした、古今無双の武士だったのです。その為朝を偲んだ頼朝がここを源氏ゆかりの地であるとした宣言がなされたのがお堂の場所です。」

大山は、為朝という名は例のアマビコ事件の時にその名を聴いていた。

「その人は知っています。以前に良橋亀子という者がテロを起こし・・・。」

そこまで言った時、大山のあの妙な勘が突然反応した。前にも感じたことがある、あの感情が沸き起こってきた。

「先生、私はちょっと気分が悪・・・。」

「大丈夫ですよ。」

山高は無感情で言った。

「先生・・・?」

「当然です。刑事さん、亀という呼び名に覚えがありませんか?」

「亀?そりゃ当たり前に・・・。」

その瞬間だった。突然、大山の脳裏に、美しく控えめな感じの、古風な服を着た女性の姿が浮かんで来た。

その姿に覚えはなかった。何かの映画で見たのかと考えたが、その姿には特別な感情があった。

そう、特別だった。それは、恋にも近かったが、愛でる、といった感覚に近い。

そうだ、確かに俺はこの娘を愛でている。愛でていた、のかもしれない。

しかしどう考えてもこんな古臭い服で、古臭い雰囲気の女性など見たことがないはずだ。

「先生、俺はどうなったんです?今、俺の頭の中に女性がいるんですよ。誰だ、お前は!」

ぼんやりした映像はやがて鮮明になっていき、あたかも現実に存在しているかのように目前にいるように大山には見えた。わかりやすく言えば、ⅤR体験をマスクなしでやっているのに近かった。大山はその女性に触れようとしたが、空を切るだけだった。

「くそっ!どうなってんだ!先生、これはどうしたことなんです?」

山高は慌てる大山を、静かに見守っていた。

「刑事さん、慌てることはありません。もしあれだったら、その女性に話しかけてみてごらんなさい。」

「話しかけるですって?こいつに?幻覚でしょ!」

『いいえ。』

幻覚のはずの女性が、美しい声で大山の声に反応して返事をしたように思えた。

「返事?なんでお前が!」

『三郎様、亀をお忘れですか?』

今度ははっきりと、大山の心に直に声が響いた。大山は思わず耳を両手で押さえた。

心にダイレクトに響く声に慣れていないので、反射的にこのような行動をとってしまうのだ。

「お前なんか知らん!誰だ!出ていけ!」

「三郎様、亀は悲しゅうございます。私でございます。伊豆の良橋太郎の娘にございます。」

「伊豆?静岡の?俺は行ったこともない!ふざけ・・・。」

大山はそこまで言うと、体中の力が抜けたように感じた。下半身に力が入らなくなり、冷たい石畳の上に倒れこんでしまった。頭の中に渦が巻いているような感覚があり、とてもじゃないが普通に思考することなどできない。

倒れたまま大山は山高に助けを求めるよう顔を向けた。山高はその場で結跏趺坐をしたまま、印を結んでいた。

そして、浮いていた。天台真言を唱えながら、山高は大山を静かに見つめていた。

「せ、せんせ・・・。」

大山の意識はそこで途絶えた。


正確には、今のこの場での意識が途絶えた、と言うことだ。大山鷹一郎だったはずの自分が、まるで今まで夢を見ていたかのように目を覚ました。見渡すとそこは、風通しのよい庵であり、大山は何かを枕にしていた。

(ん・・・よく寝た・・・。)

そう思ったのは大山ではなく、別人だった。それが別人の体験であることを大山は知覚できていたのだが、それだけではなかった。その人物の思考、それまでの人生体験、さらに現状が怒涛のように押し寄せてきた。

現実から逃れたかった気持ちがまず出てきた。血なまぐさい記憶と同時に、辛さと孤独さもあった。本人の思惑とは全く別に運命と周囲に翻弄され、本当にどうしていいのかわからなかった。

せめて癒しでも欲しかった。

(俺は・・・わしは・・・誰だ?)

大山と別の誰かの思考や感情が入り乱れ、永遠か一瞬かわからない感覚の中で、大山の意識は遠のいていった。

そして、別の人間が誰であるか、明らかになってきた。復讐など考えてもいなかったのだが、一族の思惑によって疑いをかけられ、なおかつ当時の政権に反発していた土豪たちに担ぎ上げられた人間が、その男だった。

担ぎ上げられた時に、その男は決意せざるをえなかった。だが本来は都育ちで、貴族的な環境で育ったのだ。

神輿に乗っていなければ命が危なかった。そしてあらゆる危険を排除していかなければならなかった。都の理屈が通じない連中に担ぎ上げられたのだ、圧倒的に強くなければならなかった。

弟も駆けつけてきている。ありがたかったが、有難迷惑でもあった。

そんな孤独と不安さが、女に走らせた。男は布団から身を起こした。

源三郎頼朝だった。

枕にしていたのは、女性の膝のようだ。頼朝の顔に風がそよいでいたが、それはその女性が扇子で仰いでいたのだ。

「お目覚めでございますか?殿。」

「気持ち良うてな。そなたの膝枕は極楽よ、亀。」


28 


「はあ?後白河天皇?お前、京都まで何しに言ってんだ!ちゃんと仕事しろ!」

山内はさなえからの報告で怒っていた。それもそのはずだ。警察官たる者、常に冷静沈着であれ、というのが山内の心情であるのだが、電話から聞こえてくる、さなえの大声で、かつ支離滅裂な内容では怒らざるをえなかった。

『ちゃああああああああんと仕事してますって!そのことをさっきから言ってるんじゃないですか!』

「その、なんだ、行真家が後白河天皇の末裔とか称していて?維新の時に2つに分かれて?行真家を捨てた若井家と、別れた行真の家の者がサンドイッチ屋になったって?しかもそのカツサンドが美味い?ハモ天定食も美味い?小宮山商会の領収書?全く意味がわからんだろうが!」

山内はメモを取りながら聴いていたのだが、書いていてさえ意味がわからなかった。さなえは興奮していて、とりあえず全部電話で話そうとしたようだ。

『その通りなんですよ!』

「お前の目的はなんだあ?」

『羽間くんの身辺調査です。』

「このどこがその調査なんだ!」

『小宮山祥子は、胡蝶蘭マキでしょ!その小宮山です!』

「それを早く言え!・・・って、な、なんだって?」

山内はようやく、さなえが行っている意味がわかった。

「小宮山祥子が京都にいたんだな?」

『はいそうです。しかもですよ、そのハモ料理を食べに来ていた2人の男の方を、胡蝶蘭マキと思われる人物が『ケン』と呼んでいたそうなんです。これって、あの元若頭の鈷力健だとすると、かなり見えてきません?・・・署長?署長ぉ!』

山内はその時所長室に飛び込んできた羽間が何か叫んでいたので受話器を置いたのだ。

「署長!わかりました!小宮山祥子が胡蝶蘭マキで、その双子弟が鈷力健でした。しかもどうやら、俺と連中は腹違いの兄妹の可能性出てきました!」

「さなえ、聞こえたか?」

山内は電話の主が黙ったので、これを聴いたのだとわかった。

『わかりました。詳しくは戻ってからお話しします。明日の始発の新幹線に乗ります。』

山内は電話を置き、羽間に座るよう促した。そして、さなえから聴いたばかりの情報を羽間に聞かせた。

「見事に一致したようだ。さなえの調査では、真実かどうかはわからんが、行真家というのは確かにあったようだ。そして分家した方が行真を名乗って、サンドイッチ屋、ええと・・・。」

「おばんサンド、です。この写真が現在の社長ですが、すでに代変わりしています。親父がなぜ行真の家はいけないと言ったのかはわかりませんが、何らかの理由はあったのでしょう。あのコンビニサンドにあった写真は、初代社長の行真二朗です。自分が覚えていた人は、二朗さんの孫にあたる人でした。そして、小宮山商会は自分も調べました。小宮山幸夫の父親武史は先の大戦でビルマに進軍した日本軍の兵士でした。敗戦後、小宮山はビルマに残り、現地女性と結婚し、現地マフィアと良好な関係を築き、そして生まれたのが幸夫で現地マフィアとは麻薬を日本に送る人間として動いていました。幸夫はその後日本に渡り、小宮山商会を設立。その子供が祥子と健。まだ行真会の全貌ではありませんが、今までの流れから推測すると、行真会というものは元々実態がなく、いわばペーパー暴力団のようなものだったのではないでしょうか。大山先輩が調べていたように、行真会はプラーナ・ペイチャックの現地代理店のようなもので、構成員は合成麻薬と催眠術で、普通の信者があるきっかけや合図で突然全くの別人になってしまう。そして犯行時の記憶はないということです。」

山内は羽間の推理を黙って聴いていた。

「いいところだ。だが俺はもうひとつ、引っかかる。大した意味はないとは思うが、さなえが調べていてわかったように後白河天皇にまつわる事項が多いようだ。石川の行真家が別れていなかったら、今現在、お前はここにいない。それから、お前の爺さんがミャンマー人だとしても、それとプラーナ・ペイチャックの関係性がわかっていない。そうだろう?」

羽間も少し引っかかるところがあったので頷いた。

「その歴史上の人物が自分と関係あるなんて思えませんが、行真会が必要以上に自分を遠ざけようとしている理由の中に、ひょっとしたらそれがあるのかもしれませんね。」

「お前の調査では、お前と祥子たちは腹違いの兄妹だ。で、小宮山祥子と鈷力健が実の兄妹だ。そしてこの2人はおそらく近日中に京都で会っている。と言うことは、あの脅迫状は完全に何かの陽動であり、しかもお前を加わらせないためのものだ。」

「そうなりますね。」

「だとすると、お前はもう裏で仕事をする必要がないということになる。」

「あ!」

山内は立ち上がり、羽間の肩を叩いた。

「捜査はこれからが本番だ。お前にとってはきついことになりそうだが、しっかりやれ。ただ、まだまだわからないことがある。もし何かあったらすぐに連絡しろ。助けが必要になるかもわからんので、一応機動隊にも連絡は入れておく。」

「わかりました!ありがとうございます!」

頭を下げた羽間のスマホが鳴った。

「ん?さなえ先輩からだ・・・え、ええええええ?まさか・・・しょ、署長!これ見てください!」

「なんだ?・・・これは?」

羽間はすかさずさなえに返信した。羽間の顔は青ざめ、信じられないように目が泳いでいた。


29 


さなえは京都で得た、自分でも全く意味がわからないが、とにかくすごい情報に酔っていた。ここまで本格的な捜査をやったことがないので、それは致し方ないところではあるが、普段から感情の暴走に走りがちな女でもあったので、その興奮ぶりは半端なかった。

とりあえず山内に報告したものの興奮は冷めやらず、踊りまくる感情は抑えきれず、近くにあったカラオケボックスに飛び込んで自分の十八番を2時間歌いまくってようやく少しだけ落ち着いた。

だがそれでもまだヤバかったので、今度は全国チェーンのカレー屋に飛び込んで、唐揚げとトンカツをトッピングした400gカレーを食べて、やっとまともに考えられるようになった。

「ぷはぁ、お腹いっぱい!」

さなえは腹いっぱいになって眠くなったが、とりあえず出ることにした。心持ち冷ややかな目線を投げかける店員を横目に、さなえは店を出てぶらぶらと歩いた。歩きながら、自分なりに今回の整理をしてみた。

「まず、あの変てこりんな脅迫状。筋肉馬鹿の調査では、それは間違いなく、小宮山祥子と鈷力健の兄妹ね。まさか2人だけとは考えられないけど、行真会の正体が不明すぎることを考えたら、納得できるわよね。プラーナ・ペイチャックの日本支部が行真会だとして、もしかしたらあの独立戦争と関係あるの?いやいや、それはあたしにはわからない。それから本当に意味がわかんないんだけど、後白河天皇って誰よ。しょっちゅう名前出てくるけど。若井家と行真会に分かれたあの家系も、そもそもはあのベースケ天皇さんがエッチしまくったからでしょ。あー、思い出した。あのハモ屋さんにあった領収証の小宮山商会ってのが昨日のだって言ってたから、あの2人はまだ京都にいる可能性大ってことになるでしょ?だとしたら・・・あ!」

さなえは閃いた。

「ということは、京都府警にお願いして、監視カメラ調べてみたらいいってことにならない?わー、こうしちゃいられない。」

さなえはすぐに山内に連絡して、京都府警に調査依頼を出すことに成功した。おまけに、もう一泊分だけ費用を捻出させることにも。京都県警は早速京都中の監視カメラを調べることにした。結果がわかるまでまだ時間があったので、さなえは夕食を久々にゆっくりとることにした。




夏の京都は本当に暑かったので、冷たいものが食べたくなったさなえは、冷やし天ぷらうどんの看板が出してあった店に入った。店内の客はまあまあ多く、にぎやかだった。最近の京都らしく、外国人観光客も目立っていた。

「なんか、京都らしくないなあ。つっても、これが現実なのよね。」

などと思いながら出てきた冷やし天ぷらうどんは、結構なボリュームがあって、さなえはすぐさまスマホを取り出して画像を残した。

「いただきまーす・・・まー、うまあい!」

自分のチョイスはなかなかだなと悦に浸っていると、後ろの席がガタガタと椅子を引く音がして、誰かが座った気配がした。バクバクと天ぷらを食べていると、注文した後ろの2人の会話が耳に入ってきた。周囲がかなりガヤガヤしていたので、もちろんはっきりとは聞き取れなかった。しかしお互いが相手を呼ぶところだけが耳に止まり、さなえはえび天を咥えたまま固まった。

「でしょ?健。」

「姉貴、それでいいのかよ。」

たったこれだけだったのだが、さなえは心臓の鼓動が激しくなるのがわかった。

(健に姉貴だって?)

さなえは静かに横に置いていたスマホを手に取り、無音で自撮りモードにして後方が映るようにスマホを構えた。もちろん一見したところでは料理を上から映えるように撮影しているとしか見えないように気を配って。連写で素早く撮影し、大急ぎでうどんを食べ終えると、さなえは立ち上がって店を出た。

出口に行く間に、また連写で撮影した。会計を済ませる間に、さなえはあたかも忘れ物があったかのように自分の席に戻り、何かを探すふりをして、そして店を出た。出てすぐにその2人の顔と服をしっかりとチェックし、メモを取り出して特徴を書き留めた。

さなえのすぐ後ろに座っていたのは、黒ずくめの服の男で、その対面に座っていたのは金髪に髪を染め、薄い縁の眼鏡をかけていた女だった。

そしてすぐに画像をチェックし、すぐに羽間に送った。1分後、すぐに返信が来た。

『信じられない!あれ、祥子ですよ!そしてこいつは・・・鈷力健?』


30 


三郎頼朝は逗子の伏見広綱邸にいた。広綱は頼朝の右腕で、いわば秘書役であった。

この当時の頼朝はすでに平家打倒の挙兵をし、石橋山で敗れはしたもののその後再び挙兵して、坂東をほぼ制圧していた。そして平家独裁に不満があった全国の豪族たちも続々と挙兵し、木曽の義仲、源行家、源義経ら一族が中心となって日本は争乱のさ中にあった。

頼朝はすでに日本中の武家の象徴になりつつもあった。勇猛で知られる坂東武者を配下に置いたことにより、平家を打ち負かすのは頼朝を置いて他にはないとの認識ができつつあった。

文化とカネの西日本、武家が全てを支配する剛の東日本という認識が広く知れ渡っていたのだ。

三郎頼朝は当初こそ平家に負けた源氏の倅という扱いを受けていたのだが、父義朝が勇猛すぎるが故に他人から助力を得られなかったことを反面教師としていたので、徐々に頼朝に心酔する武者たちが増えてきていた。また武人を従える器量を持っていたので、坂東武者たちですら一目置くほどであった。

いつの間にか流人という状態では済まなくなってきていた。

折しも以仁王による平家打倒のきっかけがあったので、日ごろより平家の独裁に不満があった坂東の豪族たち、千葉、北条、上総らは自分たちの棟梁を頼朝と定め、平家打倒へと立ち上がった。そしてすでに平家のカリスマ清盛が他界しており、頼朝は独自の方法で武者たちの心を引き留めていた。

それが本領安堵に加えて恩赦までつけるというやり方であり、平家に搾取され続けていた武者たちは頼朝以外を首領と認めなくなっていた。

しかし日々文を書いたり、行政にも気を配らなければならない日々は、頼朝の心を苛んでいった。その中において、頼朝の癒しとなっていたのは流人時代から仕えていた良橋太郎の娘、亀だった。亀は器量も良く、控えめな性格であったので、頼朝は本妻政子の背景に北条がいたこともあって心休まらなかったので、こよなく亀を愛した。

なにせこの当時の坂東武者たちは西日本の秩序だった世界ではなく、いつ誰が敵になるかわからない不安定な部分もあり、たとえ頼朝の下人であろうとも容赦なく討ったりしていた。気が抜けなかったのだ。頼朝にしてみれば、政務と偽って逢引している時間こそが癒しであり、亀の膝枕で休むことが唯一の安息だった。

「こちらでお休みになられるのは嬉しゅうございますが、御台様にお子が・・・。」

「構わぬ。」

頼朝は起き上がり、甘蔓の汁を飲んだ。

「俺はな、気が休まらんのだ、鎌倉では。我が子がもうすぐ産まれることは嬉しいが、なにせ義仲の様子がなあ。北条らも油断ならん。」

頼朝にとって憂鬱な事案は幾つもあったが、最大のものは同じ源氏の大将、木曽の義仲のことだった。義仲は2年前に挙兵して入京していた。

しかし勇猛ではあったが京文化には疎かった義仲は、悉く朝廷や院と対立していた。後白河院は清盛に従って頼朝を非難していたのだが、義仲の対応に業を煮やしていた。後白河院は徐々に頼朝と接近し、義仲を打倒しようと画策し始めていた。

また北条も他の豪族を次々と配下に置き、すでに鎌倉内部では頼朝と北条の目に見えない戦いも始まっていたのだ。


さらに頭が痛いこともあった。

「加えて、九郎がなあ・・・。」

「あの、奥州から馳せ参じてくださった義経様のことでしょうか?」

「ああ。あ奴、親父に似ておる。故に、困っておる。」

「父君様に似ておられると?いかように?」

「親父はな、他の者の話をまるで聴かぬお人じゃった。平治のいくさにおいても、あの信西憎しの念に囚われてしもうて、後白河院に仕掛けなされ、そして敗れた。清盛入道と院がどれだけ強うに結ばれておったのか、まるでわからずに突っ走っての。その親父殿と同じでおるのよ、あ奴め。あ奴にしてみれば、親父殿は奥州殿よ。まあ、確かに坂東武者の中では落ち着かんのであろうが、まるで従う気配を見せぬ。あれでは北条らに使われるだけじゃ。坂東の武者どもがどれくらい汚いか、あ奴はまるでわかっておらん。じゃが、大切な弟よ・・・何とかしてやりたい。」

前述したように、坂東の豪族たちは常に争っていた。頼朝の腐心するところだった。

だからこそ、頼朝は絶対的でなければならなかった。頼朝の予感は的中し、息子実朝の代で頼朝の血統は陰謀によって途絶えてしまうのだ。

「三郎様は・・・お苦しゅうございまするな。」

亀は頼朝に近づき、そっと膝に手を置いた。

「亀は三郎様が伊豆で流人のときよりお仕え申しておりました。私にだけは、お心をお許しくださいませ。」

「そうだな。亀、お前は愛い奴じゃ。」

「はい。たとえこの身が朽ち果てようとも、亀は三郎様につき従います。」

頼朝は亀の腰に手を回した。

「もっと近うに・・・。」

頼朝は亀の身体を自分に引き寄せた。そして髪を撫でた。

「殿・・・。」

「なんだ?」

「もうすぐ我が子が産まれると申す時に、このようなお戯れを!」

亀とは違う、強烈な声がした。頼朝は驚き、亀を突き放した。さっきまで亀だった女は、頼朝の正妻政子に変わっていた。

「ま、政子!お前、なぜここに!」

「殿!まだおわかりになりませぬか!我は毘沙門天の化身。我を遠ざけようとも叶いませぬ!亀が千年にわたって憑りつく女子であることが、なぜおわかりにならぬ!」

政子は頼朝に近づいた。

「ま、待て!」

背後にいる北条時政という男がどれだけ恐ろしいかを、頼朝は熟知していた。政子にわからないように亀を呼び寄せたのもそのためだ。

「殿!・・・いや、タカちゃん!目覚めなさい!」

政子の声は、いつしか白水かおるの声になっていた。そして周囲は漆黒の闇となり、頼朝は自分が闇の牢獄に入れられていたことを思い出した。

「そうだった!後白河院の呪によって、俺はここに・・・くそー!」

やがて頼朝の耳に、呪を唱える野太い男の声が少しずつ聞こえてきた。その呪は徐々に大きくなり、同時に政子の横に見えていた亀の姿が般若のような憤怒の表情に変わっていくのがわかった。

同時に、白い法衣を着た老人の姿も見えた。老人と亀は少しずつ頼朝に近づいてきたが、政子と呪の力によって押さえられていた。頼朝は牢獄の中で動けなかった自分が、政子と呪によって少しずつ動けていることに気がついた。

頼朝は動こうと身をよじり、暗黒の中を両手でまさぐった。

「くそ!何も見えん!」

そう思った瞬間九字が現れて、急激に大きくなった。頼朝は九字を読んだ。

「臨兵闘者皆陣列前行!」

その時、頼朝の目の前に光が見えた。頼朝はその光に手を伸ばし、この牢獄から出ると強く念じた。光は急速に拡大し、やがて呼び寄せる光が頼朝を包み、頼朝は光目がけて突進していった。

全てが一瞬であるようにも、永遠であるようにも思えた。強烈な光の渦が巻き起こり、頼朝は渦に吸い込まれていった。

次に頼朝の意識が戻ったとき、頼朝は石畳の上で倒れていた。

あたりを見回すと、神社の境内にいるようだった。頼朝はすさまじい頭痛が襲ってきていて、頭を押さえながらよろよろと立ち上がった。頭痛の中で、何かが強烈に混ざり合い、融合していくのがわかった。人間が合体するような、そんな感覚だった。

すると頭痛は、さきほどまでが嘘のように一瞬で引いた。頼朝は周囲を見渡し、そこに1人の男を見た。その男はため息をつき、頼朝に近づいてきた。

「どうですかな、刑事さん・・・いや、三郎様。」

頼朝は、鮮明な思考ではっきりと答えた。

「先生、初めまして・・・三郎頼朝です。そして、大山鷹一郎です。」


31 


さなえは当地警察から提示されたビデオを見て、驚きを隠すことができなかった。

「この2人、あたしが行ってたとこに全部行ってるじゃない?一体どういうこと?あたしはここで初めて気がついたとこばっかりなのよ。それなのにあたしよりも先に来てる。意味がわからない。」

確かに、三十三間堂からずっと、なぜかさなえが行ったところには全部来ていた。もちろんそうではないところもあったが、ここまで重なるということは異常だ。

さなえは意味がわからず、とりあえずそのままを山内に報告した。

『お前が送ってきた画像を本部にも回してみた。おそらくだが、奴らもうここに来てる。』

「え?もう確認されているんですか?」

『ああ。鈷力健は本名が小宮山建。プラーナ・ペイチャックの信者で、元ヤクザの鈷力登というのがいて、そいつの娘と結婚して苗字が変わっている。で、鈷力は京都が本拠だ。川北には全く住んだことすらない。』

「署長、ということは・・・。」

『ああ、あの脅迫状を出すためだけに川北に来ていたってことになる。そしてその時に、あの真空装置で作ったんだろう。関連企業の秘抄商会でな。』

「でもどうしてそんな真似を?」

『ケンと連中は、腹違いの兄妹だったのさ。』

「え、えええ?」

『ケンの調査で判明した。間違いない。』

「で、でも・・・たったそれだけで?筋肉馬鹿・・・羽間くんがあの組織に関わったことと関係があるんでしょうか?」

『それはまだわからん。』

さなえは山内との電話を切り、うすぼんやりとではあるが、今聴いた以外のことが逆に強く感じてきた。それが何かは、これは川北に戻らなければわからないのだろうか。

それとも滞在期間を延長してまで京都で調査するべきだろうか。

「いや、もう帰った方がいいわね。彼らがもう川北に戻っているってことは、京都で探ることはないってことなんだわ、たぶん。」

これはもう勘でしかなかった。さなえの直観が、ここでの仕事は終わったと言っていた。

それに、さなえにはもうひとつの直観があった。

これが正しいかどうかは全くわからなかったのだが、とりあえずそれに従っていくべきだと思った。京都で調査を行っていく中で、徐々に感じてきていたことがそれだった。

たぶんこれは、女であるさなえにしかわからないことだったのかもしれない。さなえは早速大阪の伊丹空港に向かった。

搭乗までの間、さなえは川北の小野道子に連絡を入れた。

「あ、ママ?あたし、さなえ。ちょっと聴きたいことがあるんだけど。」

『ああ、ちょうど良かった。あたしもあんたに聴いておきたいことがあったんだよ。』

「え?ママも?」

さなえはすぐに、それが何であるのかわかった。

「ひょっとして羽間くんのこと?」

『あんたもかい?驚いた!』

やっぱりそうだったのか、とさなえは思った。女の勘は、時として人智を越えた力を発揮することがある。

「じゃあママから話して。」

『ああ。あの脅迫状のことがあってから、すぐにケンちゃんがここに来たんだよ。そして、ケンちゃんの同級生の子が殺されたって嘆いてた。そりゃ凹むよ。でもさ、あたしにはどうしてのその子が死んだようには思えなくてさ。』

「え、どうして?」

『・・・わかんないよ。ただね、ケンちゃんの初恋の人なんじゃないのかなって思ったのよ、その胡蝶蘭って子が。』

「ママ、それって・・・勘?」

『そうだよ。あんなケンちゃん、見たことなかったよ。あれは失恋に近いものをあたしは感じたの。ただそれだけなんだけどさ。』

それは気がつかなかったことだった。ただ、さなえの勘は、道子と非常によく似ていた。

「ママ、それ聴いて良かった。あたし、ここで調査してて思ったの。あの脅迫状は羽間くんを捜査に参加させないだけじゃなくて、わざと捜査させようとしてたんだと思ったんだ。」

『え?どうしてそんなことを?』

「そこはまだわからないけどさ。胡蝶蘭マキが羽間の初恋の人かもしれないって、ママは思ったんでしょ?あたしは、マキにとっても羽間はそうだったんだと感じたの。」

さなえの直観はこういうことだった。小宮山祥子も羽間のことが好きだったかもと思った。羽間が「ミステリーファイヤー」の件で捜査しているときに、祥子は羽間のことを思い出し、忘れていた感情が蘇ったのだろうと感じていた。

『じゃ、じゃあ、あの子は生きているってことなの?』

「生きてたのよ。あたし、小宮山祥子に会ったんだよ。」

『・・・なんでこったい。じゃあそれ、ケンちゃんにも早く伝えて・・・。』

「もう知ってる。あたしはこれから川北に帰るんだけど、ママに聴いて確信したわ。これからは女の捜査に入らなきゃ。ママ、帰ったら寄るから、さなえスペシャル食べさせてね。」

『ええと・・・大盛パスタと二枚トンカツのトルコライスね。わかった。』

さなえは電話を切り、搭乗口の椅子に座って今回の事件を整理してみた。そもそものきっかけがあの事件からだった。

(そこできっと、小宮山祥子は行真会そのものを『壊滅してほしかった』んだ。そしてもうひとつは・・・。)

もうひとつは、羽間への思い。さなえは椅子に深く座り、大きくため息をついた。そしてポツリと呟いた。

「筋肉馬鹿・・・本当に馬鹿なんだから・・・鈍すぎるっての。」


32   


大山と山高は、川北市の長命寺本堂にいた。ここの住職には山高が話をつけており、本堂は締め切られていた。修行僧が茶を置いて本堂を出ていった後には、大山が座していた。

「ここは、わが叔父為朝の息吹が感じられます。」

「元々は、あなたが修復したのですからね。」

「それはそうですが、それ以前にここに残っておりますね、叔父の魂が。」

「さて、三郎殿、此度の件・・・どうなさる?」

山高はすでにいつのもように『刑事さん』とは呼ばなくなっていた。すでに目覚めた頼朝には、これでは失礼にあたる。

大山は本堂に鎮座している不動明王を見つめた。

「不動尊・・・神々の絶対王者。私がこれを置いたのは、叔父の荒々しさを鎮めるためでもありましたが、それだけではなかった。わたしには見えていた・・・大日如来に仕える不動尊をもってでなければ抑えきれぬ荒ぶる神を、わたしが作ってしまったからです。そしてその因となったのが、かの後白河院。清盛入道と渡り合った稀代の天狗。あのお方によって踊らされたが故に、九郎、十郎、そして泰衡をも滅しなければならなかった。毘沙門天の我が妻政子をもってしても、奴らを止めることはできませんでした。その3人を、今もなお後白河院は操っておられる。院の念は強い。院はあの、蛇骨の血を受継いでおられるが故に、3人の魂をたぶらかし、阿修羅として蘇らせた。そのための受皿となったのが、平城公の血を引く高岳の因を受継いできた、東南アジアのプラーナ・ペイチャック。麻薬によって人々の心を奪い、それを全て阿修羅復活のために使ってしまわれた。わたしはわたしの定めとして、阿修羅を、さらには後白河院を封じなければなりません。」

大山は、自分の中で目覚めた頼朝の意識を共有しながら一気に語った。そして大きくため息をついて、山高に行った。

「あなたは金剛力士だ。でも俺は違う。ではなぜ転生できたのでしょうか。」

山高は茶を一口飲んで、不動明王像を見た。

「それは、あなた様が置いた、この不動尊が答えです。」

「不動尊が?」

「はい。二十八部衆は父親の口伝によって力が目覚め、そして倍増していくのですが、不動明王はそういうことはしなくとも、己の判断で転生できます。不動明王は、大日如来直属の力の持主。あなた様は、不動明王そのものなのです。」

山高は大山に向かい合った。

「さらに申せば、後白河院ご自身が、アスラなのです。」

「アスラは阿修羅のことではないのですか?」

「厳密には違います。修羅とは争いの世界に住む住人を差し、アスラとは生者ではないという意味です。修羅の羅とは、鳥を捕らえるものという意味もあり、鳥の化身である鳥神迦楼羅をも脅かす存在でした。しかし仏道に入り、神として仏を守るという役目になりました。ですが本来のアスラは、我々と相容れない世界の王。後白河院は、その強欲さと狂人な意志力とによって、絶対悪神アスラを召喚して転生しようとしています。そのための器がプラーナ・ペイチャックであり、阿修羅なのです。」

「器とは?」

「アスラの復活には多くの血と、神の力が必要です。プラーナ・ペイチャックの信者はほとんどが麻薬と催眠によって操られており、どのみち死ぬことになるでしょう。そして九郎義経様、十郎行家様、藤原泰衡様の怨念を掘り起こし、阿修羅として復活しようとされています。かつてご自身によって操ることができた方々・・・人間として転生することも許されず、怨念のみによって生かされてきた力は、もはや臨界点です。あなた様は、阿修羅の復活を阻止するがために、不動明王として転生なされたのです。」

頼朝であり大山でもある存在は受け入れた。そしていつしか大山は頼朝と同位置の存在になっていた。

「すると、俺がこうやって復活したのは、あの日の本一の大天狗を封じるためだったのか。」

当時の天狗とは、妖怪の大ボス的扱いだった。平家も源家も奥州藤原も手玉に取った天皇は、確かに後白河のみである。

頼朝は散々煮え湯を飲まされてきていた。平清盛のように武家が天下を掌握することを良しとしなかった後白河は、同じく朝廷公家に干渉しようとした頼朝をあの手この手でかく乱し、結果的に摂関家の所領を安堵させることに成功した。

この時の後白河の粘り腰によって、その後の摂関家や朝廷は所領を維持し続けることになる。また相国のような地位になることもなくなり、武家の筆頭は代々朝廷より以北の敵から守護する役割たる征夷大将軍でなければならないという、暗黙の了解さえ確立してしまった。

唯一これに相当しなかったのが豊臣秀吉のみということを考えると、後白河の影響力がどれほどのものであったかがわかる。

そしてこの時、頼朝の意に反して後白河側についたのが末弟義経と、叔父の行家だった。前述したように、基本的には同族内だけで結束していた坂東武者たちを、『御家人』という肩書を与えて傘下に置いた頼朝にとって、再び院側となる『北面の武者』たらんとする身内2人には厳しくせざるを得なかった。

「あの大天狗めによって、俺は実弟と叔父を殺めなければならなくなった・・・さらには、あの方と結んだ奥州殿までもな。」

徐々に大山から頼朝の意識へと移行していく中で、頼朝には多くの知識情報が自然と入ってきていた。

「なるほどそうか。あの大天狗め、再びこの世を我が物としたいのか。金剛、俺はどうすればよい?」

山高は静かに立ち上がり、不動尊像の前に立った。

「まずは、政子様と対面なさることでしょう。」


33  


さなえからの画像を見て、羽間の心は大いに揺れた。死んだとされてはいたが、どこかで信じられなかったのも事実ではあったし、しかしこうやって生きているとそれはそれで様々な疑惑が湧いてくる。山内に報告した後、羽間はしばらく誰とも会いたくなくなり、自分の部屋に戻ってシャワーを浴びた。

ここしばらくまともに着替えてもいなかったので、スッキリできた。そしてベッドに横になり、捜査資料とは別に記録していた小宮山祥子との思い出を書いたノートを開いた。

そこには様々な羽間の想いが、調査した事項と並行して書かれていた。改めて読み返してみて、羽間は苦笑した。

「馬鹿だな、俺・・・。」

胡蝶蘭マキとのやりとりを詳細に描いた横に、しかし可愛い、などと書かれていた。羽間自身全く自覚していなかったのだが、体育会系の無骨な男が恋したのは、小宮山祥子だけだったのだ。

しかしこうやって刑事と容疑者という立場になると、表向きは怒鳴ったりもしたし、潜入捜査などもやった。そのシリアスな一面と、いまだに残る恋心との間で揺れに揺れながら捜査していたことが、このノートからは伺える。

羽間は捜査しながらも、どこかで中学の頃の祥子を追い求めていたとわかっていた。無駄と思いながらも、どこかであの愛らしさを見たかったのだろう。初恋の女が死んだということもショックだったのだが、捜査においてはそれをバネにできていた。

だが、祥子は生きていた。そうなると今度は、もう追いかける気力が失せてしまった。

「俺、しばらく休職しよっかなあ・・・。」

ノートをベッドに広げたまま、羽間はつぶやいた。たった一度だけのデートのことがついつい思い出される。レモンスカッシュを目の前にして笑う祥子の笑顔は今も心の中にある。

「俺、マジアホやん。腹違いだし代理出産とはいえ、妹に恋しちまってたなんざ・・・」

山内の話では、もうすでに小宮山祥子と鈷力健は川北に来ているらしい。しかしもう羽間にはどうでも良くなっていた。もう裏方でなくても済むのだが、今さら出て行ってもなあ、という思いしかなかった。

全てが裏切られて、複雑怪奇だ。刑事失格だなと自虐的になるのも仕方ないことではあった。再び深いため息をついて目を閉じた。

これまでの疲れが出て半分寝かかった時だった。スマホの電話が鳴った。

「非通知?」

普段ならば出ないところだが、こういう状況でもあるので、羽間はすぐに録音と逆探知を素早くセットして電話に出た。

「もしもし?」

しかしすぐに相手は話さなかった。

「もしもし?誰です?」

少しの間を置いて、声が聴こえてきた。

『久しぶりね。』

忘れようもない声だった。

「え?・・・祥子!」

『羽間刑事・・・いや、ケンちゃん・・・それとも、お兄ちゃん?』

「やっぱり・・・もう知ってたのか?」

『あの件の時にね・・・あのケンちゃんは、あたしたちの腹違いの兄さんなんだってわかってたよ。心は動いたよ・・・辛かった。だけど、あたしには行真会というものを背負ってた。一切認めることはできなかったのさ。』

「・・・俺もだ。」

『あっははははは。そっか、そうだろうね。あたしは売春斡旋と麻薬売買の容疑者で、ケンちゃんは刑事さんだもん。もう同級生で、一回だけデートした頃のあたしたちじゃあなくなってたからね。』

「祥子、今どこで何してるんだ。」

『それはあたしよりも、あのぽっちゃりさんに聴いた方がいいよ。刑事さんにしちゃ行動がバレバレすぎて、可愛くなっちゃったよ。あたしたちが行ってきてほしいところを全部回ってくれてたしね。』

あの大進さなえに、そこまでの捜査勘はないだろうと思っていたのに、かなりの成果をあげていたのはそういうことだったのか。だがどうやったのだろうか。

「じゃあ、先輩が聴き込みしていたところって・・・。」

『全部、あたしたちの奴隷よ。』

「奴隷?」

『もうわかってるはずよ。あたしたち行真会は、プラーナ・ペイチャックの日本支部ってことになってるけど。構成員は事実上いない。全部麻薬で洗脳され、コントロールされている奴隷たちってこと。』

「祥子!お前!」

『今さら隠せって?ふざけんじゃないわよ。あんたに指示されたくはないね。あんたを遠ざけて、巻き込まれないようにしたのはあたしなんだ。』

「・・・それが、あの脅迫状か。」

『そうさ。さっき言ったよね。かつて同級生だったし。それに、途中で気がついたし・・・腹違いの兄妹だったってね。笑っちゃうよね。何もかも反対側にいるあんたに、同じ遺伝子を持つ兄に・・・あたしは・・・。』

祥子の声は急に途切れはじめた。

「祥子!・・・祥子!」

羽間は逆探知で調べてみたが、どうやら探知不能のようだ。スマホからではない。しかも非通知にできるのは、PCから発信しているとしか思えない。

そしてとうとう何の音もしなくなった。

「祥子、お前・・・。」

言いたいことを言えず、忸怩たる思いが残った。だが、羽間の中で分かったことがあった。おそらく、小宮山祥子と羽間は同じ想いだったようだ。しかも川北にすでにいるらしい。羽間は再び着替えて部屋を飛び出した。

今度こそ、言いたくても言えなかったことを伝えなければ気が済まない。羽間には、確信があった。そして誰かが、羽間の背中を押しているにも感じた。行くべきところは、間違いなくあそこしかなかった。


物語中盤になります。

今回は前世の清算という意味合いもありますので、現代に残る多くの資料などを繋ぎ合わせています。

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