第1話~転生~
連載始めました。
どうぞよろしくお願いします。
醜悪な羽虫がいる。
紅く熱された鉄の塊に魅了され、その周りを飛び回る虫けら──俺のことだ。
鉄塊の熱に焼かれ消えない染みになりたいなどと分不相応な願いを抱いている、気味の悪い異物。
その物語を穢す前に自ら命を絶つべきだとは理解していても、戦い抜いた果てに力尽きる彼女の骸を、この本能が求めてやまなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「…………?」
目を開けた時、そこには生まれて始め見る深く青い空が広がっていた。世界にこれほど美しい景色があったのかと感動し、仰向けに寝転んだまま暫しその青に魅入る。
数分かほんの十数秒、あるいは一時間ほどもそうしていただろうか──はたと我に返り首を傾げた。
──ここどこだ……?
ここ四半世紀以上ずっと古い市営住宅と工場を往復する毎日だった。病気で働けない両親の世話をするため、中学を卒業して以来ずっと自由のない日々を送ってきたのだ。青い空なんてもうずっとTVの中でしか見たことがない。
──社員旅行の予定なんてあったっけか?
先日、両親が続けざまに亡くなり、枷も目的も失った。学歴も資格もない四〇過ぎの男が今更自由になったところで何が出来るというのか。葬儀が終わって以来ずっと、何をする気力もわかず市営住宅の壁にもたれかかりぼうっとしていたことを覚えている。
──ん? そもそも、俺って誰だ?
記憶に靄がかかる。自分のことなのに何故か他人事のように感じられて判然としない。
四〇年以上生きてきた■井■■としての人生が──? 何だこれ? 名前が……自分のことが思い出せない……?
記憶が欠落していた。
全てを思い出せなくなったわけではない。自分が令和の日本で生きていたこと。家族を失い、未来もなく、ただ死んでいないだけの希望のない日々を送っていたことは覚えている。だがそこから先、具体的なエピソードを思い出そうとすると途端に記憶に靄がかかり判然としなくなる。
理由はすぐに分かった。頭の中には既に別の人間の記憶と知識があったのだ。
【パーソナル・レコード】
名前:ヨシュア
種族:ヒューマン
年齢:16歳
性別:男
外見:灰髪、灰目 178cm 59kg
出自:浮浪児
属性:中立にして善
<基礎能力値>
筋力:10 耐久:12 敏捷:17
器用:18 知力:14 知覚:16
魅力:20
職業技能:バードLV1
スキル:声援
呪文 :第〇位階 ∞ 手品 悪口
第一位階 2 初級治癒 誘眠 変装 翻訳
個別技能:エルフ語 隠密 看破 芸能 演奏 説得
開錠 罠 ペテン
【アーティファクト】リング・オブ・ウィッシュ(残パワー3)
「…………何だこれ?」
頭の中につらつらと他人の情報が流れ込んでくる。
名前はヨシュア。旅芸人崩れの吟遊詩人。王国北部ムーンフォールにほど近い商業都市で親の顔も知らず泥水を啜って育った浮浪児出身。幸か不幸か幼い頃から人目を引く美しい容姿の持ち主で、それを武器に金持ちに取り入って生き延びてきた。ここ数年は羽振りの良い老婦人の下で楽士の真似事をしていたが、その老婦人が半年前に急逝し後を継いだ息子がとんでもない変態だったため、慌てて屋敷を飛び出し旅に出た。
そしてここからが重要なことだが、今俺はそのヨシュアになっていた。自分でも何を言っているのか分からないが、自己認識がそうなのだからそうとしか言いようがない。
「■■■■がヨシュアに転生した? それともヨシュアの中に異世界の記憶が転写された?」
状況から推察するに、恐らくそのどちらかなのだろう。
トラックに轢かれた記憶は勿論、神様や天使に会って謝られたり怪しいゲームをプレイしていた記憶もないが、どうやら俺は異世界転生というやつをしてしまったらしい。いやまだ今の時点では追い詰められた俺の妄想と言う可能性もあるが──
「…………」
上半身を起こし首を巡らせると周囲にはどこまでも続く大平原が広がっていた。少し離れた場所を馬と人の足とで踏み固められた道が通っている。俺はそれが王都と南方諸国とを繋ぐゴートウィルの街道であることを知っていた。
「夢や妄想にしては、少しリアルすぎる……よな?」
少なくとも■■■■は想像でこんな世界を思い描けるほど豊かな人生を送っていなかった。彼にとって世界とはもっと色褪せて無味乾燥なものだ。
「……やっぱり転生か」
一先ずそう結論付ける。もし違ったらその時改めて考えればいい。
それに正直なところ俺はこの時とても興奮していた。
子供の頃から金銭的に余裕がなく、ゲームどころか碌に本を買うことも出来なかった■■■■の唯一の娯楽がPCでネット小説を読み漁ること。当然、異世界転生ものについても嗜んでいたし、『もし自分が~』と妄想の羽を広げたことは一度や二度ではない。
「ステータスみたいなのは見えたけど、ヨシュアの知識にそういうのは無かったし、ゲームの世界ってわけじゃなさそうだ。アレは■■■■とヨシュアの認識を擦り合わせるためのインターフェイスみたいなものかな?」
間違っているかもしれない感覚的な理解だが、今の俺はヨシュアという現地人の身体の中に■■■■の魂が入り込んだ状態だ。だが魂だけ他の身体に放り込まれた人間が、その身体のスペックをいきなり十全に発揮できるかというとそれは難しい。ましてヨシュアと■■■■とでは生まれ育った世界さえ違うのだ。感覚や認識が噛み合う筈がなかった。
恐らく先ほど頭に思い浮かんだヨシュアのステータスは両者の間の齟齬を埋めるためにある。今の俺にはあのステータスを意識することでヨシュアの技術を使えるという実感があった。一種の自動運転機能──あるいは補助輪──のようなもの。平和な現代日本で育った■■■■の意識が荒事に対応できるとは思えなかったので、正直これはとてもありがたい。
ヨシュアの記憶が正しければここは剣と魔法のファンタジー世界だ。あちこちで人と人とが殺し合い、凶悪な魔物が数多く存在している。
「正直俺は英雄願望とかないし、自由に楽しく生きていければそれでいい。この身体のスペックなら、よっぽど馬鹿やらかさなきゃ何とかなるだろ」
この身体の持ち主であるヨシュアという少年のポテンシャルは、チートと言うほどではないが現地人としては十分に高いものだった。
まず基礎能力値。データの読み方は頭の中に入っており、それによるとヒューマンの成人男性の平均値は「12」前後。ヨシュアは細身で筋力こそ平均を下回るが、それ以外の能力は軒並み高水準だ。特に対人能力を示す魅力は「20」とほぼ最高峰の数値。これは呪文の行使判定が魅力参照のバードにとってはこの上ない優位性と言える。
また職業技能の「吟遊詩人」は、芸事中心のイロモノ職業というイメージがあるかもしれないが、それは間違い。この世界におけるバードはただ音楽を奏で詩を紡ぐアーティストではなく、剣や呪文、あらゆる技術を満遍なく使いこなす究極の万能職だ。
その本質は形から入り実へと至る観察力と演技力。彼らはその役柄をなぞり模倣することでどんな分野の技能もオールラウンドに習得することができた。
無論、表面的な部分をなぞっただけでは剣でも呪文でも専門職には及ばないが、どんな分野でもそれなりの能力を発揮することができるというのは「生存」という観点では強い。
ゲーム的に言うならば戦士、魔術師、僧侶、盗賊としっかり役割分担が出来たパーティーがあって、その五人目として参加した時に最も活きるタイプの職業なのだが、当然ソロで活動するのにも向いている。
そして何よりヤバイのがヨシュア本人ではなく、彼が持っているアーティファクト「リング・オブ・ウィッシュ」だ。
これは魔術師などが習得する最高位の呪文「ウィッシュ」を三回だけノーリスクで使用できるというもの。そして「ウィッシュ」とは「願いを叶える魔法」であり、その効果は文字通りの万能だ。
勿論、人が使う力である以上全く何でもありというわけではなく、術者本人が過程と結果を正確にイメージできなければこの呪文は正しく効果を発揮しない。例えば「ドラゴンを倒せ」と願った場合、術者本人がドラゴンの寿命が尽きた遥か未来に時間移動してしまう、ということもあり得るわけだ。軽々に使えるものではないが、いざという時の切り札としては最上だろう。
「ヨシュアにこんなヤベー指輪の記憶はないんだけど……ひょっとしてこれ、転生特典とかだったりする?」
だとしたら、記憶にないだけで実は俺も神様に会って土下座された後なのかもしれない。
「……まぁいいか。何で転生したとか元の世界で俺がどうなったとかわからんことは色々あるけど、折角手に入れた第二の人生だ。今度こそ自由に、面白おかしく生きてやるさ」
──自分が異世界転生したのだと知ったその日、俺はまだ正気だった。




