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9.ある一夜

 王都に向けて立つ前夜のこと。


 私はすっかり荷支度を終えてすっきりした部屋を前に懐古に浸る。


 王都を出た時は荷物もそんなになかったのに、領地を旅立つ時は皆からのプレゼントなどで荷造りに苦労するほどの量になった。


 皆からのプレゼントひとつひとつを思い出す。わたしがいない間に部屋に積み上げられたそれら。わたしが王城で無力だった時、彼らは私を想ってそれらを送ってくれた。


 両親から送られていた服や靴、使用人たちからのその時町で流行っていたという細々とした雑貨。


 帰ってきたばかりの頃、それを見て私を想ってくれる人がいたんだということが身に染みてわかって胸がいっぱいになったことを覚えている。



 私たちが旅立つことが決まって用意を整えている間も、領地に出現する魔獣の数は不思議と少なかった。


 私たちが王都からの緊急要請でいない間に一時増えたらしいが、それもあくまで以前と比べると少ないほうのようだ。


 皆一様に首を傾げているが、王都への長期支援の間も少ないままだと良いね、程度に留まっている。



 窓から月明かりが差し込む。片付いてしまった部屋の様子が明るく照らし出される。


 開いている窓から風が吹いてカーテンが揺れる。この部屋を構成するすべてが、しばしの別れを惜しんでいるように見えて後ろ髪を引かれる気分になった。


 母から無事に帰ってきてね、とイニシャルの刺繍が入ったハンカチを渡された。それが一人前になった証のように感じられて、胸が躍ったのを覚えている。


 別れを惜しむような雰囲気がどこか部屋の中に漂う。久々に帰ってきた主人が早々に旅立つのだから残念なのだろう。


 机の上に置いてある本を撫でる。領地に帰ってきてからの間読み込んだ戦術書だ。


 私はとにかく実践経験が少ない。領地に帰ってきてからも魔獣の量が少なく、私が出るほどのものはなかった。


 それを兵法書などを読み込むことで補填しようということだ。果たして実戦で役に立つかはわからないが、駆け引きというものがわかった気がする。


 出発する前に城下町を巡ることにした。護衛はつけずに一人で領民と交流がしたいと思ったのだ。


 それから買い食いも目的の一つだった。往生にずっと閉じ込められていた間に忘れてしまっていたが、私は幼い頃屋台の食べ物が好きだったのだ。


 というわけで城下町に一人で降りて屋台のフランクフルトを購入した。溢れ出る肉汁。普段の食事とは違う齧り付くという行為の背徳感。それがより旨みを引き立たせる。


 そう味わっていると、一人の老婆に話しかけられた。


「お嬢様、先の戦いではお疲れ様でした。素晴らしい武功を立てられたと聞き及んでおります」


拝むような姿勢で言う彼女に私は狼狽しながら

ありがとう、と返した。


 王都では魔獣討伐をしたが領地ではまだ何もできていないから、そんなに感謝されるとむしろ申し訳ない気持ちになる。


 そんな私の気持ちが口から漏れていたのか見透かされていたのか、老婆は腰を曲げながら言った。


「そんなことはございません、お嬢様はこの土地に居られるだけで我らに祝福を届けてくださるのです」


いやに含みのある言葉に、何か裏があるのではと探るような目を向けてしまう。


「お嬢様、エマニュエルの娘。あなたが王都から帰られて、本当に良かった。祝福は元はエマニュエルのものですから」


意味深な言葉を吐く老婆を問い詰めようとしたがさらっと身を躱されて逃げられてしまった。


 

 首を傾げる。一体どう言う意味なのだろう。しかし立ち去られてしまった今、何もわからない。フランクフルトは冷めても美味しかった。


 街歩きを続けていると、時折声をかけられる。子供からは花冠やちょっとした工作なんかをもらった。


 領民から愛されているのは私の功績ではない。私の両親やクロヴィスが領民と関わり、慈しんできたからだ。それがわかっていても愛を受けるのは心が温かくなる。


 ただ、すれ違う兵士に敬礼されるのは怖いのでやめてほしいと頼んだが断られてしまった。尊敬の目を向けられてしまい、少し怖かった。


 帰る時になって改めて町を見る。温かい人たちばかりの、素敵な町だ。必ず戻ってこよう。そう胸に誓った。


 それから私たちは領地を旅立った。旅程は順調だった。


 途中の宿に宿泊した時、クロヴィスに自分の部屋に来るように言われた。大人しく夜になって部屋に来た私にクロヴィスはため息をついた。


「何?言われた通りに来たのにため息をつくなんて。何か不満でもあるの?」


クロヴィスは私をじろりと睨み上げて言った。


「だから不満なんですよ。何も警戒されてない。男の部屋にのこのこ来るなんて……」


思うところがないでもなかったが、肩をすくめるだけにした。


 二人きりの部屋は薄暗かった。数少ない光源がちろちろと私の目を焼く。何か話し出すかと思ったが、以前のことを思い出すくらいにクロヴィスは静かだ。


 口を開いては何も言わない。階下から聞こえてくる酒盛りの音だけが私の耳にこびりついた。


 物思う様子を見せながら何も言わない。焦れた私は何か言おうとも思ったが、引き伸ばされた沈黙を前に何も言えなかった。


 クロヴィスは黙って私の方を見た後、何やら考え事をするように目を伏せた。彼は何やら思索に耽っているが私は何もすることがないので手持ち無沙汰だ。


 沈黙が場を支配する。何か話して動かそうとも思ったが、空気の重苦しさに耐えられずただ黙っていた。


 視線をうろうろと彷徨わせる。落ち着かない気分だった。壁にかけてある抽象画が目について、それを前にぼんやりとその絵の意味するところを考えていた。


 部屋の椅子に座らせられていた私の前に、クロヴィスが近づいてくる。それは何気ない動作のように見えたのに、どこか緊張した。


 床が足音を伝播させて私の元へ届ける。それは重たくて、私とは全く違う体格なのだと意識せられた。


 光がクロヴィスの横顔を照らした。その顔は何も感情がこもっていないように見えて少し怖かった。


 幼い頃とは全く違う、すっきりした顔立ち。何だか無性に寂しさを感じた。全く違う存在になってしまったのだ。私たちは。


 つかつかと歩いてきたクロヴィスは私の前に立つ。いつものように隣に座るとばかり思っていたので意外な気持ちになる。



 どうしたのだろうと思っているとふいにクロヴィスが私の手を取った。きょとんと見上げると、先ほどと同じ感情のこもらない顔をしていた。


 何だか厳しい顔、と思って眉間をちょん、と押してみると手を離された。別に拒否したわけでもないのに。


 残念な気持ちになったことが、自分でも驚きだった。クロヴィスはさらに眉間に皺を寄せて何か考え込む様子を見せた。


 変なの、と思ったが指摘することもせずに眺めていた。室内の灯りが私たち二人の影を映し出していた。


 クロヴィスが私を見つめる。私も視線を返す。それだけの時間がしばらく流れた。


 私たちの間には何とも言えない空気が漂った。何をすれば良いかお互いに間合いを測るような。それは私にはどこか心地よいものだった。



 クロヴィスは突如動き出した。ゆっくりと、何かを恐れるように。そして椅子に座る私を壁で挟み込むように覆い被さった。


 私は驚いて瞬きを一つしたが、それくらいのものだった。行動自体に対しては。


 しかしクロヴィスの目を見ると、何だかその目にはいつもならないぎらついた光が見えたから、何だか違う人のように見えて怖くなってしまった。


 しかし覆い被さるとは言っても逃げ場を塞ぐようなそんな真似はしなかった。扉は開いていたから大声を出せば誰かが来てくれるだろうし、退路は塞いでいなかった。


 それにすっかり安心して、体の力を抜いた。クロヴィスの目は何か力がこもっているが、私を害するものではない。それに安心したのだ。


 クロヴィスを観察してみる。何か言うかなと思ったがただ言わずに私に覆い被さっているだけだった。


 こうして見るとかなり大きくなったなあ、と呑気なことを考える。私よりすっかり肩幅も大きくなって、変わってしまった寂しさを感じる。


 クロヴィスの左手は壁に、もう片方の手は私が座る椅子の背もたれにかけられていた。体重がかかったのか、古い椅子だからか先ほどから小さく音が鳴っている。


 お互いの呼吸はこんな距離感とは思えないほどに落ち着いていた。平静を装うのが上手なだけかもしれない。


 現に私も普通に振る舞えているだろうが内心は混乱している。なぜ覆い被さられているのか、それなのになぜ退路は塞がれていないのか。よくわからないままだ。


 顔の横に置かれた手を見ると、微かに震えている。何か衝動を抑えているように感じられた。


「どうしたの?」


そう問うと、クロヴィスは何かを言いかけて、やめた。


 何かを言いたそうにしているのに、何も言わない。言わせてあげたいけれども、私にはどうしたら良いのかわからない。


「クロヴィス」


と名前を呼ぶ。今度は優しくない、少し冷たく聞こえる声で。



 それに目を伏せたクロヴィスは、唇を噛み締める。そして声を絞り出した


「……誰のものにもならないでください。どうか、せめて」


最後は掻き消えそうな言葉だった。私への頼みというよりも、天に祈るような響きだった。


 自分の放った言葉の響きに気づいたのか、言うつもりはなかったのかクロヴィスは、はっとしたような顔をした。


 それから私に覆い被さっていた体を離して、距離をとって頭を下げた。


「申し訳ありません」


少し掠れたその声は、何だか私に見放さないでと言っているようで切なくなった。



 良いのよと口から漏れそうだったが、私の反射的な言葉は今のクロヴィスには届かないだろう。もう少し考えてから発言することにした。


 こちらからは距離をとって顔を伏せてしまったクロヴィスの顔をは見えない。何を考えているのだろうか。様子を伺ってみてもいまいちわからない。


 先程までのぎらぎらした雰囲気とは違う、どこか緩んだ雰囲気が漂っていた。けれどもそれは落ち着けるというわけでなくて、彼の緊張はまだ継続していた。


 私から何を言えば良いのか沈黙を破りあぐねていたところで、クロヴィスが話し出した。


「先程は申し訳ありません。

 義姉上の意思を無視するような行動をとってしまい……」


私が本当に求めている言葉はそれではないとわかっていながら謝罪の言葉を述べる。違うでしょう、というような視線を送ると


「先ほどの言葉は…..その、王都に行けば色んな人と出会うと思います、その中には義姉上に悪意を持った人もいるので気をつけてくださいという意味で」


滑らかに語り出す。それはまるで、私が詭弁を語っているときのような調子だった。


 クロヴィスも自分でそれに気づいたのか黙り込む。それからふと俯いていた顔を上げた。


「……違います。違うんです」


顔が歪む。自分の発言の本当の意図に気付いたようだった。私は黙って耳を傾ける。


「本当は義姉上を誰にも取られたくないんです。想像するとそいつを魔獣の餌にでもしたくなってしまう。酷い衝動に襲われるんです」


苦しげに搾り出すように言われた言葉は私には意外なものだった。


 そして彼は最後にこの言葉で締めた。


「俺は、自分の欲が怖いんです。

 それでも止められない。あなたを傷つけてしまうかもしれない。それが怖いんです」


 そう言って罪人のような顔で俯くクロヴィスを前に私は考え込む。考えた上で答えを出すべきだと思ったからだ。


 きっとクロヴィスからしたら断罪への待ち時間のようだったのだろう。どんどん顔色が悪くなる。


 クロヴィスの葛藤に対して、何と答えるのが良いか。


 彼は私が誰かのものになることを恐れている。それ自体に対しては私は誰のものになるつもりもなかったから構わなかった。


 けれども彼が恐れているのは縛ってしまうかもしれない自分自身だ。それを認識した時、私は彼からの束縛なら良いかもしれない、と思った。


 しばらくの沈黙の後、私は言った。


「私は誰のものでもないわ。

 でも、あなたに望まれるのは不思議と嫌じゃない」


これで返事になるかしら?と挑戦的にクロヴィスを見上げる。


 クロヴィスは大きくため息をついて、私の前にしゃがみ込んだ。


 私はそれが何だか可愛く見えて、笑ってしまった。けらけら笑う私を見て、クロヴィスはどこか安心したようだった。

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