8.クロヴィスの過去
静かな日のことだった。
魔獣の出現はいつも通り、それ以上にいなかった。
庭から聞こえる鍛錬の音はやけに早く止んでいた。
王都への支援の準備は何の引っかかりもなく順調に進んでいた。
ただ、クロヴィスの様子だけがおかしかった。
食事の時も何気ない書類のやり取りをする時も、決まって私の顔色を伺い、何か言いたそうにしてはやめてを繰り返す。
普通の状態なら指摘もできるが、その原因がわかっている以上、野暮かと思って何も言うことができない。
私ばかりが神経を尖らせているような、そんな一日。
その終わりに、クロヴィスから声をかけられた。
「義姉上、お話ししたいことがあるのですが、少し時間をいただけないでしょうか」
強張った表情で、クロヴィスはそう言った。私は、ただ黙って応じた。
クロヴィスに促されるまま、適当に空いている部屋に入り、隣に座る。
再会したばかりの時は隣に座るのも緊張して慣れなかったが、今ではそうでないと違和感を持つようになった。
クロヴィスは大きな図体を縮めるようにして座った。それが何だか新鮮に見えて、
「もっとゆったり座って良いのよ」
と言ったが、ますます体を強張らせてしまった。
彼は先日を思い出させるような仕草をしていた。その指先が白くなるまで何度も指を握りしめては開放する。
先日は私の手を重ねたが、その葛藤を前に、事情を知らない今の私では難しいかとやめてしまう。口を開こうとしてはやめる。その反復を、私は黙って見つめていた。
何から話しましょうか、と彼は呟いた。独り言に近いものだったので、私は沈黙を貫いた。
悩むというよりは話す順番を整理する調子の沈黙の後、クロヴィスは語り出した。
「義姉上はご存じでしょうが、俺はエマニュエル家の分家筋の人間です。
と言っても貴族みたいな優雅な暮らしとは縁遠くて、代々魔獣討伐部隊として働いてきました」
半分知っていて、半分は初めて聞いた。
エマニュエル家は本家であるうちがそもそも魔獣討伐の現場に出ていることから察せられる通り、貴族らしくない貴族だ。分家もそれに倣って慎ましく暮らしている。
かと言って分家も全員が魔獣討伐に参加しているかというと、そうでもない。攻撃魔法に適性がなかったり、研究に熱中してしまったりするからだ。
そんな中で家業として魔獣討伐を掲げる家は少ない。クロヴィスの強さから察せられるところではあるが、彼の生家は優秀な軍人家系なのかもしれない。
私が整理し終えるのを待ってから、クロヴィスは続きを話した。
「両親は討伐部隊の中でも特に優秀でした。
俺の火力の強さは、両親譲りなんだと思います」
そう語る彼の横顔は、言葉とは裏腹に自慢の色は欠片も感じられなかった。
「幼い頃はそれがすごく誇らしくて、周囲に自慢して回っていました。俺の両親はすごいんだって、領地一の魔法の使い手だ、って」
微かな寂寥を滲ませて言う。
自慢の両親だったのね、と言うと静かに首を振って言った。
「寂しかったんだと思います。両親は強かった。でもその分頼りにされてうちにはあまり居なかった。
愛されていたとは思うんですけど、思い出もあまりなくて。
会えば魔法の特訓をやらされて、扱かれて。それ以外はいつも出かける後ろ姿を見送っていた気がします」
でも言われた通りに魔法を成功させるとたくさん褒めてくれたんです、と付け加えるその姿が何だか寂しそうに見えて、背中に手を当てた。
「でも全部、本当に幼い頃の話なんです。
義姉上が王都に行かれるよりもずっと前の話だから」
はっと息を呑む。そうだ。クロヴィスとは私の婚約が内定して王城に行く前に遊んだ記憶がある。ということはつまり──。
「十年以上前のことです。大規模な魔獣災害が領地で起きました。
周期的にはあり得ることでしたが、その量が予測を大きく上回っていた。
うちの両親も、当然その討伐に召集されて、っ──」
言葉に詰まる。あらかじめ用意していた台本を読み上げるような平坦な口調が崩れた。その時のことを思い出しているのだろう。
無理して話さなくても大丈夫だと言いかけて、やめる。クロヴィスも覚悟を持って話しているのだ。それを遮るのは憚られる。
「戦況は厳しかったんです。なのに最前線に向かうって聞いたから俺は、俺は止めたのに……両親は大丈夫だから、と言い残して行ってしまったんです」
その時のクロヴィスの気持ちに思いを馳せると切ない気持ちになる。
愛する両親を、共に一番危ないところへ送り出すことになる。でもそれを止めることができない。
両親が出て行った家で、一人。一体どんなに心細かっただろう。寂しかっただろう。
それを思うと切なくなって、でもその時のクロヴィスを抱きしめることはできないから、今のクロヴィスの肩をそっと抱くことしかできなかった。
「両親は、そのまま帰ってきませんでした。
身につけていたものも、何もかも残らなかった。最期を知る人もいない。ただ、両親はもう帰ってこない、それだけが分かったんです」
努めて淡々と話すクロヴィスの拳は固く握られていて、そこにどのような思いが込められているかはわからない。
「両親が帰ってくると思って、俺はずっと家の中を片付けられなかった。でもやがて親戚が来て家の中を嫌でも片付けて、もらったんですけど。
それがどうにも荒らされているように感じて必死に止めようとしたのを覚えています」
他人からしたら迷惑な話ですよね、と笑うその姿が痛々しく見えて、抱きしめた腕に力がこもる。
そう言うわけで、と明るく言葉を切ったクロヴィスは締めた。
「だから俺は失うのが怖いんです。
伝わりましたか?ずっと言えなくて申し訳ありませんでした。
義姉上からしたら大したことない話ですよね、すみません」
そんなことない、と咄嗟に口から転がり落ちた。それに虚を突かれたような顔をするクロヴィス。
勢いのまま回る口を止めずに話す。
「あなたはとても強いわ。そんなことがあっても討伐部隊として戦場に立ち、こうして活躍している」
その言葉を受けて、クロヴィスは目を伏せる。
「俺は強くなんかありません。
自分のことはどうでも良いんです。だからこれまでは良かった。
でも義姉上が戦場に立つと思うと、怖くて仕方がないんです」
言葉を失う。私が戦場に立つことに、そんな恐怖を感じていたとは。自分が戦場に立つことばかり考えて、その影響は考えていなかった。
「ずっと考えているんです。両親を止めれば良かった、恥も何もかも捨てて、戦場に出ないでって言えば良かった、って」
黙り込む。その後悔は、私には正しく共感できないと思ったから。ただ、言葉の続きを空気で促す。
「止めていれば、両親は助かったかもしれない。
頭ではわかっているんです、両親があそこで犠牲になったから助かった命もあるって。
だから止めていればという気持ちも、止めなかった判断も間違ってはいないという気持ちもあるんです」
そう言って目を閉じる姿に、私も言葉を選ぶ。
「だからあなたは、私が戦いに出ると行っても止められないのね。
それは──、とても優しくて、辛いことね」
他者が傷つくのを恐れているのに、それを無理矢理に止めることもできない。難儀なことだなと思った。
それを否定するように首を振る。
「違うんです。優しくなんてない。ただ我儘で、臆病なだけです」
そんなことないけどなあ、と卑下する背中を撫でながら思う。どれも当たり前にあって許される感情なのに、自分がそれを抱えるのはどうも許せないみたいだ。
私は王城に篭り切りから解放されたばかりの時、とても心細くて、自分の芯などないから不安定だった。でも、クロヴィスのおかげで自信を取り戻せたし、自分の後悔しない選択を選ぶこともできた。
だから今度は、私がクロヴィスを支える番だ。そう心に決めた。
そう心に決めたは良いけれども、何を言ったものかと考えていると、クロヴィスが話し出した。
「義姉上は強い。それが心配なんです。両親の姿と重なって」
唇が震えるのを堪えるようにぐっと噛み締める。その仕草に何かしてあげたくなった。でも彼は彼の中で葛藤している。私にできることは少ない。それでも何かしてあげたい、そう思った。
「あなたを失いたくない。それだけが一番強くて、でもあなたに後悔してほしくもない」
だからか、と腑に落ちた。クロヴィスが私が戦場に出るように後押しした上でこうしてなくすことを恐れているのは。
ようやく何かが掴めた気がして、その不安を減らすために動く。
「一つ見落としていることがあるわよ。
それはね、私はあなたを一人にしないってこと」
小首をかしげるクロヴィス。その仕草は何だか幼かった。
「私は必ずあなたと一緒にこの領地に帰ってくるわ。絶対に一人にしない。
あなたを一人にして死んでしまうなんて選択はしないわ」
はっ、とクロヴィスが息を呑む音が近くから聞こえる。私の言葉はきちんと届いている。それを確認して安心して続ける。
「だから安心して。あなたはもう孤独に悩まない。後悔も恐怖も、私と共有して半分にできる」
目を見つめて言う。私の言葉を最初は理解できなかったのかぼんやりしていたクロヴィスは、徐々に噛み締めていったのか表情を変えていった。
そのまま静かに涙を流し始めた。はらはらと。その泣き方は嗚咽もなくて、ずっとこうして泣いてきたのだと思うと胸が詰まった。
静かな泣き顔にそっとハンカチを当てると、こちらから顔を逸らして避けてきた。ムキになって立ち上がって無理矢理顔に押し当てようとする。
すると顔が真っ赤になっていた。どうして?と尋ねると
「だって……それは、義姉上がずっと側に居てくれるってことですか?」
と返してきた。当たり前じゃない、と咄嗟に答える。
しかしその意味を自分でも考えると、とても恥ずかしいことを言っていることに気づき私も顔が真っ赤になった。
しばらく二人でそうして照れていると、少し落ち着いた様子のクロヴィスがこう言った。
「義姉上が俺を一人にしないなら、安心ですね」
私の言葉は届いたんだ、そう思うと安心して私もクロヴィスの顔を見て笑った。クロヴィスもそれに微笑んで、しばらく二人でそうして笑い合っていた。
それが落ち着いてから改めてクロヴィスは私の方を向いて言った。
「ありがとうございます、義姉上。
義姉上が側にいてくださるのなら、俺は何だってできます」
その言葉に若干の影を感じつつも頷く。するとクロヴィスは自分の手のひらを上にして、小さい火を手の中に出した。
それはどんどん温度を上げてやがて青色になった。その影がちらちらと私の目を焼く。音はなく、静かな炎だった。
薄暗い室内を照らすのを見つめていると、クロヴィスはこう言った。
「あなたを守るためなら、俺はこの力を王にも向けます」
火が映り込んでいるからか、その目はどこか仄暗く見えた。一瞬それに背筋に寒気が走ったが、気のせいだと思うことにした。




