5.決断
王都は現在、追い詰められていた。王都を守る結界が魔獣によって突破されようとしていたからだ。
王城は一日中緊迫した雰囲気が漂い、王都からは多くの人が逃げ出していく。これまで豊かな大都市だったはずが、短期間ですっかり寂れてしまった。
そんな中、王は何か対策を取るでもなく、ぶつぶつと恨み言を吐いていた。
「なぜ婚約破棄をした、その意味を考えようとしなかったのか、アニエスを追い出さなければ」
そうして王は息子のエドモンを呼び出し、いつものように怒鳴りつけた。
「お前の後先考えない行動が現状を招いた!責任を取れ!」
エドモンは青ざめて、こんなはずではなかった、などともごもごと口の中で言い訳を転がしたが、それは王の怒りにさらに火をつけることになった。
そして王は伝令を呼びつけると、ほとんど叫ぶように言った。
「なんとしてでもアニエスを王都に連れて来い!一刻も早く!」
やはり、というべきか。王都から二度目の使いが来た。
前回以上に慌ただしく、鬼気迫る様子の彼は、息も絶え絶えに言った。
「結界が打ち破られようとしています!
もって一、二週間と推測されています。研究者も対策を練り続けていますが原因がわからず……」
そのまま項垂れるようにして頭を下げる。
「どうか王都に救援を送ってください。お願いします。国内で対魔獣の最高戦力を有しているのはエマニュエルなんです」
それからはた、と私の方を見て伝令はさらに言葉を重ねる。
「国王陛下は何があってもアニエス様を伴って来るように伝えろ、とのことです。エドモン殿下からの王都出入り禁止の言葉は撤回させるから、と。
どうかよろしくお願いいたします!」
必死に懇願するように私たちに言った後、伝令は崩れ落ちた。休みなく王都から来たために疲労が限界だったのだろう。
どういうことだ?思わずドレスをぎゅっと握りしめる。シワになってしまう、と考えるよりも前に衝動的に動いた。
自分から追い出しておいて帰って来るように要請するなんて。それに当主である父ならまだしも、大した戦力にもならない私が指名される意味がわからない。
理由もさして説明しないで来るようにとはどういうことだろう。私は首を傾げながらも、内心の不信感を拭うことはできなかった。
伝令の言葉を受けて父は、何やら考え込むような様子を見えた。その場にいる一同は父の一挙手一投足に至るまで注目する。
そんな一方で私は、父がなんと答えるのか、どうするのか気になってそわそわと浮き足だっていた。父はそんな私の様子を見て、気遣わしげに問う。
「アニエス。今回の要請をどう思う?
アニエスの好きなようにして良い。私はどちらでも支持する」
父の期待も押し付けもこもらない、ただ静かな眼差しを前に口からすらすら詭弁が出て来る。
自分でもどうかと思うけれども、上っ面だけの言葉選びだった。
「私は、今回の要請に応えるべきではないと思います。
勉強も現在魔獣が減少しているとはいえ王都に大規模な支援を送った後、どうなるかは分かりません」
それから、と私は少し言い淀んでから付け加える。
「あちらの都合で婚約を破棄、王都追放を命じておきながら勝手に呼び戻すのは……それに従う必要はないかと考えます」
どちらも本心ではあるけれども、言いたいことではない。それを悟られない程度には平坦に言えたはずだが、声は硬くなっていたかもしれない。
私は、怖いのだ。王都の結界が破られるなんて前例のない事態。うちだってどうなるかわからない。それなのに陛下は身勝手にも兵を送るように命令して来る。
兵を送ったらうちの人員が減る。領内の魔獣が減っているままならいいが、王都のように突然爆発的に魔獣が増えたらどうするのか。
結局私はうちの領地の人々の方が、王都よりも大事なのだ。それは何と浅ましいのだろう。けれども私の弁は表面上は成り立っているから否定されることはないだろう。
その予想通りに、父は私の苦しい言い訳に納得するように頷いてみせた。
「確かにアニエスの言う通りだな。
アニエスが向かうつもりがないのならうちからは小規模な兵団を送るだけとしようか。
行かなくて良いようにするから、お前は何も気にしなくて良い、アニエス」
話がまとまりかけたところで、これまで沈黙を貫いていたクロヴィスが口を挟んできた。
「本当にそれでいいのですか、義姉上」
え?
虚を突かれる。実際のところ、私に迷いがあったからだろうか。それを見透かされているようで、咄嗟にクロヴィスから目を逸らした。
クロヴィスは父の方に向き直り、言葉を重ねる。
「義父上。我が家からも大規模な支援を送りましょう。元より我が家はこういった事態のための対策は練ってきたはずです。
義姉上の反対がありますが、我々の本来の立場なら大規模な支援を送ってきたはずです」
父はそれに口籠る様子を見せた。そこを見逃さず、クロヴィスはさらに言い募る。
「確かに王家は義姉上を都合よく使おうとしています。俺のそれに怒りを覚えている。
けれども感情は排して考えるべきではないかと存じます。
義父上は、王都に支援を送った程度で崩れるような体制を敷いていないでしょう?」
私はその滑らかな言葉に、口を挟むことができなかった。確かにクロヴィスの言う通り、感情を排して考えるべきだ。
それでも、と反論しようとしても唇は震えて上手く言葉を紡げない。握りしめた指先が真っ白になっているのが、よく見えた。
ただ、とクロヴィスは少し言葉を選ぶ様子を見せた。
「俺は王命だから従うわけではありません」
それにまた、驚く。てっきり王命には従うよう嗜められたと思ったのだ。
それが、違う?では何故、大規模な支援を送ろうと、私を王都に行かせようとしているのだろうか。
動揺で体からふっと力が抜けて崩れ落ちかけたのを、近くにいたメイドのイネスが支えてくれる。
その様子を静かに観察したクロヴィスは、私に目を合わせてこう言う。
「義姉上が本心から反対されているなら、俺はそれに従います」
芯を突かれたような気持ちになった。私の迷いが見透かされた気がして。気がする、というよりも実際にもう見抜かれているのかもしれない。私の本心は。
クロヴィスが私の方に一歩、二歩と近づいて来る。その度に私は断罪されるような心地になる。イネスがそっと離れていく。離れないで、と咄嗟に縋りつきそうになったが矜持で堪える。
私の目の前に立ったクロヴィスが、私の顔を覗き込むようにして言う。いつになく真剣な眼差しだった。
「俺は、義姉上が後悔する姿を見たくない。
だからこうして反対している。
もし王都にこのまま行かなかったとしても義姉上は後悔しないと言えますか?」
その言葉に、私は観念したように目を閉じる。全て見透かされている。ならば私も本心を言うしかないのだろうか。
何か言おうと口を開いても、頭が真っ白になって言葉が出てこない。クロヴィスはそれを急かすことなく、私を案じるような目で見ていた。
私の脳裏によぎるのは、王城での日々だった。
部屋から出ることが許されない毎日に、侍女からの陰口。私に関心のない婚約者。
退屈だった。嫌いだった。
私は命令に従うばかりで、自分の意思なんて一つも期待されていなかった。
それでも、見捨てたら後悔はするのだろうか。私は王都のことを何一つ愛していない。何一つ良い思い出がないから。それでも──。
王都が崩壊する様を想像した。逃げ惑う市民、抵抗する手段を持たない人々が蹂躙される様。被害が王城にまで及んだ時、侍女のような使用人たちはどうするのか?
それでも私は後悔しないのか?愛していないからといって見捨てることができるだろうか。
エドモン殿下から婚約破棄された時のことを思い出す。王都を追放された、あの時のことを。
私は何も言えなかった。ただ、逃げることしかできなかった。その無力さを反芻すると、今でも指先に力がこもる。
そのままで、良いのだろうか。何もできない私のままで。このままだと、言われっぱなしだ。あちらの思惑通りだ。
王都に行かない選択肢だってある。けれどもそれを選んだら、きっと私は後悔する。だって、何もできていないのだから。
私はもう、都合の良い駒じゃない。
今王都に行かないと決めるのは、私の自由だ。けれどもそれを選んだ時、本当に自由と言えるだろうか。逃避ではないだろうか。
私は私の意思で選ぶ。王都に行くと言うのが、私自身の選択になる。
私は王都を助けるために行くわけではない。
ただ、私が後悔しないために行くのだ。
顔を上げる。クロヴィスと目が合う。クロヴィスは言った。
「義姉上が望まぬのなら、俺は王命でも退けます」
ただ、と言葉を続ける。
「あなたが自分を偽るなら、それだけは許せません」
胸の奥が熱くなる感覚がした。ずるい。彼は私よりも私のことを分かっている。けれどもそれを認めたくなくて、唇を噛み締める。
回想する。王城の冷たい空気、見た目だけは豪華絢爛な内装。実際は駆け引きだらけで一つも息をつけない。
王都に戻ったら、またあそこに閉じ込められるかもしれない。また同じ目に遭うのかもしれない。
嫌だ、と拳を握りしめる。こうして自由にできているのに、また逆戻りだなんて。
それでも、王都に行かないで後悔するよりはずっと良い。
私はもう、誰かの命令に従うだけの駒ではない。
だから、自分で選択する。
父の方に向き直る。
「お父様。先ほどの言葉、撤回します。
王都に行きます。王命だからではなく、私自身がそうしたいから」
その言葉を受けて、父はゆったりと微笑む。
「大きくなったな、アニエス。それにクロヴィスも。立派に成長した。私は誇らしいよ」
クロヴィスと目を合わせて笑い合う。そう言われて、私もまた誇らしかった。自分の成長を感じられて。
クロヴィスの方を向いて、宣言する。
「行きましょう、クロヴィス」
それにクロヴィスはどこか悩む様子を見せた。
「本当は、義姉上に行って欲しくないんです」
首を傾げる。ずっと王都に行くように説得してきたのに?どうしてだろう。
「義姉上には傷ついて欲しくないんです」
ずっと安全なところにいてほしい、と呟いた。
「でも義姉上が望まれるのならば」
変なの、と思った。けれどもそれも何だか可愛く見えて、頭をくしゃくしゃに撫でた。
やめてください、と返されるかと思ったが、顔を真っ赤にして俯くだけだった。
父の微笑ましげな笑い声が、室内にこだました。




